まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「スウィート・サンデイ・カインダ・ラヴ ( バラ色の日曜日:Sweet Sunday Kinda Love)」ザ・ビーチ・ボーイズ(1978)

 おはようございます。

 今日は日曜日ということで、ザ・ビーチ・ボーイズの「スウィート・サンデイ・カインダ・ラヴ」 を。

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There's something special about it
Just what, I can't quite say
But there's no doubt that it's different
From any other day
There are no words to exactly describe
What I'm speakin' of
It's just a sweet Sunday kinda love

We'll read the funnies together
And watch some T.V. too
You can do something for me
And I'll do the same for you
We'll fill the hours with things
That we both most like to do
Spending a sweet Sunday lovin' you

Why don't we unplug the phone?
Let's pretend nobody's home, quietly
Just you and me, oh how nice that will be

All through the week I'll look back upon that
Sweet Sunday time
While looking forward to that special happiness
We'll find
When we awaken to hear from a songbird up above
Sounds of a sweet Sunday kinda love

 

 

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何か特別なものがあるんだ

それが何か、うまく言えないけど

でも間違いなく、他のどんな日とも違ってる

僕が言っていることを正確に表現する言葉はないけど

それは、ただ素敵で、日曜日みたいな恋なんだ

 

二人で新聞のマンガを読もう 

なにかTVも見よう

何か僕にしてくれたら

僕も同じことをしてあげるよ

二人が一番やりたいことで時間を埋めるのさ

君を愛しながら素敵な日曜日を過ごしながら


電話のプラグを抜いてしまおうよ

静かにして、誰も家にはいないと見せかけよう

君と僕だけ なんて素敵なんだろう

次の1週間はずっと、

この素敵な日曜日のことを思い出しているだろう

一方では、二人が見つけるはずの

特別な幸せを楽しみにしながら

僕たちはソングバード(鳴き鳥)が奏でる

素敵な日曜日らしい恋の響きで目を覚ますのさ
                                                      (拙訳)

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 このタイトルの元になっている、ジャズ・スタンダードがあります。

「SUNDAY KIND OF LOVE」。1946年に書かれたもので、エラ・フィッツジェラルド、ダイナ・ワシントン、エタ・ジェイムズから、フォーシーズンズ、ジャン&ディーンといったポップスのアーティストも取り上げています。

 

 僕が好きなのはケニー・ランキンが1975年にリリースしたヴァージョンです。

www.youtube.com

I want a Sunday kind of love
A love to last, past Saturday night
I'd like to know, it's more than love at first sight
I want a Sunday kind of love

(日曜日らしい愛がほしい 長く続く愛 土曜の夜だけで終わるのではなく

知りたい それが一目ぼれより素晴らしいことを 日曜日みたいな愛がほしい)

 

"Sunday kind of love”とは、ひとときの恋じゃなく、”日曜日を一緒に過ごすような永続的な恋愛関係”を意味しているんでしょうね。

 

「スウィート・サンデイ・カインダ・ラヴ」のほうは、日曜日を彼女と一緒に過ごすことを心待ちにしている歌になっていて、1978年にリリースされたアルバム「M.I.U.アルバム」に収録されています。

 

 M.I.Uは”マハリシ国際大学(Maharishi International University)”のことで、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーアイオワ州フェアフィールドに設立した大学です。彼はビートルズのメンバーに瞑想を教えたことで知られていますが、ジョンとジョージはビーチ・ボーイズにも彼を紹介し、メンバーのマイク・ラヴ、アル・ジャーディン、ブルース・ジョンストンは瞑想にハマり、それがドラッグを遠ざけることにも役立ったそうです。

 

 1970年代のビーチ・ボーイズは、バンドの柱であるブライアン・ウィルソンが心身ともに深く病んでしまったことと、彼らのスタイル自体が時代遅れになってしまったことも重なって、作品の評価もセールスも落ち込んでいました。

  しかも、1977年頃にはバンドはメンバー間の意見の相違もあり解散の危機にあったと言われています。

 

 そんな中でメンバーのアル・ジャーディンは自らがイニシアチヴをとってアルバムを作ることを決意します。

「『M.I.U.アルバム』というのは、ブライアンをスタジオに戻すことが目的で作られたので、機材をすべて空輸してMIUにスタジオを建てたんだ。ブライアンにもう一度音楽的に建設的になってもらうことが目的でした、そして、それに成功したと思う」

       (IOWA HISTORY JOURNAL)

 アルとともにアルバムのプロデュースをしたロン・アルトバッハはこう語っています。

「マイク(ラブ)とサックス奏者のチャールズ・ロイドと私は、1977年7月に6ヵ月間のヨーロッパ滞在から戻ってきて、その間、マハリシとアルプスで深い瞑想のコースを過ごしていたんだ。マイクは、グループ全体を浄化するべきだと考えていて、そのためにはアイオワ州のMIUで行うのが一番だと思ったんだ」

       (IOWA HISTORY JOURNAL)

 

 ブライアンに創作に集中してもらうこと、分裂してしまったメンバーの気持ちを浄化すること、バンド最大の危機にあったメンバーが復活をかけて赴いた場所がM.I.Uだったわけです。アルバムのタイトルにするくらいですから、それだけ重だったわけです。

 

 しかし、残念なことに、このアルバムは全米チャート151位、1960年代は半ば以降はアメリカ以上に人気のあったイギリスではチャートインさえしなかったという、彼らのオリジナル・アルバムの中でも”最低”の結果に終わってしまいます。

 All MusicやRolling Stoneなどアメリカでの評価もひどいものでした。

 ただ、日本のビーチ・ボーイズの出版物をいろいろ見ると、このアルバムの評価はそれほど低くはありません。

 僕自身も結構好きなアルバムでもあります。前の2作のアルバムが散漫な印象だったのに対して、全体的によくまとまっています。

 特にこの「スウィート・サンデイ・カインダ・ラヴ」は、彼らの傑作「ドント・ウォーリー・ベイビー」を彷彿させるような雰囲気があります。

 歌詞の内容も、恋するティーンエイジャーのを無垢に夢想という、いかにもビーチ・ボーイズらしい世界観で(この曲を書いたブライアン・ウィルソンマイク・ラヴもこの頃30代後半でしたが)、1960年代に発表されていてもおかしくないと思いました。

 

 ポップスは”大人にならない音楽”、そんな風に僕は思っているのですが、ビーチ・ボーイズはまさにそれを体現してくれるようなグループなんです。

 

 実は、この曲のカバーがあります。

 歌っているのはブライアン・ウィルソンの最初の奥さん、マリリンを中心とした女性グループ、ザ・ハニーズ。彼女たちは1960年代にブライアンのプロデュースで作品をリリースしているので、ビーチ・ボーイズのファンにはよく知られています。

 

 彼女たちは1980年代に復活し、1986年にスウェーデンだけで「It's Like Heaven」というアルバムをリリースしていて、そこに収録されていました。これは過去の作品や未発表音源などを集めたもののようです。

 

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「イヤー・オブ・ザ・キャット(Year Of The Cat)」アル・スチュワート(1976)

 おはようございます。

 今日はアル・スチュワートの「イヤー・オブ・ザ・キャット」です。

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On a morning from a Bogart movie
In a country where they turn back time
You go strolling through the crowd like Peter Lorre
Contemplating a crime
She comes out of the sun in a silk dress running
Like a watercolor in the rain
Don't bother asking for explanations
She'll just tell you that she came
In the year of the cat

She doesn't give you time for questions
As she locks up your arm in hers
And you follow 'till your sense of which direction
Completely disappears
By the blue tiled walls near the market stalls
There's a hidden door she leads you to
These days, she says, I feel my life
Just like a river running through
The year of the cat

While she looks at you so cooly
And her eyes shine like the moon in the sea
She comes in incense and patchouli
So you take her, to find what's waiting inside
The year of the cat

Well morning comes and you're still with her
And the bus and the tourists are gone
And you've thrown away your choice you've lost your ticket
So you have to stay on
But the drum-beat strains of the night remain
In the rhythm of the newborn day
You know sometime you're bound to leave her
But for now you're going to stay
In the year of the cat

Year of the cat

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ボガートの映画に出てくるような朝

誰もが昔を懐かしんでいるような田舎町で

おまえはピーター・ローレみたいに群衆をかきわけてゆく

じっくりと悪だくみしながら

 

彼女はシルクのドレスをまとって太陽の中から現れた

雨の中の水彩画みたいにね

わざわざ説明を求めなくてもいいんだ

彼女はただ猫の年にやってきたとおまえに言うだろう

 

彼女はおまえに質問する時間も与えないほど

強く腕を絡めてくるのさ

そしておまえは方向感覚がすっかりなくなっちまうまで

ついてゆくことになる

屋台が並ぶ市場の近くの青いタイルの壁ぞいに

彼女がおまえを連れて行こうとする隠れたドアがある

最近は、と彼女は言う

私の人生は、まるで流れる川みたい

猫の年を

彼女がひどく冷ややかにおまえを見つめて

その瞳を海に浮かぶ月のように輝やかせて

彼女はお香とパチョリの香りとともにやってくる

だからおまえは彼女を連れてゆく

いったい何が待っているのか見つけるために

猫の年の中に


朝が来てもおまえはまだ彼女と一緒にいる

バスも観光客も行ってしまった

おまえは選択の機会も放り出し

チケットも失くしてしまった

だからおまえはそこにいるしかない

だけど、生まれたばかりの日のリズムの中にも

夜のドラム・ビートの歪みは残っている

いつか彼女と別れることになると知っていても

今はとどまることにしよう

猫の年の中で

猫の年の、、、
                 (拙訳)

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 ”猫年”ってなんだろうと思ったら、ベトナムの干支なんですね。

 干支は中国が起源ですからベトナムにも伝わったのですが、そこでマイナーチェンジが行われたようです。

 猫年は日本でいう卯年。他に違っているのは、牛→水牛、羊→山羊、猪→豚で、どれも同類の中での変化で、ベトナムに馴染みのある動物に変えたようです。ただ、猪は中国では豚のことをさすらしく、”イノシシ”年にしているのは日本だけなんだそうです。

 

 なぜ、ウサギが猫になったのかについては、諸説あるようですが、まずウサギがベトナムではポピュラーじゃないのと、「卯」の中国語の発音mão(マオ)がベトナム語のmèo(メオ、猫)に近いからじゃないか、と言われているようです。

 

 さて、なぜベトナムの干支をアル・スチュワートは歌にしたのでしょう。

 

 1975年、アル・スチュワートはリンダ・ロンシュタットの前座として北米ツアーをまわっていました。その時のキーボーディストがピーター・ウッド。彼がサウンド・チェックの時に必ず引くフレーズがあって、それに強く惹かれたアルは、メロディーに歌詞をつけさせてもらうことにしました。

 

 最初に彼が書いた歌詞は、トニー・ハンコックというイギリスのコメディアンについてのもので「Foot of the Stage」というタイトルでした。

 

 しかし、アメリカのレコード会社からはトニー・ハンコックなんて知らないと却下されてしまいます。そのあと彼は、アン王女をテーマにした「Horse of the Year」と言う歌詞を書きましたが、再び却下されたそうです。

 レコード会社の人間は、曲自体は気に入っていたので、また違う歌詞を書くよう彼に指示を出しました。

 

 しかし、何もアイディアが浮かばずにもう頭がおかしくなりそうになった彼は、ふとガールフレンドが持っていた本に目をやると、それはベトナムの星占いについてのもので、ちょうど「Year of The Cat」という章が開いてありました。それが何のことかはまったくわからなかったそうですが、間違いなく曲のタイトルになると、彼はひらめいきました。

 

 最初彼は猫についての歌詞を書いたそうですが、全然うまくいかず、そのとき偶然テレビで映画「カサブランカ」をやっていたので、それをモチーフにすることに決めたそうです。 

 歌詞のボガートはもちろん「カサブランカ」の主役、ハンフリー・ボガートピーター・ローレはビザの売買をする悪徳ブローカーの役で出ていました。

 具体的に映画のシーンを取り入れたわけではなく、あくまでもイメージのようです。

 

 それにしても、”ベトナムの干支”と「カサブランカ」をミックスするとは、、。それだけ彼は追い詰められていたんでしょうね。

 

 その不思議な歌詞の世界と印象的なピアノのリフ、いろんな要素が相乗効果になったのか、この曲は全米8位の大ヒットになります。

 すでにデビューから10年経っていて、それまで彼は一度もシングル・チャートに入った曲がなかったのですから、彼自身驚いたことでしょう。

 

 ここでアル・スチュワートのエピソードを少し。彼は子供のころにロックンロールに夢中になったことがきっかけで音楽を志しましたが、十代の頃にはフォーク・ブームになり、すると彼はボブ・ディランに憧れてカバーをやっていたそうです。

 そのころ、ロンドンにやって来て、彼と同じフラットに住んだのがなんとポール・サイモンでした。ポールがオリジナル曲を作る様子を壁越しに聴きながら、曲の作り方を学び、彼自身もオリジナル曲を書くようになるのです。

 

  彼の最初のシングルと思われる「ELF」(1966)。確かに、曲調はちょっとポール・サイモンっぽい感じもしますね。

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 その後、コンスタントに活動を続け、1970年代に入ると本国イギリスより、アメリカでじわじわと人気が出始め、1975年には、ビートルズの「アビイ・ロード」やピンク・フロイドの「狂気」などに関わったエンジニア、アラン・パーソンズをプロデューサーに迎えたアルバム「モダン・タイムス」が全米30位まであがりました。

 

 その盛り上がりを受けてリリースされたのが「イヤー・オブ・ザ・キャット」だったというわけです。彼もここが勝負のタイミングだと思っていたので、必死に歌詞の書き直しをしたのかもしれませんね。

 

 その後、彼は1978年に「イヤー・オブ・ザ・キャット」と並ぶ代表曲「タイム・パッセージ」(全米7位)をリリースしています。

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 最後に映画「カサブランカ」をモチーフにした曲を。

 日本人にはやっぱりこれが有名ですよね。バーティ・ヒギンスの「カサブランカ」(1981)。郷ひろみにもカバーさせるという戦略が見事ハマりました。

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 バーティ・ヒギンスがベタ過ぎて、、というAORファンから人気が高いのがデイン・ドナヒューの「カサブランカ」。たった一枚しかアルバムを残していませんが、ラリー・カールトンスティーヴ・ルカサー、ジェイ・グレイドン、スティーヴ・ガッドスティーヴィー・ニックスドン・ヘンリー、J.Dサウザー、ビル・チャンプリンなど当時の西海岸オールスターキャストで作られています。

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「愛するハーモニー(I'd Like to Teach the World to Sing (In Perfect Harmony))ニュー・シーカーズ(1971)

 おはようございます。

 今日はニュー・シーカーズの「愛するハーモニー」を。

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I'd like to build the world a home
And furnish it with love
Grow apple trees and honey bees
And snow white turtle doves
 
I'd like to teach the world to sing
In perfect harmony
I'd like to hold it in my arms
And keep it company
 
I'd like to see the world for once
All standing hand in hand
And hear them echo through the hills
For peace throughout the land
That's the song I hear
 
I'd like to teach the world to sing
In perfect harmony
 
 
I'd like to teach the world to sing
In perfect harmony
 
I'd like to build the world a home
And furnish it with love
Grow apple trees and honey bees
And snow white turtle doves
That's the song I hear
I'd like to teach the world to sing
In perfect harmony
I'd like to hold it in my arms
And keep it company
 
That's the song I hear
 
I'd like to see the world for once
All standing hand in hand
And hear them echo through the hills
For peace throughout the land
That's the song I hear
 
I'd like to teach the world to sing
In perfect harmony

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この世界にひとつの家を作ってあげたい

家具のように愛を備えつけて

リンゴの木や ミツバチや

雪のように白い、小さなキジバトを育てるの

 

この世界に歌うことを教えたい

息のあったハーモニーで

この世界を抱きしめたい 

そしてずっと仲間でいたいの

  
一度でいいから世界中が
手を取り合って立ち上がるのを見たい
そして、丘を越えて声が鳴り響くのを聞きたい
世界中が平和になったと
それが私に聴こえる歌
 

この世界に歌うことを教えたい

息のあったハーモニーで

この世界に歌うことを教えたい

息のあったハーモニーで

 
この世界にひとつの家を作ってあげたい

家具のように愛を備えつけて

リンゴの木や ミツバチや

雪のように白い、小さなキジバトを育てるの

 

この世界に歌うことを教えたい

息のあったハーモニーで

この世界を抱きしめたい 

そしてずっと仲間でいたいの

 
 
一度でいいから世界中が
手を取り合って立ち上がるのを見たい
そして、丘を越えて声が鳴り響くのを聞きたい
世界中が平和になったと
それが私に聴こえる歌
 

この世界に歌うことを教えたい

息のあったハーモニーで、、、    (拙訳)

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  この曲は当時コカコーラのCMで使われ世界中で大ヒットしました。日本でもオリコンで1位になっていたようです。史上最も成功したCMソングだと呼ばれているんですね。

 こんなCMでした。

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  この曲は、広告代理店のマッキャンエリクソンに勤めていたビル・バッカーが考えた "I'd like to buy the world a Coke" (世界にコークを買ってあげたい)というキャッチコピーを元に、コカコーラのジングルの作曲家ビリー・デイヴィス、イギリスのソングライター・チーム、ロジャー・グリーナウェイとロジャー・クックの協力を得て作られたそうです。

    ベースとなったのはデイヴィス、グリーナウェイ、クックの三人で作った「True Love and Apple Pie」という曲でスーザン・シャーリーというシンガーが歌い1971年にシングルとして発売されていました。

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 この曲をコークのCM用に作り直したというわけですね。

 

 TVのCMでの反響が大きかっため、フル・ヴァージョンにしレコード化することにしましたが、ニュー・シーカーズが忙しかったため(彼らが歌うことに難色を示した、という説もあります)、急遽スタジオ・シンガーたちを集め”ヒルサイド・シンガーズ”というグループ名で最初にレコーディングしました。

 

 CMがイタリアの”丘の上(ヒルトップ)”で歌っているものでしたので、こちらは”丘の斜面(ヒルサイド)”にしたのかもしれませんね。

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 ヒルサイド・シンガーズのヴァージョンがリリースされると、追いかけるようにニュー・シーカーズがレコーディングして発売しました。結果ヒルサイド・シンガーズが全米最高13位、ニュー・シーカーズが全米7位、全英1位という結果になり、ニュー・シーカーズのヴァージョンが”本命盤”になった、というわけです。

 

 ニュー・シーカーズは1967年に「ジョージー・ガール」を大ヒット(全米2位)させたシーカーズの解散後にメンバーだったキース・ポトガーが結成したグループです。

 

ジョージー・ガール 

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 ニュー・シーカーズのメンバーだったリン・デイヴィスはこの曲についてこう語っています。

「私たちは、ばかげた感傷的な歌だと思っていたわ、だからこれをシングルにするなんて滑稽だった。

 私は気持ちが温かくなる曲だとは思ったけど、700万枚も売れるなんて!今でもこう考えるの。こんなに普通の歌がなんでそんなに売れたの?って」

                  (Dailymail 15 May 2009)

 

 

 本人たちがどう考えようと、この曲は長く支持され続けています。

その大きな理由としては、このコカコーラのCMが広告史上に残る名作の地位についたことが大きいようです。

 

 1990年にはリユニオンのCMが作られました。

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 21世紀に入ってからも、コカコーラのCMで何度も使われているようです。

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 CMソングでありながら、平和のメッセージソングとしても認知されているという

かなりめずらしい曲です。

 

 日本でも南沙織麻丘めぐみなどカバーも多いです。その中から1973年のスクール・メイツを最後に。キャンディーズの三人と太田裕美も参加していたそうです。

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「カリビアン・クイーン ( Caribbean Queen (No More Love on the Run) )」ビリー・オーシャン(1984)

 おはようございます。

 今日はビリー・オーシャンの「カリビアン・クイーン」です。

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(She's simply awesome

She dashed by me in painted on jeans
And all heads turned 'cause she was the dream
In the blink of an eye I knew her number and her name, yeah
She said I was the tiger she wanted to tame

Caribbean Queen
Now we're sharing the same dream
And our hearts they beat as one
No more love on the run

I lose my cool when she steps in the room
And I get so excited just from her perfume
Electric eyes that you can't ignore
And passion burns you like never before

I was in search of a good time
Just running my game
Love was the furthest
Furthest from my mind

Caribbean Queen
Now we're sharing the same dream
And our hearts they beat as one
No more love on the run

Caribbean Queen
Now we're sharing the same dream
And our hearts they beat as one
No more love on the run

Caribbean Queen
Now we're sharing the same dream
And our hearts they beat as one
No more love on the run

Caribbean Queen
Now we're sharing the same dream
And our hearts they beat as one
No more love on the run

 

 

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(彼女はただ、ただ、素晴らしいんだ)

 

 彼女はペイントされたジーンズ姿で駆け寄ってきた

 するとみんな振り返った だって彼女は夢のような女だったから

 瞬く間に彼女の電話番号と名前がわかった

 僕は虎で、彼女は手なずけたいのと言った

 

 カリブの女王 いま僕たちは同じ夢を分かち合う

 二人の鼓動は一つに重なる

 もう愛を逃したりしない

 彼女が部屋に入ってきたとき、僕は冷静さを失った

 彼女の香水の香りだけで興奮してしまった

    強烈な瞳から目を離せない

 情熱が君を焼き尽くす 今まで経験したことがないほど
 

 楽しく過ごしたかっただけさ

 ただ自分のゲームをやることでね

 愛なんて一番遠いものだった

 僕の心からかけ離れたものだった

 
 カリブの女王 いま僕たちは同じ夢を分かち合う

 二人の鼓動は一つに重なる

 もう愛を逃したりしない、、、   (拙訳)

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  ビリー・オーシャンはイギリス出身で最も成功した黒人シンガーです。

 本名はレスリー・セバスチャン・チャールズ(Leslie Sebastian Charles)といって、トリニダード・トバゴで生まれ、10歳のときにイギリスに移住しました。十代の頃からロンドンで歌手活動を始め、それと並行して紳士服で有名な”サヴィル・ロウ”でパターン・カッターをやっていたそうです。

 

   1972年には本名の略称であるレス・チャールズというアーティスト名でインディーズからシングルをリリースしています。

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  彼はソングライターのデモシンガーの仕事をやっていて、プロデューサーのベン・フィンドンと知り合いになります。ベン・フィンドンはのちにノーランズの「ダンシング・シスター」を手がける人です。

 彼はベンのスタジオでまずコック兼皿洗い、雑用係として雇われ、夜は車のフォード・ダゲハムの工場で働くというハードな日々を過ごしたといいます。

 そして、彼はベンと作品を作るようになり、まずベンの作詞/作曲/プロデュースによる「On The Run」というシングルを「Scorched Earth」という名義でリリースしています。  

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 その後彼は、何年か前に初めて自分で書いた「Love Really Hurts Without You」という曲をベンに聴かせます。彼が大好きだったモータウンの影響(フォー・トップス「アイ・キャント・ヘルプ・マイ・セルフ」)が色濃く現れた楽曲でした。するとベンも気に入りシングルとしてリリースすることになります。

 

 その際に、ベンが考えた芸名が”ビリー・オーシャン”でした。当時彼が住んでいた”オーシャン・エステイト”からとった説と、彼の故郷トリニダードに”オーシャンズ11”というサッカーチームがあるったからなど諸説あるようですが、ベンに”押し付けられた”芸名であったのは間違いないようです。

 

しかし、そのおかげもあったのか、「Love Really Hurts Without You」は全英2位、全米22位(1976年)の大ヒットになりました。

 

  実はこの曲、21世紀に入ってから映画やドラマで使われ、Spotifyではビリー・オーシャンの曲で最も再生されています。そんなこともあってか、先月(2021年4月)、あらためてアニメのPVが作られています。

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 翌1977年には「Red Light Spells Danger」という曲が全英2位になっています。

 1980年代に入ると彼のレーベルはメジャーのCBSに買収され、彼はCBS傘下のEPICの契約アーティストになります。

 そして、1981年にリリースされたシングルが「Nights (Feel Like Getting Down)」でした。全米R&Bチャート7位。当時僕はたぶん山下達郎の「サウンド・ストリート」でこの曲を初めて聴いたように記憶していますが、すぐに気に入りました。今も、僕が一番好きなビリー・オーシャンの曲はこれです。

 

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  しかし、彼はメジャーレーベルの風土と肌が合わず、もう音楽を辞めようとさえ思ったそうです。

 その頃、彼が出会ったのが新興レーベル” JIVE”を1981年に立ち上げていた(レーベルの母体は1971年に設立したZOMBA)クライヴ・カルダーで、彼はJIVEを新天地として選択し再出発することにします。

 

 ちなみにJIVEは1990年代にバックストリート・ボーイズ、イン・シンクブリトニー・スピアーズなどで大成功をおさめます。そのJIVEを最初に発展させたのがビリー・オーシャンだったのですね。

 

 クライヴ・カルダーは優れたプロデューサーを何人かビリーに紹介し、一緒に仕事をさせました。

 その一人がキース・ダイアモンド。ドナ・サマー、マイケル・ボルトン、ジェイムズ・イングラムなど1980年代に都会的でポップなR&Bを生み出した人です。彼もまたトリニダード出身でした。

 

 そして二人で作ったのが「カリビアン・クイーン」だったわけですが、実はこの曲最初は「ヨーロピアン・クイーン」というタイトルと歌詞で発売されていました。

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 しかし、全くヒットしなかったため、ビリーの当時のマネージャーはこの曲の12インチ・ヴァージョンを「カリビアン・クイーン」にしてはどうかと提案します。すると、この曲はじわじわとヒットし始め、ついに全米1位になった、というわけです。

 

 僕が思うに、この曲が大ヒットした理由のひとつは、この超有名な曲のアレンジのテイストをうまく取り入れているからですよね。

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 ビリー・オーシャンという人は有名な曲のスタイルを使って、より明快に庶民的に翻訳するように曲を作る才があったのだと思います。そういうのは、日本では”ビーイング”がそういうスタイルを得意としていました。宇多田ヒカルが大ブレイクすると倉木麻衣を世に出したように。そういう営みはポップ・ミュージックが大衆へとより裾野を広げてゆくために必要なことだったのだろうな、と僕は思います。

 

 さて、「カリビアン・クイーン」が大ヒットしたあと、調子に乗って(?)アフリカ向けのヴァージョンも作られていたそうです。タイトルは案の定「アフリカン・クイーン」。それなら「エイジアン・クイーン」も作ってくれればよかったのにと思いますが、、。

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ビリー・オーシャンのベスト。

 

僕の大好きな「ナイツ」はベストから外れてしまうんですよね。レーベルが違うこともあって。オリジナル・アルバムはこちら。

 

 

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「ママ・ユーストゥ・セイ(Mama Used To Say)」ジュニア(Junior)(1982)

 おはようございます。

 今日はジュニアの「ママ・ユースト・トゥ・セイ」です。

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Said a small boy once asked
When will I grow up?
When will I see what grown-ups do see?

In his fight to come of age
He would act an older age
To be recognized as one
And not a mass

And mama used to say
Take your time, young man
Mama used to say
Don't you rush to get old

Mama used to say
Take it in your stride
Mama used to say
Live your life

As the years went rushing by
He would cut down on his age
He would tell his girl of how it used to be

 

How his mommy passed away

But these lines she would say
And at the time
He couldn't understand


You're young
So enjoy
Don't hold on back
Do all you want to do

Now is the time
For you to stride
For you to get better in what you are doing

And mama used to say
Take your time, young man
Mama used to say
Don't you rush to get old

Mama used to say
Take it in your stride
Mama used to say

Live your life
Live your life
Live your life

Hey, mama used to say
Take your time, young man
Mama used to say
Don't you rush to get old

And Mama used to say
Take it in your stride
Mama used to say

Ooh  Mama used to say,,,

 

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まだ小さな少年がたずねた

いつになったら僕は大人になれるの?

いつになったら大人が見ているものが見えるの?

 

大人になるための戦いの中で

彼はその他大勢じゃなく

一人前だと認められるために

年上のふりをするだろう

そして、ママはこう言っていた

ゆっくりでいいのよ、坊や

ママは言っていた

急いで年をとらないで

ママはこう言っていた

落ち着いてやるのよ

ママは言っていた

あなたらしく生きなさい

 

急ぎ足で年月が過ぎてゆくごとに

彼は自分の年齢を減らして言うようになり

彼女に昔話するようになるだろう

どんな風にママが亡くなったのか

だけど、彼女が言っていた言葉は

その時彼には理解できなかった

 

お前は若い だから楽しむのよ

遠慮しないで

やりたいことはみんなやりなさい

今がその時さ

胸を張って歩いて やっていることが好転するんだ

そして、ママはこう言っていた

ゆっくりでいいのよ、坊や

ママは言っていた

急いで年をとらないで

 

ママはこう言っていた

落ち着いてやるのよ

ママは言っていた

あなたらしく生きなさい

あなたらしく生きなさい、、、

                   (拙訳)

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 ジュニアはロンドン出身のR&Bシンガーで、本名はノーマン・ワシントン・ギスコムと言います。西インド諸島(たぶん、ジャマイカだと思われます)にルーツがある家系のため、いつも音楽がある環境で育ち、子供の頃はドゥワップ、初期モータウン、レゲエなどを聴き、大きくなってからはトム・ベルなどのフィラデルフィア・ソウルに大きな影響を受けます。そして、自分には歌ったり曲を書いたりする能力があることに気づきアーティストへの道を目指しました

  

 

 彼は”Linx"というソウル/ファンク・バンドのバックコーラスのメンバーとして活動します(Linxのヴォーカルは1985年に「フィラデルフィアから愛をこめて」をカバー・ヒットさせたデヴィッド・グラントです)。

 1981年インディーズからソロとして”ノーマン・ギスコム・ジュニア”名義でシングルをリリースします。

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 そしてこれをきかっけにメジャーと契約し、Linxのキーボーディスト、ボブ・カーターと共作し、ボブのプロデュースでリリースした最初のシングルがこの「ママ・ユーストゥ・セイ」でした。

 

  そしていきなり全英チャートで7位の大ヒットになっただけではなく、アメリカでも全米30位、R&B(ソウル)チャート2位と、素晴らしい成績を残します。

 この頃は、イギリスの黒人シンガーが、アメリカでヒットさせるのは非常に稀なことでした(この数年後にビリー・オーシャンが大成功をおさめます)。

 「ママ・ユーストゥ・セイ」はアメリカで成功した英国産R&Bの”さきがけ”だったわけです。

 

 この曲を書いたときのことをジュニアはこう回想しています。

 

 「当時、僕は働いていたんだ。その頃は、靴の修理屋の職人をやっていた。この曲を作ったのは、若い女の子が店に来たからで、僕は22歳だった。彼女は18歳だと言っていて、ちょっと若いなと思ったんだ。それで、僕は彼女をデートに誘いやすくするため、自分の年齢を下げて20歳と言ったんだ。また、僕の母が「急いで年をとること」について言っていたことがあるんだ。16歳になるときに25歳になりたいと願うのは、あとで振り返ると、慌てて年をとることで自分の人生の10年を無駄にしてしまうことになるって」

 

最初から最後まで、この曲を作るのに5分か10分もかかっていないんだ。全部がいっぺんにぶつかりあうようにできた。仕事をしながら歌っていると歌詞がただ浮かんできたんだ」

       (PRS for MUSIC  19 Mar 2020)

 

 華々しいデビューを飾ったアーティストの圧倒的多数がその後失速してしまうということが、この音楽の世界の法則のように存在しますが、彼も例外ではなく、この曲を超えるヒットを生み出すことはできませんでした。

 それでも彼はこの曲以外に全英チャートに入る曲を14曲、全米R&Bチャートに入るシングルを9曲もリリースしています。

 

  この「ママ・ユーストゥ・セイ」はサンプリングのネタとしても人気になっています。

Heavy D&The Boyz「Is It Good To You」(1991) 

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リチャード・ブラックウッド(ジュニアの甥)の「Mama  Who Da Man」は2000年に全英3位のヒットになっています。

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 また、2011年にはUKの女性R&Bシンガー、ビヴァリー・ナイトがこの曲をカバーしていました。

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  ジュニアの半生を調べていてわかったのですが、彼は奥さんを難病である多発性硬化症で亡くし、奥さんが亡くなる半年前に娘も同じ病気だと発覚したそうです。娘さんはやがて歩けなくなったそうですが、彼女は歌に生きがいを見つけ、彼は自分のステージで彼女を歌わせたりしていたようですが、2017年に彼女も亡くなってしまったようです。

   彼は彼女に捧げる「Everything Set」というアルバムを制作し、自身のWebサイトで販売しています。

 

 2019年の彼の動画を2つ見つけましたが、どちらも味わい深く素晴らしいものでした。

 

 まずは、BBC TWO(イギリスBBCのラジオ局)主催のニュー・イヤー・コンサート

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 また、同じ年にレゲエ・シンガーのルチアーノと共演したレゲエ・ヴァージョンの「ママ・ユーストゥ・セイ」。彼自身のルーツに立ち返ったのかもしれません。

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「愛のコリーダ(Ai No Corrida)」クインシー・ジョーンズ(1981)

 おはようございます。

 今日はクインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」を。


Ai No Corrida

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I hold you, I touch you
In a maze, can't find my way
I think you, I drink you
I'm being served you on a tray
You see girl,
That's what I go through every day
Is this the way it should feel?

Pinch me, I'm dreaming
But if it is, don't let me know
I'm drowning, don't save me
It's just the way I'd like to go
You see girl,
You thrill me, half kill me
That's what you do...

Ai no corrida, that's where I am
You send me there, your dream is my command
Ai no corrida, I find myself
No other thought, just you and nothing else
You and nothing else

Before my heart saw you
Each day was just another day
Night, the lonely interlude
Just came, then blew away
You know girl, everything was come what may
Until you fell in my life

This spell I'm under
Has caught me, I'm in a daze
Your lightning and thunder
Sets my poor heart ablaze
You see girl,You thrill me, half kill me
That's what you do

Ai no corrida, that's where I am
You send me there
You dream is my command
Ai no corrida, I find myself
No other thought
Just you and nothing else
You and nothing else


Ai no corrida, that's where I am
You send me there
You dream is my command
Ai no corrida, I find myself
No other thought
Just you and nothing else
You and nothing else

Ai no corrida, that's where I am
You send me there
You dream is my command
Ai no corrida, I find myself
No other thought
Just you and nothing else
You and nothing else...

********************************************************************************

君を抱きしめ 君に触れる

迷路の中で 道を見失う

君を思い 君を飲み

トレイにのって君に出される

わかるだろ、これが僕が毎日やっていることさ

これが、そう感じるべきやり方かい?


つねってみて、僕は夢見てるんだ

だけどもしそうなら そうだと教えないで

僕は溺れているんだ 助けちゃダメさ

ただそうしたいってことさ

わかるだろ、

君は僕をドキドキさせて 半分殺す

それが君のやっていることさ

愛のコリーダ それが僕のいる場所

君がそこに送り込んだ

君の夢が僕への指令さ

愛のコリーダ 自分に気づいた

他には何も考えない ただ君だけ他にはいない

君だけ他にはいない

 

僕のハートが君を見るまでは

毎日なにもなく過ぎていた

夜、孤独な間奏が

ちょうど聞こえてきて、吹き飛んでいった

わかるだろ、どんなことでも覚悟はできているんだ

君が僕の人生に入ってくるまでは

 

僕にかけられたこの呪文が僕をとらえている

僕は目がくらんで

君の稲妻と雷が僕の哀れな心を燃え上がらせる

わかるだろ、君は僕をドキドキさせて、半分殺す

それが君のやっていることさ

 

愛のコリーダ それが僕のいる場所

君がそこに送り込んだ

君の夢が僕への指令さ

愛のコリーダ 自分に気づいた

他には何も考えない ただ君だけ他にはいない

君だけ他にはいない


                    (拙訳)

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愛のコリーダ」は大島渚監督の1976年の映画のタイトルです。”阿部定事件”を描いた衝撃的な内容で、世界中で大変な話題になりました。

 

 当時僕は小6で、TVでこの映画の話題を取り上げていたので、親に”阿部定”って何?ってたずねて、予想もしていなかったその内容を教えてもらうと恐怖を感じて、ちょっとトラウマになったほどです(苦笑。

 

 そして高校生になって、軽快なディスコ・ビートにのって”愛のコリーダ〜♩”って歌うこの曲が流行し始めた時、僕はディスコものが大好きだったので曲にはノリノリになりつつも、小6のトラウマがフラッシュバックしてくるという、軽い錯乱状態(?)なったことをよくおぼえています。

 

 クインシー・ジョーンズは映画の「愛のコリーダ」が好きだったのかなあ、などと当時は思ったものですが、これはカバー曲でした。

 クインシーが曲を気に入って、アルバムに取り上げただけだったようです。

 

 オリジナルはチャズ・ジャンケル。彼が1980年にリリースしたものでした。


Chaz Jankel - Ai No Corrida

 このチャズ・ジャンケルって何者かというと、1970年代のパンク・ニューウェイヴのブームの時に日本でも人気のあったイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズのギタリストだった人です。

 

 イアン・デューリーとチャズが共作し全英1位になった「 Hit Me with Your Rhythm Stick」(1978)

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  チャズはもともとスライ&ファミリー・ストーンの大ファンで、彼が加入したことでバンドにファンクっぽさが加わったと言われています。

 

 この「愛のコリーダ」が作られたのは、イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズがアムステルダムでコンサートを行なった夜で、チャズがオランダ人のモデルと知り合いになったことがきっかけだったそうです。

 

「僕はホテルの部屋で美しいオランダ人のモデルと一緒にいたんだ。すっかり有頂天になって、雰囲気はエロティックだった。そうしたら突然、メロディが頭に浮かんできて、そのキーをチェックするためにギターを取りに行ったんだ」

(daily.redbullmusicacademy.com/)

 この当時彼はE,W&Fやローズ・ロイスといったディスコ/R&Bのアーティストに夢中になっていたそうで、その影響が出た曲になりました。

 ただ、この曲はイアン・デューリーには向いていないと思った彼は、知人の紹介で、ドリフターズの「アンダー・ザ・ボードウォーク」などを作詞したケニー・ヤングにこの曲を含んだカセットテープを渡したそうです。

 

 すると後日、ケニーが彼に電話してきました。

「”チャズ、君のメロディーに最高のアイディアがあるんだ〜Ai No Corrida, that’s where I am…”〜って。僕は彼が何を言っているのかさっぱりわからなかった。それで、彼が大島の映画について教えてくれたんだ、女主人の旦那に恋したけど、階級制度のためにそれが許されない芸者の話だって」

(daily.redbullmusicacademy.com/)

 

 大島渚の映画を見て、そのタイトルを曲に入れたのはケニー・ヤングだったんですね。

 

 そして、チャズと同じブロックヘッズのギタリスト、ジョニー・ターンブルの友人に音楽出版社をやっている人間がいて、そこで働いていた女性のボーイフレンドが、クインシーの”片腕”ロッド・テンパートンだったことから、この曲がクインシーに聴かれることになったようです。

 

 そしてこの曲は、全米28位、R&Bチャート10位、全英14位となかなかのヒットでしたが、日本ではオリコン洋楽チャート12週1位で、その年の洋楽のNO.1ヒットになっています。

 やはり”愛のコリーダ”というタイトルが効いたんでしょうね。

 

 ”コリーダ(Corrida)”はスペイン語で”闘牛”という意味なんですが、”ai no"というのも、スペイン語で"No More"のように解釈できるそうです。スペイン語圏の人が完全にスペイン語のタイトルだという風にとらえていてびっくりしたとチャズは語っています。

 

 そういうこともあったのでしょうか、2006年にクインシーはこの曲のスペイン語ヴァージョンをラテン・アレンジで発表しています。

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1stバースデー

 

「マジック・タウン(Magic Town)」ヴォーグス(1966)

 おはようございます。

 今日はヴォーグスの「マジック・タウン」です。

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They told me the streets were all paved with gold
But these dirty sidewalks are gray and concrete cold
They said neon lights were a beautiful sight
But how 'bout the one blinkin' in my room all night

And where's the magic in this magic town
Where's the good life they said could be found
Where's the magic to make all my big dreams come true

I gotta find it girl before I send for you

They said in this town you get rich in no time
But here I am and I'm down to my last dime
I just don't know why I bother to try
When nobody here gives a hang if I live or die

And where's the magic in this magic town
Where's the good life they said could be found
Where's the magic to make all my big dreams come true

I gotta find it, girl before I send for you

And where's the magic in this magic town
Where's the good life they said could be found
Where's the magic to make all my big dreams come true

I'm gonna find it, girl, if it can be found

Before I bring you to

This magic town

This magic town (repeat to fade)

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通りは全部 黄金で舗装されていると彼らは言った

だけど この汚れた歩道は灰色のコンクリートで冷え冷えとしている

ネオンの夜景が素晴らしいと彼らは言った

だけど それが一晩中、僕の部屋を点滅させてるっていうのはどうなんだ

 

この魔法の街にその魔法はどこにある?

彼らが見つかると言っていた素晴らしい人生はどこなんだ

僕の大きな夢を叶えてくれる魔法はどこにあるんだろう

 

君を迎えにゆく前に それを見つけなきゃ

この街ではあっという間に金持ちになれるという

だけど、ここで僕は一文無しになってしまったよ

わざわざがんばる理由さえわからないんだ

僕が生きるか死ぬかのときに誰も関心をもってくれないなら

この魔法の街にその魔法はどこにある?

彼らが見つかると言っていた素晴らしい人生はどこなんだ

僕の大きな夢を叶えてくれる魔法はどこにあるんだろう


君を迎えにゆく前に それを見つけなきゃ

この魔法の街にその魔法はどこにある?

彼らが見つかると言っていた素晴らしい人生はどこなんだ

僕の大きな夢を叶えてくれる魔法はどこにあるんだろう

 

君を迎えにゆく前に それを見つけなきゃ


君を連れてくる前に この魔法の街に

 

この魔法の街に             (拙訳)

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 マジック・タウン(魔法の街)とは<夢が叶うと信じられていた都会>のことなんですね。

 ”アメリカン・ドリーム”を今も高く掲げ続けているアメリカですが、それを夢見て叶えた人の何百万倍、いやきっともっともっと多くの挫折のストーリーがそこにはあったのでしょう。

 

 この曲のオリジナルはカントリー・シンガーのジョディ・ミラー(1965年)。彼女は1970年代に「ビー・マイ・ベイビー」や「ヒーズ・ソー・ファイン」などの60'sポップスをカントリー・アレンジで歌い人気者になっています。

 プロデュースしたのは、フィル・スペクターの作品でサックスを吹いていたスティーヴ・ダグラス、彼が”擬似ウォール・オブ・サウンド”にトライしたのでしょう。

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  "私はいま孤独、故郷からもあなたからも遠く離れて”

  ”私は屈服できない、この魔法の街に”

   スターを夢見て都会に出てきた若い女の子の”スター誕生前夜”、というイメージですね。今は挫折していても、ひょっとしたら、その後に成功するかもしれないという期待も感じます。

 

 彼女のオリジナルが全米チャート125位で終わってしまいましたが、翌年この曲を取り上げたのがヴォーグスでした。

 

 彼らのヴァージョンは、恋人に都会で成功したら迎えに行くよ、と言ったはいいが挫折しそうな若者が主人公になっています。この後、逆転して成功しそうな感じはちょっと薄いようにも感じます。

 

 このあたりは、男女の差なんでしょうか。荘厳なフィル・スペクターサウンドは、夢見る意志がより強いジョディのヴァージョンのほうに本来ぴったりくるものだったようにも思えます。

 

  さて、ヴォーグスはペンシルバニア州タートル・クリーク出身のヴォーカル・グループ。1958年に高校の仲間で結成され当初ヴェル・エアーズ(Val-Aires)と名乗っていました。 

 高校卒業し、メンバーは大学に進学したり、入隊したりバラならになりますが、再び集まりお金を出し合ってデモを作ることにします。

 日本では「魔法」で知られるルー・クリスティを世に出すきかっけになった、ニック・センシにプロデュースを依頼したことからデビューのきっかけをつかみました。

 

 正式な彼らのデビュー曲は”イギリスのバート・バカラック”トニー・ハッチが作り、ペトゥラ・クラークが歌った「ユー・アー・ザ・ワン」のカバーで、これが全米4位の大ヒットになりました。 

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 続く、「Five O'Clock World」も全米4位になります。

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 この「マジック・タウン」はその次のシングルで全米最高21位という成績でした。

 

 この曲を書いたのはライチャス・ブラザースの「ふられた気持ち」などを書いた、バリー・マン&シンシア・ワイル。

 彼らはバカラック&デヴィッドやキャロル・キング&ジェリー・ゴフィンと並ぶ、アメリカン・ポップス史上最高のソングライター・チームにして、おしどり夫婦です。

 

 「マジック・タウン」は「ふられた気持ち」に近いテイストを感じます。いかにも、バリー・マンらしい荘厳で、秘めた熱情の高まりを感じるような曲調です。

 「マジック・タウン」と同じ1966年にマン&ワイルのコンビはライチャス・ブラザースに「ソウル・アンド・インスピレーション」という全米1位の大ヒット曲を書いていますが、これもまた同じテイストを感じます。

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 また歌詞の世界では、マン&ワイルが1963年にドリフターズに書いた「オン・ブロードウェイ」の手法と共通するものを感じます。

 

 "They say the neon lights are bright    On Broadway
    They say there's always magic in the air
    But when you're walkin' down that street
    And you ain't got enough to eat
    The glitter rubs right off and you're nowhere"

 

 (ネオンライトが輝いていると彼らは言う ブロードウェイでは

 その空気にはいつも魔法があると

 だけど、君が通りを歩いている時

 食べるものに困っているなら

 その輝きは剥がれおちて 君はどこにも行けないんだ)

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 アメリカン・ドリームが輝いていた1960年代のアメリカでは、その影の部分を歌にしても、まだそれほどネガティヴなものにならなくて、そこにもまた物語を生み出す余力があったのかな、などと僕は思いました。

 

「マジック・タウン」のカバーは多くないのですが、昨日ブログで紹介しました「ディス・ガイ」のオリジナル「That Guy's In Love」を歌っていたダニー・ウィリアムスがカバーしていましたので、それを最後に。

 

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リー・マン&シンシア・ワイルといえばこの曲 !

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 ヴォーグスの育ての親、ニック・センシが手がけて成功させたもう一人のアーティスト、ルー・クリスティ。 

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