まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「フォーゲット・ミー・ノッツ(忘れな草)(Forget Me Nots)」パトリース・ラッシェン(1982)

 おはようございます。

 ディスコ期の曲には、昨日取り上げたE.W&Fの「セプテンバー」のように、時間とともに再評価され、その当時以上の人気になり、スタンダードになったものがけっこうあります。

 その代表曲の一つがこのパトリース・ラッシェン「フォーゲット・ミー・ノッツ」でしょう。


Patrice Rushen - Forget Me Nots

Sending you forget me nots
To help you to remember
Baby, please forget me not
I want you to remember
Sending you forget me nots
To help you to remember
Baby, please forget me not
I want you to remember


Those were the times we had
Sharing a joy that we thought would last
Memories of love and affection
Never really was just like a dream
Was it the simple things
That made me so crazy about you
Was it your charm or your passion
It's not hard to believe
I love you and I need you so I'm

 

Sending you forget me nots
To help you to remember
Baby, please forget me not
I want you to remember
Sending you forget me nots
To help you to remember
Baby, please forget me not
I want you to remember


Did we give up too soon?
Maybe we needed just a little room
Wondering how it all happened
Maybe we just need a little time
Though we did end as friends
Given the chance we could love again
She'll always love you forever
It's not hard to believe
I want you and I need you so I'm


Sending you forget me nots
To help you to remember
Baby, please forget me not
I want you to remember
Sending you forget me nots (Forget me nots)
To help you to remember
Baby, please forget me not (Forget me not)
I want you to remember

 

Sending you forget me nots
Baby, please forget me not
Good times we had (Sending you forget me nots)
They weren't so bad
What a life we shared (Baby, please forget me not)
Pretty baby, I still care


Sending you forget me nots
To help you to remember
Baby, please forget me not
I want you to remember
Sending you forget me nots
To help you to remember (Help you to remember)

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忘れな草をあなたに送るの
私を思い出してくれるよう
ベイビー、私を忘れないで
覚えていてほしいの

忘れな草をあなたに送るの
私を思い出してくれるよう
ベイビー、私を忘れないで
覚えていてほしいの

 

あの頃二人は喜びを分かち合って
それがずっと続くと思っていた
愛と思いやりの記憶は
ただの夢のようなものじゃなかった
単純なことだったの?
私をあなたに夢中にさせたのは
あなたの魅力と情熱のせい
それは信じられないことじゃないわ
あなたを愛している 私には必要なの だから、、

 

忘れな草をあなたに送るの
私を思い出してくれるよう
ベイビー、私を忘れないで
覚えていてほしいの

忘れな草をあなたに送るの
私を思い出してくれるよう
ベイビー、私を忘れないで
覚えていてほしいの

 

私たちはあきらめるのが早すぎたのかしら?
たぶんほんの少し余裕が必要だった
こんなことになってしまったのかしら
たぶん私たちには少し時間が必要だったの

友達として結末を迎えてしまったけど
もう一度愛し合うチャンスは与えられているわ
彼女はあなたをいつまでも愛し続けるでしょう
それは信じられないことじゃないわ

あなたを愛している 私には必要なの だから、、

 

忘れな草をあなたに送るの
私を思い出してくれるよう
ベイビー、私を忘れないで
覚えていてほしいの

忘れな草をあなたに送るの
私を思い出してくれるよう
ベイビー、私を忘れないで
覚えていてほしいの、、、          (拙訳)

 

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  パトリース・ラッシェンはいわゆるディスコ・シーンから現れたアーティストではなく、すでにジャズ・シーンで活躍していた人です。幼い頃からクラシックの教育をみっちり受けた大変アカデミックな方なんですね。

 彼女は十代でジャズ・ピアニストとして自身のグループを率いてモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演し脚光を浴び、ジャズの名門レーベル”プレステッジ”との契約を勝ち取ります。

  ですから、彼女が20歳の時にリリースされたデビューアルバム「Prelusion」(1974)は、ジャズ・アルバムで、彼女自身が全曲の作曲とアレンジを手がけています。

 ハービー・ハンコックの影響を感じさせる雰囲気があります。

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 彼女がR&B、ヴォーカルものへと明確にシフトしたのは、レーベルをプレステッジからエレクトラに移籍してリリースした4枚目のアルバム「Patrice」(1978)からです。

 この時代には”クロスオーバー”と呼ばれていましたが、ジャズ・ミュージシャンがR&B、ポップ、ロックなどジャンルの壁を超えた音楽を作る潮流がありました。その中でジョージ・ベンソンの「ブリージン」(1976)の大成功がその動きを一気に加速させたという側面もあったと思います。

 彼女もレーベルからの指示ではなく自ら望んで方向転換を行ったようです。

 

 アルバムのオープニング・ナンバー「Music of the Earth」

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 このグルーヴィーなギターはアース、ウィンド&ファイアーのアル・マッケイ。彼はアルバムでは計7曲に参加、パトリースは当時アースにも刺激を受けていたのかもしれません。

 「Patrice」はビルボードのアルバムチャートで、彼女にとって初となるトップ100入り(98位)を果たしています。

 この成功をうけて、同じ路線をつきつめたのが次のアルバム「Pizzazz」(1979)からはシングル・ヒットが生まれます。

 

「Haven't You Heard」(全米42位 R&B7位)

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 そして1980年に「Posh」というアルバムをリリースしたのち、1982年にリリースされたのがこの「フォーゲット・ミー・ノッツ」を収録したアルバム「Straight from the Hear(邦題「ハート泥棒」)」でした。

 

 この曲が出来上がった時に彼女はシングルでいける!と思ったのですが、レコード会社の人間の反応は悪かったそうです。それで彼女は自分の貯金とプロデューサーからの援助を受けて、自前でプロモーション・マンを雇ったそうです。

(この曲が売れ始めたら、レコード会社は彼女が立て替えた費用を清算したようですが)

 

「私たちはヒット曲を狙うわけでもなく、その方程式を考えるわけでもなく、ただ自分たちがやりたい音楽をやっていたの。当時の傾向とはちょっと違っていたわ。当時ラジオで流れていた曲からは少し先を行っていたのよ」

 

「私たちにしたら、それはポジティブなリアクションだった。なぜなら、もし私たちが本当にその曲を信じているならば、私たちはその曲の味方をする意思を示さなければならないから。私たちは人々にそれを好きになってもらうことはできないけど、人々が判断できるように、彼らの前で聴かせる必要があったの。特に当時のブラック・ラジオは、黒人アーティストにとってとりわけ大きな決め手の要因だった。私はいつも、"私の仲間はどう思うか "を考えていたわ。- ラジオに音源を流して、それを聴いた人たちがどう思うかを確かめるのよ」

(mixmag   16 JUNE 2022)

 そしてこの曲は全米チャート最高23位、R&Bチャート4位という彼女にとっては最大のヒットになったわけですが、彼女の果敢な行動(自腹でラジオ・プロモーションをする)がなかったら、この曲は現在まで生き残ってはいなかった。そう言ってもいいでしょう。

 

 その後90年代のクラブシーンでこの曲は再評価されていき、サンプリング・ネタとして大物アーティストが立て続けに使って両方とも大ヒットしました。

 ジョージ・マイケル「Fast Love」(1996年 全米8位 全英1位)とウィル・スミスの映画主題歌「メン・イン・ブラック」(1997年 全英1位 ビルボードHOT100には規定のためエントリーされず)です。

 


George Michael - Fastlove (Official Video)


Will Smith - Men In Black (Video Version)

 

 クインシー・ジョーンズをメンターとしていたこともあって、その後の彼女はアーティストとしてより音楽監督、プロデューサーとして大活躍しているようです。ジャネット・ジャクソンのツアーや、女性として初めてグラミー賞音楽監督(3年連続)をつとめるなど、数多くの大きなテレビ番組や映画、イベントで音楽監督、プロデューサーを任されています。

 考えてみれば、クインシー・ジョーンズは1970年代後半にジャズからR&B、ディスコ・ミュージックに大きく舵を切った、クロスオーヴァー・シーンの中心人物でしたので、同時期の彼女も同様の動きをとった大きなモチベーションにもなっていたのかなと僕は推測したりします。

 

 それにしても「フォーゲット・ミー・ノッツ」の4つ打ちで2拍4拍でハンドクラップ(手拍子)が入るパターンは、国境も世代も超えて誰もが踊りたくなってしまう最強のリズムパターンだと僕は思うのですが、いかがでしょう?(近年ではBTSの「Dynamite」がそうでした)。

 しかも、ある意味ものすごい”ベタ”なリズム・パターンなのに、すごくスマートに聴こえる(彼女の音楽的な洗練が損なわれていない)そのあたりの按配が実に見事だと思います。

 

 ちなみにリズム隊は、この曲の共作者でもあり「Patrice」以降のR&B路線を支えた功労者で名ベーシストのフレディ・ワシントン、そして、LTDやブラッド・ストーンのセッションでも知られるドラマーのメルヴィン・ウェッヴのコンビでした。

 

 最後にこの曲が収録されているアルバム「Straight from the Heart」から、当時はシングルにならなかったのですがのちに人気曲となった「Remind Me」を。

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