おはようございます。今日はデイヴ・メイスンの「ウィ・ジャスト・ディスアグリー(We Just Disagree)」です。
Been away, haven't seen you in a while
How've you been, have you changed your style?
And do you think that we've grown up differently?
Don't seem the same, seems you've lost your feel for me
So let's leave it alone, 'cause we can't see eye to eye
There ain't no good guy, there ain't no bad guy
There's only you and me and we just disagree
Ooh-hoo-hoo, oh-oh-ho
I'm going back to a place that's far away
How bout you, have you got a place to stay?
Why should I care when I'm just trying to get along?
We were friends, but now it's the end of our love song
So let's leave it alone, 'cause we can't see eye to eye
There ain't no good guy, there ain't no bad guy
There's only you and me and we just disagree
Ooh-hoo-hoo, oh-oh-ho
So let's leave it alone, 'cause we can't see eye to eye
There ain't no good guy, there ain't no bad guy
There's only you and me and we just disagree
Ooh-hoo-hoo, oh, oh-oh-ho
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久しぶりだね、しばらく会ってなかったけど
元気にしてた?なんか前と雰囲気違うよね?
君は二人は違う風に大人になったと思う?
前とは違って見える、もう君は僕への気持ちを失くしたみたいだね
だからもうこのままにしておこう
だって僕たちは分かり合えないんだから
誰がいいとか誰が悪いとかはない
ただ君と僕がいて、ただ意見が違う、それだけなんだ
Ooh-hoo-hoo, oh-oh-ho
僕は遠く離れた場所へ戻るよ
君はどうする?泊まる場所はあるの?
うまくやろうとしてるだけなのに、どうして気にしなきゃいけないんだろう?
僕たちは友達だったけど、もう二人のラブソングも終わりさ
だからもうこのままにしておこう
だって僕たちは分かり合えないんだから
どっちがいいとか悪いとかじゃない
ただ君と僕がいて、ただ意見が違う、それだけなんだ
Ooh-hoo-hoo, oh-oh-ho
だからもうこのままにしておこう
だって僕たちは分かり合えないんだから
どっちがいいとか悪いとかじゃない
ただ君と僕がいて、ただ意見が違う、それだけなんだ
Ooh-hoo-hoo, oh, oh-oh-ho (拙訳)
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4月19日にデイヴ・メイソンが亡くなったことをネットのニュース記事で知りました。彼はロック界を代表する名ギタリストであり、ソングライター、ボーカリストとしてもとても魅力的な才能の持ち主でしたが、なかなか波瀾万丈な人生を歩んだ人で、才能に見合っただけの成功をおさめたとは言い切れないような気が僕にはします。
ネットの記事を見ると、彼はほぼイギリスのロック・バンド「トラフィック」の元メンバーとして紹介されていました。
トラフィックはスティーヴ・ウィンウッド(vo.g.b.key)を中心に、ジム・キャパルディ(Dr.Per)、クリス・ウッド(SAX.フルート)、デイヴ・メイソンの四人で1967年に結成されました。
主役がウィンウッド、その片腕がキャパルディって感じでしたが、メイソンの書いたセカンド・シングル「Hole In My Shoe」が全英2位の大ヒットになっています。
しかし、ウィンウッドはこの曲が気に入らなかったようで、ライブでは一度も演奏しなかったそうです。そして、いきなり成功したことによる環境の変化にうんざりしたメイソンはトラフックを脱退し渡米しますが、数ヶ月後セカンドアルバムの録音をしていたメンバーとニューヨークでばったり出会ったそうで、アルバム用の曲が足りなかったこともあって、メンバーは再びメイソンをバンドに呼び寄せ、彼の書いた曲も加えて録音を続けました。
そのうちの1曲がたくさんのアーティストにカバーされたロック・アンセム「Feelin' Alright」でした。
しかし、ウィンウッドとキャパルディはやっぱりメイソンのことが気に入らなかったようで、ある日彼らはメイソンを呼び出すと、『君はバンドにいてほしくない。君の音楽が好きじゃないし、君のやっていることも好きじゃない。だからもう君にはバンドにいてほしくない』と言ったそうなんですね。曲が足りないからって呼び戻しておいてそれはないんじゃないかと思いますけど。メイソンは自分が書いた曲の方が売れてしまったという嫉妬があったんじゃないかと推測していた様ですが、ともかく、彼は再びバンドを脱退します
そして、その後、彼はソロ・アーティストとして活動を始めます。最初のアルバム「Alone Together」(1970)は、当時A&Mレーベルをやめたばかりのトミー・リピューマが始めたレーベル”ブルーサム”から、リピューマとメイソンの共同プロデュースで制作されています。
1970年代はアーティストとして彼が最も充実していた時代で、その中の最大のヒットが「ウィ・ジャスト・ディスアグリー(We Just Disagree)」でした。1977年リリースのアルバム「流れるままに(Let It Flow)」からのセカンド・シングルで全米12位まで上がっています。
この頃の彼は、ドラマーのリック・イェーガー、オルガンのマイク・フィニガン、ベーシストのジェラルド・ジョンソン、シンガー兼ギタリストのジム・クルーガーといったメンバーで、ライブ・バンドとして全米に名を轟かせていて、1976年のライブ・アルバム「ライブ〜情念(Certified Live)」は彼の最高作だと評価するロック・ファンは少なくありません。
そして、「ウィ・ジャスト・ディスアグリー(We Just Disagree)」を作詞作曲したのは、そのメンバーのジム・クルーガーでした。
クルーガーは個性こそ違いますが、メイソンと同様に、ギター、作詞作曲、ボーカル、コーラス、全てに長けていて、メイソンのソロ活動に大きく貢献した人です。
クルーガーが最初にこの曲を聴かせてくれた時、メイソンは”まるで自分が書いた曲みたいだった”と思ったそうです。
そして、この曲をレコーディング前に少なくとも50回はリハを重ねたと言われています。決して派手な曲ではないですが、独特の味わいがあるのは、デイヴの思い入れもあり、じっくり準備して録音されたからなのかもしれません。12弦のギターとコーラスはクルーガーがつとめています。
実は「流れるままに(Let It Flow)」からのファースト・シングル「So High (Rock Me Baby And Roll Me Away)」が商業的に期待外れで終わっていて、アルバムの売り上げも伸び悩んでいましたが、この曲のヒットにより息を吹き返し、最終的には彼にとって最大のヒット・アルバムになっています。
また、メイソンのキャリアで特筆すべきは数々の伝説的な作品のレコーディングに参加していることです。
ジミ・ヘンドリックスの「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー」、ジョージ・ハリスンのアルバム『オール・シング・マスト・パス』、ザ・ローリング・ストーンズ「ストリート・ファイティング・マン」、ポール・マッカートニー&ウイングス「あの娘におせっかい(Listen To What The Man Said)」、フリートウッド・マック「タイム」、エリック・クラプトン「クロスロード」など。まさに彼はロックの生き証人なんですね。
ジム・クルーガーのほうは、1978年に一枚ソロ・アルバムをリリースし「ウィ・ジャスト・ディスアグリー(We Just Disagree)」を、デイヴのヴァージョンにとても近いアレンジでセルフ・カバーしていますが、商業的には成功せず、1993年にアルコール依存症による膵炎の合併症により43歳の若さで亡くなっています。
最後はメイソンのライブの定番曲であるボブ・ディランの「見張塔からずっと(All Along the Watchtower)」を。
1967年のディランのアルバム「ジョン・ウェズリーハーディング」に収められていた曲ですが、ロンドンでこのアルバムが初めて公開されたパーティにメイソンとジミ・ヘンドリックスも居合わせ、ジミを含む全員がこの曲に夢中になったそうです。ジミは翌年にカバーし、彼のヴァージョンはディランのオリジナル以上に有名になりましたが、メイソンはそこでアコースティック・ギターとベースを弾いています。そして、彼自身も1974年にそれに近いアレンジでカバーをしています。
これは1991年の東京メルパルクホールでのライブの模様です。


