まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲を選曲しました(苦笑)。古今東西のポップ・ソングをエピソード、歌詞の和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。みなさんの音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればうれしいです。みなさんからの情報や思い出話などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ふたりのラヴ・ソング(All You Get from Love Is a Love Song)」スティーブ・イートン(1973)

 おはようございます。

 令和元年の初日から毎日アップしてきました「まいにちポップス」、今日で1000日目、取り上げたポップ・ソングが1000曲になりました。

 そして、大変突然なんですが、今日をもちまして、一旦このブログをお休みさせていただきます。

 

 今日がひとまず最終回になりますが、だからといって気張らず、なるべく何気ない曲がいいなと思って選んでみたのが、スティーヴ・イートンの「ふたりのラヴ・ソング」です。

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Like sailing on a sailing ship to nowhere
Love took over my heart like an ocean breeze
As seagulls fly I knew that I was losing
Love was washed away with the drifting tide

 

Oh it's a dirty old shame
When all you get from love is a love song
It's a dirty old shame
When you have to sign your name to a love song
It's a dirty old shame
When you have to take the blame for a love song
Because the best love songs
Are written with a broken heart

 

Now the tears in my eyes are ever blinding
The future that lies before me I cannot see
Although tomorrow I know the sun is rising
Lighting up the world for everyone but not for me

 

Oh it's a dirty old shame
When all you get from love is a love song
It's a dirty old shame
When you have to sign your name to a love song
It's a dirty old shame
When you have to take the blame for a love song
Because the best love songs
Are written with a broken heart

 

Oh it's a dirty old shame
When all you get from love is a love song
It's a dirty old shame
When you have to sign your name to a love song
It's a dirty old shame
When all you get from love is a love song、、、

 

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行き先のない船で航海するみたいに
愛は海風のように僕の心を奪った
カモメが飛んでいくように、僕は道に迷ったことに気づいた
愛は漂う潮に洗い流されてしまったんだ

 

ああ、おなじみのひどい話さ
愛から得られるものがラブソングだけだなんて
いつものひどい話さ
自分の名前でラブソングを書くなんて
なんてひどい話なんだ
ラブソングの責任を取らされるなんて
だって最高のラブソングは
恋に破れたハートで書かれるものだから

 


今、瞳に浮かんだ涙が邪魔をして
目の前にある未来も見えないんだ
たとえ、明日になれば陽が昇るってわかっていても
照らすのは世界中で僕以外のみんなのためなのさ

 


ああ、おなじみのひどい話さ
愛から得られるものがラブソングだけだなんて
いつものひどい話さ
自分の名前でラブソングを書くなんて
なんてひどい話なんだ
ラブソングの責任を取らされるなんて
だって最高のラブソングは
恋に破れたハートで書かれるものだから

 


ああ、おなじみのひどい話さ
愛から得られるものがラブソングだけだなんて
いつものひどい話さ
自分の名前でラブソングを書くなんて
ああ、おなじみのひどい話さ
愛から得られるものがラブソングだけだなんて、、、

            (拙訳)

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 「ふたりのラヴ・ソング」はカーペンターズのシングルとして知られ、1977年にリリースされ全米35位まであがっています。

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 もともとは曲の作者であるスティーヴ・イートンが1973年にデビュー・シングルとしてリリースし、翌1974年発売のデビュー・アルバム「ヘイ・ミスター・ドリーマー」にも収録されていました。

   (アルバムにはリーランド・スクラー(B)、ジム・ゴードン(D)、ディーン・パークス(G)、ラリー・ネクテル(Key)など当時の米西海岸の名プレイヤーたちが参加し、彼のバックを支えていました)

 

 

 カーペンターズのほうは、トム・スコットのサックス・ソロなんかも入って、1977年という時代のせいもあってか、ぐっと都会的に洗練されたアレンジになっています。それから、サビの2行目の歌詞も<It's got you laying up nights Waiting for the music to start>に変更されていますね。

 

 実はこの曲、カーペンターズより前に、とても有名なコンビがカバーしていました。それが、ライチャス・ブラザーズ。1975年のアルバム「The Sons of Mrs. Righteous」に収録されていました。プロデュースはデニス・ランバートとブライアン・ポッター。

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  2行目の歌詞もすでに変わっていますので、カーペンターズはカバーする際にスティーヴのオリジナルじゃなく、ライチャス・ブラザーズのヴァージョンを聴いていた可能性が高いですね。おっと、調べてみたら、この曲のサックス・ソロもトム・スコットですからこれは間違いないでしょう。

 

 さて、この曲を書いたスティーヴ・イートンですがオペラ歌手の両親の元アイダホ州生まれています。AORアーティストとして日本でも人気の高いビル・ラバウンティと”Fat Chance"というグループを組んで1972年にアルバムをリリース、シングルの「Country Morinig」は彼の作品でした。

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 "Fat Chance"は一枚アルバムを残して解散、その後ソロ・アーティストとしてデビューした曲がこの「ふたりのラヴ・ソング」だったわけです。

 

 残念ながらシングルもアルバムもヒットはしませんでしたが、ソングライターとしては評価されたようで、アルバム「ヘイ・ミスター・ドリーマー」からは「悲しきラグ・ドール (Rag Doll)」がアート・ガーファンクルのアルバム「愛への旅立ち(Breakaway)」に収録され、サイモン&ガーファンクルのリユニオンとして話題になったシングル「マイ・リトル・タウン」のカップリングにもなっています。 

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  この曲は1985年にグレン・キャンベルもカバーしています。

 

 1979年にはアルバム「Steve Eaton」を自主制作していますが、これが後に("Light Mellow"で知られる金澤寿和さんがきっかけだったと思いますが)日本のコアなAORファンから注目され、日本でのみCD化されています。

 僕もCD化されて初めてこのアーティストを知って購入しました。特に、当時この曲が好きでよく聴いていました。

「Got Me Moanin'」

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  彼のポップとカントリーの中間くらいの音楽スタイルは、当時はなかなか自分の居場所を見つけられないことにもつながったようです。

「僕がLAに住んでいた頃は、レコード会社お偉いさんたちはみんな、お前はカントリー・シンガーだからナッシュビルに引っ越せと言われたよ。次にナッシュビルに引っ越すと、LAに行ったほうがいいと言われたんだ」

  (IDAHO STATE JOURNAL 

 

 イートンは生まれ故郷のアイダホをベースに現在もミュージシャンとして活動し、昨年、2021年には自主制作で「Lucky Me」というアルバムをリリースしています。

 ブルース色は中心にありながら、さまざまな音楽が融合したような作品になっています。

 

「僕の音楽への愛情は、あらゆる音楽のレッテルを超越しているんだ。一般的には僕は単なるポップスのライターさ。だけど、僕はブルーグラス、ロック、フォーク、ジャズ、カントリー、R&B、ブルースからインスピレーションを受けている。だから、僕の最も近い定義は、今言った全部のハイブリッドさ。一番愛しているのはブルースだ。両親がオペラ歌手だったことを考えると、かなり変な話だけど」

(IDAHO STATE JOURNAL 

 

 考えてみると音楽のジャンルはいろいろありますが、フォークでもブルースでもロックでも、使う楽器やサウンドのイメージはある程度浮かびますが、ポップスってそれとはちょっと違うように思います。

 たとえどんなジャンルの音楽でも、それが、大衆に受け入れられ人々の生活に溶け込むようになると”ポップス”になる、そんな気もします。

 

 最後に、この曲のセルフカバーを。2005年に日本の企画としてリリースされた彼のアルバム「Out of The Blues」から。

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 <御礼>

 このブログを読んでいただき本当にありがとうございました!

 

 ある時期から読んでくださる方の数がどんどん増えたのですが、これは読者のみなさんがご自身のブログやTwitterなどに記事を貼って広めていただいたおかげです。本当に感謝しかありません。

 

 そして、みなさんからコメントや”はてなスター”をいただいけたことも大きなモチーベーションになって、ここまでがんばってきましたが、いよいよ、ガス欠でヘロヘロになってきてしまいました(苦笑。 数日前は書き終えた記事がちゃんと保存できてなくて、ものすごい中途半端なものがアップされ、長い時間そのままになっていました、、💦。

 

 今後は、僕は年齢的にもあまり時間が残されていませんので(笑)、今の音楽の仕事に集中していきます。いろんな曲のことを調べてこのブログに書いて学んだことは必ず何か役に立つのではないかと思っています。

 

 ただ、このブログについては、毎日書いていたので、中身が雑になったものもけっこうありますし、和訳できていない曲もありますので、時々見直して、記事の訂正、追加は随時やっていきます。

 

 そのあたり、何か更新などありましたらお知らせしたいと思い、少し前にTwitterを始めましたので(今さらですが、、)、もしよろしければフォローしていただけるとうれしいです。

 

 このブログが、音楽を聴く楽しみのお供として、またマニアックな”ポップス沼のガイドのひとつ”として、ほんのちょっとでもみなさんのお役に立つことができましたらすごくうれしいのですが、、、。

 

                                         堀 克巳 Twitter   https://twitter.com/horikatsumi

<追記:2022年4月4日>

 このブログを休止して2ヶ月以上たつのですが、今も更新していた時期と変わらないほどたくさんの方から毎日アクセスしていただいています。本当にありがとうございます!

 ご紹介した曲やアーティストについて、皆さんがご存知のネタや情報、個人的な思い出やエピソードなどぜひお聞きしてみたいので、コメント欄にどんどん書いていただけるとうれしいです。今後もよろしくお願いします!

 

            堀 克巳

 

 

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「愛は夢の中に( I Won't Last a Day Without You)」ポール・ウィリアムス(1972)

 おはようございます。

 今日はポール・ウィリアムスの「愛は夢の中に」です。

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Day after day
I must face a world of strangers
Where I don't belong
I'm not that strong
It's nice to know that there's someone I can turn to
Who will always care
You're always there

 

When there's no getting over that rainbow
When my smallest of dreams won't come true
I can take all the madness the world has to give
But I won't last a day without you

 

So many times when the city seems to be
Without a friendly face, a lonely place
It's nice to know that you'll be there if I need you
And you'll always smile, it's all worthwhile

 

When there's no getting over that rainbow
When my smallest of dreams won't come true
I can take all the madness the world has to give
But I won't last a day without you

 

Touch me and I end up singing
Trouble seems to up and disappear
You touch me with the love you're bringing
I can't really lose when you're near
When you're near, my love


If all my friends have forgotten half their promises
They're not unkind, just hard to find
One look at you
And I know that I could learn to live
Without the rest
I've found the best

 

When there's no getting over that rainbow
When my smallest of dreams won't come true
I can take all the madness the world has to give
But I won't last a day without you

 

When there's no getting over that rainbow
When my smallest of dreams won't come true
I can take all the madness the world has to give
But I won't last a day without you

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来る日も来る日も
馴染めないこの世界に立ち向かわなくちゃいけない
居場所もないのに
私はそんなに強くはない
目を向けると誰か気にかけてくれる人がいるって
思えるのは素敵なこと
あなたはいつもそこにいてくれる

 


あの虹の彼方に行けなくても
一番小さな夢さえ叶わなくても
この世界がさしだす狂気は全部受け止めてみせる
だけど、一日も生きられない あなたがいなければ

 


何度も何度も この街が
優しい顔のない、孤独な場所に思えるの
私が必要な時にあなたがいてくれると思えるのは素敵なこと
あなたはいつだって笑顔で、それで十分

 

あの虹の彼方に行けなくても
一番小さな夢さえ叶わなくても
この世界がさしだす狂気は全部受け止めてみせる
だけど、一日も生きられない あなたがいなければ

 


あなたに触れられたら 思わず歌ってしまう
悩みができても消えてしまうみたい
あなたは愛をこめて私に触れる
あなたが近くにいるとき、絶対に失いたくない
あなたがそばにいるとね、愛しい人


もし、友達がみんな約束をあまりおぼえてなくても
薄情なわけじゃない ただ見つけるのが難しいだけ
あなたを見るだけで
他の人がいなくても私は生きていけるとわかる
私は最高の人を見つけたの

 


あの虹の彼方に行けなくても
一番小さな夢さえ叶わなくても
この世界がさしだす狂気は全部受け止めてみせる
だけど、一日も生きられない あなたがいなければ

 

あの虹の彼方に行けなくても
一番小さな夢さえ叶わなくても
この世界さしだす狂気は全部受け止めてみせる
だけど、一日も生きられない あなたがいなければ

      (拙訳)

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   この曲はカーペンターズのヒット曲としてよく知られています。

 僕は年をとるごとにこの曲が好きになってきているのですが、頭の中で聴こえるのがポール・ウィリアムスのヴァージョンなので、今回そちらをチョイスしました。

 

 カーペンターズのほうは1974年に全米11位のヒットになっています。

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  実はレコーディングされたのが1972年、同じ年にリリースされたアルバム「ア・ソング・フォー・ユー」に収録されていて、イギリスやオーストラリア、ニュージーランドでは先にシングル発売されています。1973年にアルバム「ナウ・アンド・ゼン」を出してから1974年にかけて、カーペンターズはツアーで多忙だったため新曲の制作に手が回らない状態だったようで、その結果、この曲をアルバムからの5枚目のシングルとしてミックスし直しリリースすることになったようです。

 

 この曲はもともとヴァース、コーラス(Aメロ、サビ)を繰り返す構成だったそうですが、カーペンターズから変更をリクエストされたのだと作曲家のロジャー・ニコルズは回想しています。

 

 「ところが、このデモ録音をリチャードとカレンに聴かせると、彼らはブリッジと最後のヴァースを欲しがったので、そのように直したんだ。メロディが出来上がると、即座にスタジオに入ってレコーディングが開始された。だけど、そういうわけか、リチャードがもとのブリッジを変えてしまった。あの時の私にはどうしようもなかったんだが、今も後悔しているよ」

(「ロジャー・ニコルス・トレジャリー」ライナーノーツより)

 

 ブリッジというと”Touch me and I end up singing〜”のブロックですが、これはニコルズの書いたメロディをリチャード・カーペンターが勝手に変えたものだったようですね。

 もともとのメロディがどういうものであったかはわかりませんが、この曲、切々としたポール・ウィリアムスのヴァージョンに対して、カーペンターズのほうは軽快だということから、少し推測できるように思います。

 リチャードはこの曲をデモ・ヴァージョンより明るくノリを良くしたかった、その演出にブリッジを使いたかったのでしょう。

 完全に僕の推測ですが、元のニコルズのブリッジはもっとAメロ、サビの流れに沿った情感のあるものだったのを、リチャードがもっと明るい感じのものにしたのではないでしょうか。

 

  さて、ロジャー・ニコルズモンタナ州ミズーラで生まれ、カリフォルニア州サンタモニカで、クラシックピアニストの母と、写真家であり大学のダンスバンドのサックス奏者でもあった父から、音楽と芸術の影響を受けながら育ちました。彼は、曲作りの最初のインスピレーションを「ムーン・リバー」の作詞家であるジョニー・マーサーを敬愛する父親から得たといいます。

 高校を卒業すると彼は”ロジャー・ニコルズ・アンド・ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ"を結成し、ハリウッドの一流レコーディングスタジオで数本のデモテープを録音する機会を得たそうです。

 そのデモを聴いた一人がハーブ・アルパートでした。

「アルパートはニコルズのインストゥルメンタル曲『The Treasure of San Miguel』を聴いて「おお、この曲大好きだよ」と言い、「誰のために書いたんだい?」と訊いてきた。すかさずニコルズは「あなたのためです!」と答えた。この曲はニコルズにとって成功のきっかけとなる作品になり、アルパートは長年にわたって彼の最大のファンで指導者の一人となった」

 (1859 Oregon's Magazine July 30, 2018)

 

 ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラス「Treasure of San Miguel」

このころのアルパートはまさに”飛ぶ鳥を落とす勢い”で、この曲が収録されたアルバム「...SOUNDS LIKE」も全米1位になっています。

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  彼は、アルパートが率いるA&Mレコードから ”ロジャー・ニコルズ・アンド・ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ"としても作品をリリースしましたがヒットせず(日本のポップス・ファンにとってはまさに”伝説の傑作”になっていますが)、A&Mレコードの専属作曲家として歩んでゆくことになります。

 

 そして、A&Mレコードの出版部門のトップ、チャック・ケイが作詞家として彼に引き合わせたのがポール・ウィリアムスで、二人は一緒に曲を書き始めたのです。
 

 

「(ロジャー)ニコルズは僕が気に入るようなメロディーを書くと、僕をオフィスに閉じ込めて、完成するまで出してくれないんだよ。ロジャーは180センチもあるんだけど、僕を閉じ込めてしまうんだ。だから、僕の歌詞はすべて既存のメロディに合わせて書いていたんだ」

  *ポール・ウィリアムスの身長は157cmくらいだと言われています。

「メロディに合わせて歌詞を書くとき、いつも思うのは、言葉はすでに音楽の中にあるということなんだ。音楽は、僕の中のある感情の部屋を開く鍵なんだ。音楽を聴いて、それが僕の中の特定の場所に触れるんだ。それから、その場所について僕がどう感じているのかを言葉にするんだ」

        (American Songwriter)

 

 彼の言葉、すごくわかる気がします。例えば、僕はこの曲のサビの歌詞が、今まで聴いた中でもトップ3に入るくらい本当に好きなんですが、それはメロディの情感と言葉の情感が完全に一体になっている気がするからです。

 言葉をメロディに”押し付ける”のではなく、メロディの中から言葉を”引き出す”、ポップ・ソングの理想の歌詞はいつだってそうであってほしいと思います。

 

 では最後にこの曲のカバーを、宇多田ヒカル椎名林檎の最初の共演がこの曲でした。

 2002年リリースの椎名林檎の「唄い手冥利〜其の壱〜」に収録されていました。

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 そして、再びポール・ウィリアムス。1997年リリースの「バック・トゥ・ラヴ・アゲイン」収録。ヴァレリー・カーターのコーラスが印象的です。

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「虹の彼方に(Over the Rainbow)」ジュディ・ガーランド(1939)

 おはようございます。

 今日はジュディ・ガーランド虹の彼方に(Over the Rainbow)」です。

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Somewhere over the rainbow
Way up high
There's a land that I heard of
Once in a lullaby


Somewhere over the rainbow
Skies are blue
And the dreams that you dare to dream
Really do come true


Someday I'll wish upon a star
And wake up where the clouds are far
Behind me
Where troubles melt like lemon drops
Away above the chimney tops
That's where you'll find me


Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why, then, oh, why can't I?

 

If happy little bluebirds fly
Beyond the rainbow
Why, oh, why can't I?

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どこか、虹の彼方の
とても高く
いつか子守唄で聞いたことのある国がある


どこか、虹の彼方は
空が青くて
あなたがおそれずに見た夢は
かならず、かなう


いつの日か 星に願いをこめて
目が覚めると
雲は私の後ろ はるか遠くに消えて
悩みもレモンドロップのように溶けてゆく
煙突よりずっと高く
そこであなたは私を見つけるでしょう


どこか、虹の彼方では
青い鳥が飛ぶ
鳥は虹のをこえて飛ぶのに
どうして、それなら、私にもできないはずはない

         (拙訳)

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 この曲は 1939年にアメリカのミュージカル映画オズの魔法使い」の主題歌で、2001年には全米レコード協会と国立芸術基金などが主催し投票が行われた「20世紀の名曲」(Songs of the Century)で見事1位に選ばれています(2位は「ホワイト・クリスマス」)。

 

 僕は、「オズの魔法使い」は映画じゃなく。1974年の日本のTVドラマ版(主役のドロシーはシェリー。他に高見ノッポさん常田富士男さんなんかが出ていました)で知りました。

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 このとき僕は小学4年生で、「虹の彼方に」のメロディが刷り込まれて頭にずっとなるようになってしまい、あるときこっそり学校の音楽室に入ってオルガンで「虹の彼方に」のメロディを探したんですよね。それでハ長調だと、ド〜ド、シ、ソ、ラ、シ、ドって、このアタマでいきなり1オクターヴあがるっていうのに感激して、その場で何度も弾いたことをおぼえています(苦笑。

 

 この曲を作曲したのがハロルド・アーレン。

 ニューヨーク州バッファローに生まれ、ユダヤ教会の先唄者を父に持つ彼は、子供の頃からピアノを学び、楽団でシンガー件、ピアニスト、編曲家として活動していました。しかし、その頃から即興で作曲することが大好きだった彼は、その才能を見出され引き合わされた作詞家と作った「Get Happy」がいきなりヒットします。

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 1933年に彼が書いた「ストーミー・ウェザー」がニューヨークのハーレムにある”コットン・クラブ”で初お披露目され大人気になります。

 ハロルド本人が歌っているヴァージョンがあるのでそちらを。

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  同じく1933年には作詞家のエドガー・イップ・ハーバーグ(共作詞でビリー・ローズ)とジャズ・スタンダード「イッツ・オンリー・ペーパー・ムーン」を書いています。

  こちらはエラ・フィッツジェラルドのヴァージョンで。

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  このころのアメリカのポピュラー・ミュージックは、基本的に映画や舞台を楽しむお金のある中流階級向けに中流階級出身の音楽家が作っていたものだったんですね。

 例外的に貧しい育ちだったのが「ホワイト・クリスマス」を書いたアーヴィング・バーリン。それから、この曲を作詞したエドガー・イップ・ハーバーグでした。

 

 彼は1932年に大恐慌をテーマにした曲「Brother, Can You Spare a Dime?」(兄弟、10セント恵んでくれないか)という曲を書いています。

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 ハーバーグ自身も、大学卒業後電器店を開業し自力で豊かな生活を手に入れましたが、1929年の大恐慌で全てをなくし、

「手元に残ったのは鉛筆ぐらいだった」という状況で、大学時代に志した作詞で身を立てる決意をしたそうです。

 

 すでに実績のあったアーレンとハーバーグの元に届いた、ミュージカル映画の仕事がこの「オズの魔法使い」でした。

  この映画のプロデューサー、アーサー・フリードは二人の書いた「in the shade of the new apple tree」とい曲が気に入ったと言われています。

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  この曲のメロディは突然浮かんだそうです

「アーレンは、妻と一緒にグラウマンズ・チャイニーズ・シアターへ行く途中、サンセット大通りのシュワブ薬局の前を通ったとき、車を止めるように妻に頼んだ。そして、いつも持ち歩いていた楽譜用紙に「虹の彼方に」の曲を書き留めたのだ」

 (COLUMBIA NEWS  November 15, 2017)

 

 しかし、曲を聞かされたハーバーグは気に入らなかったようです。理由はテンポが遅すぎたという説や、ピアノのアレンジが派手すぎたと説があります。しかし、彼の友人であった作詞家のアイラ・ガーシュインがこの曲を褒めたことで、彼もやる気になったそうです。

 そして、この曲は映画の始めのほうで使われます。

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 しかし、この曲に立ちはだかった人物がいました。「オズの魔法使い」を制作した映画会社MGMのトップ、ルイス・B・メイヤーです。

 この曲を先行上映する際に、このシーンをカットするよう指示したのです。子供向けの映画なので、このシーンが進行を遅くすると判断したのです。

 そこで、映画のプロデューサーのアーサー・フリードは「曲を残さなければ、僕は辞める」とメイヤーに直談判したそうです。

 すると、メイヤーはこう言ったそうです。

 “Let the boys have the damn song. Put it back in the picture. It can’t hurt.” 

「おまえらに、あのクソ曲を使わせてやるよ。映画に戻せばいい。害はないからな」

 

 この話で思い出すのは、少し前にこのブログで取り上げた「ムーン・リバー」ですね。

 この曲が使われた映画「ティファニーで朝食を」の試写を見た映画の制作トップのマーティ・ラッキンはこう言ったんですよね。

 ”Well, the fucking song has to go”(ええと、あのクソみたいな歌はカットしなくちゃいけない)

 

「虹の彼方に」は"the damn song"、「ムーン・リバー」は"the fucking song"と、映画会社のトップに言われた曲だったんですね。

 それがは、アメリカン・フィルム・インスティチュートが選定したアメリカ映画100年を記念して選んだ映画主題歌ベスト100で、「虹の彼方に」は1位、「ムーン・リバー」は4位になっているんですから。

 

 この曲を歌ったジュディ・ガーランドの晩年については、2019年の映画「ジュディ 虹の彼方に」で描かれていました。

 本名はフランシス・エセル・ガム(Frances Ethel Gumm)。父親がボードビリアン、母親がピアニストの家庭で3人姉妹の末っ子として生まれています。

 彼女は3姉妹で”ガム・シスターズ”としてパフォーマンスを始めますが、途中から名前が良くないとのアドバイスもあり、”ガーランド・シスターズ”に改名します。そして間も無く彼女はファーストネームも彼女が好きだったホーギー・カーマイケルの歌のタイトルからとった「ジュディ」に変更しています。

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 映画会社MGMのオーディションで合格した彼女は、身長が151cmと低く、スターらしい華やかな容姿も持ち合わせていなかったため、隣の女の子(Girl Next Door)的な役回りをあてがえらえていたようです。

 

 そして「オズの魔法使い」の映画化に際しては、その時代の人気子役シャーリー・テンプルが候補になっていたようですが、彼女の歌唱力を高く評価したアーサー・フリードのプッシュで彼女に決まったと言われています(ルイス・B・メイヤーは大反対だったそうですが)。

 ジュディはこのころすでに16歳で(シャーリー・テンプルは11歳)、主役ドロシーを演じるには少し年齢が上でした。

 また映画「ジュディ 虹の彼方に」でも描かれていたようにその年齢の子供には過酷なダイエット(食事制限)も課されていたようです。

 

 しかし苦労の甲斐あって、映画は大ヒットし、「虹の彼方に」は彼女のトレードマークとして生涯歌い続けられました。

 

 彼女はかつてこう語っていたそうです。

「わたしはいつも”オズの魔法使い”をシリアスに受け止めてきたわ。その虹の考えを私は信じているの。そして、私は生涯を通して、それを乗り越えようとしてきたわ」

The New York Times  June 22 2016)

 

   彼女は幼い頃からショー・ビジネスの世界へ後押ししてきた両親の過度な期待や、映画会社からのプレッシャー、容姿に対するコンンプレックスなどさまざまな不安を抱え、そこに、食事制限のストレスも加わり、若い頃から薬物を摂取し、生涯それが断つことができなかったと言われています。

 そして47歳の若さで亡くなってしまいますが、彼女が亡くなるひと月前に、「虹の彼方に」を彼女が歌ったものがありましたので、そちらを最後に。

 

 

 

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 参考文献:「イージー・トゥ・リメンバー アメリカン・ポピュラー・ソングの黄金時代」

popups.hatenablog.com

 

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「浪漫と算盤」椎名林檎と宇多田ヒカル(2019)

 おはようございます。

 今日は椎名林檎宇多田ヒカルの「浪漫と算盤」です。

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 宇多田ヒカル椎名林檎がシーンに現れたときに、これは”21世紀のユーミン中島みゆき”だと、<新しいものを自分に馴染みのある型にあてはめることで理解したつもりになる>というおっさんが一番陥りがちな思考パターンになのに気づきもせず(当時まだ30代だったのですが、)、ちょっと悦に浸りもしていた僕ですが、とんでもない間違いでした、、。

 

 ユーミン中島みゆき松田聖子中森明菜、みたいにイメージだけで宇多田が”陽”で椎名林檎が”陰”と対照させて安直に僕はとらえていたわけですから。

 

 それぞれ独自で繊細な個性があるアーティストを、そんな一概に”陽と陰”に分けること自体が失礼なんですが、仮にその乱暴な区分けをするにしても、僕の考えは間違っていました。

 時代とともに宇多田は孤高のスタンスをとって人の心の悲哀(陰)に正対し表現する方に行きましたし、ビジュアル、コンセプトなどを駆使してトータルで世界観を表現していった椎名林檎の方は、単に”陰”と表現してよいものではなくなっていましたし、ある意味、そういうスタンス、アプローチはユーミンのほうに近いように思えます。

 

 (ユーミンが描き出したのは、キラキラと輝く都会のファンタジーだったのに対して、椎名はダークで病んだリアルと妄想が錯綜する世界で、描く対象としていた世界が真逆なだけで、そのアプローチの仕方は近かったんじゃないかという気がします)

 

 

 と、いうことで、安直な区分けはいけないとさっきから散々言いながら、ユーミン中島みゆきの図式で、今のところ、宇多田=椎名林檎を見た場合、椎名林檎のほうにユーミン中島みゆきの両方の流れが交差していて、宇多田はその流れとはまったく関係がない、というのが今のところの僕の勝手な結論になりました。

 

 さて、決して交わることなく、競争意識を持ちそれがまたモチベーションにもなっていたと言われるユーミン中島みゆきとは違い、宇多田、椎名林檎は仲が良く互いにリスペクトしあっているようで、何度か共演を果たしています。

 

 2016年の「二時間だけのバカンス」。宇多田ヒカルが椎名と歌うことを想定に作詞、作曲したもので、彼女のアルバム「Fantome」からのシングルでした。

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 「浪漫と算盤」は2019年リリースの椎名林檎のベストアルバム「ニュートンの林檎」のオープニングナンバーでした。

 

 彼女はこの曲についてこう語っています。

「新たな作品に着手する際、わたしはいつも、なにかしら初めての試みをするようにしております。今回はとにかく、和声から旋律からなにから、いつもみたく扇情的にせぬよう注意深く編みました。ヒカル氏の声の成分がよく馴染む、酸素や水のような曲にしたくて。いつになくまろやかな響きを、味わっていただけますと幸いです。


 言葉についても、本作では少々挑戦しています。或る日ヒカル氏が「それはゆみちん(椎名のこと)ならうまいこと書きそう」などと共通の知人らと話していたらしいテーマが「ロマンとソロバン」でした。半年ほどまえ小耳に挟んで以来「受けて立とうぞ」と力み続けた結果、仕上がったのがこの作品です。唄うのにやや照れました」

                  (Barks  2019.11.1)

 

 「浪漫と算盤」というタイトルは宇多田が椎名ならいい曲が作れると思って考えたもので、それ椎名が受けてたった、そして、彼女は宇多田が歌うことを前提に、彼女のヴォーカルが映える曲を作ったというわけです。

 

 特にサビの<置きに行こうなんぞ野暮新しい技毎度練り出したいです〜>、あと大サビの<屹度そう浪漫抱えたら算盤弾いて〜>あたりのメロディやコード感は、椎名本人の作品では聴けなかった”甘く切ない”もので、宇多田の声質とよく合っています。

 

 完全に職業作家的なアプローチですね。実際、彼女は他のアーティストにもかなり楽曲提供しています。

 彼女が「歌舞伎町の女王」で出てきた頃に、何かのインタビューで好きなアーティストにカート・コヴァーンやブランキー・ジェット・シティに並んで来生たかお、という名前があってびっくりしたのをおぼえています。ただものじゃない、なと思いました。

 

 調べてみると、彼女が幼い頃にお母さんが料理中に来生をよく聴いていたようで、他にもモータウンや都会的なR&Bといった音楽のインプットもすごくあって、きっと洗練された曲も全然書ける人なのだと思います。

 

 ただ、シンガーとしての自分自身を見た時にそういう曲は合わないと、プロデューサーの視点で自分を見てジャッジしているように思えます。

 

 2007年のインタビューで、音楽家椎名林檎から見たボーカリスト椎名林檎とは?との問いに対して彼女は”ゴーヤ”だと答えています。

 

「できる調理が相当限定される。パクチー的と言うべきかしら。表現力もまだ本当に拙いし、音色から何から、クセが強いって言うか、異常に扱いにくい。だから私が音楽を商売にしていて何が制約かと言えば、自分が歌える曲じゃなきゃいけないというのが一番のそれですから」

(「音楽家のカルテ」)

 同じインタビューで彼女は、人に曲を書くことについて<むしろ本当はそれだけで食べることができたら一番いいなって思いますよ>と言い、自身のことを<歌の超下手なシンガー・ソングライターということだと思います>とまで語っています。

 

 デビューして10年近く経ってすでに実績もありながら、こう冷静に自己評価しているわけです。

 実は引き出しの多いソングライター、椎名林檎と、制約がとても多いシンガー、椎名林檎とのせめぎ合い、試行錯誤の歴史、その葛藤こそが、彼女のキャリアを特別なものにまでしたのかもしれない、と僕には思えます。

 言い換えれば、”制約の多い素材”だったからこそ知恵を総動員して面白いものが作れたのではないかと。”どんな料理にも合う素材”のようなシンガーのほうが、音楽業界に限って言えば埋もれがちになってしまう、ということはあるのかもしれません。

 

 考えてみると、作家としては幅広く書けるのに、シンガーとしては制約が多い、ということではユーミンと共通していますね(すみません、また比較をしてしまいました、、)

 

 それにしても「浪漫と算盤」って見事なタイトルです。

 渋沢栄一の「論語と算盤」からの応用なんでしょうが、今の時代はこっちのほうが核心をついているとすら思えます。

 

 僕は35年くらい音楽業界で仕事をしていますが、この商いはまさに”浪漫と算盤”の終わりなき綱引きのようです。

 もちろん、商売ですから、この曲の歌詞みたいに”ど真ん中”じゃなくて算盤がちょっと強いくらいなら許容できるなと思うのですが、この世界はもうずいぶん長い間、算盤の圧勝で、浪漫はもはや姿さえよく見えないような、、(苦笑)。

 

 その大きな分かれ目は、大手レコード会社が社名を「〜レコード」から「〜エンタテインメント」へと変えた時だったな、とその頃レコード会社にいた僕は実感としてとらえています。

 とは言え、特に、僕がこうやってブログで書いているような、ポップソングに関してはなにより”浪漫”がなくちゃな、と強く思っています。

 

 最後は、彼女のデビューアルバム「無罪モラトリアム」から。「歌舞伎町の女王」で変な先入観を持っていた僕は、彼女がこんなに洗練されたメロディーを書けるんだと当時すごく感嘆しました。『茜さす 帰路照らされど…』。

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「アクロス・ザ・ユニバース」(Across the Universe)」フィオナ・アップル(1998)

 おはようございます。

 今日はフィオナ・アップルの「アクロス・ザ・ユニバース」です。

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Words are flowing out like endless rain into a paper cup
They slither while they pass they slip away across the universe
Pools of sorrow, waves of joy are drifting through my opened mind
Possessing and caressing me
Jai guru de va om


Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world


Images of broken light which dance before me like a million eyes
They call me on and on across the universe
Thoughts meander like a restless wind inside a letter box they
Tumble blindly as they make their way
Across the universe
Jai guru deva om


Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world

 

Sounds of laughter, shades of earth are ringing
Through my open ears inciting and inviting me
Limitless undying love which shines around me like a
Million suns and calls me on and on
Across the universe
Jai guru deva om


Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world


Jai guru deva  Jai guru deva  Jai guru deva  Jai guru deva
Jai guru deva  Jai guru deva  Jai guru deva

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言葉は溢れる 紙コップに注ぐ止まない雨のように
それはずるずる滑りながら通り過ぎ、宇宙の向こうへ消えていく
悲しみのプールと喜びの波は開かれた私の心を漂っている
私を占有し、愛撫しながら

Jai guru de va om

何も私の世界を変えられない 何も私の世界を変えられない

何も私の世界を変えられない 何も私の世界を変えられない

 

思考は迷走する、レターボックスの中で落ち着かない風のように
道を作りながら盲目的に転がってゆく
宇宙の向こうへと

Jai guru deva om

何も私の世界を変えられない 何も私の世界を変えられない

何も私の世界を変えられない 何も私の世界を変えられない

 

笑いの声、大地の影が鳴り響いている
澄ました耳を通って、私を煽り、誘う
限りのない不滅の愛が、私の周りを照らす
100万の太陽が私を何度も呼ぶみたいに
宇宙の向こう側へと

 

Jai guru deva om

何も私の世界を変えられない 何も私の世界を変えられない

何も私の世界を変えられない 何も私の世界を変えられない

 

Jai guru deva  Jai guru deva  Jai guru deva  Jai guru deva

              (拙訳)

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「ぼくはベッドで前の妻の隣に寝ていて、イライラしていた。彼女はどうでもいいことを延々としゃべり続けて、そのうちに眠ってしまった。でもぼくの頭の中ではその言葉がぐるぐる回って、止まることのない水の流れのようにずっと聞こえていた。僕は階下に降りていったするとそれはイライラの歌から、宇宙のような歌に変わったんだ」

(「ジョン・レノンオノ・ヨーコ プレイボーイ・インタヴュー1980完全版」)

 

 この曲の歌詞で”Slither"(ずるずると地を這うようにすべる)なんて単語を使っているのは、歌詞に出てくる”あふれる言葉”は当初は不快な意味のないものだったからなんですね。

 

 さて、この曲は多くの方もご存知の通りビートルズの曲で、ジョン・レノンが一人で書いています。

「純粋インスピレーションから生まれたもので、まさにボン!って感じで思いついた。もともと頭にあったんじゃない」

(「ジョン・レノンオノ・ヨーコ プレイボーイ・インタヴュー1980完全版」) 

 しかし、彼はビートルズはこの曲をレコードとしてうまく仕上げられなかった」と語っています。

 

「ぼくらはいつも、ポールの曲の些細な部分を磨き上げるのに多大な時間を費やしていた。それでぼくの曲になると・・・特に<ストロベリー・フィールズ>や<アクロス・ザ・ユニバース>みたいないい曲のときに、なぜか気持ちが緩んで軽い気分になって、いつの間にか実験が始まってしまうんだ。無意識の妨害工作だと言っていい。もちろん彼’は’否定すると思うけどね。穏やかな顔で妨害工作なんてとんでもないと言うだろう。けれど、実際は今話したとおりなんだ」

(「ジョン・レノンオノ・ヨーコ プレイボーイ・インタヴュー1980完全版」)

 

 僕はずっと、この曲や「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」などビートルズ後期のジョンの曲のアレンジに実験的な要素が多いのは、ジョン本人の好みだと思っていたのですが、どうやらポールが先導していったものだったようですね。

 

 ただし、長編ドキュメンタリー『ザ・ビートルズ:Get Back』 を観た感じでは、ポールだけを悪人にするのはどうか?とも僕は思いました。ポールが巧みに誘導したという感じじゃなく、それぞれのパーソナリティやエゴの微妙な兼ね合いがある中で、ポールが”仕切り役”をやらざるを得なかったという面もかなりあったと感じ取れたからです。

 

 さて、ジョンはこの曲をビートルズのシングルにしたかったようですが、そうはならず、世界自然保護基金のチャリティ・アルバム『ノー・ワンズ・ゴナ・チェンジ・アワ・ワールド』に収録されることになります。

 

 最初に披露されたこの曲には鳥のS.Eが入っていました。

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 そして、アルバム「レット・イット・ビー」のプロデューサーのフィル・スペクターがこの曲を引っ張り出してきてオーバーダビングして収録したのです。その際彼は、テープの回転速度が下げています。世の中によく知られている「レット・イット・ビー」のヴァージョンはキーが半音低いんですね。

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 この曲の出来上がりに不満だった彼は、1975年にデヴィッド・ボウイがアルバム「ヤング・アメリカン」でカバーする際には、ギターとバックコーラスで参加していました。

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 ジョン本人は不満でもビートルズのヴァージョンが定着していたせいでしょうか、このカバーの評判は良くなかったそうです。

 

 そして、ジョンの死後18年経って、この曲の優れたカバーとして認められたのがフィオナ・アップル

 彼女のカバーは映画「カラー・オブ・ハート(Pleasantville)」のために録音されたものでした。

 個人的な感想としては、ビートルズのはちょっと加工しすぎ、ボウイはちょっと生々しすぎ、で彼女のヴァージョンはそのちょうどいいんじゃないかと思います。

 

 フィオナ・アップルはニューヨーク出身のシンガーソングライター。

 1996年のデビュー以来25年で5枚しかアルバムを発表していませんが、全て大ヒットしその内容も高く評価されています。

 

 彼女のデビュー曲「シャドウ・ボクサー」

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 この時彼女はまだ18歳ですから驚くしかありません。

 実は、僕は彼女のデビュー・アルバム「TIDAL」の日本のレコード会社の担当A&Rでした。「シャドウ・ボクサー」のMVを見て、すかさず担当をやりたいと挙手しました。

 アルバムがまた素晴らしく、この良さをなんとか表現したいと、アルバムの帯に

「人生の辛苦を知りつくしたようなジャズ・シンガーのようでもあり、少女のあやうさや残酷さを持った詩人のようでもある。

 フィオナ・アップル

 生涯に一度、出会えるかどうかの衝撃的なアーティストだ」

 なんて文を書きましたが、”本物の才能”に対しては、どんな言葉を繰り出してみてもまさに「アクロス・ザ・ユニバース」のように”上滑りしていくだけ”という、ふがいなさを感じるばかりでした。

   

 それでも当時の僕はこのアルバムに思い入れが強くて、彼女の「Sullen Girl」という曲に、当時僕が好きだったフランスの作家セリーヌの代表作「夜の果てへの旅」からとった、「夜の果ての少女」なんて邦題をつけていました。全体は絶望的なトーンなのに、そこから人間の純粋さがにじんでくるせいで、不思議な救済感を感じる、そんな共通点を感じたのかもしれません。

 

 せっかくなので、「TIDAL」からもう1曲。彼女が15歳の時に書いて、デビューのきっかけになったという「Never Is a Promise」を。ジョニ・ミッチェルの「ブルー」が彼女はきっと好きだったんだろうな、と思います。

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  最後に「アクロス・ザ・ユニバース」のカバーをもう一つ。

 YouTubeを見ると、ビートルズっぽいビーディー・アイのカバーや、ボノやスティーヴィー・ワンダーなどすごい人たちがチャリティのステージで歌っているものなどありましたが、個人的にはこれがよかったです。

 宇多田ヒカルのライヴ。歌詞が素晴らしい曲なので、結局はシンプルがいいのかもしれないですね。

 

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「ハロー・イッツ・ミー(Hello It's Me)」トッド・ラングレン(1973)

 おはようございます。

 今日はトッド・ラングレンの「ハロー・イッツ・ミー」です

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Hello, it's me
I've thought about us for a long, long time
Maybe I think too much, but something's wrong
There's something here that doesn't last too long
Maybe I shouldn't think of you as mine


Seeing you
Or seeing anything as much as I do you
I take for granted that you're always there
I take for granted that you just don't care
Sometimes I can't help seeing all the way through


It's important to me
That you know you are free
'Cause I never want to make you change for me

 

Think of me
You know that I'd be with you if I could
I'll come around to see you once in a while
Or if I ever need a reason to smile
And spend the night if you think I should


It's important to me (me)
That you know you are free
'Cause I never want to make you change for me


Think of me
You, you know that I'd be with you if I could
I'll come around to see you once in a while
Or if I ever need a reason to smile
And spend the night if you think I should


Think of me, think of me, think of me
Think of me, think of me, think of me、、、

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やあ、僕だよ
長い間ずっと、僕たちのことを考えていたんだ
考えすぎかもしれない、だけど何かがおかしいのさ
そんなに長く続かなそうな気がするんだ
たぶん僕は君を自分のものだと思うべきじゃないんだろうね


君を見ても、それと同じくらい他のものを見ても
君がいつもそこにいることが当たり前に思うんだ
君が気にもかけていないことも当たり前に思うんだ
時々、僕は二人の始まりから終わりまで見てしまうんだ


僕にとって重要なのは
君が自分が自由であることを知ることさ
だって、君には僕のために変わってほしくはないから

 

僕のことを思って
できることなら僕は君と一緒にいたいってわかるよね
たまには君に会いに来るよ
もしくは、笑顔になる理由が必要なときは
そして、あなたがそうしたほうがいいと思うなら
一緒に夜を過ごすよ

僕にとって重要なのは
君が自分が自由であることを知ることさ
だって、君には僕のために変わってほしくはないから

 

僕のことを思って
できることなら僕は君と一緒にいたいってわかるよね
たまには君に会いに来るよ
もしくは、笑顔になる理由が必要なときは
そして、あなたがそうしたほうがいいと思うなら
一緒に夜を過ごすよ


僕のことを思って、僕のことを思って、僕のことを思って、、、

           (拙訳)

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”Songfacts"というサイトのインタビューで、

”他のアーティストの曲で最も影響を受けたものは何ですか?”というインタビューに対して、トッド・ラングレンはこう答えています。

 

「一曲?一曲を考えるのは難しいけど、絞り込むことはできるだろう。バート・バカラックがプロデュースして全曲を書いたディオンヌ・ワーウィックのアルバムに収録されている曲かもしれない。「Walk On By」とか、あのアルバムにはいい曲がたくさんあったからね。「Don't Make Me Over」とかね。

 世の中に素晴らしい曲はたくさんあった、だけど、あのレコードを聴いて、それがどう違うのか、自分が夢中になった音楽のクオリティどのように存在するのか、そしてそれはまた一つの歌であるということに気づくまでは、ソングライターの役割についてあまり考えたことがなかったんだ。そのとき初めて、自分の頭の中でソングライターがやっていることを分解し始めたんだ。あの曲は、私が初めて書いた曲である「Hello It's Me」に多くの影響を与え、その変化がその中で展開されたんだ」

 

 また、この頃彼はローラ・ニーロの音楽に出会って衝撃を受けたそうです。

「メジャー・セヴンスのコードとか、オーギュメントやサスペンドのヴァリエーションは全部彼女の影響だよ。とくにピアノで曲を書くときは、四音のコードのほうが、ずっと響きがよく聞こえたんだ。でも曲を書いている途中で『ローラ・ニーロみたいにしたい』なんて考えることはない。あの当時の僕はそれよりも、自分らしいサウンドを懸命に探していた」

 (「トッド・ラングレンのスタジオ黄金狂時代」)

 

   そう言えば、スティーリー・ダンバカラック=ディオンヌとローラ・ニーロが好きで影響を受けたと語っていて、両者には共通点がありそうですね。

 

 

 さて、彼は高校卒業して2年目にNAZZ(ナッズ)というグループを結成します。名前はヤードバーズの「The Nazz Are Blue」という曲から取られたそうです。

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 この「ハロー・イッツ・ミー」は1968年にNazzのデビューシングル「Open My Eyes」のB面としてリリースされましたが、こっちの方が人気になり全米66位まであがっています。

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 このヴァージョンはトッドではなく、バンドのメインヴォーカリストであるロバート”スチューキー”アントニが歌っています。

 

 バンドは1969年に解散すると、70年にトッドはソロ活動をスタートします。

そしてシングル「We Gotta Get You a Woman」がいきなり全米20位のヒットを記録します。

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 そして彼は1972年にリリースされた、彼の代表作と言われている二枚組アルバム『サムシング/エニシング?』で「ハロー・イッツ・ミー」をセルフカバーすることにします。

「『あの曲が、別の形で聞こえてきたんだ』とトッド。『もっとアップテンポで、感触も違っていた。それでこの新しいアレンジでやってみる気になったんだよ。生まれてはじめて書いた曲だったから、別にかまわないだろうと思ってね。そうすればハイスクール時代にぼくをふったあのクソ女のことを、完全に忘れられるんじゃないかという気持ちもあったし」

 (「トッド・ラングレンのスタジオ黄金狂時代」)

 

  キャリアの前半、彼はその曲のスタイルから”男性版キャロル・キング”といった評価をされたようです。それについてこう語っています。

 

「僕はキャロル・キングのファンだった、だけど、いったい誰が常に他の誰かと比較されたいと思うんだ。長期的には、自分が他の人と比較される対象になることを望んでいるはずさ。だから、その方程式(フォーミュラ)を壊そうと決めたんだ。何をするにしても、ある程度まではその方程式を壊してみようと思って、少なくとも、いろんな聞き方をするように自分自身をオープンにしてみようと思ったんだ。そして、自分が受けた影響のうち、ポップスには簡単にフィットしないものをもっと引き出そうと思ったのさ」

 (Redbull music academy)

 

 確かに彼はその後、ポップスの枠に収まらない、実験的な作品に数多くトライしていきましたが、そういう動機があったんですね。

 

 また、2013年に彼はその頃の曲の歌詞についてこのように語っています。

「今の歌詞って、すごく苦悩しているよね。どれもが不安についての歌なんだ。人は本来は惨めなものではないのに、なぜか今の時代は惨めなことを歌にするものが当たり前になっている。まるで、どれだけか悲惨になれるか、(笑)それだけ不幸にトム・ヨークが耐えられるか?みたいにね」

 (Redbull music academy)

 

 この傾向は今はもっとエスカレートしているかもしれないですね。

 

 彼の書くポップソングは暗いものでも、決して不安になったり、惨めな気持ちにはならないですね。

 最後は僕の好きな「Wailing Wall」を。とても暗くて、とても美しい。

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「ガール・イズ・マイン(The Girl Is Mine)」マイケル・ジャクソン&ポール・マッカートニー(1982)

 おはようございます。

 今日はマイケル・ジャクソンポール・マッカートニー「ガール・イズ・マイン(The Girl Is Mine)」です。

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Every night she walks right in my dreams
Since I met her from the start
I'm so proud I am the only one
Who is special in her heart


The girl is mine
The doggone girl is mine, m-m-m
I know she's mine
Because the doggone girl is mine m-m-m


I don't understand the way you think
Saying that she's yours, not mine
Sending roses and your silly dreams
Really just a waste of time


Because she's mine
The doggone girl is mine
Don't waste your time
Because the doggone girl is mine


I love you more than he
(Take you anywhere)
Well I love you endlessly
(Loving we will share)
So come and go with me
To one's town

 

But we both cannot have her
So it's one or the other
And one day you'll discover
That she's my girl forever and ever


Don't build your hopes to be let down
'Cause I really feel it's time
I know she'll tell you I'm the one for her
'Cause she said I blow her mind

[Hook: Michael Jackson]
The girl is mine
The doggone girl is mine
Don't waste your time
Because the doggone girl is mine

[Refrain: Michael + Paul]
She's mine, she's mine
No, no, no, she's mine
The girl is mine, the girl is mine
The girl is mine, the girl is mine
The girl is mine (mine, mine); yep, she's mine (mine, mine)
The girl is mine (mine, mine); yeah, she's mine (mine, mine)

 

Don't waste your time
Because the doggone girl is mine
The girl is mine, the girl is mine


Michael, we're not going to fight about this, okay?
Ha, ha, Paul, I think I told you I'm a lover, not a fighter
Eh, I've heard it all before, Michael
She told me that I'm her forever lover, you know, don't you remember?
Well, after loving me she said she couldn't love another
Is that what she said?
Yeah, she said it; you keep dreaming


(I don't believe it!) (Mine, mine)
(No, no, no) The girl is mine (Mine, mine, mine)
(No, mine) No, mine (Mine, mine)
(She's mine, mine, mine, mine, mine) (Mine, mine, mine)
'Cause the girl is mine
(No, the girl is mine) (Mine, mine)
The girl is mine (Mine, mine, mine)
(No, the girl is mine)
The girl is mine (Mine, mine)
(No, she's mine)

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毎晩、彼女は僕の夢にまっすぐ現れる
最初に出会ったときからさ
すごく誇らしいよ
僕が彼女の心の中で特別な
たった一人の存在だってことに


あの娘は僕のもの
まさにあの娘は僕のものさ
彼女は私のものだ
だって、あの娘は私のものだから 


キミの考え方は理解できないよ
彼女はキミのもので 僕のものじゃないと言う
バラの花とキミのくだらない夢を送るなんて
本当にただ時間の無駄さ


だって、彼女は僕のもの
まさにあの子は僕のもの
時間を無駄にしないで
だって、まさに彼女は僕のもの

 

ヤツよりもキミを愛してるよ
(どこにでも連れてゆく)
終わることいなく愛するよ
(愛を分かち合って)
だから僕と一緒に行こうよ
僕らの街へ

 


だけど、彼女を共有するなんてできない
だから、どちらか一方さ
そしてある日キミは気づくんだ
彼女は永遠に僕のものだってね


がっかりするために期待をふくらませないで
だって、もうはっきりする頃さ
僕が彼女の運命の人だって彼女は言うはずさ
だって、僕に夢中だって言ったんだから


あの娘は僕のもの
あの、娘は僕のものなんだ
時間を無駄にしないで
だって、あの、娘は僕のものさ


彼女は僕のもの、僕のものさ
違う違う、僕のものさ
彼女は僕のもの、僕のものさ
彼女は僕のもの、僕のものさ
彼女は僕のもの、僕のものさ

 

時間を無駄にしないで
だって、あの、娘は僕のものさ
あの娘は僕のもの 僕のものさ


マイケル、このことで、喧嘩しなくてもいい、そうだよね?

ハ、ハ、ポール、僕はキミに僕は恋人で、戦う人じゃないって言ったよ

えー、前にも聞いたことがあるよ、マイケル
彼女は僕が永遠の恋人だと言ったんだ、覚えてないの?

僕を愛した後で、彼女は他の人を愛せないと言ったんだ

彼女がそう言ったのか?

そうさ、彼女は言ったんだ。キミは夢を見続けているのさ


(信じられない!)(僕のもの)
(いやいや) あの娘は僕のものだ(僕のもの)
(いや僕のだ) 違う、僕のだ (僕のもの)
(彼女は僕のもの、僕のもの、、、) 
だって、あの娘は僕のもの
(違うよ、あの娘は僕のものさ)
あの娘は僕のもの (僕のもの、、)
(いや、あの娘は僕のもの)
あの娘は僕のものは (僕のもの、、)
(いや、あの娘は僕のもの)

             (拙訳)

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 ポップ・ミュージック史上最高のソングライターとパフォーマーの夢の共演ですね。

 

 二人の本格的な共演が始まる前に、ある曲のキャッチボールが行われていました。

それが「ガールフレンド」です。アルバム「ロンドン・タウン」(1978)に収録されています。

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 1976年6月、ビバリーヒルズでのパーティーで、ポールとマイケルは2度目の対面を果たします。マイケル・ジャクソンは次のように語っていたそうです。

 

「たくさんの人がいる中で握手をして、『あのね、君のために歌を書いたんだ』と言われたんだ。僕はとても驚いて、彼にお礼を言った。そして、彼はそのパーティーで「ガールフレンド」を僕に歌ってくれたんだ。それで電話番号を交換してすぐに会う約束をしたんだけど、おたがいに違うプロジェクトや生活が邪魔をして、それ以来2、3年話ができなかった。結局、彼はこの曲を自分のアルバム『ロンドン・タウン』に収録することになったんだ」

(the Paul McCartney project)

 

  しかし、その翌年(1979)にマイケルは自身のアルバム「オフ・ザ・ウォール」でこの曲をすかさずカバーしています。

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 そして、二人の共演になるわけですが、マイケルから電話があったようです。

「マイケルから電話があって」とポール。「一緒に仕事をしたいと言われたんだーぼくは「どういう意味だい?」と訊いた。そしたら「ヒットがほしいんだ、わかるだろ?」

と言ってきたんで、ぼくは「悪くないね」と答えた。それで彼が訪ねてきたのさ。

 ロンドンにあるぼくのオフィスの上の階であれこれおしゃべりしてるうちに、ぼくがギターを手に取ってね。<セイ・セイ・セイ>はそこから生まれた」

(「ポール・マッカートニー 告白」)

 

「セイ・セイ・セイ」は「ガール・イズ・マイン」のヒットの翌年、1983年にリリースされていますが、作られたのはこちらが先で録音は1981年の4~5月に行われていました。

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 このときに「The Man」という曲も一緒に作っています。

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 ポールはこう回想しています。

「あの段階でのマイケルはまだ、ソングライターとも言えなかった。それよりはまずボーカリストであり、ダンサーだった」

 (「ポール・マッカートニー 告白」)

 

 この2曲はポールのアルバム用にキープされ、1983年リリースの「パイプス・オブ・ピース」に収録されることになります。

 そしてその2曲が寝かされている間、マイケルは自分のアルバム用にポールをゲストに招きます。

 そして録音されたのがこの「ガール・イズ・マイン」でした。

 世界で一番売れたアルバム「スリラー」からのファースト・シングルで全米2位までいった曲ですが、「今夜はビート・イット」「ビリー・ジーン」「スリラー」といった、”キャラ立ちのすごい”曲の印象が強いせいで、”忘れられがちな曲”でもあります。

 

 プロデューサーのクインシー・ジョーンズは自伝の中でこう言っちゃってます。

「<ガール・イズ・マイン>は前置きのようなものだった」

 

 じゃあ、なぜファーストシングルに選ばれたかといえば、当時のアメリカはR&Bシーンと、ポップ・シーンの間には大きな壁があって、アルバム「オフ・ザ・ウォール」でその壁を超えたばかりの彼には、まずポップ・シーンにアピールする曲を出そうという戦略があったからです。

 

 ちなみに、この曲は”共演”ではあっても、”共作”じゃないんですね。マイケルの単独作なんです。

 

 ポールにソングライターとしてはまだまだ、と言われたマイケルでしたが、果敢にソングライティングに挑戦したんですね。

 

 「オフ・ザ・ウォール」でも「今夜はドント・ストップ」など、ダンス・ナンバーは自分で書いたものはありました。

 

 しかし、ポップ・ソングは初なんですね。

 <”キング・オブ・ポップ”が”ポップス界最高のマエストロ”の手ほどきをうけた後に、単独で書いた初めてのポップ・ソング>

 というのがこの「ガール・イズ・マイン」の存在意義、だと僕は解釈しているんです。

 

   さて、当時のマイケルのような下の世代の大スターの活躍を目にした時に、自分のようなベテランが取るべき態度として、このようなことを語っています。

 

『「ぼくにはムーンウォークはできない。でも歌や演奏ならできるし、彼にはやれないギター・ソロも弾ける」とならなきゃ駄目なんだ。無理やりにでも自分のことを、ビッグなスターたちと同じ次元で見るようにしないと。」』

 (「ポール・マッカートニー 告白」)

 

 あのポップ史上最高の天才が、このようにして自分自身を焚き付けているのか、と思うとちょっとグッときてしまいます。

 そして、彼がいつでも現役でいられる秘訣が少しわかったような気持ちになります。

 

  それから、こういう何気ないポップソングこそアレンジが難しくて、下手をすると味気ないものになりがちなのですが、その辺りはアレンジを担当したデヴィッド・ペイチをはじめとするTOTO一派、シンセを担当していたデヴィッド・フォスターと役者が揃い、スーパースター二人を全面的に前に出しつつ、非常に巧みにバックアップしていたことは特筆すべきだと思います。

 

 

 さて、この曲は2008年にブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムのリミックス・ヴァージョンが作られていますのでそちらを最後にどうぞ。

 

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