まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)(Happy Xmas (War Is Over))」ジョン・レノン(1971)

 おはようございます。

 今日はジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)(Happy Xmas (War Is Over))」です。

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So this is Christmas
And what have you done?
Another year over
And a new one just begun
And so this is Christmas
I hope you had fun
The near and the dear ones
The old and the young


A very Merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear


And so this is Christmas (War is over)
For weak and for strong (If you want it)
For rich and the poor ones (War is over)
The road is so long (Now)
And so happy Christmas (War is over)
For black and for white (If you want it)
For yellow and red ones (War is over)
Let's stop all the fight (Now)


A very Merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear


And so this is Christmas (War is over)
And what have we done? (If you want it)
Another year over (War is over)
And a new one just begun (Now)
And so happy Christmas (War is over)
We hope you had fun (If you want it)
The near and the dear ones (War is over)
The old and the young (Now)

A very Merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear


War is over, if you want it
War is over, now
Happy Christmas
Happy Christmas, Christmas
Happy Christmas, Christmas

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そう、クリスマスなんだ
どんな年だった?
今年も終わって
新しい年が始まる
さあ、クリスマスだ
みんな楽しんでいるといいな
身近な人も 大切な人も
年とった人も 若い人も


とっても楽しいクリスマスを
そして幸せな新年を
何の不安もない
良い年になることを祈ろう


そう、クリスマスなんだ(戦争は終わった)
弱者にも強者にも (みんなが望めば)
金持ちにも貧しい人にも(戦争は終わった)
道はとても長い(今)
そして、ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)
黒人にも白人にも(あなたが望めば)
アジアの人にもヒスパニック系の人にも(戦争は終わった)
すべての争いを終わりにしよう(今)


とっても楽しいクリスマスを
そして幸せな新年を
何の不安もない
良い年になることを祈ろう


そう、クリスマスなんだ(戦争が終わった)
私たちは何をした?(みんなが望めば)
今年が終わって(戦争は終わった)
新しい年が始まる(今)
だから、ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)
楽しんでいるといいな(あなたが望めば)
身近な人も 大切な人も(戦争は終わった)
年とった人も 若い人も (今)


心からメリー・クリスマス
そして、あけましておめでとう
何の不安もない
良い年になることを祈ろう


戦争は終わった、みんながそれを望むなら
戦争は終わった、今
ハッピー・クリスマス
ハッピー・クリスマス、クリスマス
ハッピー・クリスマス、クリスマス

  (拙訳)

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 ジョン・レノンはこの曲についてこう語っています。

「<ハッピー・クリスマス>はヨーコと二人で書いた。「戦争は終わる、あなたがそう望むなら」と歌っている。メッセージは今も変わらない。ミサイルの発射ボタンを押す人間と同じくらい、自分たちにも戦争への責任があるという考えだ。誰かがやってくれるとか、自分にはどうすることもできないとか思っている限りは、いつになっても自分で物事を動かせるようにはならないんだ」

(「ジョン・レノンオノ・ヨーコ プレイボーイ・インタヴュー1980完全版」)

 

  この曲は1971年の12月にリリースされていますが、そのわずか2ヶ月前にこのシングルがリリースされています。

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  世界に平和を訴えかけるアーティストとしてのジョン・レノンを象徴する2曲が、ほぼ同じ時期に作られ発売されていたことになります。

 

 ジョン・レノンをあまりに神格化してしまうことには、僕は少し危惧のようなものを感じてしまうのですが、この2曲を同時期に書いたというのは、まさに”神がかっている”とも思ってしまいます。

 

 しかし、「イマジン」はリアルタイムでも全米3位と大衆に認知されましたが、「ハッピー・クリスマス」のほうは、十分なプロモーションはされず、クリスマス・ソングは対象外とするアメリカのビルボード誌の当時の規則のため、ヒットチャートには入っていません。それに加え、本国のイギリスでは、彼の音楽出版社(ノーザン・ソングス)と権利関係を巡ってモメたため、発売が1年後になってしまったそうです。

 このクリスマス・ソングは、当時は多難なスタートを切っていて、時間をかけてじっくりとスタンダードになっていったわけです。

 

   1971年というと、ベトナム戦争が泥沼化していき、反対する声がどんどん大きくなっていった時期でした。

 ベトナム戦争に反対する象徴的な歌として名高いマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」もシングルがこの年の1月、アルバムが5月にリリースされています。

 

 ジョン・レノンも「イマジン」が発売される7ヶ月前、同じ年の3月にこのシングルをリリースしています。

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 ”権力をすべての人に”と訴えかけるこの曲について彼はこうコメントしています。

「あの曲はタリク・アリとの会話から生まれた。彼はイギリスでは「革命家」として知られる存在で、『レッド・モール』という雑誌を編集していた。そこで僕は、彼の言っていることについて書くべきだと思った・・・だから、この曲はうまくいかなかったんだ。僕は自分の頭でしっかり考えていたわけではなかった。半分眠ったような状態で、タリク・アリとその仲間たちから気に入られたいと思いながら書いたんだ」

(「ジョン・レノンオノ・ヨーコ プレイボーイ・インタヴュー1980完全版」)

 

 タリク・アリとはパキスタン生まれの作家、政治活動家で、1968年にロンドンの米国大使館前で行われた反戦抗議デモにおいて指導的役割を演じた人物です。

 彼が編集していた雑誌『レッド・モール』で、ジョンとタリク、それに政治活動家のロビン・ブラックバーンの3人で対談を行っていて、それは「ジョン・レノン 音楽と思想を語る」という本で読むことができます。

 そのインタビューの翌日にジョンがタリクに電話してきて、彼らの運動のために歌を書いたと言って歌ってくれたのが、この「パワー・トゥ・ザ・ピープル」だったといいます。

 しかし、ジョンがのちに語っていたように、反戦運動に激しく触発されながらも、曲を自分の頭でしっかり考えて作っていなかったという思いがあったなら、何をおいても彼は創作家ですから、やはり自分の頭で自分の言葉で歌を作るという方向にいくはずだと思います。

 そして、それが、結実したのが「イマジン」であり、「イマジン」での達成感から、よりリラックスして生み出すことができたのがこの「ハッピー・クリスマス」だったのではないかと思います。

 

「パワー・トゥ・ザ・ピープル」〜「イマジン」〜「ハッピー・クリスマス」と、クリエイティヴな流れを僕には感じ取れるような気がします。

 

 それから、この曲について情報を付け加えるとすると、この曲のプロデュースをフィル・スペクターがやっているということでしょう。1970年のジョンのシングル「インスタント・カーマ」から彼は加わっていました。

 

 この曲のレコーディングを見学したリチャード・ウィリアムズという音楽ライターはこう書いています。

「スペクターにこのクリスマスの曲を演奏して見せたとき、彼は即座に1961年のパリス・シスターズのヒット曲「忘れたいのに」から取ってきたものだねと言った。この曲はテディ・ベアーズ時代のヒット後、彼の初ビッグ・ヒット曲だったから、彼も知っているはずだ。スペクターに言い当てられて、レノンは自分の新曲がよけい好きになった。」

 (「音の壁の向こう側 フィル・スペクター読本」)

 

 ちなみに、フィル・スペクターがプロデュースしたパリス・シスターズの「忘れたいのに」はこんな曲です。

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 自分の代表曲に似たコードの曲だということに加え、クリスマス・ソングだということでフィル・スペクター本人も気分が高まったことでしょう。彼が自身の最高傑作だと(たぶん)自負しているのはクリスマス・アルバム「クリスマス・ギフト・フォー・ユー」ですから。

 

 音楽的な相性でいえば、ジョンよりジョージ・ハリスンの方がずっとフィル・スペクターに合っていたように思いますが、ジョン&フィルのコンビの最高傑作はこの「ハッピー・クリスマス」だと僕は思います。

 そして、クリスマス・ソングフィル・スペクターサウンドの相性の良さは、この曲によってよりアピールされることになったと思えます。

 

 それでは、最後にこの曲のカバーを。マルーン5のヴァージョンを。

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「レッツ・ゴー・ラウンド・アゲイン (LET'S GO ROUND AGAIN )」アヴェレイジ・ホワイト・バンド(1980)Whatcha Gonna Do For Me

 おはようございます。

 今日はアヴェレイジ・ホワイト・バンドの「レッツ・ゴー・ラウンド・アゲイン (LET'S GO ROUND AGAIN )」です。

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Baby, I'm back
And right away I thought I'd come to you
To see if the love that we knew before
Has passed the test of time

 

Time, that changes almost everything
Can sometimes let us see the better side
If the feelings we once shared

 

Let's go 'round again
Maybe we'll turn back the hands of time
Let's go 'round again
One more time

 

Baby, I know that you think
I will be different now
Inside of me nothing has changed
So, I'm asking you again, please

 

No one else that could have brought me back
And no one that ever could set me free
From the memory I kept within my heart

 

Let's go 'round again
Maybe we'll turn back the hands of time
Let's go 'round again
One more time

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ベイビー、帰って来たよ
そしてすぐに、君のところに行こうと思った
僕たちが知っていたあの愛が
時の試練を乗り越えたのか確かめたくて

 

時は、ほとんどすべてを変えてしまう
時には良い面を見せてくれる
もし、あの頃分かち合えた気持ちが、、

 

もう一度やり直そうよ
時間の針を戻すことができるかもしれない
もう一度やり直そうよ
もう一度

 

ベイビー、君が思っていることはわかる
今は違う自分になれるよ
僕の心の中は何も変わっていない
だから お願いするよ、もう一度、どうか

 

他の誰かじゃ僕を連れ戻すことはできなかった
誰も僕を自由にすることはできなかった
僕の心の中にしまってあった記憶からは

 

もう一度やり直そうよ
時間の針を戻すことができるかもしれない
もう一度やり直そうよ
もう一度

              (拙訳)

 

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 アヴェレイジ・ホワイト・バンドはスコットランド出身で一緒にバンドをやったことがあったメンバーが、ロンドンで再会し、ジャムセッションをやったことから1972年に結成されたと言われています。

 シンガー/ベーシストのアラン・ゴリー、ギタリストのヘイミッシュ・スチュアートとオニー・マッキンタイヤー、テナー・サックスのマルコム・ダンカン、キーボード/サックスのロジャー・ボール、そしてドラマーのロビー・マッキントッシュというのがオリジナルのラインナップでした。

 

 彼らは1973年にエリック・クラプトンのレインボー・シアターでのカムバック・ギグのオープニング・アクトとしてデビューし、すぐにデビューLP「Show Your Hand」をリリースしますが、注目を集めることはできませんでした。

 しかし、クラプトンのツアー・マネージャーだった人物が彼らを気に入りマネージャーになると、アトランティック・レーベルとの契約を成立させ、メンバーはアメリカに渡り、1974年にリリースされたセカンドアルバム「AWB」が全米1位の大ヒットを記録します。

 

 ヒットのきっかけになったのが全米1位になったシングル「Pick Up the Pieces」です。

 Pick Up the Pieces→ バラバラになったかけらを拾う→困難な事態を収拾する、ということで、物事がうまくいっていないときに、自分を奮い立たせる言葉のようです。

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 しかし、大ヒットの余勢をうけて行われたアメリカ・ツアーの後のパーティでドラムのマッキントッシュがコカインの過剰摂取で亡くなってしまいます。アラン・ゴーリーも過剰摂取していたそうですが、その場にいたシェールが、彼を自宅まで連れて帰り、救急隊員が駆けつけるまで昏睡状態に陥らないように歩き回らせていたため一命をとりとめたのだそうです。

 

 マッキントッシュの代わりに加入したのがスティーヴ・フェローンでした(のちに、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのメンバーになった人ですね)。

 彼が加わって制作されたサードアルバム『カット・ザ・ケイク』からはタイトル曲がヒットしました(1975年 全米10位)。

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 そして、彼らがレーベルを移籍してリリースした8枚目のアルバム「Shine」(1980)からのシングルがこの「レッツ・ゴー・ラウンド・アゲイン」でした。

 このアルバムをプロデュースしたのがデヴィッド・フォスター。1978年にシェリル・リンの「ガット・トゥ・ビー・リアル」翌1979年にはE,W&Fの「黙示録」を大ヒットさせて、ダンス・グルーヴものに自信を深めていたころでしょう。

 しかし、メンバーとフォスターの相性は良くなかったようです。フォスターには満足いかない曲がけっこうあったようですし、メンバーは彼に強いられてやった感が強かったようです。フォスターは自分のやり方をかなり押し通すタイプらしく、シカゴも彼のおかげで大ヒットしたものの、彼のことはあまりよく思っていない発言をしていました。

 そんなアルバムの中でも、メンバーが好んでライヴで演奏しているのがこの「レッツ・ゴー・ラウンド・アゲイン」。

 フィラデルフィア・ソウル風のストリングスが心地よいダンス・チューンで、こういう曲は昔からイギリス人が好きなんですよね。いわゆるノーザン・ソウル風。

 アメリカでは最高53位とふるいませんでしたが、イギリスでは12位まであがるヒットになっています。

 

  最後はアルバム「シャイン」に収録されていた、AORの鉄板曲、ヘイミッシュ・スチュワートとネッド・ドヒニーが共作した「Whatcha Gonna Do For Me」を。

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「ブレイクアウェイ(Breakaway)」ギャラガー&ライル(1976)

 おはようございます。

 今日はギャラガー&ライルの「ブレイクアウェイ」です。

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I watch the distant lights along the runway
Disappear into the evening sky
You know I'm with you on your journey
Never could say goodbye

It's not the sun you're trying to find
Something else is on your mind
You need a little space and time to break away
It's not the place you're going to
It's just a phase you're going through
Though I won't stop you, I don't want you to

Break away, fly across your ocean
Break away, time has come for you
Break away, fly across your ocean
Break away, time has come...

For you to awaken in another country
Greet the morning under foreign skies
Leaving me to face another Monday
It's not easy to get by...

It's not the sun you're trying find
Something else is on your mind
You need a little space and time to break away
It's not the place you're going to
It's just a phase you're going through
Though I won't stop you, I don't want you to

Break away, fly across your ocean
Break away, time has come for you
Break away, fly across your ocean
Break away, time has come for you
Break away, fly across your ocean
Break away...

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滑走路に沿った光が遠く
夕空に消えていくのを見つめている
君の旅に僕も一緒についてゆく
サヨナラなんて決して言えない

君が見つけようとしているのは太陽じゃなく
君の心にある何か別なもの
君が旅立つためには少しの場所と時間が必要さ、
それは君が向かっている場所のことじゃない
それは君が経験しているただの段階にすぎないんだ
僕が君を止めないとしても、そうしてほしくない、、

 

旅立つんだ、君の海原を超えて
旅立つんだ、その時が来たんだ
旅立つんだ、君の海原を超えて
旅立つんだ、時は来た、、

 

他の国で目覚める君のために
異国の空の下で朝に挨拶を
また次の月曜を迎えるために僕から去ってゆく
それは簡単なことじゃない

 

君が見つけようとしているのは太陽じゃなく
君の心にある何か別なもの
君が旅立つためには少しの場所と時間が必要さ、
それは君が向かっている場所のことじゃない
それは君が経験しているただの段階にすぎないんだ
僕が君を止めないとしても、そうしてほしくない、、

 

旅立つんだ、君の海原を超えて
旅立つんだ、その時が来たんだ
旅立つんだ、君の海原を超えて
旅立つんだ、その時が来たんだ
旅立つんだ、君の海原を超えて
旅立つんだ

                   (拙訳)

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  ”breakaway”には<〔決まり切った日常生活などから〕離れた>という意味があるんですね。この曲を最初に歌ったアート・ガーファンクルのヴァージョンには「愛への旅立ち」という邦題がつけられた理由も納得できました。

 

 さて、この曲を作り自ら歌っているギャラガー&ライルは、ベニー・ギャラガーとグレアム・ライルからなるスコットランド出身のデュオ、ソングライター・チームです。

 

 スコットランドで一緒にバンドをやり、曲を書いていた二人は1967年にロンドンに向かい、作家として契約してくれる会社を探し、ビートルズの作ったアップル・レコードの専属ライターになることができました。

 

 アップルと契約する以前に彼らが、地元の仲間でもあるJames Galtというシンガーに曲を書いていて、2枚シングルがパイレコードから出ています。かなりレアなもののようですがアップされていましたのでそのうち1曲をご紹介します。

 「With My Baby」James Galt(1966)

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 1967年には彼ら自身がシングルをリリースしています。ソフト・ロック調ですね。

 

 TREES (1967)

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  また、彼らはアップルではメリー・ホプキンに5曲ほど書いています。その中から、ポール・マッカートニー作のシングル「グッドバイ」のB面に入っていた「スパロー」を。

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 1970年には、マンフレッド・マンのギタリストだったトム・マッギネスを中心としたグループ<マッギネス・フリント(McGuinness Flint)>のメンバーとなり、彼らがメインのソングライターでした。

 

 彼らが書いて、1970年に全英2位の大ヒットになったマッギネス・フリントの「When I'm Dead and Gone」

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 1972年にバンドを脱退した彼らは、ギャラガー&ライルというデュオを結成します。この当時はシールズ&クロフツなど「〜&〜」という名義の男性デュオがどんどん出て来た時代ですね(ホール&オーツもこの年のデビューです)。

 しかし1972年から1974年まで彼らは4枚のアルバムをリリースしましたが、チャートインすらできませんでした。

 

 出口の見出せない彼らに吉報が届きます。

 アート・ガーファンクルのプロデュースをやることになったリチャード・ペリーがイギリスを訪れた時に、彼らが書いた「Breakaway」を偶然知ってアートに勧めた結果、アルバムの表題曲となりシングルとしても全米39位、アダルト・コンテンポラリー・チャート1位のスマッシュ・ヒットになったのです。

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 この成功を受け、彼らは5枚目のアルバムをリリースし全英6位、「Breakaway」のセルフカバーも全英35位まで上がるヒットになりました。

 

 しかし、このアルバムからはもっとヒットした曲が生まれました。

「Heart On My Sleeve」と「I Wanna Stay With You」の2曲で両方とも全英6位まであがっています。

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 二人は1979年まで一緒にアルバムを作りますが、その後それぞれが別の道を歩んでいきました。

 特にグレアム・ライルのほうは作家としてアメリカで大成功を収めます。

 代表曲はなんといっても、1984年の全米1位、グラミー賞のソング・オブ・ザ・イヤー、レコード・オブ・ザ・イヤーも獲得したティナ・ターナーの「愛の魔力(What's Love Got to Do with It)」でしょう。

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 マイケル・ジャクソンにも曲を書いています。スティーヴィー・ワンダーと共演した

「Just Good Friends」

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 長いブランクの後、2007年頃に彼らはリユニオンし、たびたび演奏しているようです。

 マッギネス・フリントの「When I'm Dead and Gone」をやっている動画がありましたので、最後にそれをどうぞ。

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「サイモン・スミスと踊る熊(Simon Smith and the Amazing Dancing Bear)」ニルソン(1969)

 おはようございます。

 今日はニルソンの「サイモン・スミスと踊る熊」です。

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I may go out tomorrow if I can borrow a coat to wear
Oh I'd step out in style with my sincere smile and my dancing bear
Outrageous alarming courageous charming
Oh who would think a boy and bear
Could be well accepted everywhere
It's just amazing how fair people can be

 

Seen at the nicest places where well fed faces all stop to stare
Making the grandest entrance is Simon Smith and his dancing bear
They'll love us, won't they?
They feed us, don't they?
Oh, who would think a boy and bear
Could be well accepted everywhere
It's just amazing how fair people can be

 

Who needs money when you're funny?
The big attraction everywhere
Will be Simon Smith and his dancing bear
It's Simon Smith and the amazing dancing bear

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明日は出かけようかな コートを借りれたらね
そしたら、心からの笑顔と僕の踊る熊と一緒に
バッチリ決めて外に飛び出すよ
とんでもなく、ただごとじゃない、勇気があって、チャーミング
ああ、まさか、男の子と熊の組み合わせが
どこに行っても受け入れられるとは
驚いちゃうよ 人がこんなに公平になれるなんて

 

素敵なお店で、裕福な人たちがみんな釘付けになるのは
堂々と登場するサイモン・スミスと踊る熊
僕らを気に入ってくれるよね?
ご馳走してくれるよね?
ああ、まさか男の子と熊の組み合わせが
どこに行っても受け入れられるとは
驚いちゃうよ 人がこんなに公平なれるなんて

 

君が楽しかったら、お金なんて必要?
どこに行っても大人気なのは
サイモン・スミスと 踊る熊
そう、サイモン・スミスと素晴らしいダンスをするクマさ

              (拙訳)    

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この曲を書いたのはランディ・ニューマン。この曲についてこんな風に語っています。

 

「”サイモン・スミスと踊る熊”を思いついたとき、僕はフランク・シナトラ・ジュニアのために曲を書こうとしていたんだけど、それが僕の曲作りに変化をもたらしたんだ。1964年にこの曲を書いたんだけど、”Suzie”の韻を踏もうとしていて、”Suzie, doozy”みたいな感じで、タイトルに女の子の名前が入った歌詞だったんだ。僕にはそれが我慢できなかった。そういていると、"coat to wear "を思いついて、それから"bear "が頭に浮かんで、それが今も書いているようなスタイルになったんだ。それが1965年でも2015年でも僕に書けるような曲がある。僕は変わってないんだ、はっきり言って、昔からずっとね」

 (THE BIG ISSUE  10 Aug 2017)

 

「この曲以降、僕は前とは全く変わってしまった。その後はとりわけ型にはまった曲を書くことは決してなかったんだ」

(Performing Songwriter  November 28, 2016)

 

「僕が最初に書いていた曲はひどいロックンロールだったよ、典型的なシュレルズみたいな。あの頃はキャロル・キングとバリー・マンが好きだった。歌詞よりもメロディが好きだった。僕が音楽出版社で曲を書き始めた頃、ただ一つ気にかけていたことは、歌詞がコマーシャルであるべき、ということだった」

 (Songfacts Interview)

 

 彼のキャリアはまず音楽出版社の契約作家としてヒットしそうなものをせっせと書くことから始まりました。

 そして、この「サイモン・スミスと踊る熊」に関して彼は"自分がキャロル・キングになろうとしなかった初めての曲 "だったと言っています。

 ランディ・ニューマンのよく知られている曲のスタイルはこの「サイモンスミスと踊る熊」を作ることでできあがったんですね。

 

 

 それにしても、最初からは熊(Bear)の歌にしようと考えたわけじゃなく、ただ”Coat To Wear”という歌詞の韻を踏むために思いついただけだったとは、、、。

 

 

 この曲は彼の古くからの友人レニー・ワロンカーがプロデュースしたハーパーズ・ビザールがとりあげてアメリカで有名になりますが、一番最初にレコーディングしたのは、トミー・ボイス。

 モンキーズの「恋の終列車」や「モンキーズのテーマ」などで知られる作家チーム、ボイス&ハートの一人です。

 レオン・ラッセルのアレンジ、プロデュースでA&Mからシングル・リリースされています。僕はその音源は聴いたことがないのですが。

 

 そして、その次がアニマルズのキーボーディストだったアラン・プライスが結成した

”アラン・プライス・セット”がカバーして1967年に全英4位の大ヒットになっています。

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  このヴァージョンをアレンジしたのは、このブログで僕が”激推し”しているアレンジャー、ウォーカー・ブラザーズ「太陽はもう輝かない」などで、素晴らしいフィル・スペクターサウンドを作り上げたアイヴァー・レイモンドだということも付け加えておきます。

 二ルソンの曲を気に入ったプライスは、その次のアルバム「A Price On His Head」で

彼の曲を6曲も取り上げています。

 

 そして、ハーパーズ・ビザールの登場。サイモン&ガーファンクルの曲「Feelin’ Groovy」がタイトルになったこのデビュー・アルバムにはもう2曲ニューマンの曲が入っていました。まさにGroovyな気持ちになれる作品です。

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 そして、1969年にこの曲をカバーしたのが二ルソンでした。二ルソンはニューマンが1968年にリリースしたデビューアルバムに感銘を受け、彼がほかのアーティストに提供した曲も聞き込んでいき、どんどん彼の音楽にはまっていきました。

 

ランディ・ニューマンは特別だ、彼はすばらしい。ビートルズのメンバーにも匹敵する才能だろう。世に知られた存在になるのは間違いない」

    (「ハリー・二ルソンの肖像」)

 ニューマンの曲はハマると中毒性があるんでしょうね。二ルソンはこの翌年にはアラン・プライスの「A Price On His Head」の6曲を超える、全曲ニューマンのカバーで作られた「Nilsson Sings Newman (ランディ・ニューマンを歌う)」というアルバムをリリースしています。

 

 日本でも2002年にキリンジがこの曲をカバーしていますが、最初にカバーした日本人は矢野顕子でした。

 1984年のアルバム『オーエス オーエス』に収録されていました。

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 最後はランディ・ニューマンご本人のセルフ・カバーを。

1972年のアルバム「セイル・アウェイ」以降、ライヴ音源などもありますが、今日は

2016年リリースの「The Randy Newman Songbook Vol. 3」に収録されていたヴァージョンを。

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ランディ・ニューマン、冬の名曲。

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 ランディ・ニューマンの代表曲。

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「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム( A House is Not a Home)」ルーサー・ヴァンドロス(1981)

 おはようございます。

 今日はルーサー・ヴァンドロスの「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム( A House is Not a Home)」です。

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A chair is still a chair
Even when there's no one sittin' there
But a chair is not a house
And a house is not a home
When there's no one there to hold you tight
And no one there you can kiss goodnight

 

A room is a still a room
Even when there's nothin' there but gloom
But a room is not a house
And a house is not a home
When the two of us are far apart
And one of us has a broken heart


Now and then I call your name
And suddenly your face appears
But it's just a crazy game
When it ends, it ends in tears


Pretty little darling, have a heart
Don't let one mistake keep us apart
I'm not meant to live alone
Turn this house into a home
When I climb the stairs and turn the key
Oh, please be there
Sayin' that you're still in love with me


I'm not meant to live alone
Turn this house into a home
When I climb the stairs and turn the key
Oh, please be there, still in love
I said, still in love
Still in love with me

Are you gonna be in love with me?
I want you and need you to be
Still in love with me
Say you're gonna be in love with me
It's drivin' me crazy to think
That my baby couldn't be still in love with me

 

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椅子は変わらず椅子のまま
たとえ誰も座る人がいなくても
だけど、椅子は家じゃない
そして、家は家庭じゃないんだ
強く抱きしめてくれる人がそこにいなければ
おやすみのキスをする相手がそこにいなければ

 

部屋は相変わらず部屋のままさ
たとえ、ただ薄暗いだけだったとしても
だけど、部屋は家じゃない
そして家は家庭じゃないんだ
二人の距離が遠く離れてしまったら
どちらかが傷ついてしまったなら


ときどき、僕が君の名前を呼ぶと
突然君の顔が現れるんだ
だけど、それはただの馬鹿げたゲーム
それが終わる時、涙で終わる


かわいいダーリン、
たった一度のミスで二人を引き離さないで
ひとりじゃ生きていけないんだ
この家を家庭にしよう
階段を登って鍵を回すと
ああ、どうかそこにいてほしい
まだ僕を愛していると言ってほしい


ひとりじゃ生きていけないんだ
この家を家庭にしよう
階段を上がって鍵を回すと
お願いだからそこにいて まだ愛してるって
僕は、まだ愛しているんだ
まだ僕を愛していると言って


君は僕を愛してくれるかい?
僕には君が必要なんだ
まだ僕を愛してほしいんだ
僕を愛していると言ってほしい
君がもう僕を愛していないと思うと気が狂いそうなんだ

                (拙訳)

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”ハウス”は”ホーム”じゃない。モノや器だけがあっても、そこに人や心がなければ意味がない、これはまさに至言だな、などと昔からふむふむ、と勝手にわかったような顔して愛聴してきた歌なんですが、調べてみると、もともとは売春宿を舞台にした映画の主題歌だったんですね。

 

「ハルとわたしが<ウォーク・オン・バイ>を書いた2、3ヶ月後、フェイマス・ミュージックからシェリー・ウィンターズの主演映画「禁じられた家<A House Is Not A Home>」の主題歌を5000ドルで書いてほしいという申し出があった。1920年代のニューヨークで名を馳せたマダム、ポーリー・アドラーの生涯を描いた映画である。ハルは、それが売春宿を描いたものだとは一瞬たりとも気づかせない、すばらしい歌詞を書き上げた」

 (「バート・バカラック自伝 ザ・ルック・オブ・ラヴ」)

 実在した売春宿のマダム、ポーリー・アドラーが引退後に書いた自叙伝のタイトルが「A House Is Not a Home」(1953年)で当時200万部を超えるベストセラーとなるほど有名だったため、映画化(1964年)もされた、ということだったようです。

 

 本は読んだことはありませんが、売春宿が舞台で、有名なマフィアとも交流があった人らしいので、この歌のようなロマンチックなものではないことは十分推測できます。

 

 ちなみに映画はYouTubeにアップされていて、オープニングでこの曲が使われていました。

 歌っていたのはブルック・ベントン。日本では1970年の「レイニー・ナイト・イン・ジョージア」で知られていますが、1960年代初め頃にもたくさんのヒット曲を出している人気シンガーでした。

 

 こちらがブルック・ベントンが歌う「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」(1964)

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 バカラックの自伝によると、ベントンは譜面どおりの音程で歌えないため、バカラックともめたあげくバカラックはスタジオから締め出され、音程が外れたまま完成してしまったようです。

 

 バカラックはその悔しさから、正しいメロディーのものを世に出そうとして、ディオンヌ・ワーウィックに歌わせ、ベントンと同じ月にリリースします。

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 結局、2つのヴァージョンが牽制しあって、ラジオのオンエアが分かれてしまったため、どちらもヒットせずに終わることになりました。

 

 しかし、曲のすばらしさはすぐに知れ渡っていったのでしょう、たくさんのアーティストがカバーしていきました。

 

 バカラック本人が気に入っているものの中には、彼のTVショーでダスティ・スプリングフィールドと歌ったものがあります。

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  1960年代、バカラックの楽曲はアメリカではディオンヌ・ワーウィックが、イギリスではダスティ・スプリングフィールドがメインになって世に広めていったわけですが、ダスティの歌うバカラックもやっぱりいいですよね。

 

 そして、バカラック本人が

「この曲を真の意味でのスタンダードにしてくれたのはルーサー・ヴァンドロスだ。わたしは彼のやったヴァージョンがベストだと思う」(「バート・バカラック自伝 ザ・ルック・オブ・ラヴ」)

 とまで語っていることもあって、今回はルーサーのヴァージョンを選ばせてもらいました。

 

 1981年リリースの彼のデビューアルバム「ネヴァー・トゥー・マッチ」の最後に収められています。1980年代R&Bの金字塔であるこのアルバムは、当時のニューヨークの最高のサウンドが聴ける作品でもありますが、この彼の圧倒的な名唱で終わることによって、名盤の風格をまとうことができているように思えます。

 もともと、彼に影響を与えたのは男性歌手ではなく、ディオンヌ・ワーウィックアレサ・フランクリンダイアナ・ロスといったシンガーなので、この曲の彼のヴァージョンも、アレサやメイヴィス・ステイプルズといった女性シンガーが歌ったものを参考にしたようにも思えます。

 ブルック・ベントンのヴァージョンのトラウマも、きっとルーサーの歌によって霧散したことでしょう。

 

 ハル・デヴィッドが書いた素晴らしい歌詞に触発されメロディをつけたバカラック本人が出来上がりに興奮したと語るほどの名曲が、十数年後にその曲に最もふさわしい歌い方に出会った、そう言えるのかもしれません。

 

 最後は、アリシア・キーズのカヴァーを。こちらはルーサーのヴァージョンの影響が大きく感じられます。そうやって歌は伝承されていくんですね、きっと。

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「マイケルへのメッセージ(Message to Michael)」ディオンヌ・ワーウィック(1966)

 おはようございます。

 今日はディオンヌ・ワーウィックの「マイケルへのメッセージ」です。

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Spread your wings for New Orleans
Kentucky bluebird, fly away
And take a message to Michael
Message to Michael
He sings each night in some cafe
In his search to find wealth and fame
I hear Michael has gone and changed his name

It's a year since he wasn't here
Kentucky blue bird, fly away
And take a message to Michael
Message to Michael
Tell him I miss him more each day
As his train pulled out down the track
Michael promised he'd soon be coming back

Oh tell him how my heart just breaks in two
Since he journeyed far
And even though his dream of fame
Fell through
To me he will always be a star

Spread your wings for New Orleans
Kentucky bluebird, fly away
And take a message to Michael
Message to Michael
Ask him to start for home today
When you find him please let him know
Rich or poor
I will always love him so

Fly away, Kentucky bluebird
Fly away, Kentucky bluebird
Fly away
Fly away ...

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ニューオリンズに向かって翼を広げて
ケンタッキーの青い鳥よ、飛んでいって
そしてマイケルにメッセージを伝えて
マイケルにメッセージを
彼は毎晩どこかのカフェで歌っているわ
富と名声を求めて
マイケルは行ってしまって名前も変えてらしい

彼がいなくなって1年が経った
ケンタッキーの青い鳥よ、飛んでいって
そしてマイケルにメッセージを伝えて
マイケルにメッセージを
日に日にあなたが恋しくなると伝えて
彼を乗せた列車が動き出したときに
マイケルはすぐに戻ってくると約束したわ

私の心は2つに割れていると伝えて
彼が遠くに旅立ってから
たとえ 彼の名声を求める夢が
破れたとしても
私にとっては、彼はずっとスターなの

ニューオリンズに向かって翼を広げて
ケンタッキーの青い鳥よ、飛んでいって
そしてマイケルにメッセージを伝えて
マイケルにメッセージを
今日は家に帰るようにお願いして
彼を見つけたら教伝えて
お金持ちになっても、貧乏でも
私はいつも愛していると

飛んでいけ ケンタッキーの青い鳥
飛んでいけ ケンタッキーの青い鳥
飛んでいけ、、、

 (拙訳)

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 バカラックの「マイケルへのメッセージ」って、どんなメッセージなんだっけ?とふいに気になって調べてみました。

 歌手を目指して故郷を出た恋人に、今も愛する気持ちを”青い鳥”に託して伝えてほしいという歌だったんですね。

 

 しかも、元々は「マーサへのメッセージ(Message to Martha)」という、男性が女性に向けて歌ったものだったようです。

 最初に歌ったのはウィキペディアによるとR&Bシンガーの、ジェリー・バトラーで、同じオケを使って、大女優マレーネ・デートリッヒがドイツ語版を歌ったとありますが、バカラックの自伝で本人はデートリッヒが最初だと語っています。

 

 僕が曲のオリジナルを調べるときに使う「Second Hand Songs」というサイトを見ると、バトラーとデートリッヒの両方に”First Release"とクレジットしてありました。

 

 オケを聴き比べると、全く同じではありませんでしたが、基本的な構成はかなり一緒なので、どちらもバカラック本人がアレンジを指揮したものだと思われます。

 ということで、両方聴いてみましょう。

 Jerry Butler 「Message To Martha」

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マレーネ・デートリッヒの「Kleine treue nachtigall」。英語で”Small True Nightingale”、小さく忠実なナイチンゲール、という意味のようです。小鳥に愛のメッセージを託すシチュエーションは一緒ですが、相手が歌手という設定はなく、相手の名前も出てきません。ちなみに、バカラックは、駆け出しの頃デートリッヒのバックでピアノ、指揮、アレンジをやることで、腕を磨いていったという経歴があります。

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 その後、1964年にルー・ジョンソンというシンガーが「Kentucky Bluebird」というタイトルでシングル・リリースした他、イギリスのアダム・フェイスが「Message to Martha(Kentucky Bluebird)」というタイトルでリリースし、1965年に全英12位まで上がるヒットになっています。

 

 そして、最初のレコーディングから4年後にリリースされたのが、このディオンヌ・ワーウィックのヴァージョンでした。

 

 「4年後、ディオンヌが<マーサへのメッセージ>をうたいたいと言いだし、けれどももっぱら男向けの曲だと思っていたハル(筆者註:作詞家のハル・デヴィッド)と私は、なんとか思い止まらせようとした。その途中でハルは、彼女に、「マーサ」の代わりになる男性名は「マイケル」ぐらいしかないと告げた。だが春はその名前はあまり気に入っていないと言い添えていたにも関わらず、彼女はこの曲を、<マイケルへのメッセージ(Message to Michael)>としてレコーディングしてしまう。彼女のヴァージョンはポップとR&Bの両チャートで、トップ10ヒットとなった」

 (「バート・バカラック自伝 ザ・ルック・オブ・ラヴ」)

 

 ディオンヌが強行突破した曲だったんですね。バカラックもデイヴィッドも女性が歌うことには反対で、デイヴィッドは”マイケル”という名前も気に入ってなかった、というのは驚きです。しかし、大ヒット(全米8位、R&B5位)したことで”結果オーライ”になったのでしょうね。

 

 最後はこの曲のカバーを。男女どちらが歌うとか関係のない、インスト・ヴァージョンで(笑。アール・クルー、1980年のアルバム「Dream Come True」から。

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「アイ・ガッタ・フィーリング(I Gotta Feeling)」ブラック・アイド・ピーズ(2009)

 おはようございます。

 今日はブラック・アイド・ピーズの「アイ・ガッタ・フィーリング」です。

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I got a feeling
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good, good night
A feeling
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good, good night


A feeling 
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good, good night
A feeling 
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good, good night 


Tonight's the night, let's live it up
I got my money, let's spend it up 
Go out and smash it like oh my God
Jump off that sofa, let's kick it off
I know that we'll have a ball
If we get down and go out and just lose it all
I feel stressed out, I wanna let it go
Let's go way out, spaced out, and losin' all control


Fill up my cup, mazel tov
Look at her dancin', just take it off
Let's paint the town, we'll shut it down
Let's burn the roof
And then we'll do it again
Let's do it, let's do it, let's do it, let's do it
And do it, and do it, let's live it up
And do it, and do it, and do it, do it, do it
Let's do it, let's do it, let's do it


'Cause I got a feeling 
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good, good night
A feeling
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good, good night 


Tonight's the night
Let's live it up (Let's live it up)
I got my money (I'm paying)
Let's spend it up (Let's spend it up)
Go out and smash it (Smash it)
Like oh my God (Like oh my God)
Jump off that sofa (Come on), let's kick it off


Fill up my cup (Drank)
Mazel tov (L'chaim)
Look at her dancin' (Move it, move it), just take it off
Let's paint the town (Paint the town)
We'll shut it down (Shut it down)
Let's burn the roof
And then we'll do it again
Let's do it, let's do it, let's do it, let's do it
And do it, and do it, let's live it up
And do it, and do it, and do it, do it, do it
Let's do it, let's do it, let's do it, do it, do it, do it


Here we come, here we go, we gotta rock
Easy come, easy go, now we on top
Fill the shot, body rock, rock it don't stop
Round and round, up and down, around the clock
Monday, Tuesday, Wednesday and Thursday (Do it)
Friday, Saturday, Saturday to Sunday (Do it)
Weekend get-get-get with us, you know what we say
Party every day, p-p-p-party every day


And I'm feeling 
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good, good night
A feeling
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good night
That tonight's gonna be a good, good night

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そんな気がするんだ
今夜はいい夜になりそうだって
今夜はいい夜になりそうだって
感じるんだ
今夜はいい夜になりそうだって
今夜はいい夜になりそうだって


感じるんだ
今夜はいい夜になりそうだって
今夜はいい夜になりそうだって
感じるんだ
今夜はいい夜になりそうだって
今夜はいい夜になりそうだって


今夜がその夜だ 盛り上がろうぜ
金はある  使っちまおう
外に飛び出して  びっくりするくらい羽目を外して
ソファから飛び降りて 蹴飛ばしちまえ
楽しむのよ
もし、落ち込んだら、外に出けて、全部吐き出そう
ストレス感じてるから、発散したいの
さあ、タガを外して 頭を空っぽにして 理性なんか失くして


酒を満たして、乾杯、
彼女のダンスを見ろよ、服を脱ぎ捨てて
街を塗りつぶして  封鎖しようぜ
屋根を燃やして
そして、またもう一度やるんだ
さあ、やろうぜ、やろうぜ、やろうぜ、、、

 

そんな気がするんだ
今夜はいい夜になりそうだって
今夜はいい夜になりそうだって
感じるんだ
今夜はいい夜になりそうだって
今夜はいい夜になりそうだって


今夜がその夜だ 盛り上がろうぜ
金はある  使っちまおう
外に飛び出して  びっくりするくらい羽目を外して
ソファから飛び降りて 蹴飛ばしちまえ

 

酒を満たして、乾杯、
彼女のダンスを見ろよ、服を脱ぎ捨てて
街を塗りつぶして  封鎖しようぜ
屋根を燃やして
そして、またもう一度やるんだ
さあ、やろうぜ、やろうぜ、やろうぜ、、、


やってきたぞ、さあ始めるぜ、ロックしよう
真面目になるなよ、オレたち最高潮
酒を注いで、体を揺らして、踊れ、止まるな
時計の針は、上がって下がって、ぐるぐる回る
月曜、火曜、水曜、木曜 (やるんだ)
金曜、土曜、土曜から日曜まで(やるんだ)
週末はオレたちと一緒に、言ってることわかるよな
毎日がパーティー、毎日がパーティさ


オレは感じている
今夜はいい夜になりそうだって
今夜はいい夜になりそうだって
感じるんだ
今夜はいい夜になりそうだって
今夜はいい夜になりそうだって

      (拙訳)

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 何年か前にEDM(エレクトリック・ダンス・ミュージック)が大ブームになりましたが、その最大の起爆剤になった曲がこの「アイ・ガッタ・フィーリング」でした。

 

 ハウスに代表されるクラブ・ミュージックはヨーロッパや日本ではそれなりに定着していたものでしたが、アメリカではまったくアンダーグラウンドな存在でした。しかし、この曲がアメリカ中で昼間からラジオでかかりまくり、全米チャート14週1位、ビルボード史上歴代8位というとんでもない大ヒットになったことで、ポップ・ミュージックの主流のサウンドへと一気に変わったのです。

 

 それはヒップホップの大人気グループであるブラック・アイド・ピーズと、クラブ・ミュージック界のカリスマDJデヴィッド・ゲッタがタッグを組んだ、HIPHOP×ハウス・ミュージックという異種配合が生み出した猛烈な化学反応だったのです。

ゲッタはこう語っています。

「『アイ・ガッタ・フィーリング』は実際にゲームの流れを変えて、アメリカのダンス・ミュージックの扉を開いたんだ。ラジオが初めてその曲をかけ始めたことで、僕だけじゃなく、僕のいるシーン全体がクロス・オーヴァーした。それはすごいエキサイティングなことだったよ」

 

「僕が始めた頃は、全部のダンス・ミュージックはアンダーグラウンドだったんだ。もし、君がハウスをプレイしたかったら、アンダーグラウンドにいなきゃいけなかった、それはクロスオーヴァーするタイプの音楽じゃなかったからね。僕の進化は、概ねシーン全体の進化にともなって起きたんだ」

 (Gurdian  Thu 4 Jun 2015)

 

 

  デヴィッド・ゲッタに声をかけたのは、ブラック・アイド・ピーズの中心メンバー、ウィル・アイ・アム。

 彼がオーストラリア滞在中、シドニーのクラブでイタリアから来たDJチーム、クルッカーズなどのプレイに夢中になり、アメリカに戻ると他のメンバーに、今の自分のインスピレーションはHIPHOPじゃなく、ダンス・ミュージックだと告げたといいます。

 

 彼の”アンテナ”と音楽的な柔軟性が、このマスターピースを作ったのかもしれません。

 ゲッタはまた、この曲のポジティヴさが良かったんじゃないかと語っています。困難な時代にこの曲がポジティヴなヴァイブを持ち込んだのだと。

 

 ゲッタは自分にとって最も重要なアルバムはマイケル・ジャクソンの「スリラー」だと語っている人なので、この曲がアメリカで大成功したことが本当に嬉しかったのでしょう、この曲のヒットが自分のキャリアで最も誇らしい瞬間で、思わず泣いてしまったと語っています。

 

 ブラック・アイド・ピーズは1995年頃から、その名前で活動していますが、ブレイクしたのは2003年に女性シンガー、ファーギーが参加してからでした。彼女はもともと彼らのファンで、ウィル・アイ・アムに連絡先を渡したことから、レコーディングに声をかけられ、そのままメンバーになったと言われています。

 最後は、2004年にリリースされた彼らの最初のヒット曲「Where Is The Love」。

HIHPHOPで社会的なメッセージを歌ったものはかなり過激なものが多いイメージがありますが、この曲は等身大で率直な、人種や年齢に関係なく共感できるもののように思えます。現在では彼らのレパートリーの中でも、1、2を争う人気曲になっているというのも、そういう力がこの曲にあるからかもしれません。

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