まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます

「いったい現実を把握している者はいるだろうか? (Does Anybody Really Know What Time It Is?)」シカゴ(1969)

 おはようございます。

 今日はシカゴの「いったい現実を把握している者はいるだろうか? 」です。

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As I was walking down the street one day
A man came up to me and asked me what the time was that was on my watch, yeah
And I said

Does anybody really know what time it is (I don't)
Does anybody really care (care about time)
If so I can't imagine why (no, no)
We've all got time enough to cry

And I was walking down the street one day
A pretty lady looked at me and said her diamond watch had stopped cold dead
And I said

Does anybody really know what time it is (I don't)
Does anybody really care (care about time)
If so I can't imagine why (no, no)
We've all got time enough to cry

And I was walking down the street one day (people runnin' everywhere)
Being pushed and shoved by people (don't know where to go)
Trying to beat the clock, oh, no I just don't know (don't know where I am)
I don't know, I don't know, oh (don't have time to think past the last mile)
(Have no time to look around) And I said, yes I said (run around and think why)

Does anybody really know what time it is (I don't)
Does anybody really care (care about time)
If so I can't imagine why (no, no)
We've all got time enough to die

Everybody's working (I don't care)
I don't care (about time)
About time (no, no)
I don't care

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ある日、僕が通りを歩いていたら

一人の男がやってきて尋ねてきたんだ

僕の時計で何時かって?

それで僕はこう言ったんだ

 

今が何時なのか

本当にわかってる人なんているのだろうか

いったい誰がそんなこと気にかけるのだろうか

(僕は時間なんて気にしない)

もしそうなら、僕はどうしてかわからないよ

(わからない)

僕たちには声をあげて泣くのに十分な時間があるんだ

 

ある日、僕が通りを歩いていたら

ひとりの美しい女性が僕を見て

ダイアモンドの時計が全く動かなくなってしまった

って言ってきたんだ

それで僕は言った

 

今が何時なのか 本当にわかってる人なんているのだろうか

いったい誰がそんなこと気にかけるのだろうか

(僕は時間なんて気にしない)

もしそうなら、僕はどうしてかわからないよ

(わからない)

僕たちには声をあげて泣くのに十分な時間があるんだ

 

 


ある日僕が通りを歩いていると(人々はいたるところで走っている)

人々に押されて、押しのけられた(どこに行くのかもわからずに)

彼らは時計を壊そうとしている ああ、どうしてなんだ

(自分の居場所もわからない)

わからないんだ、わからないんだ(直近の過去を振り返る時間さえもなく)
(周りを見渡す時間もない)だから僕は言ったんだ
(走り回って、どうしてか考えて)

今が何時なのか 本当にわかってる人なんているのだろうか

いったい誰がそんなこと気にかけるのだろうか

(僕は時間なんて気にしない)

もしそうなら、僕はどうしてかわからないよ

(わからない)

僕たちには死ぬのには十分な時間があるんだ

 

誰もが働いている(僕は気にしない)

気にしないんだ(時間なんて)

時間なんて 気にしないんだ

                   (拙訳)

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  結成されてから50年を超えるバンド”シカゴ”の歴史はこの変わったタイトルの曲から始まりました。一番最初にレコーディングされたのが、この曲だったんですね。

 

 ロックにジャズっぽいホーン・セクションを加えた”ブラス・ロック”を代表するバンドとして有名になったシカゴはその名の通り、アメリカのシカゴで結成されました。

 

 ホーンの3人、ジェイムズ・パンコウ(Tb)、ウォルター・パラゼイダー(Sax、木管)、リー・ロックネイン(Tp) は音楽を専攻していた大学生、ロバート・ラム(Vo,Key)はニューヨークから母親と共に引っ越してきた大学生で、テリー・キャス(Vo,G)、ダニー・セラフィン(Drums)、ピーター・セテラ(Vo,Bass)は市内でカバー・バンドをやっていたそうです。

 ホーンを加えたロックバンドをやろうと発案したのが、ウォルターとテリーで、彼らがいろんな人に声をかけてメンバーを集めていきました。最初のバンド名は”The Big Thing"といったそうです。

 

 ウォルターの友人に、ジェイムズ・ウィリアム・ガルシオという人物がいて、シカゴ出身で今は西海岸で音楽業界で仕事をしていました。彼をシカゴに呼んでバンドの演奏を聴かせたところ気に入り、マネージャー兼プロデューサーになることを申し出ます。

 当初彼らは地元シカゴを中心にアメリカ中西部でライヴをやっていましたが、がルシオの要請で西海岸に拠点を移し、ジャニス・ジョプリンジミ・ヘンドリクスの前座も務めたそうです。

 そして、ガルシオの尽力もあり、シカゴは1969年にアルバム『シカゴの軌跡 (The Chicago Transit Authority) 』でメジャー・デビューを果たし、その中に収録されていたのがこの「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」でした。

 

「僕はティーンエイジャーで、生まれ育ったニューヨーク、ブルックリンの通りを歩いていたんだ。映画館に通りかかると、案内係が外で一服していた。僕が彼に”ヘイ、メン、今何時だい?”ってきくと、彼は言ったんだ”Does anybody really know what time it is?”ってね。僕がビートルズ風のシャッフルの曲を作ろうとした時にそれを思い出して、Does anybody really know what time it is?'というアイディアを膨らませていったんだ」

                    (songfacts)

  実際にこのフレーズを言った人がいたんですね。

 「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」という思い切った邦題に対応させるように、CDの和訳が”What time it is”を「今がどういう時代なのか」と和訳しているものがあって、おお、なるほど、と思ったのですが、ただ前後の歌詞を読むと”時代”はちょっと大げさなような気がします。もちろん、僕も作者の真意はわからないですが。

 誰もが自分に与えられた時間のことなんて考えもせずにあくせく動いていることを皮肉っているのでしょう。

 ただ、ロバートが実際に出会った映画館の案内係はもっと哲学的な意図で、まさに時代を意味して、”Does Anybody Really Know What Time It Is?”と言ったのかもな、などと想像したりします。

 

 また、ロバートはレノン=マッカートニーに最も大きく影響を受けていて、この曲の曲調はサージェント・ペパーズあたりのビートルズをイメージしていたようです。

 

 さて、この曲の入った『シカゴの軌跡 (The Chicago Transit Authority) の次にセカンド・アルバム『シカゴ』がリリースされ、そこから彼らの代名詞的なヒット「長い夜」が生まれるのですが、その次のシングルとしてこの「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」が発売され、全米7位の大ヒットになっています。

 

 セカンド・アルバムから大ヒットが出た後に、ファースト・アルバムからのシングルカットが出るというのもめずらしいですが、「長い夜」の勢いで『シカゴ』だけじゃなく、『シカゴの奇跡』もあらためて売ろうということだったのかもしれません。

 

 最後はシカゴのデビュー・シングル「クエスチョン67/68」。ロバート・ラムが1967年から1968年に経験した恋愛で感じた疑問を歌にしたものです。それにしても、この頃ロバートは曲のタイトルを新奇なものにすることにこだわっていたんでしょうか、、。

 

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「ラヴ・スイート(Love Suite)」ニルヴァーナUK(1969)

 おはようございます。

 今日はニルヴァーナUKの「ラヴ・スイート」です。

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Why am I behind the door

Walking up and down the floor

 

He never comes ,every night is the same

Just passing time and asking who is to blame

I end up saying love is just a game

 

Love is just a game to play

A chance to win or go away

I always lose, broken up like a toy

I don’t deserve to have to sit and cry

Just hanging round waiting for a boy

 

Everyday I brush my teeth

Wear clean socks and wash my feet

I’m always smart when I’m out on the town

And not bad looking still they are letting me down

I’d like to find a girl who’ll stick around

 

I’m afraid that I’m too shy

To talk to girls as they go by

It’s always hard when I try tome friends

I say hello and then it’s always the end

I’m always sad so why should  I pretend

 

We fight, we scream out loud but we’re in love

We sing, we dance so high yes I love you

We’re sick, we’re sad but still we’re always glad

For love, for life it’s ours it can’t be bland

We’re old, we’re young the end will never come

We’re doubt, we’re dead but we are way ahead

 

If love is a game where you win or you lose

Can you explain the consequences right here

‘Cause we have found that love is always near

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どうして私は扉の影にいるの?

床の上を行ったり来たりしながら

 

 

彼はきっと来ない 毎晩同じこと

やだ時間が過ぎるだけ、誰のせいなのかたずねてみる

最後は、愛なんてただのゲームだと口にする

 

愛はなんてただのゲーム

勝つか負けて立ち去るかのどちらか

いつも私の負け、まるで人形のようにボロボロになる

ただ、男の子を待ちながらうろついて

じっと座って泣くしかないなんて私には似合わない

 

毎日、歯を磨いて

清潔な靴下を履き 脚をきれいにする

街に出かけるときは、僕はいつだってスマートさ

 

見た目は悪くないのに まわりにはがっかりさせられる

僕につき合ってくれる女の子を見つけたいんだ

 

通り過ぎてゆく女の子たちに話しかけるには

僕はシャイ過ぎるのかもしれない

友達を作ることはいつだって難しい

僕がハローと言ったら、それでもう終わり

僕はいつだって悲しいんだ

だから どうして平気なふりをしなきゃいけないんだろう

 

 

二人はケンカする、大声で叫ぶ、だけど愛し合っている

二人は歌う、思いきり踊る、そう、あなたを愛している

二人が病気で 悲しくたって、それでもいつもうれしい

愛にしても、人生にしても、それは二人のもの 味気ないはずはない

二人が年老いても、二人が若くても 終わりは決してこない

信じられなくなっても、死んでしまっても、

二人ははるか先に行っている

 

 

 

もし愛が勝つか負けるかどちらかのゲームだとしたら

今ここにある結末を説明できる?

だって、私たちは愛がいつもそばにあることを見つけたの

                      (拙訳)

 

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 ニルヴァーナUKと表記していますが、本来は”Nirvana"。カート・コヴァーンのバンドが有名になりすぎて、日本では間違わないように便宜的につけたんでしょうね。もちろん、こちらのほうが先に”ニルヴァーナ”と名乗ったバンドなのですが、、。

(ちなみに、アメリカのニルヴァーナが出て来たときに、バンド名の使用権を巡って両者は争い裁判になり、結局どちらも使ってもいい、ということになったのだそうです)

 

 グループの中心人物はアイルランド出身のパトリック・キャンベル=ライオンズとギリシャ出身のアレックス・スパイロポロウスの二人。他のメンバーは流動的で、セッション・プレイヤーを使うことが多かったようです。

 

 パトリックはエルトン・ジョンポール・マッカートニーロキシー・ミュージックなどを手がけた大プロデューサー、クリス・トーマスがまだ無名だったころに一緒にバンドを組み、バンド解散後はコンビで曲を書き、シングルの二枚リリースしています。

 

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 この曲は、パトリックのアイドルだったエヴァリー・ブラザーズが1967年にカバーしています。

 

 パトリックとクリスをバックアップしていた会社に、同じように曲を売り込んで買ってもらったのが、近くのアートスクールに通っていたアレックスで、彼らはカフェで知り合い、意気投合しました。

 一緒に曲を書いていた二人はやがてバンドも組むことにします。二人とも、当時流行していた東洋哲学や仏教、ヒンドゥー教に興味を持ち、ラヴィ・シャンカールなども聴いていたことからパトリックが「カルマ」という名前を提案し、後日アレックスが「ニルヴァーナ(涅槃)」のほうがいいんじゃないかと言ってきたそうです。

 

 そして彼らはアイランド・レコードのオーディションを通過し、レーベルの主宰者クリス・ブラックウェルのプロデュースでシングル「Tiny Goddess」デビューします。

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 同じ年にデビュー・アルバム『ザ・ストーリー・オブ・サイモン・シモパス』をリリース。これはザ・プリティ・シングスの『S.F.Sorrow』、ザ・フーの『Tommy』、ザ・キンクスの『Arthur』などのストーリー性のあるコンセプト・アルバムよりも早くリリースされた、最初の物語性のあるコンセプト・アルバムのひとつであると言われています。

 そして1968年リリースの彼らの3枚目のシングル「Rainbow Chaser」が全英34位のヒットになります。これは、当時アイランドレコードによく出入りしていたミッキー・モスト(アニマルズやハーマンズ・ハーミッツなどを手がけるヒットメイカー)が、強く推してシングルに決まったと言われています。

 

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  そして、翌1969年この「ラヴ・スイート」の収録されたサード・アルバム「トゥ・マルコス・スリー(TO MARKOS III)」が制作されますが、この作品には不遇な境遇にあったものでした。

 彼らが制作中のアルバムを聴いたクリス・ブラックウェルからフランシス・レイ『男と女』みたいだと酷評され、リリースしないと宣言されてしまったのです。

 

 アルバムをなんとか完成させリリースしたいと思った彼らが経済的に頼ったのが、ギリシャに住むアレックスの叔父”マルコス三世”でした。彼の援助で、彼らは新たにキャット・スティーヴンスの育ての親であるマイク・ハーストをプロデューサーに迎え、アルバムを完成させました。

 

 アルバム・タイトルの「トゥ・マルコス・スリー(TO MARKOS III)」というのは、助けてくれた”マルコスおじさんに捧げる”という意味なんですね。

 

 そして彼らはロサンゼルスのレーベルと契約し、そこを通してイギリスでも発売しようとしたそうですが、そのレーベルが発売後に倒産してしまうという悲劇に見舞われます。アルバムは250枚しかプレスしなかったという話もあります。

 苦労して完成させ、リリースまでこぎつけたのに、まさに、”ただ出しただけ”で終わってしまったんですね。

 

 打ちのめされたアレックスはギリシャに帰ってしまい、パトリックはひとりで”ニルヴァーナ”を守っていくことになりました。

 その後ニルヴァーナは3枚のアルバムをリリースしています。

 

 さて、この「ラヴ・スイート」の女性ヴォーカルはレズリー・ダンカン。イギリスの女性シンガー・ソング・ライターのパイオニア、UKのキャロル・キングとも呼ばれる人で僕も大ファンです。

 彼女がシンガーソングライターとして名を上げるのは1971年からで、この頃はバックコーラスや作曲家の仕事をしていました。声がまだかわいらしい感じがします。

 

 また不遇に終わってしまった「トゥ・マルコス・スリー(TO MARKOS III)」というアルバムもすごくいいんですよね。1969年という激動のロックの時代には、複雑で洗練されたポップスは認められなかったんでしょうね。

 海外のサイトには、ペットサウンズのブライアン・ウィルソンだって凌駕するとまで熱く絶賛している記事もあるほどで、僕はさすがにそこまでは言いませんが、埋もれさせるのは本当にもったいないなあ、と思います。

 

 このとてもレアな「ラヴ・スイート」という曲を見つけ出し、サンプリングしたのがD.Jシャドウです。1996年の彼のデビュー作にして代表作『エンドトロデューシング』に収録されていました。

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レズリー・ダンカンの名作

popups.hatenablog.com

 

 

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「プット・ユア・レコーズ・オン (Put Your Records On)」コリーヌ・ベイリー・レイ(2006)

 おはようございます。

 今日はコリーヌ・ベイリー・レイの「プット・ユア・レコーズ・オン ( Put Your Records On)」です。

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Three little birds, sat on my window
And they told me I don't need to worry
Summer came like cinnamon, so sweet
Little girls double-dutch on the concrete
 
Maybe sometimes
We've got it wrong, but it's alright
The more things seem to change
The more they stay the same
Oh, don't you hesitate
 
Girl, put your records on
Tell me your favourite song
You go ahead, let your hair down
Sapphire and faded jeans
I hope you get your dreams,
Just go ahead, let your hair down
 
You're gonna find yourself somewhere, somehow
 
Blue as the sky, sunburnt and lonely
Sipping tea in a bar by the roadside
(Just relax, just relax)
Don't you let those other boys fool you
Got to love that afro hair do
 
Maybe sometimes
We feel afraid, but it's alright
The more you stay the same
The more they seem to change
Don't you think it's strange?
 
Girl, put your records on
Tell me your favourite song
You go ahead, let your hair down
Sapphire and faded jeans
I hope you get your dreams,
Just go ahead, let your hair down
 
You're gonna find yourself somewhere, somehow
 
'Twas more than I could take
Pity for pity's sake
Some nights kept me awake
I thought that I was stronger
When you gonna realise
That you don't even have to try any longer?
Do what you want to
 
Girl, put your records on
Tell me your favourite song
You go ahead, let your hair down
Sapphire and faded jeans
I hope you get your dreams,
Just go ahead, let your hair down
 
Girl, put your records on
Tell me your favourite song
You go ahead, let your hair down
Sapphire and faded jeans
I hope you get your dreams,
Just go ahead, let your hair down
 
Oh, you're gonna find yourself somewhere, somehow

 

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三羽の小鳥が部屋の窓辺にとまって

私に言ったの 心配はいらない、と

夏がやってきた まるでシナモンのように、とても甘く

少女たちはコンクリートの路上で縄跳びで遊ぶ

 

 
たぶん時々
私たちは間違いを犯す、だけどそれでいい
たくさんのことが変化するように見えるときも 
たくさんのことは変わらずにいるもの
ためらわないで
 
 
ねえ、レコードをかけて
あなたのお気に入りの曲を教えて
どうぞ、髪を下ろして
サファイアと色あせたジーンズ
あなたが夢を持てますように
さあどうぞ、髪を下ろして
 
 
あなたは自分の居場所を見つけられるわ、なんとかなるわ
 
空のように青く、日に焼けて、ひとりぼっち
道端のバーでお茶をちょっとずつ飲んでいる
(リラックスして、リラックスして)
あんな男の子たちに騙されちゃダメ
そのアフロヘアを愛するのよ
 
たぶん、時どき
怖くなることがある、でも、それでいいの
あなたがもっと変わらずにいれば
まわりはもっと変わってしまうように見えるの
不思議だと思わない?
 
 
ねえ、レコードをかけて
あなたのお気に入りの曲を教えて
どうぞ、髪を下ろして
サファイアと色あせたジーンズ
あなたが夢を持てますように
さあどうぞ、髪を下ろして
 
 
あなたは自分の居場所を見つけられるわ、なんとかなるわ
 
 
それはキャパを超えていた
自分を哀れむことしかできず
眠れない夜を過ごした
自分はもっと強いと思っていたのに
いつもなれば気づくの
これ以上がんばる必要さえないことを
やりたいことをやりなさい
 
ねえ、レコードをかけて
あなたのお気に入りの曲を教えて
どうぞ、髪を下ろして
サファイアと色あせたジーンズ
あなたが夢を持てますように
さあどうぞ、髪を下ろして、、、、
 
 
 
 
 
あなたは自分の居場所を見つけられるわ、なんとかなるわ 
                 (拙訳)
 
 

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 彼女はイギリスのリーズ出身。父親はカリブ海と大西洋に間に浮かぶ小さな島、セント・クリストファー・ネービス出身で、母親はヨークシャー出身の白人。シャーデー・アデュのように黒人と白人の二つの文化をルーツを持っています。

  子供の頃からクラシック・ヴァイオリンを習い、教会で歌う楽しさをおぼえたそうです。その教会の知り合いからエレキ・ギターをプレゼントされたことがきかっけにロックに興味を持ち始め、レニー・クラヴィッツレッド・ツェッペリンジミ・ヘンドリックスなどに夢中になったそうです。

 15歳でインディ・ロック風のバンドを始めますが、彼女はR&Bにも興味を持つようになっていったそうです。バンドは10年近く活動したそうですが解散を機に、ソロとして歌い始め、地元の実業家であるボブ・ミラーという人物のバックアップもあり、レコード会社にアプローチしますが最初はどこも興味を示さなかったそうです。

 ミラー氏はのちにこう語っていたそうです。

 "彼女の歌が聴けるようになるために、必要なら家だって担保に入れていたよ"

 

 ブレイクするアーティストの周りには、必ずといっていいほど彼のような半端じゃない情熱を持った人物がいるものです。自分の人生そのものを賭けちゃうような。

 

 その熱量は、作品作りそのものには影響はないのでしょうが、そのアーティストのチャンスを引き寄せるとか、そういう引力として大きな役割を果たすように僕は思います。

 

 そんな熱意を持った人物の後押しで、彼女はロンドンに行きインディーズでレコーディングをします。そして、レコーディングがほぼ終わったころにメジャーから声がかかり、録音はほとんどそのままのかたちでメジャーデビューを果たします。2005年、彼女が26歳の時でした。

 

 デビュー曲は「ライク・ア・スター」。彼女がまだバンド活動をしていた時に作った曲なのだそうです。

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 この曲は全英32位、全米では最高56位まであがりました。

 

 そして、その次のシングルとして全英2位の大ヒットになったのがこの「プット・ユア・レコーズ・オン」でした。

 

 あらためて聴いても、メッセージは等身大でナチュラルで、曲調はアッパー過ぎず、リズムには無理のない高揚感があって、今の時代に人の心をさりげなく励ます歌として、最も適しているんじゃないかと思えるほどです。

 ポップ・ミュージックは、目新しいこと、過剰にすること、目立つこと、を長年にわたって競ってきたわけですが、”ナチュラルでちょうどいい”ことが、かえってシーンの中で際立って見える、そんなことを教えられた曲でもありました。

 

 僕がこのブログで洋楽の歌詞を使うときに主に利用している”Genius"というサイトに彼女のこの曲についてのコメントがありました。

 

 歌詞に”Tell me your favourite song”に合わせて、あなたのフェイヴァリット・ソングは?という質問に

 「子供の頃は、マライア・キャリーの「ビジョン・オブ・ラヴ」という歌が大好きだったの。鏡に向かってヘアブラシを持って歌ったわ、”彼女は素晴らしい!”なんて言いながら。パパがCDプレイヤーを買ったばかりで、1990年代始めの頃ね、私はその1曲を1時間くらいずっと繰り返して聴いていたわ」

 

 しかし、彼女は自分の声質は違うことに気づきます。そして、ビョークビリー・ホリデイエリカ・バドゥといったシンガーに出会います。

「当時正統派とみなされていたホイットニー・ヒューストンマライア・キャリーみたいに歌う必要も、その反対側に位置するマドンナやカイリーみたいに歌う必要はないんだと気づくことが出来た。その中間というか、もっとデリケートで、親しみが持てて、傷つきやすいようなニュアンス。まるで会話をしているような、そういう歌い方が私に適しているんじゃないかと思ったの」

 (「コリーヌ・ベイリー・レイ」日本盤ライナー・ノーツより)

 

 「プット・ユア・レコーズ・オン」の自然な励ましに説得力があるのは、歌詞や曲調サウンドだけじゃなく、何より彼女自身が自分らしさに気づいたスタイルで歌っていることが大きいのかもしれませんね。

 

 先にあげた”Genius"という歌詞サイトで、彼女は”favorite songs”についてこう説明しています。

 「一人の若者として、私は音楽は自信を見出し、自己表現を見つける素晴らしい方法だと気づきました。誰もがいつも”これは自分の曲だ”と思える歌を見つけることができます。そんな人は私の感じることを正確に理解できると思います。ある種のポップ・ソングなんです。音楽をかけると、無敵ですごく自信に満ちて大胆な気分になって、音楽に身を委ねるんです。私にとっては、お気に入りの歌とはそういうものです。曲がかかり、その歌の中に生きているような感じになると、シャイで自意識過剰で落ち着きのなかった人間が、大胆で自信を持てるようになるのです」

 

 

 最後は、2020年に男性ソロ・プロジェクト”リット・モムニー”がこの曲をカバーしたヴァージョンを。彼はインタビューで「もし誰かに今思い浮かぶ一番ポジティヴで助けになる歌は何かときかれたら、それはいつだってこの曲だと僕は感じている」と語っています。

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「スムース・オペレーター(Smooth Operator)」シャーデー(1984)

 おはようございます。

 今日はシャーデーの「スムース・オペレーター」です。

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Diamond life lover boy
He moves in space with minimum waste and maximum joy
City lights and business nights
When you require streetcar desire for higher heights

No place for beginners or sensitive hearts
The sentiment is left to chance

No place to be ending but somewhere to start


No need to ask
He's a smooth operator
Smooth operator
Smooth operator
Smooth operator

 

Coast-to-coast, L.A. to Chicago: Western male

Across the North and South,to Key Largo love for sale

Face-to-face, each classic case
We shadow box and double-cross
Yet need the chase

A license to love, insurance to hold
Melts all your memories and change into gold
His eyes are like angels'; his heart is cold

No need to ask
He's a smooth operator
Smooth operator
Smooth operator
Smooth operator 

Coast-to-coast, L.A. to Chicago: Western male
Across the North and South,to Key Largo love for sale

Smooth operator
Smooth operator,,,

 

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ダイアモンドのような人生を生きる 魅惑的な男

無駄のない身のこなしと、喜びに満ちた様子で立ち振る舞う

街の灯 ビジネスの夜

それはあなたが、より高みを目指して

欲望という名の電車を求めるとき

 

ビギナーやセンシティヴな人の居場所なんてない

感傷は偶然に任せて

終わりの場所はなくても始まりの場所はどこかにある

たずねるまでもなく

彼はやり手なの、スムースになんでもこなす人

西海岸から東海岸、L.Aからシカゴまで カウボーイのように

北から南 キー・ラーゴまで 愛を売り歩く

 

差し向かいで、古典的なパターン

二人はだまし合い、そして裏切る

それでも追いかけてしまう

愛のライセンス 抱きしめるための保険

あなたの思い出は全て溶けて、黄金に変わる

彼の瞳は天使のようで その心は冷たい

たずねるまでもなく

彼はやり手なの、スムースになんでもこなす人

西海岸から東海岸、L.Aからシカゴまで カウボーイのように

北から南 キー・ラーゴまで 愛を売り歩く

 

彼はやり手なの、スムースになんでもこなす人
                         (拙訳)

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 シャーデーは女性ヴォーカリストシャーデー・アデュを中心としたイギリスのバンドです。

   アデュは本名をHelen Folasade Aduといい、1959年にナイジェリアのオヨ州イバダンに生まれています。ミドルネームの”Folasade”は”富は王冠を授ける”という意味なのだそうです。 父はナイジェリア人の経済学講師で、母は白人のイギリス人で看護師だったそうで、ふたりはロンドンで出会い結婚してナイジェリアに移住しました。しかし、彼女が4歳の時に両親は離婚し、その後彼女は母親に連れられてイギリスに帰国します。

 

「私の母は大変に苦労をしました。彼女は1960年代始めという時代に、褐色の肌の子供を二人抱えた白人女性でした。そして、スーツケース一つでイギリスに帰ってきて、住むところさえありませんでした。本当にどこにも」

                   (May 1985 issue of SPIN)

 結局は祖父母を頼ることになり、そこで彼女は育ちました。

 彼女は音楽に夢中になり、その中でもダニー・ハサウェイカーティス・メイフィールド、ビル・ウィザースといったニューソウルのアーティストを特に好んだようですが、学校では音楽ではなくファッションを学んでいました。

 

 しかし、友人の誘いで歌を歌うようになり、曲作りにも興味を持つようになります。

そして、”Pride"というジャズ・ファンク・バンドのメンバー募集に応募し、そこでギター/サックス奏者のスチュワート・マシューマンと出会います。

 

 こちらが”Pride"の動画

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 二人はプライドでツアーしながら、一緒に曲を書くようになります。

 彼女のレコード・コレクションの中から、カーティス・メイフィールドなどのR&B以外にもチェット・ベイカーニーナ・シモンといったアーティストを参考にしていたようです。

 

 先にあげた動画を見てもわかる通り、バンドの中で彼女の存在感は際立っていて、ライヴでは彼女がジャジーな曲を歌うコーナーが作られるようになっていったそうです。

 その中で披露されたうちのひとつが、この「スムース・オペレーター」で、彼女とPrideのメンバー、レイ・セイント・ジョンが共作した曲でした。

 

 そして、複数のレコード会社が興味を持ち始めましたが、どこもPrideではなく、彼女をソロで契約したがっていました。

 彼女はソロでの契約を拒み、メンバーも一緒という条件を唯一飲んだEpicレーベルと契約することにします。そして、彼女とスチュワート、Prideのベーシストだったポール・スペンサー・デンマン、それに同じクラブによく出演していたキーボーディストのアンドリュー・ヘイルを加えて新しいグループを結成します 。バンドは彼女の名前からシャーデーと名付けられました。

 

 そして、彼女とスチュワートが共作したファースト・シングル「ユア・ラヴ・イズ・キング」がいきなり全英6位のヒットになります。

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 シャーデーというバンドの面白いところは、ジャジーな音楽をやっているのに、ジャズの素養のあるメンバーが一人もいないということなんです。

 シャーデー・アデュが愛し、かつ彼女にぴったり合った音楽を、メンバーが一生懸命やっていたんですね。

 

 彼女の音楽を、例えばアメリカの凄腕ジャズ・ミュージシャンが演奏していたら、当然クオリティは上がったでしょうし、それなりに売れたでしょうが、ここまでの大ヒットにはならなかったように僕には思えます。

 きっと、ポップスとクロスオーヴァーするようなフレッシュでピュアな感じは失われたでしょうし、バンドが上手すぎず彼女をリスペクトしていたからこそ、シャーデー・アデュの個性もより際立ったのだという気がします。

 

 この当時のレコーディングで、彼女たちはコントロール・ルームを真っ暗にしてメンバー全員でリスニング・セッションをしていたそうです。かけたレコードは、レイ・チャールズ「Don't You Love Me Anymore」、ギル・スコット・ヘロン「Pieces Of A Man」、マーヴィン・ゲイ「トラブル・マン」、ビリー・ホリデイ「奇妙な果実」、ニーナ・シモンのアルバムなど、だったそうです。

 

 過去の偉大な作品と精神的に”シンクロ”しようとしていたのでしょうか。でも、こういう真摯で先人への敬意をしっかり感じさせる行動は、作品にはっきりとは現れなくても、知らぬ間に聴き手に伝わって”感動の質”に影響を与えるものだと僕は思います。

 

 そのせいもあってか、R&Bの本場アメリカで、彼女たちは大成功を収めます。「スムース・オペレーター」はイギリスでは最高19位でしたが、アメリカでは5位、R&Bチャートでも5位を記録しています。

 R&Bのジャンルで、イギリスのアーティストが活躍することは非常に稀で困難なことです。そんな中でシャーデーはその高い壁を超え、しかも音楽シーンの流れを変えるチェンジ・メイカーにもなりました。

 

 シンセやドラムマシーンが前面に出た賑やかなポップスやR&Bの人気がおさまり、彼女たちのような落ち着いて洗練された音楽をやるアーティストが増えていったのです。

 

 最後は2011年の彼女のライヴ動画を。このツアーは大盛況で、2010年のアルバム「ソルジャー・オブ・ラヴ」の売り上げと合わせて、シャーデーはアデルを抑えて2012年のアメリカで最も売り上げの大きいイギリス人アーティストになったのだそうです。

 ライヴの演出を見ても、シャーデーというのはいちアーティストというより、一つの時代のイメージそのものなんだと思えます。都会がおしゃれで華やかだった時代の。

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「マリのピンクのラヴソング(Just What I Always Wanted)」マリ・ウィルソン(1982)

 おはようございます。

 今日はマリ・ウィルソンの「マリのピンクのラヴソングJust What I Always Wanted」です

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Said he was giving me a taffeta dress
That's just what I've always wanted
And then he said he'd give me more or less
Of just what I've always wanted

But you don't give me anything and I don't ask you
Just yourself is good enough

That's just what I've always wanted
Just what I've always wanted
Hoh-oh, just what I've always wanted

He said he'd make of me a millionaire
That's what I've always longed for
Not one Picasso, he'll give me a pair
Just what I've always dreamed of

But you don't give me anything and I don't ask you
Just yourself is everything

That's just what I've always wanted
Just what I've always wanted
Hoh-oh, just what I've always wanted

I've got a mink from Paris, a ring from Rome
A whole new wardrobe in my home
A tune from Teddy, an Ashworth snap
These are the landmarks on my map

I've got just what I always wanted
She's got just what she's always wanted
But you don't give me anything and I don't ask you
Just yourself is everything

That's just what I've always wanted
Just what I've always wanted
Hoh-oh, just what I've always wanted
Hoh-oh, just what I've always wanted
Hoh-oh, just what I've always wanted

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タフタのドレスをあげるよと彼が言った

ずっと欲しいと思っていたものなの

それから彼はこう言った だいたいあげられるよ

君が欲しいと思っていたものならね

 

だけど、私に何もくれなくても おねだりなんてしないわ

ただあなたでいてくれるだけで十分よ

それが、ずっと私が欲しかったもの

ずっと私が欲しかったもの

彼は大金持ちにしてあげるって言った

それは、私がずっと憧れていたもの

ピカソも一枚じゃなくて、二枚ペアでくれるの

それは私が夢見てきたこと

だけど、私に何もくれなくても おねだりなんてしないわ

ただあなたがいることがすべてなの

 

それが、ずっと私が欲しかったもの

ずっと私が欲しかったもの


パリで買ったミンクのコートや、ローマで買った指輪も持っている
お家には新品のワードローブ

テディの作った歌 ピーター・アシュワースのスナップ写真

みんな私にとって特別なもの

 

私はずっと欲しかったものを持っている

彼女はずっと欲しかったものを持っている

だけど、あなたが何もくれなくても おねだりはしない

ただあなたがいることがすべてなの

 

それが、ずっと私が欲しかったもの

ずっと私が欲しかったもの            (拙訳)

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 1980年代前半のイギリスで、印象的なビーハイブ・ヘアと、60年代ポップスを80年代のシンセ・サウンドでリメイクしたような楽曲で人気だったのがマリ・ウィルソン。

 

 現在も精力的に活動をしている彼女はロンドンのニースデンに生まれ、”ニースデンのクイーン・オブ・ソウル”というキャッチコピーを自身につけています。

 

 10代の2年間にニューヨークで過ごして、そこで聴いたモータウンフィラデルフィア・ソウルが彼女のベースになっています。

 

 彼女の音楽を支えたのがトット・テイラー。

    彼は1970年代に「A Special Moment」や「Advertising」と言ったバンドでメジャー契約をしますが成功せず、80年はじめには”雇われソングライター”として活動をしていました。

  そしてある日、彼のデモテープ用のシンガーとしてやってきたのがマリ・ウィルソンだったのです。

 

 そして、彼が曲を作り、ザ・イマジネーションズというというバックバンドでピアノを弾くというかたちで彼女のサポートを始めました。

 

 1980年にマリ・ウィルソン&ザ・イマジネーションズの名義で「Love Man」という曲でデビューします。

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 翌1981年にリリースした「Dance Card」

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 こちらはトット・テイラーとポール・キンダーが設立したレーベル”コンパクト・オーガニゼーション”からリリースしています。

 ”コンパクト・オーガニゼーション”は、デザイン性を重視したポップなプロダクツをリリースし、日本の渋谷系アーティストの大きなインスピレーションになりました。

 

 1982年「BEAT THE BEAT」が初のチャート入り(全英59位)します。

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  続く「Baby,It's True」も全英42位になり、その次にリリースされたのがこの「マリのピンクのラヴソングでした。

 

 ここでプロデューサーとしてサウンドを生み出したのが、テクノ・ポップのパイオニアの一人、トニ・マンスフィールドです。a-haの「テイク・オン・ミー」の最初のヴァージョンを作った人としてこのブログでも紹介していました。

 

 この人選がピタッとはまったわけです。トットの職人的なポップスのソングライティングと、80年代らしいトニのテクノ・サウンドが絶妙に融合したのだと思います。

 そして、その音楽と彼女の独特のスタイリングが大きな相乗効果を生み出しのです。

 

 彼女はこう回想しています。

「みんなおしゃれしていなかったのよ。パンクが終わったばかりで。十二人のバンドが全員正装しているのは普通のことじゃなかった。でもそのあとは、もちろん、ユーリズミックスとかABCとか、バンドがおしゃれするようになったわ」

( December 2011 issue of Beige)

 

 そのビジュアルを最もアピールできるのはTVで、冒頭のビデオがそうですが、イギリスの国民的音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演したのがヒットの引き金になりました。

 また、当時のエピソードでこんなことがあったといいます。

「1982年に私のマネージャーだったトット・テイラーが”イブニング・スタンダード”紙に電話して、デビッド・ボウイHMVでマリ・ウィルソンのレコードを買っているところを目撃されたと伝えたところ、それが記事になったのよ」

( December 2011 issue of Beige)

 

  そういうことが重なって彼女の”キャラ”が大衆にインパクトを残し、息長く芸能人として生き残ってゆくことに繋がっていったのでしょう。

 

 その後も、ミュージカルにいくつも出演し、ボーイ・ジョージと共演したり、彼女のアイドルの一人であったダスティ・スプリングフィールドを演じる機会もあったそうです。

 コンスタントにアルバムも発売していますが、個人的に気になったのが2012年のカバー曲集「Cover Stories」。

    ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」プリテンダーズ「ドント・ゲット・ミー・ロング」、ダスティ・スプリングフィールドの「二人だけのデート」といったポップな楽曲をしっとりバラードで歌うという企画です。

 

 最後はそのアルバムから、彼女と同じ時期に、同じような”オールディーズ・リバイバル”スタイルで大ヒットを飛ばしたトレイシー・ウルマンの「夢見るトレイシー(They Don't Know)」を。

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「ユー・ベター・ユー・ベット (You Better You Bet)」ザ・フー(1981)

 おはようございます。

 今日はザ・フーの「ユー・ベター・ユー・ベット」です。

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I call you on the telephone
My voice too rough with cigarettes
I sometimes feel I should just go home
But I'm dealing with a memory that never forgets
I love to hear you say my name
Especially when you say, "Yes"
I got your body right now on my mind
But I drunk myself blind
To the sound of old T-Rex
To the sound of old T-Rex
Oh, and Who's Next?

When I say, "I love you," you say, "You better"
(You better, you better, you bet)
When I say, "I need you," you say, "You better"
(You better, you better, you bet)
You better bet your life
Or love will cut you like a knife



I lay on the bed with you
We could make some book of records
Your dog keeps licking my nose
And chewing up all those letters
Saying, "You better
You better bet your life"

You better love me, all the time now
You better shove me back into line now
You better love me, all the time now
You better shove me back into line now

I showed up late one night with a neon light for a visa
But knowing I'm so eager to fight can't make letting me in any easier
I know I've been wearing crazy clothes and I look pretty crappy, sometime
But my body feels so good and I still sing a razor line every time
And when it comes to all night living
I know what I'm giving
I've got it all down to a tee
And it's free

When I say, "I love you," you say, "You better"
(You better, you better, you bet),,,,,

You better bet your life
Or love will cut you just like a knife

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オマエに電話をかける

オレの声はタバコでひどく枯れている

もう家に帰るべきだとたまに感じる

だけど、オレは決して忘れられない思い出を

なんとかしようとしている

オマエがオレの名前を呼ぶのが聞きたい

特にオマエが言う”イエス”を

オレはオマエの体を心に思い浮かべたけど

正体がなくなるまで酔っ払ってしまった

懐かしのT-Rexを聴きながら

懐かしのT-Rexを聴きながら

次は誰だ?

オレが愛しているって言うと

オマエは言うんだ ”そうしたほうがいいわね”

(そうしたほうがいい、もちろん)

オマエが必要だって言うと

オマエが言うんだ”そうしたほうがいいわね”

(そうしたほうがいい、もちろん)

人生を賭けたほうがいい

さもなきゃ、愛があなたを切り刻む、ナイフみたいに

 

オマエとベッドに横たわる

二人の公式記録本だって作れるぜ

オマエの犬がオレの鼻を舐め続けてる

その文字を全部噛み砕いてみれば

こう言ってることになる

”あなたは、人生を賭けるべきだ”


私を愛したほうがいい、今はずっと

私を列に押し戻したほうがいい

私を愛したほうがいい、今はずっと

私を列に押し戻したほうがいい


ある晩オレはビザを照らすネオンライトを持って現れた

だけど、オレは戦いたいのに簡単には中に入れてくれなかった

オレはおかしな服を着て

ときどき安っぽく見えることはわかってるよ

だけどオレの体はすごく気持ちよくて

今だっていつもカミソリのように歌えるぜ

徹夜の生活となれば

オレは自分がやれることはわかってる

完璧に理解しているんだ

そしてそれはタダなんだ

オレが愛しているって言うと

オマエは言うんだ ”そうしたほうがいいわね”

(そうしたほうがいい、もちろん)、、、

 

人生を賭けたほうがいい

さもなきゃ、愛があなたを切り刻む、ナイフみたいに

                          (拙訳)

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 1981年に全英9位、全米18位、 ザ・フーの最後のヒット・シングルがこの「ユー・ベター・ユー・ベット」です。

 

 なぜか、T-Rexが歌詞に出てきますが、マーク・ボランT-Rex以前に在籍していたジョンズ・チルドレンというバンドは、ザ・フーのマネージャーが設立した”Track Records"の最初期の契約アーティストで、The Whoの前座として一緒にツアーを回っていたそうで、ただ、思いつきで歌詞に出したわけじゃなさそうです。

 

 作者のピート・タウンゼントはこう語っています。

 

「クラブ通いとパーティ三昧の数週間の中で『ユー・ベター・ユー・デッド』を作り上げていったんだ」

「僕は結婚生活の不毛な時期を過ごした後、友人の娘さんと付き合っていたんだ。僕はこれをいい曲にしたかったんだ、なぜならこの曲を書いた相手が、地球上で最高の人の一人だったから」

                      (Who By Numbers)

  ピートは当時36歳、離婚問題を抱え苦悩しながら、若い彼女ができたハッピーなテンションもあって、この曲のテンションの高さに、そういう躁鬱っぽさを感じなくもないですが、、。

 

 「『ユー・ベター・ユー・ベット』はとても自然に出てきた歌詞なんだ。かなり自発的で張り切った歌さ、ポップ・ソング、本当に、ただのポップ・ソングだよ」

               (「Face Dances」ライナー・ノーツより)

 

 主人公が愛しているというと、そうしたほうがいい、もちろん、とか自分の人生を賭けたほうがいいわ、と答えるなんてちょっとエキセントリックな女性だななどと思いましたが、You Better You Betという語呂の良さというか勢いが大事で、そんなに深く考える歌でもないのかもしれませんね。

 

 さて、この時代のバンドのトピックは、何と言ってもドラマーのキース・ムーンが1978年に亡くなり、代わりに元スモール・フェイセスのケニー・ジョーンズが加入したということでしょう。

 代役にフィル・コリンズも名乗りをあげたという話もありましたが、彼らが選んだのがケニーでした。

 しかし、キース・ムーンの代役など誰も務まるわけはなく、ボーカルのロジャー・ダルとリーはこう回想しています。

 

「僕は彼が悪いドラマーだって言っているんじゃない。悪いヤツだって言っているわけでもない。ヤツを嫌ってもいない。だけど、彼はザ・フーに合っているドラマーじゃなかったんだと感じただけだ。まるで、キャデラックのホイールを外して、ロールスロイスにつけたようなものだ。素晴らしいホイールだ、だけど間違っている」

            (UCR  : February 27, 2021)

 

  ロジャーは「ユー・ベター・ユー・ベット」の収録されたアルバム「Face Daces」の多くの曲を録音し直したいと語っていますが、この「ユー・ベター・ユー・ベット」だけは、彼の最も好きな曲の一つになっているそうです。

 

 この曲に限っては、キース・ムーンのハイテンションで破天荒なドラミングより、タイトな感じが合っていたのかもしれません。1981年といえば、パンク・ブームもおさまり、打ち込みのジャストなタイミングの音楽が旬になってきたころですし。

 

 同じポップな曲調なのに、こっちは荒々しくテンションが高いですね。1978年の彼らのヒット「フー・アー・ユー」。

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「人生は野菜スープ(Life is a Minestrone)」10cc(1975)

 おはようございます。

 今日は10ccの「人生は野菜スープ」です。

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I'm dancing on the White House lawn
Sipping tea by the Taj Mahal at dawn
Hanging round the gardens of Babylon
Minnie Mouse has got it all sewn up
She gets more fan mail than the Pope
She takes the mickey out of all my phobias
Like signing cheques to ward off double pneumonia

Life is a minestrone
Served up with parmesan cheese
Death is a cold Lasagne
Suspended in deep freeze

I'm leaning on the Tower of Pisa
Had an eyeful of the tower in France
I'm hanging round the gardens of Madison
And the seat of learning, and the flush of success
Relieves a constipated mind
I'm like a gourmet in a skid row diner
A fitting menu for a dilettante

Life is a minestrone
Served up with parmesan cheese
Death is a cold Lasagne
Suspended in deep freeze

Love is a fire of flaming brandy
Upon a crepe suzette
Let's get this romance cooking, honey
But let us not forget

Life is a minestrone
Served up with parmesan cheese
Death is a cold Lasagne
Suspended in deep freeze

 

Life is a minestrone
Served up with parmesan cheese
Death is a cold Lasagne
Suspended in deep freeze

Love is a fire of flaming brandy
Upon a crepe suzette
Let's get this romance cooking, honey
But let us not forget

Life is a minestrone
Served up with parmesan cheese
Death is a cold Lasagne
Suspended in deep freeze

Life is a minestrone
Served up with parmesan cheese
Death is a cold Lasagne
Suspended in deep freeze

Mine, Mine, Mine, Minestrone...

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僕はホワイトハウスの芝生の上で踊ったり

夜明けにタジマハールでお茶をいただいたり 

バビロンの庭をぶらついている

ミニーマウスはすべてを支配し

ローマ法王よるたくさんのファンレターをもらってる

彼女は僕の恐怖症を全部冗談にしてくれる

両側性肺炎を撃退するために小切手にサインするみたいに

 

人生はミネストローネ

パルメザンチーズのかかった

死は冷たいラザニア

冷凍で保存されたままの

 

僕はピサの斜塔に寄りかかっている

エッフェル塔はじゅうぶん見たよ

僕はマディソンの庭をぶらついている

そして教室の座席と成功の予感は

糞詰まりの心をやわらげてくれる

僕はスラム街の食堂の美食家みたいさ

好事家にはぴったりなメニューさ

 

人生はミネストローネ

パルメザンチーズのかかった

死は冷たいラザニア

冷凍で保存されたままの

 

愛はクレープシュゼットの上で

ブランディーにつけられた

このロマンスを料理しようよ、ハニー

でも、忘れないようにね

 

人生はミネストローネ

パルメザンチーズのかかった

死は冷たいラザニア

冷凍で保存されたままの

 

人生はミネストローネ

パルメザンチーズのかかった

死は冷たいラザニア

冷凍で保存されたままの

 

愛はクレープシュゼットの上で

ブランディーにつけられた

このロマンスを料理しようよ、ハニー

でも、忘れないようにね

 

人生はミネストローネ

パルメザンチーズのかかった

死は冷たいラザニア

冷凍で保存されたままの、、、    (拙訳)

 

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 ”Life is a Minestrone”(人生はミネストローネ)。

 腹の底から理解したわけじゃないのに、「確かにそうとも言えるよなあ、うん、うん」などとついうなづいてしまいたくなる、魅力的なタイトルです。

 1975年当時は、日本でもミネストローネは当然あったのでしょうけど、いまほど普通に定着はしていなかったので、「人生は野菜スープ」という邦題にしたのでしょう。

それに、「人生はミネストローネ」より「人生は野菜スープ」のほうがなんかいいですね。語感も雰囲気も。「人生はミネストローネ」というと、どこか1990年代にミニシアター系で上映されたイタリアのコメディ映画のタイトルみたいですし。

 

 

  さて、この「Life is a Minestorone」という言葉はメンバーの”空耳”だったようです。

作者の一人、エリック・スチュワートはこう語っています。

 

「ストロベリー・スタジオのスタジオでレコーディングが終わって、ロル・クレームはその時僕と一緒に住んでいて、車で家に向かいながらBBCラジオを聴いていると男が「mmmrrhhr mmhmrmr strone」と言ったんだ。 すると、ロルが「今の男、” life is a minestrone”って言った?」ときいてきたんだ。僕はよくわからないけど、なんてすごい曲、なんてすごい曲のアイデア、なんてすごいタイトルなんだ、って言ったんだ。人生はミネストローネ、そうだろ?それは僕たちがそこに積み上げてきたもの全部の混合物なんだから、もちろん、僕たちは腰を落ち着けてLife Is A Minestrone を書き始めて、それでじゃあ、死とは何だろう?死は冷たいラザニアに違いない、 3日も冷蔵庫に入れられて、誰も食べたくないものなんだ。そういう、食べ物やフィーリングとか一度うまく調子に乗ってアイディアが浮かぶと、一日で書きあげてしまったんだ」

 (http://www.the10ccfanclub.com/  BBC RADIO WHALES interview)

 

 10ccのメンバーはポップでソングライター志向の強いエリック・スチュワートとグレアム・グールドマン(「アイム・ノット・イン・ラヴ」)と、実験的でサウンド・クリエイター志向の強いケヴィン・ゴドレイ、ロル・クレーム(「ドナ」)の2チームに別れることが多いのですが、この曲はエリックとロルというクロスオーヴァーした組みわせで書かれているんですね。

 

  その結果、ポップで明快なところと、凝ってひねくれたところが、絶妙にとけあった傑作になったと思います。

 この曲は「アイム・ノット・イン・ラヴ」が収録されていることで知られるアルバム「オリジナル・サウンド・トラック」に収録されました。そして、エリックの元に同業者から賛辞が届いたそうです。

 

「ロイ・ウッドから素敵な電報をもらったんだ。こう書いてあった『あの曲をリリースしなきゃダメだ。すごいナンバー・ワンになるよ。君らがいてくれることを神に感謝したい。イギリスの音楽は救われた』その電報は今も家にあるよ」

 (http://www.the10ccfanclub.com/  BBC RADIO WHALES interview)

 

 ブリティッシュ・ポップの鬼才、ロイ・ウッドに”イギリスの音楽は救われた”とまで言わしめた曲なんですね。

 そして、この曲はシングルとしてリリースされると全英7位と、彼らの代表曲のひとつになりました。

 

 

 ちなみに、ふと思い出したのですが、僕は「人生は野菜スープ」は10ccの歌より先に片岡義男の小説のタイトルとして認識していました。主人公が新宿歌舞伎町の映画館で知り合った風俗嬢とのやりとりをドライに描いたすごく雰囲気のある中編でした。もちろん、片岡が10ccの曲のタイトルにインスパイアされて書いたものなのですが。「Life is a Minestorone」も「人生は野菜スープ」も、創作意欲をかりたてるタイトルなんでしょう。

 

 最後はTV番組で彼らがこの曲を演奏している動画を。

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