まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「ハーヴェスト・ムーン(Harvest Moon)」ニール・ヤング(1992)

 おはようございます。

 今日は”中秋の名月”ということで、ニール・ヤングの「ハーヴェスト・ムーン」です。

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Come a little bit closer
Hear what I have to say
Just like children sleeping
We could dream this night away
But there's a full moon rising
Let's go dancing in the light
We know where the music's playing
Let's go out and feel the night


Because I'm still in love with you
I want to see you dance again
Because I'm still in love with you
On this harvest moon


When we were strangers
I watched you from afar
When we were lovers
I loved you with all my heart
But now it's getting late
And the moon is climbing high
I want to celebrate
See it shining in your eye

 

Because I'm still in love with you
I want to see you dance again
Because I'm still in love with you
On this harvest moon


Because I'm still in love with you
I want to see you dance again
Because I'm still in love with you
On this harvest moon

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もう少しそばに来て
君に言わなくちゃいけないことがあるんだ
眠っている子供みたいに
僕たちは今夜夢見て過ごすことができるかも
だけど満月が登ってくる
灯の下で一緒に踊ろう
どこで音楽が鳴っているかわかってる
外に出て夜を感じよう


だって今も君に恋をしているから
もう一度踊る君を見たいんだ
だって今も君に恋をしているから
このハーヴェスト・ムーンの夜に


僕たちが他人だった頃は
遠くから君を見ていた
恋人同士になると
心の底から君を愛した
だけど、夜は更けてゆく
月は高く昇ってゆく
僕は祝いたい
君の目に輝く月を見て


だって今も君に恋をしているから
もう一度踊る君を見たいんだ
だって今も君に恋をしているから
このハーヴェスト・ムーンの夜に

 

だって今も君に恋をしているから
もう一度踊る君を見たいんだ
だって今も君に恋をしているから
このハーヴェスト・ムーンの夜に

 (拙訳)

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 1960年代半ばから音楽活動を始めていたニール・ヤングは1980年代も精力的に活動し、テクノからロカビリーなどアルバムを出すたびにスタイルを変えたため、レコード会社から真剣に売ろうとしていない、といって訴えられたことさえあったそうです。

 そして、1980年代後半は、大音量でノイジーなバンド・サウンドを聴かせ、当時人気だった”グランジ・ロック”の父とも呼ばれていました。

 

 1989年「Rockin' in the Free World」。同年代のロック・ミュージシャンたちがおとなしくなっていく中で、このパワーはすごかったですね。

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 そして、凄まじいライヴ・パフォーマンスを行い、その模様は1991年のライヴ・アルバム「アーク」と「ウェルド」におさめられています。特に「アーク」は35分のワントラックのみで、轟音のノイジーサウンドが延々と続くものでした。

 

 

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  しかし、このスタイルは40歳半ばになっていた彼には、やはりハードなものだったようです。

「『アーク/ウェルド』のあと、それ以上のことができなかった。精力を使い果たしてしまったんだ。そこから逃れて、回復するまでに、長い時間がかかった。本当に極限まで消耗してしまったんだよ」

 (「ニール・ヤング 傷だらけの栄光」)

 疲労だけではなく、彼は耳をかなり悪くしてしまっていたようです。

 

 そして、彼は自分の原点であるアコースティック・ミュージックに戻ることにします。

 そして、作られたアルバムが、この「ハーヴェスト・ムーン」を表題曲とする「ハーヴェスト・ムーン」でした。

 彼のフォーク・ロックのスタイルを愛し、近年のノイジーなロックに戸惑っていた古いファンたちは手放しで歓迎しました。

 しかも、彼の最高傑作である「ハーヴェスト」とタイトルも似ている上に、「ハーヴェスト」に参加していたザ・ストレイ・ゲイターズ(ジャック・ニッチェ、ベン・キース、ティム・ドラモンド、ケニー・バトレー)、リンダ・ロンシュタットジェイムズ・テイラーなどが、このアルバムに集っていたから、あたかも「ハーヴェスト2」のように受け止められたのです。

 

 「ハーヴェスト」と「ハーヴェスト・ムーン」はメンバーやサウンドが近いからこそ、その違いがはっきり出ている2作だと思います。「ハーヴェスト」は内向的なベクトルなパワーが強く感じますが「ハーヴェスト・ムーン」のほう時はもっと外に向けて開かれたニュアンスがあって、もっとアメリカン・ルーツ・ミュージックに近い印象があります。

 ニール本人もこの2作は全く違うものだと語っていて、それを”thrust"(推力)の違いだと言っているのですが、難しいですね。なんとなく理解できるような気もしますが。

 

「ハーヴェスト・ムーン」は結婚生活の長い夫婦が、ハーヴェスト・ムーンの夜に踊りながら、もう一度その関係に新鮮さを取り戻そうという歌で、MVの中で彼が一緒に踊っているのは本物の奥さんだそうです。

 原点に戻って、というこの曲の姿勢が、そのまま、自分の音楽的な原点に戻ろうとする彼の姿勢と重なるところが興味深いところです。

 

  また、僕が興味を惹かれたのは”ハーヴェスト”じゃなく”ムーン”のほうです。彼の曲の中で28曲に”月”が登場し、月が彼の指針となっていて、満月の日には彼はプロジェクトを引き受けやすいと音楽業界では言われているそうです。

2005年のHarpという雑誌のインタビューで彼はこう語っていたそうです。

「宗教が組織化されるよりも前に、月はあったんだ。インディアンは月について知っていたし、異教徒たちは月に従った。僕も思い出せる限り月に従ってきた、それが僕の宗教なんだ。僕は特に何か実践してはいないし、読まなければならない本があるわけでもない。満月の雰囲気の中で仕事をするのは危険になりうるんだ。何か間違ったことがあれば、本当にうまくいかないことがありから。だけど、それはすごいことなんだ、特にロックンロールにとってはね」

 

 満月の夜にロックンロールをやると、失敗する危険もあるけど、何か特別なものにもなり得る、ということでしょうか。満月とロックンロール、不思議な魔力を持つもの同士が化学反応をおこすのかもしれませんね。

 そして、この「ハーヴェスト・ムーン」という曲についても、彼にとっては月の存在の方が大事だったんですね。

 

 その後彼は、現在に至るまで凄まじい勢いで作品をリリースし続けています。もう直ぐ76歳、多くのロック・レジェンドたちの中でも、エネルギーは飛び抜けています。

彼はかつてこう語っていました。

「若い頃は、経験がないんだ、エネルギーが充電されてもコントロールできないのさ。そして年をとると、エネルギーがなくなっていて、あるのは記憶だけ。だけどもし、充電されて自分の身の回りのことから刺激をうけて、かつ経験もあるとすると、何を尊重し、何をやり過ごすべきかわかるんだ。そうすると、本当にうまく進めるんだ」

 (Rolling Stone  JANUARY 21, 1993)

「物事をいつも新鮮な状態に保つ、いつも気持ちを新たにする、それが大切。型にはめられてしまったり、同じことを繰り返すばかりでなく、新しい何かを発見しようと努め、初めて触れた時のように、それを感じることが大事なんだよ」

 (「ニール・ヤング 傷だらけの栄光」)

 

 僕も長く仕事をしてきて、経験からくるノウハウがかなり蓄積された実感があるんですが、今度はそれを使おうにも逆にすぐ”ガス欠”になることが悩みです(苦笑。今のノウハウと、若い頃のエネルギーがあったら、すごかっただろうななんて思ってしまうこともあるのですが、そんなこと言っても”しゃあない”ので、意識的に好奇心を持って新鮮さをキープしていかなきゃなあ、とつくづく思います。

 満月とは関係のないシメですが、、。

 最後はLAで活動する”Poolside"というデュオのカバーです。自分たちのスタイルを”デイタイム・ディスコ”と表現しているそうです。

 

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「スレッジハンマー (Sledgehammer)」 ピーター・ガブリエル(1986)

 おはようございます。

 今日はピーター・ガブリエルの「スレッジハンマー」です。

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You could have a steam train
If you just lay down your tracks
You could have an aeroplane flying
If you bring your blue sky back
All you do is call me
I'll be anything you need


You could have a big dipper
Going up and down, all around the bends
You could have a bumper car, bumping
This amusement never ends


I wanna be your sledgehammer
Why don't you call my name?
Oh, let me be your sledgehammer
This will be my testimony


Show me 'round your fruit cage
'Cause I will be your honey bee
Open up your fruit cage
Where the fruit is as sweet as can be


I want to be your sledgehammer
Why don't you call my name
I'm going to be-the sledgehammer
This can be my testimony
I'm your sledgehammer
Let there be no doubt about it


I get it right
I kicked the habit(Kicked the habit, kicked the habit)
Shed my skin(Shed my skin)
This is the new stuff(This is the new stuff)
I go dancing in(We can go dancing in)
Oh, won't you show for me?(Show for me)
I will show for you(Show for you)
Show for me(Show for me)
Oh, I will show for you
Yeah, yeah, yeah, yeah, yeah, I do mean you
(Show for me)
Only you
You've been coming through
(Show for you)
I'm gonna build that power
Build, build up that power, hey

Come on, come on, help me do
Come on, come on, help me do
(Show for you)
Yeah, yeah, yeah, yeah, yeah, yeah, yeah, yeah, you
(Show for me)
I've been feeding the rhythm
I've been feeding the rhythm
Show for you
It's what we're doing, doing
All day and night

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君は蒸気機関車だって持てるんだ
そこに線路を敷くだけで
君は飛行機だって持てるかもしれない
もし君が自分の青空を取り戻したら
僕のことを呼ぶだけでいいのさ
君が必要なもの何にだってなるよ

ジェットコースターだって君のものさ
上がったり下がったり、ぐるっと曲がったり
バンパー・カーだって君のもの
バンバンぶつかって
このお楽しみは終わりはしない


僕は君のスレッジハンマーになりたい
なぜ僕の名前を呼んでくれない?
ああ、君のスレッジハンマーにしてほしい
これは僕の宣誓なんだ


君のフルーツケージの中を見せて
僕は君のミツバチになるから
君のフルーツケージを開いて
果実が一番甘くなる場所さ


僕は君のスレッジハンマーになりたい
なぜ僕の名前を呼んでくれないんだ?
僕がスレッジハンマーになるよ
これが僕の宣誓さ
僕は君のスレッジハンマー
疑いの余地もなく

 

よくわかったんだ
習慣なんか捨てて
殻を脱ぎ捨てて
これが新しい僕さ
踊りに行くよ
僕に見せてくれないか
君に見せてあげるよ

僕に見せてよ
君に見せてあげるさ
Yeah, yeah, yeah, yeah, yeah  君のことなんだ
君だけさ 君はがんばってやってきた 
あの力を蓄えてゆく、どんどんどんどん

さあ、僕に力を貸して
さあ、僕に力を貸して
僕はこのリズムをもっと盛り上げているんだ

それが僕らがやること 朝から晩まで

さあ、僕に力を貸して

僕はこのリズムをもっと盛り上げているんだ

 (拙訳)

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  1980年代のポップ・ミュージックは、イギリスの白人アーティストの多くがR&Bを取り入れた楽曲で大ヒットを飛ばしたという大きな潮流がありました。ワム、カルチャークラブ、フィル・コリンズユーリズミックス、ポール・ヤング、スタイル・カウンシル、などなど。

 このピーター・ガブリエルの「スレッジハンマー」もその代表的なものです。

ただし、他のアーティストはモータウンなどの都会的に洗練されていて、イギリスのクラブ・シーンで人気の”ノーザン・ソウル”の影響を感じさせるものが多かったのですが、「スレッジハンマー」はアメリカ南部の”サザン・ソウル”のフィーリングが色濃く出ているところが印象的でした。

 

 ピーター・ガブリエルのキャリアは”ジェネシス”というバンドから始まっています。ジェネシスパブリック・スクールで友人になったトニー・バンクスと曲を作り始め、そこにクリス・スチュワートが加わり、学校で別のバンドをやっていたアンソニー・フィリップスマイク・ラザフォードが加わり、最終的にジェネシスになります。1967年のことでした。

  そして彼らは1968年に「The Silent Sun」という曲でデビューします。これは、彼らのプロデューサーのジョナサン・キングがビー・ジーズの大ファンだったことから、彼らがそれに”寄せた”曲だと言われています。

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 しかし、その後彼らは難解で長尺なプログレッシヴ・ロックの方向にシフトしていき、ライヴは舞台的な演出のアート志向の強いものになり、そのメイン・アクトとしてピーターはキツネのマスクな奇抜な衣装やメイクで評判になりました。

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 ピーター在籍時のジェネシス最大のヒット「I Know What I Like」(全英21位)

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 1975年に彼がジェネシスを抜けると、バンドの主導権をフィル・コリンズが握り、ポップな方向に変わっていくとともに商業的にも大きな成功をおさめていきます。

 

 彼はソロ活動を始め、1977年のソロ・デビュー曲「Solsbury Hill」が全英13位とヒットを記録し、こちらも人気アーティストとしての地位を固めていきます。

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  彼がアメリカで最初にヒットしたのはこの曲、1982年の「ショック・ザ・モンキー」(全米29位)。

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 僕がそうでしたが、ピーター・ガブリエルというとアーティスティックで難解なイメージがあったのですが、その印象を覆したのがこの「スレッジハンマー」で、全米NO.1に輝きました。イギリスも1位かなと思ったら意外にも4位が最高でした(やっぱりイギリス人はノーザン・ソウルっぽい方が好きなのかな、なんて思ったりしますが)。

 

 この曲ではR&Bのフィーリングが強く打ち出されていますが、彼はもともとソウル・ミュージックに大きな影響を受けていました。

 はじめてバンドを組んだパブリック・スクール時代に”ラム・ジャム・クラブ”というスカやR&Bをかけるサロンに出かけたことがきっかけだったそうです。

 

 「観客として人生最高のギグだった。オーティス・レディングが歌っていて、ウェイン・ジャクソンがトランペットを吹いていて、まさにその夜、僕は自分のヒーローを見つけたんだ。オーティスは”Try a Little Tenderness”を熱唱し、観客との信頼関係は並外れていた。僕はクラブの中央に立って、自分が目立たないようにできるだけ前の方に行った、そして、生涯ミュージシャンでいたいと心に決めたんだ」

 (SPIN   August 4 2019)

 

 そして、彼はオーティス・レディングなどを輩出したアメリカ南部のレーベル”スタックス・ボルト”に夢中になり、R&Bのカバー・バンドでドラムを叩くようになったといいます。

 そして、彼にとって”人生最高のギグ”だったオーティス・レディングのステージでトランペットを吹いていたウェイン・ジャクソンを、この「スレッジハンマー」のレコーディングに招いて吹いてもらっているんですね。

 ただし、ホーン・セクションすべてをウェインのようなスタックス系で固めるのではなく、サックスはビリー・ジョエル・バンドのマーク・リベラにしたり、サンプリングしたり、レトロではなく、あくまでもハイブリッド、いろんなものを掛け合わせて最新種を作ろうとする意図が感じられます。

 それから、歌詞にbig dipperとかfruit cageとか、セクシャルな意味のあるスラングを入れているのも、ピーターがブルースなどから引用したものだと推測している記事もありました。

 さて、タイトルの「スレッジハンマー」、でかいハンマーなんですが、どうして曲名になったかについてプロデューサーのダニエル・ラノワはこう語っています。

「僕たちはある体制を作り上げようと決めたんだ、労働倫理みたいなね。そこで僕たちは、建設作業員のように仕事に現れるというアイデアをちょっと楽しんだんだ。黄色いヘルメットをかぶってね。

 みんなヘルメット姿で現場に現れるんだ。そして、僕はいつも「さあ、スレッジハンマーで叩こう!」と言うんだ。その日の仕事を終えると、スレッジハンマーにまつわる話がたくさんあったんだ。ピーターはそこからタイトルをつけたのだと思うよ。つまり、僕たちが楽しんで、そして働いた、それが一体になっているんだ」

 (songfacts)

 

 最後は「スレッジハンマー」が収録された大ヒットアルバム「so」から、ケイト・ブッシュとのデュエット「Don't Give Up」を。アメリカのルーツ・ミュージックを参照して作った曲だったので、彼はデュエット相手として最初ドリー・パートンをリクエストして断られたそうです。ドリー・パートンとのデュエット、ちょっとイメージできないですよね。僕はケイト・ブッシュで良かったと思います。

 

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「アセンション(ASCENSION(Don't Ever Wonder))」マックスウェル(1996)

 おはようございます。今日はマックスウェルの「アセンション」です。

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It happened the moment, when you were revealed
Cause you were a dream that you should not have been
A fantasy real
You gave me this beating baby
This rhythm inside
And you made me feel good and feel nice and feel loved
Give me paradise


So shouldn't I realize
You're the highest of the high
If you don't know, then I'll say it
So don't ever wonder (don't ever wonder)
So shouldn't I realize (shouldn't I realize)
You're the highest of the high
If you don't know, then I'll say it
So don't ever wonder


So tell me how long
How long it's gonna take until you speak, babe
Cause I can't live my life
Without you here by my side
You gave me the feelin', feelin' in my life


So shouldn't I realize
You're the highest of the high
If you don't know, then I'll say it
So don't ever wonder wonder (don't ever wonder wonder)
Shouldn't I realize shouldn't I realize
You're the highest of the high
You're the highest of the high
If you don't know, then I'll say it
So don't ever wonder wonder
So don't ever wonder wonder
Shouldn't I realize
You're the highest of the high
If you don't know, then I'll say it
So don't ever wonder wonder (don't ever don't ever wonder)
(don't ever wonder)
(don't ever wonder)
(don't ever wonder)
Never wished that
(don't ever wonder)
(without you, don't ever wonder)
(don't ever wonder)
(can't you see don't ever wonder)
(can't you see don't ever wonder)

 

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その瞬間に起こったんだ 君が現れた時さ
君は夢のような人だったから
ファンタジーであるべきじゃなく、現実のね
君のせいでこんなに鼓動が高鳴るんだ ベイビー
この胸のリズム
そして、君は僕を気持ちよく、素敵に
そして愛されていると感じさせてくれた
僕にパラダイスをくれた


気づくべきじゃなかったのか
君はは最高の中の最高だってことに
もし君が知らないのなら、僕が言うよ
だから、不思議に思わないで
だから、気づくべきじゃなかったのか
君は最高の中の最高の人だってことに
君が知らないなら、僕が言うよ
だから、不思議に思わないで


だから教えてほしい
君が話してくれるまでどれだけの時間がかかるのか、ベイブ
君がそばにいなきゃ僕は生きていけないから
君は僕に生きる実感を、喜びを与えてくれた


気づくべきじゃなかったのか
君はは最高の中の最高だってことに
もし君が知らないのなら、僕が言うよ
だから、不思議に思わないで
だから、気づくべきじゃなかったのか
君は最高の中の最高の人だってことに
君が知らないなら、僕が言うよ
だから、不思議に思わないで

   (拙訳)

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 1990年代半ばのR&Bシーンの大きな潮流として、”ニュー・クラシック・ソウル”というものがありました。その後”ネオ・ソウル”と言う言葉に集約されることが多くなりますが、あと、結局定着はしませんでしたが”ソウル・ルネッサンス”と表現していたメディアも当時アメリカではありました。

 

 1970年代前半のマーヴィン・ゲイダニー・ハザウェイカーティス・メイフィールドスティーヴィー・ワンダーといった”ニュー・ソウル”と呼ばれていた、都会的で内省的なR&Bの影響を受けながら、ヒップホップ世代らしいセンスもしっかり反映させたアーティストたちが続々デビューしていったのです。

 

 その中心にいたのがディアンジェロでした。「Brown Sugar」(1985)

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 女性ではこの人、エリカ・バドゥ「On& On」1997

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 そして、ディアンジェロの対抗馬として現れたのがこのマックスウェルでした。

 実は当時僕はレコード会社の洋楽部で、彼のデビュー・アルバム「アーバン・ハング・スイート」の担当者でした。ディアンジェロとはかなり違う音楽性だなと思いましたが、ディアンジェロより全然僕の好みの音楽でもありました。

 

 ディアンジェロエリカ・バドゥは1970年代のニュー・ソウルの影響がダイレクトに現れていますが、マックスウェルの場合は、1980年代前半から半ばにイギリスでニュー・ソウルの再評価があったのですが、その感覚を感じました。70年代から”直”じゃなく、70年代のアメリカから、80年代のイギリスで”一回バウンドしてきたような音楽でした。

 

 マックスウェルは本名をジェラルド・マクスウェル・リビエラといい、1973年ニューヨークでプエルトリカンの父とハイチ出身の母との間に生まれています。

 最初はバプティスト教会で歌い始めたそうですが、本格的に音楽に取り組むようになったのは17歳になってからで、友人からもらった安いカシオのキーボードを使って自作の曲を作り始めたといいます。

 19歳になった彼は、昼間はウェイターをしながら、ニューヨークのクラブでパフォーマンスを始め、デモテープを友人たちに配り始めます。当時は歌手としてやる自信がなくソングライターとして売り込みをしていました。 このデモが関心を呼び、マンハッタンのナイトクラブでパフォーマンスをすると、それを見た黒人向けカルチャー誌「Vibe」のライターが彼を「次のプリンス」と呼美、業界内で噂になっていったようです。

 そしてレコード会社が決まると、R・ケリーの「12Play」のエンジニアだったピーター・モクランを共同プロデューサーに作業が始まり、そこからまた別のプロデューサーに声がかかりました。

 

 シャーデー・アデュとともに、”シャーデー”を始めたスチュワート・マシューマンでした。

 レコード会社の人間から聴かされたデモは驚嘆するべきものでしたが、”もうすでに完成されている”とも思ったそうです。

 マシューマンは、シャーデーのパーカッションをやっていたカール・ヴァンデン・ボッシェやシャーデーのエンジニアだったマイク・ペラとマックスウェルの作品を3曲手がけることになります。

 マックスウェルはその当時シャーデーのアルバム『Love Deluxe』(1992)に夢中になっていたそうで、その意図が反映された人選だったのかもしれません。

 

 当時アメリカのレコード会社から送られてきたプロフィールには彼のことを”男性版シャーデー”と表記していたように記憶しています。この辺りの人選がディアンジェロエリカ・バドゥと大きく違うところでしょう。

 

 アルバムからのファースト・シングルは「ノックはやさしく(...Til the Cops Come Knockin)」で、現在に至るまで彼の制作パートナーであるホッド・デイヴィッドと共作し、ピーター・モクランがプロデュースとミックスを手がけています。

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  螺旋のようなファルセットで押し通すすごい曲なんですが、無名の新人のデビュー曲としてはハードルが高すぎたんですね、全米ヒットチャート入りせず、R&Bチャートでも79位と惨敗でした。

 そこで次のシングルは、ノリのいい聴きやすいものにしようということになったのでしょう、選ばれたのがこの「アセンション」でした。

 マックスウェルとこの曲を共作したのが、イタール・シュール。サンタナの超特大ヒット「スムース」をのちに書く人です。彼は当時”グルーヴ・コレクティヴ”というアシッド・ジャズ・バンドに参加していました。

 「僕とマックスウェルは、”ジャイアント・ステップ”というクラブでよく遊んでいたんだ。”ジャイアント・ステップ”は、90年代前半から半ばにかけてニューヨークでウケていたアシッド・ジャズ、ファンク、ソウル、をやっているとてもクールなクラブだった」

 「マックスウェルと一緒に僕が以前住んでいたブルックリンの小さな部屋で何曲か作って、その中のひとつが「Ascension」だった、ぴったりなベースラインができるまで2~3回変更したよ。それから、スタジオに入って、トラックを流して、グルーヴ・コレクティヴのベーシストであるジョナサン・マロンが弾いてくれたんだけど、最も印象的なベースラインのひとつだよ。また、シャーデーのギタリストであるスチュアート・マシューマンがギターを弾いてくれた。僕はキーボードを弾き、ドラムプログラミングをやった。マックスはあの曲のAメロw作っていて、サビはまだ作っていなかった。彼は、最終的にうまくいくものを思いつくまで3つか4つのサビを試したよ」

   (Songfacts)

 「アセンション」は”アシッド・ジャズ”系のミュージシャンたちで作られた曲なんですね。そう思うと、当時のアメリカのR&Bのトラックとちょっと違うことがわかります。

 この曲は全米36位、R&B8位、イギリスでも28位とスマッシュヒットを記録します。

 

 そしてこの曲の次のシングルが「ソウル・シティ・グルーヴ(Sumthin' Sumthin')」。この曲を彼と共作したのがレオン・ウェアでした。マーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」というアルバムは、本来レオンが自分用のアルバムとして録音したトラックにマーヴィンが歌ったという逸話はファンからはよく知られています。

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 ”90年代のマーヴィン”とも呼ばれたマックスウェルはマーヴィンについてこう語っています。

 「僕はもちろんマーヴィン・ゲイ氏に会う機会はなかったけれど、彼が「アイ・ウォント・ユー」でやった全てのアドリブやすべての音楽的な要素を知っているし、「離婚伝説(Hear、 My Dear)」に至るまでの曲や、有名な曲も。だけど僕が最も惹きつけられるのは、いつだって彼のあまり評価されていない音楽なんだ、僕にとってはそれが彼がアーティストであり続けたときだから、言うのは辛いけど、僕はそれに苦しんできたんだ」

 (The Believer  January 31st, 2020)

 

 この時代というのはマーヴィンの「ホワッツ・ゴーイン・オン」の神格化が進んでいた頃で、いろんなアーティストがその影響を口にし、何かにつけアンセムのように歌っていた時代です。

 そんな中で彼は「アイ・ウォント・ユー」から「離婚伝説」の頃の、人間的にはダメダメ(?)で、性的な愛情に溺れていたころのマーヴィンにどうしようもなく惹かれ、肩身の狭い思いをしていたのかもしれませんね。

 

 しかし、そういった彼の特異な個性は、時とともに際立っていき、当時は後塵を拝していたディアンジェロエリカ・バドゥに全くひけを取らないアーティストになっています。この「アセンション」はネオソウルのアーティストの曲でYouTubeで最も再生されているのではないでしょうか。

 

 最後は「アセンション」のリミックスを。ジャム&ルイスがプロシュースしたSOSバンドの「No One's Gonna Love You」のトラックを使っています。

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「第一級恋愛罪 (Love In the First Degree)」バナナラマ (1988)

 おはようございます。

 今日はバナナラマの「第一級恋愛罪(Love In the First Degree)」です。

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Last night I was dreaming
I was locked in a prison cell
When I woke up I was screaming
Calling out your name

 

And the judge and the jury
They all put the blame on me 
They wanna tell from my story
They want to hear my plea

 

Only you can set me free
'Cause I'm guilty 
Guilty as a girl can be
Come on baby, can't you see
I stand accused
Of love in the first degree

(Guilty) Of love in the first degree

 

Someday I'm believing
You will come to my rescue
Unchain my heart, you're keepin'
Let me start anew

 

The hours passed so slowly
Since they've thrown away the key
Can't you see that I'm lonely
Won't you help me please

 

Only you can set me free
'Cause I'm guilty 
Guilty as a girl can be
Come on baby, can't you see
I stand accused
Of love in the first degree

 

(Guilty) Of Love in the first degree

(Guilty)Of Love
(Guilty)Of Love in
(Guilty) Of Love
(Guilty) Of Love in
(Guilty)Of love in the first degree

 

And the judge and the jury
They all put the blame on me
They wanna tell from my story
They wanna hear my plea

 

Only you can set me free
'Cause I'm guilty (Guilty)
As a girl can be
Come on baby, can't you see
I stand accused
Of love in the first degree

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昨晩、夢を見ていたの
牢屋に閉じ込められて
目覚めた時には叫んでいたわ
あなたの名前を大声で呼びながら

 

そして、裁判官と陪審員
みんな私に責任を押しつけてくる
彼らは私からいろいろ聞き出して
嘆願するのを聞きたいの

 

あなただけが私を自由にできる
だって、私は有罪だから 
有罪、女の子なら問われる罪で
さあベイビー、わからないの?
私は告発されているの
第一級の恋愛罪で

 

有罪、第一級の恋愛罪で

 

いつの日か、私は信じている
あなたが助けに来てくれるって
私の心の鎖を外して そのままに
新しく始めさせてくれる

 

時間がゆっくりと流れたわ
彼らが鍵を捨ててしまったときから
私がさみしいってわからないの?
助けてください、どうか

 

あなただけが私を自由にできる
だって、私は有罪だから 
有罪、女の子なら問われる罪で
さあベイビー、わからないの?
私は告発されているの
第一級の恋愛罪で

(有罪) 第一級の恋愛罪で


そして、裁判官と陪審員
みんな私に責任を押しつけてくる
彼らは私からいろいろ聞き出して
嘆願するのを聞きたいの

あなただけが私を自由にできる
だって、私は有罪だから 
有罪、女の子なら問われる罪で
さあベイビー、わからないの?
私は告発されているの
第一級の恋愛罪で

      (拙訳)

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 バナナラマは1980年にロンドンで幼馴染だったカレン・ウッドワード、サラ・ダリンの2人がシヴォーン・ファーイと出会い、意気投合したことがきっかけで結成されています。

 彼女らちの最初のデモは、Black Bloodの「AIE A MWANA」をカバーしたもので、スワヒリ語で歌われていたものでした。この時点ではグループ名は決まっていませんでしたが、バナナはトロピカルな響きでいいと思い、ロキシー・ミュージックの大ファンだったサラが彼らの曲名から「Pyjamarama」を選んで合体させ”Bananarama"にしたそうです。

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 この曲を気に入ったのがスペシャルズテリー・ホールでした。彼は彼女たちに連絡を取り彼の新しいバンド、ファン・ボーイ・スリーのアルバムのいくつかの曲で歌ってほしいと頼みます。そのうちの1曲が「T'AINT WHAT YOU DO」で、全英4位の大ヒットになります。

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これ、もう「マカレナ」ですね。元は古いジャズの曲らしいですが、ロス・デル・リオはこれ聴いてたんじゃないでしょうか。

 このヒットのお礼として、ファン・ボーイ・スリーは彼女達の「REALLY SAYING SOMETHING」という曲に参加、全英5位のヒットになります。

  その後スパンダー・バレエの「トゥルー」などを手がけたヒット・プロデューサー・チーム、ジョリー&スウェインのもとで「シャイ・ボーイ」(全英4位)「クルーエル・サマー (ちぎれたハート)」(全英8位、全米9位)「愛しのロバート・デ・ニーロ」(全英3位) などをヒットさせました。

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 そして、彼女たちは新しいプロデューサーと組むことになります。それが、ストック・エイトキン・ウォーターマン(SAW)でした。彼女たちから(特にシヴォーンが)彼らにアプローチしたようです。

 マイク・ストックはこう語っています。

 バナナラマは「ユー・スピン・ミー・ラウンド」(デッド・オア・アライヴ)をラジオを聴いて、同じエネルギーを望んでストック・エイトキン・ウォーターマンの元に来たんだ。僕は「ヴィーナス」の彼女達のヴォーカルを2時間でレコーディングした。彼女たちにはそれが信じられなかったんだ。通常は2日かけていると彼女たちは言っていた。だけど、僕の考えじゃ、できるだけ早くスタジオに来て、すぐにプロモーションに行ってもらって、あとはプロデューサーに任せてもらった方がいいんだ。時間の制限がなければヴォーカルを永遠に修正できるさ。僕は5~6人のアーティストを扱っていて、全員について僕が曲を書き、ヴォーカル録りをして、プロデュースを求められているんだ。座っておしゃべりする暇なんてないんだ」

 (Billboard  3/3 2021)

 1960年代のモータウンのように、ベルトコンベア式にヒットを作る”ヒット・ファクトリー”を標榜していた彼らのスタイルだったのでしょう。

 そして「ヴィーナス」はイギリスでは8位でしたがアメリカなど多くの国でNO.1になりました。1960年代のショッキング・ブルーのヒット「ヴィーナス」を「ユー・スピン・ミー・ラウンド」のサウンドでやった、と考えると確かに理解しやすいですね。

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 そして、SAWと組んだ次のヒットが、昨日このブログで取り上げましたマイケル・フォーチュナティから盗用を訴えられた「アイ・ハド・ア・ルーマー」で、その次のシングルがこの「第1級恋愛罪(Love In the First Degree)」でした。

 彼女たちのレパートリーの中で最も明快でポップなものになったこの曲はアメリカでは48位とふるいませんでしたが、イギリスでは3位と彼女たちの最大のヒットになりました。

 この曲を最も気に入っているのはピート・ウォーターマンで、こんな風に語っています。

「『第1級恋愛罪』は彼女たちの曲の中でも最も好きな曲で、自分の葬式でもこの曲を流してほしいよ。僕のようなモータウン・ファンからしたら、スプリームスじゃないアーティストが作ったものでスプリームスのレコードに最も近いものだと思う。あのレコードで、僕たちはそれを正々堂々と証明したと思う」

ベリー・ゴーディが、この曲が発売された直後にラジオ1に出演して、(司会の)サイモン・ベイツから『ピート・ウォーターマンというモータウンのことをよく知っている男がいる』と言われ、『第1級恋愛罪』は自分が作ったことのない曲の中で最高の曲だよ、と答えたんだ。それは、僕たちが常に目指していたことであったので、目標を達成したように感じたよ」

 (Official Charts  02 November 2017

 

 ストック・エイトキン・ウォーターマンの中で、彼だけがこの曲の曲作りにタッチしていないとバナナラマのメンバーが主張した、なんて過去の記事も見つかりましたが、ともかく、1980年代にイギリスのモータウンを目指した彼らの到達点の一つがこの曲だったということなんですね。

 

 この曲がリリースされた頃にはシヴォーンが脱退し別のメンバーが入りますが数年後に脱退すると、バナナラマはカレンとサラの2人組で活動していました。

 しかし2017年にシヴォーンが一時的に復帰しツアーをやっていたようです。その時のライヴでこの曲をやっているものを最後に。

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 彼女たちのカバーで再び脚光を浴びた大ヒット曲

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ストック・エイトキン・ウォーターマンといえば

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「ギヴ ・ミー ・アップ(Give Me Up)」マイケル・フォーチュナティ(1986)

 おはようございます。

 今日はマイケル・フォーチュナティの「ギヴ・ミー・アップ」です。

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Is it the first time in your life
Or is it just another one-night stand
Do you wanna make a fool of me
Just like you do it to all those other guys

Now I'm leading your life on my own on these days
And I don't want to mess with no woman
Get me out on your skin
No, that's hard. I can see
But you're back to save your love, but you can't


Give me up, oh, give me up
Oh, give me up, oh, give me up

You got this on your mind
For love isn't sin, I just don't have no time
I'm telling you again and again
You'd better stop this playing on my mind

Take an intermit stand cause you don't have a clue
Now I'm reading off time before you
Shout it out on the roof as you must understand
I got somebody else on my mind

Give me up...

*************************************************************

君の人生で初めてのことなのかい?
それとも、ただ一夜限りの恋なのか
僕をからかいたいのかい?
他の男たちにするように

今や僕が君の人生を導いているんだ
最近はね
女性と揉め事なんてごめんだ
僕を君から離してくれ
いや、それは難しいことさ、わかってるよ
だけど、君は自分の愛を救おうと戻ってきた
でもそれはできないさ

あきらめるんだ、僕のことはあきらめるんだ
あきらめるんだ、僕のことはあきらめるんだ

君は心の中じゃこう思っている
愛は罪じゃないってね
僕にはただ時間がないだけさ
何度も何度も君に言うよ
僕の心を弄ぶのはやめた方がいいって

もうやめてしまおう 君はわかっちゃいないんだから
僕は君に出会う前からやり直すんだ
屋根の上で叫ぶさ 君が理解するように
僕の心には別の人がいるんだ、と

あきらめてくれ

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 マイケル・フォーチュナティは1955年にイタリアで生まれ、本名をPierre Michel Nigroといいます。Nigroという名字は、イタリア人の血統を持つローラ・ニーロの本名(Laura Nigro)と一緒なんですね。(マイケル・フォーチュナティとローラ・ニーロの名字は一緒だったのか!なんて感心している人間は僕くらいでしょうけど(苦笑))

 ローラ・ニーロのように、英語圏では”Nigro”という名字は、人種差別的誤解を持たれる可能性があるので、彼も芸名をつけたのかもしれません。

 

 ただし、彼が育ったのはフランスで、彼の他の兄弟とともに1960年代に"Moonlights"や70年代には”Carré D'As”というグループを組んで活動していたようです。しかし、バンドはうまくいかず失望していると、兄弟の末っ子のマリオがディスコ系の楽曲を作ったから歌ってくれないかと持ちかけます。

 

 ”ユーロビートの帝王”のスタートは、別のダンス・ミュージックが好きだから、とか、ダンス・ミュージックで儲けてやろうなんていう強い野心があったからじゃなく、”弟に頼まれて歌った”ということだったんです。

 

 

 そして、そのデモがベルギーのプロデューサーに認められデビューすることになります。彼は兄弟グループでのリリースを望んだそうですが、そのプロデューサーはマイケル一人でやるつもりでした。

 その、彼のソロ・アーティストとしてのデビュー・シングルがこの「ギヴ・ミー・アップ」でした。1986年ですから、彼はもう30歳を過ぎていたんですね。

 フランス語でなく英語で歌ったのは、曲調とサウンドが英語の方がしっくりしたことと、海外での成功を期待したという理由がありました。

 マイケルは近所に住んでいたイギリス人の助けを借りて歌詞を書いたそうです。フランスの音楽業界はフランス語の曲の方が有利で、英語のため出れなかったTV番組もあったそうですが、クラブを中心に火がつき。フランス、そしてベルギーとフランス語圏(ベルギーの場合、他の言語も使いますが)でNO.1になっています。

 

 この曲が大ヒットすると、同じ1986年にフランス語でのカバーがリリースされヒットしたそうですが、タイトルが「KAMIKAZE」でした。同じ年にフランスで「神風」という映画(リュック・ベッソン製作)が公開されていたので、それにあやかったのかもしれません。

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 そして、この曲は日本にも伝わり”マハラジャ”などのクラヴでブレイクしたのでしょう、1986年11月にアルファ・レコードから発売され、その後大人気コンピレーションになる「ザッツ・ユーロビート」のVol.1の第1曲めにこの「ギヴ・ミー・アップ」が収録されました。

 そして1987年には日本の女性デュオ"Babe"がこの曲のカバーでデビュー。オリコン8位のヒットになっています。アレンジは大村雅朗でした。

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 そして同じ1987年に彼は東京音楽祭で来日し、それ以降、現在に至るまで、日本だけではリリースとライヴが絶えない、という特殊なアーティストになっています。

 

 ちなみに、ストック・エイトキン・ウォーターマンが作った「アイ・ハド・ア・ルーマー(噂)」(1987)はこの曲を盗用したということで、マイケルが彼らを訴え、長い裁判の結果、印税の一部を得るかたちで決着したそうです。

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  彼は”ユーロビートの帝王”と呼ばれるようになるわけですが、彼の発言で興味深かったのは、日本のユーロビートの好みは海外のものよりテンポが速いので、日本用に作る必要がある、と言っていたことです。

 ユーロビートはダンス・ミュージック史上日本人に最もフィットしたものと言っていいと僕は思っているのでが、作る側はちゃんと日本人の好みに合わせて作っていたんですね。

 エイベックスは当初「スーパー・ユーロビート」というコンピレーションで大当たりして拡大していった会社で、そこから小室哲哉サウンドにつながってゆくわけです。

 

 その流れの起点には、フランスに住んでいたイタリア系の兄弟が作った曲があったというわけです。

 最後は彼のもう一つの代表曲「イントゥ・ザ・ナイト」を。

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「ギヴ・ユー・アップ(Never Gonna Give You Up」リック・アストリー(1987)

 おはようございます。

 今日はリック・アストリーの「ギヴ・ユー・アップ」を。

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We're no strangers to love
You know the rules and so do I
A full commitment's what I'm thinking of
You wouldn't get this from any other guy

I just wanna tell you how I'm feeling
Gotta make you understand

Never gonna give you up
Never gonna let you down
Never gonna run around and desert you
Never gonna make you cry
Never gonna say goodbye
Never gonna tell a lie and hurt you

We've known each other for so long
Your heart's been aching, but you're too shy to say it
Inside, we both know what's been going on
We know the game, and we're gonna play it

And if you ask me how I'm feeling
Don't tell me you're too blind to see

Never gonna give you up
Never gonna let you down
Never gonna run around and desert you
Never gonna make you cry
Never gonna say goodbye
Never gonna tell a lie and hurt you
Never gonna give you up
Never gonna let you down
Never gonna run around and desert you
Never gonna make you cry
Never gonna say goodbye
Never gonna tell a lie and hurt you

Ooh (Give you up)
Ooh-ooh (Give you up) Ooh-ooh
Never gonna give, never gonna give (Give you up)
Never gonna give, never gonna give (Give you up)

We've known each other for so long
Your heart's been aching, but you're too shy to say it
Inside, we both know what's been going on
We know the game, and we're gonna play it

I just wanna tell you how I'm feeling
Gotta make you understand

Never gonna give you up
Never gonna let you down
Never gonna run around and desert you
Never gonna make you cry
Never gonna say goodbye
Never gonna tell a lie and hurt you
Never gonna give you up
Never gonna let you down
Never gonna run around and desert you
Never gonna make you cry
Never gonna say goodbye
Never gonna tell a lie and hurt you
Never gonna give you up
Never gonna let you down
Never gonna run around and desert you
Never gonna make you cry
Never gonna say goodbye
Never gonna tell a lie and hurt you

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僕らは愛を知らないわけじゃない
君はルールを知っているし、僕だってそうさ
僕の考えていることは、全面的なコミットメントさ
他のヤツからは得られないものなんだ

僕がどう感じているか伝えたいんだ
君に理解してもらわなければ

決して君をあきらめない
決して君を失望させない
あなたを浮気して見捨てたりしない
あなたを泣かせたりしない
サヨナラなんて言わない
あなたを嘘をついて傷つけはしない

僕たちはお互い知り合って長くなるね
君の心が痛んでいるけど
君はあまりにシャイでそれが言えない
心の中では、二人とも何が起こっているのかわかってる
僕たちはこのゲームを知っていて
プレイするつもりさ

そして、もし君が僕がどんな気持ちかってたずねたら
何もわからないなんて言わないで

決して君をあきらめない
決して君を失望させない
あなたを浮気して見捨てたりしない
あなたを泣かせたりしない
サヨナラなんて言わない
あなたを嘘をついて傷つけはしない
決して君をあきらめない
決して君を失望させない
あなたを浮気して見捨てたりしない
あなたを泣かせたりしない
サヨナラなんて言わない
あなたを嘘をついて傷つけはしない

僕たちはお互い知り合って長くなるね
君の心が痛んでいるけど
君はあまりにシャイでそれが言えない
心の中では、二人とも何が起こっているのかわかってる
僕たちはこのゲームを知っていて
プレイするつもりさ

僕がどう感じているか伝えたいんだ
君に理解してもらわなければ

決して君をあきらめない
決して君を失望させない
あなたを浮気して見捨てたりしない
あなたを泣かせたりしない
サヨナラなんて言わない
あなたを嘘をついて傷つけはしない
決して君をあきらめない
決して君を失望させない
あなたを浮気して見捨てたりしない
あなたを泣かせたりしない
サヨナラなんて言わない
あなたを嘘をついて傷つけはしない、、、

       (拙訳)

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  昔の大ヒット曲でも、今もなお人気があるものとあまり聞かなくなったものは、結構はっきり分かれていますが、このリック・アストリーの「ギヴ・ユー・アップ」、”当時はすごい流行ったけどあのユーロビートサウンドは今聴くとちょっと恥ずかしいよな〜なんて思いながらチェックしてみたらビックリ、ミュージックビデオは2009年にYouTubeにアップされてから10億回を突破し、Spotifyでは約4億6000万回再生されています。

 例えば、マイケル・ジャクソンで言えばYouTubeで一番再生されているMVが「ビリー・ジーン」でやはり約10億回ですから、この「ギヴ・ユー・アップ」の人気ぶりがよくわかります。

 80年代のヒットでは、1位がa-ha「テイク・オン・ミー」で13億回、2位がガンズの「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」で12億回、3位がそして、「ビリー・ジーン」でその次が「ギヴ・ユー・アップ」でした。

 

 しかし、よくよく調べてみると、2006年に画像掲示板”4chan"に、リンクをクリックすると勝手にこの曲の動画に飛ぶといういたずら、いわゆるミームがきっかけで、世界的に再生されたようで(この現象を”Rickrolling”と呼ぶそうです)、しかも、そのサウンドのある意味”ダサさ”がかえって面白がられたという側面があったようで、それが彼がアーティストとして復活するきっかけにもなったそうですから、世の中何が起こるか本当にわからないものですね、、、。

 

 アストリーは1966年にイギリスのランカシャー州で生まれています。

 1985年に彼は”FBI”というソウル・バンドのドラムを叩いていたそうですが、リード・シンガーがバンドを脱退したため、リード・ヴォーカルをやりたいと申し出たのだそうです。そして、プロデューサーのピート・ウォーターマンに注目され、ロンドンで彼のレコーディング・スタジオで"お茶汲み”から”テープ出し”などの仕事をしながらデビューを目指すことになりました。単なる雑用ではなく、飛び抜けてシャイな彼にスタジオに慣れてもらうという意図もあったそうです。

 

 ピート・ウォーターマン1984年に、マイク・ストックとマット・エイトキンから「Upstroke」という作品のプレゼンを受け、彼らとチームを組むことになります。

 (マイクとマットにとってピートは実は”第三志望”のプロデューサーだったそうです)

 それが、<ストック・エイトキン・ウォーターマン>ですね。モータウンの<ホランド=ドジャー=ホランド>を連想させるようなヒット請負3人組であり、90年代の小室哲哉を先取りするかのような、スタイルの明快なダンス・ミュージックで一世を風靡しました。

 基本音楽的にはストックとエイトキンが動き、それをウォーターマンが特別なビジネス感覚でまわしていたようです。

 彼らの最初の作品がその「Upstroke」(Agents Aren't Aeroplanes)でした。ストックとエイトキンは”女性版フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド”として構想したようです。

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 当時”Hi-NRGハイエナジー)”、ディスコをよりエレクトロ化しテンポもあげたいわば”変異種”ですね、それがアメリカから渡ってきてヨーロッパで人気になってきたので、彼らはいち早くそれを取り入れたわけです。

 そして、1985年には全英1位のヒットを飛ばします。

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 彼のレコード・デビューは1987年、リサ・カーターという女性とのデュエットでストック・エイトキン・ウォーターマンの作品ではなく、ベルギーとオランダでのみチャートインして終わっています。

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 そして、ソロ・シンガーとしてのデビューとなったのが、この「ギヴ・ユー・アップ」でした。

 プロデュースしたストック・エイトキン・ウォーターマンはこの頃はバナナラマカイリー・ミノーグなどを大ヒットさせていました。モータウンの大ファンだったウォーターマンは、ソウルフルな声を持つリックにモータウンのカバーをやらせたいと思ったそうですが、オリジナルで勝負するべきだと考えた他の2人から反対されたそうです。

 

 この曲のアイディアについて、マイク・ストックはこう回想しています。

「リック・アストリーの曲では、カイリーやバナナラマのようなサウンドにはしたくなかったので、コロネル・エイブラムスの『Trapped』という曲に注目して、あのシンコペーションの効いたベースラインを、僕たちの曲に合うように再現したんだ。それが、この曲を成功させるための特別な要素となった。だけど曲をちゃんと形にするのには何ヶ月かかかった。絶えずというわけじゃないけど、僕らはいつも後回しにしている曲がたくさんあって、その日のうちに違う曲をいくつも作業していたんだ」」

  (The Guardian 2017年3月)

   スタジオで働かされていたリックのデビューは、後回しにされていたんですね。

 ちなみにコロネル・エイブラムスの「Trapped」はこんな曲です。

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 「ギヴ・ユー・アップ」は、イギリスのシングルチャートで5週間トップになり、全米でも1位、合計25カ国で1位を獲得しました。

 しかし、MTV全盛の時代にもかかわらず、チャート1位になるまでミュージックビデオは作られなかったそうで、彼のことを声だけで黒人だと思っていた人も多かったそうです。

 そこから快進撃が続き「トゥゲザー・フォーエヴァー」も全英2位、全米1位になります。

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 しかし、4枚のアルバムを発表した1993年に彼は引退を決意します。まだ27歳でした。

  ツアーやプロモーションでひたすら移動を繰り返すうちに飛行機恐怖症になってしまったといいます。

 「ニューヨークに向かうためにヒースロー空港に向かう車の中で、マネージャーに涙ながらにこう言ったんだ。”車を止めてくれ。もうこれ以上は無理だよ。死んでしまいそうさ”って。子供の頃はポップスターになりたいと思っていたけど、それが嫌になるところまできてしまって、自分自身を嫌いになりそうだからこの仕事をやめなければいけなかった」

(Songfacts)

 彼は引退し、しばらくは子育てをメインにするおだやかな生活を過ごしていたそうです。

 復活を果たしたのは2001年、五枚目のアルバムをドイツだけでリリースをしました。

そして2005年には全世界でのリリースになるアルバム「ポートレイト」をリリース、そのあと例の”Rickrolling”の騒ぎで注目を集めます。

 しかし、次のリリースは11年後の2016年までブランクが空きますが(2012年にアルバムをリリースする予定でしたが頓挫してしまったようです)、発売したアルバム「50」はファースト・アルバム以来なんと29年ぶりの全英NO.1に輝くという、見事な復活劇を見せてくれました。

 

 最後は2019年のワイト島フェスティバルで彼がこの曲を歌っている映像を。

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「とどかぬ愛(INVISIBLE)」アリソン・モイエ(1984)

 おはようございます。

 今日はアリソン・モイエの「とどかぬ愛」です。

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You've got me so confused
And there's words I could use
But I'm afraid to say them
I feel I've been had and I'm boiling mad
Still I can't live without you
You don't have the time
And you won't spend a dime
Not even to call me
Oh, you don't know I exist
And I wouldn't be missed
If I had the nerve to quit you

Invisible
I feel like I'm invisible
You treat me like I'm not really there
And you don't really care
I know this romance
It ain't going nowhere

Invisible
(Just like your love)
You treat me like I'm invisible
When you get the need to flirt
You do the works
You just don't care how much it hurts

I can never reach you on the phone
It rings and rings when I know you're home
It may be naïve, but I just wanna believe
I'm the only one, hey, baby
I tell myself lies and give you alibis
Knowing your promises you'll never keep
Like a merry-go-round
I'm going up, going down
I'm on a dead end street

Invisible
(Just like your love)
I feel like I'm invisible
You treat me like I'm not really there
And you don't really care
I know this romance
It ain't going nowhere

Although I know it's not a lot
Don't wanna lose what little we got
I keep hanging on knowing I can't win
'Cause it's too hard start over again

Invisible
I feel like I'm invisible
You treat me like I'm not really there
And you don't really care
I know this romance
It ain't going nowhere

Invisible
(Just like your love)
You treat me like I'm invisible
When you get the need to flirt
You do the works
You just don't care how much it hurts...

 

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あなたに心乱されて
言いたい言葉もあるわ
だけど、それを言うのが怖い
いいように使われて頭にきてるの
それでもあなたなしでは生きられない
あなたには時間がないのね
そして、あなたは小銭も使いたくないのね
私に電話するためさえも
私の存在だって知らないんでしょ
だから寂しくないのね
もし私があなたをふる度胸があったとしても

見えてないのね
透明人間になった気分よ
あなたは、私がそこにいないみたいに私を扱う
そして、あなたは本当に気にしない
このロマンスは
どこにも行かないことはわかっているわ

見えないの
(ちょうどあなたの愛みたいに)
あなたは私を透明人間のように扱って
女が欲しい時には
ちゃんとお務めを果たして
それがどれだけ傷つくことか気にもしてないの

電話じゃあなたに絶対繋がらない
家にいるとわかっていても、ベルが鳴り続けるだけ
考えが甘いかもしれないけど、信じたいの
私がたった一人の人だと、ねえ、ベイビー
自分に嘘をついて、あなたにアリバイを与える
あなたは決して約束を守らないと知りながら
メリーゴーランドみたいに
私はアップダウンの繰り返し
私は行き止まりにいるんだわ

見えないの
(ちょうどあなたの愛みたいに)
透明人間になった気分
あなたは、私がそこにいないみたいに私を扱う
そして、あなた本当に気にしない
このロマンスは
どこにもたどりつかないことはわかっているわ

沢山ではないとわかっていても
私たちが手にしたわずかなものを失いたくない
このままでは勝てないと思って頑張るけど
何度も何度もやり直すのは大変だから

見えないの
透明人間になった気分
あなたは、私がそこにいないみたいに私を扱う
そして、あなた本当に気にしない
このロマンスは
どこにもたどりつかないことはわかっているわ

見えないの
(ちょうどあなたの愛みたいに)
あなたは私を透明人間のように扱って
女が欲しい時には
ちゃんとお務めを果たして
それがどれだけ傷つくことか気にもしてないの

         (拙訳)

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 アリソン・モイエはイギリスのエセックス州出身のシンガー。1980年代のイギリスの音楽シーンの大きな潮流であった、R&Bの影響の強い白人シンガーの代表格として大変人気がありました。

 1982年、彼女が二十歳のときに、元デペッシュ・モードのヴィンス・クラークとともにシンセポップ・デュオ「ヤズー(Yazoo)」を結成しプロとしてのキャリアをスタートさせました。

  そして、ヤズーはいきなり「オンリー・ユー」(全英2位。フライング・ピケッツのカバーも大ヒットしました)「Don't Go」(全英3位)と大ヒットを飛ばします。

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 しかし、1983年にわずか2年で解散し、彼女はソロ・キャリアをスタートさせました。

 彼女はヤズー参加前にはブルース・バンドのヴォーカルをやっていたそうで、オーセンティックな黒人音楽を好んでいた彼女にとって、ヤズーは本来やりたいものとは違っていたのでしょう。

 彼女のソロ・プロジェクトのプロデュースを担当したのはスティーヴ・ジョリーとトニー・スウェインの”ジョリー&スウェイン”。この時はまさに彼らに注目が集まっていてた時期で、1983年にはこんな大ヒット曲を手掛けていました。

 スパンダー・バレエ「トゥルー」

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 バナナラマ「クルーエル・サマー(ちぎれたハート)」

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彼らのプロデュースで、ほとんどの曲をアリソンと3人で作ったアルバム「アルフ」からは「ラヴ・レザレクション」(全英10位)「オール・クライド・アウト」(全英8位)とヒットが立て続けに出て、アルバムは全英1位の大ヒットになりました。

 ラヴ・レザレクション

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 そして三枚目のシングルで、アルバムで唯一、彼ら以外の作家が書いた曲がこの「とどかぬ愛」でした。

 書いたのがラモン・ドジャースプリームスの「愛はどこにいったの」「恋はあせらず」などの数々の大ヒット曲を始め、1960年代のモータウンのヒットの多くを手がけたチーム、ホランド=ドジャー=ホーランドの作曲面の中心となっていた人ですね。

 80年代前半の彼は作曲家ではなく、アーティストとしてアルバムを精力的にリリースしていました。1981年の「Working On You」というアルバムは日本のAORファンにも人気の好盤だったりするのですが、セールス自体はあまり振るわなかったようです。

 

 そんな中でこの「とどかぬ愛」は、ラモンにとって久しぶりのヒットでもあったわけです(全英21位 全米31位)。アリソンにとっても彼女の唯一のアメリカTOP40ヒットでもあります。

 ラモンは自叙伝で「僕を経済的に立ち直らせてくれたという意味ではターニング・ポイントになった曲だ」と書いています。

 しかし、アリソンは2017年のインタビューでこう語っています。

「私はもう『とどかぬ愛』を歌わないわ。それは言葉が好きではないから、歌詞に心を通じさせることができないし、身体的な感覚として好きじゃないの」

 (NZ Herald  15 Jun, 2017)

  また別のインタビューではこう語っています。

「私が不満に思うのは、その人の最高の作品はいつも一番売れたものだと決めてかかられることなの。だから、その特定の期間にしばられてしまうことになる。私は自分の20代が嫌なの。私は本当にミドルエイジが好きだし、今のような人間になったことに満足している。私の最大の成功は商業的成功と何の関係もないわ」

 (Classic Pop 2017)

 また、彼女は自分の歌を褒められるより、歌詞を褒められるほうが嬉しいと語っていて、天性のシンガーである彼女をしてそこまで思わせることが、商業的な成功をした日々の中であったのだろうなとただ推測するしかありません。

 

  彼女の近作は2017年のアルバム「Other」。確かに「とどかぬ愛」とは、スタイルはかなり隔たりがあると思います。

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 最後は「とどかぬ愛」のライヴ動画。1987年のプリンス・トラスト(チャールズ皇太子が主催していたチャリティ・イベント)の模様のようです。R&Bっぽいコーラスもいいですね、時代的にまだちょっとバンドサウンドが軽いですけどね。もっと、もっと、R&B寄りすれば今でもいけそうな気がしますが、、。

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