まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます

「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー(Will You Love Me Tomorrow)」シュレルズ(1960)

 おはようございます。

 今日はシュレルズの「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」です。

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Tonight you're mine, completely
You give your love so sweetly
Tonight the light of love is in your eyes
But will you love me tomorrow

Is this a lasting treasure
Or just a moment's pleasure
Can I believe the magic in your sighs
Will you still love me tomorrow

Tonight with words unspoken
You say that I'm the only one
But will my heart be broken
When the night meets the morning sun

I'd like to know that your love
Is a love I can be sure of
So tell me now and I won't ask again
Will you still love me tomorrow

So tell me now and I won't ask again
Will you still love me tomorrow
Will you still love me tomorrow
Will you still love me tomorrow

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今夜あなたは私のもの、間違いなく

私に愛をくれるの、とてもやさしく

今夜あなたの瞳に愛の灯りがともる

だけど、明日も私を愛してくれるの?

 

この恋は永遠の宝物なの?

それともひとときの楽しみ?

あなたの吐息の魔法を信じていいの?

明日も私を愛してくれる?

 

今夜言葉にすることなく

あなたは私がただ一人の人だと伝えてくれた
だけど私のハートはこわれてしまいそう

この夜が朝日に出会う頃には

 

私は知りたいの

あなたの愛が私にとって確かなものなのか

だから今教えて、もう二度と訊かないから

明日も私を愛してくれる?

 

だから今教えて、もう二度と訊かないから

明日も私を愛してくれる?

明日も私を愛してくれる?

明日も私を愛してくれる?             (拙訳)

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 けっこう年をとっている僕でさえ(?)まだ生まれていなかった時代のヒット曲なので、若い頃はいわゆる”オールディーズ”のひとつとして聴いていたのですが、年とともにこの曲のすごさをひしひしと感じるようになりました。

 例えて言うならなら、世界に数多あるティーン・エイジャーを描いたラブ・ソングをすべてかき集めて、“ろ過”を延々と繰り返してゆくと最終的にこの曲が残る、とでもいいますか。

 余計なものは何一つなく、ラブソングの大事なエッセンスだけが凝縮されているように思えるのです。

 本心では不安がいっぱいで永遠を約束して欲しいという気持ちを歌にしながら、最後の一行は”ずっと愛してくれる?”じゃなくて”明日も愛してくれる?”とする、ところは本当に見事です。

 

 この歌詞を書いたのはジェリー・ゴフィン。男性なんです。そして作曲は彼のパートナー、キャロル・キングです。

 若い女の子の気持ちがあまりに自然に描かれているので、多くの人が歌詞もキャロルが書いたと思いこんでいたといいます。

 キャロルはジェリーのことを

「彼は人間の本性を男女を超えて理解できる人」(「キャロル・キング自伝」)

 と評しています。

 かつて松田聖子松本隆のことを、女の子以上に女の子の気持ちをわかる歌詞を書く、といったことを話していたのをおぼえていますが、そう言う作詞家の元祖はジェリー・ゴフィンになるのかもしれませんね。

 

 さてシュレルズ(The Shirelles)はアメリカ、ニュージャージー出身の黒人女性4人グループ。メインボーカルのシャーリー・オーウェンズ(Shirley Owens)のShirleyの前半の音節と、当時人気のあった黒人ガール・グループ”シャンテルズ”(The Chantels)の語尾-elsを合わせて、シュレルズになったのだそうです。

 当初は”シャネルズ”(Chanels)が候補だったそうですが、シャンテルズと似過ぎているので、シャーリーが自らが自分の名前をもじったシュレルズを提案し、他のメンバーはしぶしぶ同意したようです。

 

 1958年にレコードデビュー、最初のヒットは「Tonight's the Nightという曲でした。(全米39位R&B14位)


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  この当時、アメリカのポップス・ヒットの多くは音楽出版社と契約する作家たちが書いたものですが、その中でもニューヨークのブロードウェイを中心とするエリアがその”メッカ”となっていました。

 そして、シュレルズの次の曲を獲得しようと、各音楽出版社は躍起になったわけですが、その中でもキャロル・キングとジェリー・ゴフィンが所属する”アルドン・ミュージック”は気合が入っていて、契約作家全員にせっせとハッパをかけて曲を書かせました。

その中で選ばれたのがこの曲で、シュレルズのレコード会社の社長とプロデューサーにプレゼンした結果、直ぐに気に入られ、そのままキャロルはレーベルのスタジオでデモを録ったそうです。

  当初キャロルが弾き語りで歌ったデモをシャーリーは、カントリー&ウェスタンっぽくて嫌だと難色を示したそうですが、もっとポップにアレンジすると説得したと言われています。

 アレンジの一番の特徴はストリングスでそれを提案したのはジェリーだったそうです。ストリングス・アレンジはキャロルがやることになりました(彼女にとっての初の弦アレンジでした)。

 そのアレンジの参考にしたのが、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーがプロデュースしたドリフターズの「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」だったそうです。R&Bコーラスに弦やティンパニーなどクラシック楽器を合わせることは当時大変に画期的なことでした。

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 そしてこの曲は全米1位に輝きます。これは黒人女性グループで史上初の快挙でした。

まだ駆け出しだったキャロル・キングとジェリー・ゴフィンにとっても初めてのNO.1になります。この曲が100万枚を超えると、アルドン・ミュージックのトップ、ドン・カーシュナーはリムジンをチャーターしキャロルをピックアップさせてから、ジェリーの職場まで行かせ直接その報告をさせました。それまで日中は化学者(!)として仕事をしていたジェリーはその報告を聴くと、間もなく仕事を辞め、二人とも音楽の仕事に専念できるようになったそうです。

 

 この曲が大ヒットした1961年にシュレルズはもう1曲、日本のポップス・ファンにもお馴染みの、ビートルズがカバーしたことでも知られるヒット曲を出しています。「ベイビー・イッツ・ユー」。作曲したのはバート・バカラックです。

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最後に「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」のカバーを。

 

 やはり一番有名なのは作者キャロル・キング本人によるカバー。名盤「つづれおり」の収録されています。

 コーラスはジェイムス・テイラージョニ・ミッチェル。当時恋人同士だった二人は仲良さそうに並んで歌っていたそうです。キャロルのボーカルにジョニのコーラスが重なるところは何度聴いてもぐっときてしまいますね。

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 1970年代にはこのカバーも隠れた人気がありました。デイヴ・メイソンフィル・スペクター風のドラムはジェフ・ポーカロです。

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   1983年のディオンヌ・ワーウィックのカバーでは、シュレルズがゲズト参加、冒頭はシャーリーがメインを歌っています。プロデュースはルーサー・ヴァンドロス、弦アレンジはジミー・ウェッブ。

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   この曲のカバーは本当にたくさんありますが、1960年代はシュレルズのポップス風、キャロル・キング以降はバラードでのカバーが多いですね。

 ローラ・ニーロスモーキー・ロビンソンロバータ・フラック、フランスワーズ・アルディ、ブライアン・フェリー、エイミー・ワインハウスビー・ジーズ、、、本当に興味深いカバーばかりですので、ぜひ一度チェックしてみてください。

 

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「ビコーズ(Because)」デイヴ・クラーク・ファイヴ(1964)

 おはようございます。

 今日はデイヴ・クラーク・ファイヴの「ビコーズ」です。

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It's right that I should care about you
And try to make you happy when you're blue
It's right, it's right to feel the way I do
Because, because, I love you

It's wrong to say I don't think of you
'cause when you say these things
You know it makes me blue

Give me one kiss and I'll be happy
Just, just to be with you
Give me, give me a chance to be near you
Because, because, I love you

Give me one kiss and I'll be happy
Just, just to be with you
Give me, give me a chance to be near you
Because, because, I love you

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君のことを気にかけるのはあたりまえのことさ
君が落ち込んだ時にハッピーにしてあげることもね
そうさ、そんな風に感じるのは間違いじゃない
だって、だって、君を愛しているから

 

君のことを思っていないなんて言うのは間違いさ
君がこんなことを言ったら
僕はブルーになってしまうからさ

 

一回キスしてくれたなら、僕もう幸せさ
ただ、ただ、君と一緒にいるだけで
どうか、どうか、君のそばにいれるチャンスがほしい
君を愛しているから

 

一回キスしてくれたなら、僕もう幸せさ
ただ、ただ、君と一緒にいるだけで
どうか、どうか、君のそばにいれるチャンスがほしい
君を愛しているから                  (拙訳)

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 彼らはロンドンの北、トッテナムで生まれ育ったドラマーのデイヴ・クラークを中心に結成されたバンドで、1958年に彼とギターのクリス・ウォールズが音楽誌(メロディ・メイカー)にメンバー募集の広告を出しメンバーが集められました。

    当初はスタン・サクソンというボーカリストをメインにしていましたが、さまざまなメンバー・チェンジの後、サクソンとも別れ、バンドは1962年1月に再編成することになります。

 そしてその年にレコード・デビューします。「Chaquita」というエキゾティックなインストナンバーでした。チャンプスの「テキーラ」(1958)をぐっと妖しくクールにした感じですね。

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 その後、メジャー英Columbiaと契約2作目のモータウン・ナンバーのカバー「Do You Love Me」(コントゥアーズ)が全英30位になると、その次のシングル「グラッド・オール・オーバー」が全英1位に輝きます。

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 ビートルズの「抱きしめたい」を蹴落としての1位でしたので、マスコミはこぞって彼らをビートルズの対抗馬として扱い始めました

 ビートルズに代表される”リバプールサウンド”に対抗して彼らは”トッテナムサウンド”と評されたそうですが、アメリカでは違いがわからないので、アメリカのレーベルは”リヴァプールのビートを持ったマージーサウンド”としてビルボードに広告をうっていたそうです。

  その広告の効果があったのかわかりませんが、彼らはアメリカでもブレイクし(全米6位)、ビートルズの3週間後に「エド・サリバン・ショー」にも出演しました。

 

 そんなこともあって、彼らはアメリカでもビートルズのライバルとして扱われ、当時の音楽雑誌はでは”ビートルズVSデイヴ・クラーク・ファイヴ”という見出しが踊り、学校では”あなたはどっち派?”みたいな感じで盛り上がったそうです。

 

 そしてその次のシングル「Bits and Pieces」も全米4位、全英2位のヒットとなります。

 足を踏み鳴らすようなドラム・サウンドとサックスが、トッテナムサウンドの象徴なんでしょうね

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 そして、その次にバンドが用意した曲がこの「ビコーズ」でした。

  レコード会社はノリのいい曲で売れていた彼らがバラードを出すことをためらったようで、イギリスでは「Can't You See That She's Mine(邦題:カッコいい二人)」という曲のB面でリリースされました。しかし、アメリカではなんとかシングルにしてほしいとデイヴが強くアピールしたそうで、「Can't You See That She's Mine」の2ヶ月後にシングル・リリースすると全米3位の大ヒットになったのです。

 

   曲を書いたのはデイヴ・クラークとヴォーカルのマイク・スミス。彼らのヒット曲の多くをこの二人が書いています。

  デイヴはバンドのリーダーであり、マネージャーのように管理面も、音楽ビジネスにおいての戦略にも長けていた人物だと言われています。幼い頃からクラシック・ピアノを学び音楽的な才能に長けていたマイクはそんな彼の音楽的なアイディアを具現化するのにぴったりで、息が合っていたとデイヴは回想しています。

 そして「ビコーズ」は彼らが、自分たちのレパートリーの中で最短、1時間もかからず作った曲だったらしく(「グラッド・オール・オーバー」も1時間くらいで書いたそうです)、

  ”the best songs you write, they don’t take long”

 (最高の楽曲は、作るのに長く時間はかからないものさ)

 と語っています。(引用:Best Classic Band)

 

   この曲がヒットした1964年にはビートルズより早く全米ツアーも行ったそうで、この年を分岐点にして、彼らは本国イギリスよりアメリカで人気のあるグループになっていきました。(シングルのチャートアクションを見ても、本国イギリスよりアメリカの方で全然上でした)

 

 1965年には「Over and Over」が、念願の、そして彼らにとって唯一となる全米NO.1ヒットになりました。

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 その後彼らの人気は徐々にスローダウンしてゆき、1970年に解散してしまいます。

 もともとデイヴはバンドの原盤や著作権を自ら管理するという、当時としてはめずらしい、ビジネスの才を持っていたので、その後も起業家として億万長者になったそうです。

 マイクはバンド解散後、ソロで野心的な成功を狙う気持ちはなかったようで、他のアーティストのプロデュースや作曲、CMやジングルなどを作っていたようです。

 

 最後はこの曲のカバーを。ジュリアン・レノン。かつてのライバル・バンドの息子がカバーしたのだと思うと、また味わい深いものがあります。

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「ジョニー・エンジェル(Johnny Angel)」シェリー・フェブレー(1962)

 おはようございます。

 今日はシェリー・フェブレーの「ジョニー・エンジェル」を。

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(Johnny Angel, Johnny Angel, Johnny Angel, Johnny Angel)
You're an angel to me

Johnny Angel, how I love him
He's got something that I can't resist
But he doesn't even know that I exist

Johnny Angel, how I want him
How I tingle when he passes by
Every time he says "Hello" my heart begins to fly

(I'm in heaven) I get carried away
I dream of him and me and how it's gonna be
(Other fellas) call me up for a date
But I just sit and wait, I'd rather concentrate

On Johnny Angel (Johnny Angel)
'Cause I love him ('cause I love him)
And I pray that someday he'll love me
And together we will see how lovely heaven will be

(I'm in heaven) I get carried away
I dream of him and me and how it's gonna be
(Other fellas) call me up for a date
But I just sit and wait, I'd rather concentrate

On Johnny Angel (Johnny Angel)
'Cause I love him ('cause I love him)
And I pray that someday he'll love me
And together we will see how lovely heaven will be

(Johnny Angel, Johnny Angel)
Johnny Angel (Johnny Angel) you're an angel to me

(Johnny Angel, Johnny Angel)
Johnny Angel (Johnny Angel) you're an angel to me

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(ジョニー・エンジェル、ジョニー・エンジェル、ジョニー・エンジェル)

あなたは私のエンジェル

 

ジョニー・エンジェル、どれだけ彼のこと愛してしまったの
彼には抗えない何かがあるの

だけど彼は私の存在さえ気づかない

 

ジョニー・エンジェル、どれだけ彼のことを求めているの

彼が通り過ぎると胸がうずいてしまうなんて
彼にハローと言われるたびに 心は舞い上がるの

(天国にいるみたいに)われを忘れて

夢見るの、彼と私がどうなっていくか

(他の男の子たちが)デートに誘ってきても

座って待つわ、彼に気持ちを集中させて

 

ああ、ジョニー・エンジェル

愛しているから

いつか彼に愛されることを祈るの

そして一緒に見るの、どれだけ天国が美しいか

 

(天国にいるみたいに)われを忘れて

夢見るの、彼と私がどうなっていくか

(他の男の子たちが)デートに誘ってきても

座って待つわ、彼に気持ちを集中させて

 

ああ、ジョニー・エンジェル

愛しているから

いつか彼に愛されることを祈るの

そして一緒に見るの、どれだけ天国が美しいか

 

(ジョニー・エンジェル、ジョニー・エンジェル、ジョニー・エンジェル)

あなたは私のエンジェル             (拙訳)

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 僕は昔からこの曲のAメロの2行目”He's got something that I can't resist”(彼には抗えないなにかがあるの)というところのメロディーに、いつもまさに”抗えない何か”を感じてしまって、胸が疼いてしまいます。何気ないメロディーなんですけど、ツボなんですよね。こういうのってなんなんでしょう(苦笑)。

 

 さて、この「ジョニー・エンジェル」は1958年から1966年までアメリカで放送されていたTVドラマ『うちのママは世界一』(原題”The Donna Reed Show")  の第4シーズンの中のエピソード「Donna's Prima Donna」で初公開されました。冒頭の映像はそのドラマのシーンです。

 歌っているシェリー・フェブレーはこのドラマでドナ・リード演じる主役の長女役をやっていました。

 『うちのママは世界一』のプロデューサー、トニー・オーウェンはそのときドナ・リードの旦那さんだったそうですが、彼はシェリーと、同じくドラマで彼女の弟役をやっていたポール・ピーターセンに、ドラマの中で歌を歌うように指示しました。

 

 二人とも歌の経験がなかったので躊躇しましたが、プロデューサーの命令には逆らえずやってみた、というわけです。

 そしてポールの方も「じらさないでね(She Can't Find Her Keys)」という曲をドラマで披露し、その後やはり同じドラマで披露した「僕のパパ(My Dad)」が全米6位になっています。

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 この曲を書いたのは「ふられた気持ち」(ライチャス・ブラザース)など数々の名曲を書いた夫婦作家チーム、バリー・マン&シンシア・ワイルです。

 ちなみに、前にこのブログでも書きましたが、その後ポール・ピーターセンは人気歌手となり、グレン・キャンベルの代表曲「恋はフェニックス」ももともと彼のために書かれたものだったそうです。

 

 話を「ジョニー・エンジェル」に戻します。

   この曲、実はシェリー・フェブレーがオリジナルではありません。最初に録音したのは、1960年にジョージア・リーが、その少し後にローリー・ローマンという女性シンガーが録音していました。

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 曲を書いたのはリー・ポクリスとリン・ダディ。リー・ポクリスは、ブライアン・ハイランドの「ビキニスタイルのお嬢さん」(1960年)を書いた人です。

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 シェリー・フェブレーのヴァージョンをプロデュースしたのが、ドラマの音楽も担当していたステュ・フィリップス。のちに『宇宙空母ギャラクティカ』や『ナイトライダーなど人気TVドラマや映画を手がける人です。

 彼がレコーディングに集めたのが”レッキング・クルー”。ドラムスがハル・ブレイン、ベースがキャロル・ケイ、ギターがグレン・キャンベル。そしてコーラスはダーレン・ラヴ率いるブロッサムスがつとめています。

 この凄腕のメンツの演奏と歌声に、シェリーは圧倒されてしまったそうです。

 

 彼女はこの曲の3ヶ月後に続編となる「ジョニー・ラヴズ・ミー」という曲をリリースし、全米21位のまあまあのヒットになっています。”ジョニーは私を愛している。昨夜そう言ってくれたの”というハッピー・エンドとなるこの曲を書いたのは、バリー・マン&シンシア・ワイルでした。

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 ちなみに彼女はこの曲の2年後に、プロデューサーのルー・アドラーと結婚しています。1966年には別居し1980年に正式に離婚したようですが、アドラーが中心になって立ち上げた”ダンヒル・レコード”(ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」、スリー・ドッグ・ナイトなどをリリース)の記念すべき第1号シングルは彼女の「MY PRAYER」という曲でした。

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 さて、「ジョニー・エンジェル」は日米それぞれの究極のポップス・ヴォーカルとも呼ぶべき二人がこの曲を歌っていますので、それを最後に。

 カーペンターズ、そして竹内まりやです。

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「マギー・メイ (Maggie May)」 ロッド・スチュワート(1971)

 おはようございます。

 今日はロッド・スチュワートの「マギー・メイ」です。

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Wake up, Maggie, I think I got something to say to you
It's late September and I really should be back at school
I know I keep you amused, but I feel I'm being used
Oh, Maggie, I couldn't have tried any more

You led me away from home, just to save you from being alone
You stole my heart, and that's what really hurts

The morning sun, when it's in your face really shows your age
But that don't worry me none in my eyes, you're everything
I laughed at all of your jokes, my love you didn't need to coax
Oh, Maggie, I couldn't have tried any more

You led me away from home, just to save you from being alone
You stole my soul, and that's a pain I can do without

All I needed was a friend to lend a guiding hand
But you turned into a lover, and, mother, what a lover you wore me out
All you did was wreck my bed, and in the morning, kick me in the head
Oh, Maggie, I couldn't have tried any more

You led me away from home 'cause you didn't wanna be alone
You stole my heart, I couldn't leave you if I tried

I suppose I could collect my books and get on back to school
Or steal my daddy's cue and make a living out of playing pool
Or find myself a rock 'n' roll band that needs a helping hand
Oh, Maggie, I wished I'd never seen your face

You made a first-class fool out of me
But I'm as blind as a fool can be
You stole my heart, but I love you anyway

Maggie, I wished I'd never seen your face
I'll get on back home one of these days

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起きろよ、マギー

僕はあんたに言わなくちゃいけないことがある

9月も終わりだから、マジで学校に戻らなくちゃいけないんだよ

僕はあんたを楽しませてきたけど

利用されていたような気もする

ああ、マギー、これ以上僕はがんばれなかったんだよ

 

あんたは僕を家から連れ出した

ただ、自分を孤独から救うためにね

あんたは僕の心を奪った

そして、それが本当に辛いんだ

朝の陽射しがあんたの顔に当たると、

あんたの年齢がはっきりわかるよ

だけど気にしないさ

僕の目に映るのはあんただけだから

あんたのジョークにいつも笑ったよ
愛しい人よ、あんんたはおだてる必要なんかなかった

ああ、マギー、これ以上僕には無理だったんだよ

 

あんたは僕を家から連れ出した

ただ、自分を孤独から救うためにね

僕の魂を盗んだ、それが余計に苦痛だったんだ


僕に必要なのは 手を貸してくれる友達だったんだ

だけどあんたは恋人になり、母親になった

なんて恋人だ 僕を疲れ果てさせて

あんたがやったことと言えば

ベッドをぶっ壊し、朝になると、僕の頭を蹴ることさ

ああ、マギー、これ以上僕には無理だったんだよ

あんたは僕を家から連れ出した

ただ、ひとりになりたくなかったから

君は僕の心を奪ったから

がんばってみても、あんたから離れられなかった

 

教科書を集めて 学校に戻ることにしよう
でなかったら、親父のキューを盗んで ビリヤードで生きてゆくか

それともメンバーの足りないロックンロール・バンドにいるかもね

ああ、マギー、もう二度とあんたの顔を見ないことを願うよ

あんたは僕を最高クラスのバカにしてくれた

だけどバカと同じくらい、僕は何も見えていなかったんだ

あんたは僕の心を盗んだ、だけどとにかくあんたを愛してるよ

マギー、もう二度とあんたの顔を見ないことを願うよ
僕は近いうちに家に帰るよ             (拙訳)

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 この曲はロッド・スチュワートのソロとしての初めてのヒット曲で、しかも全米、全英ともに5週間連続1位となる破格のヒットとなり、今なお彼の代表作の一つとして知られています。

 

 この曲は当初シングルのB面でした。A面はアメリカのフォーク・シンガー、ティム・ハーディンが1965年に発表した「Rason To Believe」。


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 しかしラジオのDJたちが「マギー・メイ」のほうを気に入り、盛んにオンエアしたためこちらがヒットしたのです。

 シングル盤がポピュラー・ミュージックのメイン・フォーマットであった時代、A面B面の逆転ヒットというのがたまにあって、それもまた面白いものでした。

 「マギー・メイ」の頃では、エルトン・ジョンの「僕の歌は君の歌(Your Song)」(1970年)もそうでした。邦楽で僕がよく記憶しているのは、ダウンタウン・ブギウギバンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」とか松田聖子の「SWEET MEMORIES」あたりでしょうか。

 

 さて、この曲は、ロッドが当時スチームハマーというブルース・ロック・バンドのギタリストだったマーティン・クィテントンと一緒に作りました。彼の自宅で、クィテントンがコードを弾き、ロッドが歌メロを考えているうちに、彼は民謡の「マギー・メイ」の歌詞を歌い始め、それが、束の間で嫌な記憶となる女性関係を持った10年前のことを思い出させました。彼がラフな歌詞をつけて歌ったデモを作り、そのあとで歌詞に取り掛かり、ノートにアイデアを書き込んで、年上の女性に恋をした男が、心奪われながらと戸惑いを抱くというストーリーにたどり着いたそうです。

   民謡の「マギー・メイ(Maggie Mae)」とは、イギリスのリヴァプールで19世紀から歌われていたもので、”マギー・メイ”という悪名高い娼婦が出稼ぎ帰りの水夫に窃盗を働いて捕まり、街を追い出されたというものなのだそうです。

  1950年代にイギリスで大流行した”スキッフル”(ジャズやブルースなどとミックスされたフォーク・ミュージック。イギリスではロックンロールへと繋がってゆきます)のレパートリーとして有名になり、ビートルズは前身バンド”クオリーメン”時代に演奏していたそうで、アルバム「レット・イット・ビー」でも、歌の一部ですが録音し、収録しています。

 

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Oh dirty Maggie Mae they have taken her away
And she never walk down Lime Street any more
Oh the judge he guilty found her
For robbing a homeward bounder
That dirty no good robbin' Maggie Mae
To the port of Liverpool
They returned me to
Two pounds ten a week, that was my pay

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ああ、汚れたマギー・メイ、彼らは彼女を連れ去ってしまった
そして彼女はもうけっしてライム・ストリートを歩けないさ
ああ、裁判官は彼女を有罪にした
帰港中の船乗りから金を奪ったから
汚れた悪質な強盗犯マギー・メイ
リバプールの港へ
ヤツらはオレを返してくれた
週に2ポンド10セント、それがオレの給料だった)(拙訳)

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   ロッド・スチュワートが曲を作る時に、最初この曲の歌詞をのせていたんですね。

   それから、彼が言う10年前のこととは、彼が16歳の時にある野外のジャズフェスに忍び込んだ時、ビール売りのテントの中で見知らぬ年上の女性から関係を強要されたことがあったということで、それが「マギー・メイ」の歌詞に多かれ少なかれ影響を与えていると音楽誌で彼は語ったようです。

 

 音楽的には、やはりこの曲は弦楽器の魅力が最大限に出ているように思えます。

 アコギはロッドとこの曲を作ったマーティン・クィテントン、そして、12弦とエレキギターとベースをロン・ウッド、そしてマンドリンを当時”リンディスファーン”というグループにいたレイ・ジャクソンが弾いています。

 当初レイは「マンドリン・ウィンド」という曲のためにレコーディングに呼ばれたのですが、録音が終わるとロッドから”アルバムに入るかどうかまだ決まっていないけど”という前置きで「マギー・メイ」のパートを依頼され、歌の最後の方に出てくるあの有名なフレーズを思いついて演奏したのだそうです。

 

 ところが、ロッドはアルバムの演奏者のマンドリン奏者名の表記を「"マンドリンはリンディスファーンのマンドリン奏者が弾いた。名前は私の頭から抜け落ちている"

としてしまいます。

 そして、このことを根に持ったわけではないでしょうが、レイは後年マンドリンのフレーズは曲の一部になっているということで、曲の権利を主張したそうです(訴訟までは起こさなかったようですが)。

 

 ポップ・ミュージックの歴史の中では、最低限のギャラしかもらっていない演奏者が、曲の売り上げを左右するようなフレーズを弾くことは頻繁に起こってきたわけで、その権利をどうするかというのは実に悩ましいことだと思います。

 

 さて、この曲が収録されているアルバム「エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー」では、この曲の前に「Henry」というマーティン・クィティントンが作って演奏している短い曲があって、そこからの流れで聴く「マギー・メイ」が僕は好きなんです。

 それを最後に。

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「恋は曲者(Why Do Fools Fall in Love)」フランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズ(1956)

 おはようございます。

 今日はフランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズの「恋は曲者」です。

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Oh wah, oh wah, oh wah, oh wah, oh wah, oh wah
Why do fools fall in love?
Why do birds sing so gay?
And lovers await the break of day
Why do they fall in love?

Why does the rain fall from above?
Why do fools fall in love?
Why do they fall in love?

Love is a losing game
Love can a be shame
I know of a fool
You see
For that fool is me

Tell me why, why, why
Tell me why

Why do birds sing so gay?
And lovers await the break of day?
Why do they fall in love?

Why does my heart skip a crazy beat?
Before I know it will reach defeat!

Tell me why, why, why
Why do fools fall in love?

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どうしてバカなやつらは恋に落ちるんだろう?

どうして鳥たちはあんなに楽しそうに歌うんだろう?

そして恋人たちは夜明けを待っている

どうしてみんな恋に落ちるんだろう?

 

どうして雨は空から降ってくるんだろう?

どうしてバカなやつらは恋に落ちるんだろう?

どうしてみんな恋に落ちるんだろう?

 

恋は勝ち目のないゲーム
恋は恥ずかしいものさ

バカなら僕も知っている

わかるだろ

僕の中にもバカがいるから

 

教えてほしい、どうして

教えてほしい

どうして鳥たちはあんなに楽しそうに歌うんだろう?

そして恋人たちは夜明けを待っている

どうしてみんな恋に落ちるんだろう?


どうして僕のハートはいかれたビートを鳴らすんだろう

それが叶わないものだとわかる前に

教えてほしい どうして

どうしてバカなやつらは恋に落ちるんだろう?  (拙訳)

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  1956年と大変古いヒット曲ですが、1970年代に青春期を過ごし洋楽や洋画に親しんだ人なら、この曲は映画「アメリカン・グラフィティ」と一緒に思い出すかもしれません(どっちにしろ古いですね、、(苦笑)。

 1973年公開ですが、青春映画の定番として1980年代半ばくらいまでは、常に名画座でかかってましたし、TVでも時おり放送されていたと記憶しています。

 

 ティーンエイジャーズは、マンハッタンのワシントンハイツ地区にある中学校で、ジミー・マーチャントとシャーマン・ガーネスが結成したグループ”アース・エンジェルズ”を元になっていると言われています。やがて、そこにリードシンガーのハーマン・サンティアゴバリトンのジョー・ネグローニを加わり”クープ・ドゥ・ヴィルズ”と名乗り、そのあと当時12歳のフランキー・ライモンがバックアップ・シンガーとして参加し、アーミンズ、ザ・プレミアズとグループ名を変えていきました。

 

 1950年代後半、特にニューヨーク近辺に住む、黒人の若者にとっては”ドゥ・ワップ”のコーラス・グループを組むことは最高にクールなことだったのかもしれません。

 その後のアメリカでヒップホップ、ラップを始めることと、ベクトルはまったく一緒なんじゃないかと僕は推測します。

 

 さて、フランキー・ライモンがまだ13歳のとき、プレミアズがアパートの廊下でリハーサルをしていると、そこの住人がガールフレンドが書いた詩集を彼らに手渡します。彼らはそれをすべて読むと、その中にあった"Why Do Birds Sing So Gay" という歌詞に曲をつけました。

 

 そして彼らは友人の紹介でGee Recordsというレーベルをやっているジョージ・ゴールドナーのオーディションを受けこの曲を歌いました。

 ジョージ・ゴールドナーは、この8年後に少し前にこのブログに登場したシャングリラスの「リーダー・オブ・ザ・パック」をリリースしたレッド・バード・レコードをリーバー&ストーラーと一緒に立ち上げた人です。

 オーディションの日にリード・ボーカルのサンティアゴが病気だったため(遅刻したとしている記事もあります)、フランキー・ライモンが代わりを務め、気に入ったゴールドナーはフランキーをメインにするということで彼らと契約し、名前をティーンエイジャーズに変更します。他のメンバーもだいたい15〜6歳でした。

 

 そして曲はゴールドナーの意向で歌詞を直し、フランキーが歌いながらメロディを作り直すことで、今の形になったそうです。

 そして、この曲は発売されると全米6位、全英4位の大ヒットになりました。

 

 彼らは最初は”ザ・ティーンエイジャーズ・フィーチャリング・フランキー・ライモン”と表記されていました。でも、レコードを見るとフランキー・ライモンの文字が全然大きいんですね。

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 そして、その次のシングルのあたりから、フランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズと表記されるようになるのですが(シングル盤の画像を見ると&とFEATURINGの両方の表記があります)、かつて自分たちのバックだったフランキーのバックをやることになった他のメンバーの不満がどんどんふくらんでゆきます。

 

セカンドシングル「I WANT YOU TO BE MY GIRL」(全米13位)

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 ゴールドナーはフランキーだけを買っていたようで、ためらわず彼にソロ活動をさせ、ティーンエイジャーズは他のボーカルを呼び別個に活動を始めます。

 

 フランキー・ライモンは、マイケル・ジャクソンの先駆けのような若いアイドルとしてどんどん仕事をしていきます。

 しかし、結局両者ともに成功せず、特にフランキーは15歳からヘロインを常習するようになっていて、1968年、まだ25歳の若さでヘロインの過剰摂取で亡くなってしまいます。

 

 また、"Why Do Birds Sing So Gay"という詩に最初に曲をつけたメンバーのマーチャントとサンティアゴは当初は曲の共作者としてクレジットされていましたが、途中からフランキーとゴルドナーの作品とされ、印税を一切受け取ることはできなかったそうです。(後年裁判をおこし一旦勝訴しますが、控訴審で敗訴したようです)

 

 このブログでいろいろな曲のエピソードをリサーチしていて、嫌な気持ちになる事実を知ることは少なくないですが、特にこの曲のように、こんなに軽快な気持ちにしてくれるポップ・スタンダードを歌った人たちが、悲劇の人生を歩んだというのは、特別やりきれない思いになってしまいます。

 

 しかし、曲の素晴らしさは間違いなく、数多いこの曲のカバーがそれを教えてくれます。

 まずは、1960年代アメリカン・ポップスの東西の横綱ビーチ・ボーイズフォー・シーズンズ

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ジョニ・ミッチェル。1980年のライヴ盤『シャドウズ・アンド・ライト』

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 僕の年代はやっぱりこのバージョンでしょうか、ダイアナ・ロス、1981年全米7位。

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 山下達郎、伝説の自主制作盤「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」から。1999年の「ON THE STREET CORNER 3」では、ひとりアカペラで聴けます。

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「燃える初恋(Our Day Will Come)」ルビー&ザ・ロマンティックス(1962)

 おはようございます。

 今日はルビー&ザ・ロマンティックスの「燃える初恋」です。


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Our day will come
And we'll have everything
We'll share the joy
Falling in love can bring

No one can tell me
That I'm too young to know (young to know)
I love you so (love you so)
And you love me

Our day will come
If we just wait a while
No tears for us
Think love and wear a smile

Our dreams have magic
Because we'll always stay
In love this way
Our day will come
(Our day will come; our day will come)

Our dreams have magic
Because we'll always stay
In love this way
Our day will come
Our day will come

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私たちの時は来るわ

そして、すべてを手にするの

恋することの喜びを分かちって

 

愛を知るには若すぎるだなんて

誰にも言わせないわ

あなたを強く愛している 

そしてあなたも愛してくれる

私たちの時は来るわ

もう少しだけ待ったら

私たちに涙はいらない

愛を胸に 笑顔を浮かべて

 

私たちの夢には魔法があるの

それは、ずっと二人は愛の中にいるから

こんな風に

私たちの時は来るの

 

私たちの夢には魔法があるの

それは、ずっと二人は愛の中にいるから

こんな風に

私たちの時は来るの             (拙訳)

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 ルビー&ザ・ロマンティックスは、紅一点のボーカル、ルビー・ナッシュと男性4人からなるグループです。

 この「燃える初恋」は彼女たちのデビュー曲にして、全米NO.1になった代表曲です。

 オーディションでニューヨークのカップ・レコードと契約し、レーベルのアーティスト兼レパートリー・チーフであったアレン・スタントンが「ルビー&ザ・ロマンティックス」と命名し、それまで全員がボーカルだったのを彼女をメイン・ボーカルに再編成します。

 そして、アレンが彼女たちに聴かせたレコーディングの候補曲の中でルビーが気に入ったのが、この「燃える初恋」でした。しかし、アレンはこの曲は売れそうだから、同じレーベルで人気の出てきたジャック・ジョーンズというシンガーに歌わせたかったのですが、ルビーが懇願したため、もし失敗したらジャック・ジョーンズが歌うということで作者を説得したそうです。

 (ちなみに、ジャック・ジョーンズは、「燃える初恋」がヒットした少し後にバカラックの「ワイヴス・アンド・ラヴァーズ」をヒットさせています)

  

  作詞したのがボブ・ヒリアード、作曲したのがモート・ガーソン。モート・ガーソンは最初期にムーグ・シンセサイザーを使って作品を作ったひとりで、電子音楽のパイオニアとしてマニアにはよく知られている人です。

 1950年代から60年代はジャズやポップスのアレンジャーとしてたくさんの仕事をやっていて、サンドパイパーズの「グァンタナメラ」のアレンジ、そしてグレン・キャンベルの「恋はフェニックス」のあのストリングス・アレンジも彼によるものです。

 

 この曲のレコーディングはなかなかしっくりこなかったそうですが、休憩中にドラマーがスタン・ゲッツチャーリー・バードが演奏したボサノヴァ「ディサフィナード(Desafinado)」のビートを遊びでたたいていたところ、それがいいということになり試したところピタッとはまったという話が残っています。

 

 そのドラマーがゲイリー・チェスターで、リーバー&ストーラーの作品、ドリフターズ(「ラストダンスは私に」「アップ・オン・ザ・ルーフ」)、ベン.E.キング(「スタンド・バイ・ミー」「スパニッシュ・ハーレム」)などたくさんの名曲を演奏している人ですが、今回調べてみたら最近このブログで紹介した「ツイスト・アンド・シャウト」(アイズレー・ブラザーズ)、「テル・ヒム」(エキサイターズ)「リメンバー〜渚の想いで」(シャングリラス)も、彼がドラムを叩いていました。

 

 さて、ソフト・ロックやMOR(Middle Of the Road:中道ポップス)が好きな方なら、この曲のカバーはいやでも(?)たくさん聴いてきたと思います。

 

  この曲が大ヒットした1963年には13曲ものカバーが作られています。しかもボビー・ダーリン、ジュリー・ロンドン、パティ・ペイジ、ブロッサム・ディアリーなんという有名な人たちがやっています。ちなみに同年のディディー・シャープのカバーの邦題は「燃る初恋」になってます。

 

 僕がこの曲の良さをあらためて知らされたのは、ロジャー・ニコルス&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ(ロジャー・ニコルス・トリオ名義)のヴァージョンでした。

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 彼らと同じA&Mレコードのアーティストではハーブ・アルパート(こちらも邦題は「燃ゆる初恋」)やクリス・モンテスもやっています。

 

 そして、オリジナルに次ぐヒットになったのが、フランキー・ヴァリのディスコ・アレンジのカバー。1975年に全米11位。一緒に歌っているのはパティ・オースティンです。


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 また、Songfactsによるとディオンヌ・ワーウィックはこの曲に想い出があるようです。

「この曲は、バカラックとデビッドに会った頃に書かれたものなの。ボブ・ヒリアードがこの曲を書いて、彼は『いい曲があるんだ。"ルビー・アンド・ザ・ロマンティックス "という新しいグループのものなんだけど、デモ・レコードで歌ってくれない?』と言ってきたの。『もちろん、やりたい』って答えた。そしてやったの。そしてそのとき彼に『本当にきれいな曲ね』と言ったのよ」

 

 ディオンヌのデモンストレーションを聴きながら、きっとルビーはこの歌を練習したんでしょうね。

 

 そして、それから約20年経ってディオンヌは1982年にこの曲をカバーしています。

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 最近のものではエイミー・ワインハウスのレゲエ・アレンジのカバーが強い印象を残しています。あるサイトによると、インストを含めてこの曲は178ものヴァージョンがあります。いろいろ聴き比べてみると楽しいですね。

 

 最後は作者のモート・ガーソンが電子音楽でセルフ・カバーしたものを。昨年(2020)にリリースされた彼のレア&未発表音源集「MUSIC FROM PATCH CORD PRODUCTIONS」に収録されています。

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「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット(I Can't Go for That (No Can Do))」ダリル・ホール&ジョン・オーツ(1981)

 おはようございます。

 今日はダリル・ホール&ジョン・オーツの「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」です。

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Easy, ready, willing, overtime
Where does it stop
Where do you dare me
To draw the line
You've got the body
Now you want my soul
Don't even think about it
Say no go

Yeah, I 'll do anything
That you want me to do
And I'll do almost anything
That you want me too, ooh

Yeah but I can't go for that no (no can do)
I can't go for that no (no can do)
I can't go for that no (no can do)

I can't go for that
Can't go for that
Can't go for that
Can't go for that

I can go for being twice as nice
I can go for just repeating
The same old lines
Use the body
Now you want my soul
Ooh, forget about it
Now say no go

Yeah I, I'll do anything
That you want me to do
Yeah I'll do almost anything
That you want me to do

Yeah but I can't go for that no (no can do)
I can't go for that no (no can do)
I can't go for that no (no can do)

I can't go for that
Can't go for that
Can't go for that
Can't go for that yeah

Yeah I'll do anything
That you want me to do
Yeah I'll do almost anything
That you want me  too

Yeah but I can't go for that no (no can do)
I can't go for that no (no can do)
I can't go for that no (no can do)

I can't go for that  Can't go for that
Can't go for that  Can't go for that yeah

No, I can't go for that (no can do)
I can't go for that
I can't go, I can't go,,,,,

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平気さ、準備もやる気はあるよ、時間を延長して

どこでやめにするんだい

どこで僕にやめさせたいんだい

体は君のものさ

でも今や君は僕の魂を求めている

そんなこと考えるなよ  やめるんだ

 

そう、君がしてほしいことはなんでもしてあげるよ

そして、ほとんど全部してあげるよ 君も求めていることをね

でも、それはできないんだ(ダメなんだ)

それはできないんだ(ダメなんだ)

それはできないんだ(ダメなんだ)

それはできないんだ

 

前の2倍うまくやることもできるし

おなじみのやり方を繰り返すこともできるよ

この体を使って

今君は僕の魂を求めている

ああ、もういいよ やめておけよ

そう、君がしてほしいことはなんでもしてあげるよ

そして、ほとんど全部してあげるよ 君も求めていることをね

 

でも、それはできないんだ(ダメなんだ)

それはできないんだ(ダメなんだ)

それはできないんだ(ダメなんだ)

それはできないんだ、、、、

 

そう、君がしてほしいことはなんでもしてあげるよ

そして、ほとんど全部してあげるよ 君も求めていることをね

 

でも、それはできないんだ(ダメなんだ)

それはできないんだ(ダメなんだ)

それはできないんだ(ダメなんだ)


それはできないんだ、、、   (和訳)

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 ダリル・ホールはこう回想しています。

「僕たちは、ジミ・ヘンドリックスが作った古いスタジオ”エレクトリック・レディ”でアルバム「プライベート・アイズ」のレコーディングをしていて、その日の作業は終わっていた。残っていたのは、私とジョンとエンジニアだけ。僕はまだキーボードの前に座って、適当に弾きながら遊んでいたんだ。僕が持っていた初期のドラムマシンは、"Rock 1 "という設定になっていた。ボタンを押すとリズムが出てくる。そして、最初に頭に浮かんだベースラインを弾き、それに合わせていくつかのコードを合わせてみて思ったんだ。"何か起こりそうだぞ”って。

 僕はスタジオに向かって「テープをまわせ!」と叫んだ。そして、ジョンに「このラインを弾いてくれ」と大声で言って、ハミングで伝えた。ジョンがギターを持ってきて、と、そんな感じだった。僕は基本的にその場で曲を作った。僕が考えた通りに録音されたんだ。ボーカルブースで、僕は意味不明な言葉で歌い、後でちゃんとした歌詞を書いた。そして、アルトサックスを後から加えたんだ」 (Guardian)

 

 

 ちなみに、彼が使っていたドラムマシンはRolandのCR-78のようです。ビデオに映った機械の青いボタンの一番左が"Rock1"です。

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 このドラム・マシーンの音で有名なのものに、フィル・コリンズの「In The Air Tonght」があります。

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 この曲はドラム・マシーンのプリセットのリズムから作られたわけですが、別のインタビューでダリルは、サビ(Yeah, I 'll do anything That you want me to do〜のところ)は、前のアルバム「モダン・ヴォイス」のために考えていたものだと語っているので、この時に思い出してくっつけたんでしょうね。

 この2つのパートはかなりテイストが違っていますが、無機質なAメロのあとに、メロディアスなサビがくる、という大きな落差がまたこの曲の魅力になっていると思います。

 ちなみに、この曲のグルーヴをヒントに、マイケル・ジャクソンは「ビリー・ジーン」を作り、それを「ウィ・アー・ザ・ワールド」のレコーディングの時にマイケルがダリルに打ち明けたそうで、ダリルはそう言われるまで気づかなかった、と語っています。

 

 

 それから歌詞ですが、訳していながら、何を意味しているのかいまいちよくわからないままでした。

 男女関係に置き換えると、体はあげるけど心はあげない、って男が言っていることになるので、設定がおかしなことになってしまいそうです。

 調べてみると、ダリルはこう語っていました。

「ほとんどの人が人間関係についての歌だと思っているけど、これが音楽業界との関係を歌ったんだ。その当時僕はマネージメントや音楽ビジネスに操られているとすごく感じていたんだ。駒のように。“I can’t go for that – no can do.”は僕がよく言っていた言葉だ」 (Guardian)

 

 音楽業界の人たちにあんたたちの言われた通り働くけど、魂までは売らないぞ、と言っている内容だったわけですね。

 

 ちなみにサブタイトルの”NO CAN DO”(そんなことはできない)は、中国人が海外との商取引の際に使った英語表現が、だんだんネイティヴの人にも使われるようになったもののようで、そういうものをピジン・イングリッシュ(pidgin English)というそうで、”LONG TIME NO SEE"もそうらしいです。

 

   この曲のように、まずビートを決めて、それからベースラインを決めて、コードを決めて、それからやっと詞曲を作るという順番は、今の洋楽では当たり前というかスタンダードな作り方なのですが、この曲はその最初期に大ヒット曲といってもいいのかもしれません。

   ビートやグルーヴから生まれた曲だけに、その後の音楽シーンにどんどんマッチしてゆき、リミックスやサンプリングした作品も数多く作られました。この曲のトラックに合わせて違う詞曲をつけるなんていうものまで。それがシンプリー・レッドの「サンライズ」です。

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