まいにちポップス

1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、勝手な推理、などで紹介していきます

「想い出のフォトグラフ(Photograph)」リンゴ・スター(1973)

 おはようございます。

 今日も昨日に続いてリンゴ・スター。「想い出のフォトグラフ(Photograph)」です。


Photograph

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Every time I see your face
It reminds me of the places we used to go
But all I've got is a photograph
And I realize you're not coming back anymore

I thought I'd make it
The day you went away
But I can't make it
'Til you come home again to stay

I can't get used to living here
While my heart is broke, my tears I cry for you
I want you here to have and hold
As the years go by, and we grow old and gray

Now you're expecting me to live without you
But that's not something that I'm looking forward to

I can't get used to living here
While my heart is broke, my tears I cry for you
I want you here to have and hold
As the years go by, and we grow old and gray

Every time I see your face
It reminds me of the places we used to go
But all I've got is a photograph
And I realize you're not coming back anymore

Every time I see your face
It reminds me of the places we used to go
But all I've got is a photograph
And I realize you're not coming back anymore

Every time I see your face
It reminds me of the places we used to go
But all I've got is a photograph

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君の顔を見るといつも

二人よく行った場所のことを思い出すんだ

だけど、いま僕にあるのはたった一枚の写真

そして、君はもう戻ってこないって気づいたんだ

 

君が出て行った日 僕はなんとかやっていけると思った

だけどダメなんだ 君がまた帰ってきてくれないと

 

ここの暮らしに慣れることはないよ

心は傷ついたまま 君を思って流れる涙もとまらない

君にここにいてほしい 抱きしめたい

年月が過ぎるとともに 一緒に歳をとって白髪になって

 

君なしに生きていけるなんじゃないかなんて

そんなこと僕が待ち焦がれていることじゃない

 

ここの暮らしに慣れることはないよ

心は傷ついたまま 君を思って流れる涙もとまらない

君にここにいてほしい 抱きしめたい

年月が過ぎるとともに 一緒に歳をとって白髪になって

 

君の顔を見るといつも

二人よく行った場所のことを思い出すんだ

だけど、いま僕にあるのはたった一枚の写真

そして、君はもう戻ってこないって気づいたんだ    (拙訳)

*********************************************************************************リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド

  昨日このブログでピックアップした「ユア・シックスティーン」の一つ前、アルバム「リンゴ」からの最初のシングルになったのがこの「想い出のフォトグラフ」でした。

 見事全米NO.1、その次の「ユア・シックスティーン」も全米NO.1ですから2曲連続です。

 これはソロとしてジョン・レノンポール・マッカートニージョージ・ハリソンも成し遂げられなかったことなのだそうです。

  しかもソロとして2枚目のシングルから8曲連続全米トップ10入りしていて、これもメンバーの中で最も良い成績です。

 ビートルズ解散後、最初に最もチャートを賑わしたのが、なんとリンゴだったんですね。

 

 

   ビートルズの「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」のリード・ボーカルをとっていたのはリンゴでしたが、彼のソロ活動の成功はまさに友達の”ちょっとした手助け”ならぬ”大きな協力”がもたらしたもののように思えます。それも、また彼の人徳なんでしょう。

  解散して数年しか経ってないのに、ビートルズの他のメンバーが彼のアルバム制作のために全員集まるわけですから。

 

 さて、この「想い出のフォトグラフ」を共作しレコーディングにも参加した”友人”は、ジョージ・ハリスンでした。

 リンゴとジョージは1971年5月、サントロペで行われたミック・ジャガーの結婚式に出席した後、南フランスでカンヌ映画祭の期間に、豪華ヨット”Marala”を借りてその船内でこの曲を書いたと言われています。

 ビートルズがバックアップしたことで知られる女性シンガー、シラ・ブラックもそのヨットに乗っていて、ある夜ジョージがその曲をみんなの前で披露した時に、その場にいた人間が歌詞のアイディアを出したと証言しています。

 また、彼女はリンゴにこの曲をシングルとしてレコーディングしたいと伝えましたが、リンゴは自分が歌う、と返事したそうです。

 

 その後、ジョージはアルバム『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』の制作に入りリンゴもドラムスで参加しますが、その間にこの曲のデモも録ったりしたようです。

 そして、キーボードのニッキー・ホプキンス、ベースのクラウス・フォアマン、ドラムスのジム・ケルトナーなどジョージのアルバムに参加したプレイヤーがこぞって「リンゴ」にも参加しています。

 

 そして、「想い出のフォトグラフ」を一段と魅力的にしているのはアレンジです。

 今月亡くなってしまったフィル・スペクター風のサウンドを効果的に使っています。

フィル・スペクターのアレンジャーとして知られるジャック・ニッチェがオーケストラとコーラスのアレンジで参加しているのです。

 「マイ・スウィート・ロード」などフィル・スペクターの直接のプロデュースで作品を作ったジョージと、フィルの片腕ジャック・ニッチェが揃ったわけですから、そのノウハウがスタジオでも発揮されたことは間違いないと思います。

 

 当時、ジョン・レノンはTV番組でこう語ったそうです。

「ほんとにハッピーだ。リンゴが成功したから、ぼくたちは一線に並ぶことができたと思う」

       (「ビルボード・ナンバー1・ヒット 下1971~1985」)

 こういうことを言わせてしまう、誰からも憎まれないような人間性がリンゴにはあるんでしょうね。

 

 

 

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「ユア・シックスティーン(You're Sixteen)」リンゴ・スター(1973)

 おはようございます。

 3日前にスティーリー・ダンの「ヘイ・ナインティーン」のブログを書きながらこの曲を想い出していました。

 今日はリンゴ・スターの「ユア・シックスティーン」です。


You're Sixteen (You’re Beautiful And You’re Mine)

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You come on like a dream, peaches and cream
Lips like strawberry wine
You're sixteen, you're beautiful and you're mine

You're all ribbons and curls, ooh, what a girl
Eyes that sparkle and shine
You're sixteen, you're beautiful and you're mine

You're my baby, you're my pet
We fell in love on the night we met
You touched my hand, my heart went pop
Ooh, when we kissed I could not stop

You walked out of my dreams and into my arms
Now you're my angel divine
You're sixteen, you're beautiful and you're mine

You're my baby, you're my pet
We fell in love on the night we met
You touched my hand, my heart went pop
Ooh, when we kissed I could not stop

You walked out of my dreams, and into my car
Now you're my angel divine
You're sixteen, you're beautiful, and you're mine
You're sixteen, so beautiful, and you're mine
You're sixteen, you're beautiful, and you're mine
All mine, all mine, all mine
All mine, all mine, all mine

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キミがやってくると 夢見てるような、

桃やクリームみたいに甘い気持ちになる

唇は まるでストロベリー・ワイン

キミは16歳 きれいだよ そして僕のものさ

 

リボンで飾った巻き毛 なんてかわいいんだ

瞳はキラキラ輝いて

キミは16歳 きれいだよ そして僕のものさ

 

ボクのベイビー ボクのかわいい人

最初に会った夜に恋に落ちたよ

キミの手が触れるだけで ボクのハートは飛び上がる

ああ、キスをしたら止められない

 

夢の中から歩み出て ボクの腕に入り込む

今じゃボクの天使様

キミは16歳 きれいだよ そしてボクのものさ

 

ボクのベイビー ボクのかわいい人

最初に会った夜に恋に落ちたよ

キミの手が触れるだけで ボクのハートは飛び上がる

ああ、キスをしたら止められない

 

夢の中から歩み出て ボクの車に乗り込んだ

今じゃボクの天使様

 

キミは16歳 きれいだよ そしてボクのものさ 

                           (拙訳) 

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      この曲は1973年にリリースされたアルバム「リンゴ」からのセカンド・シングルとして全米1位に輝きました。

 オリジナルはロカビリー・シンガーのジョニー・バーネット。1960年にリリースし、全米8位まで上がっています。


You're Sixteen, You're Beautiful (And You're Mine)

  この曲を書いたのがロバートとリチャードの”シャーマン兄弟”。ウォルト・ディズニーに請われてディスニー・プロダクションで「メリー・ポピンズ」「ジャングル・ブック」「くまのプーさん」などの音楽を手がけ、テーマ・パークでは「イッツ・ア・スモールワールド」も彼らの作品です。ディズニーを離れてからの作品では「チキ・チキ・バン・バン」がよく知られています。

 (彼らのディズニーの仕事は、「Tall Paul」(1958年)という曲をディズニーに売り込んで、そのカバーをアネット・ファニセロというシンガーがディズニーのTV番組で歌ったことが最初だったようです)

 

 さて、この曲を収録したアルバム「リンゴ」は当時大変に話題になったアルバムでした。

 それは、ビートルズ解散後、はじめてメンバーが全員参加した(別々にですが)からです。ジョン、ポール、ジョージがそれぞれ曲を書き、レコーディングに参加しているのです。

 

 「リンゴ」のプロデューサーは、二ルソンの「ウィズアウト・ユー」をプロデュースしたリチャード・ペリー。リンゴが二ルソンの「シュミルソン二世(Son of Schmilsson)」に参加した際に、リチャードがリンゴに一緒にやろうと言い出したことがきっかけでした。

 リンゴがアルバムを作ると聞いて、ジョンとジョージは協力を快諾しレコーディングに参加します。そこで、あと一人いればビートルズ勢揃いだと思ったリチャードは、ポールに参加してもらおうと思ったようです。

 そこにちょうどポールが自分のテレビ・スペシャルの音楽監督を手伝わないかとリチャードに連絡が入りそこでリチャードがポールに依頼した説と、リンゴがポールに電話した説があるようですが、ともかくポールもリンゴのために曲を書き、レコーディングに参加することに決まりました。

 

 このアルバムはビートルズのメンバー以外にも、マーク・ボランザ・バンドのロビー・ロバートソンとガース・ハドソン、リヴォン・ヘルムなどすごいメンバーが揃っています。

 

 この「ユア・シックスティーン」にはコーラスで二ルソンが参加していて、ポール・マッカートニーが”口サックス”を吹いています。

 ポールといえば「アイ・ウィル」で見事な”口ベース”を披露していますから、本当に器用な人です。

 先月発売された「マッカートニー III」は全楽器自分で演奏していましたが、1曲くらい全部がポールの”口楽器”で演奏したものも聴いて見たかったですが、、、(苦笑。

 

 ともかく、二ルソン、ポールのリラックスしたバックアップがこの曲のムードを作っているのは間違いないですよね。

 

 ちなみに、ジョニー・バーネットが「ユア・シックスティーン」をヒットさせた翌年(1961)にニール・セダカが「すてきな16才Happy Birthday Sweet Sixteen」を大ヒットさせています。

 また前年の1959年にキャシー(ケイシー)・リンデンが歌った「悲しき16才」(アメリカではヒットしていません)を1960年に日本でザ・ピーナッツが歌ってヒットさせています(後に山口百恵桜田淳子もカバー)。

 このあたりに第一次”16才”ブームがあったのかもしれません(僕ですらまだ生まれていなかったのでよくわかりませんが)。

 あと日本では1981年に松本伊代センチメンタル・ジャーニー」(「伊代はまだ16だから」)、1982年に小泉今日子が「私の16才」、シブがき隊が「NAI・NAI 16」でデビューしていますので、この時期が第二期(日本のみですが)”16才”ブームだったのでしょう。

 

 あらためてこういう曲を聴き直すと、十代の年齢を冠したポップスというのは、今の時代にはいろんな意味で合わないものになっていることを痛感してしまいます。

 

 

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「終わりの季節」細野晴臣(1973)

 おはようございます。

 今日は細野晴臣の「終わりの季節」です。


Haruomi Hosono - Early Hosono - 9. Owari No Kisetsu

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扉の陰で 息を殺した

かすかな言葉はさようなら

6時発の 貨物列車が 窓の彼方で ガタゴト

 

朝焼けが 燃えているので 窓から 招き入れると

笑いながら入りこんで来て

暗い顔を 紅く染める

それで 救われる気持

 

今頃は 終りの季節

つぶやく言葉はさようなら

6時起きの あいつの顔が 窓の彼方で チラチラ

 

朝焼けが 燃えているので 窓から 招き入れると

笑いながら入りこんで来て

暗い顔を紅く染める

それで 救われる気持

 

作詞:作曲 細野晴臣

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「いま思えば、はっぴいえんどは『風街ろまん』というアルバムを作るために集まったグループだったんだなと。それができたから、みんなまたもとの場所に戻っていった。たぶんそういうことだったんじゃないか」

                   (門馬雄介「細野晴臣と彼らの時代」)

 アメリカで最後のアルバム「HAPPY END」を制作したあと、はっぴいえんどは解散し、メンバーはそれぞれの活動をスタートさせました。

 

 埼玉県狭山市にあるアメリカ村稲荷山公園<旧ジョンソン基地跡地公園=ハイドパーク>のそばにあり、ジョンソン基地の隊員やその家族が住んでいた集落の通称。国道沿いに洋風な住宅が立ち並んでいた)に引っ越していた細野晴臣は、自宅でアルバムを制作を始めます。

 

 当時アメリカでは細野が敬愛するジェイムズ・テイラーが「ワン・マン・ドッグ」でザ・バンドが「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」で、家にレコーディング機材を持ち込んで”ホーム・レコーディング”を行っていました。

 レコーディング・スタジオを使うと時間の制約があり、それを嫌った彼は時間を気にせずにリラックスして録音できるホーム・レコーディングという方法を選んだのです。

 

 そして、普段寝室として使っていた八畳の洋間をスタジオ代わりにしたので、ドラムや楽器をセッティングするだけでいっぱいで、狭い部屋では音がまわりこんだり、他の楽器と音が混じったりしやすいのですが、あえて、そういうクリアすぎないナチュラルな音にすることを狙ったようです。

 

 その頃のアメリカ村はヒッピーのブームが反映されて、ミュージシャンやアーティストたちが移り住みコミューンのようなものを形成していた、いわば日本の現実社会から隔たりのある、細野いわく「プロテクターのなかに入っているような幻想の世界」だったそうです。

 

 そんな状況のなかでも、彼のアンテナの中に入ってきたものが「終末思想」「終末観」というものだったといいます。

 

 公害問題、石油危機など日本中に未来への危機感が広まっていました。そこに拍車をかけるように大ベストセラーになったのが「ノストラダムスの大予言」でした(僕は小学生でしたが買って読みました、、、)。

 その時期、彼には子供が生まれたこともあって、未来に対しての不安感がとても大きくなっていたといいます。

ノストラダムスが本当にブームだったからね。洗脳されてしまった人がいっぱいいて。僕も終末思想を持っていたから、趣味として(笑)」

              (門馬雄介「細野晴臣と彼らの時代」)

 その当時の彼の「終末観」が反映された歌が「終わりの季節」だったそうです。

 

 そんなエピソードを知って、僕はとても驚いてしまいました。

「終末思想」といったものの影響はいままで微塵も感じなかったからです。

 シンプルに「別れ」の情景を描いたポップスは星の数ほどある中で、この「終わりの季節」は最高の1曲だとずっと思ってきました。

 

 皆さんもご存知の通り、現実の「別れ」ってそんなドラマティックなものじゃないですよね。なにげなくて、不器用なぎこちなさがつきまといます。

 そういう、現実の別れの情景のぎこちなさと切なさみたいなものが、本当によく氷河んされているなあ、といつもこの曲を聴くたびに思ってしまうんです。

 そして、かすかなポジティヴな余韻を残してくれる、ところもいいんですよね。

 

 ただ、「終わりの季節」というタイトルについては、あらためてながめてみると、そういったペシミスティックな気持ちもなくはなかったのかなあ、と思わなくもありません(ずいぶんまどろっこしい言い方になりました、、、)

 

 細野本人が歌うぼくとつとして温かみのあるオリジナルもいいのですが、この曲の中に内気にしまいこまれていた情感を見事に引き出したのが矢野顕子です。

 1984年のアルバム「オーエス・オーエス」に収録されている彼女の素晴らしいカバー。


終りの季節

細野と矢野の共演。


細野晴臣 矢野顕子 - 終わりの季節 (Owari No Kisetsu)

 

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「ペグ(Peg)」スティーリー・ダン(1977)

 おはようございます。

 今日もスティーリー・ダンを。曲は「ペグ」。日本では最初「麗しのペグ」という邦題がついていました。


Peg

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I've seen your picture
Your name in lights above it
This is your big debut
It's like a dream come true
So won't you smile for the camera
I know they're gonna love it, Peg

I like your pin shot
I keep it with your letter
Done up in blueprint blue
It sure looks good on you
And when you smile for the camera
I know I'll love you better

Peg
It will come back to you
Peg
It will come back to you
Then the shutter falls
You see it all in 3-D
It's your favorite foreign movie

I like your pin shot
I keep it with your letter
Done up in blueprint blue
It sure looks good on you
And when you smile for the camera
I know I'll love you better

Peg
It will come back to you
Peg
It will come back to you
Then the shutter falls
You see it all in 3-D
It's your favorite foreign movie

Peg
It will come back to you
Peg
It will come back to you
Then the shutter falls
You see it all in 3-D
It's your favorite foreign movie

Peg
It will come back to you
Peg
It will come back to you
Then the shutter falls
You see it all in 3-D
It's your favorite foreign movie、、、

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君の写真を見たよ

その上に君の名前がライトに照らされていた

これは君の大きなデビューなんだ

夢が叶ったんだね

だからカメラに向かって微笑まなくちゃ

みんな夢中になるはずさ

 

君のピンナップ写真は好きさ

君の写真と一緒にとってあるよ

ブルー・プリントの青をまとって

よく似合っているよ

それで君がカメラに向かって微笑めば

オレは君をもっと好きになっちまうさ

 

ペグ  それは君のもとに戻ってくるさ

ペグ  君のもとに戻ってくるさ

そして、シャッターが降ろされて

全部3-Dで見えるんだ

それは、君のお気に入りの外国映画みたいに

 

君のピンナップ写真は好きさ

君の写真と一緒にとってあるよ

ブルー・プリントの青をまとって

よく似合っているよ

それで君がカメラに向かって微笑めば

オレは君をもっと好きになっちまうさ

 

ペグ  それは君のもとに戻ってくるさ

ペグ  君のもとに戻ってくるさ

そして、シャッターが降ろされて

全部3-Dで見えるんだ

それは、君のお気に入りの外国映画みたいに ” (拙訳)

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「ペグ」はスティーリー・ダンの代表作「彩(エイジャ)」からのファースト・シングルで、全米11位のヒットになりました。

 

 女優デビューを飾った女性に対しての気持ちを歌ったものですが、「ペグ」って誰なんでしょう?

 スティーリー・ダンは特にマニアックなファンが多いですから、いろいろな推測が飛び交い、その中でペグ・エントウィスルという女優が有力な説の一つでした。彼女は1932年にハリウッドの有名な「 HOLLYWOOD」のサインから投身自殺したことで有名になった人なのだそうです。

 

 2000年に彼らのファンがネットでQ&Aをする機会があって、あるファンがこのことを直接メンバーに質問しました。それに対する答えは以下のようなものでした。

 

「『ペグ』は確かに実在の人物についての歌でした。しかし、その人物はあきらかにペグ・エントウィッスルほどリアルで説得力がありませんでした。だから今は彼女の歌ということになっています。」

 

 歌のモデルはペグ・エントウィッスル以外の人でしたが、彼女ほどのインパクトがなかったため、ペグ・エントウィッスル説が定着してしまった、ということですね。

 ドナルド・フェイゲンウォルター・ベッカーは”歌詞はあくまでも聴く人の主観で判断するもの”として、歌詞の詳細の説明をしないというポリシーがあるそうなので、本当のモデルは確かめることは無理なのかもしれません。

 

 ただ、他にファンの間で有力な他の説には、ブルー・プリントはポルノをイメージさせるものなのでポルノ女優ではないか、というものがあります。(実際”アント・ペグ”というニックネームの女優さんがいるそうです)

 実際彼女たちもファンに向けて、”写真入りの手紙”を送ったりしていたそうですし。

 

 主人公は、彼女のボーイフレンドでも知り合いでもなくてただのファン、だという。

 

 昨日このブログで登場した「ヘイ・ナインティーン」について、ドナルド・フェイゲは自らの作詞のスタンスを、”アングルを変え、男女の関係の性質もちょっと変えて、揶揄する”と語っていましたが、この説はそれにもぴったり合っているように僕には思えます。

 

 

 さて、この曲の演奏についてですが、「ヘイ・ナインティーン」と同じ、リック・マロッタ(ドラムス)とチャック・レイニー(ベース)のコンビがグルーヴを作っています。

 ただし、リック・マロッタのドラムは「ヘイ・ナインティーン」では開発されたてのドラム・マシーン”ウェンデル”にとりこまれてから使われたものですが、「ペグ」では彼のプレイが100%で、しかも百戦錬磨のスーパー・ドラマーの彼をして、この曲が自分史上最高の演奏のひとつだと語っています。

 そして、これまたスーパー・ドラマーのジェフ・ポーカロが、この曲のドラムをすごく気に入ったためテープ・ループにして車を走らせながら何時間も聴き続けた、なんてエピソードもあるそうです。

 

 また、この曲のギター・ソロに何人ものギタリストが挑んだという逸話がファンには有名です。

 ウォルター・ベッカー本人も弾いたそうですが、ラリー・カールトン、エリオット・ランドール、リック・デリンジャー、ロベン・フォード、、凄腕ギタリストたちが7人ほどトライし、なんとかメンバーが満足できるプレイをしたのが、最後の頼みの綱だったジェイ・グレイドンでした。しかし、ジェイもOKが出るまで6時間も弾かされたそうです、、。

 

 ギタリストたちは誰のテイクが使われたかは知らされず、リック・デリンジャーは発売日にレコードを買いに行って聴いてみたら自分のギターじゃなかったのでびっくりし、ジェイ・グレイドンはラジオではじめて自分のテイクが使われたことを知ったそうです。

 

 演奏をボツにされた一人であるラリー・カールトンは、この曲が気にいっていたようで、自分の曲で「ペグ」の冒頭のコードをメンバーの許可をもらって流用しています。

それが、彼の代表曲でジャズ・フュージョン・ブームの時代の定番でもあった「Room 335」でした。


Larry Carlton - Room 335

 

 そして、「ペグ」の印象的なコーラスの声はマイケル・マクドナルドドゥービー・ブラザーズとして「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」で大ブレイクする直前のタイミングですね。彼は1974年頃スティーリー・ダンのツアー・メンバーだったことがあり、レコーディングにも参加していました。

 これも当初、有名なシンガーがコーラスを入れたそうですが、ドナルドとウォルターが気に入らず、マイケルになったのだそうです。

 

 音楽的には非常に高度で、凄腕スタジオ・ミュージシャンの技量を最大限引き出しながら、聴き手にとっては心地よい作品へと落とし込んでゆくという、この時代のAORやジャズ・フュージョンの”結晶”と言えるのがこの「ペグ」なのかもしれません。

 

 アルバム「彩(エイジャ)」からもう1曲「ディーコン・ブルース」(全米19位)を


Steely Dan - Deacon Blues

 

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「ヘイ・ナインティーン (Hey Nineteen )」スティーリー・ダン(1980)

 おはようございます。

 今日はスティーリー・ダンの「ヘイ・ナインティー 」です。


Hey Nineteen

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Way back when in sixty seven
I was the dandy of Gamma Chi
Sweet things from Boston
So young and willing
Moved down to Scarsdale
And where the hell am I

Hey nineteen
No we can't dance together
No we can't talk at all
Please take me along
When you slide on down

Hey nineteen
That's 'Retha Franklin
She don't remember the Queen of Soul
It's hard times befallen
The sole survivors
She thinks I'm crazy
But I'm just growing old

Hey nineteen
No we got nothing in common
No we can't talk at all
Please take me along
When you slide on down

Nice
Sure looks good
Skate a little roller now

The Cuervo Gold
The fine Colombian
Make tonight a wonderful thing
Say it again

The Cuervo Gold
The fine Colombian
Make tonight a wonderful thing

The Cuervo Gold
The fine Colombian
Make tonight a wonderful thing

No we can't dance together
No we can't talk at all

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はるか昔  1967年に戻れば

オレはガマ・カイのダンディだった

ボストンから来たイケメンさ

とても若くて やる気もあった

スカースデイルまでやってきた

それで、オレはいまどこにいるんだっけ?


ヘイ 19才の彼女

一緒にダンスは踊れないし

話も全然噛み合わない

ここをそっと抜け出すときは

オレも連れて行ってくれ


ヘイ ナインティー

それはアレサ・フランクリンだよ

彼女はソウルの女王を知らないんだって

あの頃のたったひとりの生き残りにとっては

大変な時代になっちまったな

彼女はオレはイかれてるって思っているけど

ただ年をとったってことなんだ


ヘイ ナインティー

共通の話題なんてないし

話も全然合わない

君がここをそっと抜け出すなら

オレも連れて行ってくれ


 ナイス、ほんといい感じだ、今度はもう少し低く踊ってみよう


クエルボ・ゴールド(テキーラ)と

最高のコロンビア産(マリファナ)が

今夜を素晴らしいものにしてくれる


一緒にダンスもできないし

話も全然合わない、、                 (拙訳)

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 19才の女の子に、猛烈にジェネレーション・ギャップを感じながら、なんとか楽しい夜を過ごそうと懸命なおじさんの歌です。

「Gamma Chi」は学生のクラブのことらしく、卒業生の友愛会的なものから、プレイボーイ・クラブという説もあり、はっきり実態がつかめません、、。

 また、アレサ・フランクリンのくだりで「The sole survivors」という言葉が出て来ますが、たった一人の生き残りという意味に、1970年代に活躍したフィラデルフィア・ソウルのグループ「The Soul Survivers」をひっかけたのだと思われます。


 それから、曲間に独り言のように「Skate a little roller now」とドナルド・フェイゲンが言いますが、この「Skate」、ローラースケート説もありますが、1960年代に流行したダンスのジャンル「Skate」を指すという意見もあって、僕はそっちを取りました。

 女の子が踊っている姿を見ながら、一昔前のダンスのフレーズを口走ってしまうという、、。



 スティーリー・ダンニューヨークのバード・カレッジ在学中に知り合ったドナルド・フェイゲンウォルター・ベッカーを中心に結成されたました。当初はバンドでしたが、だんだんと彼ら二人のユニットになっていきました。

 最初二人はソングライター・チームとして活動を始めましたが成功しませんでした。そこで、ABCレコードにレーベルのスタッフライターとしてスカウトされLAに移り住みますが、彼らの曲は特に歌詞が難解でひねくれていることが主に災いしてうまくいかず、当人たちも自分たちでやりたいという気持ちが強かったためバンドを組むことになりました。

 1972年にアルバム「キャント・バイ・ア・スリル」でデビュー、1977年の6枚目のアルバム「彩(エイジャ)」が大ヒットします。

 バンドを名乗りながら、最高のスタジオ・ミュージシャンたちをかき集め、その技量を精査しながら作品に組み込んでゆくという”完璧主義”的な音作りは、当時の音楽シーンの中でも異質なものでした。


 そして「彩(エイジャ)」の2年後にリリースされたアルバムが「ガウチョ」で、そこからのファースト・シングルがこの「ヘイ・ナインティーン」(全米10位)でした。

  <ちなみに「ガウチョ」は「放浪者」「孤児」を語源とする南米の”カウボーイ”にあたる人々。”ガウチョ・パンツ”というネーミングもここから来ていますが、本物の”ガウチョ・パンツ”とはけっこう違うもののようです>


 このアルバムの大きなトピックは、彼らがLAからNYに戻って作ったということです。

 不思議なもので「彩(エイジャ)」と「ガウチョ」を聴き比べると、前者は西海岸っぽい音がしますし、後者はニューヨークって感じがするのです。これは、この時代のLA産とNY産のロックをたくさん聴いた人であればきっと感じるものだと思います。

 

 また、「彩(エイジャ)」ではアコースティック・ピアノがメインだったのが、一転し「ガウチョ」ではエレピとシンセのサウンドへと移行しています。


 そして、このころの彼らは高精度なプレイを徹底して突き詰めるモードになっていたようで、彼らのためにエンジニアのロジャー・ニコルスが”ウェンデル”というリズム・マシーンを開発したそうです。

 ドラム・マシーンがまだ出回っていないときで、80年代に一世を風靡するドラム・マシーン”リン・ドラム”と同じ時期に作ったものでした。

 ドラマーの演奏をサンプリングして、それを完全に正確なビートに置き換えるというものだったようです。ただ機械のように正確じゃなく、”タメ”や”抑揚”も表現できるように設計されたといいます。

 そしてウェンデルが初めて使われたのがこの「ヘイ・ナインティーン」でした。1970年代のスーパー・ドラマーであるリック・マロッタにドラムを叩かせ、それを”ウェンデル”に取り込んだあと、ドナルドとウォルターが望むようなリズム・パターンとして再現したようです。

 「ヘイ・ナインティーン」は1980年代の音楽の主流になるドラム・マシーンを使った先駆けのもの、最初期のヒット曲だったと言えます。


 ドナルド・フェイゲンはこう語っています。

「本物のライヴっぽいサウンドにはしたくなかったからだ、ぼくらは初期のリズム&ブルースの、一種、メカニカルなヴァージョンをめざしていた。ちょっと機械っぽいサウンドにして、それをヒュー・マクラッケンの、温かみがあるオブリガート・ギターと対比させるのがぼくらのねらいだった」


 そして、歌詞の世界についてはこう語っています。

「ソングライターはみんな、センチメンタルな恋を十八番にしている。実際のはなし、ぼくらもしょちゅう使っているけど、ぼくらの場合はアングルをほんのちょっと変えて、男女関係の性質もほんのちょっと変えるようにしている。揶揄するのさ。揶揄するのはリズム&ブルースの伝統だからね」

 (「スティーリー・ダン・ストーリー リーリン・イン・ジ・イヤー」)


 彼が「ヘイ・ナインティーン」で狙ったのは、古いリズム&ブルースのスタイルを、新しい時代に再生させることだったのかもしれません。


ガウチョ」からもう1曲「Time Out of MInd」。当時有名になり始めたばかりのダイアー・ストレイツマーク・ノップラーがギター・ソロを弾いています。


Time Out Of Mind


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「ウィズアウト・ユー(Without You)」ニルソン(1971)

 おはようございます。

 今日はニルソンの「ウィズアウト・ユー」を。


Harry Nilsson - Without You (Audio)

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No I can't forget this evening or your face as you were leaving
But I guess that's just the way the story goes
You always smile, but in your eyes
Your sorrow shows
Yes, it shows

No I can't forget tomorrow
When I think of all my sorrow
When I had you there but then I let you go
And now it's only fair that I should let you know
What you should know

I can't live       If living is without you
I can't live       I can't give anymore
I can't live       If living is without you
I can't give      I can't give anymore

Well, I can't forget this evening or your face as you were leaving
But I guess that's just the way the story goes
You always smile, but in your eyes
Your sorrow shows
Yes, it shows

I can't live       If living is without you
I can't live       I can't give anymore
I can't live       If living is without you
I can't live       I can't give anymore

No no no no I can't live
If living is without you
I can't live       I can't give anymore
I can't live

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 忘れることなんかできない この夜のことは

 そして、去ってゆく時の君の顔も

 だけど、僕たちの物語はそうなると決まっていたのかもしれない

 君はいつも微笑んでくれたけど

 その瞳には悲しみが映っていた そう、映っていたんだよ

 

 忘れることはできない

 僕が悲しみでいっぱいになって

 かつて君はそこにいたのに、僕は手放してしまったことを知る

 そんな明日のことは

 もう今は 君が知るべきことを知らせることだけが

 フェアなことなんだろう

 

 生きてはゆけない 君のいない人生なんて

 生きてはゆけない 何も与えることもできない

 生きてはゆけない 君のいない人生なんて

 生きてはゆけない 何も与えることもできない

 

 忘れることなんかできない この夜のことは

 そして、去ってゆく時の君の顔も

 だけど、僕たちの物語はそうなると決まっていたのかもしれない

 君はいつも微笑んでくれたけど

 その瞳には悲しみが映っていた そう、映っていたんだよ

 

 生きてはゆけない 君のいない人生なんて

 生きてはゆけない 何も与えることもできない

 生きてはゆけない 君のいない人生なんて

 生きてはゆけない 何も与えることもできない     (拙訳)

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   ロック、ポップス史上屈指の名バラードと言っていいのではないでしょうか。

 この曲のオリジナルはバッドフィンガー。アルバム「NO DICE」のなかで、昨日紹介しました「嵐の恋」の次に収録されていました。作者はメンバーのピート・ハムとトム・エヴァンズ。


Badfinger - Without You - Television 1972

 この曲はヴァース(Aメロ)はピートが「If It's Love」というタイトルで作っていたものでサビが気に入らなかったところに、トムが「I Can't Live」というサビだけできていた曲があって、それをドッキングさせたものなのだそうです。

   ちなみに、ピートの「If It's Love」のデモは後に公表されています。


Pete Ham - Without You

 ピートの考えたサビも、彼らしくメロディが美しくて優しいですね。

 

 

 そして、歌詞には二人のガールフレンドとの関係が反映されていると言われています。

 特にトムは当時つき合っていて将来奥さんになるマリアンヌという女性が彼の元を離れたことがあって、彼は彼女を探してよりを戻したそうですが、その時の思いを歌詞に綴っていたのです。

 

 この曲をLAのローレルキャニオンで開かれたとあるパーティーでこの曲を耳にしたのがニルソンでした。

 彼は最初、あまり知られていないビートルズの曲だと思ったのだそうです。レコード店に行って探したあげく、それがバッドフィンガーの曲だということがわかりました。

そして、彼は自分のアルバムにこの曲を入れようと考えます。

 

 ニルソンはポールが脱退した後にビートルズに入るのではないか、などという噂もあったほど、ビートルズと因縁のあるアーティスト。音楽的にもビートルズに大きな影響を受け、メンバーとも交流がありました。

 彼はこの頃すでに「うわさの男」などヒット曲を出して、すでに実績のあるアーティストでしたが、あらたな展開を求めてリチャード・ペリーをプロデューサーに迎えることになります。ペリーもまた大のビートルズ・ファンでした。

ファッツ・ドミノにインスパイアされてポール・マッカートニーが作った「レディ・マドンナ」をファッツ・ドミノ自身にカバーさせたのが彼でした)

 ペリーはこう語っています。

「本当の意味で彼をアメリカ版のビートルズにギリギリまで近づけようと思ったら、方程式に一つ、足りない要素があることはわかっていた。アルバムをイギリスで作ることだ」

                  (「ハリー・ニルソンの肖像」)

 

 そしてロンドンでレコーディングされたのが「ニルソン・シュミルソン」というアルバム。そこに収録されたのが「ウィザウト・ユー」でした。

 ニルソンもペリーもロンドンに到着するときにはこの曲を録音することに決めていました。そして到着するとすぐにニルソンはこの曲をピアノ弾き語りによるデモを録ります。


Harry Nilsson Without You RARE Piano Demo

  サビのピアノのコードがおかしなことになっていますが、すごく情感が伝わってくるものだと思います。

 これは僕の勝手な考えですが、バッドフィンガーのオリジナルは、ピートの作った部分はピートが歌い、トムが作ったサビはトムが中心にコーラスするというかたちをとっているので、その間には少しギャップがあるようにも思えるんです。

 そこに、ニルソンは彼なりの解釈で歌の技量と熱量を注ぎ込むことで、曲全体をひとつにまとめあげることに成功したのではないかと。

 本当の意味でこの曲を最終的に”完成させた”のがニルソンだったのだと僕は思います。

 

 しかし、この曲のバッキングのオケの録音が始まるとニルソンは、だんだんこの曲に対してネガティヴな態度を取り始めたといいます。曲の歌詞をこき下ろし始めたり。

 ニルソンはピアノのデモのスタイルでやりたいと言っていて、それをペリーが必死に説得したという経緯がありました。ペリーは彼がまだそれを諦めてなかったんじゃないかと推測しています。ストリンングスも入ってどんどんゴージャスになってゆく伴奏にニルソンはとまどったのかもしれません。

 ペリーはニルソンとホテルで再度話し合い、その足でスタジオに向かいレコーディングされたのが、このヴォーカル・テイクだったそうです。

 

 そして、曲の最終ミックスダウンのときに、となりのスタジオではなんとバッドフィンガーがレコーディングしていたそうです。

「ハリー(ニルソン)とリチャード(ペリー)は彼らを招き入れ、軽くシャンパンを注いでから、この曲をフルヴォリュームで再生した。この曲を共作したトム・エヴァンズとピート・ハムは、伝えられるところによると、言葉を失っていたという」

(「ハリー・ニルソンの肖像」:「ニルソン・シュミルソン」ライナーノーツからの引用)

 

 この曲は全英1位、全米では4週間も1位を続ける大ヒットになりました。

現在までに180以上のアーティストがカバーしていると言われています。その中で最も有名なのが1994年、偶然にもニルソンが亡くなる1週間後というタイミングでリリースされることになったマライア・キャリーのヴァージョンでしょう。


Mariah Carey - Without You (Live Video Version)

 マライアのヴァージョンは全米3位でしたがイギリスをはじめとするヨーロッパ各国では軒並み1位を獲得し、彼女にとってヨーロッパ最大のヒットになっています。

 

 昨日の「嵐の恋」の記事でも触れましたが、作者のピート・ハムはひどいマネージメントのせいで、収入がなくなってしまい失意の中で命を絶っています。ニルソンのヒットから4年しか経っていない1975年のことですから、「ウィズアウト・ユー」の印税も正当な金額が支払われていなかったのは間違いないでしょう。

 また、1983年にやはり金銭的な問題が要因になり自ら死を選んだトム・エヴァンズが直前にバンドのメンバーと「ウィズアウト・ユー」の印税のことで電話で口論になっていたという話があるそうです。以前にその曲の印税は他のバンドのメンバーにも分けると口約束したことがあったそうなのです。しかし、そのとき、トムは75万ドルもの印税が未払いのまま長い裁判に巻き込まれていて、そこに税金の徴収や様々な支払いに追い立てられた状態だったと言われています。

 

 これほどの莫大な印税を生み出した曲の作者が二人とも、それを手にすることもなく、困窮したまま命を絶ってしまっていたというのは、やはりどうしようもなくやりきれない気持ちになります。

 

 その後、彼らの名誉を回復させようという動きもあり、2013年にはピート・ハムの故郷のウェールズの都市スウォンジーに、イギリスで人類の繁栄と幸福に重要かつ積極的な貢献をした人物、非凡かつ傑出した個性を持った人物に対して作られる銘板(ブルー・プラーク)が設置されたそうです。

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 また、マライア・キャリーの印税は正当に遺族に渡ったようで、トムの奥さんのマリアンヌはトムの死後は様々な仕事をやりながら必死に食いつないできたそうですが、1989年に息子を連れて故郷のドイツに帰り、1994年にマライアのカバーが大ヒットして以降は夫の印税で借金を返済し、子供を無事育て上げることができたようです。

 

 そして、ケルンでクリス・デ・バーがライヴをやったときには、客席にいた彼女に対して”特別な女性”として「ウィザウト・ユー」を歌って捧げたというエピソードが残っています。 

 

(参考:Songfacts    JAZZANDROCK.COM) 

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「嵐の恋(No Matter What)」バッドフィンガー(1970)

 おはようございます。

 今日はバッド・フィンガーの「嵐の恋」を。


Badfinger - No Matter What - Promotional Film (Music Video) - HQ

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No matter what you are
I will always be with you
Doesn't matter what you do girl, oh girl with you
No matter what you do
I will always be around
Won't you tell me what you found girl, oh girl won't you


Knock down the old gley wall, and be a part of it all
Nothing to say, nothing to see, nothing to do
If you would give me all, as I would give it to you
Nothing would be, nothing would be, nothing would be


No matter where you go
There will always be a place
Can't you see in my face girl, oh girl don't you


Knock down the old brick wall, and be a part of it all
Nothing to say, nothing to see, nothing to do
If you would give me all, as I would give it to you
Nothing would be, nothing would be, nothing would be


No matter what you are
I will always be with you
Doesn't matter what you do girl, oh girl with you
Oh girl, you girl, want you
Oh girl, you girl, want you

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” 君がどんな人だって 僕はいつも一緒にいるよ

  何をしようとかまわないのさ ガール 君と一緒さ

  君がどんなことをしたって  いつもそばにいるよ

  何を見つけたのか僕に教えてくれないの ガール ねえ?

 

   古いグレーの壁を倒して  その一部になるんだ

   言うことは何もない 何も見えない 何もすることもない

   もし君が僕にすべてをくれたら 僕がそうするみたいに

   それだけでいい 他に何もない 何もない

 

 君がどこに行こうとも いつもちゃんと場所はある  

 僕の顔を見ればわかるだろ ガール そうじゃない?

 

 古いグレーの壁を倒して  その一部になるんだ

   言うことは何もない 何も見えない 何もすることもない

   もし君が僕にすべてをくれたら 僕がそうするみたいに

   それだけでいい 他に何もない 何もない

 

   君がどんな人だって 僕はいつも一緒にいるよ

   何をしようとかまわないのさ ガール 君と一緒さ

   ガール 君が欲しいのさ             ”  (拙訳)

 

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 ”パワーポップ”というジャンルがあります。

ウィキペディアでは

「ポップなメロディライン、力強いギターサウンドが特徴的」

「一般的には1960年代のビートルズ等に代表されるブリティッシュロックから派生」

したとあります。

海外のウィキペディアを見ると

The Whoビートルズビーチ・ボーイズ、バーズなどのバンドの初期の音楽をベースにしたポップロックの一つの形態」

とあります。

 

 ジャンルなんていうものは主観的なものなので、はっきりと線引きはできないですが、パワー・ポップは世界共通に使われているジャンル名なのは確かです。

 

 そして、このバッドフィンガーこそ”元祖パワー・ポップ”と呼ばれているバンドです。アメリカのケーブルTV”VH-1”が選んだ”エッセンシャル・パワー・ポップ・トラック20” の見事1位に輝いていたのが彼らの「嵐の恋」でした。

 

 

 バッドフィンガーはビートルズのアップル・レーベルと契約した最初のグループ。

 共にソング・ライターとしての才能もあるピート・ハムとトム・エヴァンズを中心に結成されました。はじめはアイヴィーズという名前でしたが、ビートルズの "With a Little Help from My Friends"の仮タイトルだった"Bad Finger Boogie"にちなんでバッドフィンガーという名前がつけられたと言われています。

 

 ちなみにアイヴィーズ時代の2枚のシングルとアルバムのうち数曲はデヴィッド・ボウイTレックスのプロデューサーとして知られるトニー・ヴィスコンティが手がけていました。

 アイヴィーズのデビューシングル「メイビー・トゥモロウ」。歌っているのが曲の作者でもあるトム・エヴァンズ。左の長身のギターがピート・ハム。


The Iveys Maybe Tomorrow

 

 そして、バッドフィンガーに改名して1969年にリンゴ・スターも出演していた映画「マジック・クリスチャン」のためにポール・マッカートニーが書いた「マジック・クリスチャンのテーマ」で再デビューし、大ヒットになりました(全米7位全英4位)。


Come and Get It

 キャッチーで素晴らしい曲です。しかし、あまりにポール・マッカートニーっぽ過ぎますが、、

 

 そして、そのあとに出したのがこの「嵐の恋」でした。曲を書いたのはメンバーのピート・ハム。彼がとても優れたソングライターだということを証明した1曲でもありましたが、この曲を気に入らなかったレーベル側と戦って、ようやく説得してシングル・リリースにこぎつけたそうです。

 やはりピートが書いた次のシングル「デイ・アフター・デイ」も大ヒット(全米4位全英10位)しますが、その後トーンダウンしてゆき、所属するアップル・レコードが倒産したのをきかっけに、バンドは一気に不運な方向に向かっていきます。

 諸悪の根源は、悪質なマネージメント。そのために長い間一文も収入を得られなかったというピートは追い込まれたあげく、まだ27歳の若さで自ら命を絶ってしまいます。

 その8年後トムも、バンドのメンバー間の印税をめぐるトラブルが起因となってやはり死を選んでしまいました。ピートが亡くなってからは、彼はずっとふさぎ込みがちだったと言われています。

 

  以来彼らには”悲劇のバンド”といった呼び名がついてまわるようになってしまいましたが、彼らがどんな歩みをしたにしろ(No Matter What)、彼らの楽曲のいくつかは50年もたった今の時代聴いても素晴らしい、それしか言えないように思います。 

 

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