まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ムーン・リバー(Moon River)」オードリー・ヘプバーン(1961)

 おはようございます。

 今日はオードリー・ヘプバーンムーン・リバー(Moon River)」です。

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Moon river, wider than a mile
I'm crossing you in style some day
Oh, dream maker, you heart breaker
Wherever you're going, I'm going your way

 

Two drifters, off to see the world
There's such a lot of world to see
We're after the same rainbow's end,
Waiting 'round the bend
My huckleberry friend
Moon river and me

 

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ムーンリバー 1マイルよりもっと広くても
堂々と渡ってみせるわ いつか
ああ、夢をくれる人よ 悲しくさせる人よ
どこに行っても、私はあなたと同じ道を行くわ

 

二人の漂流者 世界を見るために旅に出る
見るべき世界はこんなにもたくさんある
私たちは同じ虹の果てを目指してる
川の曲がり角で待ちながら
私のハックルベリー・フレンド
ムーンリバーと私

 

           (拙訳)

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 ヘンリー・マンシーニが一ヶ月悩んだあとに30分で出来上がったという、永遠のスタンダード

 

 

 もともとは映画「ティファニーで朝食を」の劇中で使われていた楽曲です。

 作曲したヘンリー・マンシーニも作詞したジョニー・マーサーもアメリカの音楽史に名を残す巨匠です。

 ただし、この曲が作られた頃、マーサーはすでに巨匠でしたが、当時のロックンロールのブームによって”過去の人”になりかけていて、マンシーニはまだほとんど無名の存在でした。

 

 それまで、彼はユニバーサル映画のお抱え作曲家・編曲家として、ほとんどがクレジットもされない仕事(6年で100作品!)をやったあと、彼は会社の都合でクビになっていました。

 

 ただ、彼はフリーの音楽家として、TVシリーズ「ピーターガン」や「Mr.Lucky」の音楽を手がけ、その監督ブレイク・エドワーズから信頼されていました。そして、エドワーズが「ティファニーで朝食を」という映画を撮ることになると、彼に音楽を担当してほしいとリクエストされます。

 

 マンシーニが依頼されたのは映画のスコアだけで、映画会社は劇中歌はブロードウェイのミュージカルを書いている作家に依頼する予定でした。

 「ティファニーで朝食を」はニューヨークを舞台にした作品ですので、妥当な見解ではありました。

 しかし、マンシーニはそれに不満だったらしく、劇中歌も作らせてほしいと映画の制作トップのマーティン・ラッキンにも直談判しましたが

「キミはインストの作曲家で、ソングライターじゃないだろ?ほしいのはブロードウェイ・ミュージカルを書くような人なんだ」

 と一蹴されてしまいます。

 

 自分のエージェントに相談してもこう言われたそうです。

「君は素晴らしい監督と素晴らしい女優のすごい映画の仕事を手にしたんだ、波風を立てるな、歌は誰かに任せて、君はスコアだけやりなさい」

 

 それでもあきらめきれないマンシーニは、ブレイク・エドワーズと映画のプロデューサーに、せめて試しに曲を作らせてみてくれと頼みこみ、なんとか了承を得ます。

 



 しかし、自分から強引に売り込んだということは、逆に自分の首を絞めるというか、大変なプレッシャーにもなったようで、彼のキャリアの中で最ももがき苦しむ曲作りとなったのです。

 

 映画の中で誰が歌うのかさえ決まっていませんでしたが、ある晩偶然にオードリー・ヘプバーンが出演している映画「パリの恋人」がTVで放送されているのを彼は見たそうです。

 そして、彼女がその映画の中で歌っていた「HOW LONG HAS THIS BEEN GOING ON」という曲を彼はピアノで弾いてみると、わずか1オクターヴと1音の音域でできていることに気づきます。それなら、彼女にも歌えるわけだと気づき、自分が手がける映画でもヘプバーン自身が歌うべきだと確信するようになりました。

 

 こちらが「HOW LONG HAS THIS BEEN GOING ON」


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 「ムーン・リバー」が出来上がる過程について、マンシーニ本人はこう語っています。

 

「あの曲は僕が作った中で最も大変だったもののひとつだった。考えるのに1ヶ月かかった。どんな曲をこの娘が歌うべきだろう?どんなメロディが求められているだろう?ジャズ風のバラードであるべきか?ブルースがいいのか?

 ある夜家で夕食がすんでリラックスしていたんだ。そして、ガレージの外に作ったスタジオに行き、ピアノ(まだレンタル中)の前に座ると、いきなり最初の3音を弾いた。それがすごく魅力的に響いたんだ。僕は1オクターヴと1音でメロディーを組み立てた。それはシンプルで完全にダイアトニック(全音階)だった、Cのキーで。ピアノの白鍵だけで全部弾けるんだ。すぐに出来上がったよ。あのメロディを作るのに1ヶ月と30分かかったんだ」

 (「Did They Mention The Music?   The Autobiography of Henry mancini」) 

 

 「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」を書いたバート・ハワードは20分で曲を書く方法を見つけるのに、20年かかった」と語っていましたが、月をタイトルにした二大スタンダード曲は、両方ともあっという間に書けたものなんですね。ただし、そこまでには長い時間がかかったということも共通していますが。(それに両方ともワルツです)

 

 さて、出来上がった楽曲を監督のエドワーズもプロデューサーも気にいり、これでいこう、ということになります。エドワーズはマンシーニに作詞家は誰がいいかたずねると、彼はジャズの非常に高名な作詞家であるジョニー・マーサーの名前を挙げました。


 マンシーニにとってマーサーは長年の憧れの人で、ただ、一度も仕事はしたことがありませんでした。このときマンシーニが37才、マーサーが52才と年もかなり離れていました。
 
 マンシーニがこの曲をマーサーに聴かせると、彼はこう言ったそうです。

「君、いったい誰がワルツなんかレコーディングするんだ?映画のためにやったとしても、商業的には未来はないよ」

 

 当時はロックンロールの時代、「ムーン・リバー」はこの当時としても”オールド・スタイル”の曲だったんですね。

 

  曲に対してネガティヴな発言はしたものの、マーサーはプロ中のプロ、マンシーニのメロディに3通りの全く違うアングルの歌詞を用意してきます。しかも、それぞれが的確で、完璧にまとまっていて、それぞれが全く違っていたそうです。

 

 マンシーニがディナーの演奏の指揮をとることになっていたホテルのボールルームで、シンガーでもあるマーサーはマンシーニのピアノに合わせて、3通りの歌詞を歌ってみせたと言います。

 

 最初が「ティファニーで朝食を」でヘプバーンが演じる主人公ホーリー・ゴライトリーに合わせて”I'm Holly~"と歌い出すものだったそうです。

 そして、3つ目が”Blue River"というものでしたが、マーサーが調べてみると同じタイトルの曲がすでにあったそうです。同名異曲はよくあることなので問題はなかったのですが、マーサーは乗り気ではなかったようです。

 彼が代案として出したのが”ムーン・リバー”でした。

 同じタイトルのラジオ番組があるとマンシーニが言うと、歌のタイトルじゃないなら問題ない、と答えたそうです。

 

 そして、彼は”ムーン・リバー”を歌い始めました。

 

    マンシーニのピアノに合わせてマーサーが歌う、たぶん映画関係者へのプレゼン用のデモが公開されています。数多あるこの曲の演奏の中でも、最高のもののように僕には思えます。

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 マンシーニはこう回想しています。

「ゾクゾクっとするほど、ぴったりとはまったものを聴くことは、ごくまれにしかない。そして”ハックル・ベリー・フレンド”のラインを彼が歌ったときに、これだ、と僕は思った。彼はその言葉がどんな影響を与えるかわかっていたのか、それともただ思いついただけかわからないが、心が震えるものだった。はるかミシシッピマーク・トウェインやハックル・ベリーフィンの冒険を思い起こさせた。それはアメリカのこだま(echoes)なんだ。人々の心を高ぶらせる卓越した歌詞だった。決め手になるものだった」

 (「Did They Mention The Music?   The Autobiography of Henry mancini」) 

 

 

 当のマーサーはこう語っています。

「僕が南部で育ったころ、川のそばには野生の茂み、ブラックベリー、ストロベリー、小さなワイルドストロベリー、ワイルドチェリーの木々、ハックルベリーなんかがいつでも生えていたんだ。それと、マーク・トウェインミシシッピを舞台に書いたハックルベリー・フィンの名前を組み合わせたのさ、”ティファニーで朝食を”の少女が南西部のその辺りの出身だから、必要性にフィットしているように思えたんだ」

 (「Portrait of Johnny: The Life of John Herndon Mercer」)

 自分の幼少期の景色にあるハックルベリーをまず思い浮かべ、そこからハックルベリー・フィンにつなげていったんですね。

 そして、出来上がったものを関係者に聴かせると、全員が気に入って、ヘプバーンにこの歌を歌わせることで一致します。そして、マンシーニが指導しながら彼女の歌の録音が行われたのです。

 

  そして映画が完成し試写会後、関係者全員が満足して、パラマウント映画の制作トップのマーティ・ラッキンが滞在するホテルのスイートに集まったそうです。

  映画にはひとつだけ問題がありました。尺が長すぎてシーンをカットしなければいけなかったのです。

 全員が沈黙する中、ラッキンはこう言ったそうです。

”Well, the fucking song has to go”(ええと、あのクソみたいな歌はカットしなくちゃな)

 このラッキンさん、おしゃれなニューヨーカーで決して愛想も悪くない人物だったようですが、この曲のストーリーの中では完全に敵役ですね。

 最初に、マンシーニが劇中歌を書きたいという要望をはねつけ、出来上がったらそれをカットしろと言ったわけですから。

 「ムーン・リバー」という稀代の名曲の生誕における最大の障害、脅威といってもよかったでしょう。

 

 マンシーニはこの時のことをこう描写しています。

「僕はブレイクの方に目をやった。彼の顔を見た。彼の頭のてっぺんまで血がのぼっていた。マッチを下においた温度計みたいに。今にもブチ切れそうに見えた。オードリーは椅子で体を動かして、立ち上がって何かを言おうとしていた。彼らはマーティに向かって少し体を乗り出した、あたかも彼をリンチしようとするばかりに」

 (「Did They Mention The Music?   The Autobiography of Henry mancini」)

 

 なんて言っていますが、一番ショックだったのは作ったマンシーニ本人のはずだと思いますよね。

  マンシーニの奥さんのジニーもこの場にいたそうで、のちにこう語っています。

「私はヘンリーがどんどん青ざめてゆくのを見たわ。みんな、完全に唖然としていました。1、2分静かにしたあと、私たちはなぜこの曲を映画に残すべきか、他の部分をカットすべきかという理由が次々とまくしたてたんです」

 (BBC NEWS  9 June 2015)

 

 ちなみに、このときのエピソードとして、ヘプバーンが”Over My Dead Body”(そうしたいなら、私の屍を乗り越えてからにしなさい!)と啖呵を切ったという、もはや都市伝説なようなものもあるようです。真実はどうだったんでしょう?

 

 ともかく、無事にこの曲は映画に使われ、ご存知の通り、永遠のスタンダードになりました。

 

 マンシーニはこう言っています。

「今まで、「ムーン・リバー」のレコーディングは1000以上行われてきた。その全ての中で、友達のシンガーたちが録音したものを大目に見ているのではなく、オードリーのパフォーマンスが最も決定的なヴァージョンだった」

(「Did They Mention The Music?   The Autobiography of Henry mancini」)

 

 オードリー・ヘプバーンが歌うことをイメージし、彼女の声域に合わせて作った曲ですので、当然のことなのかもしれませんね。

 しかし、せっかくなので他のシンガーのカバーもご紹介します。

 

 この曲のカバーを最初にヒットさせたのは実はR&Bシンガーのジェリー・バトラーでした(1961年全米11位)。カーティス・メイフィールドと組んだインプレッションズのヴォーカルだった人ですね。このころは黒人版アンディ・ウィリアムスという評価もあったという、コンサバティヴなスタイルで売っていました。


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そして、この曲を自分の代名詞のように歌い続けたのがそのアンディ・ウィリアムス

ですが、彼はシングルとしてはこの曲をリリースしていなかったんですね。

しかし「ムーンリバー」を表題曲としたアルバム「Moon River and Other Great Movie Themes」は全米3位まであがり、彼を一気にスターへと押し上げました。


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そして最後に、全米11位のヒットとなったマンシーニ・オーケストラのヴァージョンを。

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