まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲を選曲しました(苦笑)。古今東西のポップ・ソングをエピソード、歌詞の和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。みなさんの音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればうれしいです。みなさんからの情報や思い出話などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「浪漫と算盤」椎名林檎と宇多田ヒカル(2019)

 おはようございます。

 今日は椎名林檎宇多田ヒカルの「浪漫と算盤」です。

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 宇多田ヒカル椎名林檎がシーンに現れたときに、これは”21世紀のユーミン中島みゆき”だと、<新しいものを自分に馴染みのある型にあてはめることで理解したつもりになる>というおっさんが一番陥りがちな思考パターンになのに気づきもせず(当時まだ30代だったのですが、)、ちょっと悦に浸りもしていた僕ですが、とんでもない間違いでした、、。

 

 ユーミン中島みゆき松田聖子中森明菜、みたいにイメージだけで宇多田が”陽”で椎名林檎が”陰”と対照させて安直に僕はとらえていたわけですから。

 

 それぞれ独自で繊細な個性があるアーティストを、そんな一概に”陽と陰”に分けること自体が失礼なんですが、仮にその乱暴な区分けをするにしても、僕の考えは間違っていました。

 時代とともに宇多田は孤高のスタンスをとって人の心の悲哀(陰)に正対し表現する方に行きましたし、ビジュアル、コンセプトなどを駆使してトータルで世界観を表現していった椎名林檎の方は、単に”陰”と表現してよいものではなくなっていましたし、ある意味、そういうスタンス、アプローチはユーミンのほうに近いように思えます。

 

 (ユーミンが描き出したのは、キラキラと輝く都会のファンタジーだったのに対して、椎名はダークで病んだリアルと妄想が錯綜する世界で、描く対象としていた世界が真逆なだけで、そのアプローチの仕方は近かったんじゃないかという気がします)

 

 

 と、いうことで、安直な区分けはいけないとさっきから散々言いながら、ユーミン中島みゆきの図式で、今のところ、宇多田=椎名林檎を見た場合、椎名林檎のほうにユーミン中島みゆきの両方の流れが交差していて、宇多田はその流れとはまったく関係がない、というのが今のところの僕の勝手な結論になりました。

 

 さて、決して交わることなく、競争意識を持ちそれがまたモチベーションにもなっていたと言われるユーミン中島みゆきとは違い、宇多田、椎名林檎は仲が良く互いにリスペクトしあっているようで、何度か共演を果たしています。

 

 2016年の「二時間だけのバカンス」。宇多田ヒカルが椎名と歌うことを想定に作詞、作曲したもので、彼女のアルバム「Fantome」からのシングルでした。

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 「浪漫と算盤」は2019年リリースの椎名林檎のベストアルバム「ニュートンの林檎」のオープニングナンバーでした。

 

 彼女はこの曲についてこう語っています。

「新たな作品に着手する際、わたしはいつも、なにかしら初めての試みをするようにしております。今回はとにかく、和声から旋律からなにから、いつもみたく扇情的にせぬよう注意深く編みました。ヒカル氏の声の成分がよく馴染む、酸素や水のような曲にしたくて。いつになくまろやかな響きを、味わっていただけますと幸いです。


 言葉についても、本作では少々挑戦しています。或る日ヒカル氏が「それはゆみちん(椎名のこと)ならうまいこと書きそう」などと共通の知人らと話していたらしいテーマが「ロマンとソロバン」でした。半年ほどまえ小耳に挟んで以来「受けて立とうぞ」と力み続けた結果、仕上がったのがこの作品です。唄うのにやや照れました」

                  (Barks  2019.11.1)

 

 「浪漫と算盤」というタイトルは宇多田が椎名ならいい曲が作れると思って考えたもので、それ椎名が受けてたった、そして、彼女は宇多田が歌うことを前提に、彼女のヴォーカルが映える曲を作ったというわけです。

 

 特にサビの<置きに行こうなんぞ野暮新しい技毎度練り出したいです〜>、あと大サビの<屹度そう浪漫抱えたら算盤弾いて〜>あたりのメロディやコード感は、椎名本人の作品では聴けなかった”甘く切ない”もので、宇多田の声質とよく合っています。

 

 完全に職業作家的なアプローチですね。実際、彼女は他のアーティストにもかなり楽曲提供しています。

 彼女が「歌舞伎町の女王」で出てきた頃に、何かのインタビューで好きなアーティストにカート・コヴァーンやブランキー・ジェット・シティに並んで来生たかお、という名前があってびっくりしたのをおぼえています。ただものじゃない、なと思いました。

 

 調べてみると、彼女が幼い頃にお母さんが料理中に来生をよく聴いていたようで、他にもモータウンや都会的なR&Bといった音楽のインプットもすごくあって、きっと洗練された曲も全然書ける人なのだと思います。

 

 ただ、シンガーとしての自分自身を見た時にそういう曲は合わないと、プロデューサーの視点で自分を見てジャッジしているように思えます。

 

 2007年のインタビューで、音楽家椎名林檎から見たボーカリスト椎名林檎とは?との問いに対して彼女は”ゴーヤ”だと答えています。

 

「できる調理が相当限定される。パクチー的と言うべきかしら。表現力もまだ本当に拙いし、音色から何から、クセが強いって言うか、異常に扱いにくい。だから私が音楽を商売にしていて何が制約かと言えば、自分が歌える曲じゃなきゃいけないというのが一番のそれですから」

(「音楽家のカルテ」)

 同じインタビューで彼女は、人に曲を書くことについて<むしろ本当はそれだけで食べることができたら一番いいなって思いますよ>と言い、自身のことを<歌の超下手なシンガー・ソングライターということだと思います>とまで語っています。

 

 デビューして10年近く経ってすでに実績もありながら、こう冷静に自己評価しているわけです。

 実は引き出しの多いソングライター、椎名林檎と、制約がとても多いシンガー、椎名林檎とのせめぎ合い、試行錯誤の歴史、その葛藤こそが、彼女のキャリアを特別なものにまでしたのかもしれない、と僕には思えます。

 言い換えれば、”制約の多い素材”だったからこそ知恵を総動員して面白いものが作れたのではないかと。”どんな料理にも合う素材”のようなシンガーのほうが、音楽業界に限って言えば埋もれがちになってしまう、ということはあるのかもしれません。

 

 考えてみると、作家としては幅広く書けるのに、シンガーとしては制約が多い、ということではユーミンと共通していますね(すみません、また比較をしてしまいました、、)

 

 それにしても「浪漫と算盤」って見事なタイトルです。

 渋沢栄一の「論語と算盤」からの応用なんでしょうが、今の時代はこっちのほうが核心をついているとすら思えます。

 

 僕は35年くらい音楽業界で仕事をしていますが、この商いはまさに”浪漫と算盤”の終わりなき綱引きのようです。

 もちろん、商売ですから、この曲の歌詞みたいに”ど真ん中”じゃなくて算盤がちょっと強いくらいなら許容できるなと思うのですが、この世界はもうずいぶん長い間、算盤の圧勝で、浪漫はもはや姿さえよく見えないような、、(苦笑)。

 

 その大きな分かれ目は、大手レコード会社が社名を「〜レコード」から「〜エンタテインメント」へと変えた時だったな、とその頃レコード会社にいた僕は実感としてとらえています。

 とは言え、特に、僕がこうやってブログで書いているような、ポップソングに関してはなにより”浪漫”がなくちゃな、と強く思っています。

 

 最後は、彼女のデビューアルバム「無罪モラトリアム」から。「歌舞伎町の女王」で変な先入観を持っていた僕は、彼女がこんなに洗練されたメロディーを書けるんだと当時すごく感嘆しました。『茜さす 帰路照らされど…』。

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