おはようございます。
今日は尾崎亜美の「マイ・ピュア・レディ」です。
歌謡曲、フォーク全盛の時代を大きく変えた都会的なポップスの象徴としてこのブログで僕は原田真二の名前を挙げましたが、それ以前にも”シティポップ”的な音楽の波が来るという大きな予兆を感じさせた曲があったのを思い出しました。
それが、この「マイ・ピュア・レディ」です。資生堂のCMソングとしてTVから毎日のように流れてきて、田舎の中学一年生だった僕も、今まで巷に流れていた音楽とは全然違うな、とすごく興味を惹かれたのを覚えています。
その感覚をさかのぼっていくと、ドラマの主題歌だったユーミンの「あの日にかえりたい」(1975年)を聴いた時に小学生ながら、他の音楽と違って何かかっこいいぞ、と感じたことを思い出しました。
それにしても、1970年代後半からの資生堂とカネボウのTVCMタイアップのパワーはすごかったと思います。
それまではあくまでもCM音楽はあくまでもCM用に作られたもので、レコードになる音楽より”格下”に思われていたようですが、この時代にレコード化を前提にCM音楽を作るというスタイルが生まれます。
”CMソングからイメージソングと呼ばれるようになった”と「資生堂宣伝史」には書いてあるそうです。
そのシステムの"ハシリ”は1976年春の資生堂キャンペーンで使われたりりぃの「オレンジ村から春へ」だったそうです。
そして、CMの相乗効果で最初”売れた”のが1976年秋のキャンペーン・ソング、小椋佳の「揺れるまなざし」でした。
そして、1977年春に「マイ・ピュア・レディ」のCMが流れるわけです。そしてシングルはオリコン4位の大ヒットになるわけです。
資生堂 クリスタルデュウ CM(1977年) マイピュアレディ 小林麻美
出演していたのは小林麻美ですね。
小椋佳も知的な洗練はあるわけなんですが、音楽的には「揺れるまなざし」から「マイ・ピュア・レディ」では劇的に変わった感じがします。これからは、軽やかでおしゃれな時代が来る、とでも告げているかのように。
尾崎亜美はこの前年の1976年に「冥想」でデビューしています。
「マイ・ピュア・レディ」や「冥想」だけじゃなく最初の二枚のアルバム松任谷正隆の全面的なバックアップのもと制作されたこともあって当時彼女は”第2のユーミン最右翼”と呼ばれていたようです。彼女自身は松任谷夫妻にプライベートでも面倒をみてもらっていたので、そう呼ばれることは全然イヤではなかった、とインタビューで語っています。
あらためて、同じ時代の他のアーティストの曲と聴き比べてみると、メロディーラインの軽やかさ、洗練のされ方は、かなり飛び抜けているように思います。
メロディー・ラインだけに限ったら、この人が日本の女性シンガー・ソングライター史上最強なんじゃないか、とさえ思ってしまいます。言い方が安易ですが、天才っぽさをすごく感じるというか、、。
その後彼女は「オリビアを聴きながら」をはじめとして名曲をたくさん送りだしていったので、「マイ・ピュア・レディ」も彼女のディスコグラフィの中でのプライオリティがそんなに高くなくなってしまっていったようにも思うのですが(この曲が入っていないコンピレーションがけっこうありますし)、1977年にこれほど洗練された楽曲が日本全国津々浦々までTVから大量に流れたことというのは、<大衆の耳>に変化を起こしたのは間違いなくて、それは日本のポップス史的にはかなり重要なことだったと僕は思うんです。
この後、どんどん生まれてゆくシティポップが受け入れられる土壌が作られるのにこの「マイ・ピュア・レディ」は大きな役割を果たしたんじゃないか、と。
2016年にデビュー40周年を記念して、レーベルを超えて選曲された三枚組の決定版ベスト・アルバム。
「マイ・ピュア・レディ」の頃、キャリア初期の彼女の作品を聴いてみたい方にはこのベストがいいかもです。
1978年の資生堂の夏のCMソングはこれでしたね