おはようございます。
今日は矢沢永吉の「時間よ止まれ」です。
1970年代後半〜80年代にかけて、ニュー・ミュージック〜シティポップスが盛り上がった時期に10代を過ごしたが為に、僕は田舎者なのに、いや田舎者だからこそいっそう都会的なポップスにハマってしまった人間なので、今回当時のことをじっくり思い出してみました。
歌謡曲とフォークで満ちていた当時の空気を一気に変えたと僕が感じたのは原田真二の「てぃーんずぶるーす」、「キャンディ」、「シャドウ・ボクサー」の三ヶ月連続シングルでした。1977年の終わりのことでした。
そのあと、ガツン、ときたのはこの「時間よ止まれ」です。1978年の春です。
都会的な洗練をすごく感じたんです。ご本人は革ジャン、リーゼントのシンガーなのに。
彼の長いキャリアを振り返ってもこの曲はちょっと浮き上がっているように思えます。
「YES、MY LOVE」とか「MISTY」とか彼には他にも洗練されたいい曲があるのですが、その中でも「時間よ止まれ」は格別な感じがします。
この曲は資生堂のCMソングでしたが、当時こういう都会的な音楽が聴けるソースとしてTVCMは大変重要でした。
彼がこのCMをやる布石になったのは、前年(1977年)にダウン・タウン・ブギウギ・バンドが資生堂のCMをやったことだったそうです。
女性向け化粧品のCMに不良っぽい、反社会的なイメージのアーティストを抜擢するのは相当な冒険でしたが、成功したわけです。
「サクセス」ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 9thシングル 1977年
そこで、2年続けて彼らの起用を考えたそうですが、先に他の化粧品メーカーが彼らにアプローチしていた為に、白羽の矢が立ったのが永ちゃん、だったのです。
「時間よ止まれ」というタイトルは、1977年に電通が主催し、各方面のクリエイターが集まりフィジーや、サモアを旅をするという「南太平洋・裸足の旅」(阿久悠、横尾忠則、池田満寿夫などが参加)で「まるで時間が止まっているようだ」という発言があり、それをもとに資生堂が考えたキャッチコピーだったそうです。
この旅に参加していた音楽プロデューサー酒井政利のところにちょうど矢沢サイドから会ってほしいという相談があったことから、酒井がこの企画を彼に持ち込み、彼のところに絵コンテとそのコピーが送られてきたそうです。
CMの音楽プロデューサー、大森昭男はこう語っています。
「ギター一本で自分でメロディーを歌われていたんです。作詞は山川啓介さんにしてほしいと指定もされていて、テープの最初の部分で作詞のイメージを言葉で話してるんですよ。絵コンテから想像して、こういうイメージなんだって。その中にパシフィックという言葉はもうあったと思いますね。プロデューサー感覚のある人なんだなってちょっと驚いた記憶があります。」
(「みんなCM音楽を歌っていた 大森昭男ともうひとつのJ-POP」)
山川啓介は矢沢と仕事をするきっかけについてこう語っています。
「“俺より詞のうまい奴はたくさんいる。無名でもいいから、詞は俺の思いを伝えてくれる奴に頼みたい”ということで作詞家を探していたらしいです。そのころ僕は、ジャズドラマーの猪俣猛さんのリサイタルで構成を担当していて、猪俣さんに依頼されてある洋楽曲の訳詞を書いたのですが、その歌のことを、バックバンドのギタリストだった水谷公生さんが矢沢さんに「こういうのを書く奴がいるよ」と話してくれたんです。矢沢さんが会ってみたいということで呼ばれまして、書かせていただくようになりました。」
(作家で聴く音楽〜JASARAC会員作家インタビュー)
しかし、酒井氏によると、山川啓介の歌詞が完成すると、矢沢は「人の詞は歌いたくない」と言い出したという話もあります。
「すごくいい曲だったのでなんども説得したら、『条件がある。矢沢、この歌は一生歌わないよ」と(笑)。ところが、2009年の紅白歌合戦に特別出演した際、彼はこの歌を歌いましたね。ファンの要望が一番多かったようです」
(濱口秀樹著「ヒットソングを創った男たち 歌謡曲黄金時代の仕掛け人」)
もともと自分が声をかけて組んだ作詞家の歌詞を歌いたくない、というのはつじつまが合わないですよね。僕の想像ですが、本人は売れたいという気持ちがありながら、やはりCMのタイアップ・ソングで、本来の自分とは違う世界観を歌うことにも抵抗があって、そこで、何か自分なりの”線引き”というか”ケジメ”をつけたいということだったのではないかと僕は思います。
とはいっても、完成された曲は、矢沢がCMのコンセプトをしっかり考慮して、プロデューサー感覚で作った思えるような見事な曲になっていたわけです。
僕がこの曲の大きな魅力だと思うのがアレンジ、サウンドです。
エンジニアは、はっぴいえんどや細野晴臣(「HOSONO HOUSE」)を手がけていた吉野金次、演奏陣は坂本龍一、高橋幸宏、後藤次利という生粋の”東京っ子”が集まっています。
大森氏はこう語っています。
「吉野さんがへッドアレンジで色々意見を言って、坂本さんが突然フレーズを思いついて弾いてみたり。相当クリエイティヴな空気でした」
(「みんなCM音楽を歌っていた 大森昭男ともうひとつのJ-POP」)
編曲家をたてずに、スタジオでメンバーがアイディアを出し合いながら作っていたという、当時の洋楽スタイルですね。
坂本龍一はこう語っています。
「要するに勘だけであそこまでやってる人だから。自分は別に何‥‥、ま、ベースは弾けますけど、ピアノなら、こういう風に弾いてほしい、っていうことをね、うまく言えないわけ。だから、すごいじれったいのね。彼自身がね。だから、たくさん色んなこと言うわけ(笑)。」
「で、頭の中でさ、こんなこと言ってるからこういうことかなって返す。
だから、ほとんど言葉では何にも言えないよね。コミュニケーションのしかたが
わからないから(笑)。音で返すって感じで。」
「それで、何時間もそういうことが行なわれてて、矢沢ってのもおもしろいなと思ったのは、意外とそれでね、繊細っていうかさ、ピンポイントで、全員をそこまで持ってくわけ。何時間もかかって。1曲を。」
「けっこう時間かかってる。僕もだから、うわーって来られて、こうかなこうかなって、「だけど、ちょっと違うんだよな」ってまた来るんだよね(笑)。」
矢沢永吉と坂本龍一のやりとりって、想像してみると実に興味深いですね。
編曲のクレジットは矢沢ですが、高橋幸宏が以前TV番組でこの曲のアレンジは坂本だと言っていたたらしく、その意図がよくわかります。
矢沢から、まるで長嶋茂雄のような(?)、たぶん本人にしかわからないような表現で投げかけられたイメージを、坂本が実際に音にしながら組み立てていったんですね。
ですから、編曲のクレジットは矢沢でも、高橋幸宏は実質、坂本がやったようなものだと感じたのでしょう。
ともかく、日本のポップス史に残る素晴らしいアレンジだと思います。
あと、やはり永ちゃんの書いたメロディもオリジナリティがあって素晴らしいですね。
彼は、自分でも公言していますが、日本で最も”音楽のインプットが少ない”アーティストです。小田和正も音楽をあまりたくさん聴いてこなかったと言っていますが、矢沢の場合、自分で買ったレコードは後にも先にもビートルズくらい、あとは勉強のために買った「氷の世界」(井上陽水)とバリー・ホワイト、それくらいだと言っています。
それどころか、かえって、ミュージシャン、アレンジャー、プロデューサーはいろんな音楽を“聞き過ぎ”だと発言しているくらいです。
「じゃ誰の影響も受けてないかっていうと、受けてんのよ。風のように耳に入ってんだけど、それを全部写しているやつと、生活環境の中に入っているものをどういう風に噛み砕いて飲んでいるかの差なのね、はっきり言って。僕は自然に噛んでさばいてるみたい。さばいて、口から食ってケツから出る段階ではもう矢沢永吉のもんなわけ。俺は写してるんじゃないんで、ちゃんとそこには矢沢永吉として生まれてきてんのね」
(ROCKIN'ON JAPAN FILE)
その唯一好きだったビートルズに関しても「抱きしめたい」はちっともいいと思わなかったようで、次に「シー・ラヴズ・ユー」を聴いた時にコード進行やメロディがいい、と思ったそうです。
ただし、まんまビートルズっぽい曲は彼のレパートリーにはないですよね。
バリー・ホワイトに関しても彼のような音楽は作っていませんが、その気持ちの良さは自分のどこかに入っていて、自分の歯車と一緒になっているとも語っています。
僕が推測するに、彼の中には、特にメロディーやコード感について気持ちのいいツボがあって、それを自分なりに追求しながら曲を作っているんじゃないかと思います。きっと、自分でも何が出てくるか、どう着地するのかわからないような。
「時間よ止まれ」は、誰にも、どの洋楽、邦楽にも全然似ていない曲になっています。
CM用ということで、それまでの自分の作品とは違う洗練されたものを意図した彼の特異な感性と、その当時日本で最も都会的なミュージシャンのセンスと技量が、奇跡的に噛み合った曲だと言ってもいいでしょう。
「時間よ止まれ」が収録されたアルバム。当時本当に売れましたよね。
「時間よ止まれ」など資生堂のCMソングや、山下達郎、大貫妙子などのCMを数多く手がけた大森昭男の歩みを追った貴重な書。大瀧詠一との対談も収録。