おはようございます。
今日は「愛に生きる二人」の一つ前のバリー・マニロウのシングルを。昨日のブログで、肝心のバリー本人には一切触れていなかったのに気づいたので、、(苦笑。
Barry Manilow - Can't Smile Without You (Audio)
" *君がいないと笑顔になれないんだよ
君がいないと笑顔になれないんだ
笑えないし 歌うこともできない
何も手につかないんだ
わかるだろ 君が悲しい時は僕も悲しい
君がうれしけりゃ 僕だってうれしい
僕がどんな思いでいるのか君がわかってくれたなら
君がいないと笑顔になれないんだよ
まるで歌が流れてくるみたいに 君は現れて
僕の毎日を輝かせた
君は僕の夢の一部だったことを 誰が信じただろう
それも今では はるか遠くのことのよう
*Repeat
幸せを見つけるのはすごく時間がかかるって誰かが言っていた
僕は君への愛を置き去りにするなんて無理だよ
* Repeat ” (拙訳)
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アメリカのショー・ビジネス界のスーパースターとして君臨し、上品でスマートな雰囲気のあるバリー・マニロウですが、実は相当な苦労人なんですね。
2歳で父親が家を出てしまい、ブルックリンの貧しい地区で育った彼は、継父が持っていたジャズやブロードウェイのレコードに夢中になったことがきっかけでミュージシャンを目指しすようになったそうです。
そして、音楽大学で学びながら、学費を稼ぐためにCBS(テレビ局)で社員に郵便を届けるメール・ボーイをやっていました。
しかし、その仕事のおかげでCBSのディレクターと知り合いになり、やがてアレンジの仕事をもらうようになります。
そして、彼はテレビ番組の音楽監督をやったり、オフ・ブロード・ウェイの舞台用の音楽や、ラジオやテレビのジングル、CM用の音楽を作りながら、夜はナイト・クラヴでピアノを弾くという日々を続けていたそうです。
TVCMではケンタッキー・フライドチキン、マクドナルド、ペプシ、バンドエイドなど有名なものがたくさんあって、1977年に全米1位になったライヴアルバム「マニロウ・ライヴ」では彼の作ったCMソングをメドレーでやっています。
彼のキャリアは、”大変優秀な裏方”としてスタートしたわけです。
ナイト・クラブでピアノを弾く彼に目をつけたアーティストがいました。
それがベット・ミドラーです。彼女は彼をバンドのピアニストとしてだけではなく、デビュー・アルバムのプロデューサーの一人に抜擢します。アルバムはグラミー賞の最優秀アルバムにノミネートされ、彼女は最優秀新人賞を獲得しました。
そして、彼はアーティストとしても1973年にデビューします。しかし、そのレコード会社(ベル・レコード)は買収され新しいレコード会社が作られることになります。多くのアーティストが契約を切られる中で、新しいレコード会社の社長は彼に可能性を見出します。社長はクライヴ・デイヴィス。CBSレコードの社長でいくつも大ヒットを飛ばしたカリスマですが、内紛でCBSを出ることになったのです。
そして、クライヴのプロデュースで彼は一気にスーパースターへの道を登っていきます。クライヴ・デイヴィスの1番の武器は、アーティストにぴったりな”売れる”楽曲を選ぶ”耳”でした。
バリーはすでに全国区のCMソングをいくつも書いてきた作曲家で、他のグラミー賞アーティストのプロデューサーもやっていたほどの人なのに、クライヴはシングル曲はバリー本人には書かせず、外部から曲を探し出してきて歌わせる方針をとったのです。
この「涙色の微笑」もイギリスのソングライター・チーム、クリス・アーノルド、デヴィド・マーティン、ジェフ・モロウの3人が書いたものでした。彼らはエルヴィス・プレスリーなどに曲を書いています。
Elvis Presley Let's Be Friends
もともと、この「涙色の微笑」はソングライターの一人、デヴィッド・マーティンが1975年にシングルとしてひっそりとリリースしていたものでした。
David Martin - Can't Smile Without You
そして、この曲をアメリカの男性デュオ”Vance Or Towers”(二人のうち、DBクーパーはのちに硬派なロッカーとして活動しています)がカバーします。
Vance Or Towers - Can't Smile Without You 1975
これも全く売れませんでしたが、彼らと同じレコード会社(A&M)のカーペンターズが1977年にカバーすることになります。同じレーベルですから、Vance Or Towersのヴァージョンを誰かスタッフが聴いて推薦したという可能性はかなりあるんじゃないでしょうか。
カーペンターズのヴァージョンはアルバム「見つめあう恋」に収録されています。
「微笑の泉」という邦題がつけられていました。
注目したいのは曲終わりに口笛が出てくるところです。バリーはこれを聴いて、口笛はイントロのほうが印象的になると思ったのではないでしょうか。
カーペンターズより少し前にこの曲をやっていたのが、コアなAORファンに知られている、ジノ・クニコ(日本人女性みたいな名前ですがw)。実は、彼はバリーと同じレーベル”アリスタ”で、バリーより先に2年前にカバーしています。曲の後半で盛り上がるアレンジになっていて、バリーは曲の後半どーんと盛り上げるの(例えば「歌の贈り物」)が彼の当時の十八番(?)でもあったので、このアイディアを採用したのではないかと僕は推測します。
GINO CUNICO - CAN'T SMILE WITHOUT YOU
そして、バリーのヴァージョンで僕が注目したい変更点は
”You must know what I'm going through"
ということろを
”If you only knew what I'm going through” にしているところです。
歌詞を変えただけじゃなく、メロディ、リズムも変えているんですね。これによってすごくアクセントがついています。まず、メロディ、リズムを変えたかったから、歌詞を変えたんじゃないかと僕は思います。
この曲のヴァージョンを聴けばわかると思いますが、親しみやすく、優しさのあるとてもいい曲です。ただ、難を言えば単調だということでしょう。
バリーは、イントロに口笛を置き、後半盛り上げるアレンジにし、メロディも細かいところですが変更してメリハリをつけています。
たとえ原曲が良い曲でも、ヒットさせるには細部にわたって工夫する必要があるんだなあ、と僕は思いました。
「涙色の微笑」、そして「コパカバーナ」も収録されたバリー・マニロウの代表作。
この曲に加え、「青春の輝き(I Need To Be In Love)」も収録されている、カーペンターズの「見つめあう恋」
ヴィニ・ポンシアがプロデュースしたAOR、MORファンから人気のジノ・クニコのアルバム