まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「虹の彼方に(Over the Rainbow)」ジュディ・ガーランド(1939)

 おはようございます。

 今日はジュディ・ガーランド虹の彼方に(Over the Rainbow)」です。

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Somewhere over the rainbow
Way up high
There's a land that I heard of
Once in a lullaby


Somewhere over the rainbow
Skies are blue
And the dreams that you dare to dream
Really do come true


Someday I'll wish upon a star
And wake up where the clouds are far
Behind me
Where troubles melt like lemon drops
Away above the chimney tops
That's where you'll find me


Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why, then, oh, why can't I?

 

If happy little bluebirds fly
Beyond the rainbow
Why, oh, why can't I?

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どこか、虹の彼方の
とても高く
いつか子守唄で聞いたことのある国がある


どこか、虹の彼方は
空が青くて
あなたがおそれずに見た夢は
かならず、かなう


いつの日か 星に願いをこめて
目が覚めると
雲は私の後ろ はるか遠くに消えて
悩みもレモンドロップのように溶けてゆく
煙突よりずっと高く
そこであなたは私を見つけるでしょう


どこか、虹の彼方では
青い鳥が飛ぶ
鳥は虹のをこえて飛ぶのに
どうして、それなら、私にもできないはずはない

                 (拙訳)

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「虹の彼方に(Over The Rainbow)」の楽譜はこちら

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 この曲は 1939年にアメリカのミュージカル映画オズの魔法使い」の主題歌で、2001年には全米レコード協会と国立芸術基金などが主催し投票が行われた「20世紀の名曲」(Songs of the Century)で見事1位に選ばれています(2位は「ホワイト・クリスマス」)。

 

 僕は、「オズの魔法使い」は映画じゃなく。1974年の日本のTVドラマ版(主役のドロシーはシェリー。他に高見ノッポさん常田富士男さんなんかが出ていました)で知りました。

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 このとき僕は小学4年生で、「虹の彼方に」のメロディが刷り込まれて頭にずっとなるようになってしまい、あるときこっそり学校の音楽室に入ってオルガンで「虹の彼方に」のメロディを探したんですよね。それでハ長調だと、ド〜ド、シ、ソ、ラ、シ、ドって、このアタマでいきなり1オクターヴあがるっていうのに感激して、その場で何度も弾いたことをおぼえています(苦笑。

 

 この曲を作曲したのがハロルド・アーレン。

 ニューヨーク州バッファローに生まれ、ユダヤ教会の先唄者を父に持つ彼は、子供の頃からピアノを学び、楽団でシンガー件、ピアニスト、編曲家として活動していました。しかし、その頃から即興で作曲することが大好きだった彼は、その才能を見出され引き合わされた作詞家と作った「Get Happy」がいきなりヒットします。

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 1933年に彼が書いた「ストーミー・ウェザー」がニューヨークのハーレムにある”コットン・クラブ”で初お披露目され大人気になります。

 ハロルド本人が歌っているヴァージョンがあるのでそちらを。

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  同じく1933年には作詞家のエドガー・イップ・ハーバーグ(共作詞でビリー・ローズ)とジャズ・スタンダード「イッツ・オンリー・ペーパー・ムーン」を書いています。

  こちらはエラ・フィッツジェラルドのヴァージョンで。

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  このころのアメリカのポピュラー・ミュージックは、基本的に映画や舞台を楽しむお金のある中流階級向けに中流階級出身の音楽家が作っていたものだったんですね。

 例外的に貧しい育ちだったのが「ホワイト・クリスマス」を書いたアーヴィング・バーリン。それから、この曲を作詞したエドガー・イップ・ハーバーグでした。

 

 彼は1932年に大恐慌をテーマにした曲「Brother, Can You Spare a Dime?」(兄弟、10セント恵んでくれないか)という曲を書いています。

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 ハーバーグ自身も、大学卒業後電器店を開業し自力で豊かな生活を手に入れましたが、1929年の大恐慌で全てをなくし、

「手元に残ったのは鉛筆ぐらいだった」という状況で、大学時代に志した作詞で身を立てる決意をしたそうです。

 

 すでに実績のあったアーレンとハーバーグの元に届いた、ミュージカル映画の仕事がこの「オズの魔法使い」でした。

  この映画のプロデューサー、アーサー・フリードは二人の書いた「in the shade of the new apple tree」とい曲が気に入ったと言われています。

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  この曲のメロディは突然浮かんだそうです

「アーレンは、妻と一緒にグラウマンズ・チャイニーズ・シアターへ行く途中、サンセット大通りのシュワブ薬局の前を通ったとき、車を止めるように妻に頼んだ。そして、いつも持ち歩いていた楽譜用紙に「虹の彼方に」の曲を書き留めたのだ」

 (COLUMBIA NEWS  November 15, 2017)

 

 しかし、曲を聞かされたハーバーグは気に入らなかったようです。理由はテンポが遅すぎたという説や、ピアノのアレンジが派手すぎたと説があります。しかし、彼の友人であった作詞家のアイラ・ガーシュインがこの曲を褒めたことで、彼もやる気になったそうです。

 そして、この曲は映画の始めのほうで使われます。

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 しかし、この曲に立ちはだかった人物がいました。「オズの魔法使い」を制作した映画会社MGMのトップ、ルイス・B・メイヤーです。

 この曲を先行上映する際に、このシーンをカットするよう指示したのです。子供向けの映画なので、このシーンが進行を遅くすると判断したのです。

 そこで、映画のプロデューサーのアーサー・フリードは「曲を残さなければ、僕は辞める」とメイヤーに直談判したそうです。

 すると、メイヤーはこう言ったそうです。

 “Let the boys have the damn song. Put it back in the picture. It can’t hurt.” 

「おまえらに、あのクソ曲を使わせてやるよ。映画に戻せばいい。害はないからな」

 

 この話で思い出すのは、少し前にこのブログで取り上げた「ムーン・リバー」ですね。

 この曲が使われた映画「ティファニーで朝食を」の試写を見た映画の制作トップのマーティ・ラッキンはこう言ったんですよね。

 ”Well, the fucking song has to go”(ええと、あのクソみたいな歌はカットしなくちゃいけない)

 

「虹の彼方に」は"the damn song"、「ムーン・リバー」は"the fucking song"と、映画会社のトップに言われた曲だったんですね。

 それが、アメリカン・フィルム・インスティチュートが選定したアメリカ映画100年を記念して選んだ映画主題歌ベスト100において、「虹の彼方に」は1位、「ムーン・リバー」は4位になっているんですから。

 少なくともポップ・ミュージックについては”おエラいさん”の意見や感想なんて気にしなくていいですよ!アーティスト、ソングライターのみなさん(笑。

 

 さて、この曲を歌ったジュディ・ガーランドの晩年については、2019年の映画「ジュディ 虹の彼方に」で描かれていました。

 

 本名はフランシス・エセル・ガム(Frances Ethel Gumm)。父親がボードビリアン、母親がピアニストの家庭で3人姉妹の末っ子として生まれています。

 

 彼女は3姉妹で”ガム・シスターズ”としてパフォーマンスを始めますが、途中から名前が良くないとのアドバイスもあり、”ガーランド・シスターズ”に改名します。そして間も無く彼女はファーストネームも彼女が好きだったホーギー・カーマイケルの歌のタイトルからとった「ジュディ」に変更しています。

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 映画会社MGMのオーディションで合格した彼女は、身長が151cmと低く、スターらしい華やかな容姿も持ち合わせていなかったため、隣の女の子(Girl Next Door)的な役回りをあてがえらえていたようです。

 

 そして「オズの魔法使い」の映画化に際しては、その時代の人気子役シャーリー・テンプルが候補になっていたようですが、彼女の歌唱力を高く評価したアーサー・フリードのプッシュで彼女に決まったと言われています(ルイス・B・メイヤーは大反対だったそうですが)。

 ジュディはこのころすでに16歳で(シャーリー・テンプルは11歳)、主役ドロシーを演じるには少し年齢が上でした。

 また映画「ジュディ 虹の彼方に」でも描かれていたようにその年齢の子供には過酷なダイエット(食事制限)も課されていたようです。

 

 しかし苦労の甲斐あって、映画は大ヒットし、「虹の彼方に」は彼女のトレードマークとして生涯歌い続けられました。

 

 彼女はかつてこう語っていたそうです。

「わたしはいつも”オズの魔法使い”をシリアスに受け止めてきたわ。その虹の考えを私は信じているの。そして、私は生涯を通して、それを乗り越えようとしてきたわ」

The New York Times  June 22 2016)

 

   彼女は幼い頃からショー・ビジネスの世界へ後押ししてきた両親の過度な期待や、映画会社からのプレッシャー、容姿に対するコンンプレックスなどさまざまな不安を抱え、そこに、食事制限のストレスも加わり、若い頃から薬物を摂取し、生涯それが断つことができなかったと言われています。

 そして47歳の若さで亡くなってしまいますが、彼女が亡くなるひと月前に、「虹の彼方に」を彼女が歌ったものがありましたので、そちらを最後に。

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 参考文献:「イージー・トゥ・リメンバー アメリカン・ポピュラー・ソングの黄金時代」

 

ベスト・オブ・ジュディ・ガーランド

ベスト・オブ・ジュディ・ガーランド

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