おはようございます。今日はボストンの「宇宙の彼方へ」です。
I looked out this morning and the sun was gone
Turned on some music to start my day
I lost myself in a familiar song
I closed my eyes and I slipped away
It's more than a feeling (more than a feeling)
When I hear that old song they used to play (more than a feeling)
I begin dreaming (more than a feeling)
'Till I see Marianne walk away
I see my Marianne walkin' away
So many people have come and gone
Their faces fade as the years go by
Yet I still recall as I wander on
As clear as the sun in the summer sky
It's more than a feeling (more than a feeling)
When I hear that old song they used to play (more than a feeling)
I begin dreaming (more than a feeling)
'Till I see Marianne walk away
I see my Marianne walkin' away
When I'm tired and thinking cold
I hide in my music, forget the day
And dream of a girl I used to know
I closed my eyes and she slipped away
She slipped away
It's more than a feeling (more than a feeling)
When I hear that old song they used to play (more than a feeling)
I begin dreaming (more than a feeling)
'Till I see Marianne walk away
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今朝、外を見ると太陽はのぼっていて
一日の始まりに音楽をかける
馴染みの曲にひたって
目を閉じれば、僕は現実を抜け出したんだ
それは感覚を超えたもの
昔流れていた古い曲を耳にすると
僕は夢を見始める
マリアンが歩き去るのが見えるまで
僕のマリアンが立ち去るのが見える
たくさんの人が来ては去っていく
年月とともに、彼らの顔は消えていく
まだ、僕はおぼえているよ、不思議なことに
夏空に浮かぶ太陽のようにはっきりと
それは感覚を超えたもの
昔流れていた古い曲を聞くと
僕は夢を見始める
マリアンが歩き去るのが見えるまで
僕のマリアンが立ち去るのが見えるんだ
疲れて寒さを感じると
僕は音楽に隠れて、現実を忘れる
そして、昔知っていた女の子の夢を見て
目を閉じると、彼女は行ってしまった
彼女は消えてしまった
それは感覚を超えたもの
昔流れていた古い曲を聞くと
僕は夢を見始める
マリアンが歩き去るのが見えるまで
僕のマリアンが立ち去るのが見えるんだ
(和訳)
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ボストンの中心人物トム・ショルツはロック・アーティストの中でも大変めずらしいタイプの人間です。
建築デザイナーと造園家の息子として生まれ、機械いじりがとにかく好きだったという彼は「物心ついたときから、僕は修理屋であり、建設屋であり、発明家だったよ」と語っています。
音楽的には、4歳と5歳の時に両親から、モノラルのプレイヤーとクラシックのレコードコレクションを与えられ、そればかり聴いていたそうです。そして、クラシックピアノも習っていました。
全額奨学金でマサチューセッツ工科大学に入学したといいますから、相当優秀だったのでしょう。生まれ育ったオハイオ州を離れボストンで生活を始めます。本格的に彼がロックの洗礼を受けたのは、大学生になってからだったようです。
初めてギターを手にしたのが大学3年のときで、そのときはまだほんの楽しみ程度でバンドをやっていたといいます。
機械工学の学士号と修士号を取得した彼は、1970年からポラロイド社で上級製品設計エンジニアとして働き始めます。
カリキュラムが過酷で勉強漬けだった大学時代に比べ、就職後は17時には仕事が終わり自由な時間を手にした彼は、大学時代に、ラジオから流れてくるアニマルズ、キンクス、ヤードバーズなどを聴いてロックンロールに夢中になっていたこともあって、独学で楽器を学び、家にいる時間をすべて音楽に集中させることにしました。
また、ポラロイド社では、製品設計エンジニアとして、オーディオ・エレクトロニクスやテープ・レコーディングについて多くのことを学び、スタジオ機器の製作やレコーディングの方法を理解することができました。
彼は、借りていたアパートメントの地下室にスタジオを作り、機材を自分なりに改良しながらシステムを構築し、大学時代に知り合ったバンド仲間に協力してもらってデモを作り始めます。ドラムとボーカル以外はすべて自分が演奏し、オーバーダビングして重ねるという方法を取っていました。
そしてデモができるたびに、レコード会社に送り続けますが興味を持ってくれるところは一つもなかったといいます。
何年もの膨大な時間とお金をかけてきましたがまったく結果が出ず、1974年頃には彼は夢を諦めかけていましたが、これが最後にすると決めて、新たに12チャンネルのテープレコーダーを購入し6曲のデモを作ることにします。
そしてそのうち4曲ができたときにデモを送ったところ、あるマネージメント会社が興味を持ち、彼らがEpicレコードに売り込みますが、やはり全く興味を持たれなかったそうです。
そして、後がなくなったトムはもう2曲のデモを作ることにします。そのうちの1曲がこの「宇宙の彼方へ」だったのです。
「6年間、何十社ものレコード会社に何十ものデモを送ったけど、断られることばかりだった。この時、僕は29歳で、そろそろ責任を持たなければならないと考えた。結婚もしていた。お金が有り余っていたわけではなかった。これが僕の最後のデモになるだろうと思い、完成させたのが「宇宙の彼方へ」だったんだ」
(Entertainment Weekly March 13, 2016)
この曲を聴くと、Epicは手のひら返しのようにレコード契約を申し出たそうです。
ファーストアルバム「幻想飛行」には、1969年にトムが初めて作曲した「Forplay」という曲も入っています。
ちなみに、この「宇宙の彼方に」のインスピレーションになった曲の一つは、レフトバンクの「いとしのルネ」だったそうです。
確かに、この曲のマリアンもルネも、主人公のイメージの中で目の前を歩き去ってしまいます。
またマリアンのモデルは彼の年上のいとこでした。
この「宇宙の彼方へ」はラジオヒットになり、最終的に全米5位、アルバム「幻想飛行」は全米3位で、2008年にガンズ&ローゼズのデビュー・アルバムに抜かれるまで、史上最も売れたデビュー・アルバムの座に君臨していました。
この曲の大ヒットは、当時たくさんいた、ヒットが出せなくてくすぶっていたハード・ロック・バンドたちに少なからず影響を与えたんじゃないかと思います。実際多くのバンドがメロディアスでサウンド重視の方向に向かいました。
そして、この曲はアリーナ・ロック(産業ロック)の出発点ともいうべき記念碑的なものであったように思えます。
しかも、それを作ったのがライヴ・バンドではなく、基本的に個人の宅録によるものだったというのがなんとも、不思議です。ボストンは、デビューすることになってあわててバンドを結成したわけですから。
しかし、”産業ロック”という呼び名ですが、当時は売れ線に走ったロック・バンドに対するネガティヴな呼び名だったでしたよね。1970年代後半はちょうどパンクが”純粋な”ロックの象徴のような対照的な存在としてありましたし。
今思えばナンセンスな呼び方だと思います、どんなジャンルの音楽でもレコードになるということは産業の中でやるということなんですから。
しかし、当時はネットもなくレコード会社が強力なイニシアチヴを握っていましたから、それに対する軋轢のようなものは当然あったわけです。理不尽なこともたくさんあったでしょう。その頃、よく使われていた<売れ線=魂を売った>というような言い方も、その強固で冷徹なシステムに跳ね返されてしまった側の人間にとっては、そうでも言わなきゃとてもやってられない、という精神的には不可欠なものでもあったのかな、と思ったりもします。
話が逸れてしまいましたが、僕が思ったのは、トム・シュルツという人は、売れ線云々などとは関係なく、自分の気質、興味、技能のすべてを、ひたすら音楽の形で追求した人だったんだな、ということです。それがたまたま、アリーナ・ロックの先駆けになってしまっただけじゃないかと。
建築工学を学び、幼い頃からクラシックに慣れ親しんでいた彼は、「設計」し「構築」していくということへの執着が並外れていて、その気質がハード・ロックに向かったわけです。ロックは本来もっと衝動的で感覚的な人種が多いはずですから、彼みたいなのは異色の存在ですよね。
ただ、「設計」「構築」などというと、作品として味気ないものになりそうですが、そうならなかったのは、”音楽ならではのイマジネーション”を彼がよく理解していたからだと僕は思います。例えば、この「宇宙の彼方へ」のように、<手の届かない異性を夢想する>というのはポップ・ミュージックの聴き方として最も根源的なものですから。
音楽を聴きながら、愛する人を思い浮かべるという、いたって根源的なストーリーを、彼はサウンドで緻密に構築し表現しているので、大衆にしっかりとウケたのでしょう。
しかし、そう考えると「宇宙の彼方へ」は、歌の世界と全く関係ない邦題ですね。アルバムの邦題の「幻想飛行」のほうがまだ近いと思います。アルバムのジャケットがUFOですから、そっちが「宇宙の彼方へ」じゃないか!などと思ったのですが、いったい何十年前のことを僕は蒸し返しているのでしょう(苦笑。
最後は、トムが得意とする”女性夢想もの(?)”、1986年に全米1位を獲得した「アマンダ」を。