まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「ビヨンド・ザ・シー(Beyond the Sea)」ボビー・ダーリン(1960)

 おはようございます。

 今日はボビー・ダーリンの「ビヨンド・ザ・シー」を。

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Somewhere beyond the sea
Somewhere waiting for me
My lover stands on golden sands
And watches the ships that go sailing

Somewhere beyond the sea
She's there watching for me
If I could fly like birds on high
Then straight to her arms
I'd go sailing

It's far beyond the stars
It's near beyond the moon
I know beyond a doubt
My heart will lead me there soon

We'll meet beyond the shore
We'll kiss just as before
Happy we'll be beyond the sea
And never again I'll go sailing

I know beyond a doubt
My heart will lead me there soon
We'll meet (I know we'll meet) beyond the shore
We'll kiss just as before
Happy we'll be beyond the sea
And never again I'll go sailing

No more sailing
So long sailing
Bye, bye sailing...

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どこか 海の彼方の
どこかで僕を待っている
僕の恋人は黄金の砂の上に立ち
帆走する船を見つめる

どこか 海の彼方で
彼女はそこで僕を待っている
鳥のように高く飛べたなら
まっすぐ彼女の腕の中に向かうだろう
航海に出るだろう

星々の遥か彼方に
月の向こう側の近くで
疑う余地もなく
心はすぐに僕をそこへと導くだろう

渚の向こうで僕らは出会うだろう
以前のようにキスをするだろう
海の彼方で幸せになろう
そして、もう二度と出航はしない

疑う余地もなく
心はすぐに僕をそこへと導くだろう
渚の向こうで僕らは出会うだろう
以前のようにキスをするだろう
海の彼方で幸せになろう
そして、もう二度と出航はしない

もう船には乗ることはない
さよなら、船の旅
バイバイ、セイリング

              (拙訳)

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 この曲はボビー・ダーリンが歌い1960年に全米6位、全英8位のヒットになりました。

 オリジナルはフランスのシャンソン歌手シャルル・トレメが自身で作詞作曲して歌った 1946年のヒット「ラ・メール(La mer)」。そこに、フランク・シナトラなどジャズ・シンガーやブロードウェイの作品も手がけた作詞家ジャック・ローレンスが英語詞をつけたものでした。

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 ボビー・ダーリンは本名をウォルデン・ロバート・カソットといい、ニューヨークのイースト・ハーレムで生まれました。幼い頃にリュウマチ熱にかかり、心臓を病んでいた彼は16歳まで生きられないだろうと言われていたそうです。そういう運命のもとで、幼い頃から様々な楽器をマスターした彼は、フランク・シナトラのような世界一のエンターテイナーになるという強い野心を生きる力に変えていました

 

 彼が音楽ビジネスに入るきっかけはドン・カーシュナーとの出会いでした。ワシントンはいつのキャンディ・ストアで出会ったと言われています。ドンは後にアルドン・ミュージックという会社で、キャロル・キング&ジェリー・ゴフィン、バリー・マン&シンシア・ワイル、ニール・セダカ&ハワード・グリーンフィールドなどの売れっ子作家を抱え大ヒットを連発し、モンキーズも生み出した、60年代ポップスの影の仕掛け人です。

  当時、ドンは地元ニュージャージーの商店のためにCMソングを作っていました。

二人は「バブルガム・ポップ」という曲を共作し、それが少し成功したことから、ポップ・ミュージックの世界に入っていきます。

   二人の書いた「My First Real Love」という曲が1956年にコニー・フランシスに採用されたことから、のちにドンは彼女にニール・セダカの「間抜けなキューピッド(Stupid Cupid)」という曲を歌ってもらい大ヒットし、そこから彼の会社が軌道に乗っていきました。

 ボビーの方はコニーと恋仲になり結婚も考えたそうですが、彼女の父親の大反対にあって破局してしまったそうです。

 

  ボビーは1956年にシンガーとしてデビューします。初めてのヒットアトランティック・レコードの創設者アーメット・アーティガンに招かれ、アトランティックのサブレーベル”ATCO”に移籍したことがきかっけになりました。1958年リリースの「Splish Splash」。全米3位、R&Bチャートでは1位になっています。

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 そして、ボビーのシンガーとしての最盛期は1959年から60年。

きっかけはこの曲「ドリーム・ラバー(Dream Lover)」。ボビーの自作で全米2位の大ヒット。

 プロデュースはアーメット・アーティガン、アトランティックを代表する名プロデューサー、ジェリー・ウェクスラー、エンジニアはトム・ダウドというR&Bの名作を数多く手がけた布陣で作られました。ピアノはニール・セダカが弾いていたそうです。

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  その次が、たぶん彼のレパートリーの中では今、最も耳にする機会の多い曲。「マック・ザ・ナイフ」。原曲は1928年初演の舞台『三文オペラ』の劇中歌で、作曲はクルト・ヴァイル。1955年にルイ・アームストロングが軽快なジャズ・アレンジでヒットさせました。ボビーのカバーは全米9週連続1位、2016年にビルボードが発表した史上最高の100曲で第3位に選ばれるという、特大級のヒットになっています。

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 タモリが出てくる「メルカリ」のCMでこの曲のインストが流れていますね。

 ”舗道の上に 晴れた朝のことさ 死体が横たわっている

誰かが角を静かに曲がって行った それはマック・ザ・ナイフじゃないのか?”

 「マック・ザ・ナイフ」は殺し屋のことなんですね。すごく、軽快に歌ってますけど。日本では「匕首(あいくち)マック」なんて邦題がつけられてカバーされています。

 ボビーは、それまでロックンロール/ポップス・シンガーだったのがこの曲で、彼の憧れのシナトラのようなジャズ・シンガーのスタイルを打ち出したんですね。

 そして、その路線で作られたのがこの「ビヨンド・ザ・シー」だったわけです。

 

   その後彼は、この時期ほどの大ヒットはなかったものの、コンスタントにヒット曲をリリースし続けます。

 最後のトップテン・ヒットは1966年の「If I Were Carpenter」。フォーク・シンガー、ティム・ハーディンのカバーでした。この時代人気だったフォーク・ロックのスタイルで、彼はどんなジャンルも歌いこなせる人だったことがわかります。

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 最後は「ビヨンド・ザ・シー」が大好きだったというジョージ・ベンソン1984年のカバーを。

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