おはようございます。
今日はエリック・クラプトンの「チェンジ・ザ・ワールド」です。
If I could reach the stars
I'd pull one down for you
Shine it on my heart
So you could see the truth
That this love I have inside
Is everything it seems
But for now I find
It's only in my dreams
That I can
Change the world
I would be the sunlight in your universe
You would think my love was really something good
Baby if I could
Change the world
If I could be king
Even for a day
I'd take you as my queen
I'd have it no other way
And our love would rule
In this kingdom that we had made
'til then i'll be a fool
Wishing for the day
That I can
Change the world
I would be the sunlight in your universe
You would think my love was really something good
Baby if I could
Change the world
Writer/s: Gordon Scott Kennedy, Tommy L. Sims, Wayne Kirkpatrick
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”もし星に手が届くなら ひとつ君のためにとってあげたい
その星で僕の心を照らしてよ 君に真実がわかるように
僕の胸の中に見えるのはこの愛しかないってことを
だけど今は ただの夢のなかの話さ
世界を変えられるのなら
僕は君の世界を照らす太陽の光になるのに
僕の愛がすごくいいものだって思うだろう
もし僕が世界を変えられるなら
もし僕が王になれるなら たった1日でも
君を女王にするよ それ以外ありえない
僕らの愛が統治するんだ 二人で築いたこの王国を
それまでは僕は愚か者でいるよ その日が来るのを願いながら
世界を変えられるのなら
僕は君の世界を照らす太陽の光になるのに
僕の愛がすごくいいものだって思うだろう
もし僕が世界を変えられるなら " (拙訳)
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ジョン・トラボルタ主演の映画「フェノミナン」で使われ大ヒット、グラミー賞の主要2部門(最優秀レコード、最優秀楽曲)を制覇し、日本でも大変人気があった曲です。
ロック界のレジェンド、エリック・クラプトンと当時最大のヒットメイカーだったベイビーフェイスというすごい組み合わせに注目が集中して、どんな人がこの曲を書いたかはほとんど知られていないように思います。
曲を書いたのはシカゴ出身の黒人ベーシスト、トミー・シムズとナッシュビルをベースに活動している白人ミュージシャンのゴードン・ケネディ、ウェイン・カークパトリックの三人。
トミーはブルース・スプリングスティーン、マイケル・マクドナルド、ケニー・ロギンスといった錚々たるアーティストから声がかかるほどの凄腕ミュージシャン。ゴードンとは”Whiteheart”というCCM(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)のバンドを一緒にやっていたことがあり、ゴードンはガース・ブルックスやピーターフランプトンなどと仕事をしています。ウェインもプロのミュージシャン、ソングライターでゴードンと一緒にレコーディングやソング・ライティングをする仲間でした。
実はこの曲は1991年に作り始められていて、ヒットするのに6年もの月日が流れていました。
発端はトミーで、三人がレコーディングで一緒になった空き時間に、この曲のアイディア(タイトルやフレーズ)を他の二人に聴かせました。
メジャーレーベルが契約してくれることを望んでいたトミーは、ポップな曲を作りたくて二人に協力を要請し、彼らもそれにのります。
後日ウェインは曲のアイディアをトミーが録音したテープを受け取り、歌詞の大半をつけ、それを受け取ったゴードンが音楽的な修正をいくつかして、ウェインがつけていなかったパートの歌詞を考えたそうです。
三人がバトンタッチしながら、個別に考えた”曲のパーツ”を組み合わせるかたちでこの曲は作られたわけですね。
共作ではありますが、一度も三人揃ったかたちでは作業しなかったのです。
トミーが最初に「チェンジ・ザ・ワールド」というタイトルを思いついた時には、もう少し社会的な意識が反映されていたようですが、ラヴ・ソングにするのはウェインのアイディアでした。
ちなみに、トミーがスタジオでこの曲のアイディアを歌うのを聞いた時に、ゴードンはポール・マッカートニーを、ウェインはジェイムス・テイラーやダン・フォーゲルバーグをイメージしたそうです。そして、トミーはスティーヴィー・ワンダーっぽくなり過ぎなければいいなと考えていたんじゃないかと、ゴードンは推測していて、三人それぞれが自分の1番のヒーローとその影響を、この曲の中に浮かび上がらせたのじゃないかと語っています。
(参考:americansongwriter.com)
彼らが作ったデモ・テープに対しメジャー・レーベルは興味を持たなかったそうですが、曲を預かった音楽出版社の担当者が熱心にプロモーションし、ウィノナ・ジャッドのアルバム曲として採用されることになります。
また、この担当者はデモをハリウッドで仕事をしている友人に渡したところ、彼女は「フェノミナン」の音楽制作のキャスティングをやっていて、彼女から映画のサウンドトラックのエグゼクティヴ・プロデューサーのロビー・ロバートソンにデモが渡り、ロビーからクラプトンにまたデモが渡っていきました。
リリースはウィノナがクラプトンより早かったのですが、進行していたのは同じ時期で、クラプトンがウィノナをカバーしたわけではなかったんですね。
ちなみに、クラプトンはそのデモを最初に聴いた時に、ポール・マッカートニーが歌っているのをイメージしたそうです。
そして彼はベイビーフェイスにプロデュースしてもらおうと考えます。
「ベイビーフェイスは僕を最も触発してくれる存在の一人だったんだ。テレビで彼がアコースティック・ギターで自分の曲を演奏しているのを見て、『彼はR&Bの世界の人間で、プロデューサーで、しかも最小限の編成の音楽を自分のものにして、小さな音をパワフルに響かせる方法を知っているんだな』と思った。それからこの曲を聴く時に、僕は車でかけて、車を止めずに200回くらい聴きながら運転し続けたんだ。そして、ただこれはヒットするとわかった。僕は昔はポップ・ソングの思想というのを毛嫌いしていたヤツで、自分自身もそれと反対側にいると思っていた。でも、音楽としてこれだけ素晴らしいと、オッケーだと思えるようになってきたんだ。そして、これは逃げてしまったら子供じみたことになってしまうような、大事なチャンスだったんだ。そして、この曲を間違いなくそれに見合ったものにしてくれる、僕が知っている唯一の男がベイビーフェイスだというわけさ」
( Guitarist, February 2003)
僕は長い間この曲のことを、もともとカントリーの楽曲を、R&B畑のベイビーフェイスがプロデュースしたものだと思い込んでいました。しかし、この曲のメインのソングライターであるトミー・シムズは、シカゴ出身の黒人でゴスペルに深いルーツを持つR&B畑の人であったわけです。
それを、黒人のブルースに深く影響を受けたクラプトンが歌うわけですから、この曲のプロデュースをR&B畑の人間がやることになったのは、実は自然なことだったのかもしれません。
2014年にトミー・シムズが、たぶんマイケル・マクドナルドのベーシストとしてライヴに参加したときに「チェンジ・ザ・ワールド」を歌った動画があります。途中からマイケルがメインで歌っていますが、、。ギターはTOTOのスティーブ・ルカサーですね。
Michael McDonald & Toto - Tommy Sims Change The World Live 2014
作者のひとり、ゴードン・ケネディも自分でやっています。こちらはピーター・フランプトンとの共演。
Peter Frampton and Gordon Kennedy - Change the World - Westbury NY 2016
残る一人、ウェインもこの曲のセルフ・カバーやっていました(そりゃやりますよね)三人のうち真ん中が彼のようです。
Tin Pan South 2011 - Wayne Kirkpatrick performs, "Change The World"
最後はベイビーフェイスがメインでクラプトンがサポートするというヴァージョン。
”MTVアンプラグド”のライヴです。
クリーム、ブラインド・フェイス、デレク&ザ・ドミノスから「チェンジ・ザ・ワールド」を含むソロ作品まで網羅した決定版ベスト!
ベイビーフェイスがメインの音源はこちらで、
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