おはようございます。
今日はデビー・ブーンの「恋するデビー」です。
So many nights
I'd sit by my window
Waiting for someone
To sing me his song
So many dreams
I've kept deep inside me
Alone in the dark
But now you've come along
And you
Light up my life
You give me hope
To carry on
You light up my days
And fill my nights
With song
Rolling at sea
Adrift on the water
Could it be finally
I'm turning for home?
Finally, a chance
To say, "Hey, I love you,"
Never again
To be all alone
It can't be wrong
When it feels so right
'Cause you
You light up my life
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あまりにたくさんの夜
私は窓辺に座って
誰かが私に歌を
歌ってくれるのを待っている
あまりにたくさんの夢を
胸深くに秘めて
一人きり暗闇の中
だけど今あなたが現れ
そしてあなたは私の人生を照らし
がんばる希望を与えてくれる
あなたは私の日々を照らし出し
私の夜を満たしてくれる
その歌で
海にもまれて
水の上に漂いながら
とうとう私は家にむかっているの?
とうとう言うことができる
「ねえ、あなたを愛している」と
もう二度と一人きりにならないと
間違っているはずはない
正しいと感じるの
それはあなたが私の人生を照らしてくれるから
(拙訳)
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「恋するデビー(You Light Up My Life)」ヤマハぷりんと楽譜
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デモ・シンガーそっくりに歌わねばならなかったという、ポップス史上屈指のデビュー・ヒット
1977年、アメリカのヒットチャートの最大の話題は、このデビー・ブーンの「恋するデビー」でした。ビルボードHOT100で10週連続1位という新記録を新人の彼女が打ち立てたからです(それ以前にビルボード・ベストセラー・チャートというものがあったときにエルヴィス・プレスリーが11週1位という記録があったそうですが)。
日本でも「砂に書いたラブレター」で知られる人気歌手パット・ブーンの娘、ということくらいしか、当時彼女の情報はありませんでした。親の七光りを使ったのかな?などと僕はよくわからないなりに推理したりしました。
結局、彼女はこの1曲だけの一発屋で終わってしまったわけですが、今調べてみるとその頃の情報がいろいろ書かれてありました。
この曲について語るには、もう一人別の女性シンガーのプロフィールを追う必要があります。
それが、ケイシー・シシク。数々のCMやジングル、キャロル・キング、カーリー・サイモン、ロバータ・フラック、マイケル・フランクスなどのバックアップ・シンガーを務めた大変有能なシンガーです。
本名はクヴィトカ・シシクといって、両親がウクライナ移民であるため、ウクライナの音楽を歌ったアルバムも発表しています。
さて、1970年代に、彼女がCMやジングルのシンガーとしてよく仕事をしていた作曲家のひとりがジョセフ・ブルックスでした。
もともとシンガーソングライターとしてキャリアをスタートさせた彼は、ソングライターとしてこんな曲をヒットさせています。
「My Ship Is Comin’ In」。ウォーカー・ブラザースが歌って全英3位になっています。なんといっても、僕の大好きな編曲家、アイヴァー・レイモンドのアレンジ、プロデュースが素晴らしいのですが。
広告用の音楽で売れっ子になった彼は、映画音楽にも進出しいくつか仕事をした後、自ら脚本、製作、監督、音楽を手がけた映画が「マイ・ソング(You Light Up My Life)」でした。
エンターテイメントの世界で成功を目指す一人の若い女性を描いた映画で、彼女が劇中で歌いヒットするという設定になっていたのがこの曲でした。ブルックスはこの曲のデモとしてケイシーに歌わせますが、彼女の歌は素晴らしく映画でそのまま使うことにしました。
主人公はディディ・コンという女優が演じていますが、歌うシーンは口パクでケイシーのヴォーカルが使われています。そのシーンがこちらです。
歌を採用したにも関わらず、ブルックスはギャラを払わず、その代わり映画に出演させるなどと言ってきたといいます。そして、ギャラの話し合いとしてホテルに彼女を呼び出した際に”不適切な”誘いをし、彼女がそれを断ると急に態度を変えそれ以降彼女とコンタクトを避け続けたといいます。本当に酷い話です。
そして、ようやくデビー・ブーンの話になります。
彼女は人気歌手パット・ブーンの娘4姉妹の3番目で、幼い頃から家族でショーをやり、その後姉妹で”ブーン・シスターズ”そして”ブーンズ”という名前で活動していました。ブーンズは1975年にスプリームスの「恋のキラキラ星(When The Lovelights Shine Through Your Eyes)」をカバーしてモータウンからシングルもリリースしています。
その後、姉たちが結婚し、妹のローリーが大学に通っていたこともあって、レコード会社の社長であるマイク・カーヴから彼女はソロ活動を積極的に勧められ、マイクからブルックスにこの曲を彼女に歌わせたいというオファーがあったようです。
(マイク・カーヴはデビー・ブーンより先にカレン・カーペンターにこの曲を聴かせていたそうで、のちにカレンはこの曲を歌っていればよかった、と語っていたそうです)
ケイシーとの関係がこじれてしまったブルックスにとっても好都合だったのでしょう。
そして、デビーはこの曲のレコーディングをするわけですが、ケイシーが歌ったオケで歌うことになりました。それは、新たにオケを録音する費用の節約もあったのですが、問題がありました。オケで録音していたピアノのマイクがケイシーの声を拾っていたのです。それがバレないようにするため、ブルックスはデビーに歌声の一音一音、抑揚まですべてケイシーの歌と同じになるよう徹底して歌わせたのです。そこまで細かくやったというのはブルックスのケイシーへの逆恨みの感情が大きく働いていたということも当然あったのではないでしょうか。
デビー・ブーンのシングルと、映画のサントラからのシングル(最高80位)はほぼ同時期にリリースされていますが、サントラのシングルは初期のものはケイシーの名前がクレジットされていますが、その後は日本盤も含めて”オリジナル・キャスト”という表記になっています。ブルックスは意図的にケイシーの存在を打ち消そうとしていたようにも思えます。
デビーはこう回想しています。
「私には何の自由もありませんでした。もし、あの曲を自分なりに解釈して歌うことが許されていたら、何が起こっていたか、起こらなかったか、誰にもわかりません。しかし、それはただ彼の復讐心からの行動であり、私はレコーディングスタジオでこれほどまでにフラストレーションを感じ、不快な時間を過ごしたことはありません」
(Daily Press DEC 05, 2019)
ソロ・デビュー曲が、他のシンガーの歌をそっくり真似るよう強いられて歌った歌で、それが全米チャートの記録になるほどの大ヒットになる、、音楽の世界はつくづく不思議なところだと思います。しかも、そんな状況を当然知らない日本では、「恋するデビー」という、あたかもこの曲が彼女のために書かれたかのような邦題がつけられ発売されたわけですから。
ブルックスはこの曲でグラミー賞、アカデミー賞など数多くの栄冠を手にし、翌年には「If Ever I See You Again」という映画を作り、製作、監督、音楽だけではなく主演までつとめますがこれが大コケし、以降は成功から見放されていきます。
2009年にはアシスタントに指示して、多くの女性を自分のアパートに連れ込み性的暴行をした容疑で起訴され、裁判の前に自殺しています。その頃は病気の後遺症でピアノが弾けなくなり作曲もできない状態だったといいます。
ケイシーは、弁護士を雇いブルックスを訴えていましたが長期にわたる法廷闘争から解放されたいと、少額の報酬で決着させたそうです。1998年に癌で亡くなるまで、人気セッション・シンガーとしてフォード社などのCM、「ロッキー3」などの映画、バリー・マニロウ、マイケル・ボルトンなど大物アーティストのバックコーラスとたくさんの仕事をやったそうです。
デビーのほうは、ポップスチャートでは一発屋で終わりましたが、その後カントリーチャートではヒットを出し、クリスチャン・ミュージックの分野でも成功し、今もミュージック・ビジナスで現役で活躍しています。
この曲は1997年にリアン・ライムスがカバーし全米34位になった他、ホイットニー・ヒューストンも 2002年にカバーしています。
最後はデビー・ブーンが2015年に再レコーディングしたものを。