まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ボーイ・ハント(Where The Boys Are)」コニー・フランシス(1961)

 おはようございます。

 今日はコニー・フランシスの「ボーイ・ハント」です。

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Where the boys are
Someone waits for me
A smiling face
A warm embrace
Two arms to hold me tenderly

Where the boys are
My true love will be
He's walking down some street in town
And I know he's looking there for me

In the crowd of a million people
I'll find my valentine
And then I'll climb to the highest steeple
And tell the world he's mine

Till he holds me
I'll wait impatiently
Where the boys are
Where the boys are
Where the boys are
Someone waits for me

Till he holds me
I'll wait impatiently
Where the boys are
Where the boys are
Where the boys are
Someone waits for me

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男の子たちがいるところで
誰かが私を待っている
微笑む顔
あたかい抱擁
私を優しく抱くふたつの腕

男の子たちがいるところに
私の本当の恋がある
彼は街のどこかの通りを歩いていて
そこで私を探しているの

 

100万の群衆の中で
私のバレンタインを見つけるの
そして一番高い塔に登って
彼は私のものだって 世界中に言うの

 

彼が抱きしめてくれるまで
私は待ち焦がれている
男の子たちがいるところ
男の子たちがいるところ
男の子たちがいるところ
誰かが私を待っている

 

彼が抱きしめてくれるまで
私は待ち焦がれている
男の子たちがいるところ
男の子たちがいるところ
男の子たちがいるところ
誰かが私を待っている

          (拙訳)

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 1960年代、アメリカン・ポップスを代表する歌姫で日本でも大変人気のあったのがコニー・フランシスです。などと言っている、僕もさすがにリアルタイムでは知りませんでしたが、かなり幼い頃に見たTVの歌番組で、日本の女性シンガーたちが彼女のこの曲を歌っているのを何度も見た記憶があります。

 

「ヴァケイション(Vacation)」1962年全米9位

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 日本人のカバーがいくつもありますが、一番ヒットしたのが弘田三枝子

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 中尾ミエの大ヒット「可愛いベイビー」(1962)の原曲もコニー・フランシスでした。

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 この曲はアメリカではアルバムの1曲、イギリスではシングルのB面だったそうですから、日本人関係者の”選曲眼”は素晴らしいですね。

 

 コニー・フランシスアメリカ・ニュージャージー州ニューアーク出身、イタリア系で本名はConcetta Rosa Maria Franconero(コンチェッタ・ローサ・マリア=フランコネロ)といいます。

 

 父親に勧められ、4歳の頃からタレントコンテストや近所のお祭りなどに定期的に出演し、歌やアコーディオン奏者として活躍していたそうで、1953年から1955年にかけてNBCのバラエティ番組『Startime Kids』という番組に出演しています。

 

  1955年にデビューし、シングル10枚をリリースしますが泣かず飛ばずで、レコード会社からもう1枚シングルを出したら契約終了すると宣告され、彼女は医学の道に進もうと決意します。

 最後のシングルは、彼女は気が進まなかったのですが、父親の強い勧めに押し切ら1923年に作られた「フーズ・ソリー・ナウ(Who's Sorry Now?)」という曲をカバーしました。

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 ところが、この曲が全米4位(1958年)という大ヒットになり、彼女は一躍スターになりました。

 彼女には全米NO.1になった曲が3曲ありますのでご紹介します。

 

「エヴリバディズ・サムバディーズ・フール(Everybody's Somebody's Fool)」(1960) ジャック・ケラー&ハワード・グリーンフィールドの作品

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「マイ・ハート(My Heart Has a Mind of Its Own)」(1960)こちらもケラー&グリーンフィールド。

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「泣かせないでね(Don't Break the Heart That Loves You)」(1961)

こちらも彼女の父の強い勧めでやることになった曲なのだそうです。たいしたパパですね。

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日本では「ヴァケイション」「可愛いベイビー」など、キャッチーなポップスのイメージが強いですが、本国でのヒットはカントリー・タッチの落ち着いた曲が多いようです。

 

 さて、ようやく「ボーイ・ハント」の話になります。

 この曲は彼女が全米1位をリリースしていた全盛期の1961年に、彼女が出演する同名の映画「ボーイ・ハント(Where The Boys Are)」の主題歌としてニール・セダカとハワード・グリーンフィールドが書いたものでした(全米4位)。

 

  映画の監督は主題歌に別のソングライターを考えていたのですが、コニーは「間抜けなキューピッド」というヒット曲を書いてもらっていたセダカとグリーンフィールドのコンビを強く推したそうです。

 乗り気ではなかった監督は1週間で決めなくてはいけないと彼女に言いますが、彼女はグリーンフィールドに1週間で曲を書いてとリクエストします。

 作詞家のグリーンフィールドは当初は「Where The Boys Are」という馬鹿げたタイトルで歌詞はかけないと言ったそうですが、セダカと曲を書き上げ間に合わせたそうです。

  一説によると、セダカたちは2曲作って送り、コニー含め三人が気に入っていなかったほうを監督が選んだ、なんて話もあります。

 

 コニー・フランシスは、この「ボーイ・ハント」を日本語を含め6ヶ国語で録音しています。

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  さてこの曲を作曲したニール・セダカは自身もシンガーですので、他のアーティストに提供するときも、いつも自分が歌うことをイメージしたそうですが、この曲だけはそういう事情もあり、他の人が歌う前提で作った彼の中では唯一の曲なのだそうです。

 

 彼のデモ・ヴァージョンがこちら。

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 まさに、ニール・セダカらしいポップな感じですね。最初は、彼らしい軽快な曲として書いていたようですね。しかし、彼女が歌う場合はバラードが良かったというのも頷けます。後年、彼もライヴでこの曲を歌うときはしっかりバラードとして歌っています。

 

 日本人のカバーとしては、近いところでは、竹内まりやが2003年リリースのカバー・アルバム『Longtime Favorites』で歌っているものがありますが、代表的なカバーとされているのが伊東ゆかり。彼女は1960年代に数多くのアメリカン・オールディーズをカバーしていましたが、この曲をシングルでリリースしたのが1971年、結構オリジナルのリリースから空いているんですよね。どんな背景があったんでしょう。ご存知の方はぜひコメント欄にお願いします。

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