おはようございます。
今日はニール・セダカ。彼は自身のファイスブックで昨日、今日と、自宅で自分の代表曲をメドレーで弾き語っている映像をアップしています。もちろん、コロナ・ウィルスで重苦しい気分になっている人たちに向けて、ちょっと元気になってもらおうという試みです。
ちょっとぽっちゃりした爺さん(失礼!)がピアノで弾き語っているだけなのに、ぱっと明るくなる感じがします。ほんとに明快な素晴らしい曲を書いた人なんだなあ、とあらためて思いました。
その彼の中でも1番の代表曲と言われる「悲しき慕情」を今日はピックアップしました。
Neil Sedaka - Breaking Up Is Hard To Do (2018 Stereo Remix & Remaster)
”どうか僕から愛を奪わないで どうか置き去りにしないで
君が行ってしまったら 悲しくなってしまう
だって 失恋は辛いものだから”
1950年代の後半から1960年代のはじめまでのポップ・ヒットの多くはニューヨークのブロードウェイの一角にあるビルに集った音楽出版社や音楽事務所の小部屋の中で、若いソングライターたちが缶詰になりながら生み出したものでした。
その代表的なビルが”ブリル・ビルディング(住所は1619ブロードウェイ)”でしたが、時代とともに”その一角全体”をイメージさせる名称になりました。
そこで最も目覚ましい勢いでヒットを作った会社が、ブリル・ビルディングの筋向かい(1650ブロードウェイ)”のビルに入っていたアルドン・ミュージック”で、創立者のアル・ネヴィンスとドン・カーシュナー、ふたりの名前を合わせて名付けられました。
アルドンに所属していた代表的な作家がキャロル・キング&ジェリー・ゴフィン。
そして、バリー・マン&シンシア・ワイル 。
そのアルドンの契約作家第1号で、その後の繁栄のきっかけを作ったのがニール・セダカと相棒の作詞家ハワード・グリーンフィールドでした。
ニールは、アマチュア時代にヒットしているレコードを買うと、クレジットされている作家の名前を削り落としてその上に自分の名前を書いていたというエピソードがあるくらい、音楽の世界での野心にあふれた人だったようです。
その頃すでに実績があって曲を持っていたニールは、まだ会社を始めたばかりで作家のいないアルとドンに自分たちの曲を3ヶ月以内にチャート入りさせたら契約してやる、という条件を出したと言われています。
3ヶ月以内だったかどうかは不明ですが、ニールたちの曲が見事チャート入りを果たします。コニー・フランシスの「間抜けなキューピット(Stupid Cupid)」という曲です。日本でもキャンディーズや森山加代子がカバーしています。
Stupid Cupid by Connie Francis 1958
ニール・セダカが”ブリル・ビルディング”界隈の作家の中で特異だったのは、最初から自分で歌うことを優先して、シングルをどんどんリリースしていたことでしょう。
1959年に彼自身が歌ったもので初めてトップ10に入ったのが「おお!キャロル」。
キャロルとはキャロル・キングのことです。ニールとキャロルは高校時代の友達でした。ソングライターを目指しながらもきっかけがつかめずにいた彼女は、ある日道でばったり会ったニールに相談したところ、ニールがアルドンに繋いでくれたようです。
そのころ、キャロルは「おお!キャロル」の返歌として「おお!ニール」という曲を作ってリリースしていて、それにアルドンが興味を持ったという話もありますが、ともかく、第一号作家で、かつキャロル・キングを呼び込んだわけですから、”ニール・セダカなくしてアルドンなし”だったと僕は思います。
その後、ニールはシンガーとして大活躍、1961~2年あたりは、プレスリーの次に売れた男性シンガーだったと書いてある記事もあるほどです。
Neil Sedaka – Calendar Girl (1968)
Neil Sedaka "Happy Birthday Sweet Sixteen"
その彼のシンガーとしてのピークが全米NO.1になったこの「悲しき慕情」だったわけです。
なんと行っても印象的なのは「カマ、カマ、ダウン・ドゥ・ビ・ドゥ・ダウン・ダウン」というコーラス。これは、この曲に満足できていなかったニールがレコーディング前日に思いついたものだと言われています。また、彼が同じ会社のバリー・マンに聴かせたところあんまり評価が良くなかったので考えたのだという説もあります。
ともかく、このコーラスなしではここまでヒットしなかったのは確実でしょう。
彼をはじめとする”ブリル・ビルディング”界隈のソングライターたちはビートルズの出現とともに、過去の人になってしまうわけですが、ニールは70年代に復活し70年代を代表するポップ・スタンダードを残しています。
そしてこの「悲しき慕情」のバラード・ヴァージョンをリリースし全米8位の大ヒットになっています。同じ曲を同じシンガーがバラードにしてそれがまた売れたというのは、他に例がないんじゃないでしょうか。
Neil Sedaka - "Breaking Up Is Hard To Do" (1975)
ニールは明快なポップスをたくさん書きましたが、本来クラシックをみっちり学んでいる音楽的な素養のある人です。「悲しき慕情」も展開部で当時のポップスとしてはめずらしいマイナー7thコードを使っていて、そういった隠し味がバラードにすることでまた違った魅力が生まれる秘訣かもしれないと思います。
僕個人はこの時代はリアルタイムでなく追っかけで聴いたのですが、キャロル・キングやバリー・マンに比べて、ニール・セダカはなんか軽くてわかりやすすぎる感じがして、そんなに好きになれなかったんです。
しかし、ポップスのブログを毎日書いていくうちに、
明るく軽快な曲を長年にわたってたくさん書くことほど難しいことはないと思います。悲しく切ない曲を書ける人に比べてたら、圧倒的に少ない。
神様に選ばれた人じゃないと無理じゃないか、とさえ僕は思うようになってきました。
僕が思い浮かぶのは、ポール・マッカートニー、ブライアン・ウィルソン、エルトン・ジョン、ジェフ・リン、フォー・シーズンズの曲を書いたボブ・ゴーディオ、そしてこのニール・セダカ。それくらいです。
歌詞がわからなくても、世界中に人が聴いて楽しくなる曲は、いつも必ず必要だと思います。
最後にオマケで、彼が2010年にリリースした替え歌。朝起きるのがつらいい人に、、、