おはようございます。
この曲は1981年10月、昨日このブログに登場した「A面で恋をして」(ナイアガラ・トライアングル)と同じ月の発売でした。
「風立ちぬ」を作曲した大瀧詠一は、自分が書いた松田聖子のシングルと、資生堂のCMタイアップがついた自分のシングルが同時期にリリースされると、自分のことが話題になってしまう、そう考えてその事態を避けるために自分のシングルをナイアガラ・トライアングル名義にすることにしたそうです。
「A面で恋をして」はバディ・ホリーの「Everyday」を下敷きにして作られましたが、この「風立ちぬ」もベースになった曲があって、それがジミー・クラントンの「ブルージーン・ビーナス(Venus In Blue Jeans)」(1962年全米7位)という曲でした。
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She's Venus in blue jeans
Mona Lisa with a pony tail
She's a walking talking work of art
She's the girl who stole my heart
My Venus in blue jeans
Is the Cinderella I adore
She's my very special angel too
A fairy tale come true
They say there's 7 wonders in the world
But what they say is out of date
There's more than 7 wonders in the world
I just met number 8
My Venus in blue jeans
Is everything I hoped she be
A teenage goddess from above
And she belongs to me
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彼女はブルージーンズのヴィーナス
ポニーテールのモナリザ
彼女は驚くべき芸術品
彼女は僕の心を盗んだ女の子
僕のブルージーンズのヴィーナス
憧れのシンデレラ
僕のすごく特別な天使でもあるんだ
現実になったおとぎ話さ
人は世界の7不思議って言うけど
だけど、それはもう古いよ
世界には7つ以上不思議があるんだ
僕はその8番目に出会ったのさ
僕のブルージーンズのヴィーナスは
僕が望んだすべてを持っている
空から舞い降りたティーン・エイジの女神
そして彼女は僕のものさ
(拙訳)
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ジミー・クラントンはルジアナ州出身のシンガー。ニューオーリンズのR&B/R&Rシーンから出てきた中では、当時数少ない白人シンガーでした。南部のアーシーなR&Bニュアンスも若干残しながらも、ポップなスタイルを持つ彼は “swamp pop R&B teenage idol.”などと呼ばれていたそうです。
この「ブルージーン・ビーナス」を作詞したのがハワード・グリーンフィールド。ニール・セダカとのコンビで「おお!キャロル」「カレンダー・ガール」などたくさんのヒットがあります。
作曲をしたのがジャック・ケラー。彼もグリーンフィールド、ニール・セダカ、キャロル・キング、バリー・マンなどがいた”アルドン・ミュージック”所属の作曲家で、グリーンフィールドと組んでコニー・フランシスなどのヒット曲を書いています。
彼の曲で日本で一番有名なのは、ニール・セダカの「恋の片道切符」でしょう。この曲は「おお!キャロル」のB面でしたが、日本だけA面にしたことで大ヒットしました。
「魔法の音楽 アメリカン・ポップス黄金時代とその舞台裏」という本によると、
この「ブルージーン・ビーナス」は、当時ニール・セダカとライバル関係にあったポール・アンカのパロディという意味合いもあって書かれたもののようです。
また、この曲のデモはバリー・マンがリードを歌い、クッキーズがバック・コーラスをしていたといいます。
クラントンがニューヨークに曲を探しに来た時に、彼の知り合いだったグリーンフィールドから聴かされたのがこの曲で、彼は気に入ります。
そして、彼らがデモをキャロル・キングに聴かせると、金管楽器とハーブを使ったアレンジを彼女が考え、彼女のパートナーのジェリー・ゴフィンがブリッジの部分でミュートされたトランペットの音を使うというアイディアを思いついたのだそうです。
ちなみに、大瀧詠一はジャック・ケラーに大きく影響を受けたようで、山下達郎との対談では、産湯はジャック・ケラーで、体質にも合うのだ、と語っています。
もはや伝説となっている彼のラジオ番組「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の放送曲目を見てみると、1、2回目の特集がキャロル・キング、3回目がニール・セダカ、4回目がバリー・マン、そして5回目に”アルドン、スクリーン・ジェムズ系”というくくりで、前半はジャック・ケラー作品をまとめてオンエアしています。
大瀧は松田聖子という当時の最高のアイドルのシングルを手がけることになり、下敷きにする曲を選ぶにあたり、自分のとって特別な作曲家の作品を選んだわけですね。彼の本気度を感じます。また、当時の松田聖子をコニー・フランシスというアメリカン・ポップス全盛期の最大の女性アイドルと重ね、ただ、そのままでは面白くないので、その作家が男性シンガーに書いたものを叩き台にしよう、という”ひねり”を加えたんじゃないか、そんな勝手な推測をしてしまいます、、、。
また「風立ちぬ」というのは堀辰雄の小説のタイトルで(近年ではジブリで映画になって有名になりました)この本は松田聖子のディレクターの若松宗雄が大ファンだったそうで、作詞家の松本隆も同じように好きだったことから、曲のテーマに選ばれたようです。
そして、作曲家に大瀧を選んだのは松本隆だったそうです。
それまでの松田聖子の明るいアイドル像に、大人っぽさ、女性らしさを加えるために「風立ちぬ」というテーマが決まり、若松はしっとりした曲調をイメージしたそうですが、大瀧が作ったのが、自身が同年発売の「A LONG VACATION」で作り上げた、音が厚く豪華な”ナイアガラ・サウンド”で、松田聖子本人も最初は戸惑って歌うことに抵抗があったと言われています。
ちなみに、当時僕はTVで彼女がこの曲を歌うのを見ながら、確かに大人っぽさを感じたのですが、それはこの時期、彼女が過労のため声がちょっとハスキーになっていたというのが逆に良かったように思います。
この曲が収録された「風立ちぬ」というアルバムは、A面5曲が大瀧プロデュースで、しかも「A LONG VACATION」の曲と対応するようにできています。
このアルバム以降1980年代半ばくらいまでの彼女のアルバムは、詞、曲、アレンジ、歌唱、どれをとっても日本のポップス史に残るクオリティのものばかりだと僕は思います。
最後は大瀧自身が歌ったものを。
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アルバム「風立ちぬ」。大瀧詠一が手がけたA面だけじゃなく、鈴木茂が4曲アレンジ(「白いパラソル」のみ大村雅朗)したB面も良くて、ジャケ写のムードも含め、名盤と言ってもいいように僕は思います。
大滝のセルフカバーを含むアルバム「DEBUT AGAIN」