まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「クライング・イン・ザ・レイン( Crying in the Rain )」エヴァリー・ブラザーズ(1961)

 おはようございます。

 今日も雨の歌。エヴァリー・ブラザースの「クライング・イン・ザ・レイン」です。

 


The Everly Brothers - Crying In The Rain

 

 ”   君には絶対見せたくないんだ

   恋に破れて傷ついてる姿なんて

   僕にだってプライドはあるし 

   この悲しみと痛みをぜんぶ隠す方法も知ってるよ

 

   雨の中で泣くことさ

 

  もし空が曇るまで待ったなら

  君は雨と僕の涙の区別がつかないだろう

  君は僕がまだこんなに愛しているってことを

  決して知ることはない

  胸の痛みは残っているのに

 

  雨の中で泣くことにするさ

 

  天から降る雨は 僕の惨めな思いを洗い流してはくれない

  でも、君とはなれてしまってから

  嵐のような天気になるのを待っている

  君には見られたくないこの涙を隠せるように

 

  いつか僕が泣きやんだら

  笑顔をまとって 太陽の中を歩くよ

  僕はバカなんだろうね でも、それまでは

  泣き言をいう僕を君は見ることはないさ

 

  雨の中で泣くさ 雨の中で泣くさ

  雨の中なら泣けるんだ            ”(拙訳)

 

 

 エヴァリー・ブラザーズはドン・エヴァリーとフィル・エヴァリーのデュオ。1950年代後半から前半の6年間で全米NO.1の3曲をふくむ、13曲のTOP10ヒットをリリースした大人気アーティストでした。カバーをしたサイモン&ガーファンクルをはじめ、ビートルズビーチ・ボーイズなど数多くのアーティストに影響を与えました。

 

 ギターを弾く父を中心に家族で人前で演奏もしていたようですが、音楽の業界に入るチャンスを得たのはナッシュビルに引っ越してからのことでした。

 

 1956年にコロンビア・レコードから「Keep a-Lovin' Me」というシングルを一枚だしますが、契約を切られてしまいます。

 そして新たに1957年にRCAと契約して発売した「バイ・バイ・ラヴ」がいきなり全米2位の大ヒットになります。この曲はのちにサイモン&ガーファンクルがカバーしますが、僕はそっちのヴァージョンでこの曲を知りました。


Everly Brothers - Bye Bye Love - Original HQ Audio

 その次のシングル「起きろよスージー(Wake Up Little Susie)」は全米1位に。これもサイモン&ガーファンクルがカバーしてしました。


Everly Brothers - Wake Up Little Susie

 

   この2曲に夢中になり、彼らの歌に3人目のパートを考えて、何時間も部屋にこもって歌っていたというのがキャロル・キングです。

 

 彼女が彼らに曲を書くチャンスを得たのは「起きろよスージー」から4年後のことでした。

 その頃すでに大スターになっていた彼らは、マネージャーのウェズリー・ローズと仲違いしていました。ウェズリーは音楽出版社の人間でもあったので、楽曲のルートも持っていました。楽曲探しのルートを断たれて新たなルートを探す必要があった彼らがアプローチしてきたのが、キャロルの所属する”アルドン・ミュージック”(いわゆる”ブリル・ビルディング”を代表する音楽出版社です)だったのです。

 

 アルドンの共同創立者であるドン・カーシュナーも、ニューヨークから西海岸に進出することを狙っていたので、実にいいタイミングだったのです。それで、彼はキャロルたち所属作家たちに彼らのための曲を書かせることにしました。

 

 そこで、作家たちはちょっとした”お遊び”をします。彼らは常にパートナーを組んで仕事をするのですが、通常のパートナーをチェンジすることにしたのです。

 キャロル・キングのパートナーはジェリー・ゴフィンでしたが、この時はハワード・グリーンフィールドとペアを組みました(この二人が組むのはこれが最初で最後です)。グリーンフィールドはニール・セダカの相棒として数々のヒットを作った人で、この時はセダカが歌手活動で忙しかったためジャック・ケラー(のちに「奥さまは魔女」の音楽をやる人です)と組んでいました。

 

 キャロルとグリーンフィールドが作った「クライング・イン・ザ・レイン」のデモは、エヴァリーのコーラスをこよなく愛するキャロルがコーラスも自分で考えて多重録音したものでした。


Crying in the Rain - The Legendary Demos - Carole King

 そして、エヴァリーの二人もキャロルがデモで歌ったコーラスを忠実に再現したそうです。

 キャロルは完成した「クライング・イン・ザ・レイン」を初めて聞いたのが、買い物で走り回って自宅に戻る途中の車の中だったそうです。自分が彼らに夢中になっていた時のことを思い出し、突然、涙が止まらなくなった、と語っています。

 

 また、ロサンゼルスのプロデューサーやアーティストたちの間で、キャロルのデモが大変な評判になったようで、ドン・カーシュナーはキャロルと相棒のジェリー・ゴフィンを西海岸に送り出す決意をします。

 そして、当時アルドンの西海岸の責任者に抜擢されたのがルー・アドラー。「クライング・イン・ザ・レイン」のプロデュースにも関わったようです。

 

 のちにキャロルとルーは歴史的名盤「つづれおり」を作ることになるわけで、そのきっかけになったのがこの「クライング・イン・ザ・レイン」だったわけです。

 

 

 実は僕がこの曲を初めて知ったのが、大瀧詠一山下達郎のデュエット、NHK-FMの番組でした。

 *2曲目にやっています。


大滝詠一 & 山下達郎 NHK FM Studio live 1981 ①

 イギリスの大滝&達郎?デイヴ・エドモンズニック・ロウも、二人でロックパイルというバンドをやっていた時にカバーしています。


Crying In The Rain - ROCKPILE (Dave Edmuns & Nick Lowe)



 最後は、彼らをリスペクトするポール・マッカートニーが曲を書き、デイヴ・エドモンズがプロデュースした1984年の復活作「On The Wings of a Nightingale」を。


Everly Brothers, On the wings of a nightingale