まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「innocent world」Mr.Children(1994)

 おはようございます。

 今日はミスチルの「イノセント・ワールド」です。

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 ミスチルは日本で最もCDを売り上げているバンドです。

 日本の音楽史上最も成功し支持されたバンドはサザンとミスチルが双璧じゃないでしょうか。

 ミスチルのスタートはちょっとセンスのいい良質なポップ・バンドという雰囲気で、ここまでのモンスター・バンドになると予想した人はいなかったんじゃないかと僕は思います。

 

 デビュー曲「君がいた夏」(1992年 オリコン最高69位)

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 バンドのボーカル/ソングライターの桜井和寿は当初から、曲をヒットさせることに意欲的で、タイアップを仮定して曲を書いたこともあったそうです。

 

「僅かな秒数しかなくても、どれだけ印象的なメロディが作れるか?苦痛な作業というより、むしろ自分は、それを楽しんでいた」(桜井)

 

「ただ、『Kind of Love』以降は、みんなで集まって飲んだりしている時、あいつはよく、”100万枚売れる曲を絶対に作ってみせる!”とは言っていた」

                 (鈴木)*ドラムス鈴木 英哉

(「Mr.Children 道標の歌」小貫信昭)

 

 そして、本当にミリオンを達成したのが1993年11月リリースの「CROSS ROAD」でした。

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「これ、すごく締切がきつかった。確か何かのイベントで地方にいて、移動中かなんかに事務所の人から「ドラマの主題歌の話があるんだけど」って言われたんです。ところが、曲を提出するのが、それから三日後、みたいな世界でね(笑)。でも、逆にそう言われると挑戦したくなるじゃないですか」

月刊カドカワ 1994年10月)

 

 「CROSS ROAD」は「同窓会」というTVドラマの主題歌でした。桜井はドラマの第一回の台本だけで曲を書いたそうですが、ドラマは桜井も予想しなかった展開、<プライムタイムにおける連続ドラマとしては、初の同性愛を本格的に扱った作品>(Wikipedia)となり、回を追うごとに視聴率が上がっていき、それに歩調を合わせるように曲もロングセラーになり、オリコン最高6位でいながらミリオン達成という、レアな作品になりました。

 

 そして、その次のシングルがこの「Innocent World」で、スポーツ飲料のCMソングでした。

「曲ができて、とりあえず第一稿という形で詞ができた。でも最初は、ラヴ・ストーリーだったんです。プロデューサーの小林さんに見せたら、「この詞もよくできてるけど、そろそろ桜井和寿という人間が、今、歌うからこそ説得力があるような、そんな歌を作ってもいいんじゃないか?」って言われた。その言葉で肩の力が抜けて、帰りの車のなかでその時自分が思ってたことをばーっと箇条書きにしたことが、全部この曲の詞になった気がします。だからこの曲は、僕にとって凄くリアルですね」

月刊カドカワ 1994年10月)

「初めてこの歌詞を読んだときは、”急にこんなに自分の本音をみせちゃうんだ”って、ちょっとビックリした記憶がある」(中川)*ベース中川敬輔

(「Mr.Children 道標の歌」小貫信昭)

 

 大ヒットする曲を書くために試行錯誤し、技量を上げていった桜井が「CROSS ROAD」を書いた時に大きな達成感を感じたそうですが、その”壁を破った”勢いでよりパワーのあるポップ・ソングが書けたのが「innocent world」なのだと思いますが、そこにもうひとつ大きいのは、”等身大の自分の心境を克明に描く”というミスチルの歌詞のスタイルが、この曲で初めて出来上がったということですね。

 仮の歌詞がラヴ・ソングだったとしても、この時の勢いなら大ヒットしたと思いますが、その後の彼らの歩みは少し変わったんじゃないかとも想像します。

 

 またこの曲は完成直前までずっと「innocent blue」というタイトルだったそうです。

”blue”を”world”に変えたのは小林武史のアドバイスで、意味よりも発語、語勢によるもの、最後の伸ばすところが、母音が「ウ」のブル〜〜よりも、「ア」のワ〜〜ルドのほうが盛り上がる、ということですね。

 日本語で歌うということは、あ、い、う、え、お、5つの母音をどう効果的に使うか、ということが本当に大切だと思います。

 これは”たら、れば”なんでなんとも言えませんが、この曲が「innocent blue」というタイトルのラヴソングだったら、やっぱり、その後のミスチルの展開はちょっと違っていたように僕は思えます。

 

 そして、ソングライターとして桜井が劇的に進歩していることが証明されたのが次のシングルで彼らの最大のヒット「Tomorrow never knows」でした。

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 この1994年のミスチルの劇的な変化、こんなにものすごい勢いでバンドが”化ける”のを見たのは初めてのように僕は思いました。

 ちなみにこの曲のサビはブルース・スプリングスティーンの「ビコーズ・ザ・ナイト」からインスパイアされたそうです。

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 桜井はスプリングスティーンのファンらしいですし、日本では甲斐バンド浜田省吾佐野元春などに大きな影響を受けています。

 1980年頃のスプリングスティーン、甲斐、浜省、元春に共通するのは社会的弱者の若者が一夜限りのヒーローになるために街を疾走する、というイメージです。そして、彼ら自身も楽曲の中、ライヴの間だけはカリスマを演じます。

 その下の世代の尾崎豊は、そのスタイルをより過剰な方向に振り切りました。

 

 しかし桜井は、自分がヒーローやカリスマになることを徹底的に拒絶し、等身大の自分というものに固執しきることで、より大きな共感を集めた、そんな風に僕は感じています。

 ちなみに、サザンの桑田佳祐は甲斐、浜省、元春、と同時代ですが、ヒロイックな彼らと真逆な、アンチヒーロー、三枚目に徹することでより大衆的な支持を得てきました。彼のデビュー時には他にも原田真二世良公則など、まわりはヒロイックなアーティストが多かったですから、彼は自分の立ち位置、振る舞いというのを凄く考えたんじゃないかと思います。

 桜井の場合は、バンドのボーカルがヒーローを演じる時代でもなかったですし、彼のように自分の内面を正直に掘り下げていけばいくほど、ヒロイズムとは遠ざかっていく、ということだったのかもしれません。

 

 サザン、ミスチルという、世代も音楽性もかなり違うように思えます2大国民的バンドは「ヒロイズムの拒絶」という、大きな共通点があるわけです。

 

 そして、時代はスターやカリスマが高いところから歌う歌よりも、親しみのあるアーティストが、自分に近い目線で歌う歌が支持されるようになっていき、それとともに彼らの音楽は長く、広くアピールしていった、そんな風に僕には思えます。

 

 というわけで、最後は甲斐バンドミスチル、それぞれの「HERO」という曲を聴き比べて終わりにしたいと思います。

 

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