まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「悲しみがとまらない」杏里(1983)

 おはようございます。

 今日は杏里の「悲しみがとまらない」を。

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   ”隠キャ”(陰気なキャラクター)から”陽キャ”(陽気なキャラクター)に変わったことで、成功した有名人はけっこういますよね。

 ジャイアンツの原監督とかスポーツ解説の増田明美さんとかTVでしゃべっているのを見ると、”昔は暗かったけどな〜、人間はなんかふっきっちゃったほうがいいのかなあ〜”などと、ついついつぶやいてしまうこともあります。

 

 杏里も17歳で希代の名曲「オリビアを聴きながら」でデビューしてしばらくは、”隠キャ”とまではいいませんが、すごく内向的なイメージが強かった記憶があります。

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 今ではスタンダードになっている曲ですが、当時はオリコン最高65位どまりだったんですね。

 当時、僕は尾崎亜美の書く曲が大好きでしたので、彼女を”尾崎亜美シンガー”的な捉え方をしていました。次のシングルも尾崎亜美が書いた「地中海ドリーム」。バラードでのデビューがうまくいかなかったので、ポップで明るい曲にしようということになったのかもしれません。

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 その後も尾崎亜美の書いたシングルが続きましたがブレイクまではいかず、その後ムーンライダーズの面々と、ちょっとヨーロピアンなタッチの「悲しみの孔雀」というアルバムを作ったり、模索の時期が続きました。

 そして、彼女がブレイクの兆しを見せたのが、小林武史の作曲家としてのはじめてのヒット曲にもなった「思いきりアメリカン」(1982年オリコン74位)でした。

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   当時キャンペーンで行った大阪の放送局で出されたコーヒーが薄かった(アメリカン)からつけられたタイトルだということですが、彼女の歩みを追ってゆくと、私の音楽性はヨーロピアンじゃなくて、思いきりアメリカンで行くんだと"吹っ切った"かのように思えてしまいます。

 そしてこの時期、角松敏生に出会うことで彼女の音楽のスタイルが定めることになります。

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 デビューしたばかりの頃に、彼女はこう考えていたそうです。

「実家は神奈川で、近くに米軍基地があったんです。米軍基地用のラジオFEN(現・AFN)を聴いたり、ブラックコンテンポラリーが流れるディスコに通える環境で育って。その頃に聴いた音楽がずっと自分の中に残っていて。いつか自分のプロデュースで、ダンスミュージックを作ってみたいとか、いくつかの目標を持つようになりました」 

       (昭和40年男2019年2月号)

 ブラック・コンテンポラリーの影響が強い音楽をやっていた角松は、まさしく彼女にうってつけの相手だったわけです。

 そして、この路線は彼女がもともと望んでいたものだったようです。

 これと同じタイミングで角松は杏里の事務所に移籍してきたこともあり、二人はガッチリ組んで作品を生み出してゆくことになります。

 

 ただし、彼女の初の大ヒットはアニメ・タイアップの「CAT'S EYE」でした。作詞が三浦徳子、作曲が小田裕一郎という、松田聖子の「青い珊瑚礁」のコンビが書いたもので、曲はすでにできていてシンガーとして歌ってほしい、というオファーだったようです。

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 当初は迷ったようですが、曲もアニメもクオリティが高く、自分を変えるきかっけにになるかも、とも思ったそうです。

 その結果、この曲はオリコン5週連続1位という特大ヒットになりました。

 

 そして「CAT'S EYE」の3ヶ月後にリリースされたのが、この「悲しみがとまらない」でした。

 作詞は康 珍化、作曲は林哲司

 林はこう回想しています。

「『悲しみがとまらない』は、プロデューサーだった角松敏生さんからの依頼。彼自身もアーティストなので自分でも曲を書きたくなるところを、ヒット曲が欲しいという場面で、冷静に客観視してプロデューサーに徹したところが、まだ若いのにスゴイなと思った。アメリカナイズされたプロデュース手法というのかな。良い楽曲さえあれば、新人でもヒットが出せるというね」

 (昭和40年男2019年2月号)

 

 「CAT'S EYE」が予想以上に大ヒットしたために、次作もヒットさせなければいけなくなったんですね。当時、僕はアルバムは角松に任せても、シングルは職業作家に依頼するというのはレコード会社の方針だと思い込んでいたのですが、彼自身のジャッジだったんですね。

 この曲と同じくらいのタイミングで、康 珍化と林哲司のコンビは「悲しい色やね」(上田正樹)「北ウィング」(中森明菜)など大ヒットを飛ばしますから、まさに”旬”の作家を見抜いたことになります。彼は当時まだ23歳くらいですから、本当にたいしたものだと思います。

 

 正直、尾崎亜美派の僕はブレイクしてからの彼女の曲は、積極的には聴いてこなかったのですが、「悲しみがとまらない」はあらためてきくと本当によくできていると思います。

 サビ始まりで、それぞれキャッチーで”おいしい”Aメロ、Bメロ、サビのメロディを、ダンス・サウンドで巧みにつなぎ合わせて最後まで飽きさせない、と、そういう構成は、筒美京平が得意としていたパターンで、それは彼らの念頭にあったんじゃないかと僕には思えます。

 なにか考えられるヒットの法則的なものを、全て注ぎ込んだかのような執念が感じられるのです(もちろん、当時はそんなことなんて考えもしなかったですが)。

 

 最近の若いシティポップ・ファンから、杏里&角松敏生コンビは、竹内まりや山下達郎コンビに負けないほどの人気があるようです。

 最後は、今のシーンで特に人気がある彼女の曲を。

「Remenber Summer Days

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   動画を検索して、古いアニメの女の子のキャラと曲を合わせているものがあったら、"その筋"で人気なんだとにらんでもよさそうです。

「Last Summer Whisper」

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