おはようございます。
今日は角松敏生の「SUMMER EMOTION」です。
いまの海外のシティポップ・ブームのキーパーソンの一人である韓国のDJ、Night Tempoが最も好きなアーティストであり、韓国のシーンでは山下達郎と並ぶ人気だというのが角松敏生です。
(海外で大人気なのに、二人とも主要作品がデジタル配信されていないという共通点があります。サブスクは山下達郎の曲はまったくなしで、角松は最近の作品のみですので、解禁されたら、海外でも相当な反響があるでしょう)
この曲は彼のサード・アルバム「ON THE CITY SHORE」に収録されていました。デビューアルバム「SEA BREEZE」は、ドラムスが村上秀一、林立夫、上原裕、ギターは鈴木茂、松原正樹、今剛、鍵盤には井上鑑、佐藤準などのすごいメンツが集結し、セカンド「Weekend Fly To The Sun」はLA録音(E,W&Fのアル・マッケイなんかも参加しています)という贅沢な体制で制作されましたが、その分、角松本人はアレンジ、プロデュースに関わることができませんでした。彼がようやく自らプロデュース、アレンジしたアルバムが「ON THE CITY SHORE」でした。
「SEA BREEZE」から「ON THE CITY SHORE」までの三作は夏の海をモチーフにした作品でした。
リアルタイムで聴いていた方はよくわかると思いますが、シティポップには、「夜の都会」と「夏の海」という大きく2種類の舞台があります。
現在、海外で盛り上がっている日本のシティポップに関して言うと、「夜の都会」が優勢のようです。「プラスティック・ラヴ」も「真夜中のドア」もそうですね(ただ杏里とか杉山清貴など”夏の海もの”も人気はあります)。
角松はこの次の「After 5 Clash」から舞台を夏の海から”夜の都会”に移します。
最初のアルバム3作品のテーマが”夏の海”になったいきさつを、この当時のサーファー・ムーヴメントが若者文化の中心にあったという時代のニーズもありつつ、個人的な思いもあったと彼は語っています。
幼い頃に小児喘息で海に入ることを禁じられていたため、泳げるようになるのが人より遅かったのですが、海への憧れは強かったそうです。しかし、中高生時代に水泳の授業はサボり海でも泳ぐこともなく過ごしたところ、大学に入るとサーフィンをやっている体育系の男子がモテる、ということに気づいたのです。
「そうなると、僕はすっかりコンプレックスの塊になってしまってね。そして、それを払拭するために僕がしたことというのが、海や夏をテーマにすることだったんです。それなら音楽で勝負だ、と。
そうやって自分のコンプレックスを曲にしたためていった結果が、デビュー作の『SEA BREAZE』になっていったんですよね。だから、このアルバムの曲を聴いた人は、角松敏生ってきっとサーファーでクルマは○○○に乗っていて・・・みたいだけど、全然そんなことなくて、実はその当時もまだ海は大嫌いだったんですよね」
(「NO END TALK」)
こういう話で思い出すのは、サーフィンもできず、インドアな人間なのに夏の海のポップスを作る続けたビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンのことですね。コンプレックスや妄想というのが、ポップスを磨き上げて強靭なものにする、ということもある気がします。
ジャック・ジョンソンやドノヴァン・フランケンレイターなどのバリバリ、サーフィンする人たちとは、音楽的な気質が全く違うように思えます。
しかし、そういう音楽をやっていたせいで、彼はサーファーと知り合いになり自分でも実際にやってみたり、ナンパしたり海で遊んでみたりしたそうで、そういう高揚感を実体験としてまとめたのが「ON THE CITY SHORE」だったといいます。
海嫌いでコンプレックスを持っていた男が、サーファー的でナンパなスタイルの生活を実践してみたことで生まれたという、なんとも不思議なバランスのアルバムなんですね。
確かに、バリバリの実践派のナンパ男には、こんなロマンティックな曲は作れないと思います。妄想癖の強いアーティストが作ったものを妄想癖の強いリスナーが引き寄せられる、という構図はポップスの場合とても強い気がします。
さて、僕は彼のアルバムではこの「ON THE CITY SHORE」から「Gold Digger」までが好きですが、この時代の作品の方向性を決めた1曲を、「NO END TALK」という本の中で彼があげていましたので、それを最後に。
CHANGEの「Paradise」。今聴いてもかっこいいですね。確かに彼の音楽への影響がわかります。こういうNYファンクの路線を切り開いたことで、”ポスト達郎”的な見られ方から脱却できたように思います。