まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「スローなブギにしてくれ (I want you)」南佳孝(1981)

 おはようございます。

 今日は南佳孝の「スローなブギにしてくれ」です。

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 この曲は片岡義男原作で浅野温子主演の同名の映画の主題歌としてオリコン6位の大ヒットになりました。

 冒頭のフレーズ”ウォンチュー〜”が効果的に聴こえる映画のTVスポットが妙に耳に残ってしまい、僕も当時シングルが発売されるとすぐに買いに行きました。

 映画をご覧になった方はご存知だと思いますが、作品自体はドラマティックでもなく淡々としていて、この曲のテンションで見に行ってちょっと拍子抜けした記憶があります。映画が公開されるとシングルの売り上げが止まってしまったという当時の担当者の証言もあるようで、映画のTVスポットが、最も効果的な宣伝になったということなのでしょう。

 考えてみると片岡義男の小説も、曲名のようなタイトルについついひかれて読んでみると、いつも淡々としている(悪い意味じゃありません)、なんて経験があります。

 (日本人的なウェットな情緒や、作為的なドラマ性を徹底的に排除した、彼の作風のすごさに僕が気づいたのは、ずいぶん後になってからでした)

 

 彼の本のタイトルは歌にしたくなる感じもあるんでしょうね、例えば「愛してるなんてとても言えない」というのがあって、のちに杏里の曲のタイトルになっていますし、「スローなブギにしてくれ」は南より先に甲斐バンドが同じタイトルの曲を発表しています(ちなみに、この曲のほうが、片岡の小説や南の曲より、タイトルと整合性のある内容になっています)。

 

 さて、この曲のエピソードを、映画のプロデューサーだった角川春樹はこう記しています。

南佳孝は片岡の「ロンサム・カウボーイ」が月刊誌「ワンダーランド」で連載されていた頃からの個人的なファンであり、たいして売れなかった「スローなブギにしてくれ」の単行本を、発売時点で愛読してくれてもいた。

 彼はまた、映画に関係なく、「スローなブギにしてくれ」のデモテープを私から依頼される前に、個人的に創ってあった。片岡も南佳孝も、共通の地盤として都会に息づいている」

 (片岡義男「人生は野菜スープ」文庫版あとがき)

 

 角川氏によれば、映画の話がある以前に、南は個人的に「スローなブギにしてくれ」という曲を作っていたということなんですね。

 そして、片岡、南、二人の共通の地盤を”都会”なのだと見抜いているんですね。そして、都会にこだわる彼らのスタイルは最初はまったく売れなかったのですが、この頃になってやっと時代が追いついてきたわけで、その辺りを彼はこう表現しています。

 

「簡単な言葉でいえば彼らはふたりとも時代に先がけていた」

 

 今話題のシティポップについて年代順にまとめた「CITY POP 1973-2019」(レコードコレクターズ増刊)という本のディスクガイドの一番最初には、南佳孝の1973年のデビュー・アルバム「摩天楼のヒロイン」が掲載されています。

 日本のシティポップはここから始まったということなんですね。

 「摩天楼のヒロイン」は、はっぴいえんどが解散することが決まっていた時期の松本隆との出会いで生まれた作品でした。

  当時彼が組んでいたバンドのメンバーが松本をスタジオに連れてきて意気投合したといいます。

「松本君とは同い年で、東京生まれ、そして都会が大好きという共通項があったので、それで”都会”というテーマ決め打ちで作ったのが『摩天楼のヒロイン』(73年)。当時はフォーク・ソングがあふれていたから、そういうんじゃなくて、ソフィスティケイトされたカッコイイ都会の音楽を作ろうということで。」

(「クロニクル・シリーズ ジャパニーズ・シティ・ポップ」)

「同い年の東京生まれで、読んでた本も映画も、趣味がほとんど一緒だったし。都会的なものが大好きだったから、“一本の映画みたいなアルバム作ろうか”。すぐそんな話になったね」

「こないだ言われたのが、松本 隆が映画監督で、オイラが音楽担当兼主演。脚本を固めたのが(アレンジを手がけた)矢野誠さん。言わばこの3人で作ったアルバムだからね」

(CDジャーナル 2018/08/10

 

 「摩天楼のヒロイン」は非常に作り込んだ世界観の作品で、シティポップに直接影響を与えているという意味では、この2年後(1975年)にリリースされたシュガー・ベイブの「SONGS」、ユーミンの「コバルト・アワー」、小坂忠の「ほうろう」といった作品群になるとは思いますが、”都会”を音楽の核とし、細野晴臣鈴木茂林立夫などシティポップの名作の数々を演奏したメンバーが揃って作ったということでは、間違いなく記念碑的作品になると思います。

 

 しかし「摩天楼のヒロイン」はセールスは大きく失敗してしまったため、彼はブランクを余儀なくされてしまいます。

 そこで彼が出会ったのが、ミッシェル・ポルナレフなど日本でフレンチ・ポップス・ブームを作り、その後邦楽部に異動していたレコード会社のディレクター(高久光雄氏)。高久氏はこう語っています。

 

「”シティ・ミュージック”というコンセプトを掲げて、誰もやっていないような東京ならではの都会的な音楽を作ろうとしたんです」

 (「東京人」2021年4月号)

 

 南はその間、アルバイトをしながら曲を書きためていたそうで、

「次は何が来るかなって考えて、”海”と”夏”だなと。そしたら『忘れられた夏』というタイトルがすぐに浮かんできてね」

 (「クロニクル・シリーズ ジャパニーズ・シティ・ポップ」)

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 そして、彼は夏、海っぽいテーマの曲を書き続け、その決定版が1979年の「モンロー・ウォーク」でした。

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 この曲も売れなかったのですが、しばらくして郷ひろみがカバーしたことで注目され、彼のバージョンもそれに引っ張られるように売れていきました。

 

 その後、夏だ、海だ、といって、日本国民がサザンや達郎(のちにTubeで)大盛り上がりするのは1980年代に入ってからですから、ここでも彼は時代の先を行っちゃってたんですね。

 そして、世の中が夏だ、海だ、と盛り上がり始めていたこのタイミングでは、彼はまた都会に戻っていて、「スローなブギにしてくれ」をリリースしていたんですね。

 

 ここで彼が2004年にTVでこの曲を歌った時の映像を。

 オリジナル・ヴァージョンはアレンジャーの後藤次利が、古臭くならないようなアレンジを巧みにほどこしていましたが、曲そのものはクラシックなスタイルのロッカ・バラードであることが再認識できる、なかなか味わい深い演奏です。

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 最後はこの曲にヒントを与えたかも?という曲をご紹介します。山下達郎の英語詞を多く書いていて、「アンダーカヴァー・エンジェル」という全米ナンバーワン・ヒットを持つアラン・オデイの「Tonight You Belong To Me」(1979)です。

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