おはようございます。
今日もCITY POP。杉山清貴&オメガトライブの「SUMMER SUSPICION」です。
彼らはもともと”きゅうてぃぱんちょす”というバンド名で、古いファンにはおなじみのヤマハの”ポプコン”で入賞を果たし、関係者の注目を集めていました。
彼がアフロ・ヘアであることにまず驚かされますが、音楽性もR&Bテイストのあるアメリカン・ロックという感じだったんですね。杉山本人が作詞作曲しています。彼らは本来、ジャーニーやTOTOのようなアメリカン・ロックを志向していたようです。
そんな彼らに声をかけたプロデューサーの藤田浩一が、デビューの条件として提案したのが、彼のコンセプトにのっとって職業作家が作った楽曲を歌う、ということでした。
藤田は角松敏生を発掘し、彼の事務所の社長として最初の二枚のアルバムに関わりましたが、方向性の違いで角松は辞め杏里が所属していた事務所に移籍していました。
角松敏生のその次の展開としてやろうとしていたコンセプトを実現させるシンガーとして、彼は杉山清貴に目をつけたのかもしれません。
そして、彼らはグループ名を杉山清貴&オメガトライブに変え、林哲司が曲を書くことになります。林に声をかけて藤田に紹介したのが、角松敏生のディレクターだったそうです。当初彼らは角松と同じレーベルからデビューの予定だったのですが、最終的に上からのGOサインは出ず、藤田、林、杉山の枠組みのまま別のレーベルからデビューすることになりました。
アメリカン・ロック志向だった彼らの個性を鑑みて、林が最初に用意したのが次の2曲だったそうです。
両方ともアメリカン・ロックとAORの中間をついたような曲ですね。しかし、藤田はもっと日本的なもの、歌謡曲っぽいもの、にしてほしいと林に注文したそうです。
そして出来上がったのがこの「SUMMER SUSPICION」だったというわけです。
僕がこの曲から連想する曲は2曲、クリストファー・クロスの「風立ちぬ」、稲垣潤一の「ドラマティック・レイン」(筒美京平)です。AORと歌謡性の融合。本来洋楽色の強い楽曲を書く林が、歌謡曲を取り入れようとするときに、やはり筒美京平のアプローチは参考にしたのではないかと、僕は想像します。
また、杉山清貴&オメガトライブの大きな特徴は、シングルもアルバム、どちらのジャケット写真にも本人たちは一切映らず、リゾートや都会をイメージさせる写真で最後まで統一したということです。
これは洋楽のAORが日本で成功した大きな要因でもありました。
たとえばエアサプライ。左がオリジナル、右が日本盤ジャケット
「哀愁のカサブランカ」のバーティ・ヒギンス。
都会的にオシャレに過ごしたい、と日本人が夢想し始めたこの時代のBGMとなったのがAORやシティポップで、1970年代にはその舞台は大都会でしたが、1980年代には海、リゾートへと舞台が移っていきました。
日本オリジナルのジャケット写真というのは、まさにその時代のイメージを象徴するものだったのだと思います。
そして、このスタイルで日本型AORを作りブレイクさせようというのが藤田の狙いでもあったのでしょう。
ちなみに、角松敏生もファーストは本人が写っていましたが、セカンドはイメージ写真でした。
ジャケット写真だけを見ると、角松と杉山はつながっているように見えます。少なくとも藤田の頭の中ではつながっていたのかもしれません。
僕が興味深かったのが、次のシングル「Asphalt Lady」です。
南佳孝の「モンロー・ウォーク」みたいな出だしから、少し洋楽っぽいBメロ、そしてストレートに歌謡曲っぽいサビと、テイストが全然違うメロディを巧みに1曲にまとめ上げる感じは、すごく筒美京平っぽく思えます。
しかし、これが売れなかったんですね。
林はこう回想しています。
「プロデューサーの判断で、ドメスティックさ(=歌謡曲的な部分)を意識しすぎて、歌謡曲のあざとさを追い求めすぎていて、僕自身もそれに従っちゃったということもありました」
(日本テレビ音楽出版 作家インタビュー)
ジャケットのリゾート感と、音楽性のギャップが出てしまったということなんですね。
そして、次の「君のハートはマリン・ブルー」が再びヒットします。
「Asphalt Lady」の作為的なところは一切なくなり、洗練されたなかに、日本人好みのウェットな情感がまざった、まさに林哲司という曲調ですね。また、杉山清貴のボーカルの魅力がこの曲で大衆に伝わったようにも思います。
当時僕は、杉山清貴の洋楽っぽいポップスと歌謡曲のどちらにも振り切れていない中庸さがなにか物足りなく思えて、当時は正直言って積極的に聴かなかったのですが、今回あらためて聴いてみると、彼の歌声は、洋楽っぽさと歌謡曲っぽさの中間にこそ一番フィットするんだなということに気づきました。
そしてそういう音楽性が、当時の大衆にはちょうど良かったのだと思います。もっと洋楽寄りでも、歌謡曲寄りでもダメだったのだと。
最大のヒット「ふたりの夏物語」の頃には、彼らはTVにもしょっちゅう出ていて顔も大衆によく知られていたはずなのに、シングルのジャケットは相変わらずリゾート写真で通していて、ミスマッチのようにも思えますが、それによってなにかバランスが取られていたんでしょうね。大衆が自分はオシャレな音楽を聴いていると思えるような。
それから、歌詞ではシングルをすべて手がけた康 珍化に加え、アルバムでは秋元康が多く書いていて、当時気鋭の若手だった両者が書いた80年代らしい都会やリゾートのラブストーリーは、まさにこの頃の時代を映しているものだと思います
サウンド面でも林哲司が中核を担っていましたが、CITYPOPブームで再評価されている松下誠も参加、角松敏生のデビューアルバム「SEA BREEZE」のサウンド・ディレクターだった志熊研三もアレンジャーとして参加し続けています。
ちなみに、「昭和40年男」のシティポップ特集(2014年)で、杉山はオススメ盤として角松の「SEE BREEZE」をあげています。
そういえば、昨日このブログに登場した杏里の「悲しみがとまらない」ですが、その半年前に同じく康 珍化と林哲司が書いたこの「SUMMER SUSPICION」が発売されています。
「悲しみがとまらない」のプロデューサーとして、康と林に曲を依頼した角松は、当然「SUMMER SUSPICION」を聴いていたはずで、発注する決め手の一つになったのだと推測します(もちろん、林は竹内まりや、松原みき、康は山下久美子など、女性のポップ・シンガーで実績があったというのも大きいでしょうが)。
自身が辞めたばかりの事務所の社長が、ある意味”自分の代わり”としてヒットさせたアーティストの曲を書いた作家に彼は仕事を発注したことになるわけで、深い因縁のようなものを、僕は勝手に感じてしまいました、、、。
最後は杉山清貴の最新の楽曲で、南佳孝とのデュエット。以前からこの二人は、一緒にやっているようです。
南は日本のポップスの流行が、都会から海に移ることをいち早く予見して「モンロー・ウォーク」をヒットさせた”海のシティポップ”のパイオニア(ブームの頃には海から離れてしまっていましたが)、杉山は全然違う音楽をやっていたのに、まわりから”海のシティポップ”をやらされることで大ブレイクしたという、歩みはかなり対照的なふたりです。
その二人が一緒に「海へ行こうか」という歌を歌うというのも、考えて見るとなかなか味わい深いものがあります。
「SUMMER SUSPICION」を収録したファースト・アルバム「AQUA CITY」をリミックスした、デビュー40周年記念のアルバム
林哲司の作品