おはようございます。
今日は稲垣潤一の「オーシャン・ブルー」です。
この曲の作詞作曲は松任谷由実、編曲は松任谷正隆。ユーミンの世界に引き込んでいるようでありながら、稲垣潤一の良さを生かす配慮も随所に感じられて、かつそれが自然に溶け合ったようなとてもいいコラボレーションだと思います。
この時期のユーミンの創作力は凄まじいものがありました。前年1983年には「REINCARNATION」「VOYGER」と内容の充実した2枚のアルバムをリリース。
他のアーティストに提供したのが、「時をかける少女」(原田知世)「秘密の花園」「瞳はダイヤモンド」「蒼いフォトフラフ」(松田聖子)。
そして、1984年は自身のアルバムは「NO SIDE」、提供曲は「Rock'n Rouge」「時間の国のアリス」(松田聖子)、そして不世出の名曲「Woman "Wの悲劇より”」(薬師丸ひろ子)。
このラインナップに並べてしまうと「オーシャン・ブルー」の地名度は落ちますが、この時代の”隠れ重要曲”だと僕は思います。彼女はコーラスにも参加していますし、2003年に彼女はセルフカバー・アルバム「FACES」のオープニングにこの曲を選んでいますから、彼女自身も気に入っているのかもしれません。
この時期の稲垣潤一も絶好調。「ドラマティック・レイン」の大ヒットの後、1983年に「SHYLIGHTS」そして「J.I」という2枚のアルバムを出してこれもヒットし、アルバム・アーティストとして、”CITY POP”の主役の一人として脚光を浴びた、まさに”旬”な時期でした。
歌詞は、紆余曲折ありながら海に近いホテルでようやく結ばれた男女の話。恋愛のクライマックスには全く触れずに、その後の余韻に早朝の情景が重なってゆくところに焦点をあわせているところがポイントです。
ようやく結ばれた二人にとっては、前の日までとは違った日々がこれから始まるわけです。昨日から未来へと移り変わってゆく色合いが、オーシャンブルーというわけです。恋愛ドラマそのものは描かず、余韻を歌にする、まさに見事な大人のポップスです。こういうスタイルは、現代ではほとんど絶滅種”に近いものなのかもしれませんが、、、。
考えてみると、稲垣潤一という人は日本の音楽史上でも本当にめずらしい存在だと思います。
彼は基本的に作詞家作曲家の歌を取り上げているシンガーでありながら、アルバム・アーティストとして、山下達郎、山本達彦、角松敏生といった自作自演の人たちと同様な聴かれ方をしていました。しかも、歌謡曲サイドの作家もかなり多く参加しているのです。
「1984年の歌謡曲」という本で著者のスージー鈴木さんは、1984年は歌謡曲とニュー・ミュージックが融合した年だという、卓見を述べていらっしゃいましたが、そういう意味では、稲垣潤一は「融合」のアーティストだと言えると思います。筒美京平、湯川れい子、安井かずみ、秋元康、売野雅勇、林哲司など新旧の歌謡曲の人脈と、ユーミン、松尾一彦(オフコース)、安部恭弘、杉真理、木戸やすひろなどのニュー・ミュージックの人脈が「融合」され、"歌謡曲ファンにも聴ける”ようなシティ・ポップスを作り出したわけです。
その「融合」こそが、稲垣の個性なのですが、「融合」であるために、歌謡曲マニアにも、シティポップ・マニアにも、大きく評価されないことにもつながっている気がします。ただし、偏らずに自分しかいない路線を歩んだおかげで、息長く活躍できている面もあると思います。
筒美京平の、歌謡曲仕事では聴けない洗練されたきれいなポップス(筒美が本来自然に出てくるメロディはこういうタイプのものじゃないかと僕は推測しています。名曲「夏のクラクション」は詞先だったようですし。)、80年代を代表する作詞家、秋元康と売野雅勇の若くてイキがいい頃の、これぞ80年代という都会の恋愛の歌詞、林哲司のこれぞシティポップという作品群、井上艦のアレンジ・ワークなど、稲垣のアルバムには聴きどころが多いと思います。
そのなかでも、目立たないけれど、絶妙な仕上がりになっている隠れた名曲がユーミンの「オーシャン・ブルー」じゃないかと僕は思っています。