おはようございます。
今日も筒美京平作品です。。これはポップスのブログなので、彼の作品の中で最も”完全無欠な”ポップスだと僕が感じたものを。
1970年代に、日本の職業作家として誰よりも積極的にディスコに取り組んだ筒美京平は、ディスコの”直系子孫”であるユーロビートでも中山美穂の「WAKU WAKU させて」などヒット曲を作っていて、その中でも最高傑作と言われているのがこの「ABC」です。
ディスコ、ユーロビート、そして数年前に大ブームになったEDM、日本でも大ブームになるダンス・ミュージックの共通点は「四つ打ち」、バスドラムが均等な感覚でなることでリズムがとりやすいものだということが言えます。
たとえば、リズムが横に微妙にずれる、いわゆるファンキーなグルーヴにうまくノれる日本人はそんなに多くないですしね。
それに加えて、流行歌の世界を見てみると、たての均等なリズムは日本語のリズム感と似ていて、日本語の曲がノリやすいという利点があります。
日本の”踊るポップス”の象徴、ジャニーズもディスコ、ユーロビート、EDMを積極的に取り入れていたのも自然なことなのでしょう。
洋楽を聴くときは日本ではどうやったら売れるかを常に模索している、と語っていた筒美京平も、ユーロビートはいける、と思ったのかもしれません。
ちなみに「ABC」には、あきらかに参考にしたであると思われる曲があります。日本では特に人気の高かったマイケル・フォーチュナティの2大ヒット曲の一つ「INTO THE NIGHT」です。
Michael Fortunati - Into The Night (1987)
確かにユーロビートの大定番曲ですからキャッチーなわけですが、「ABC」はそのパクリなどというレベルじゃなく、完全に日本のポップスに置き換えられていると僕には思えます。
少年隊というクリーンでキラキラしたアイドルを演出するという大前提があったでしょうし、それと筒美の生み出すメロディの本質的な品の良さが加わって、なんとも言えない”多幸感”が生み出されています。”多幸感”のあふれたアイドル・ポップスの元祖とも言えるジャクソン・ファイヴの大ヒット曲と同じタイトルに松本隆がしたのは、2曲に同じような質感、そして、古き良きポップスとのつながりを感じたからだったのでしょうか?
そして、それは、あくまでも”夜のクラブで盛り上がり感”に徹底し、刹那的でもある「INTO THE NIGHT」とはまったく異質な感じさえします。
そして、この曲に大きく貢献しているのが編曲を手がけた船山元紀です。筒美は1970年代は自身で編曲することが多かったのですが、70年代終わりくらいから自分よりも若い編曲家を積極的に起用していましたが、船山はその中でも中心となる存在でした。
彼は当時の価格で1200万円くらいしたという、シンセサイザーの代表機”フェアライト”を日本の職業編曲家の中で最も早く購入し、小泉今日子の「迷宮のアンドローラ」など歌謡曲にそのサウンドを積極的に取り入れていました。
そして、フェアライトのサウンドと最も相性の良いジャンルでもあった”ユーロビート”を歌謡曲に取り込んでゆく動きも、彼が中心となっていきました。
前述した中山美穂の「WAKU WAKUさせてよ」も彼のアレンジでした。
そして「ABC」は彼の仕事の中でも特に力が入ったものだったそうです。実は全部の楽器が打ち込みと生の二重になっていて、彼曰く”フィル・スペクターバリの分厚いサウンド”で制作されたのだそうです。
「スタジオ中が楽器でいっぱいになり、キーボードも10台近くあったと思う。とにかく音を重ねて、ものすごいトラック数を使って録音した」
(「ヒット曲の料理人 編曲家船山元紀の時代」)
それをエンジニアの内沼映二が見事にオケを整理整頓してくれて、スッキリさせたのだといいます。
「ABC」が他のユーロビートの楽曲と違って聴こえるのは、”サウンド”にも大きな要因があったわけです。
ちなみに、船山の発言で興味深かったのは、打ち込みを導入した時代になると筒美はメロディを打ち込みをイメージしたものに変えてきたということです。そして、彼はアレンジャーに参考資料となる洋楽のレコードを渡してきて、これと”同じ音”するように指示してきて、彼らはそのレコードを聴きながら、その音がどの機材なのかをひとつひとつ検証していったそうです。
船山が生み出した”ユーロビート歌謡曲”の集大成となったのが、Winkの「淋しい熱帯魚」をはじめとする彼女たちの一連の大ヒット曲でした。
最後に「ABC」の小西康陽によるミックス・ヴァージョンを。彼が監修した「京平ディスコ・ナイト」に収録。この曲の良さをあらためて発信したのも彼が最初だったように記憶しています。