まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「ギヴ ・ミー ・アップ(Give Me Up)」マイケル・フォーチュナティ(1986)

 おはようございます。

 今日はマイケル・フォーチュナティの「ギヴ・ミー・アップ」です。

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Is it the first time in your life
Or is it just another one-night stand
Do you wanna make a fool of me
Just like you do it to all those other guys

Now I'm leading your life on my own on these days
And I don't want to mess with no woman
Get me out on your skin
No, that's hard. I can see
But you're back to save your love, but you can't


Give me up, oh, give me up
Oh, give me up, oh, give me up

You got this on your mind
For love isn't sin, I just don't have no time
I'm telling you again and again
You'd better stop this playing on my mind

Take an intermit stand cause you don't have a clue
Now I'm reading off time before you
Shout it out on the roof as you must understand
I got somebody else on my mind

Give me up...

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君の人生で初めてのことなのかい?
それとも、ただ一夜限りの恋なのか
僕をからかいたいのかい?
他の男たちにするように

今や僕が君の人生を導いているんだ
最近はね
女性と揉め事なんてごめんだ
僕を君から離してくれ
いや、それは難しいことさ、わかってるよ
だけど、君は自分の愛を救おうと戻ってきた
でもそれはできないさ

あきらめるんだ、僕のことはあきらめるんだ
あきらめるんだ、僕のことはあきらめるんだ

君は心の中じゃこう思っている
愛は罪じゃないってね
僕にはただ時間がないだけさ
何度も何度も君に言うよ
僕の心を弄ぶのはやめた方がいいって

もうやめてしまおう 君はわかっちゃいないんだから
僕は君に出会う前からやり直すんだ
屋根の上で叫ぶさ 君が理解するように
僕の心には別の人がいるんだ、と

あきらめてくれ

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 マイケル・フォーチュナティは1955年にイタリアで生まれ、本名をPierre Michel Nigroといいます。Nigroという名字は、イタリア人の血統を持つローラ・ニーロの本名(Laura Nigro)と一緒なんですね。(マイケル・フォーチュナティとローラ・ニーロの名字は一緒だったのか!なんて感心している人間は僕くらいでしょうけど(苦笑))

 ローラ・ニーロのように、英語圏では”Nigro”という名字は、人種差別的誤解を持たれる可能性があるので、彼も芸名をつけたのかもしれません。

 

 ただし、彼が育ったのはフランスで、彼の他の兄弟とともに1960年代に"Moonlights"や70年代には”Carré D'As”というグループを組んで活動していたようです。しかし、バンドはうまくいかず失望していると、兄弟の末っ子のマリオがディスコ系の楽曲を作ったから歌ってくれないかと持ちかけます。

 

 ”ユーロビートの帝王”のスタートは、別のダンス・ミュージックが好きだから、とか、ダンス・ミュージックで儲けてやろうなんていう強い野心があったからじゃなく、”弟に頼まれて歌った”ということだったんです。

 

 

 そして、そのデモがベルギーのプロデューサーに認められデビューすることになります。彼は兄弟グループでのリリースを望んだそうですが、そのプロデューサーはマイケル一人でやるつもりでした。

 その、彼のソロ・アーティストとしてのデビュー・シングルがこの「ギヴ・ミー・アップ」でした。1986年ですから、彼はもう30歳を過ぎていたんですね。

 フランス語でなく英語で歌ったのは、曲調とサウンドが英語の方がしっくりしたことと、海外での成功を期待したという理由がありました。

 マイケルは近所に住んでいたイギリス人の助けを借りて歌詞を書いたそうです。フランスの音楽業界はフランス語の曲の方が有利で、英語のため出れなかったTV番組もあったそうですが、クラブを中心に火がつき。フランス、そしてベルギーとフランス語圏(ベルギーの場合、他の言語も使いますが)でNO.1になっています。

 

 この曲が大ヒットすると、同じ1986年にフランス語でのカバーがリリースされヒットしたそうですが、タイトルが「KAMIKAZE」でした。同じ年にフランスで「神風」という映画(リュック・ベッソン製作)が公開されていたので、それにあやかったのかもしれません。

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 そして、この曲は日本にも伝わり”マハラジャ”などのクラヴでブレイクしたのでしょう、1986年11月にアルファ・レコードから発売され、その後大人気コンピレーションになる「ザッツ・ユーロビート」のVol.1の第1曲めにこの「ギヴ・ミー・アップ」が収録されました。

 そして1987年には日本の女性デュオ"Babe"がこの曲のカバーでデビュー。オリコン8位のヒットになっています。アレンジは大村雅朗でした。

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 そして同じ1987年に彼は東京音楽祭で来日し、それ以降、現在に至るまで、日本だけではリリースとライヴが絶えない、という特殊なアーティストになっています。

 

 ちなみに、ストック・エイトキン・ウォーターマンが作った「アイ・ハド・ア・ルーマー(噂)」(1987)はこの曲を盗用したということで、マイケルが彼らを訴え、長い裁判の結果、印税の一部を得るかたちで決着したそうです。

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  彼は”ユーロビートの帝王”と呼ばれるようになるわけですが、彼の発言で興味深かったのは、日本のユーロビートの好みは海外のものよりテンポが速いので、日本用に作る必要がある、と言っていたことです。

 ユーロビートはダンス・ミュージック史上日本人に最もフィットしたものと言っていいと僕は思っているのでが、作る側はちゃんと日本人の好みに合わせて作っていたんですね。

 エイベックスは当初「スーパー・ユーロビート」というコンピレーションで大当たりして拡大していった会社で、そこから小室哲哉サウンドにつながってゆくわけです。

 

 その流れの起点には、フランスに住んでいたイタリア系の兄弟が作った曲があったというわけです。

 最後は彼のもう一つの代表曲「イントゥ・ザ・ナイト」を。

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