おはようございます。
今日は宇多田ヒカル。
昔の対談記事で彼女は
「私が曲を作る原動力って結局、”恐怖”と”哀しい”と”暗い”なんですよ、全部。」
と語っていましたが、
あの「Automatic」の躍動感の中にもすでに、何とも表現しがたい”悲哀”が芯の部分にあって、それがより強く大衆を惹きつけたように思えます。
彼女は母親の藤圭子は、日本の大衆の”悲”の感情を一身に背負ってしまったような歌手でしたが、そういう宿命が娘の彼女にもあったのでしょうか、”哀しみ”は楽曲に無意識ににじみ出てくるような感じでしたが、だんだんと彼女は意識的にというか、どこか深い覚悟を持って今の時代の”哀しみ”に向かい合って、歌を紡ぎ出そうとしているように思えます。
今から何百年かたってこの時代の音楽を振りかえったとき、彼女は紫式部とか小野小町とか、そういう歌人のような存在として扱われているかもしれません。
悲しい気持ちが根底にあってそれが動機になっているアーティストだからといって、悲しいトーンの曲だけが優れているわけではありません。
このブログで何度も書いていますが、みんなを明るくさせるような曲は”ネアカ”には作れません。闇の深さ、暗さを知っていて、そこから見る光のまぶしさを歌にするからこそ、説得力が生まれるわけです。
「traveling」は彼女のレパートリーの中では数少ない軽快でポップな曲です。
この曲を書くきっかけは
自分が、元気になりたかったのだと彼女はインタビューで語っています。
彼女はその前に取り掛かっていた「FINAL DISTANCE」という曲で自分の感情を突き詰た状態になっていて
「みんなにもわかるっていう考えが一切ないところにいったん来て、でも、ああ、あそこが限度で戻らなきゃいけないんだ、そこからみんなと話したいのよ!ってところに戻って来なきゃいけないんだ」
と気づいたそうです。
そして、次の曲は”何かわかりやすいものがいいな”と思って、まず”スキーをしているスピード”というのが最初のイメージでした。
それからTVで不景気でタクシーを使う人が減っていることを紹介しているのを見ているうちに、曲冒頭のタクシー運転手とのやり取りのフレーズが浮かび、その後Bメロに和風なイメージが浮かんできたので「平家物語」を入れ込んでいったそうです。
これは、「FINAL DISTANCE」の自分の内側の世界を突き詰めるのとは真逆で、思うがままに”外の世界”とつながってゆく、「平家物語」ですから時空も超えるような、本当に”自由な”創作です。
僕は「traveling」は21世紀の日本を代表するポップスのひとつだと思っていますが、
彼女が創作において、自分の内面をギリギリまで追い込んでいたことからの大きな”反動”があったからこそ、ここまでの勢い、軽快さ、自由さが生まれたのだと、すごく納得できるところがありました。
あと、彼女は以前に
「悪いポップはコビだけど、良いポップは思いやりだから。」
(今までの引用はすべて「点-ten-」宇多田ヒカル)
と語っていて、もちろん彼女の意図はちゃんと把握しきれないのですが、僕にはすごく興味深く思えました。
コビは、作為的であり、見え見えであり、安易なアピールです。
思いやりは、受け手には具体的なものとして悟られずに、気持ちをピースフルにさせるものです。
「コビ」と「思いやり」、二つを大きく隔てるのは創作における”誠実さ”なのかもしれません。