まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「あなたのとりこ(Irrésistiblement)」シルヴィ・ヴァルタン(1968)

  おはようございます。

  今日はフレンチ・ポップシルヴィ・ヴァルタンの「あなたのとりこ」です。

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 ”なにもかも抗えないほどにあなたに引き寄せられるの、今までのように

  なにもかも抗えないほどにあなたに結びつく、それを感じる

  夜の後には朝が来るように

  雨が上がれば陽が射すように

  鳥たちが巣に戻ってゆくように

     私は愛する人のもとへ向かうの     ” (拙訳)

 

 原題の”Irrésistiblement”は英語の”irresistibly”、抗し難い、という意味です。

 

 

 

 さて、この「あなたのとりこ」、21世紀に入って、日本で最も耳にするフレンチ・ポップではないでしょうか。

 フレンチ・ポップが日本で流行ったのは1960年代前半から70年代前半くらいのことで、僕はまだ子供だったので意識的に聴くことはなかったのですが、確かにTVで耳にすることが多かったと記憶しています。

 

 そして、当時のフレンチ・ポップ・ブームの中心であり、フランスの音楽界では国民的シンガーとして今もなお人気高いのが、このシルヴィ・ヴァルタンです。

 

 実は彼女はブルガリア出身で、フランス国籍ブルガリア人の父とハンガリー人の母の間に生まれています。

 8歳の時にブルガリアが共産体制に変わった時に、家族でフランスに亡命、パリに移住しています。

 兄がレコード会社で仕事をしていて、彼が制作するレコードで歌うはずだった女優が降板した時に、急遽代役で歌ったのがシルヴィで、それをきっかけに歌手への道を進むことになったようです。

 

 シルヴィのブレイク、というよりも”フレンチ・ポップ”が生まれるおおきなきっかけになったものがあります。

 

  それが、”イェイェ”(Yé-yé)です。

 

 ”イェイェ”とは、英語の”Yeah! Yeah!”のことで、1960年代はじめにフランスや南欧で流行したポップ・ミュージックのスタイルで、当時世界的な大ブームになっていたアメリカのロックンロールの影響を受けた音楽でした。

 

 彼女が18歳でリリースしたファースト・アルバム「SYLVIE」(1962)には初ヒットとなった「おセンチな17才(Tous mes copains)」といったオリジナルのほか「悲しき慕情」(ニール・セダカ)、「ベイビー・イッツ・ユー」(シュレルズ)、「ロコモーション」(リトル・エヴァ)、「Wha'd I say」(レイ・チャールズ)、そしてチャビー・チェッカーの「ダンシン・パーティ」のフランス語カバーが収録されています。

 

 *彼女のヴァージョンは「想い出のダンス・パーティ」という邦題がついています。


Comme l'été dernier

 この曲の中の”イェー!イェー!”という合いの手が、”イェイェ”の語源になったという説があるようです。

  シルヴィや他の”イェイェ”のアーティストのブレイクに大きく貢献したのが「サリュ・レ・コパン(Salut les copains) 」(ハロー、仲間たちのような意味)というラジオ番組で、のちに同名の雑誌も生まれ、シーンに大きな影響を与えました。

 

 1964年には彼女はビートルズのフランス公演で共演し、”イェイェ”のアーティストが多数出演した映画「アイドルを探せ(Cherchez l'idole)」に出演、日本では同名のタイトルがつけられた「アイドルを探せ(原題はLa plus belle pour aller danser)」を劇中で歌い大ヒットになりました。


Sylvie Vartan ~ La Plus Belle Pour Aller Danser

 

 そして日本でも、彼女と”イェイェ”の人気が高まり、1965年にレナウンのTVCMに彼女が登場し、”ワンサカ娘”というCM用のオリジナルを歌い大きな話題になりました。

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 作詞作曲は小林亜星、”イェイェ”を意図的に入れてますね。1965年は彼女は20才でこの時が初来日、空港にはファンが殺到したそうです。

 

 そして、この「あなたのとりこ」がリリースされた1968年には彼女はすでに押しも押されぬ大スターだったわけですが、同年4月に自らの運転が事故に遭い、左手を骨折、同乗していた友人が亡くなってしまうという不幸に見舞われてしまいます。

 その痛手を乗り越えるように作られた曲のひとつがこの「あなたのとりこ」でした。

  そして、今までより高い音域をファルセットで歌うことに取り組み、彼女の新しいスタイルを生み出したのです。

   実はこの曲、フランスでは最高13位と彼女にしてはそれほどヒットはしていません。しかしイタリアでは最高3位まであがる大ヒットになっています。

  日本では1969年に発売された時はあまり売れず、翌1970年に再発された時にラジオ・ヒットになったそうです。

  1980年代にカメラのCMに使われていましたが、なんといっても映画「ウォーター・ボーイズ」(2001)が、この曲の再評価のきっかけになりました。それ以降、コンスタントにTVCMで使われています。

 それまでは、日本での彼女の代名詞の曲は「アイドルを探せ」でしたが、21世紀に入って一気に「あなたのとりこ」のほうが人気になったわけです。

 でも、それだけよくできた曲だと僕も思います。

 

 

 

 

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