おはようございます。
8月も今日で終わりですので、名残を惜しんでまたまたビーチ・ボーイズの曲にしました。
”キミの家の外に停めた車の中で座ってる
キミはブラウスにコーラを全部こぼしたことがあったね
Tシャツ、カット・オフ・ジーンズに1組のビーチ・サンダル
ひと夏中ずっと 僕らは楽しんだ
(夏の間ずっと キミは僕と一緒にいたね)
キミがよく見えないよ
(夏の間ずっと 僕らは自由だった)
もうすぐ夏が終わってしまう(夏は終わる)
今はまだ僕らの夏は終わっちゃいない
ミニチュア・ゴルフと丘に停まっているホンダの車たち
一緒に馬に乗った時は ワクワクしたね
時々 僕たちの歌が聴こえてくる
ひと夏中 僕らは楽しく過ごしてきたんだ
もうすぐ夏が終わってしまう(夏が終わる)
今はまだ僕らの夏は終わっちゃいない
時々 僕たちの歌が聴こえてくる ” (拙訳)
この曲の歌詞の多くとメイン・ヴォーカルはマイク・ラヴ。
ただし、歌詞の一番の、コーラをブラウスにこぼしたというくだりは、ブライアンと彼の最初の奥さんマリリンとの実話がベースになっているそうです。
「結婚は厳しいものだった。ぼくは若かったし、結婚にはあまり向いていなかった。ほかの女の子たちとすごした時間も多かったしね。マリリンへの償いとして、彼女のための曲をもっとたくさん書こうとした。<オール・サマー・ロング>では、ぼくらがはじめて出会ったパンドラズ・ボックスで、ぼくが彼女にホット・チョコレートをこぼしてしまったことをちょっとしたジョーク仕立てで曲にしている。出てくる物をちょっとだけ変えてね。ホット・チョコレートは、歌詞としてうまく収まるようにコーラに変えたし、彼女がこぼしたことにしたのも、そのほうがおかしさが増すように思えたからだった。」
(「ブライアン・ウィルソン自伝」)
調べてみるとブライアン・ウィルソンは22歳、マリリンはまだ17歳というまだ”幼い”カップルだったようです。うまくいかない結婚生活というリアルな問題に対して、創作というファンタジーで対処しようとしている彼の無垢さが、痛々しくさえ感じますが、、、。
ちなみに、パンドラズ・ボックスとは当時西ハリウッドのサンセット・ストリップにあったナイト・クラブで、ビーチ・ボーイズもよく演奏していたそうです。
また、マリリンはこの頃ハニーズという女性3人組ボーカル・グループを結成していて、ブライアンのプロデュースで作品をリリースしていました。"ビーチ・ボーイズのガールズ版”というアイディアでした。
スティーヴン・フォスターの「故郷の人々(スワニー河)」をサーフィン・ミュージック化したこんな曲もやっています。
The Honeys - Surfin' Down the Swanee River (1963)
そして、古い映画ファン(!)には1973年の「アメリカン・グラフィティ」のエンド・クレジットに流れる曲として有名ですね(僕もこの映画で、初めてこの曲を聴いたように思います)
American Graffiti (1973) End Credits (Showcase 2020)
卒業直前の高校生たちの”最後の夏”を描いたこの映画のエンディングには、これ以上ピッタリな曲はなかったはずです。ちなみに映画は1962年という時代設定でしたが、この曲は1964年のリリース、時代の整合性よりも、映画そのものの世界観との整合性のほうが勝ったということでしょう。
(登場人物がその後どうなったかをテロップで示すこの映画の手法を真似した映画やTVドラマをその後たくさん見かけました)
「オール・サマー・ロング」の魅力は、ドラマティックな演出などは一切なしで、
”ブラウスにコーラをこぼした”とか、誰にもありそうなエピソードと”Tシャツ、カット・オフ・ジーンズに1組のビーチ・サンダル”とか、”ホンダの車”とかこの時代の西海岸の若者をイメージさせるものを並べることで、そこから”あたりまえ”のものが”あたりまえ”だからこそ、かえって貴重なんだってことを教えてくれるところだと僕は思います。
たとえ特別なことが起きなくても、10代の夏っていうのは特別なものなのだったかもしれないな、とずいぶん年をとってから思えてきたりします。
特にその頃聴いた音楽を聴くと、そんな気持ちになることがありますよね。