まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ディス・ガイ(This Guy's in Love with You)」ハーブ・アルパート(1968)

 おはようございます。

 今日はハーブ・アルパート「ディス・ガイ(This Guy's in Love with You)」です。

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You see this guy, this guy's in love with you
Yes I'm in love who looks at you the way I do
When you smile I can tell we know each other very well

How can I show you I'm glad I got to know you 'cause
I've heard some talk they say you think I'm fine
Yes I'm in love and what I'd do to make you mine
Tell me now is it so don't let me be the last to know

My hands are shakin' don't let my heart keep breaking 'cause
I need your love, I want your love
Say you're in love and you'll be my girl, if not I'll just die

Tell me now is it so don't let me be the last to know
My hands are shakin' don't let my heart keep breaking 'cause
I need your love, I want your love
Say you're in love ,in love With this guy
if not I'll just die

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わかるよね、コイツは、君に恋しているんだよ

そうさ、僕は恋している こんな風に君を見つめてるヤツはいるかな

君が微笑めばわかるんだ 僕らは親密なんだって

 

僕の喜びを君にどう表現したらいい

君のことを知らなくちゃ

だって、君が僕のことをよく思っていると

みんなが話していたのを聞いたから

そう、僕は恋している どうしたら君は僕のものになるんだろう 

今言ってほしい そうなの? 僕を知らないままにしないで

 

僕の手は震えている この心をこわさないで

だって、君の愛が必要なんだ 君の愛が欲しいんだ

言ってほしい、この人と恋に落ちた、って 

もしそうじゃなかったら 死んでしまうよ
                       (拙訳)

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 昨日、このブログでとりあげた「ライズ」はアルパートのトランペッターとしての全米NO.1でしたが、この「ディス・ガイ」はシンガーとしての全米No.1ヒットです。

 

この曲はもともと"This Guy"ではなく、"This Girl"だったと言われています。

アルパートは自身がテレビの特別番組で歌う曲を探していたそうです。

 

ハーブ・アルパート:いつも、偉大な作曲家にする質問があってね。その日、電話でバートバカラックに訊いたのも、同じ質問だったー「引き出しかどこかにしまいこんでいる曲、でなきゃレコーディングがうまく行かなかったのに、ついつい風呂場で口笛を吹いてしまう曲じゃないか?」。すると彼は<ディス・ガール(This Girl's in Love with You>を送ってくれた。わたしはニューヨークのハル(デヴィッド)に電話して、性別を変えてもらえないかと頼んだ。

          (バート・バカラック自伝 ザ・ルック・オブ・ラヴ)

 

 

 しかし、調べていてこの曲を最初に発売したのはアルパートじゃないことがわかりました。

 ダニー・ウィリアムスというイギリスの黒人シンガーがアルパートより少し早くリリースしていました。彼は”イギリスのジョニー・マティス”と呼ばれ、ヘンリー・マンシーニの「ムーン・リバー」をイギリスで大ヒット(1961年全英1位)させています。

 タイトルは「That Guy's in Love」。 

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This Guy”じゃなく”That Guy”なんです。”コイツ”じゃなく”アイツ”。

 一番の歌詞はこうなります。

 

You see that guy, that guy's in love with you
That guy's in love He looks at you the way I do
When he smiles I can tell you know each other very well

(わかるかい、アイツは君に恋してる 

 恋してるアイツは僕と同じような目で君を見つめるんだ

 彼が微笑むと 君たちはとても親密だって僕にはわかるんだ)

 

 最後はこうなります。

 

My hands are shakin' Just look my heart is breaking 'cause
My girl's in love, So much in love
Yes  you're in love , in love with that guy, and I could  just die

(僕の手は震えている 見て、僕の心はこわれそうさ

それは、愛しい彼女は恋してるから、とても強く愛しているから 

そう、君は恋している、恋しているんだアイツに、だから僕はもう死ぬしかない)

 

 完全に失恋の歌だったんですね。

 

 「ディス・ガイ」は訳していて正直何か微妙にしっくりこなかったんです。ひとまず、僕の英語力はさし置いて、なのですが。

 主人公と彼女の距離感がつかめない曖昧な言い方が多いんです。彼女はこっちに気があるようなのに、そうでもないような。

 ところが、「ザット・ガイ」の歌詞はすごくしっくりきたんですよね。

 

 アルパートは自分のTV番組のディレクターから番組で歌うようリクエストされていたといいます。

 ハル・デヴィッドはこう語っていたそうです。

 

「彼は、テレビのスペシャル番組で私たちの曲をやりたいと言ってきたんだ。それは彼が妻に向かって歌う曲で、歌詞は彼が言いたかったことにあまりふさわしいものじゃなかったんだ。彼は私たちに、彼が必要としていることにぴったり合うように歌詞を変えられないかと尋ねてきた。それで私は実行したんだ」

                         (Songfacts) 

 最初で引用した文で、アルパートはただ性別を変えてくれるよう頼んだ、と言っていましたが、ハルの言い方は、ちょっとニュアンスが違いますよね。主人公の男女を変えてそれに合わせて変更させたなら、そう言っているはずですし。

 

 やはり、大失恋の歌「ザット・ガイ」を、”なんとなく相思相愛”の「ディス・ガイ」に変えたとするほうが、しっくりします。

 

 ひょっとしたら、最初の最初は「This Girl」だったのかもしれませんが。そのあたりの情報は残念ながら見つかりませんでした。

 

 とにかく、単語の入れ替えなどの最小限の改編で、曲をまったくちがう内容に変えたハル・デヴィッドの手際は見事と言うしかありません。

 

 さて、アルパートは、当初この歌はTV番組で歌って終わりにするつもりでしたが、視聴者から反響が凄かっらたしく、急遽録音して発売したところ全米1位になった、ということです。

 それがそのTV番組の映像です。

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  この曲がヒットするやいなや、女性シンガーたちはこぞって「This Girl's in Love with You」というタイトルでカバーをしています。

  ナンシー・シナトラがTV番組「エド・サリバン・ショー」で歌ったのが最初だと言われています。

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 他にヒットした1968年だけでも、ペトゥラ・クラークコニー・フランシス、そして、英米それぞれでバカラック・ナンバーを多くヒットさせているダスティ・スプリングフィールドディオンヌ・ワーウィックもカバーしていました。

 

 最後は、この曲を史上最高のラヴ・ソングだと語っている、元オアシスのノエル・ギャラガーのカバーを。

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「ライズ」ハーブ・アルパート(1979)

 おはようございます。

 今日はこのブログ初のインスト・ナンバー。ハーブ・アルパートの「ライズ」です。

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 ハーブ・アルパートはポピュラー音楽史に大きく貢献した偉大な人物なのは間違いないのですが、日本ではあまり多くは語られてこなかったような気がします。

 それは彼のプロフィールがあまりに独特だからかなとも思うわけですが。

 

 彼はインスト(トランペット)と歌ものの両方で全米1位ヒットを持つ史上ただ一人のアーティストで、カーペンターズやスティング、ジャネット・ジャクソンなどのスーパースターを輩出したをA&Mレコードの創業者でもあります。

 

 彼のキャリアを、おさらいしてみようと思います。

 

 出身はロサンゼルス。ユダヤ系で、両親ともに楽器を弾く音楽一家で生まれましたが、彼が8歳の時に小学校の音楽鑑賞の授業で聴いたことがきかっけでトランペットに夢中になったそうです。

 高校卒業後、大学ではマーチングバンドに入り、大学を中退して陸軍に入ってからも式典でトランペットを演奏していらそうです。

 

 1957年からは作家活動を始め、のちにキャロル・キングの「つづれおり」をプロデュースするルー・アドラーと組んで、サム・クックの「ワンダフル・ワールド」を書いたり、ジャン&ディーンの「ベイビー・トーク」という曲をプロデュースしています。 

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 また、彼はルーと”Herb.B Lou and the Legal Eagles”なるバンドで1958年にシングルをリリースしています。いわゆるノベルティ(企画)ものだったようです。 

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 そして1961年、彼は”ドア(Dore)・アルパート”という芸名でシンガーとしてデビュー。その後1964年までにシングルを何枚か発売しています。

 

「GONNA GET A GIRL」(1961)

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 そして、1962年に彼は自分の人生を変えるパフォーマンスを目にします。

 それが、闘牛でした。強く感動した彼は家に戻ってトランペットを手に取り、広場で感じたものを音楽で再現しようとしました。

    ベースとなったのはソル・レイクという人が書いた「Twinkle Star」という曲で、ハーブは自宅のガレージに作った簡易なレコーディング・スペースで作業しました。

 

 そして出来上がったのが「悲しき闘牛(The Lonely Bull(El Solo Toro)」。彼はこの曲のためにティファナ・ブラスというバンドを結成し、最初は”ティファナ・ブラス フィーチャリング ハーブ・アルパート”と名乗っていました。曲は全米6位の大ヒットになりました。

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  この曲は彼のビジネス・パートナー、ジェリー・モスと立ち上げたばかりのA&Mレコード(アルパートのAとモスのMです)の初の大ヒットにもなりました。

 

 カーペンターズ、スティング、ジャネット・ジャクソンなどを生み出したレーベルは

自宅のガレージで録音した”闘牛”のインスト曲から始まったわけですね。

 

 そして、彼とティファナ・ブラスはメキシコの、ギター、トランペット、バイオリンなどで構成された楽団”マリアッチ”風のサウンドで大人気になっていきます。ちなみに、当時彼はメキシコのマリアッチは聴いたことがなかったそうです。

 

 1960年台半ば頃には、出すアルバムは1位、シングルもインストなのに次々とTOP40入りして、まさに一世を風靡しました。

 1966年4月には4枚のアルバムがビルボードのトップ10に入るという、ビートルズでもなし得なかった偉業を達成しています。

 

 日本で最も知名度があるのが、”オールナイト・ニッポン”のテーマ曲「ビター・スウィート・サンバ」でしょう。

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1965年全米7位、もう一つの大ヒット曲「蜜の味」

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 1960年代に圧倒的な人気を誇った彼らも70年代に入ると勢いは衰えてゆき、

1975年にティファナ・ブラスは活動を停止します。

 その後ハーブはA&Mレコードを運営しながら、ソロ活動をしていました。

 

 「ライズ」が生まれるきかっけは、ハーブが甥っ子のランディに「悲しき闘牛」などの”ティファナ・ブラス”時代の曲のダンス・ヴァージョンを作ってみるようにと指示したことだったそうです。

 

 そのプロジェクトにランディ本人はあまり乗り気じゃなかったそうですが、「悲しき闘牛」ともう1曲ダンス・ミュージック(ディスコ)にアレンジしてみたそうですが、その作業と並行して、新曲も聴かせたところ、ハーブが気に入りレコーディングすることになったという、それがこの「ライズ」でした。

 ティファナ・ブラスの曲のディスコ・ヴァージョンにするというのはハーブ自身のアイディアだたのですが、そっちの方は結局気に入らなかったようです。

   

  「ライズ」を書いたのは、ランディとジャズピアニストのアンディ・アーマーでした。アンディはこの曲のレコーディングでもキーボードを弾いています。

 

 ただ、もともとのテンポはBPM128(EDMなど今のダンスミュージックでも非常に好まれる速さです)だったのを、ハーブが”夜の終わりの時間に、踊ったりハグしたりできるように”とBPM100、とテンポを落としたそうです。

 

 この曲は全米1位になったのですが、大きなきっかけとなったのは、当時の大人気ドラマ「ゼネラル・ホスピタル」の音楽ディレクターが気に入って、ドラマの中で効果的に使ったことでした。

 

 

  1979年のインタビューで彼は、この「ライズ」を自身の作品の中でも最も気にいっているものとしてあげています。

 いつのまにか、自分が一人のリスナーとしてオーディエンスとして楽しんで聴いていることに気づいた、とも語っています。

 

 「ライズ」は、この曲をサンプリングした曲も全米1位になっています。

それが、1997年にリリースされた、当時の大人気ラッパーThe Notorious B.I.G."Hypnotize"  です。

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「Close To You」Dayglow(2021)

 おはようございます。

 今日はDayglowの「Close To You」です。

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I saw you looking for the side door

You didn’t want to stick around for

The rest of the night

I guess that’s alright

They all left when you walked home

It makes sense that they all know

It was only for you

If only you knew

 

What good is love without any strings?

Held it above, stuck in between

Tell me for once what that even means

I want to know you, but can’t make it right

 

There’s something on my mind,

There’s something that I

(Wish I would’ve told you, but you just don’t seem

to wonder what you’re doing when you’re close to me)

Oh yeah

There’s something on my chest

I wish I would’ve said

(I think it over and it might be true,

I’m only overthinking when I’m close to you)

 

We locked eyes from a distance

So close but I missed it

Now you’re walking away

when I wish you would stay

I get stuck in a conversation

Different night, same situation

I beat myself up for not speaking up

 

Every night I can’t make it right, yeah

 

There’s something on my mind,

There’s something that I

(Wish I would’ve told you, but you just don’t seem

to wonder what you’re doing when you’re close to me)

Oh yeah

There’s something on my chest

I wish I would’ve said

(I think it over and it might be true,

I’m only overthinking when I’m close to you

Only overthinking when I’m close to you,

I’m only overthinking when I’m close to you

I’m only overthinking when I’m close to you, oh yeah

I’m only overthinking when I’m close to you,

I’m only overthinking when I’m close to you

I’m only overthinking when I’m close to you, oh yeah

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君は出入り口を探していた

もうここにいたくないんだね

夜の残り時間を

それでいいと思うよ

君が帰ったらみんな出ていった

みんなわかってたんだろうね

君だけのためだって

それを君が知ってさえいてくれたら

 

無条件の愛のどこがいいの?

高く掲げて、身動き取れなくなって

一度教えてほしいそれにいったい何の意味があるのか

君を知りたいのに うまくできないんだ

 

 

 

僕の心に何かがある

何かがある それは

(君に言えたらよかったんだけど、君が僕のそばにいるときに

君は何をしているのか疑問に思っていないみたいだね)

僕の胸に何かつかえていて

それを言えたらよかったんだけど

(よく考えてみると そうかもね、君が近くにいると

僕は考え過ぎてしまうだけなんだ)

 

遠くから視線を合わせて

もう少しで 逃してしまった

 

 

君はいなくなってしまった

いてほしかったのに 

会話に行き詰まってしまう

別の夜も 同じ状況

はっきり喋れない自分を責めるんだ

 

 

 

 

毎晩、僕はうまくやれない

 

僕の心に何かがある

何かがある それは

(君に言えたらよかったんだけど、君が僕のそばにいるときに

君は何をしているのか疑問に思っていないみたいだね)

僕の胸に何かつかえていて

それを言えたらよかったんだけど

(よく考えてみると そうかもね、君が近くにいると

僕は考え過ぎてしまうんだ)

 

君が近くにいると 僕はただ考え過ぎてしまうんだ

君が近くにいると 僕はただ考え過ぎてしまうんだ、、(拙訳)

 

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「今の時代、楽観的なアーティストが足りていないと思うんだ」(Dayglow)

 

 

  「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」(ドゥービー・ブラザース)をなぞったようなリフ・パターン。久しぶりですね。1980年代にはこのパターンをなぞった曲が本当に大量に作られました。


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 作ったドゥービーのマイケル・マクドナルドはよく訴えないもんだなあ、と思ったものですが、マイケルも「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」はキャプテン&テニールの「愛ある限り」がきかっけだったと言っていますし、その「愛ある限り」を書いたニール・セダカビーチ・ボーイズの「ドゥ・イット・アゲイン」にインスパイアされたと言っていまから、キリがないですよね。

 

 ただこれは言えるのは、今の時代のAORやシティポップっていうのは、サウンドがちょっとローファイというか軽いってことが大事なんだろうなと思います

 

 

 さて、Dayglowはアメリカのテキサス出身のスローン・ストラブル(Sloan Struble)によるポップ・バンド(実質は個人ユニット)です。

 彼は10歳のときにGarageBandで制作を始め、ループやサンプルを「曲のレゴのように」使っていたといいます。テキサス州のヤギのいる農場で暮らしていた彼は、まわりに誰も音楽を教えてくれる人はいないので、ひたすらネットで独学によって音楽制作を身につけていったそうです。

 そして17歳で"KINDRED”という名義で作品をリリース。なかには”JAPAN"なんて曲もありました。

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 その後、Brazosというアーティストの”Day Glo”という曲から、名義を”Dayglow”に変更。

  そして、2018年に「Can I Call You Tonight」という曲が大ブレイクします。

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 インディーズの人気ブログにのり、Spotifyのプレイロストになり、アメリカのカリスマ・ユーチューバー、エマ・チェンバレンにプッシュされ、TikTokで盛り上がり、という絵に描いたような”ネット発のヒットです。

 YouTube再生数が約6500万回、Spotifyの再生回数が2億回超え、と(当時)テキサス州宅録大学生が突如としてメジャーレーベルのスーパースター並みの人気になる、それが今の音楽シーンなんですね。

 

 

 この「Close To You」は明日(5/21)リリースの彼のニューアルバム「Harmony House」からのセカンド・シングルです。

 

 彼は興味深い発言をしています

「僕は自分の音楽で楽観主義をはっきり表現したい」

「今の時代、楽観的なアーティストが足りていないと思うんだ」

          (the austin chronicle  June 21 2019)

 

 今の時代、悲観主義には誰でも放っておいてもなれます。でも、楽観主義は、はっきりした意図やポリシーがなくては、無理ですよね。

 でも、どんな時代であれ、楽観主義が反映された音楽はなくてはいけない、と僕はずうっと思い続けています。そういう意味では、彼のようなアーティストはうれしく思えます。

 

 とはいえ、なんでしょう、今の時代にポップスをやるのは、彼のように脱力したローファイで自然体な感じ、まずは自分たちが楽しいことやろうよ、みたいなことが大事なんだろうなあ、と思います。

 

「僕は音楽の現実逃避して空想するようなところが大好きなんだ。他の世界からやってきたような気持ちになる。僕は音楽をパーソナルでオーガニックに感じたいんだ」

 (Washington Square News  November 21, 2019)

 

最後に彼の曲をもう1曲。「Hot Rod」

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 追記:なんと、17分前(5月21日13:00)に彼の新しいMVがアップされました。

これまた、絶妙な”脱力’80sチューン”です。曲名は「Medicine」。

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「ミラクルズ(I Believe In Miracles)」ジャクソン・シスターズ(1973)

 おはようございます。

 今日はジャクソン・シスターズの「ミラクルズ」です。

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I believe in miracles, baby
I believe in you

They say the day is ending
Let's watch the Sun go down
And plan a holiday for two
For all eternity
We'll ride a cloud so you can see
The world I created just for you

Oh, I saw you standing on the street
I wanted to meet, just stop a while
You give me a smile to say hello
You made me feel so good inside
That I realized that I couldn't hide
The feeling that came when you failed to say

I believe in miracles
I believe in miracles
I believe in miracles
Don't you, don't you?


I don't know what people are saying
Or what games that they are playing
Or if they're playing that same old game on me
People never knowing where they're going or what they're showing
So, come on boys, show a little love for me

I believe in miracles
I believe in miracles
I believe in miracles
Don't you, don't you?

Here we are together, face to face
Forever in a place that I created
Just for you, you, you
So, people are better than what you give
Believe in dreams and think they're real
And, one day soon, your miracles will come true

I believe in miracles (Dont you?)
I believe in miracles (Dont you?)
I believe in miracles
Dont you, dont you?
I believe in miracles (Dont you?)
I believe in miracles (Dont you?)
I believe in miracles
Dont you, dont you?
I believe in miracles (Dont you?)
I believe in miracles (Dont you?)
I believe in miracles
Dont you, dont you?
I believe in miracles (Dont you?)

 

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私は奇跡を信じるわ、ベイビー

私はあなたを信じる

私は奇跡を信じるわ、ベイビー

私はあなたを信じる

 

1日が終わるわ

太陽が沈むのを見ましょう

そして、二人の休日の予定を立てよう

永遠に

雲に乗れば、あなたにも見える

あなたのために私が創った世界


ああ、通りに立っているあなたを見たわ

顔を合わせたくて ちょっと立ち止まると

あなたは微笑んでハローと言う

すごくいい気分になれた

隠せないと気づいたから

あなたが言えなかった時の気持ちを

私は奇跡を信じるわ

私は奇跡を信じるわ

私は奇跡を信じるわ

あなたは?あなたは?

私は奇跡を信じるわ、ベイビー

私はあなたを信じる

私は奇跡を信じるわ、ベイビー

私はあなたを信じる

 

みんなが何を言っているかわからない

どんなゲームをやっているの

それとも、いつもと同じゲームを私にしているとしたら

みんなには決してわからないわ

自分たちがどこに行くのか 何を見せるのか

だから、さあ、愛を私に見せて

 

私は奇跡を信じるわ

私は奇跡を信じるわ

私は奇跡を信じるわ

あなたは?あなたは?


私たちはここで一緒に 顔を合わせて

私の創った場所で永遠に

ただあなたのために

だから、みんなはみんなが与えるものより優れているの

夢を信じて 本当になると思って

いつかもうすぐ あなたの奇跡は実現するの

私は奇跡を信じるわ(あなたは?)

私は奇跡を信じるわ(あなたは?)

私は奇跡を信じるわ

                    (拙訳)

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 ジャクソン・シスターズカリフォルニア州コンプトン出身で、ジャクリーン・ジャクソン・レンチャー、リン・ジャクソン、パット・ジャクソン、ライ・ジャクソン、ジェニー・ジャクソンの五人姉妹、1971~2年頃に結成されました。

 男性の目を怖れる過保護な父親のおかげで、家の前庭でさえ遊ばせてもらえなかった彼女たちは、裏庭で退屈しのぎに一緒に歌ったり踊ったりするようになり、その後タレントショーに出たことをきかっけに、デビューしました。

 

 マイケル・ジャクソンのいたジャクソン5が大活躍していた時代でしたが、ジャクソン5は彼らの父親が金儲けしようと、子供たちに徹底的に芸事を仕込んだのに対して、彼女たちは父親から家に閉じ込められた中で、楽しみのために自主的に歌や踊りを始めたわけですね。

 

  彼女たちはProphesy Records(すぐにMums Recordsに名前を変えます)と契約し、

1973年に「(Why Can't We Be)More Than Just Friends」というシングルを出しますが、この曲のプロデューサーの一人に「カリフォルニアの青い空」のアルバートハモンドの名前があります。この時期彼は同じレーベルに所属していたんですね。

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 そして、その次にリリースされたのがこの「ミラクルズ」でした。

  興味深いのは共作者で共同プロデューサーがボビー・テイラーだということです。この人はジャクソン5モータウンに紹介し、最初のアルバムを共同プロデュースした、まさにジャクソン5の”生みの親”なんです。

 ちゃんと、ジャクソン5とつながりがあるんですね。

 

    また共同プロデューサーのひとり、ドン・アルフレッドは「カリフォルニアの青い空」のプロデューサーで、さかのぼるとジャン&ディーンのシングルでビーチ・ボーイズもカバーしている「パサディナのおばあちゃん」を共作するなど、1960年代のサーフミュージックやソフト・ロック系の仕事をたくさんしている人です。

 

 さて、彼女たちはスモーキー・ロビンソンがミラクルズを離れる時のフェアウェル・ツアーの前座をやったそうですが、”I believe in miracles”って歌詞がまさにぴったりだったから選ばれたんでしょうね。

 

 他にも人気TV番組「ソウル・トレイン」にも出たそうですが、彼女たちはもともとスターになりたいと思ったことはなく、ただただ家から出たかったのだと、のちに語っています。

 

 結局ヒットを出せないまま、1974年頃には彼女たちはアーティスト活動をやめてしまったようですが、1976年にタイガー・リリー(Tiger Lily)レコードというところから彼女たちのアルバムがリリースされています。

 

 このタイガー・リリーのオーナーがモーリス・レヴィという、ジャズやロックンロールの全盛期にレーベル(ルーレット)やジャズクラブ(バードランド)と著作権で大儲けした、マフィアとも太いパイプがあったという人物。

 

 ジョン・レノンの「ロックンロール」というアルバムは、レヴィから盗作訴訟騒ぎを起こされ、和解案として彼が著作権を所有するロックンロールをカバー・アルバムを作らざるを得なくなったために録音されたという話があります。

 

 ウィキペディアによると、タイガー・リリーはレヴィの税金対策で作ったもので、利益を上げることを目的せず、アーティストやスタジオからデモテープを入手し、アーティストの同意なしに、時にはアーティストも知らないうちにリリースした、という記述があります。

 

 ですから、このアルバムはほとんど市場に出回らなかったと言われています。

 

 また、アルバムにはシングルとは別のヴァージョンが収録されています。

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 そして、彼女たちが注目を集めたのが1980年代後半、イギリスのクラブシーンから始まった”レア・グルーヴ”のムーヴメントの中でした。それは、リアルタイムではヒットしなかった音源から、クラブで映える素晴らしいものを見つけようとする動きでした。

 1987年にこの曲はイギリスのヒットチャートに入るまでの人気曲になりました(全英72位)。

 ”レア・グルーヴ”は、日本のクラブ・シーンにも大きく影響を与え、”渋谷系”の原動力になりました。この「ミラクルズ」はその象徴ともいっていいように思います。

 

 そして”レア・グルーヴ”のムーヴメントで人気になった多くの曲が、再び消えてゆく中、この「ミラクルズ」の人気は衰えていないようで、2016年には日本でシングル盤がリリースされましたが、即完売したようです。

 

 

 そういう「ミラクルズ」のリバイバルを、実は彼女たちは長い間知りませんでした。

 

 2003年に、姉のリネッタ・コールマンが子供達に自分が「ソウルトレイン」に出ている映像を見せようと思いグーグルで検索して、はじめてイギリスや日本で大変な人気になっていることを知ったそうです。

 

 彼女たちは、自分たちの曲がまだ流通しているとは思いもしなかったと言っています。

 「ミラクルズ」の再評価の対価は彼女たちにはいっさい払われていなかったんですね。

  それは、彼女たちが所属していたマムス・レコードが1975年に閉鎖したときに、曲の権利と一緒に彼女たちの印税の権利も売ってしまっていたからのようです。本人たちに無断で。あきらかに彼女たちのものではない(スペルの間違った)サインのされた契約書があったそうです。

 彼女たちは訴訟を起こしたようですが、どうなったかは不明です。

 

 デビュー当時も、彼女たちの印税は、コンサートやプロモーションの資金に充てるということで一切払われなかったと言わていますから、アーティスト活動で彼女たちはほとんどお金をもらっていなかったことになります。

 

 

 ポップ・ミュージックの世界というのは、大衆には夢のような世界を描いてみせながら、現実では、創り手や演じ手にとって、ものすごく不利なシステムでまわっていました。彼女たちのようなエピソードは本当につきなくて、やはり辛い気持ちになります。

 

 

 今後も「ミラクルズ」の人気が続いて、何らかの対価が彼女たちに払われるようになることを祈るばかりです。

 

 あらためて「ミラクルズ」を聴き直してみると、メジャーレーベルでは作れない、荒削りだけれど、音盤からはみ出してくるような勢いを感じます。純粋なエネルギーというか。

 そういうところが”レア・グルーヴ”の流行が終わっても、変わらず今も人気がある理由のひとつであると思います。

 プロ志向ではなかった彼女たちのアマチュアっぽいみずみずしさが、うまく引き出された、まさに”奇跡”の1曲なのでしょう。

 

 最後はこの曲を共作者である、イタリア出身のシンガー・ソングライター、マーク・カパーニが1974年にセルフ・カバーしているので、そちらを。この曲を含め、わずか2枚のシングルしか残していませんが、なかなか魅力的なアーティストです。

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( 参考:Daily Journal   February 2009)

 

 オリジナルアルバムに「ミラクルズ」の7インチと12インチヴァージョンをプラスした内容になっています。

 配信のベストアルバム。

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「イッツ・ア・シェイム(It's a Shame)」スピナーズ(1970)

 おはようございます。

 今日もスピナーズ。「イッツ・ア・シェイム」です。

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It's a shame, the way you mess around with your man
It's a shame the way you hurt me
It's a shame, the way you mess around with your man
I'm sitting all alone, by the telephone
Waiting for your call, when you don't call at all

It's a shame (shame) the way you mess around with your man
It's a shame (shame) the way you play with my emotions
It's a shame (shame) the way you mess around with your man
You're like a child at play, on a sunny day
'Cause you play with love, and then you throw it away

Why do you use me, try to confuse me
How can you stand, to be so cruel
Why don't you free me, from this prison
Where I serve my time as your fool

It's a shame (shame) the way you mess around with your man
It's a shame (shame) the way you hurt me
It's a shame (shame) the way you mess around with your man
I try to stay with you, show you love so true
But you won't appreciate, the love we try to make

Oh, it's got to be a shame

Why do you use me, try to confuse me
How can you stand, to be so cruel
Why don't you free me, from this prison
Where I serve my time as your fool

Got to be a shame (shame) the way you mess around with your man
Ohhh, it's a shame (shame) the way you hurt me
It's a shame (shame) the way you mess around with your man
You've got my heart in chains, and I must complain
I just can't be confined, oh, looking back in time
Got to, got to, be a shame

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残念だよ、君が彼氏といちゃつくその感じ

残念だよ、そんな風に僕を傷つけるなんて

恥ずかしいことだよ、君が彼氏といちゃつくその感じ

僕は一人ぼっちで 電話のそば

君からの連絡を待っている かけてきやしないのに

 

残念だよ、君が彼氏といちゃつくその感じ

残念だよ、そんな風に僕の気持ちをもて遊ぶなんて

恥ずかしいことだよ、君が彼氏といちゃつくその感じ

君はまるで 晴れた日に遊ぶ子供さ

それは君を愛とたわむれたあと、放り投げてしまうからさ


どうして僕を利用するの 混乱させようとするの

どうしたらそんなに残酷にしていられるの

どうして僕をこの牢獄から解放してくれないの

君に夢中になってしまったバカが刑期を務めるこの場所から

残念だよ、君が彼氏といちゃつくその感じ

残念だよ、そんな風に僕を傷つけるなんて

恥ずかしいことだよ、君が彼氏といちゃつくその感じ

君と一緒にいようとして この愛が本物だって教えたい

だけど、君はなんとも思っちゃいない、僕たちが育む愛なんて

ああ、それはひどいことなんだよ

どうして僕を利用するの 混乱させようとするの

どうしたらそんなに残酷にしていられるの

どうして僕をこの牢獄から解放してくれないの

君に夢中になってしまったバカが刑期を務めるこの場所から

 

残念だよ、君が彼氏といちゃつくその感じ

残念だよ、そんな風に僕を傷つけるなんて

恥ずかしいことだよ、君が彼氏といちゃつくその感じ

君は僕の心を縛りつけたから、僕は文句を言わなきゃ

僕を閉じ込めることなんてできない

ああ、今振り返ってみると 恥ずかしいことなんだ   (拙訳)
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 デトロイト出身で地元の人気レーベル”モータウン”に所属しながらうまくいかず、レコード会社を移籍し”フィラデルフィア・ソウル ”の人気者になったスピナーズですが、モータウン時代にまったくヒットがなかったわけではありません。

 彼らのモータウン時代の代表曲が、この「イッツ・ア・シェイム」です(全米14位、全英20位)。

 

 この曲を書いたのは、スティーヴィー・ワンダーとリー・ギャレット、シリータ・ライトの三人。プロデュースはスティーヴィーが担当しています。

 

 実は「イッツ・ア・シェイム」の1週間前にスティーヴィー・ワンダーは自分のシングルをリリースしています。作者は同じくスティーヴィー、リー、シリータ、そこにスティーヴィーの母ルラ・ハーダウェイが加わっています。

 

 その曲は「涙をとどけて(Signed, Sealed, Delivered (I'm Yours))」です。

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 これはスティーヴィー・ワンダーがはじめてセルフ・プロデュースの権利を勝ち取った記念すべき曲なんですね。

 そして「イッツ・ア・シェイム」は彼がはじめて他のアーティストをプロデュースした曲。

 それが並行して行われていたわけです。

 

 また、シリータ・ライトは、モータウンで秘書やデモ・シンガー、バック・コーラスなどをやっていましたが、スティーヴィーと交際し始めたことがきかっけに、曲も一緒に書くようになっていました。二人はこの曲が発売された3ヶ月後に結婚しています。

 

 

    この曲をメインで歌っているのがG.C.キャメロン。彼はオリジナルのメンバーではなく、モータウンがスピナーズにはいろんなタイプの曲が歌えて深みのある声のメインボーカルが必要だということで、1967年に加わったメンバーでした。

 

 G.Cはスティーヴィーと仲良くなったそうです。

「ある晩、二人で出かけた時に、彼は言ったんだ”君のために曲を書いたよ”って。僕がどんな曲かたずねると、彼は自分の家に僕を連れて行って、電子ピアノで演奏したんだ。その曲が”イッツ・ア・シェイム”だったんだ」

「次の日に、スティーヴィーはスタジオに行ってレコーディングした。その3日か4日後に僕はスピナーズの他のメンバーと一緒に歌を録音したんだ」

                (REBEAT)

 

 G.Cはこの曲でメインとファルセットの両方のパートを歌い、まさにいろんなタイプの歌が歌える才能を発揮しています。

 

 しかし、G.Cも他のメンバーも長くヒットが出ずに、モータウンの他のアーティストの付き人や運転手までやっていたそうで、自信喪失になっていたのでしょう、「イッツ・ア・シェイム」の出来には満足しつつも、ヒットするとは思っていなかったそうです。

 

 結局、曲はけっこうヒットしたのにスピナーズは移籍しますが、G.Cのみモータウンに残りました(代わりに自分のいとこをメンバーに推薦しています)。

   彼は当時モータウンの社長のベリー・ゴーディのお姉さんグウェン・ゴーディと恋仲にあり、のちに結婚します(ちなみに、グウェンの最初の旦那さんはスピナーズをモータウンに連れてきたハーヴィ・フークアです)。

 まあ、それがモータウン残留の大きな理由でしょうが、スティーヴィーへの恩義ありましたからなおさらG.Cはモータウンはやめられなかったでしょうね。

 

 G.Cはモータウンでソロアーティストとして活動していき、2000年代にはテンプテーションズのメンバーになったりしています。

 

 そして、この「イッツ・ア・シェイム」は自分の曲だという自負があるのでしょう、ソロのライヴでは必ず歌っているようです。

 

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「フィラデルフィアより愛をこめて(Could It Be I’m Falling In Love)」ザ・スピナーズ(1973)

 おはようございます。

 今日はスピナーズの「フィラデルフィアより愛をこめて」です。

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Since I met you
I've begun to feel so strange
Every time I speak your name
That's funny
You say that you are so helpless too
That you don't know what to do

Each night I pray
There will never come a day
When you up and take your love away
Say you feel the same way too
And I wonder what
It is I feel for you

(Could it be I'm falling in love)
With you, baby
(Could it be I'm falling in love)
(Could it be I'm falling in love)
With you With you With you (With you)

I don't need all those things
That used to bring me joy
You've made me such a happy boy
And honey, you'll always be
The only for me
Meeting you was my destiny

 

You can be sure
I will never let you down
When you need me
I'll be around
And darling you'll always be
The only one for me
Heaven made you specially

(Could it be I'm falling in love)
With you, baby
(Could it be I'm falling in love)
(Could it be I'm falling in love)
With you With you With you (With you)

And darling you'll always be
The only one for me
Heaven made you specially

(Could it be I'm falling in love)
With you, baby
(Could it be I'm falling in love)
I want to know now, baby
(Could it be I'm falling in love)
With you With you With you (With you)

 

I walk around with my heart in my hands, hey
I walk the street as long as I can, baby
I used to sing fa fa fa fa
But right now I feel so good, I sing la la la la
Once you get me up, won't let me down
Just let this feeling carry me on
Skip the beats with my heart girl

 

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君と出会ってから

その名前を口にするたびに

すごく不思議な感じになるんだ

ヘンだよね

君は何をしたらいいかわからなくて

自分がすごく無力だって言う

 

毎晩僕は祈るよ

君が目覚めて愛を捨て去るような日が来ないように

君も同じ気持ちだって言ってほしい

それで、僕の君へのこの感情は何だろう

 

ひょっとして、僕は恋しているの

君に、ベイビー

ひょっとして、僕は恋しているの

ひょっとして、僕は恋しているの

君に、君に、君に

かつて僕を楽しませてくれたものは全部

必要ないのさ

君が僕を幸せにしてくれたんだ

だからハニー、君はいつでも僕のただ一人の人

君に出会うことは運命だったんだ

 

君を絶対にがっかりさせたりしない

君が必要なときは、そばにいるよ

ダーリン、君はいつも僕にとってただ一人の人さ

天が特別に君を作ったのさ

 

ひょっとして、僕は恋しているの

君に、ベイビー

ひょっとして、僕は恋しているの

ひょっとして、僕は恋しているの

君に、君に、君に

 

ダーリン、君はいつも僕にとってただ一人の人さ

天が特別に君を作ったのさ

 

ひょっとして、僕は恋しているの

君に、ベイビー

ひょっとして、僕は恋しているの

ひょっとして、僕は恋しているの

君に、君に、君に

 

喜びでいっぱいになって僕は歩きまわる

この通りをどこまでも歩いてゆく

前は僕は、ファファファって歌っていた

だけど今は気分がいいから ラララと歌うよ

君が気持ちをアゲてくれたから もう落ち込むことはないさ

 

ただこの気分にまかせてゆくよ

心臓を高鳴らせて              

                      (拙訳)

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 デトロイト出身で長いキャリアを持ちモータウンと契約したスピナーズは、テンプテーションズやフォートップスのようなエース級になれずに、モータウンのライバル、アトランティック・レコードに移籍し、当時勢いに乗っていたフィラデルフィアのプロデューサー、トム・ベルと作品を作ることになりました。

 

 バラードが真骨頂であったトムでしたが、仲間のパーカッショニストの挑発に乗ってスリー・コードのシンプルな曲を書いてみると、スピナーズのぴったりだと思い、”保険”としてバラード曲のB面に入れたところ、DJたちが気にって大ヒットしたのが「いつもあなたと(I'll Be Around)」でした。

 

 そして、この曲が取り入れた2拍目の4拍目を強調するリズムパターンを、トムが中心になりどんどん使われ、それがディスコの基本ビートになり、今の時代でもEDMなどで使われる鉄板パターンになっています。

 

 さて、この「フィラデルフィアより愛をこめて」は「いつもあなたと」(全米3位、R&B1位)に続くシングルで、同様の大ヒット(全米4位、R&B1位)になり、「いつもあなたと」がチャートインしなかったイギリスでも11位になりました。

 

 「いつもあなたと」で使った、2拍目と4拍目を強調し、バスドラムで1拍目と3拍目に2回、2拍目と4拍目に1回叩くという、リズムパターンが使われています。

 

 この2曲があって続けにヒットしたことで、このグルーヴが大衆に浸透して言ったんじゃないかと思います。”2曲セット”もしくは”2部作”のように、僕はとらえています。

 

 フィラデルフィア・ソウルは、スタイリスティックスやデルフォニックスのような甘いバラード系、オージェイズ、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツのような男っぽいソウル系がありましたが、ここでスピナーズのポップなダンス系というのが生まれたわけで、これがディスコへとつながっていきました。

 

 ”これは恋なのかしら?”といいった歌詞とは全く関係のない「フィラデルフィアから愛をこめて」という邦題を日本の担当者がつけたのは、当時それほどフィラデルフィアが新たな音楽の中心地として注目されていて、それを日本の洋楽ファンにも届けたい気持ちがあったからだったように、僕は推測します。

 

 この曲を書いたのは、マーヴィン&メルヴィン・スティールズという兄弟のソングライター・チームです。彼らは”Mystro & Lyric”という作家名で表記されることもあって、メルヴィンが"Mistro"、マーヴィンが"Lyric"だということです。

  大ヒットしたのはこの曲くらいですが、グロリア・ゲイナーの「ハニー・ビー」やトランプス、エクスタシー、パッション&ペインなどフィラデルフィア・ソウルのダンスものを書いています。

 

最後にこの曲のカバーを。

 

 1985年に全英チャートで5位になった、デヴィッド・グラントとジャッキー・グラハムのデュエット

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 レジーナ・ベルの1995年のアルバム「フィリー(Reachin' Back)」から。

(僕は当時国内盤の担当者でした)

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 KISSのポール・スタンレーがR&Bの名曲をカバーする新プロジェクト”ポール・スタンレーズ・ソウル・ステーション”をスタートさせ、今年(2021年)3月にアルバム『Now And Then』をリリース。その中にこの曲のカバーもありました。他も、「ウー・ベイビー・ベイビー」「はかない想い」「ララは愛の言葉」など、このブログにも登場した名曲が多数入っています。

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「アメリカン・モーニング(Just When I Needed You Most)」ランディ・ヴァンウォーマー (1979)

 おはようございます。

 今日はランディ・ヴァンウォーマーの「アメリカン・モーニング」です。

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You packed in the morning
I stared out the window
And I struggled for something to say
You left in the rain without closing the door
I didn't stand in your way

But I miss you more
Than I missed you before
And now where I'll find comfort
God knows
'Cause you left me
Just when I needed you most

Now most every morning
I stare out the window
And I think about where you might be
I've written you letters that I'd like to send
If you would just send one to me

'Cause I need you more
Than I needed before
And now where I'll find comfort
God knows
'Cause you left me
Just when I needed you most

 

You packed in the morning
I stared out the window
And I struggled for something to say
You left in the rain without closing the door
I didn't stand in your way


Now I love you more
Than I loved you before
And now where I'll find comfort
God knows
'Cause you left me
Just when I needed you most
Oh yea you left me
Just when I needed you most

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朝になって、君は荷物をまとめた

僕は窓の外を見ていた

そして、何か言葉を探していた

君はドアも閉めずに 雨の中を出て行った

僕は引き止めはしなかった

 

だけど、前よりずっと君が恋しいよ

今は僕がどこに慰めを見つけたらいいのか

誰にもわからない

だって、君は僕が一番必要な時に出て行ってしまったから

ほとんど毎朝

僕は窓の外を見ている

そして君はどこにいるのか考える

送りたい手紙も書き溜めている

もし君が一通でも僕に送ってくれたなら

 

だって、前よりずっと君が恋しい

今は僕がどこに慰めを見つけたらいいのか

誰にもわからない

それは、君は僕が一番必要な時に出て行ってしまったから

 

朝になって、君は荷物をまとめた

僕は窓の外を見ていた

そして、何か言葉を探していた

君はドアも閉めずに 雨の中出て行った

僕は引き止めなかった

 

今は、前よりずっと君を愛している

そして、僕はどこに慰めを見つけたらいいのか

誰にもわからない

それは、君は僕が一番必要な時に出て行ってしまったから

君は僕が一番必要な時に出て行ってしまったんだ

                      (拙訳)

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 失恋の痛手からいっこうに立ち直れない男の悲しい歌ですが、曲調と「アメリカン・モーニング」という邦題から、”爽やかで穏やかな朝の歌”として日本では認知され、そういうイメージのTVCM(スクーター)にも使われたこともあって、定着していきました。

 (本来の歌の内容とは違うニュアンスで伝わりヒットするというのは、日本の洋楽ではよくあって、それがまた面白さでもあるかもなあ、と個人的には思います。)

 

「君がいない朝」なんて邦題だったら、日本ではもうちょっと地味なヒットで終わった可能性もあるんじゃないでしょうか(日本人好みの曲調なのでヒットしたのは間違いないでしょうけど)。

 

 それにしても「アメリカン・モーニング」。”モーニング”は実際歌詞に出て来るのでわかるのですが、なぜ、”アメリカン”だったのでしょうか。

 ネットで検索しても答えが見つからなかったので、ここは僕が勝手に推理させていただきました。

 

 「アメリカン・モーニング」がアメリカでヒットしていたのが1979年6月で、ちょうど同じ頃日本でヒットし始めたのがこの曲でした。

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 「アメリカン・モーニング」の当時の日本発売日は契約問題でアメリカのヒットよりかなり遅れたらしいので、邦題を考えたタイミングがちょうどアメリカン・フィーリング」のヒットと重なっていたんじゃないかと。”なんとかモーニング”ってタイトルにしようと思っている時に、すっぽりハマったと。あくまで推測ですが、、。

 

 そして、この頃は”アメリカン・コーヒー”がカッコよかった時代ですね。学生の頃、喫茶店ではじめて「アメリカン」とオーダーした時にちょっと誇らしい気分になったことを今でもおぼえています(恥ずかしい、、、)。

 

 ちなみに、杏里は1982年に「思いきりアメリカン」って曲を出していますが、彼女がプロモーションでおとずれた大阪の放送局で出されたコーヒーがものすごく薄かったことからつけられた、なんてエピソードがあるそうです(まさかこの曲のタイトルが「思いきり薄いコーヒー」って意味だったとは、、、)。

 

 <*追記 当時の日本のレコード会社の担当者の”当時、アメリカン・コーヒーが日本で流行し出した時期だった、というのもあってそれを付けました”(AOR AGE Vol.21)という証言が見つかりました。   2021年7月21日>

 

 

  さて、話をランディ・ヴァンウォーマー本人に戻します。彼はアメリカ・コロラド州に生まれる。父親を交通事故で亡くした彼は 15歳のときに母とともにイギリス・コーンウォールに移住します。そこでの経験が彼が18歳の時に書いた「アメリカン・モーニング」のインスピレーションとなったと言われています。

 

 アメリカに戻りニューヨーク州ウッドストックに拠点を置いた彼は、地元のベアズヴィル・レコードと契約します。ベアズヴィルはボブ・ディランのマナージャー、アルバートグロスマンが作ったレーベルで、トッド・ラングレンがハウス・プロデューサーを務めていました。

 

  彼のプロデュースを担当したデル・ニューマンはエルトン・ジョンのアルバム「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」にアレンジャーとして参加したり、先日このブログで紹介したウィングスの「007死ぬのは奴らだ」のオーケストラの指揮などをやっていた人です。

 

 そしてこの「アメリカン・モーニング」は彼の二枚目のシングルとして発売され、全米最高4位の大ヒットになっています。

 彼はこの曲のヒットの理由の一つとして、間奏に出て来る”オートハープ”をあげていますが、弾いているのはなんと、ラヴィン・スプーンフルジョン・セバスチャンです。ちなみにオートハープってこんな楽器です。ジョン自身が弾いている動画がありました。

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(ちなみに、彼は1983年リリースの4枚目のアルバム「The Things That You Dream (邦題「夢見る頃」)」 でラヴィン・スプーンフルの「魔法を信じるかい」をカバーしています。)

 

 「アメリカン・モーニング」の次に「コール・ミー」という曲をシングルにしましたが残念ながらチャートインせず不発に終わってしまいます(個人的に好きな曲でしたが)。

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 彼が得意とする素朴なアコースティック・サウンドは1980年代に入ると一気に衰退し、シンセ・サウンドに主導権を握られてしまいます。彼もメロウな作風はおさえて、打ち込みの80年代サウンドにアプローチしながら作品をリリースし続けましたが、ヒットを生み出すことはできませんでした。彼本来の持ち味とフィットしなかったのかもしれません。

 

 彼の楽曲でオークリッジ・ボーイズやアラバマといったアーティストがカントリー・チャートでNO.1を獲得したことからも、彼の特性がわかるように思います。それと、ランディ自身が、カントリー・ミュージックのメッカの一つであるコロラド州で生まれ育っているので、もともと体に染み込んでいたのかもしれません。

 

 その後、彼は数こそ少ないですが作品をリリースし続け、日本のみ、もしくは日本先行発売のものも多くありました。”AOR大国”日本のファンの人たちは根強く彼を応援し続けたんですね。

 残念なことに、彼は2004年に白血病のため他界しています。まだ48歳でした。彼の遺作は「アメリカ音楽の父」スティーヴン・フォスターの作品集でした。彼はすべての楽器を自分で演奏していたそうです。

 

 「アメリカン・モーニング」はあるサイトによると、カバー・ヴァージョンが75もあるらしく、<スタンダード>と呼んでも差し支えないのかもしれませんね。

 当初はR&Bのミリー・ジャクソン、レゲエのバーバラ・ジョーンズなんて意外で面白いカバーもありましたが、この曲本来のテイストを生かしたカントリー・シンガーが数多く歌うようになりました。

 

 アメリカン・モーニング」は日本では”AOR一発屋ヒット”ですが、アメリカでは

カントリーのスタンダードになっていたのです。

 

 カントリーですから、ある意味まさに”アメリカン”な曲になったという、、、(別にオチをつけようという意図はないですw)。

 

 カントリー界の超大物ドリー・パートンもこの曲のカバーをやっていて、間奏のオートハープを再び、ジョン・セバスチャンが演奏しています。

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 最後はランディ本人の1990年のライヴ。やはりオリジナルよりカントリー寄りのアレンジになっています。

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アメリカン・モーニング」「コール・ミー」が収録されたAORの定番アルバムのひとる「Walmer(邦題:アメリカン・モーニング)」

 

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