まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ライズ」ハーブ・アルパート(1979)

 おはようございます。

 今日はこのブログ初のインスト・ナンバー。ハーブ・アルパートの「ライズ」です。

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 ハーブ・アルパートはポピュラー音楽史に大きく貢献した偉大な人物なのは間違いないのですが、日本ではあまり多くは語られてこなかったような気がします。

 それは彼のプロフィールがあまりに独特だからかなとも思うわけですが。

 

 彼はインスト(トランペット)と歌ものの両方で全米1位ヒットを持つ史上ただ一人のアーティストで、カーペンターズやスティング、ジャネット・ジャクソンなどのスーパースターを輩出したをA&Mレコードの創業者でもあります。

 

 彼のキャリアを、おさらいしてみようと思います。

 

 出身はロサンゼルス。ユダヤ系で、両親ともに楽器を弾く音楽一家で生まれましたが、彼が8歳の時に小学校の音楽鑑賞の授業で聴いたことがきかっけでトランペットに夢中になったそうです。

 高校卒業後、大学ではマーチングバンドに入り、大学を中退して陸軍に入ってからも式典でトランペットを演奏していらそうです。

 

 1957年からは作家活動を始め、のちにキャロル・キングの「つづれおり」をプロデュースするルー・アドラーと組んで、サム・クックの「ワンダフル・ワールド」を書いたり、ジャン&ディーンの「ベイビー・トーク」という曲をプロデュースしています。 

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 また、彼はルーと”Herb.B Lou and the Legal Eagles”なるバンドで1958年にシングルをリリースしています。いわゆるノベルティ(企画)ものだったようです。 

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 そして1961年、彼は”ドア(Dore)・アルパート”という芸名でシンガーとしてデビュー。その後1964年までにシングルを何枚か発売しています。

 

「GONNA GET A GIRL」(1961)

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 そして、1962年に彼は自分の人生を変えるパフォーマンスを目にします。

 それが、闘牛でした。強く感動した彼は家に戻ってトランペットを手に取り、広場で感じたものを音楽で再現しようとしました。

    ベースとなったのはソル・レイクという人が書いた「Twinkle Star」という曲で、ハーブは自宅のガレージに作った簡易なレコーディング・スペースで作業しました。

 

 そして出来上がったのが「悲しき闘牛(The Lonely Bull(El Solo Toro)」。彼はこの曲のためにティファナ・ブラスというバンドを結成し、最初は”ティファナ・ブラス フィーチャリング ハーブ・アルパート”と名乗っていました。曲は全米6位の大ヒットになりました。

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  この曲は彼のビジネス・パートナー、ジェリー・モスと立ち上げたばかりのA&Mレコード(アルパートのAとモスのMです)の初の大ヒットにもなりました。

 

 カーペンターズ、スティング、ジャネット・ジャクソンなどを生み出したレーベルは

自宅のガレージで録音した”闘牛”のインスト曲から始まったわけですね。

 

 そして、彼とティファナ・ブラスはメキシコの、ギター、トランペット、バイオリンなどで構成された楽団”マリアッチ”風のサウンドで大人気になっていきます。ちなみに、当時彼はメキシコのマリアッチは聴いたことがなかったそうです。

 

 1960年台半ば頃には、出すアルバムは1位、シングルもインストなのに次々とTOP40入りして、まさに一世を風靡しました。

 1966年4月には4枚のアルバムがビルボードのトップ10に入るという、ビートルズでもなし得なかった偉業を達成しています。

 

 日本で最も知名度があるのが、”オールナイト・ニッポン”のテーマ曲「ビター・スウィート・サンバ」でしょう。

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1965年全米7位、もう一つの大ヒット曲「蜜の味」

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 1960年代に圧倒的な人気を誇った彼らも70年代に入ると勢いは衰えてゆき、

1975年にティファナ・ブラスは活動を停止します。

 その後ハーブはA&Mレコードを運営しながら、ソロ活動をしていました。

 

 「ライズ」が生まれるきかっけは、ハーブが甥っ子のランディに「悲しき闘牛」などの”ティファナ・ブラス”時代の曲のダンス・ヴァージョンを作ってみるようにと指示したことだったそうです。

 

 そのプロジェクトにランディ本人はあまり乗り気じゃなかったそうですが、「悲しき闘牛」ともう1曲ダンス・ミュージック(ディスコ)にアレンジしてみたそうですが、その作業と並行して、新曲も聴かせたところ、ハーブが気に入りレコーディングすることになったという、それがこの「ライズ」でした。

 ティファナ・ブラスの曲のディスコ・ヴァージョンにするというのはハーブ自身のアイディアだたのですが、そっちの方は結局気に入らなかったようです。

   

  「ライズ」を書いたのは、ランディとジャズピアニストのアンディ・アーマーでした。アンディはこの曲のレコーディングでもキーボードを弾いています。

 

 ただ、もともとのテンポはBPM128(EDMなど今のダンスミュージックでも非常に好まれる速さです)だったのを、ハーブが”夜の終わりの時間に、踊ったりハグしたりできるように”とBPM100、とテンポを落としたそうです。

 

 この曲は全米1位になったのですが、大きなきっかけとなったのは、当時の大人気ドラマ「ゼネラル・ホスピタル」の音楽ディレクターが気に入って、ドラマの中で効果的に使ったことでした。

 

 

  1979年のインタビューで彼は、この「ライズ」を自身の作品の中でも最も気にいっているものとしてあげています。

 いつのまにか、自分が一人のリスナーとしてオーディエンスとして楽しんで聴いていることに気づいた、とも語っています。

 

 「ライズ」は、この曲をサンプリングした曲も全米1位になっています。

それが、1997年にリリースされた、当時の大人気ラッパーThe Notorious B.I.G."Hypnotize"  です。

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