まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ラブ・トレイン」オージェイズ(1972)

 

 おはようございます。

 今日はオージェイズの「ラブ・トレイン」です。

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People all over the world 
Join hands
Start a love train 
Love train 
People all over the world
Join hands
Start a love train
Love train


The next stop that we make will be England
Tell all the folks in Russia, and China, too
Don't you know that it's time to get on board?
And let this train keep on riding, riding on through

 

People all over the world 
Join hands
Start a love train 
Love train 
People all over the world 
Join hands
Start a love train 
Love train

 

All of you brothers over in Africa
Tell all the folks in Egypt, and Israel, too
Please don't miss this train at the station
'Cause if you miss it, I feel sorry, sorry for you

 

People all over the world 
Join hands 
Start a love train
Love train
People all over the world 
Join hands
Start a love train 
Love train


Ride    Let it ride  Let it ride  Let it ride
People, ain't no war


People all over the world
Join Hands 
Start a love train
Love train
People all over the world
Join Hands 
Start a love train
Love train 、、、、

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世界中のみんな
手を握りあおう
ラブ・トレインを出発させるんだ 
ラブ・トレインを 
世界中のみんな
力を合わせよう
ラブ・トレインを走らせるんだ
ラブ・トレインを


次の停車駅はイギリス
ロシアや中国のみんなにも伝えてくれ
まさに今が乗り込む時だってわからないの?
そして、この列車に乗り続けよう、ずっと乗って行こう


世界中のみんな
手を握りあおう
ラブ・トレインを出発させるんだ 
ラブ・トレインを 
世界中のみんな
力を合わせよう
ラブ・トレインを走らせるんだ
ラブ・トレインを

 

アフリカにいる兄弟たちみんな
エジプトやイスラエルの人々にも伝えてほしい
駅でこの列車にそうか乗り遅れないで
あなたたちが逃したら、残念だ、本当に残念だ


世界中のみんな
手を握りあおう
ラブ・トレインを出発させるんだ 
ラブ・トレインを 
世界中のみんな
力を合わせよう
ラブ・トレインを走らせるんだ
ラブ・トレインを

 

乗るんだ、さあ乗ろう、乗ろう、乗ろう

みんな 戦争はないんだ

 

世界中のみんな
手を握りあおう
ラブ・トレインを出発させるんだ 
ラブ・トレインを 
世界中のみんな
力を合わせよう
ラブ・トレインを走らせるんだ
ラブ・トレインを

     (拙訳)

 

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 1970年代半ばから80年代初頭にかけて世界中を席巻したディスコの”雛形”となり、ブームの起爆剤になったのはフィラデルフィア・ソウルだったと思います。

 

 ケニー・ギャンブルとレオン・ハフというソングライター/プロデューサー・チームがペンシルベニア州フィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオを使って、そのほとんどの作品をMFSB(Mother Father Sister Brother)というミュージシャン・グループで作ったため、特定のスタイル、サウンドを持つことになりました。特にストリングスの印象が強く、その後のディスコ・ソングもストリングスをフィーチャーしたものが多くなりました。

   

 そして、1971年のスタートした、R&Bとダンスに特化した初めてのTV番組「ソウル・トレイン」のテーマ曲として1974年にMFSBがリリースした「TSOP(The Sound of Philadelfia)」が大ヒット。初期のディスコ・ミュージックの象徴的な曲となりました。

 

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  ギャンブルとハフは、”フィラデルフィアのブリル・ビルディング”と呼ばれ、地元のソングライターたちが集うシューベルト・ビルディングでそれぞれ別の制作会社で働いていたたそうです。ある日エレベーターで一緒になった二人は、ハフの家に行き一緒に曲を書き意気投合します。そして、ギャンブルは自分の作品のキーボーディストとしてハフを雇うようになり、以降二人のパートナーシップは続いていきます。

 

 アップライトピアノがあるギャンブルのオフィスでよく作業をしていたそうで、そこにテープレコーダーを常備し、世界の問題、世界の風物詩、時事問題など、いろいろな話をして、その会話から良いタイトルが生まれると曲にしていったようで、「Love Train」もタイトルが最初あったといいます。そこからはフリースタイルで、グルーヴを考え、コードでリズムを刻みながらハフがピアノを弾き始める。そうすると、ギャンブルがインスピレーションを得て歌詞を書く、そんな風に曲は書かれていったそうです。

 

 (ちなみに、レオン・ハフはそれ以前にスタジオ・ミュージシャンとしてピアノを弾いていたそうで、フィル・スペクター・プロデュースのロネッツ「ベイビー・アイ・ラヴ・ユー」でも演奏していたそうです)

 

 そして、彼らはアトランティック・レコードでアーチー・ベル、ウィルソン・ピケットアレサ・フランクリンダスティ・スプリングフィールド、ジェリー・バトラーなどをプロデュースして実績をあげたあと、自分たちのレーベル(フィラデルフィア・インターナショナル)を作ることにしました。

 

 その際、二人は彼らのインスピレーションの源だった”モータウン”に行ったそうです。

「”あの時、初めて飛行機に乗ったんだ”と、ギャンブルは言った。プロデュース/作曲チームであるホランド・ドジャー・ホランドのエディ・ホランドが、スタジオから契約まで、モータウンの仕事ぶりを2人に見せてくれたんだ、と彼は説明した。”僕とハフはすごく興奮したよ。モータウンを見ることができるなんて、夢のようだった”と、ギャンブルは語っている。”帰り道、僕たちは話し合い、夢を叶えるためにわざわざデトロイトに行くよりも、フィリーに残ってモータウンと同じようなものを作ろうと言ったんだ。そして、まさにそれを実行したんだよ"」

 (The New York Times Feb. 25, 2021)

 

 ホランド・ドジャー・ホランドギャンブル&ハフに影響を与え、そのギャンブル&ハフに大きな影響を受けたのがジャム&ルイスでした。こういう風に、継承されアップデイトされていくのは、素晴らしいことだと思います。

 

    そして、ギャンブル&ハフが生み出したフィラデルフィア・ソウルの大ブームの口火を切ったのがオージェイズでした。

 彼らは実はフィラデルフィアじゃなくオハイオのグループです。

 

  1958年結成と歴史は古く、当初は違う名前で活動していましたが、自分たちを後押ししてくれたクリーヴランドのDJ、エディ・オージェイにちなんでオージェイズと改名しています。

 彼らは長い下積み時代を経験していますが、1960年代にはビーチミュージックをやっていて、デイヴ・クラーク・ファイヴやソニー・アンド・シェールの前座をやっていたこともあったそうです。男っぽくソウルフルなイメージの、オージェイズからはちょっとイメージできませんが、実際に当時の曲を聴いてみると、全く違うグループのように思えます。

 

 1960年代で彼らにとって最もチャートの上位に行った曲。「Lipstick Traces (On a Cigarette)」(1965年全米48位)。アラン・トゥーサン作でオリジナルはニューオリンズのシンガー、ベニー・スペルマン。のちにリンゴ・スターもカバーしていました。

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 そして、彼らは1972年に、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフの会社と契約すると、大きく流れが変わり、最初のシングル「裏切り者のテーマ(Back Stabbers)」が大ヒットします(1972年全米3位)。

 

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 メンバーのエディ・レヴァートはこう語っています。

 

「1972年に(ソングライター兼プロデューサーの)ギャンブル&ハフに出会い、フィラデルフィア・インターナショナルと契約すると、すべてが変わったんだ。彼らは僕たちのゴスペルのルーツとリード・ボーカルの切り替えの能力を認めてくれたのさ。ケニー・ギャンブルは多作なソングライターで、レオン・ハフはピアノをバンド全体のように聴かせることができた。僕たちはまさに意気投合したんだ。彼らは何十曲も持っていて、僕たちは好きな曲を選ぶことができた。レコーディングを始めたとき、『Love Train』には歌詞がなかったんだけど、ケニーがその場で5分で歌詞を考えてくれたよ」

(The Guardian   1 Nov 2016 )

 

 「裏切り者のテーマ」と同じアルバムに収録されていた「ラブ・トレイン」は1973年に全米1位の大ヒットになっています。

   

 フィラデルフィア・ソウルはサウンド的な特徴に合わせて、平和や友愛を歌う歌詞が多いことも特徴です。

 この「ラブ・トレイン」はその代表的なものでしょう。

 

 軽快な曲に、友愛のメッセージを乗せているわけですが、抽象的な表現で終わらせずに、ロシア、中国、エジプト、イスラエルと、具体的に切り込んでいるところがまた、素晴らしいですね。

  

 エディ・レヴァートとツイン・リード・ボーカルをつとめたメンバーのウォルター・ウィリアムスはこう語っています。

「1972年は世論が爆発しそうだった。ベトナム戦争が続き、金持ちはさらに金持ちになっていた。だから、社会問題を歌うには完璧なタイミングだったんだ。この曲は、人権問題を抱える場所に触れているけど、前向きで希望に満ちた言い方をしている。"最初の停車駅はイギリスだ......ロシアや中国の人たちにも伝えてくれ "と。イギリスでは何度もこの曲を歌っているけど、やはりロシアや中国でも歌ってみたいね」

  (The Guardian   1 Nov 2016 )

 


 最後はフィラデルフィアで生まれ”ソウル・ミュージック”にどっぷり浸かって育ったダリル・ホールとオージェイズの共演による「ラブ・トレイン」を。

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 フィラデルフィア・ソウルの名曲!

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