まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「イフ・ナット・フォー・ユー (If Not for You)」ボブ・ディラン(1970)

 おはようございます。

 今日はボブ・ディランの「イフ・ノット・フォー・ユー」です。


Bob Dylan - If Not for You (Audio)

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If not for you
Babe, I couldn’t find the door
Couldn’t even see the floor
I’d be sad and blue
If not for you

If not for you
Babe, I’d lay awake all night
Wait for the mornin’ light
To shine in through
But it would not be new
If not for you

If not for you
My sky would fall
Rain would gather too
Without your love I’d be nowhere at all
I’d be lost if not for you
And you know it’s true

If not for you
My sky would fall
Rain would gather too
Without your love I’d be nowhere at all
Oh! what would I do
If not for you

If not for you
Winter would have no spring
Couldn’t hear the robin sing
I just wouldn’t have a clue
Anyway it wouldn’t ring true
If not for you

 

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君がいなければ

僕はドアを見つけることはできなかった

床を見ることだってできなかった

悲しく、ブルーになるだろう

君がいなければ

 

君がいなければ

一晩中眠れなかっただろう
朝の光が差し込んでくるのを待って

だけど、それは新しい朝ではない

君がいなければ

君がいなければ

僕の空は落ち

雨もまた集まるだろう
君の愛なしでは どこにも居場所はない

道に迷うのさ 君がいなければ

君もそうだとわかっている

 

君がいなければ

僕の空は落ち

雨もまた集まるだろう

君の愛なしでは どこにも居場所はない

ああ、僕に何ができるのか

君がいなければ

君がいなければ

冬の後に春は来ない

コマドリの歌は聞こえない

僕にはただ何の手がかりもない

とにかく、本当らしく聞こえないのさ

君がいなければ                (拙訳)

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  ボブ・ディランを”ポップス”の文脈で語るのはどうだろう?と興味はありつつも、あまりにも難易度が高そうで、ずっと尻込みしていました。

 でも、ポップスとして心に感じるものがある曲であれば、そんな難しいことを言わずにとりあげてみようと思い直して、今回この曲をセレクトしてみました。

 

 「イフ・ノット・フォー・ユー」は、彼のレパートリーの中ではとてもめずらしい、シンプルなラヴ・ソングです。当時奥さんだったサラのために書いた、と彼は語っています。

 彼がサラと結婚したのは1965年、彼が25歳で彼女が27歳のときでした。二人の結婚生活は1977年まで続き、子供は4人います。ウォール・フラワーズのジェイコブ・ディランもそのひとりです。

 「ローランドの悲しい目の乙女」や「ラブ・マイナス・ゼロ/ノー・リミット」と言った曲も彼女がインスピレーションになったと言われ、離婚の一年前にリリースされたアルバム「欲望」のクロージング・ナンバーが「サラ」でした。

 

 この時期の彼は、家庭生活を大切にし満足していた時期だと言われていて(ジェイコブが1969年末に生まれています)、それが反映されているととらえる向きもあるようです。

 僕はまた、「セルフ・ポートレイト」でトラディショナルな曲を多くカバーしていたことが、「イフ・ノット・フォー・ユー」の歌詞のシンプルさに繋がっているのではないかとも思っています。

  

 

 さて、この「イフ・ノット・フォー・ユー」は1970年に発表された「新しい夜明け(New Morning)」というアルバムの冒頭を飾っていた曲でしたが、その前に彼は「セルフ・ポートレイト」という曲の3分の1がカバーというアルバムをリリースしていて、そのセッションの後半に一度この曲を録音していたそうでが、アルバムに収録されることはありませんでした。

 

 そして同年の5月1日、ボブ・ディランジョージ・ハリスン、チャーリー・ダニエルズ(ベース)、ラス・カンケル(ドラムス)というメンバーであらためて録音されますが、これも結局リリースされず、のちに『The Bootleg Series Volumes 1-3 (Rare & Unreleased)』で初披露されることになります。


Bob Dylan - If Not for You (Alternate Take - Audio)

 そして、6月にまたこの曲を録音しますが、バイオリンとピアノのみで演奏されたヴァージョンが2013年にリリースされた『The Bootleg Series Vol. 10: Another Self Portrait (1969-1971)』に収録されます。

 本人がイメージするアレンジが見つからなかったのでしょうか、8月のあらためて録音されたのが、アルバムに収録されたもので、その以前のヴァージョンと比べるとずいぶんと軽快な演奏になっていることがわかります。

 

 さて、5月に「イフ・ノット・フォー・ユー」をディラン一緒に録音したジョージ・ハリスンはその月の終わりからソロ・アルバム「オール・シングス・マスト・パス」のレコーディングをスタートさせ、この曲もレコーディングしています。

 ディランとのセッションで弾いたフレーズを発展させ、リズムももっと軽快にさせています。

www.youtube.com

 

「新しい夜明け」は1970年10月21日、「オール・シングス・マスト・パス」は同年11月27日ですから、非常に発売のタイミングが近かったんですね。「新しい夜明け」は全米7位と好評でしたが、「オール・シングス・マスト・パス」のほうは3枚組という大作でありながら全米7週連続1位というとんでもないヒットになりました。「イフ・ノット・フォー・ユー」も自然とジョージのヴァージョンの方が広く知られるようになったようです。

 

 さて、これは僕のただの推理なのですが、8月にディランがこの曲を新しく録音する前に、ジョージの録音したものを聴いたんじゃないでしょうか。それまで、ゆったりとしたテンポで何度かトライしていてしっくりこなかったディランが、ジョージの録音を聴いて、方向転換をしたんじゃないかと。全くの推測ですが、、、

 

 さて、1970年代を代表する歌姫、オリヴィア・ニュートン・ジョンの最初のヒット(全米25位、全英7位)は実はこの曲のカバーで、一躍世界から注目を集めることになりました。ジョージのヴァージョンからわずか3ヶ月後のリリースですから、かなり早いアクションでした。


Olivia Newton-John - If Not For You

 

 この曲をカバーするように彼女に進言したのがプロデューサーのジョン・ファーラー(のちに「そよ風の誘惑」などの彼女のヒット曲を書く名ソングライターでもあります)。

 彼女自身は全く気乗りせずうまく歌える自身もなかったそうですが、ヒットしたおかげでジョンに感謝しているとのちに語っているようです。

 アレンジはジョージのヴァージョンに準じていますが、彼女はジョージのヴァージョンしか知らなかったようです。

 

 

 

 ディランがこの曲を録音した時のレコード会社の社長はクライヴ・デイヴィスで、この曲を気に入った彼はシングル・カットするよう求め、アルバムから唯一のシングルになっています(アメリカではカットされなかったようです)。ただし、ジョージやオリビアのヴァージョンがすでに広まっていたせいもあって、芳しい成果を上げることはできなかったようです。

 

 

 

 

If Not For You

If Not For You

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「オー・ガール(Oh Girl)」シャイ・ライツ(1972)

 おはようございます。

 今日はシャイ・ライツの「オー・ガール」です。

www.youtube.com

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Oh, girl
I'd be in trouble if you left me now
'Cause I don't know where to look for love
I just don't know how

Oh, girl
How I depend on you
To give me love when I need it
Right on time you would always be

All my friends call me a fool
They say, "Let the woman take care of you"
So I try to be hip and think like the crowd
But even the crowd can't help me now

Oh, girl
Tell me what am I gonna do
I know I've got a guilty face
Girl, I feel so out of place

Don't know where to go, who to see

Oh, girl
I guess I better go
I can save myself a lot of useless tears
Girl, I've gotta get away from here

Oh, girl
Pain will double if you leave me now
'Cause I don't know where to look for love
And I don't, I don't know how

Oh, girl
Why do I love you so
Better be on my way, I can't stay

Have you ever seen such a helpless man

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オー、ガール

今君がいなくなったら 僕は大変なことになってしまうよ

どこに愛を探したらいいかわからないから

ただ、どうしたらいいかわからないんだ

 

オー、ガール

なんて僕は君に頼りっぱなしなんだろう

僕が必要な時に 愛をくれて

その時に君はいつもいてくれるんだ

 

友達はみんな 僕をバカだと言う

こういうのさ、その女性に面倒を見てもらいなよって

だから僕は今風になろうとして 

みんなと同じように考えようとするけど

だけど、みんなは僕を助けることはできないんだ

 

オー、ガール

僕はどうしたらいいんだろう?

罪悪感のある顔をしているのはわかってる

ガール、どこにも居場所がないように思えてしまうんだ


どこに行けばいいのか、誰に会えばいいのか

わからないんだ

オー、ガール

僕は行ったほうがいいんだね

無駄にたくさん涙を流さなくてもすむし

ガール、ここから出て行かなくちゃ

オー、ガール

今君がいなくなったら、痛みは倍になるよ
どこに愛を探せばいいのかわからないから

わからないんだ、どうしたらいいのか

オー、ガール

どうしてこんなに君を愛しているんだろう
行ったほうがいいね、もういられない

こんなに哀れな男を君は見たことあるかい       (拙訳)
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  シャイ・ライツは1950年代後半にシカゴの高校生が結成したグループがもとになっています。オリジナル・メンバーは、リード・シンガーのユージン・レコード、ロバート・"リス"・レスター、クラレンス・ジョンソン、バート・ボーエン、エディ・リードの5人でした。そして、ボーウェンが脱退し、マーシャル・トンプソンが後任として加入。1960年にリードが亡くなると、マーシャルが同じグループにいたことのあるクリーデル”レッド”ジョーンズを連れてきました。

 

 当初は”ハイ・ライツ(Hi-Lites)”と名乗っていましたが、すでに同名のグループがいることがわかり、彼らの本拠地Chicagoにちなんで”Chi-Lites”とあらため、”マーシャル&シャイライツ”としてリスタートさせました。後任で入ったマーシャルがリーダー的存在になっていたんですね。

 そして、クラレンス・ジョンソンが脱退し4人組になったタイミングで、グループ名を

シャイ・ライツ”にしたそうです。

 

 1964年から彼らはシングルをリリースし始めますが、初めてチャート入りしたのが5年後の1969年、彼らが”ブランズウィック”というレーベルと契約してからでした。

 

 ブランズウィックはもとはアイオワ州にあった会社のレーベルで、1916年に会社が蓄音機を発売した後にレコードをリリースし始めたという、とても長い歴史があります。

 拠点をシカゴに移してからまずジャズの作品をリリースしていき、その後だんだんとR&Bに特化していくようになりました。

 そして、ジャッキー・ウィルソンという当時のR&Bのスーパー・スターのレコードで大当たりをとります。

 そして、1960年代半ばにカール・デイヴィスというプロデューサーが参加し、彼らを手がけたことで、潮目が変わったのです。

 

 彼らのブランズウィック初期の曲で今一番有名なのはこのこれでしょう。当時(1970年)は全米72位、R&Bチャート8位というまあまあのヒットでしたが、のちにビヨンセがサンプリングしたことで、特にこのイントロは世界中で有名になりました。「Are You My Woman? (Tell Me So)」。


The Chi-Lites - Are You My Woman (Tell Me So)

 

 そして、1971年に「Have You Seen Her(恋は冷たく)」が全米3位の大ヒットになります。


Have You Seen Her

  そして、その次のシングルがこの「オー・ガール」で一気に彼らのピークが訪れたわけです。

  彼らのほとんどのヒット・レコードを書いたのがリード・ヴォーカルのユージン・ワイルドで、「オー・ガール」も彼の作品です。しかし、この曲がこんなヒットするとは考えていなかったようです。

 カール・デイヴィスに7曲入ったテープを渡しておいたら、彼から電話が来てその中にNO.1ヒットになる曲があるぞと言われたんだ。僕は『オー・ガール』以外の他の全部の曲の名前を挙げたんだ。(それが「オー・ガール」だと聞いて)彼は冗談を言っていると思ったよ」

      ( Independent  18 July 2013 )

 R&Bの音楽評論家の第一人者吉岡正晴さんのブログによると、「フィリップ・ウィルソン・ショー」というTV番組で歌わせたところ、視聴者から大反響がありシングル発売することになったそうです。

 

たぶん、この映像だと思います。


Chi-Lites-Oh Girl

 そして、シングル化に合わせてあらたに弦アレンジが加わって、それが現在よく知られているヴァージョンになっています。

 セールスとしてはここがピークですが、その後も良質な楽曲をリリースし続け、1973年にリリースした「Stoned Out of My Mind」はポール・ウェラー率いるジャムがカバーしたことで有名になります。


Chi Lites ~ Stoned Out Of My Mind

 シャイ・ライツの全盛期に、プロデューサーのカール・デイヴィスとともに忘れてはいけないのが、エンジニアがブルース・スウェーデンだということです。彼はこの後、クインシー・ジョーンズの片腕となり、マイケル・ジャクソンの「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」「BAD」などのエンジニアをつとめ、マイケルの共同プロデューサーにまでなった人です。

 

 

 さて、1970年代後半にはユージン・レコードはグループを脱退し、ソロ作品をリリースしますが、ここでも才能を発揮しています。特に、ソロ最初のシングルになった「Overdose of Joy」はマーヴィン・ゲイ・マナーを取り入れた素晴らしい仕上がりです。


Eugene Record - overdose of joy

 

 最後はこの曲のカバーを。まずはレオ・セイヤーの1979年のカバー。


Leo Sayer - Oh Girl

 そして、カバーとして一番ヒットしたのがポール・ヤング。1990年に全米8位まであがっています。


Paul Young - Oh Girl (UK Version) [Official Video]

 

 

 

 

 

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「哀愁のマンデイ(I Don't Like Mondays)」ブームタウン・ラッツ(1979)

 おはようございます。

 今日はブームタウン・ラッツの「哀愁のマンデイ」です。


The Boomtown Rats - I Don't Like Mondays (Official Video)

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The silicon chip inside her head
Gets switched to overload
And nobody's gonna go to school today
She's going to make them stay at home
And daddy doesn't understand it
He always said she was as good as gold
And he can see no reason
'Cause there are no reasons
What reason do you need to be sure

Tell me why
I don't like Mondays
Tell me why
I don't like Mondays
Tell me why
I don't like Mondays
I want to shoot
The whole day down

The Telex machine is kept so clean
As it types to a waiting world
And mother feels so shocked
Father's world is rocked
And their thoughts turn to their own little girl
Sweet sixteen ain't that peachy keen
Now, it ain't so neat to admit defeat
They can see no reasons
'Cause there are no reasons
What reason do you need oh, woah

Tell me why
I don't like Mondays
Tell me why
I don't like Mondays
Tell me why
I don't like Mondays
I want to shoot
The whole day down Down, down
Shoot it all down

All the playing's stopped in the playground now
She wants to play with her toys a while
And school's out early and soon we'll be learning
And the lesson today is how to die
And then the bullhorn crackles
And the captain tackles
With the problems and the how's and why's
And he can see no reasons
'Cause there are no reasons
What reason do you need to die, die


Tell me why
I don't like Mondays
Tell me why
I don't like Mondays
Tell me why
I don't like, I don't like, I don't like Mondays
Tell me why
I don't like, I don't like, (tell me why) I don't like Mondays
Tell me why
I don't like Mondays
I want to shoot, the whole day down

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彼女の頭の中のシリコンチップが

オーバーロードしてしまったんだ

それで今日は誰も学校に行かない

彼女のせいで生徒たちは家にいることになるだろう

父親には理解できない

彼がいつだって娘はとても行儀がいいと言っていたから

彼には理由がわからない 理由なんてないんだから

どんな理由だったらみんな納得するんだ?

 

なぜか教えてくれ

月曜日が嫌いなの

どうしてなんだ

月曜日が嫌いなの

なぜか教えてくれ

月曜日が嫌いなの

1日を全部 撃ち落としてやりたかったの

 

テレックスの機械は ニュースを待ちわびる世界に向けて

タイプを打っているときも きれいに保たれている

母親はとてもショックを受け

父親の価値観は揺さぶられている

そして、彼らの気持ちは自分の娘にむかう

素敵な16歳なんてそんな素敵なもんじゃない

負けを認めることはそんなにきれいごとじゃない

彼らには理由がわからなかった

理由なんてなかったから どんな理由が望みなんだい?

 

なぜか教えてくれ

月曜日が嫌いなの

どうしてなんだ

月曜日が嫌いなの

なぜか教えてくれ

月曜日が嫌いなの

1日を全部 撃ち落としてやりたかったの

撃ち落としたかった、、

遊び場で遊ぶことは全部止められた

彼女は自分の人形で少し遊びたい

学校は早く終わり 僕らは学ぶのさ

今日の授業はどうやって人は死ぬか

そして、拡声器はパチパチ音を立て

警部はその問題と、方法と理由に取りかかるが

彼には理由がわからない

だって理由などなっかたのだから

死ぬことにどんな理由が必要だというんだろう

 

なぜか教えてくれ

月曜日が嫌いなの

どうしてなんだ

月曜日が嫌いなの  

1日を全部 撃ち落としてやりたかったの      (拙訳)

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 リアルタイムでこの曲を聴いた方は、当時アメリカで銃乱射事件をおこした16歳の少女が、その理由を「月曜日が嫌いだから」と言ったことから、この曲が作られたというエピソードとともに記憶されているのではないかと思います。

 

 僕もそうなのですが、その印象が強すぎたせいで、自分から積極的にこの曲を聴くことはなかったのですが、今回ふいにあらためて向き合ってみようかと思い、取り上げてみました。

 

 ブームタウン・ラッツアイルランド、ダブリン郊外のダン・レアリー出身のメンバーで1975年に結成され、1977年にデビューしています。

 時代的に、パンク・ムーヴメントの影響を大きく受け、デビュー曲「Looking After NO.1」は全英11位のヒットになっています。

www.youtube.com

 翌年「Like Clockwork」(全英6位)では、当時のロック・シーンの変化にしっかり対応して、今度はニューウェイヴ・サウンドになっていますね。


The Boomtown Rats - Like Clockwork

  1978年には「Rap Trap」で全英1位を獲得。アイルランド出身バンドとしても、パンク/ニュー・ウェイヴ系のバンドとしても、当時はじめてのナンバー・ワンだったそうです。僕にはパンクでもニューウェイヴでもなく”ストリート・ロック”(ブルース・スプリングスティーン系)の曲だと思えます。ボブ・ゲルドフという人は、結構対応力の高い器用なソングライターのように思えます。


Boomtown Rats - Rat Trap [totp2]

 そして、その勢いに乗ってリリースされたのがこの「哀愁のマンデイ」でした。

 日本人には「哀愁のマンデイ」の一発屋のイメージがありますが、イギリスやアイルランドでは結構な数のヒット曲を持っているバンドなんですね。

 

   バンドのリーダーであるボブ・ゲルドフがこの曲を着想したのは、アメリカ・ツアー中のことだったと言います。

 カリフォルニア州サンディエゴのクリーブランド小学校の向かいに住んでいた16歳の高校生、ブレンダ・スペンサーが1979年1月29日の月曜日に父親からクリスマスにもらったライフルで学校を銃撃したという事件が起きました。

 事件後自宅に立てこもった彼女に、電話で記者から理由を聞かれた彼女は "I don't like Mondays. This livens up the day." (月曜日が嫌い。これで1日が盛り上がる)と答えたと言われています。

 ボブはこう語っています。

 

アトランタでジョニー・フィンガーズ(バンドのキーボーディスト)と一緒にとラジオ・インタビューをしていたら、横にテレックスがあって、そのニュースが出てきたから読んだんだ。月曜日が嫌いだという理由で誰かに何かをするのは、ちょっと奇妙だよね。ホテルに戻る途中で考えて”彼女の頭の中のシリコンチップがオーバーロードしてしまった”と口に出して、それを書き留めた。彼女にインタビューしていたジャーナリストたちは、”Tell Me Why?”と言っていたけど、あれはすごく意味のないことだ。これは完璧に無意味な行為であり、その行為の理由としても完璧に無意味なものだった。だから、たぶん僕はそれを説明するために、完璧な無意味な歌を作ったのかもしれない。悲劇を利用しようとしたわけではないんだ」

                      (Smash Hits)

  この曲はこの曲は32カ国で1位を獲得しましたが、その題材の話題性に頼ってヒットしたのだと僕はずっと思い込んでいたのですが、全英1位ヒットを飛ばしたばかりの人気急上昇バンドの、ドラマティックでキャッチーな新曲としてチャートを駆け上り、それを追いかけるように、その歌に取り上げられた事件のことも広まっていった、というのが真相のようです。

 月曜日は嫌い、というのは万人に共感されるフレーズですから、ただのポップ・ソングにしてもすごくつかみの強いものだったということでしょう。

 ただし、実際にその事件が起こったアメリカでは楽曲のオンエアを控える放送局もあって、ヒットには至っていません。

 

 僕がこの曲を聴いてあらためて感じたのは、非常に印象的なアレンジがほどこされているということです。

 プロデューサーはベイ・シティ・ローラーズやスウィートを手がけたフィル・ワインマン。印象的なストリングスはフィアチア・トレンチによるもの。彼はポーグスの「ニューヨークの夢」の弦アレンジも手がけています。

 そして、リリカルなピアノはメンバーのジョニー・フィンガーズ。スプリングスティーンのピアニストのロイ・ビタンを思わせる演奏で、ストーリーを語るスタイルの楽曲にぴったりな演奏です。

 

 ちなみに、彼はのちに日本に住み、 UAや荻野目洋子などのプロデュースや忌野清志郎のバンドにも参加しています。ボブが「哀愁のマンデイ」を着想した時に一緒にアメリカにいて曲作りにも加わっていたとして彼は曲の著作権を求めてボブを訴えたそうですが、2019年に和解し共作のクレジットと金銭的な補償を得たそうです。

 

 「哀愁のマンデイ」は仮に銃乱射事件と関係なくてもヒットポテンシャルがかなり高い曲ではありましたが(その事件で着想したわけですから、曲と事件は切り離せないとは思いますが)、事件とのリンクにより想定以上の大ヒットになり、その代償として彼らの他のレパートリーの印象が薄くなってしまった、いわば彼らにとって”劇薬”のような曲になったようにも思えます。

 

 事件からかなり時間がたったことで、事件との関係性の印象が薄れた結果、憂鬱な月曜日の歌の代表として、ラジオなどでオンエアされることも多くなっているようですが、同時に十代の若者により銃乱射事件のニュースを目にすることも少なくなく、そういう事件との関わりで見直される機会も今も絶えないようです。

 

 そういう意味でも客観的にポップ・ソングとして判断することが、いまだに難しい曲と言えるのかもしれません。

 

 最後はトーリ・エイモスの2001年のアルバム「ストレンジ・リトル・ガール」に収録されていたこの曲のカバーを。 


I Don't Like Mondays

 

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 ボブ・ゲルドフが発起人となったプロジェクト

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 弦アレンジャーがこの曲と同じ、ポーグスの「ニューヨークの夢」 

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「サンデイ・バスケットボール(SUNDAY BASKETBALL)」ピーター・ゴールウェイ(1978)

 おはようございます。

 今日はピーター・ゴールウェイの「サンデイ・バスケットボール」です。


Peter Gallway - Sunday Basketball

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Joey there's a phone call 

It's time to rise and shine

the eggs are on the table

your jeans are on the line

the day is fine

 

the boys are coming over mom

I've got to eat and run

Where've my sweatshirt and sneakers gone

We're wasting all the sun

Today I'm number one

Yes I think I'll run

 

Sunday basketball

when you know you've got it all

playing basketball

you might slip but you won't fall

 

Tripping down the back stairs

and cruising up the block

moving to the radio

down along the boardwalk

crossing over to the schoolyard

and slipping underneath the fence

running for the give and go

it's a simple kind of dance

where you don't have to think

you just know go man go

 

sunday basketball...

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ジョーイ、電話よ

もう起きる時間よ

朝食の卵はテーブルの上

ジーンズは物干しにかかってるわ いい天気よ

 

友達がすぐ迎えに来るんだ ママ

早く食べて行かなくっちゃ

僕のスウェットとスニーカーはどこ?

早くしないと、お日様がもったいない

今日は僕がナンバー・ワンさ うん、走ってゆくよ

 

日曜日のバスケットボール

君がバスケットに夢中になっていると思った時は

滑っても、転ぶことはないさ

 

裏の階段を軽快に駆け下りて

街を歩いてゆく

ラジオの音楽にリズムを合わせ 

ボードウォークを進んでゆく

校庭に向かって道を横切り

フェンスをくぐり抜け

ギヴ・アンド・ゴー(バスケットの作戦)で走る

それは、シンプルなダンスみたいなもの

君は考える必要なんてなく ただわかっている

行け、行けって

日曜日のバスケット・ボール、、、 (拙訳)

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 ピーター・ゴールウェイは、日本のポップス・ファンからも大変人気の高いフィフス・アヴェニュー・バンドの中心メンバーでした。

   フィフス・アヴェニュー・バンドは1969年にたった一枚アルバムを出しただけで解散してしまい、彼はソロとして1971年に「オハイオ・ノックス」、翌1972年には「ピーター・ゴールウェイ」と二枚のアルバムをリリースしています。

 

「Taking It Easy」オハイオ・ノックス


Taking It Easy

「Twelve Day Lover」ピーター・ゴールウェイ


Twelve Day Lover

 どちらの作品も高く評価されましたが商業的には成功せず、またこの時期ドラッグによる精神的な不調などもあったようで、メジャーの音楽シーンから距離を置くためとドラッグを断ち切るために、彼はアメリカの北の端にあるメイン州に居を移し、ある意味ひきこもってしまいました。

 

 この「サンデイ・バスケットボール」は6年ぶりのアルバム「オン・ザ・バンドスタンド」(1978)のオープニングを飾っていたナンバー。このアルバムは日本のみでリリースされたもので、しかも、彼の日本人のファンが行動を起こしたことでリリースされたものでした。

 

 ”シュガーベイブ”のマネージャーであり、名レコード店パイドパイパー・ハウス」の店長としても知られる長門芳郎さんが、ジョン・セバスチャンが来日した時に彼の弟がピーター・ゴールウェイだと思い込んでいてそれを彼に否定された話を音楽誌に書いたとき、ピーターがメイン州ポートランドで音楽活動をしていることもジョンから聞いて書いたそうです。

 そして、それを読んだ吉峰さんというピーターの大ファンが、ポートランドライヴハウスあてに「ピーター・ゴールウェイを探しています」と書いた手紙を送ったそうで、そしたら、ピーター本人から返事が届き、しかも彼が作ったばかりの新作のカセットが同封されていたそうです。

 それが「オン・ザ・バンドスタンド」だったのです。そして吉峰さんは、メジャーレーベルではない海外の作品を販売しているヴィヴィッド・サウンドに持ち込み、日本だけで発売されることになったといいます。

 そして、同年秋には来日公演も行ったそうです。

 僕がこのアルバムを知ったのは、長門さんがはじめた"VILLAGE GREEN"というレーベルで再発した時で、その時のライナー・ノーツは吉峰さんが書いていました。このアルバムは自分がきかっけで出たなどと言う話には一切触れず、ピーターの音楽性、人間性への愛情が感じられるものでした。ダニー・コーチマーが、ジェイムス・テイラーはピーターから大きな影響を受けていたと語ったと言う興味深いエピソードも書いてありました。

 

 このアルバムは、メイン州ポートランドには、さすがにいいスタジオやミュージシャンがいなかったのでしょうか、マサチューセッツ州ブライトン(ボストンの近く)で録音されたようです。

 「サンデイ・バスケットボール」から僕が強く感じるのは、週末のニューヨークの穏やかな朝の香りと風景です(勝手な妄想ですが)。長く離れていても、この人の中にある”ニューヨーク”は消えないんだな、いや、ひょっとして離れて暮らしているからこそ、子供の頃のニューヨークの光景を愛おしく思い出しながらこの曲を作ったのかも、などと思えてきます。

 

 

(参考:「パイドパイパー・デイズ 私的音楽回想録1972-1989」長門芳郎 )

 

 

 彼が在籍したフィフス・アヴェニュー・バンド

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「午前5時(5 A.M.)」ミレニウム(1968)

 おはようございます。

 今日は1960年代ソフトロック、サンシャイン・ポップを代表するグループ、ミレニウムの「午前5時」です。(曲名に合わせて朝5時にアップしてみました)


Millenium - 5 A.M....

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Five o'clock in the morning
Life doesn't seem to be the same
It's beautiful, beautiful
So remember, remember

The dew drops are dampening
Sidewalks that we stroll along
The streets are bare
There's nobody there
In the misty dawn that surrounds the town

The world is speechless in the morning
And I can watch the sun wake up the day

Five o'clock in the morning
Funny how much it means to me
It's all so still, it gives me chills
Just standing there in the pure morning air

Five o'clock in the morning
Five o'clock in the morning

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朝の5時

いつもの人生とは同じじゃないみたいだ

とても美しい 美しいんだ

だから おぼえておこう おぼえておこう

 

露のしずくが 僕らがぶらつく歩道を湿らせる

通りはがらんとして 人一人いない

霧が街をつつみこんだ夜明け

 

朝の世界は無口さ

そして僕は太陽がその日を始める様子を見ることができるんだ

 

朝の5時

おかしいけど、それが僕にどれだけの意味があるのだろう?

すべてがあまりに静かで ぞくっとする

ピュアな朝の空気の中で 僕はただそこに立っているだけ

 

朝の5時

朝の5時                      (拙訳)

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 この曲が収録されている「ビギン」というアルバムは、当時はまったく売れなかったそうですが、 1980年代終わりから90年代前半にかけての”渋谷系”のムーヴメントの中で再評価され、僕もその流れで知りました。音楽シーン全体でも今では1960年代を代表する名盤と評価されています。

 

 このグループの中心人物がカート・ベッチャーです。

  ウィスコンシン州出身の彼は父が軍隊にいたため、高校時代に岩国に2年住んでいたことがあったそうです。ミネソタ大学で結成したフォーク・グループ、ゴールド・ブライアーズがメジャー契約を果たし、彼らはニューヨークに出てきます。

 ゴールド・ブライアーズのレパートリーには、彼は日本に住んでいた時に影響を受けた俳句にちなんだ「Haiku」という曲もありました。


GoldeBriars - Haiku (1964)

 ゴールド・ブライアーズが解散した後、彼はLAに渡り、あるグループのプロデューサーとして有名になります。それがアソシエイション。彼はアソシエイションのデビューから関わり、この全米NO.1ヒットも彼のプロデュースです。


Cherish (Remastered Version)

 彼らの独特のコーラス・ワークはカート・ベッチャーが仕込んだものだったわけですが、彼らは大ヒットが出るとカートをはじめとするスタッフを全員クビにしてしまったそうです。

  この頃、彼のプロデュースしたアーティストには、コアなソフト・ロック・ファンから人気の高いエタニティーズ・チルドレンもいます。

 

 1968年に全米69位まであがった「ミセス・ブルーバード」


Mrs. Bluebird (Stereo)

 当初アソシエイションのメンバーになってほしいという話もあったカートは、自らのグループ結成に動き始めます。

 それが「ボールルーム」というグループでした。しかし、シングルを一枚リリースしただけで終わってしまいます。


The Ballroom - Spinning, spinning, spinning

 そして、あらためて彼が結成したのがこのミレニウムだったのです。

 

 カート以外のメンバーは、マイケル・フェネリー、サンディ・サリスベリー、リー・マローリー、ジョーイ・ウェイン・スティック、ロン・エドガー、ダグ・ローズで計7人。

 リー・マロリーはアソシエイションのレコーディングや共作者でシンガーとしてもカートのプロデュースでシングルも出しています。ダグ・ローズはアソシエイションの「チェリッシュ」でチェレスタ(鍵盤)を演奏していたりと、彼がスタジオ仕事などで知り合ったミュージシャンを集めたわけです。

 

  このアルバムはカートだけではなく、メンバー全員が曲も書いています。

この「午前5時」はこのアルバムで唯一のサンディ・サリスベリーの作品。彼は、やはりアソシエイションや、あとはポール・リヴィア&ザ・レイダーズ、トミー・ロウなどのレコーディングに参加していて、”ボールルーム”のメンバーでもありました。

 ちなみに、現在では児童文学者として知られているそうです。

 

   このアルバムは当時では最新であった16トラック・レコーディングで録音された史上2番目の作品(1番目はサイモン&ガーファンクルの「ブックエンド」)なのだそうで、しかも当時の最高記録ともいわれるほど莫大な制作費がかかったそうです。

 それにも関わらずセールスで大失敗してしまったわけですが、当時のレコード会社の社長クライヴ・デイヴィスはこのアルバムを高く評価し、のちにローリングストーン誌が行なった”無人島に持ってゆく10枚のアルバム”にこの作品を選んでいたそうです。

 しかも、クライヴが一番気に入っていたのがこの「午前5時」で、シングルにするようリクエストしたそうです。そしてシングルで発売され、アメリカではヒットしませんでしたが、フィリピンでは1位になったそうです。

 日本でも「霧のファイブ・エイエム」というなかなかしゃれた(笑)邦題でシングル発売されています。

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 それから、このアルバムをカートと共同でプロデュースしたキース・オルセンはのちにフリートウッド・マックなどを手がける大プロデューサーになっています。

 

 また、カート・ベッチャーがミレニウムと並行して制作に関わっていたのがサジタリアスの「プレゼント・テンス」というアルバムです。カートのデモをベースにブルース・ジョンストンやグレン・キャンベルらが協力して作ったそうです。というわけで、「ビギン」と「プレゼント・テンス」、この2枚を”双子”のようにとらえるのが、ソフト・ロック・ファンの習わし(?)になっています。

 最後はそのサジタリアスの「My World Fell Down」を。ペットサウンズのビーチ・ボーイズの影響があると言われています。


Sagittarius - My World Fell Down

 

ソフト・ロック史上屈指の名盤と呼ばれている「ビギン」

 

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「永遠の人に捧げる歌(Three Times a Lady)」コモドアーズ(1978)

 おはようございます。

 今日はバラードです。コモドアーズの「永遠の人に捧げる歌」です。


Three Times A Lady

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Thanks for the times that you've given me
The memories are all in my mind
And now that we've come to the end of our rainbow
There's something i must say out loud

You're once, twice, three times a lady
And I love you
Yes, you're once, twice, three times a lady
And I love you, I love you

When we are together the moments I cherish
With every beat of my heart
To touch you, to hold you
To feel you, to need you
There's nothing to keep us apart

You're once, twice, three times a lady
And I love you, I love you

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君が僕にくれた時間にありがとうと言いたい

思い出は全部この胸にあるよ

そして今僕たちは、二人の夢の旅路の終わりまで来たから

はっきり言わなくちゃいけないことがある

 

君は一度目も、二度目も、三度目も僕の素晴らしい女性

そして愛している

君は一度目も、二度目も、三度目も僕の素晴らしい女性

そして愛している 愛している

 

二人が共に大切な瞬間過ごすとき

鼓動がなるたびに

君に触れ 君を抱きしめ 君を感じ 君を必要とする

二人を引き裂くものなどない

君は一度目も、二度目も、三度目も僕の素晴らしい女性
                         (拙訳)

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”ファンク・パーティ・バンド”の初めての全米NO.1となった”ワルツ曲”

 

「『永遠の人に捧げる歌』を書いたとき、インスピレーションを受けたのは、これは家族ではジョークになってるけど...僕の父なんだ。父はとても温かくてよく人に抱きつく男なんだけど、ある日、彼は立ち上がって母に乾杯をしようとしたんだ、母への気持ちを伝えようとして。それは突然のことで、誕生日でもなかったはず。私がいつも言っているのは、男が何もないとき、特別な機会でもないのに発言するのは、何か後ろめたいことがあるってことだってことだ(笑)。姉と私は父を見て、『父さん、大丈夫?』と言うと、彼は『彼女は素晴らしい女性で、素晴らしい母親で、素晴らしい友人だ(‘She’s a great lady, she’s a great mother, and she’s a great friend)』と言ったんだ。

 これは素晴らしい乾杯の言葉だと思って、私はこれをもとにしてこのワルツを書いたんだ。これはR&Bの曲とは考えられていなかったからね」

 (Billboard

 

 この曲の鍵になる”you're once, twice, three times a lady”という有名な歌詞のもとになったのは”She’s a great lady, she’s a great mother, and she’s a great friend”という彼の父親が母親に向けた言葉だったわけですが、それを彼は、もう少し漠然とした言い回し、いろんな解釈のできる言葉にしたんですね。

 三代に渡って愛している、とか、三倍愛している、とかいろんな解釈がネットで見つかって、英語圏の人でもどうもこの歌詞の意味を正確には把握できないようですが、ともかく大変ロマンティックな言い回しなのは間違いないらしく、あとは、それぞれが自分にあった解釈をするのでいいのでしょう。

 

 さて、この曲を書いたライオネル・リッチーも、彼が当時所属していたコモドアーズもアラバマ州の出身です。アラバマ州はカントリーのメッカで彼も幼少からよく聴いていたらしく、それと、彼の祖母がクラシックピアノの教師だったので、クラシックの影響もあったようです。

 プリンスやジャム&ルイスが育ったミネアポリスは白人の割合が多く、白人の音楽を小さい頃から聴いていたことが、彼らの個性となったと以前このブログで書きましたが、ライオネル・リッチーもカントリーとクラシックというルーツが、見事なまでに彼の個性になっています。

 当時僕は、彼は黒人なのになんでケニー・ロジャースに曲を書いたり、カントリーっぽい曲を歌うんだろうと思ったものですが、彼にしてみればいたってナチュラルなことだったわけですね。

 

 コモドアーズは1968年に結成され、1971年にジャクソン5の前座に抜擢され、そのステージをベリー・ゴーディの子供達が見て父親に推薦したことがきっかけになって、モータウンと契約します。

  デビューは1974年、「マシンガン」がいきなり大ヒットします


Commodores - Machine gun (SoulTrain)

   当初は彼らは”ファンク・パーティ・バンド”でした。ライバルはオハイオ・プレイヤーズ、クール&ザ・ギャングなど。

 当時、ライオネルは家にピアノがなく、大学のキャンパスに行ってこの曲を書いたそうです。コモドアーズ以外のアーティストを想定しながら書くこともあって、この曲はフランク・シナトラが歌うのを思い浮かべたそうです。コモドアーズが歌う曲とは思えなかったのです。

 しかし、彼らのプロデューサーでアレンジャーでもある、ジェイムズ・アンソニー・カーマイケルがコモドアーズでやるとジャッジしたそうです。

 

 ジェイムズ・アンソニー・カーマイケルも彼らと同じアラバマ出身ですが、幼少期からピアノを習いLAの大学で音楽をしっかり学んだ人です。

 ライオネルに音楽理論に疎いことに引け目があった彼にとって、ジェイムズは心強い味方でしたし、半数の作家が楽譜が読めなかったっというモータウンに入ることで、彼は自由に作曲をできるようになったといいます。

 モータウンはポップとR&Bの垣根を取り払うことがアイデンディディだったわけですから、ライオネルのような、カントリーやクラシックの影響の大きいアーティストものびのびやれたのでしょう。

 

 ライオネル・リッチーという人は、大物の割に、日本ではモータウンという文脈で語られることがとても少ない人ですが、彼こそがモータウンという特殊な土壌にいたからこそ、才能を開花できた典型的な一人だったんじゃないかと、僕は考えています。

 

  この曲の翌年にリリースされた、カントリー色の強いヒット「セイル・オン」。

   彼らのファンク・ナンバーとのギャップは大きいですが、メンバー全員アラバマ出身ですから、こういうカントリーっぽいバラードへの理解もしっかりあったのかもしれません。


Commodores - Sail On

 

ナチュラル・ハイ

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コモドアーズのバラード路線の先駆けとなった「イージー

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「セット・ゼム・フリー ( If You Love Somebody Set Them Free )」スティング(1985)

 おはようございます。

 今日はスティングの「セット・ゼム・フリー」です。


Sting - If You Love Somebody Set Them Free (Official Music Video)

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If you need somebody, call my name
If you want someone, you can do the same
If you want to keep something precious
You got to lock it up and throw away the key
If you want to hold onto your possession
Don't even think about me

If you love somebody If you love someone
If you love somebody
If you love someone set them free
(Free, free, set them free)
Set them free

If it's a mirror you want, just look into my eyes
Or a whipping boy, someone to despise
Or a prisoner in the dark
Tied up in chains you just can't see
Or a beast in a gilded cage
That's all some people ever want to be

If you love somebody If you love someone
If you love somebody If you love someone set them free
(Free, free, set them free)
Set them free
(Free, free, set them free)

You can't control an independent heart
Can't tear the one you love apart
Forever conditioned to believe that we can't live
We can't live here and be happy with less
So many riches, so many souls
Everything we see that we want to possess

If you need somebody, call my name
If you want someone, you can, you can do, you can do the same
If you want to keep something precious
You got to lock it up and throw away the key
Wanna hold onto your possession
Don't even think about me

If you love somebody If you love someone
If you love somebody If you love someone set them free
(Free, free, set them free)
Set them free

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もし誰かが必要だったら 僕のことを呼べばいい

もし誰かが恋しいのなら 同じようにすればいい

大切なものをずっと持っていたいなら

それを何かに閉じ込めて その鍵を捨てればいい

自分の所有物にしがみつきたいなら

僕のことなど思い浮かべなくていい

 

もし誰かを愛しているなら もし誰かを愛しているなら

相手を自由にしてあげるんだ

 

もし君が欲しいのが鏡なら 僕の目を見ればいい

もしくは、身代わりに鞭打ちされる少年を 

軽蔑する誰かを

もしくは、君には見えない鎖に繋がれた

闇の中の囚人を

もしくは、金の鳥かごの中の獣

どれだって、そうなりたいと望む人もいるものさ

 

もし誰かを愛しているなら もし誰かを愛しているなら

相手を自由にしてあげるんだ

 

君は人の自立した心をコントロールなんてできないんだ

愛する人を引き裂くことはできないんだ
ここでは生きていけないと 

モノがなければ幸せにはなれないと信じるよう

に永遠に条件づけられた

あまりにもたくさんの富 たくさんの命

僕たちの目に入るのは 僕たちが欲しいと思うものばかりだ

 

もし誰かが必要だったら 僕のことを呼べばいい

もし誰かが恋しいのなら 同じようにすればいい

大切なものをずっと持っていたいなら

それを何かに閉じ込めて その鍵を捨てればいい

自分の所有物にしがみつきたいなら

僕のことなど思い浮かべなくていい

 

もし誰かを愛しているなら もし誰かを愛しているなら

相手を自由にしてあげるんだ                (拙訳)

 

 

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「見つめていたい」の解毒剤?

 

 1980年代半ば、イギリスのロック・シーンのカリスマだったスティングとポール・ウェラーが共に黒人の音楽に思いっきりシフトしたことは、衝撃的であり、なによりとてもカッコよく思えました。

  この曲のMVを見ても、彼以外はすべて黒人で、プレイヤーはオマー・ハキム (ドラム)、 ダリル・ジョーンズ -(ベース)、ケニー・カークランド ( キーボード )ブランフォード・マルサリス ( サクソフォーン)とジャズ/フュージョン・シーンの凄腕ばかりです。

  これは彼がニューヨークで3週間のワーク・ショップを開いて、地元のジャズ・プレイヤーたちに広く声をかけ、一緒に演奏しながら選んだメンバーだったそうです。

 スティングはジャズの関わりをこう語っています。

「実際、僕が最初に参加したロックバンドがポリスなんだ。その前は、さまざまな種類のジャズ・グループで幅広く活動していた。最初のバンドはディキシー・ランド・トラッドのグループで、コントラバスを弾いていた。その後、メインストリーム・ジャズのグループで「グリーン・ドルフィン・ストリート」や他のスタンダード曲を学んだ。ビッグバンド、モダンジャズフュージョンジャズのグループも演奏した。だから、僕はジャズ・プレーヤーと一緒だと気分が楽なんだ」

                                                                          (Records Mirror 1985 6.23)

 

 この「セット・ゼム・フリー」はある意味、彼の代表曲「見つめていたい」と対になるようなものであるとインタビューで語っています。

 

「いろいろな意味で、この曲は「見つめていたい(Every Breath You Take)」の解毒剤になっている。あの曲は、監視や所有すること、占有すること、嫉妬など、僕たちが持っている感情について歌っているんだ。「セット・ゼム・フリー」はその反対で、もし誰かを愛しているなら、その人を放っておいてあげよう、と言っている。この曲にはイヤな面もある。かなり威勢が良くて、相手をやっつけるものなんだ。でも、僕の魅惑的で心地よい、人あたりのいい曲のほとんどは、どこかに相手をやっつけるようなところがある。でも、それは良い叱責。ポジティブな叱責なんだ! 人格形成するためのさ!」

(INTERNATIONAL MUSICIAN 1985 6.23)

 

 2007年に出た「Lyrics By Sting」という本ではこう書かれていたそうです。

「この曲は「見つめていたい」にとりついていた支配と監視という気味の悪い問題に対する解毒剤であると同時に、私が新たに手に入れた自由への賛美歌でもあった。たぶん、パートナーに対する最高の褒め言葉は、「僕は君を所有していない、君は自由だ」というものでしょう。明らかに相手を所有しようとすると、本当に意味のあるやり方で相手をちゃんと理解することなどできない。世の中にはすでにあまりにも多くの牢獄があるんだ」

 リリースしたばかりだけじゃなくも、21世紀になっても彼はこの曲は「見つめていたい」の”解毒剤”だという表現をしているんですね。

 

 「見つめていたい」というのはアメリカの音楽史上最もたくさん演奏され、放送されたろいう”最もポピュラーな曲”になっているのですが、歌詞については”ストーカー”的な視点から解釈されることが多いものでもあります。

 「見つめていたい」が自分が予想もしていなかったレベルで大ヒットして、困惑し、うんざりした気持ちが「セット・ゼム・フリー」に反映されているのは、間違いなさそうです。

 

 ちなみに、この曲の収録されたアルバムのタイトル「ブルー・タートルの夢(The Dream of the Blue Turtles)」というのも非常に印象的なものですが、その由来について彼はこう語っています。

「僕は夢を見たんだ、新しいグループを結成する最中に。ロンドンの自宅の庭の夢だった。それはとても小さな庭で、ツタで覆われた壁と、きれいな芝生と花壇があって、とてもきちんと整頓されていた。塀の中から、自分の男らしさに酔っているような巨大な青い亀が出てきた。巨大で、運動能力が高く、いかれているんだ。ヤツらは酔っ払いながらバク転をして見せびらかし始めて、僕の庭を破壊したんだ。僕にはそれがなにを意味するのかまったくわからないけど」

                (Records Mirror 1985 6.23)

別のインタビューでは、彼はそれを分析しています。

「分析してみると、4匹の青い亀がバンドで、彼らがやっていることは、私のお決まりのやり方、安全な避難所、僕の裏庭を破壊しているのだと思う。そして、地面をぐちゃぐちゃすることは、来年の作物を育てるために畑をひっくり返すことを象徴しているのだと思う」

 (TIME OUT 1985.2.23)

 

 自分がポリスを離れて、これから新しく生み出す音楽の世界を象徴するものとして、”青い亀の夢”をとらえていたのかもしれません。

 

 

 ちなみに、この「 If You Love Somebody Set Them Free 」という言葉が、ベルリンの壁に書かれていたそうです。スティングの意図とは別の解釈がなされたわけですね。

こういうことも、ポップ・ミュージックならではのことなのだと思います。

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 最後は2019年の「MY SONGS」に収録されたデイヴ・オーデによるリミックス・ヴァージョン。


Sting - If You Love Somebody Set Them Free (My Songs Version/Audio)

 

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