おはようございます。
今日は1960年代ソフトロック、サンシャイン・ポップを代表するグループ、ミレニウムの「午前5時」です。(曲名に合わせて朝5時にアップしてみました)
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Five o'clock in the morning
Life doesn't seem to be the same
It's beautiful, beautiful
So remember, remember
The dew drops are dampening
Sidewalks that we stroll along
The streets are bare
There's nobody there
In the misty dawn that surrounds the town
The world is speechless in the morning
And I can watch the sun wake up the day
Five o'clock in the morning
Funny how much it means to me
It's all so still, it gives me chills
Just standing there in the pure morning air
Five o'clock in the morning
Five o'clock in the morning
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朝の5時
いつもの人生とは同じじゃないみたいだ
とても美しい 美しいんだ
だから おぼえておこう おぼえておこう
露のしずくが 僕らがぶらつく歩道を湿らせる
通りはがらんとして 人一人いない
霧が街をつつみこんだ夜明け
朝の世界は無口さ
そして僕は太陽がその日を始める様子を見ることができるんだ
朝の5時
おかしいけど、それが僕にどれだけの意味があるのだろう?
すべてがあまりに静かで ぞくっとする
ピュアな朝の空気の中で 僕はただそこに立っているだけ
朝の5時
朝の5時 (拙訳)
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この曲が収録されている「ビギン」というアルバムは、当時はまったく売れなかったそうですが、 1980年代終わりから90年代前半にかけての”渋谷系”のムーヴメントの中で再評価され、僕もその流れで知りました。音楽シーン全体でも今では1960年代を代表する名盤と評価されています。
このグループの中心人物がカート・ベッチャーです。
ウィスコンシン州出身の彼は父が軍隊にいたため、高校時代に岩国に2年住んでいたことがあったそうです。ミネソタ大学で結成したフォーク・グループ、ゴールド・ブライアーズがメジャー契約を果たし、彼らはニューヨークに出てきます。
ゴールド・ブライアーズのレパートリーには、彼は日本に住んでいた時に影響を受けた俳句にちなんだ「Haiku」という曲もありました。
ゴールド・ブライアーズが解散した後、彼はLAに渡り、あるグループのプロデューサーとして有名になります。それがアソシエイション。彼はアソシエイションのデビューから関わり、この全米NO.1ヒットも彼のプロデュースです。
彼らの独特のコーラス・ワークはカート・ベッチャーが仕込んだものだったわけですが、彼らは大ヒットが出るとカートをはじめとするスタッフを全員クビにしてしまったそうです。
この頃、彼のプロデュースしたアーティストには、コアなソフト・ロック・ファンから人気の高いエタニティーズ・チルドレンもいます。
1968年に全米69位まであがった「ミセス・ブルーバード」
当初アソシエイションのメンバーになってほしいという話もあったカートは、自らのグループ結成に動き始めます。
それが「ボールルーム」というグループでした。しかし、シングルを一枚リリースしただけで終わってしまいます。
The Ballroom - Spinning, spinning, spinning
そして、あらためて彼が結成したのがこのミレニウムだったのです。
カート以外のメンバーは、マイケル・フェネリー、サンディ・サリスベリー、リー・マローリー、ジョーイ・ウェイン・スティック、ロン・エドガー、ダグ・ローズで計7人。
リー・マロリーはアソシエイションのレコーディングや共作者でシンガーとしてもカートのプロデュースでシングルも出しています。ダグ・ローズはアソシエイションの「チェリッシュ」でチェレスタ(鍵盤)を演奏していたりと、彼がスタジオ仕事などで知り合ったミュージシャンを集めたわけです。
このアルバムはカートだけではなく、メンバー全員が曲も書いています。
この「午前5時」はこのアルバムで唯一のサンディ・サリスベリーの作品。彼は、やはりアソシエイションや、あとはポール・リヴィア&ザ・レイダーズ、トミー・ロウなどのレコーディングに参加していて、”ボールルーム”のメンバーでもありました。
ちなみに、現在では児童文学者として知られているそうです。
このアルバムは当時では最新であった16トラック・レコーディングで録音された史上2番目の作品(1番目はサイモン&ガーファンクルの「ブックエンド」)なのだそうで、しかも当時の最高記録ともいわれるほど莫大な制作費がかかったそうです。
それにも関わらずセールスで大失敗してしまったわけですが、当時のレコード会社の社長クライヴ・デイヴィスはこのアルバムを高く評価し、のちにローリングストーン誌が行なった”無人島に持ってゆく10枚のアルバム”にこの作品を選んでいたそうです。
しかも、クライヴが一番気に入っていたのがこの「午前5時」で、シングルにするようリクエストしたそうです。そしてシングルで発売され、アメリカではヒットしませんでしたが、フィリピンでは1位になったそうです。
日本でも「霧のファイブ・エイエム」というなかなかしゃれた(笑)邦題でシングル発売されています。
それから、このアルバムをカートと共同でプロデュースしたキース・オルセンはのちにフリートウッド・マックなどを手がける大プロデューサーになっています。
また、カート・ベッチャーがミレニウムと並行して制作に関わっていたのがサジタリアスの「プレゼント・テンス」というアルバムです。カートのデモをベースにブルース・ジョンストンやグレン・キャンベルらが協力して作ったそうです。というわけで、「ビギン」と「プレゼント・テンス」、この2枚を”双子”のようにとらえるのが、ソフト・ロック・ファンの習わし(?)になっています。
最後はそのサジタリアスの「My World Fell Down」を。ペットサウンズのビーチ・ボーイズの影響があると言われています。
Sagittarius - My World Fell Down
ソフト・ロック史上屈指の名盤と呼ばれている「ビギン」