まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「サニー・アフタヌーン(Sunny Afternoon)」ザ・ キンクス(1966)

 おはようございます。

 今日はキンクスの「サニー・アフタヌーン」です。

www.youtube.com

******************************************************************************

The tax man's taken all my dough
And left me in my stately home
Lazing on a sunny afternoon
And I can't sail my yacht
He's taken everything I got
All I've got's this sunny afternoon

Save me, save me, save me from this squeeze
I gotta big fat mama trying to break me
And I love to live so pleasantly
Live this life of luxury
Lazing on a sunny afternoon
In the summertime
In the summertime
In the summertime

My girlfriend's run off with my car
And gone back to her ma and pa
Telling tales of drunkenness and cruelty
Now I'm sitting here
Sipping at my ice cold beer
Lazing on a sunny afternoon

Help me, help me, help me sail away
Well give me two good reasons why I oughta stay
'Cause I love to live so pleasantly
Live this life of luxury
Lazing on a sunny afternoon
In the summertime
In the summertime
In the summertime

Ah, save me, save me, save me from this squeeze
I gotta big fat mama trying to break me
And I love to live so pleasantly
Live this life of luxury
Lazing on a sunny afternoon
In the summertime
In the summertime
In the summertime
In the summertime
In the summertime

******************************************************************************

税務署が有り金全部持っていってしまった

オレはこのお屋敷に取り残されて

晴れた午後にぐうたらしてる

自分のヨットにも乗れない

あいつが全部持っていったんだ

オレにあるのはこの晴れた午後だけ


オレを救って、救って、救い出して、

この”カツカツ”の生活から

うちにはオレをボロボロにしようとする

太っちょママがいるんだ

オレは愉快に生きたいんだ

贅沢に人生を過ごしたいんだ 

晴れた午後にまどろみながら

夏の時期に、、、


彼女はオレの車に乗って逃げていったんだ

ママとパパのところへね

酔っ払いでヒドいやつだって話しているんだろう

オレはここに座って

冷えたビールをちびちび飲んでいる

晴れた午後をのんびりやっているんだ

オレを助けて、助けて、切り抜けさせてくれ

オレがここにいるべきいい理由を二つ教えて欲しい

オレは愉快に生きたいんだ

贅沢に人生を過ごしたいんだ 

晴れた午後にまどろみながら

夏の時期に、、、

 

オレを救って、救って、救い出して、

この”カツカツ”の生活から

うちにはオレをボロボロにしようとする

太っちょママがいるんだ

オレは愉快に生きたいんだ

贅沢に人生を過ごしたいんだ 

晴れた午後にまどろみながら

夏の時期に、、、

                (拙訳)

******************************************************************************

 この時代にプロモーション・ビデオを作っていたんですね。しかも夏の晴れた日の午後の歌なのに、真冬で雪の積もった場所で撮影しているんですから、さすが、KINK(ひねくれ者、変態)ってバンド名に使うだけのことはあります。

 

   さて、この「サニー・アフタヌーン」は1966年7月にビートルズの「ペイパーバック・ライター」を追い落とし、彼らにとって3曲めの全英1位になっています。

 

 この曲を書いた頃、バンド内の状態やマネージメントの関係は決してよくなく、前に契約していた音楽出版社ともいざこざがありました。そんな中で、レイ・デイヴィスはインフルエンザをきかっけにノイローゼ気味になり、一時療養のためバンドを離れて、自宅で曲を書いていました。この曲もその時期に書かれたものではないかと言われています。

 

「僕がどういう風に感じているかを説明するには、僕が自分で築いた富とは反対に、相続した財産で生きてきた、つまらない、没落した貴族的人物を通してやるのがたった一つの方法だったんだ」  (Songfacts)

 

 レイ本人は決して貧しくはありませんでしたが、父親は食肉処理場で働いていて(庭師をしていたと書いてある本もありましたが)、典型的な労働者階級の出です。

 

 バンドで大金を稼ぐようになった彼は”成り上がりの労働者階級”、この歌の主人公は”落ちぶれた貴族階級”と、正反対ですね。

 この時期成功に伴ういざこざに巻き込まれ、心身ともにやられて療養していた彼は、自分の思いを直接語る代わりに、真逆のキャラを設定してなりきって歌を書くことで、自分の状況を客観視したのか、立場が全然違っても人間の苦しみなんて大差ないんだとまで達観したのか、このときの彼の心情は知りようがないですが、この曲を書くことが、期せずしてある種のセラピーのような効果をもたらしたのかな、などとも思えます。

 

「”サニー・アフタヌーン”を書いたころ、僕は音楽を何も聴く気になれなかったんだ。唯一かけていたのが『グレイテスト・ヒッツ・オブ・フランク・シナトラ』とディランの『マギーズ・ファーム』、全体の存在感が好きだったんだ。僕はフランク・シナトラグレン・ミラーやバッハなどと合わせて『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』をかけた。それは奇妙な時期だった。僕が思うに、それらが助け合うようにして、この曲の背後にある半音階のパートになっていたんだ」

        (「ローリングストーン」1969年11月)

 

 心や体がやられていると、本当に好きで、自分にしっくりくる音楽しか聴けなくなりますよね。シナトラ、グレン・ミラー、バッハ、と歴史的なアーティストに、同時代の天才ディランが並ぶというラインナップは興味深いです。

 

 

 いきなり、話は飛んでしまいますが、

 この曲の”Save me, save me, save me from this squeeze〜♩”というパートを聞くと、ある年齢以上の日本人はついつい、「はじめて およいだ うみのそこ」って歌詞が重なってくるんじゃないでしょうか。

 「およげたいやきくん」を作曲した佐瀬寿一さんはビートルズのコピー・バンドからキャリアを始め、インタビューでジェフ・リンやトッド・ラングレンが好きだと語っている人なので、キンクスも聴いていたような気がしますが、、。

 もし「サニー・アフタヌーン」を「およげたいやきくん」のヒントにしていたら、すごいセンスだなと感心してしまいますが、、。

 

 

最後は2006年のレイ・デイヴィスのライヴ・パフォーマンスで

www.youtube.com

 

Sunny Afternoon

Sunny Afternoon

  • Castle Communications
Amazon
The Journey - Pt. 2

The Journey - Pt. 2

  • アーティスト:The Kinks
  • Bmg Rights Managemen
Amazon

 

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

f:id:KatsumiHori:20210605134722j:plain

 

 

楽器買取専門店【楽器の買取屋さん】最短30分の無料の出張見積もり

ネットオフ

お名前.com

「カム・ダンシング (Come Dancing)」ザ・キンクス(1983)

 おはようございます。

 今日はキンクスの「カム・ダンシング」です。

www.youtube.com

**************************************************************

They put a parking lot on a piece of land
Where the supermarket used to stand.
Before that they put up a bowling alley
On the site that used to be the local palais.
That's where the big bands used to come and play.
My sister went there on a Saturday.

Come dancing,
All her boyfriends used to come and call.
Why not come dancing, it's only natural?

Another Saturday, another date.
She would be ready but she'd always make him wait.
In the hallway, in anticipation,
He didn't know the night would end up in frustration.
He'd end up blowing all his wages for the week
All for a cuddle and a peck on the cheek.

Come dancing,
That's how they did it when I was just a kid,
And when they said come dancing,
My sister always did.

My sister should have come in at midnight,
And my mum would always sit up and wait.
It always ended up in a big row
When my sister used to get home late.

Out of my window I can see them in the moonlight,
Two silhouettes saying goodnight by the garden gate.

The day they knocked down the palais
My sister stood and cried.
The day they knocked down the palais
Part of my childhood died, just died.

Now I'm grown up and playing in a band,
And there's a car park where the palais used to stand.
My sister's married and she lives on an estate.
Her daughters go out, now it's her turn to wait.
She knows they get away with things she never could,
But if I asked her I wonder if she would,

Come dancing,
Come on sister, have yourself a ball.
Don't be afraid to come dancing,
It's only natural.

Come dancing,
Just like the palais on a Saturday.
And all your friends would come dancing
While the big bands used to play.

**************************************************************

ヤツらはそこに駐車場を作った

かつてスーパーマーケットがあった場所さ

その前にはボーリング場だった

そこには地元のダンスホールがあったんだ

ビッグバンドが来て演奏していたよ

僕の姉さんは土曜になるとそこに行ってたものさ

 

踊りに行こうよ

ボーイフレンドはみんな呼びに来たものさ

踊りに行きませんか 当然の行くよね?

 

いつもの土曜日 いつものデート

彼女は準備できているのに いつも彼を待たせるのさ

廊下で期待で胸を膨らませながら

彼はその夜が挫折で終わるなんて知らなかった

彼はその週の稼ぎを全部使い果たしてしまう

抱きしめられて、頬に軽くキスされただけで

 

踊りに行こうよ

僕がまだ子供の頃、みんなそんな風に誘っていた

そして、踊りに行こうって言われると

僕の姉さんはいつも出かけた

 

僕の姉さんは真夜中に帰ってくればよかった

ママはいつも起きたまま座って待っていた

いつも大げんかで終わるのさ

姉さんの帰りが遅くなると

 

窓の向こうに月明かりに浮かんだ二人が見える

庭の門のところで、二つのシルエットがおやすみを言っている

 

ヤツらがダンスホールを取り壊したその日

僕の姉さんは突っ立ったまま、泣いていた

ヤツらがダンスホールを取り壊したその日

僕の子供時代は死んだんだ、ただ死んだんだ

 

今では僕も大きくなって バンドで演奏している

ダンスホールがあった場所には駐車場がある

僕の姉さんは結婚して団地に住んでいる

彼女の娘たちは遊びに出かけ 今度は彼女が待つ番だ

娘たちは自分が決してできなかったことを

うまくごまかしてやっていることを姉さんはわかってる

だけど、もし僕がたずねたら、彼女は認めるだろうか?

踊りに行こうよ

さあ、姉さん、思いっきり楽しもうよ

踊ることをおそれないで、それは自然なことなんだから

踊りに行こうよ

土曜日のダンス・ホールみたいにさ

友達もみんな踊りにやってくるよ

昔ビッグバンドが演奏していたみたいにさ
                     (拙訳)

**************************************************************

  レイ・デイヴィスの歌詞ってなんかホントいいですね。ポップ・ソングとしての物語の語り口が絶妙です。「ウォータールー・サンセット」に続いて和訳したのはまだ2曲なんですが、すっかり夢中になってしまいました。

 

  今回キンクスの歩みを追ってみて、初めて気づいたんですが、彼らのオリジナルアルバムでイギリスのヒットチャートに入ったのは、ファースト「キンクス」から6枚目の『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ』(1968年)までで、次の「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡(Arthur (Or the Decline and Fall of the British Empire))」(1969年)以降はチャートに入ってすらいないんです。

 

 イギリスを象徴する、国民から愛されているバンドというイメージがあったのですが、セールス的には決して、ずっと変わらず愛され続けてきたわけではなかったんですね。

 「ユー・リアリー・ガット・ミー」というロック史上屈指の名曲を生み出した1960年代の3、4年間だけ熱狂的に盛り上がったあとは、売れなくともしぶとく個性的な作品を出し続け、その結果、偉大さを認められるようになった、という感じなのだと思います。

 

 さて、この「カム・ダンシング」は1983年に全米最高6位という、「ローラ」以来13年ぶりの全米トップ10入りを果たした、まさに彼らの再評価のきかっけにもなった曲でした。 

 しかし、本国イギリスでは最初は全然売れなかったそうですが、アメリカで大ヒットした後にレコード会社が再度プロモーションして、なんとか12位まであがったのだそうです。

 

 「カム・ダンシング」はイギリスBBCで1949年から1998年まで続いたダンス競技番組名で、イギリス人には馴染みの深いタイトルのようです。

 毎週土曜日にお姉さんがダンスホールに行ったことを思い出す歌ですが、曲を書いたレイ・デイヴィスには実際6人もお姉さんがいたそうです。

 「ウォータールー・サンセット」もそうでしたが、レイ・デイヴィスは自分の曲の説明をインタビューによって変える傾向があるようで、この曲も、7歳上の姉のグウェンだと言っていたり、18歳上のレネだと言ったりしていたそうです。

 特にレネは彼のなかに深く残る記憶を残していました。

 

「彼女は心臓に深刻な問題を抱えていると言われていたんだ、だけど彼女はダンスが大好きで、医者は彼女に、もし道を歩いたら心臓発作を起こすかもしれないと言っていた。彼女は、そんなに高くはないスペイン製のギターを僕の誕生日に買ってくれたんだ。二人で何曲か弾いたよ。彼女はピアノを弾いて、僕はそれに合わせようとしたんだ。すると、彼女はもう出かけなきゃと言って、僕は彼女を見送ったんだ。晴れた日の午後だった。彼女は道を歩いて行って、母は門の前に立っていた。

次の日の朝、警察から電話があった。姉はロンドンのボールルームで踊っていて、知らない人の腕の中で死んでしまったんだ」

 

「彼女は僕の最初のギターを買ってくれたんだ、それは本当に素晴らしい餞別だった。彼女が弾いていたピアノで、彼女が亡くなった日に、僕は初期のヒット曲のほとんどをその部屋で書いたんだけど。その部屋で僕は生まれたようなものなんだ」

                (NPR November 26, 2014)

 

 姉との思い出は、彼のアーティストとしての出発点と繋がっていたんですね。

 

「ウォータールー・サンセット」で出てくる橋を渡る恋人たちは、彼の姉たちを象徴しているものだとも彼は語っていて、彼女たちはレイ・デイヴィスという偉大なソングライターのインスピレーションの源でもあったのです。

 

 2008年にはレイ・デイヴィス自らが関わった「カム・ダンシング」というミュージカルが上演されていたそうです。歌の内容と同じく1950年代のダンスホールを舞台にしたものだったようです。

 

 

 最後に、「カム・ダンシング」が収録されたアルバム「ステイト・オブ・コンフュージョン」から、もうひとつの”ダンスもの”のヒット「思い出のダンス (Don't Forget to Dance)」(全米29位)。

www.youtube.com

 

「カム・ダンシング (Come Dancing)」と「思い出のダンス (Don't Forget to Dance)」を収録したアルバム。

 

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

f:id:KatsumiHori:20210529221210j:plain

 

 

 

「ハートビート(Heartbeat)」タヒチ80(Tahiti 80)(2000)

 おはようございます。

 今日はタヒチ80の「ハートビート」です。

www.youtube.com

*************************************************************************

Enough for me is not much for you
Won't you forgive me, that's all I can do
Can you feel my heartbeat when I'm close to you, oh-oh, oh-oh?
Can you feel my heartbeat when I'm close to you, oh-oh, oh-oh?

Enough for me is not much for you
Won't you forgive me, that's all I can do
Can you feel my heartbeat when I'm close to you?
Can you feel my heartbeat when I'm close to you?

I'll never find another way to say, I love you more each day
It's quite romantic, I know, that's how I wanna feel today
I wanna feel this way

Can you feel my heartbeat when I'm close to you, oh-oh, oh-oh?
Can you feel my heartbeat when I'm close to you, oh-oh, oh-oh?

I'll never find another way to say, I love you more each day
It's quite romantic, I know, that's how I wanna feel today
I wanna feel this way today

 

Can you feel my heartbeat? Can you feel my heartbeat?
Can you feel my heartbeat? Can you feel my heartbeat?
Can you feel my heartbeat? Can you feel my heartbeat?
Can you feel my heartbeat when I'm close to you?

I'll never find, no I'll never find another way to say
I love you more each day

 

*************************************************************************

僕には十分でも、君には大したことじゃないんだね

許してほしい それしかできないから

僕の鼓動を感じるかい?君のそばにいるときの

僕の鼓動を感じるかい?君のそばにいるときの

 

僕には十分でも、君には大したことじゃないんだね

許してほしい それしかできないから

僕の鼓動を感じるかい?君のそばにいるときの

僕の鼓動を感じるかい?君のそばにいるときの

 

他の言い方なんか見つからないよ 

日に日に君への愛が強くなる

まさにロマンティック、そうさ、今日はこんな気分でいたいんだ

こんな風に感じたい

僕の鼓動を感じるかい?君のそばにいるときの

僕の鼓動を感じるかい?君のそばにいるときの

 

他の言い方なんか見つからないよ

日に日に君への愛が深まってゆく

まさにロマンティック、そうさ、今日はこんな気分でいたいんだ

こんな風に感じたい

 

僕の鼓動を感じるかい?僕の鼓動を感じるかい?

僕の鼓動を感じるかい?僕の鼓動を感じるかい?

僕の鼓動を感じるかい?僕の鼓動を感じるかい?

僕の鼓動を感じるかい?君のそばにいるときの

 

 絶対見つからない 他の言い方なんて

日に日に君への愛が深まってゆく

                  (拙訳)

*************************************************************************

 タヒチ80は、シンガー/ギタリストのグザヴィエ・ボワイエがベーシストのペドロ・ルスンドとフランスのルーアン大学の学生の時にポップ・コンボを結成したのがきかっけになっています。

 グザヴィエの父親が1980年にお土産でもらったTシャツに書かれていたのが”TAHITI 80"という文字で、それをバンド名にすることにします。

 その後、ギタリストのメデリック・ゴンティエ、ドラムスのシルヴァン・マルシャンが加わり、4人組になった彼らは1996年に自主制作EP「20 Minutes」をリリースしています。

 

 そして、1998年に彼らはニューヨークに渡り制作したデビュー・アルバムが、この「ハートビート」が収録されている「パズル」でした。

   プロデューサーはアンディ・チェイスファウンテインズ・オブ・ウェインのアダム・シュレシンジャーとフランス人女性ヴォーカルのドミニク・デュランと”Ivy(アイヴィー)”というバンドでギタリストをやっていた人です。

 

 そして、アルバムのミックスを手がけたのがスウェーデントーレ・ヨハンソン

カーディガンズのプロデュースで有名になり、日本でも大人気で原田知世BONNIE PINKカジヒデキなどを手がけていました。

  そして、この「ハートビート」を大きく改編したのがトーレだったそうです。

 

 曲全体に流れる印象的なシンセのフレーズは、もともとエンディングしかなかったものを彼が編集したそうで、他にもタンバリンをループさせたり、ベースにファズ・エフェクトをかけたりして、様々な仕掛けを施し、曲のポップさが格段にアップしたようです。

 「ハートビート」が特に日本で大人気だったのは、曲のポップさはもちろんですが、トーレ・ヨハンソンサウンドを馴染み、愛好していたという土壌があったこともその要因だったのかもしれませんね。

 

 この曲について、作者のグザヴィエはこう語っています。

「僕が”God Only Knows(神のみぞ知る)”のコード進行を拾って、いつかカヴァーするつもりでいたんだ。アレンジは変えるつもりだったけどね。とにかくそのコード進行をいろいろ試してみていて、ジャクソン5の”ABC"みたいに弾いてみたりもした。それはうまくいかなかったんだけど、なんとかカッコいいフレーズができたんだ」

(「パズル15thアニヴァーサリー・デラックス・エディション」ライナーノーツより)

 

 はじまりはビーチ・ボーイズの「神のみぞ知る」だったんですね。

 

 それから、タヒチ80の大きな魅力の一つは、グザヴィエの甘く靄がかかったような声質にあると思っていて、僕の好きなゾンビーズコリン・ブランストーンに似てるなと思っていたのですが、実際そう言われるようで、彼はコリンをとても敬愛しているそうです。

「僕の声がコリンと似ていると言われることも多いけど、これ以上の褒め言葉はないね」

(「パズル15thアニヴァーサリー・デラックス・エディション」ライナーノーツより)

 

 最後はCornelius小山田圭吾)のリミックス・ヴァージョンを

www.youtube.com

 

 

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

 

 

f:id:KatsumiHori:20210602083148j:plain

 

 

「アイ・フェル(I Fell)」ザ・フォー・キング・カズンズ(1968)

 おはようございます。

 今日はザ・フォー・キング・カズンズの「アイ・フェル」です。

www.youtube.com

*************************************************************

To fall in love again
Is to ride aboard a windy carousel
To fall in love again
Is to lose your mind
Is to lie awake at night
And worry the lonely hours away
wide awake at night
And think of a thousand things to say

But I fell
Yes I fell

I fell at the sight of you
I fell at the touch of you
Tried to make light of you
But needed too much for you
To walk away
So I fell
Yes I fell

Yes I fell
Yes I fell

To fall in love again
Is the last thing I had on my mind
To fall in love again
Is to play the fool
So I tried to let you go
I hoped that you'd walk away from me
Tried to tell you "No"
But your love was just too much for me

So I fell
Yes I fell

I fell at the sight of you
I fell at the touch of you
Tried to make light of you
But needed too much for you
To walk away
So I fell
Yes I fell

Yes I fell

 

*************************************************************

また恋に落ちること

それは風に揺れる木馬に乗るようなもの

また恋に落ちること

それは頭がおかしくなってしまうってこと

夜眠れなくなるってこと

孤独な時間を心配しながら過ごして

夜に目がさえて

話すことをたくさん考えてしまう

 

だけど恋に落ちた

そう恋に落ちたの

あなたを見た時に恋してしまった

あなたに触れた時に恋してしまった

大した人じゃないって思い込もうとしたけど

あなたのそばを離れられない

だから恋に落ちたの そう恋に落ちたの

そう恋に落ちたの そう恋に落ちたの

また恋に落ちること

それは考えもしないこと

また恋に落ちること

それはおバカさんを演じること

だからあなたを忘れようとした

私のもとから去ってくれることを願った

あなたに、ノーと言おうともした

だけどあなたの愛は私には大きすぎた

 

だから恋に落ちたの そう恋に落ちたの

あなたを見た時に恋してしまった

あなたに触れた時に恋してしまった

大した人じゃないって思い込もうとしたけど

あなたのそばを離れられない

だから恋に落ちたの そう恋に落ちたの

そう、恋に落ちたの
                       (拙訳)

**************************************************************

 

 1990年代の”渋谷系”のムーヴメントに当時僕もけっこうハマって、再発見されたレアなLPを買い漁ったものですが、このフォー・キング・カズンズもその流れで知ったアーティストです。

 当時の価値観として、アルバムの内容と同じくらい大事だったのが、ジャケットのデザインだったわけですが、僕はその中でもこのアルバムのジャケットがなんだか妙に好きでした。

 もちろん、内容もビートルズビーチ・ボーイズバカラックと王道に、ロジャー・ニコルズも加わって、とても聴きやすいものです。

 また当時は、彼女たちが上手じゃないところがまたいい、なんて思っていたんですが、久しぶりに聴くと、その上手くなさが物足りなく感じてしまいました。。印象って変わるもんなのですね。

 

 「アイ・フェル」は渋谷系の”聖書”「ロジャー・ニコルズ&スモール・サークルズ・オブ・フレンズ」のロジャー・ニコルズが彼女たちに書き下ろし(歌詞はポール・ウィリアムズ)、彼の持ち味も十分に発揮されていたものでしたので、結果的にこのアルバムの価値を高めることに貢献しています。

 

 

 それにしても、〜シスターズ、〜ブラザーズ、というグループはたくさんありますが、カズンズ(いとこたち)というのはちょっとめずらしいですよね。

 

 実は彼女たちの”先代”にキング・シスターズという姉妹グループがいて、その娘たちが結成したので、キング・カズンズになったんです。

 

 歴史をさかのぼると、1920年代にユタ州に住んでいた音楽教師ウィリアム・キング・ドリッグス・シニアが妻と子供達と一緒に”ザ・ドリッグス・ファミリー・オブ・エンタテイナーズ”という家族オーケストラを結成して各地を巡業し始めたのが発端でした。

 

 そして1931年に当時人気のあった三姉妹のジャズ・コーラス・グループ”ボズウェル・シスターズ”をモデルにして、年長の姉妹三人で”キング・シスターズ”を、ファミリーからスピンオフさせました(途中六人になったり三人に戻ったりしながら、やがて四人組になっています)。

 彼女たちはラジオから仕事を始め、レコード・デビューも果たし1941年から1945年の間には13曲がトップ30に入っています。

 

 彼女たちが成功するとともに、彼女たちの母体である家族全員”キング・ファミリー”をステージで演奏させると、これが大成功し1965年にはアメリカで「ザ・キング・ファミリー・ショー」というTV番組を持つまでになりました。

 そこで、彼女たちの娘たちで”キング・カズンズ”が結成されたわけです。

www.youtube.com

 そして、キング・カズンズはファイヴ・キング・カズンズという五人組になり、やがて、一人が大学進学のために抜け”フォー・キング・カズンズ”になった、というわけです。

 そんな彼女たちが1968年に出したファーストアルバムが「イントロデューシング・・・ザ・フォー・キング・カズンズ」です。

 プロデューサーのレックス・デ・アゼヴェドは、ザ・キング・シスターズのアリス・キングの息子ということで、キング・ファミリーなんですね。

  彼はキング・ファミリー・ショーの音楽監督をやったほか、彼女たちと同じキャピトル・レコードで、やはり渋谷系の流れで人気のあったローリンド・アルメイダの「男と女」というアルバムのアレンジ、指揮、プロデュースも手がけていました。

www.youtube.com

 彼女たちはその後ラスベガス・デビューも果たし、ショービジネスで活躍していったそうです。

 また、メンバーのティナ・コールは日本でも放送されていた人気ドラマ「パパ大好き(My Three Sons)」にも出演していたそうです。

 

 さて、ここからが謎なんですが、彼女たちはその後、日本だけでレコードをリリースしているんです。当時、ファースト・アルバムは日本では発売されていなかったのに、です。

 1976年に日本だけでリリースされたシングル「カナダの夕陽/イン・ザ・ムード」

www.youtube.com

 翌1977年にはアルバムも発売されています。

www.youtube.com

 レコードの帯には”ポピュラー・ボーカル・グループの新星”とありますから、本当に初上陸だったのでしょう。

 彼女たちのマネージメントとつながりのあった人がレコード会社にいたんでしょうね。「追憶」「やさしく歌って」「歌の贈り物」「愛ある限り」など有名曲を女性コーラスで歌っているので、イージーリスニング的なニーズが当時あったのかもしれません。

 

 その後、2013年には彼女たちの未発表曲集がCDで発売されています。

その中に入っている「ハッピー・ハート」を。

www.youtube.com

 

  ちなみに、キング・シスターズのメンバーの娘でありながら、フォー・キング・カズンズに参加せず、ハープ奏者になったライザ・レイ・バトラーという方の息子は、大人気バンド”アーケイド・ファイア”の中心メンバー、ウィン&ウィル・バトラー兄弟だそうで、アーケイド・ファイアもキング・ファミリーということになるんですね。

 

 最後に「アイ・フェル」が収録されたアルバムからもう1曲、ロジャー・ニコルスの曲を。

ロジャー・ニコルズ&スモール・サークルズ・オブ・フレンズ」にも入っていた「Love So Fine」です。

www.youtube.com

 

 

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

f:id:KatsumiHori:20210531222853j:plain

 

 

「君を信じたい(I Just Can't Help Believing)」B.J.トーマス(1970)

 おはようございます。

 B.J.トーマスが5月29日に亡くなったというニュースがありましたので、今日は彼の「君を信じたい」を。

www.youtube.com

****************************************************************

I just can't help believing
When she smiles up soft and gentle
With a trace of misty morning
And a promise of tomorrow in her eyes...

And I just can't help believing
When she's lying close beside me
And my heart beats with the rhythm of her sigh...

This time the girl is gonna stay
This time the girl is gonna stay...
For more than just a day

I just can't help believing
When she slips her hand in my hand
And it feels so small and helpless
That my fingers fold around it like a glove...

And I just can't help believing
When she's whispering her magic
And her tears are shining honey sweet with love...

This time the girl is gonna stay (This time the girl is gonna stay)
This time the girl is gonna stay...
For more than just a day

For more than just a day...
(I just can't help believing...)

****************************************************************

信じずにいられない

彼女がやわらかくやさしく微笑むと

霧の朝が残した跡と

明日の約束をその瞳に浮かべて

 

信じずにはいられない

彼女が僕のすぐそばに横たわると

彼女の吐息のリズムに合わせて胸が高なるんだ

今度はその娘はいてくれるだろう

今度はその娘はいてくれるだろう

せめて1日以上は、、

信じずにはいられない

彼女が僕の手の中にその手を滑り込ませると

とても小さくて力が弱いから

からめた僕の指は手袋みたいさ

 

信じずにはいられない

彼女が魔法の呪文をささやくと

その涙は愛で、蜂蜜のように甘く、輝くのさ

今度はその娘はいてくれるだろう

今度はその娘はいてくれるだろう

せめて1日以上は、、

せめて1日以上は、、

          (拙訳)

****************************************************************

 

 B・J・トーマスは本名のビリー・ジョー・トーマス (Billy Joe Thomas)の略称で、オクラホマ州ヒューゴで生まれ、テキサス州ヒューストンで育ちました。

 子供の頃から主に教会で歌い、パフォーマンスを始めます。

   ヒューストンを拠点とするバンド”ザ・トライアンフス(Triumphs)”に参加し、”B.J.トーマス&ザ・トライアンフス名義でレコード・デビューを果たします。

 

 一番最初のシングルと思われる「Hey,Judy!」(1963)

www.youtube.com

 彼はトライアンフスと並行してソロ名義でもシングルを出していきましたが、すぐには成功しませんでした。

 彼の最初のヒットはトライアンフスと一緒にやった「I'm So Lonesome I Could Cry」(1966)でした。カントリーの最重要アーティスト、ハンク・ウィリアムスのカバーで全米8位の大ヒットになりました。

 

  次のヒットは1968年に全米5位になった「Hooked on a Feeling(心の中まで)」です。

www.youtube.com

  この曲は1974年にスウェーデンのグループ、ブルー・スウェードが驚くようなカバー(邦題「ウガ・チャカ」)をして全米1位になったのは、古い洋楽ファンはおぼえていらっしゃいますよね。

 

 そして、1969年には彼の代名詞「雨にぬれても」が世界中で大ヒットします。ちなみに、この曲は僕の生涯NO.1ソングです。

www.youtube.com

 当初レイ・スチーヴンスという歌手が歌うはずだったのが、曲が気に入らないと断られ、急遽彼が歌うことになったといいます。それに当時、彼は咽頭炎だったそうなんですが、かえってそのせいでちょうどいい感じで力が抜けていたのかな?なんて思います。(これはまた推測なんですが、彼が咽頭炎だったのは映画のヴァージョンの録音の時だったように思います。シングルのヴァージョンよりちょっと声が枯れているような気がするので)

 そして「雨にぬれても」の次のシングルが、同じバート・バカラック&ハル・デヴィッド作の「EVERYBODY'S OUT OF TOWN」(これも好きな曲です)、そしてその次がこの「君を信じたい」で、全米最高9位のヒットになっています。

 

 作ったのはライチャス・ブラザーズ「ふられた気持ち」など数々の名曲を作ったおしどり夫婦ソングライター、バリー・マン&シンシア・ワイル。オリジナルは、バリー・マン本人がシンガーとしてリリースしたものでした。

www.youtube.com

 ちなみに、この曲は歌詞が先にできたものです。

 ある日、バリーがシンシアに、彼女の歌詞はジェリー・ゴフィンみたいにソウルフルじゃない、と言って挑発したことがきかっけだったそうです。

 バリーとシンシアは、キャロル・キング&ジェリー・ゴフィンと同じ会社に所属していて、この2組のペアは最大のライバル(かつ仲良しでもあったようです)だったんですね。

 怒ったシンシアは自分もソウルフルなものが書けることを証明しようとしてこの歌詞を書いたのです。

   そしてそこにバリーは、グレン・キャンベルで有名な「ジェントル・オン・マイ・マインド」をヒントにしてメロディをつけて出来上がったということらしいです。

 

(参考「BARRY MANN&CYMTHIA WEIL original Demos,Private Recordings and Rarities」ライナーノーツ)

 

 

 B.Jの大ヒットを受けて、すぐにカバーしたのがエルヴィス・プレスリーです。

www.youtube.com

 彼がとりあげたことで、この曲は彼がオリジナルだと思っている人は少なくないようです、、。

 その後、やはりマン&ワイルの「ロックンロール・ララバイ」(1975年全米15位)をヒットさせた後、1975年には「心にひびく愛の歌((Hey Won't You Play) Another Somebody Done Somebody Wrong Song)」で彼にとって2作目の全米NO.1に輝いています。

www.youtube.com

 B.J.トーマスの魅力は、男らしい土臭さがベースにありながらも、そこに都会的な小粋さが絶妙に溶け込んでいるところでしょう。

 バカラックとバリー・マンという持ち味が対照的な作曲家の作品を、両方とも自然に歌いこなし、かつ大ヒットさせた男性シンガーは、彼しかいません。

 

 そして、彼の最後のTOP20ヒットは1977年のビーチ・ボーイズのカバー「ドント・ウォーリー・ベイビー」(全米17位)。

 プロデュースしたのは日本のAORファンからも人気の高いCCM(Contemporary Christian Music)のアーティスト、クリス・クリスチャン。この頃、彼はクリスと組んでゴスペル系のアルバムを何枚か出していました。

www.youtube.com

 ビーチ・ボーイズとはまた全然違いますが、彼の声はなぜか気持ちを楽にしてくれるんですよね。

 

The Very Best Of B.J. Thomas

The Very Best Of B.J. Thomas

Amazon

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

f:id:KatsumiHori:20210531193124j:plain

 

楽器買取専門店【楽器の買取屋さん】最短30分の無料の出張見積もり  

「ドライヴ ( Drive)」カーズ(1984)

 おはようございます。

 今日もカーズで。「ドライヴ」を。

www.youtube.com

***************************************************************

Who's gonna tell you when
It's too late?
Who's gonna tell you things
Aren't so great?

You can't go on
Thinking nothing's wrong, oh oh
Who's gonna drive you home
Tonight?

Who's gonna pick you up
When you fall?
Who's gonna hang it up
When you call?
Who's gonna pay attention
To your dreams?
Who's gonna plug their ears
When you scream?

You can't go on
Thinking nothing's wrong, oh oh
(Who's gonna drive you?)
Who's gonna drive you home
(Who's gonna drive you? Who's gonna drive)
Tonight?

Who's gonna hold you down
When you shake?
Who's gonna come around
When you break?

You can't go on
Thinking nothing's wrong, oh oh
(Who's gonna drive you?)
Who's gonna drive you home
(Who's gonna drive you? Who's gonna drive)
Tonight?
Oh, you know you can't go on
Thinking nothing's wrong
(Who's gonna drive you?)
Who's gonna drive you home
(Who's gonna drive you? Who's gonna drive)
Tonight?

***************************************************************

誰が君に教えてくれるんだい

もう手遅れだって

誰が君に教えてくれるんだい

大したことじゃないって

 

何も間違っちゃいないなんて

思い続けることはできないんだ

誰が家に送ってくれるんだい

今夜

誰が助け起こしてくれるんだい

君が倒れたら

誰が電話を切るんだろう

君がかけているのに

誰が君の夢を気にかけてくれるのだろう

誰が耳を塞いでしまうのだろう

君が叫んでいるのに

何も間違っちゃいないなんて

思い続けることはできないんだ

誰が家に送ってくれるんだい

今夜

 

誰が抱きかかえてくれるんだい?

君が震えている時に

誰が近くに来てくれるんだい?

君が傷ついた時

何も間違っちゃいないなんて

思い続けることはできないんだ

誰が家に送ってくれるんだい

今夜

 

何も間違っちゃいないなんて

思い続けることはできないんだ

誰が家に送ってくれるんだい

今夜

               (拙訳)

***************************************************************

  カーズの顔であり、柱でもあるのはまぎれもなく、リック・オケイセックでした。しかし、カーズのレパートリーはほぼ全てリックが書いているのに、その2割から3割くらいはベンジャミンにメインを歌わせています。

 

 この「ドライヴ」もまた、ベンジャミンがメイン・ボーカルをとった曲で、全米最高3位と、カーズ最大のヒットになっています。

 Spotifyを見ても再生回数が最も多いのが「ドライヴ」、そしてその次が「燃える欲望(Just What I Needed)」でこちらも歌っているのがベンジャミン なんです。

 

 リックはこう語っています。

 「僕はフロント・マンになることはそんなに興味はないんだ。僕は、ソングライターなんだ、実際に。そして作った曲たちをまとめる人間であり、たぶん多少はディレクターでもある。だけど、エンターテイナーであることが、僕のメインの仕事では決してなかったんだ」

                        (NPR 2011)

 また、彼らがロックの殿堂入りした時のスピーチで、彼は「ベンジャミン・オールがカーズのメイン・ヴォーカルになるはずだった」と語っていました。

 

 十代の頃に引っ越してきたクリーヴランドのローカルTV番組で、バンドで演奏して歌うベンジャミン(ベン)に最初に興味を持ち、その後一緒に活動を始めた頃から、ルックスも声もよくマルチプレイヤーだったベンを前面に出し、リックはソングライターとギターに専念するというイメージがあったのではないかと思います。

 

 二人はカーズ以前にいくつかバンドに参加しますが、その中にはベンが楽器も持たずメインボーカルに専念していたものもあったようです。

 

 時代の流れでハーモニー重視のフォーク・ロックなどもやっていましたが、リックの大きなルーツはバディ・ホリーのシンプルなロックンロール。70年代後半からパンク/ニューウェイヴが大人気になると共に、リックがそっちにシフトしたのは当然のことだったのでしょう。

 

 ベンをメイン・ヴォーカルでカーズを始めたのですが、ライヴを重ねていくうちにニューウェイヴのサウンドにリックの飄々とした個性的なヴォーカルが妙にマッチすることに、本人もバンドも気づいていったのではないでしょうか。

 

 それから、ベンの古いインタビューの動画がいくつかYouTubeで見れるのですが、かなりナイーヴそうで、フロントマンになるには少し内向的すぎるような印象があります。

 

 それでも、2,3割はベンジャミンにメインを歌わせていたのですが、それらの曲を聴き直すと、ほとんどリックが歌ってもおかしくないようなものに僕には思えました。リックが相棒ベンジャミンが主役の場を意図的に作っていたんじゃないかと感じるんです。

 

 しかし、この「ドライヴ」に限っては、ベンジャミンの歌とぴったり合っています。良い曲ですので、作者のリックが歌ってもヒットはしたでしょうが、ベンジャミンの歌だったからこそ、これだけ大きなヒットになったように思えます。

 

 リックはこう語っています。

 

「『ドライヴ』はもともと僕のソロアルバムに入れるつもりだった。でも、ベンと僕の二人で歌って歌ってデモを作ってみると、この曲には 彼のヴォーカルが必要だと確信した。彼にぴったりの曲だったんだ。僕は彼の声が大好きだった」

(「ハートビート・シティ<Expanded Edition>ライナーノーツより)

 

 また、プロデューサーの”ロバート・ジョン”マット”ラングは相当な完璧主義者でベースのチューニングに丸2日かけたなんてエピソードがあったそうですが、彼がアルバムの中の曲で最も大きく方向性を変えたのが、この「ドライヴ」だったそうです。

 

 カーズが作ったデモはこんな感じでした。

www.youtube.com

 リックはこの曲をシングルにするなんて考えてもいなかったそうですが、マットが新しくアレンジしたことで、彼らにとって最大のヒットになりました。

 

 「ハートビート・シティ」は、イギリスに渡って半年くらいかけて作ったものですが、各メンバーが別々にレコーディングし、スタジオで一堂に会したのはコーラスの時だけだったそうです。

 そういう作業の果てに、バンドの歴史上最大級の成功を収めるという結果になったからでしょうか、この後、メンバーはそれぞれ独自に活動をし始めることになります。

 

  まず、1985年にギターのエリオット・イーストンがロイ・トーマス・ベイカーのプロデュースでソロアルバムをリリースし、1986年にはリックの二枚目のソロ・アルバムと、ベンの初のソロアルバムがリリースされています。

 

 リックは自分でもバラードをやりたかったのでしょうか。シングル「Emotion In Motion」(全米15位)

www.youtube.com

 ベンジャミン・オールの「ステイ・ザ・ナイト」(全米24位)

www.youtube.com

  ベンのアルバム「The Lace」はカーズっぽい曲も少しありますが、基本はメロディアスなアメリカン・ロックで、彼の個性は本来こういうスタイルに合っていたのかもしれません。

 

 カーズは再び集まり、1987年にはリック自らのプロデュースでアルバム「ドア・トゥ・ドア」をリリースしますが、バンド感の気持ちはバラバラになってしまっていたのでしょう、翌1988年にカーズは解散してしまいます。

 

 ベンは自身の名前を冠したバンド”ORR”など、いくつかのバンドやプロジェクトで活動していましたが、2000年に膵臓がんで亡くなっています。

 

 2011年には再結成しアルバム「Move Like This 」を発表しています。

www.youtube.com

 2018年には彼らは”ロックの殿堂”入りを果たしましたが、翌 2019年にリック・オケイセックが亡くなり、カーズの歴史は終止符を打ちました。

 

 ギターのエリオット・イーストンやキーボードのグレッグ・ホークスも、個性的で魅力のあるメンバーですが、やはりカーズというのはリックとベンの二人の長い友情の産物だったという風に僕には思えます。 

 

 さて、昨日もご紹介した”ニュー・カーズ”。エリオットとグレッグを中心に、リックとベンの代わりにトッド・ラングレンとカシム・サルトンが参加したグループ。「ドライヴ」もやっています。メイン・ヴォーカルはカシムがとっていて、その役割分担、なんだか妙に納得できてしまいます。

www.youtube.com

 最後はこの曲の作者、リック自らアコギで弾き語っている動画を。 

www.youtube.com

 

 

popups.hatenablog.com

f:id:KatsumiHori:20210530155839j:plain

 

 

 

「ユー・マイト・シンク (You Might Think)」カーズ(1984)

 おはようございます。

 今日はカーズの「ユー・マイト・シンク」 です。

www.youtube.com

**************************************************************

You might think I'm crazy to hang around with you
Maybe you think I'm lucky to have something to do
But I think that you're wild
Inside me is some child

You might think I'm foolish
Or maybe it's untrue (you might think)
You might think I'm crazy (but all I want)
But all I want is you

You might think it's hysterical, but I know when you're weak
You think you're in the movies, and everything's so deep
But I think that you're wild
When you flash that fragile smile

You might think it's foolish
What you put me through (you might think)
You might think I'm crazy (but all I want)
All I want is you

And it was hard, so hard to take
There's no escape without a scrape
But you kept it going till the sun fell down
You kept it going


Well, you might think I'm delirious the way I run you down
But somewhere sometimes, when you're curious, I'll be back around
Oh, I think that you're wild
And so uniquely styled


You might think it's foolish
This chancy rendezvous

You might think I'm crazy (but all I want)
But all I want is you
All I want is you
All I want is you

 

**************************************************************

君は僕がイカれてるって思ってるかもね

君につきまとっているから

それとも、とりあえずやることがあるんだから

ラッキーだって思っているかな

だけどね、君はワイルドだって僕は思うんだ

僕の心には子供がいるのさ

 

君は僕をバカだって思うかもね

それとも僕が嘘をついているって

君は僕がイカれてるって思うかもね

だけど、僕がほしいのは君だけなんだ


ヒステリックだって君は思うかもしれない

だけど僕は知ってるよ、君が弱っているとき

君は映画の中にいると思いこんで すべてを深刻に受け止めて

だけど僕は君はワイルドだって思うよ

その儚げな微笑みをチラッと見せた時に

君はバカげたことだって思うかもしれない

君が僕と知り合ったことを

君は僕がイカれてるって思うかもしれない

僕がほしいのは君だけさ

それは、とても受け入れられないことだった

傷を負うことなしには逃げられないのに

君はやり続けたんだ太陽が沈むまで

君はやり続けたのさ

 

僕が錯乱してるって君は思うだろう

こんな風に君を追い詰めて

だけど、いつかどこかで、君が僕のことが気になったら

戻ってくるよ

君はワイルドだって思うんだ 

そして、とてもユニークなスタイルを持っている

君はバカげてるって思うかもね

この危なっかしいランデヴーを

僕がイカれてるって思うかもね

でも、僕がほしいのは君だけなんだ

僕がほしいのは君だけなんだ    (拙訳)

 

**************************************************************

  カーズの中心メンバーはリック・オケイセック (vo、g)とベンジャミン・オール (vo、b)。

   リックがオハイオ州クリーヴランドに引っ越してきて、地元のTV番組に”グラスホッパー”というバンドで出演していたリックと知り合い、その数年後に二人は一緒に活動を開始します。

 そして、活動拠点をボストンに移した彼らがもう一人ギタリストを加えて、”ミルクウッド(Milkwood)”というグループを結成し、1973年に一枚アルバムをリリースしています。

 これがなんと、クロスビー、スティルス、ナッシュっぽいフォーク・ロックだったんです。

www.youtube.com

 Milkwood解散後、別のバンドに参加したあと、”オケイセック&オール”というフォーク・デュオで活動していたようで、二人がバディ・ホリーの「エヴリデイ」をカバーしている動画がありました。

www.youtube.com

 そしてその後1976年に結成した「Cap'n Swing」というバンドは、カーズの前身と言っていいもので、その後カーズのレパートリーになる曲もやっています。

www.youtube.com

 リックはよりロックっぽいサウンドを目指していたので、ジャズ系だったドラム、ベースを外し、メンバーを入れ替えて再出発したのがカーズだったというわけです。

  そして、彼らのデモテープの1曲が地元ボストンのラジオ局で大人気になり、その噂を聞きつけたメジャーレーベル(エレクトラ)と契約することになりました。

 

 彼らは1978年にデビューし、デビュー曲はボストンのラジオ局で大人気になった「Just What I Needed 燃える欲望」でした。(メイン・ヴォーカルはベンジャミン・オール)

www.youtube.com

 シングルは最高27位、アルバムは18位という上々のデビューを果たします。そして新人バンドとしては異例のロングセラーになります。デビュー・アルバム『錯乱のドライブThe Cars』は現在までにアメリカだけで600万枚を超えていて、実はカーズの作品の中で最大のセールスを誇っています。

 

   彼らは当時流行していたニューウェイヴのバンドとして出てきたわけですが、その中でも完成度がすごく高かったんです。だから、デビュー・アルバムがいまだに人気が高いわけですが、それは彼らが相当長い下積みで鍛えられていたからなんですね。リック・オケイセックはこのときすでに34歳だったんです。当時大人気だったビリー・ジョエルブルース・スプリングスティーンより5歳も上なんですね。

 

 そして、彼らの作品のクオリティを支えたのが、プロデューサーのロイ・トーマス・ベイカーです。

 彼は「オペラ座の夜」などクイーンの最初の五枚のアルバムを手がけた人です。ロイの拠点はロンドンでしたので、メンバーはロンドンに渡り、わずか12日間でファースト・アルバムをレコーディングしました。(セカンド・アルバムの頃からはロイは拠点をアメリカに移しています)。

 

 ロイとカーズのコラボレーションは四枚目のアルバム『シェイク・イット・アップ』(1981)まで続きました。

 

 僕が最初に彼らの曲で注目したのが、セカンド・アルバム「キャンディ・オーに捧ぐ」からのファースト・シングル「レッツ・ゴー」でした。(メイン・ヴォーカルはベンジャミン・オール)

www.youtube.com

 

 そしてこの「ユー・マイト・シンク」(メイン・ヴォーカルはリック・オケイセック)は1984年リリースの「ハートビート・シティ」からの最初のシングルで全米7位まで上がるヒットになりました。

 

 この作品でプロデューサーがロバート・ジョン“マット”ラングに変わっています。この当時彼はAC/DCやデフレパード、フォーリナーなど、メタル、ハード・ロックバンドを大ヒットさせ、大変注目されていました。

 その後、シャナイア・トゥエイン、ブライアン・アダムスなどポップ・ミュージック史上屈指の大ヒットプロデューサになる人です。

 

 ラングは当時イギリスをベースにしていましたので、カーズのメンバーはファースト・アルバム以来になるロンドン・レコーディングを行っています。

 彼のプロデュースで、カーズのサウンドはぐっとキャッチーに、良くも悪くも80'sっぽくなりました。

 

 この曲のヒットを強力に後押ししたのがミュージック・ビデオで、第一回MTVビデオ・ミュージック・アワードの”ビデオ・オブ・ザ・イヤー”に選ばれています。

 マイケル・ジャクソン「スリラー」、ポリス「見つめていたい」、シンディ・ローパー「ハイスクールはダンス・テリア」、ハービー・ハンコック「ロック・イット」というこの時代を象徴するビデオを打ち破っての受賞でした。

 

   最後にこの曲のカバーを。

 

 まず、2005年にリックとベンジャミンの代わりに、トッド・ラングレンとカシム・サルトンが加わり、新たなドラマーにして”ニュー・カーズ”が結成されました(ユートピア・カーズって名前の方が適切なように思いますが、、)。2006年に発売された、彼らの唯一のアルバム「It's Alive」はカーズの代表曲をメインに、そこに新曲やトッドの「アイ・ソー・ザ・ライト」なんかが混じる構成で、「ユー・マイト・シンク」もやっていました。

www.youtube.com

 

 2011年の映画「カーズ2」でこの曲が使われていました。カバーしたのはLA出身のパワーポップ・バンド、ウィーザー。彼らのデビューアルバム(1994年)をプロデュースしたのがリック・オケイセックでした。

www.youtube.com

 

 

 

 

 

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

 

f:id:KatsumiHori:20210529105106j:plain