まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「カム・ダンシング (Come Dancing)」ザ・キンクス(1983)

 おはようございます。

 今日はキンクスの「カム・ダンシング」です。

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They put a parking lot on a piece of land
Where the supermarket used to stand.
Before that they put up a bowling alley
On the site that used to be the local palais.
That's where the big bands used to come and play.
My sister went there on a Saturday.

Come dancing,
All her boyfriends used to come and call.
Why not come dancing, it's only natural?

Another Saturday, another date.
She would be ready but she'd always make him wait.
In the hallway, in anticipation,
He didn't know the night would end up in frustration.
He'd end up blowing all his wages for the week
All for a cuddle and a peck on the cheek.

Come dancing,
That's how they did it when I was just a kid,
And when they said come dancing,
My sister always did.

My sister should have come in at midnight,
And my mum would always sit up and wait.
It always ended up in a big row
When my sister used to get home late.

Out of my window I can see them in the moonlight,
Two silhouettes saying goodnight by the garden gate.

The day they knocked down the palais
My sister stood and cried.
The day they knocked down the palais
Part of my childhood died, just died.

Now I'm grown up and playing in a band,
And there's a car park where the palais used to stand.
My sister's married and she lives on an estate.
Her daughters go out, now it's her turn to wait.
She knows they get away with things she never could,
But if I asked her I wonder if she would,

Come dancing,
Come on sister, have yourself a ball.
Don't be afraid to come dancing,
It's only natural.

Come dancing,
Just like the palais on a Saturday.
And all your friends would come dancing
While the big bands used to play.

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ヤツらはそこに駐車場を作った

かつてスーパーマーケットがあった場所さ

その前にはボーリング場だった

そこには地元のダンスホールがあったんだ

ビッグバンドが来て演奏していたよ

僕の姉さんは土曜になるとそこに行ってたものさ

 

踊りに行こうよ

ボーイフレンドはみんな呼びに来たものさ

踊りに行きませんか 当然の行くよね?

 

いつもの土曜日 いつものデート

彼女は準備できているのに いつも彼を待たせるのさ

廊下で期待で胸を膨らませながら

彼はその夜が挫折で終わるなんて知らなかった

彼はその週の稼ぎを全部使い果たしてしまう

抱きしめられて、頬に軽くキスされただけで

 

踊りに行こうよ

僕がまだ子供の頃、みんなそんな風に誘っていた

そして、踊りに行こうって言われると

僕の姉さんはいつも出かけた

 

僕の姉さんは真夜中に帰ってくればよかった

ママはいつも起きたまま座って待っていた

いつも大げんかで終わるのさ

姉さんの帰りが遅くなると

 

窓の向こうに月明かりに浮かんだ二人が見える

庭の門のところで、二つのシルエットがおやすみを言っている

 

ヤツらがダンスホールを取り壊したその日

僕の姉さんは突っ立ったまま、泣いていた

ヤツらがダンスホールを取り壊したその日

僕の子供時代は死んだんだ、ただ死んだんだ

 

今では僕も大きくなって バンドで演奏している

ダンスホールがあった場所には駐車場がある

僕の姉さんは結婚して団地に住んでいる

彼女の娘たちは遊びに出かけ 今度は彼女が待つ番だ

娘たちは自分が決してできなかったことを

うまくごまかしてやっていることを姉さんはわかってる

だけど、もし僕がたずねたら、彼女は認めるだろうか?

踊りに行こうよ

さあ、姉さん、思いっきり楽しもうよ

踊ることをおそれないで、それは自然なことなんだから

踊りに行こうよ

土曜日のダンス・ホールみたいにさ

友達もみんな踊りにやってくるよ

昔ビッグバンドが演奏していたみたいにさ
                     (拙訳)

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  レイ・デイヴィスの歌詞ってなんかホントいいですね。ポップ・ソングとしての物語の語り口が絶妙です。「ウォータールー・サンセット」に続いて和訳したのはまだ2曲なんですが、すっかり夢中になってしまいました。

 

  今回キンクスの歩みを追ってみて、初めて気づいたんですが、彼らのオリジナルアルバムでイギリスのヒットチャートに入ったのは、ファースト「キンクス」から6枚目の『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ』(1968年)までで、次の「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡(Arthur (Or the Decline and Fall of the British Empire))」(1969年)以降はチャートに入ってすらいないんです。

 

 イギリスを象徴する、国民から愛されているバンドというイメージがあったのですが、セールス的には決して、ずっと変わらず愛され続けてきたわけではなかったんですね。

 「ユー・リアリー・ガット・ミー」というロック史上屈指の名曲を生み出した1960年代の3、4年間だけ熱狂的に盛り上がったあとは、売れなくともしぶとく個性的な作品を出し続け、その結果、偉大さを認められるようになった、という感じなのだと思います。

 

 さて、この「カム・ダンシング」は1983年に全米最高6位という、「ローラ」以来13年ぶりの全米トップ10入りを果たした、まさに彼らの再評価のきかっけにもなった曲でした。 

 しかし、本国イギリスでは最初は全然売れなかったそうですが、アメリカで大ヒットした後にレコード会社が再度プロモーションして、なんとか12位まであがったのだそうです。

 

 「カム・ダンシング」はイギリスBBCで1949年から1998年まで続いたダンス競技番組名で、イギリス人には馴染みの深いタイトルのようです。

 毎週土曜日にお姉さんがダンスホールに行ったことを思い出す歌ですが、曲を書いたレイ・デイヴィスには実際6人もお姉さんがいたそうです。

 「ウォータールー・サンセット」もそうでしたが、レイ・デイヴィスは自分の曲の説明をインタビューによって変える傾向があるようで、この曲も、7歳上の姉のグウェンだと言っていたり、18歳上のレネだと言ったりしていたそうです。

 特にレネは彼のなかに深く残る記憶を残していました。

 

「彼女は心臓に深刻な問題を抱えていると言われていたんだ、だけど彼女はダンスが大好きで、医者は彼女に、もし道を歩いたら心臓発作を起こすかもしれないと言っていた。彼女は、そんなに高くはないスペイン製のギターを僕の誕生日に買ってくれたんだ。二人で何曲か弾いたよ。彼女はピアノを弾いて、僕はそれに合わせようとしたんだ。すると、彼女はもう出かけなきゃと言って、僕は彼女を見送ったんだ。晴れた日の午後だった。彼女は道を歩いて行って、母は門の前に立っていた。

次の日の朝、警察から電話があった。姉はロンドンのボールルームで踊っていて、知らない人の腕の中で死んでしまったんだ」

 

「彼女は僕の最初のギターを買ってくれたんだ、それは本当に素晴らしい餞別だった。彼女が弾いていたピアノで、彼女が亡くなった日に、僕は初期のヒット曲のほとんどをその部屋で書いたんだけど。その部屋で僕は生まれたようなものなんだ」

                (NPR November 26, 2014)

 

 姉との思い出は、彼のアーティストとしての出発点と繋がっていたんですね。

 

「ウォータールー・サンセット」で出てくる橋を渡る恋人たちは、彼の姉たちを象徴しているものだとも彼は語っていて、彼女たちはレイ・デイヴィスという偉大なソングライターのインスピレーションの源でもあったのです。

 

 2008年にはレイ・デイヴィス自らが関わった「カム・ダンシング」というミュージカルが上演されていたそうです。歌の内容と同じく1950年代のダンスホールを舞台にしたものだったようです。

 

 

 最後に、「カム・ダンシング」が収録されたアルバム「ステイト・オブ・コンフュージョン」から、もうひとつの”ダンスもの”のヒット「思い出のダンス (Don't Forget to Dance)」(全米29位)。

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「カム・ダンシング (Come Dancing)」と「思い出のダンス (Don't Forget to Dance)」を収録したアルバム。

 

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