まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。(現在は不定期で更新中)古今東西のポップ・ソングのエピソード、和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ(NIche)”なものになってしまったのかもしれませんが、みなさんの毎日の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればうれしいです。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出なども絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「フリーウェイ・オブ・ラヴ(Freeway of Love)」アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)(1985)

 おはようございます。

 今日はアレサ・フランクリンの「フリーウェイ・オブ・ラヴ」です。


Aretha Franklin - Freeway Of Love (Official Music Video)

Knew you'd be a vision in white
How'd you get your pants so tight?
Don't know what you're doin'
But you must be livin' right, yeah

Oh, we got some places to see
I brought all the maps with me
So jump right in, it ain't no sin
Take a ride in my machine

City traffic movin' way too slow
Drop the pedal and go, go, go

We goin' ridin' on the freeway of love
Wind's against our backs
We goin' ridin' on the freeway of love
In my pink Cadillac
We goin' ridin' on the freeway of love
Wind's against our back
Ain't we ridin' on the freeway of love
In my pink Cadillac?

Never you mind the exit signs
We got lots of time
We can't quit 'til we get
To the other side

With the radio playin' our song
We keep rollin' along
Who knows how far our car can get
Before you think your love slowin' on down

City traffic's movin' way too slow
Drop the pedal and go, go come on now, go

We goin' ridin' on the freeway of love
Wind's against our backs
We goin' ridin' on the freeway of love
In my pink Cadillac
We goin' ridin' on the freeway of love
Wind's against our back
Ain't we ridin' on the freeway of love
In my pink Cadillac? 

Here we go,  So drop the top baby
And let's cruise on into this better than ever street

City traffic's movin' way too slow
Drop the pedal and go, go, come on baby, go, do it for me now

We goin' ridin' on the freeway of love
Wind's against our back
We goin' ridin' on the freeway of love
In my pink Cadillac
We goin' ridin' on the freeway of love
Wind's against my back
Ain't we ridin' on the freeway of love
In my pink Cadillac?
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白でキメてくるだろうって思ってたわ
そんなにタイトなパンツよくはけたわね
あなたが何やっているのか知らない
だけど、真っ当に生きてるに違いないわね

見たい場所がいくつかあるのよ
そこの地図も全部持ってきたわ
さあ乗り込んで いけないことじゃないわ
私のマシーンに乗って
都会はいつもひどい渋滞
アクセル踏んで ゴー、ゴー、ゴー

私たちは愛のフリーウェイを走ってゆくの
風を背中にうけて
私たちは愛のフリーウェイを走ってゆくの
私のピックのキャデラックで

私たちは愛のフリーウェイを走ってゆくの
風を背中にうけて
愛のフリーウェイを走っていかない?
私のピックのキャデラックで

出口のサインなんて気にしないで
私たちには時間がたくさんあるわ
あっち側に行っちゃうまで私たちは止まらないわ

ラジオから流れる私たちの曲に合わせて
ずっと進み続けるの
二人の車がどこまでいけるかなんて誰にもわからないわ
あなたが愛を減速させようと思わないうちはね

都会はいつもひどい渋滞
アクセル踏んで ゴー、ゴー、ゴー

私たちは愛のフリーウェイを走ってゆくの
風を背中にうけて
私たちは愛のフリーウェイを走ってゆくの
私のピックのキャデラックで
私たちは愛のフリーウェイを走ってゆくの
風を背中にうけて

愛のフリーウェイを走っていかない?
私のピックのキャデラックで

いくわよ 車の屋根を開けて
このいつになく最高のストリートをクルーズするのよ
都会はいつもひどい渋滞
アクセル踏んで ゴー、ゴー、ゴー

私たちは愛のフリーウェイを走ってゆくの
風を背中にうけて
私たちは愛のフリーウェイを走ってゆくの
私のピックのキャデラックで   (拙訳)

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 ナラダ・マイケル・ウォルデンの最盛期を象徴する、アレサの復活作

   アレサ・フランクリンは1960年代後半から1970年代前半にかけて素晴らしい作品を次々に残し、しかも多くを大ヒットさせ、まさに”ソウルの女王”として君臨していたわけですが、1973年の「Until You Come Back to Me (That's What I'm Gonna Do)」以降ヒットが出ないまま、1979年に長く在籍していたアトランティック・レコードとの契約が終了します。

 そして、彼女が契約したのが、このブログではおなじみのクライヴ・デイヴィスが社長をつとめるアリスタ・レコードでした。

 最初はアトランティック時代に一緒に仕事をしたアリフ・マーディンをプロデューサーに二枚アルバムを作り、そのあと、当時都会型R&Bのヒーローとして脚光を浴び始めていたルーサー・ヴァンドロスのプロデュースにより二枚のアルバムを作り、R&Bチャートではヒットを記録しました。

 

ルーサーのスタイルで、 1982年R&Bチャート1位になった「JUMP TO IT」


Aretha Franklin - Jump To It (1982) SIngle Version

 この時期の彼女はアーティスト活動に完全には専念できない状態でした。病気の父親の看病で頻繁に故郷に戻っていたのです。そして、看病のかいなく父親が亡くなると、彼女はしばらく何も手につかない状況になりしたが、ゆっくり気持ちを持ち直すとあらためてアーティスト活動を再開しようと決意します。

 そして、彼女の再起作のプロデューサーに、クライヴ・デイヴィスが起用したのがナラダ・マイケル・ウォルデンです。

 1980年代を代表するヒット・プロデューサーとして多くの洋楽ファンには記憶されていますが、彼はもともとジミ・ヘンドリックスのドラマーになることを夢見て腕を磨いたというスーパー・セッション・ドラマーだったんですね。マハビシュヌ・オーケストラなどのジャズ・フュージョンの作品、そして、ロックでもジェフ・ベックの名盤「ワイアード」でのドラム・プレイは有名です。

 そんな彼は1970年代終わりにプロデューサー業を始め、その中に13歳でデビューしたシンガー、ステイシー・ラティソウもいました。そして、ナラダがプロデュースした彼女の「Let Me Be Your Angel」という曲を聴いて気に入り、彼に連絡してきたのがクライヴ・デイヴィスでした。


Stacy Lattisaw - Let Me Be Your Angel

 そして、クライヴは最初に女性R&Bシンガー、アンジェラ・ボフィル、そしてフィリス・ハイマンのアルバムのプロデュースを彼に任せます。

 1983年R&Bチャート6位、ポップチャート40位 アンジェラ・ボフィルToo Tough」


Angela Bofill - Too Tough

 そして、クライヴはナラダに”アレサのプロデュースをやらないか?”と持ちかけ彼は快諾したそうです。

 この「フリーウェイ・オブ・ラヴ」はかなり前に彼がピアノで作った曲だったそうです。そして、歌詞は彼の曲の歌詞を多く書いている相棒ジェフリー・コーエンが書いています。

 あるときナラダが他の作家と一緒にアレサ用に曲を書いているとき、その作家が「フリーウェイ・オブ・ラヴ」をアレサに提案したらどうか?と言ってきたそうです。

 ちなみに、この曲の作業をやっているときに、アリスタからホイットニー・ヒューストンという新人の曲を1曲やらないかと言われていたらしいです。アレサに集中したかった彼は断ろうとしたそうですが、結局向こうが送ってきたデモを聴き、彼が曲を修正してやってみることにしました。

 それが「恋は手さぐり(How Will I Know)」。


Whitney Houston - How Will I Know (Official Video)

 ということで、この2曲は実は並行して同じようなメンバーでレコーディングされたそうです。

 この2曲でナラダは一躍大ヒット・プロデューサーに座につきます。

 そして、アレサにとっては「フリーウェイ・オブ・ラヴ」は12年ぶりのシングル・ヒットになりました。

 ソウルの女王へのリスペクトから、それまで関わったプロデューサーは思い切ったイメージ・チェンジはできまかったのかもしれませんが、この曲で”ポップに振り切る”ことで彼女は見事カムバックしたわけです。

 僕が興味深く思うのは、この曲がモータウン・ビートであること。アレサの全盛期、彼女の所属するアトランティックとライバル関係だったのがモータウンでした。アトランティックは黒人音楽のルーツを尊重するレーベル、モータウンが白人に売れる音楽を目指したところで、全く対照的でした(お互いのレパートリーをカバーすることはよくありましたが)。

 ナラダはもともとデトロイトに近いエリアで育ったらしく、モータウンのビートが体に入っていたのかもしれません。

Freeway Of Love

Freeway Of Love

  • RCA Records Label
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