まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「サーフ・シティ(Surf City)」ジャン&ディーン(1963)

 おはようございます。

 今日はジャン&ディーンの「サーフ・シティ」です。

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Two girls for every boy
I bought a '30 Ford wagon and we call it a woodie
(Surf City, here we come)
You know it's not very cherry, it's an oldie but a goody
(Surf City, here we come)
Well, it ain't got a back seat or a rear window
But it still gets me where I wanna go
And we're goin' to Surf City, cause it's two to one
You know we're goin' to Surf City, gonna have some fun
Ya, we're goin' to Surf City, cause it's two to one
You know we're goin' to Surf City, gonna have some fun, now
Two girls for every boy

You see they never roll the streets up cause there's always somethin' goin'
(Surf City, here we come)
You know they're either out surfin' or they got a party growin'
(Surf City, here we come)
Well, with two swingin' honeys for every guy
And all you gotta do is just wink your eye
Ya, we're goin' to Surf City, cause it's two to one
You know we're goin' to Surf City, gonna have some fun
Ya, we're goin' to Surf City, cause it's two to one
Ya, we're goin' to Surf City, gonna have some fun, now
Two girls for every boy

And if my woody breaks down on me somewhere on the surf route
(Surf City, here we come)
I'll strap my board to my back and hitch a ride in my wetsuit
(Surf City, here we come)
And when I get to Surf City I'll be shootin' the curl
And checkin' out the parties for a surfer girl
And we're goin' to Surf City, cause it's two to one
You know we're goin' to Surf City, gonna have some fun
Ya, we're goin' to Surf City, cause it's two to one
Ya, we're goin' to Surf City, gonna have some fun, now
Two girls for every
Two girls for every boy

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男の子1人につき女の子が2人
30年型フォードのワゴンを買って、僕らはそれをウッディと呼んでいる。
(サーフ・シティにやってきた)
新車じゃなくて古いけどいいやつなんだ
(サーフ・シティにやってきた)
後部座席もリア・ウィンドウもないけど
でも、行きたいところに連れて行ってくれる
サーフシティに行こうぜ 、2対1だから
サーフシティに行って 楽しもうぜ
サーフシティに行こうぜ 、2対1だから
サーフシティに行って 楽しもうぜ
男の子1人につき女の子が2人

やつらが通りで見かけることないさ
いつだって何かやっているから
(サーフ・シティにやってきた)
サーフィンをしているか パーティーやってるかどっちかさ
(サーフ・シティにやってきた)
男には全員スウィンギング・ハニーが二人ついている
君はただウィンクするだけでいいのさ
サーフシティに行こうぜ 2対1だから
サーフシティに行って 楽しもうぜ
サーフシティに行こうぜ 2対1だから
サーフシティに行って 楽しもう
男の子1人につき女の子が2人

サーフ・ルートのどこかで俺のウッディが壊れたら
(サーフ・シティにやってきた)
背中にボードをしばって ウェットスーツでヒッチハイクするさ
(サーフ・シティにやってきた)
サーフシティに着いたら、波の内側を攻めるよ
サーファー・ガールたちのパーティをチェックして
僕たちはサーフシティに行く、だって2対1だもの
サーフシティに行って 楽しもうぜ
サーフシティに行こうぜ 2対1だから
サーフシティに行こうぜ 楽しもうぜ
それぞれに女の子が2人
男の子1人につき女の子2人

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 サーフ・シティとは架空のサーフ・スポットでしょうか。そこは男一人につき女の子が2人いるらしいから行こうよ!という、今の時代の目線で見たら、なんとも屈託のない歌ですよね。 

 

 ジャン&ディーンは、ジャン・ベリーとディーン・トーレンスの二人組で、ロサンゼルスの同じ中学、高校のフットボール・チームの仲間でした。

 彼らは高校のタレント・コンテストに参加するために、「ザ・バロンズ」というドゥーワップ・グループを結成し歌いはじめます。

 その後、ジャン、ディーンにアーニー・ギンズバーグの3人で活動を続けますが、1958年、ディーンがアメリカ陸軍予備役に召集されたため、ジャンとアーニーで”ジャン&アーニー”というデュオを組みます。そして売り込みが成功し、彼らはレコード・デビューを果たし、デビュー曲の「ジェニー・リー」はいきなり全米8位の大ヒットになりました。

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 しかし、しばらくしてアーニーが脱退し、そこに兵役を終えたディーンが戻って来たため、ジャンとディーンの二人であらためてデュオを組むことになります。

 そこに手を貸したのが、ハーブ・アルパートとルー・アドラーでした。ハーブはのちにトランペット奏者として、そしてA&Mレコードのトップとして大成功をおさめますし、ルーはキャロル・キング「つづれおり」をはじめとして数々の名作のプロデューサーとして名を残しています。

 彼らがプロデュースしたジャン&ディーンの「Baby Talk」は1959年に全米10位の第1になりました。

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 その後の3年あまり、彼らはなかなか大ヒットを出せずにいました。そこで出会ったのがビーチ・ボーイズでした。彼らは「サーフィン」という曲でデビューしたばかりでしたが、西海岸では人気が急上昇していました。

  ビーチ・ボーイズが彼らのバックで演奏したことが始まりのようです。そして彼らの音楽スタイルを見て、ジャンとディーンは自分たちも同じようなものをやってみようと思ったようです。

 そして、あるパーティーブライアン・ウィルソンは彼らに「サーフィンU.S.A」を歌って聴かせたそうで、彼らは是非自分たちで歌いたいと思ったそうですが、ブライアンはこれはビーチ・ボーイズ用だからと断ったそうです。

 そして、似たようなものがある、といって彼らに聴かせたのがこの「サーフ・シティ」だったようです。

 

 ディーンはこう回想しています。

「Surf City」はブライアンが僕らにほとんどくれたんだ。基本的な構成はできていたけど、歌詞は半分くらいしかなかった。だけど、ブライアンはこの曲に興味を失ってしまっていた。彼は、ビーチボーイズのために完成させたいと考えていた「Surfin' U.S.A.」に集中していたんだ。そこで彼は「Surf City」を僕たちに渡したんだけど、僕たちはこの曲の良さに気づいたよ。僕たちは歌詞に手を加え、ジャンは最高のインストゥルメンタル・トラックを作ることに全力を注いだよ」

      (Rolling Stone  APRIL 2, 2004)

 

 「サーフィンU.S.A」に発売日に、ジャン&ディーンは、アルバム用にビーチ・ボーイズの「サーフィン」と「サーフィン・サファリ」をビーチ・ボーイズをバックに録音しています。

  そして、この「サーフ・シティ」をハル・ブレイン、グレン・キャンベル、アール・パーマーなど”レッキング・クルー”の面々を集めレコーディングし、見事全米1位に輝きます。サーフ・ソングとして初めて全米1位になった曲がこの「サーフ・シティ」でした。

 その後、ブライアン・ウィルソンが共作した『ドラッグ・シティ』(全米10位)、『デッドマンズ・カーブ』(全米8位)などが大ヒットをし、彼らはビーチ・ボーイズとともにサーフ・ミュージックの二大看板となっていきました。

 「サーフ・シティ」に次ぐ彼らの大ヒット曲は『パサディナのおばあちゃん(The Little Old Lady (from Pasadena))』です。

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 パサディナから来たちっちゃなおばあちゃんは、スピード狂でワイルドな運転をして”コロラド大通りの恐怖”と呼ばれている、そんな歌です。

 

 ジャン&ディーンの一連のヒット曲を共作し、プロデュースしていたのはジャン・ベリーでした。デュオといっても、音楽的な主導権は完全にジャンの方にあったんですね。そして、ブライアンとの共同作業でお互いを高め合っていったという側面もあったようです。

 この「サーフ・シティ」のアレンジも彼の仕事でした(また、この曲のヴォーカルはジャンとブライアンが歌っていて、ディーンのヴォーカルは入っていないという話もあります)。

 そのジャンは1966年4月、ビバリーヒルズで愛車で駐車中のトラックに追突。救急隊員が即死と間違うほどの大怪我を負い、2ヶ月以上昏睡状態となり、活動の停止を余儀なくされます。その後、復帰しますが後遺症があったようで、そのことが彼らの活動に大きなブレーキとなったのは間違いないでしょう。

 しかし、彼らは2004年にジャンが亡くなるまで、精力的にとは言えませんが、マイペースで活動を続けました。

 

 ビーチ・ボーイズと同じように、彼らもサーフィンものと合わせてカーレースもの(ホット・ロッド)もやっていました。最後に、その代表曲「デッド・マンズ・カーヴ」を。

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サーフ・シティ

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