まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ウーマン(Woman)」ジョン・レノン(1980)

 おはようございます。

 今日はジョン・レノンの「ウーマン」です。


Woman - John Lennon (official music video HD)

 

 ” (この空の半分を占める女性たちへ)

 

  女性よ  うまく表現できない

  浅はかな僕の混乱した想いは

  結局のところ、永遠にあなたに借りがあるんだ

   

  そして女性よ なんとか表してみるよ

  胸の奥にある想いと感謝の気持ちを

  成功の本当の意味を僕に教えてくれたのだから

 

  女性よ あなたはわかっているね

  男の中には小さな子供がいることを

  僕の人生はあなたの手にあることをどうか忘れないで

 

  そして女性よ あなたの心に近づけるほど抱きしめてほしい

  どれほど距離があっても 離れ離れにならないように

     つまりは  まるであらかじめ星に記されていたような 運命なんだ

   

  女性よ  どうか説明させて欲しい

  あなたを悲しめたり傷つけるつもりなんて絶対ないことを

  だから何度も何度も僕に言わせてほしい

  愛している、永遠に 愛している、永遠に、、、 ”(拙訳)

 

*******************************

 

 バミューダにいた天気のいいある午後に、ふいに浮かんだんだ。女性がぼくらのためにしてくれることが身に沁みた。ヨーコがぼくのためにしてくれていることだけじゃなくね。まあバミューダで考えていたのは個人的な意味合いではあったんだけど、あそこで突然ハッとしたのは、自分が当たり前だと思っていたすべてのことについてだった。この曲の頭でぼくがささやいているように、女性というのはまさに空の半分を占めている存在だ。その考えが洪水のようにぼくに押し寄せて、それを表現した。ビートルズの曲を思わせるサウンドだけど、わざとじゃない。大昔に「ガール」をやったときみたいにやったんだ。だからこの曲は「ガール」の大人版だ。」

(「メイキング・オブ・ダブル・ファンタジー ジョン・レノン最後のメッセージ」」

 

  昨日このブログでピックアップした「夢の夢(#9 Dream)」が収録されているアルバム「心の壁、愛の橋」をリリースした翌年、息子のショーンが生まれたことで彼が5歳になるまではずっと一緒に過ごすと決めたジョンは、あえて音楽の世界から遠ざかっていました。

 そして、ショーンが5歳になる1980年、ふたりでバミューダに滞在していた時(オノ・ヨーコはニューヨークにいました)に、彼にふと曲のインスピレーションが湧いて、久しぶりに楽曲を制作しようということになり生まれたのがアルバム「ダブル・ファンタジー」でした。そしてアルバムに収録されていてシングルにもなったこの「ウーマン」もバミューダで着想されたものだったのです。

 

 さて、僕がまずこの曲で気になったのは冒頭のナレーション、

”For the other half of the sky”という言葉です。上記のインタビューで「女性というのはまさに空の半分を占めている存在だ」と彼は語っていましたので、僕は「この空の半分を占める女性たちへ」と訳しましたが、空の半分?とその言い回しに少ししっくりこない感じがありました。

 

 調べてみると、これは毛沢東「婦女能頂半辺天(天の半分は女性が支える)」という言葉からきていて、英語では「women hold up half the sky」と訳されているそうです。男女平等を唱える時に引用される機会の多い有名な言葉のようです。

 しかしこれは、中国の文化大革命の際に毛沢東が女性の社会進出を促進するために発した言葉らしく、人道的な男女平等を訴えるものというよりは、女性にもっと社会的労働に参加させ国力を上げようということが意図されていたものだったようです。

 ごく最近では、先月アメリカ民主党の大統領候補バイデン氏が、副大統領候補に女性のカマラ・ハリス氏を選んだ理由を説明する際に、この”women hold up half the sky”を引用したそうで、その引用元が中国の毛沢東だったことから一部物議を醸したようです。

 当然、ジョンにはこの言葉が本来政治的なものだという意識はなく、バミューダの空を見上げて、穏やかな心境の中で女性のことを純粋に思ったのでしょう(あくまでも推測ですが、、)。

 

 話がそれてしまいましたが、ジョンの言うSkyの大元は”空”ではなく”天”だったわけです。

 ”天”はただ”見上げる空”の意味じゃなく、神様と意味が重なっているものだということは日本人にも理解できると思います。

 毛沢東の言葉は、神様が与えてくださったこの世界の半分は女性が支えている、ということなのかもしれません。

  Skyにも”天国”のニュアンスもありますから、英語圏の人にも単に”見上げた空の半分”という文字通りの意味では受け取っていないのかもしれません。

 天をSkyと訳し、今度はSkyを空と訳したなかで、それぞれの言葉が微妙に違うことから、僕の感じた違和感が生じたのかもしれません。

 

  個人的な愛情ではなく、女性全体へのリスペクトと感謝、というのはなかなか歌にできないですし、ともすれな嘘臭くなったり卑屈なものになったりしそうです。「ウーマン」みたいな曲は他の誰もかけないと思いますし、この時のジョン・レノンの作品から感じる精神的な平穏さと純度の高さには、他のどのアーティストもたどりついたことのないもののように僕には思えます。

 

 最後にジョンが「ウーマン」との比較で引き合いに出した、ビートルズの「ガール」を。こちらは女の子に翻弄される悩める男子の歌です。


Girl (Remastered 2009)

 

f:id:KatsumiHori:20220314192936j:plain



「夢の夢(#9 Dream)」ジョン・レノン(1974)

 おはようございます。

 今日はジョン・レノンの「夢の夢」です。


#9 Dream - John Lennon with The Plastic Ono Nuclear Band (official music video HD)

So long ago
Was it in a dream?
Was it just a dream?
I know, yes I know
It seemed so very real
Seemed so real to me

Took a walk down the street
Through the heat whispered trees
I thought I could hear
Hear  Hear  Hear

Somebody call out my name (John)
As it started to rain
Two spirits dancing so strange
Ah! Bowakawa, pousse pousse
Ah! Bowakawa, pousse pousse
Ah! Bowakawa, pousse pousse

Dream, dream away
Magic in the air
Was magic in the air?
I believe, yes I believe
More I cannot say
What more can I say?

On a river of sound
Through the mirror go round, round
I thought I could feel
Feel  Feel  Feel
Music touching my soul
Something warm, sudden cold
The spirit dance was unfolding


Ah! Bowakawa, pousse pousse
Ah! Bowakawa, pousse pousse
*******************************************************

  ”ずいぶん前のこと

   夢の中のことだったのか?   あれはただの夢だったのか?

   いや、よくわかってるよ

   ものすごくリアルだった  僕にはほんとにリアルに思えたんだ

 

  僕は通りを歩いていた

  熱気をまとった木々のざわめきを通して

  何か聞こえると思った 聞こえると、、、

 

  雨が降り出すと同時に

  誰かが僕の名前を呼んだ

  二つの魂が奇妙なダンスを踊っていた

 

        Ah! Bowakawa, pousse pousse、、、

 

  夢、夢のように過ぎる

  空中の魔法 それは空中の魔法だったのか?

     いや 信じているんだ

        これ以上は言えない これ以上何が言える?

 

  音の川の上で 鏡を通り抜けて 輪を描いてゆく

  その時何か感じると思ったんだ 感じると、、、

  音楽が僕の魂に触れる あたたかく 突然つめたくなって

  魂のダンスが広がってゆく

 

        Ah! Bowakawa, pousse pousse、、、

****************************************************

 

 ”9番目の夢”。どうして9番目なのか、特に意味はないようです。

 ただ、ジョン・レノンは10月9日生まれであることから、9を”自分の番号のように思っているから、それにこだわっていたようです。

     この曲が収録されているアルバム「心の壁、愛の橋(Walls and Bridges)のジャケットに、サッカーをしている絵があって、ジョン自身が11歳の時に書いたもののようですが、その選手の背番号も9になっています。

 ちなみにこの絵は、もともと彼がフィル・スペクターと一緒に作った「ロックンロール」用に使うつもりだったのが頓挫してしまったので、急遽「心の壁、愛の橋」で使うことになったそうで、この絵と「#9ドリーム」が”9つながり”になったのは偶然だったそうです。

f:id:KatsumiHori:20201006143811j:plain

 ビートルズの「レボリューション9」 の9も、その彼の”こだわり”が反映されたものでした。


Revolution 9 (Remastered 2009)

 不思議なことにこの曲は、全米チャートでは最高9位だったそうです。

 

(付け加えると息子のショーンも10月9日生まれなのだそうです)

 

 この曲については、自分が実際に見た夢をベースにインスピレーションなしにただ職人的に次々へと書いていったと本人は語っています。

 

 そして、この曲には”夢”を思わせるサウンド的な演出がなされていて、とても効果的なのですが、それを担当したエンジニアがジミー・アイオヴァインです。

 彼は、その後ブルース・スプリングスティーンU2などを手がけたあと、レコード会社を立ち上げエミネムレディ・ガガなどを世に送り出し、最近ではアップル・ミュージックのアドバイザーもやるなど、アメリカ音楽界屈指の”大物”になっています。

 

 

 ちなみに「#9Dream」という曲にはもともとのタイトルが「Walls and Bridges」で、曲名が「#9Dream」に変更したけれど、「Walls and Bridges」という言葉が気に入っていたので、他の曲にハメてみようとしてうまくいかず、結局アルバムのタイトルにしたとのことです。

 で、「Walls and Bridges」とはどういう意味なのかと言う質問に対して彼はただ

「僕にもよくわからないんだけどね。音の響きがいいものが気になるんだよ」

                  (「ジョン・レノン 音楽と思想を語る」)

 と答えています。

 

 そして、この曲を聴いた誰もが気になる

 ”Ah! Bowakawa, pousse pousse” というフレーズですが、ジョンは「ゲール語のようなもの」と語っていて、特に意味のない架空の外国語ように聴こえるものとして思い浮かんだもののようです。

 

 ビートルズの中では、彼が一番”感覚的”なのかもしれませんね。

 

  最後にR.E.Mのカバーを。


#9 Dream

 

心の壁、愛の橋

心の壁、愛の橋

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「マサチューセッツ(Massachusetts)」ビー・ジーズ(1967)

 おはようございます。

 今日はビー・ジーズの「マサチューセッツ」です。


Massachussetts

Feel I'm goin' back to Massachusetts
Something's telling me I must go home
And the lights all went out in Massachusetts
The day I left her standing on her own

Tried to hitch a ride to San Francisco
Gotta do the things I wanna do
And the lights all went out in Massachusetts
They brought me back to see my way with you

Talk about the life in Massachusetts
Speak about the people I have seen
And the lights all went out in Massachusetts
And Massachusetts is one place I have seen

I will remember Massachusetts

 

************************************************

 

 マサチューセッツに戻りたくなった

   家に帰るんだと僕に言う声がするんだ

   マサチューセッツの灯りが全部消えてしまった

   僕が彼女を一人残していったあの日  

 

   サンフランシスコまでヒッチハイクしようとした

   自分のやりたいようにやりたかったから

   マサチューセッツの灯りは全部消えてしまった

   君と一緒だったころに僕を連れ戻すんだ

 

   マサチューセッツでの暮らしについて話すよ

   僕が出会った人々のこともね

   マサチューセッツの灯りは全部消えてしまった

   マサチューセッツこそが僕の知るたったひとつの場所

 

   僕はこれからもマサチューセッツのことを思うだろう  ”(拙訳)

      

**********************************************************************

 彼らのウェブサイトにはこの「マサチューセッツ」についてこういう記述があります。

 

ビージーズにとって初めての全英1位は、もともと自分たちのためではなく、シーカーズのヒット曲を書きたいというギブ兄弟の夢を叶えるために作られたものだった。バンドはロンドンに到着したときにこの曲をシーカーズに渡すことができなかったので、最終的に自分たちでレコーディングすることにした。

 彼らは自分たちのチャレンジとして、ニューヨークの港でボートに乗っている間にこのシングルを書いたという。ロビン・ギブは『The Art of Noise』の著者ダニエル・レイチェルに、自分たちにとって良い練習になったと説明している。彼らはこれまでマサチューセッツに行ったことがなかった。マサチューセッツ州の名前には「S」が多く含まれていて、それが曲のタイトルをめずらしいものにした」

                   (Behind the Track)

 

 シーカーズはビージーズと同じオーストラリア出身のグループ。この「マサチューセッツ」と同じ1967年に「ジョージー・ガール」という全米2位まで上がる大ヒットをリリースしています。 

www.youtube.com

 

 さて、マサチューセッツはご存知の通り、ボストンを州都とするアメリカ北東部の州の名前なんですが、実はこの曲、アメリカ以外の国のほうが大ヒットしているんですね。

 「サンフランシスコまでヒッチハイクしようとした。 自分のやりたいようにやりたかったから」という、ヒッピー文化の聖地サンフランシスコへ各地から若者が集まったという当時のアメリカの世相を反映させた歌詞まで入れているのに、、です。その歌詞とは関連のない他の国の方が盛り上がったんです。

 

 全米チャートでは最高11位、しかし、イギリス、ドイツ、スウェーデンオーストリア、オランダ、ノルウェイニュージーランド南アフリカなどで1位、カナダ、オーストラリア、デンマークアイルランド、スイスなどで2位、フランスで4位、イタリアで5位という風に世界中で大ヒットしました。

 

 そして、それより僕がびっくりしたのは、この曲が日本でもビー・ジーズの最大のヒットになっていたということです。

 オリコンではじめて1位になった洋楽曲がこの「マサチューセッツ」だったそうです。2位が伊東ゆかり、3位が小川知子という、その頃の歌謡曲の人気女性歌手を押しのけてのトップでした。

 

 日本でのシングル売り上げ総数は51万7千枚といいますから本当に大ヒットです。ビー・ジーズの日本での最大のヒットは、当時社会現象にまでなった「小さな恋のメロディ」(「メロディ・フェア」と「若葉のころ」の両A面)(45万4千枚)でも「恋のナイトフィーバー」(37万枚)でもなかったんです。

  

 「マサチューセッツ」がどうして日本でヒットしたのか、何がきっかけでどんな風にして日本中に広まったのか興味があるのですが、ネットではそれがわかる記述が見つかりませんでした。もし何かご存知の方はぜひ教えてください!

 

 

 さて、流行歌、ポピュラー・ミュージックの世界では、特定の地名を入れたほうが、それが”とっかかり”になって説得力が増すということがよくあります。

 (演歌のご当地ソング(「函館の女」「長崎は今日も雨だった」、、)もそれがあてはまるのかもしれません)

  それは、単にキャッチーな曲だけじゃなく、情感に訴えるバラードでもそれはあてはまるようです。

 グレン・キャンベルの「恋はフェニックス」もそのいい例でしょう。フェニックスにもオクラホマにも行ったことはない人でも、抵抗なく共感できるわけです。

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 この「マサチューセッツ」も歌詞を読むと、普遍的な”望郷の歌”だとわかります。でもたとえば、マサチューセッツのところの歌詞を、”マイ・ホ〜ム・タウン”とかにしてしまうと、イメージが漠然としてしまって、掴みどころがなくなってしまう気もします。 

  かといって具体的な地名ならどこでもいいかと行ったら、そうでもなさそうな気もします。

 マサチューセッツは文字上でSが多くてめずらしいタイトルだった、とビー・ジーズのウェブにもありましたし、何か引っかかる感じは必要なんでしょう。逆に突飛すぎても、曲の情感を妨げる気もしますし。また、狙いすぎてもいけないようにも思います。

 ここはもう、インスピレーションなんでしょうね、、。

 

マサチューセッツ」が収録されたビー・ジーズのセカンド・アルバム

ビー・ジーズの決定版ベスト・アルバム

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「恋のときめき(I Just Want to Be Your Everything)」アンディ・ギブ(1977)

 おはようございます。

 今日はアンディ・ギブの「恋のときめき」です。


I Just Want To Be Your Everything

 "もう長い間

  君も僕もおたがいに気づき始めてから ずいぶん長くたつね

  君への思いはますます強くなっているんだ、ガール

  信じていいんだよ   君が求めているより少しだけ愛をくれたら

  君の愛が鍵を開けるだろう

 

   僕のダーリン そのワインのような唇を僕はいつまでも待ち焦がれるんだ

   僕の作った世界で君を取り囲んで この愛は輝くんだ、ガール

   よく見て確かめるんだ

   君が求めているより少しだけ愛をくれたら

   君の愛が鍵を開けるから

 

 僕はただ君の全てが欲しいんだ

    君の心の中の幸せな場所を開いて

 僕のことを 僕にとっての君と同じような存在にしてほしい

    糸につながれた操り人形なんかじゃなくて

    もしここに君がいなかったら 僕は死んでしまうよ

 僕がもたらす愛の中で横たわってほしいんだ

 君のすべてになるためなら 僕はなんだってやる    ” (和訳)

 

*************************

For so long
You and me been finding each other for so long
And the feeling that I feel for you is more than strong, girl
Take it from me
If you give a little more than you're asking for
Your love will turn the key

Darling, mine
I would wait forever for those lips of wine
Build my world around you, Darling
This love will shine, girl
Watch it and see
If you give a little more then you're asking for
Your love will turn the key

I, I just want to be your everything
Open up the Heaven in your heart and let me be
The things you are to me and not some puppet on a string
Oh, if I stay here without you, Darling, I will die
I want you laying in the love I have to bring
I'd do anything to be your everything

Darling, for so long
You and me been finding each other for so long
And the feeling that I feel for you is more then strong, girl
Take it from me
If you give a little more then you're asking for
Your love will turn the key

I, I just want to be your everything
Open up the heaven in your heart and let me be
The things you are to me and not some puppet on a string
Oh, if I stay here without you, Darling, I will die
I want you laying in the love I have to bring
I'd do anything to be your everything
*****************************

 

 アンディ・ギブは、ビー・ジーズ”のバリー、ロビン、モーリスの三兄弟の末弟で、この「恋のときめき」を書いた長兄バリーのひとまわり下で、この時まだ19歳でした。

 彼は1988年にわずか30歳の若さで病気で亡くなってしまいましたが、1970年代後半の彼の人気ぶりはすさまじいものでした。

 ビー・ジーズの「サタデー・ナイト・フィーバー」の大ブームと並行するようにNO.1ヒットを連発し、この頃のギブ兄弟は間違いなく”音楽界最強”だったと思います。

 

 

 ギブ一家はイギリス出身ですが、父親の仕事の関係でオーストラリアに移住したので、ビー・ジーズはオーストラリアでデビューし、アンディはオーストラリアで生まれています。

 しかし、ビー・ジーズがメジャー契約を得たタイミングで、彼らだけでなく、まだ8歳だったアンディも家族と一緒にイギリスに戻っています。

 

 お兄さん達の影響が強かったのでしょう、アンディも音楽活動を始めたのですが、最初のバンド名がビー・ジーズの曲名をもじった”メロディ・フェア(Melody Fayre。FayerはFairの古い表記)”というものだったそうです。

 

 また、お兄さん達は、自分たちが成功したことにオーストラリアでの活動が大きく役立ったという経験から、アンディにオーストラリアに行くことを進めたそうで、実際彼はオーストラリアでまずデビューしています。


Andy Gibb=Words & Music 1975

 アンディ自ら書いた「Words and Music」という曲で、のちに彼のデビュー・アルバムにも収録されますが、1960年代のビー・ジーズを彷彿させるような曲調ですね。

 ”ディスコ期”のビー・ジーズと歩調を合わせて成功した彼ですが、本来”ソフト・ロック期”のビー・ジーズの影響が大きかったのかもしれませんね。

 

 アンディのデモ音源を聞いた、ビー・ジーズのマネージャーでレーベルの社長のロバート・スティグウッドが彼を契約することに決め、彼は兄のバリーと一緒にバミューダで曲の制作に入りました。

 実は、スティグウッドは当時バミューダに広大な邸宅を持っていて、ビー・ジーズのメンバーが滞在しよくそこで曲を作っていたそうで、「ステイン・アライヴ」など「サタデー・ナイト・フィーバー」の曲もほとんどそこで作られていたのです。

 それに加えて、アンディはこの頃ちょうど結婚したばかりで、バミューダは新婚旅行をかねていたようで、曲制作以外は奥さんとずっと出かけていたそうです。

 

 バリーとアンディはベッドルームに閉じこもって一緒に曲を書くはずだったそうですが、バリーは書き始めると一気に書いてしまうそうで、この「恋のときめき」はアンディが口出しする間もなく20分ほどでバリー一人で作ってしまったそうです。

 

 ちなみにこの時にアンディのセカンド・シングル「愛の面影(Love Is Thicker Than Water)」も書いていて、こちらはバリーとアンディの共作になっていますが、実はやはりバリーが一気に書いたものらしく、”Love Is Thicker Than Water”というタイトルになるフレーズだけアンディが考えたのだそうです。

 

 ともかく、「恋のときめき」は全米NO.1になっただけではなく16週連続トップ10入りという当時の記録を作るほどのロング・ヒットになりました。そして、同じ年にその記録を抜いて17週連続を達成したのがビー・ジーズの「愛はきらめきの中に」でした。

 

 そして「愛はきらめきの中に」が3週トップを続けた3週間後に「ステイン・アライヴ」が4週トップを続け、それを蹴落として2週トップになったのがアンディの「愛の面影」、そこから首位を奪い8週トップを続けたのが「恋のナイト・フィーバー」でした。そして「恋のナイト・フィーバー」からトップを奪ったのがイヴォンヌ・エリマンの「If I Can't Have You」。映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の曲でこれもバリー・ギブの作品だったのです。

 この年は他にアンディの「シャドウ・ダンシング」、フランキー・ヴァリの「グリース」もNO.1になっていますから、この時期のバリー・ギブはまさに神がかっていたように思います。

 

  最後にアンディがビー・ジーズの「Words」を歌っている動画を。これを見ると、彼は本当にバリーに憧れていたんだろうなあと思います。


Andy Gibb Words

 

 

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「ドント・テイク・ユア・タイム(Don't Take Your Time)」ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ(1968)

 おはようございます。

 今日はロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズの「ドント・テイク・ユア・タイム」です。


Don't Take Your Time

 

 ”やらなくっちゃいけないことはわかっている

  君が僕を好きになる方法を見つけること

  それで、何をすればいいかもわかっているよ

 

 君が自分の偽りに気づいて僕を愛してくれるなら

 そのことを絶対に知らせてほしい

 僕はここで待っているから

 

 二人の出会いがどんなに遅かったとしても

 君を思う気持ちだけに集中するって決めたんだ

 

 待ちきれないんだ だからどうか

 もう時間をかけないで

 

 さあ、愛を発見するにはぴったりな夜さ

 僕の隣にいるのは君かもしれないよ

 

 僕たちにはやることがたくさんある

 二人っきりで時を過ごそう

 やるべきことが何かを知るために

 愛を永遠に続くものにするために

 

 これはやっちゃだめとか言わないで

 これ以上待てないよ どうか もう時間をかけないで  ”(拙訳)

 

**********************

I know what I have got to do
Got to find a way to make you love me
And I know just what to do

If ever you find your fake and love me
Don't fail to let me know
I'll be waiting here

No matter how late the time when we met
You know I made up my mind to concentrate
On just feeling a lot to you

I can hardly wait so now please
Don't take your time

Now the night is right to discover love
Can it be it's you here beside me

Now we got a lot to do
Got to spend some time alone together
To learn what we ought to do
To make love a thing that lasts forever

Don't tell me what not to do
I can hardly wait so now please
Don't take your time

*************************

 

  カーペンターズの「愛のプレリュード」、「雨の日と月曜日は」、「愛は夢の中に」などを作曲したロジャー・ニコルズが売れっ子作曲家になる以前にアーティストとして組んでいたグループが、このロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズです。

  ロジャー以外のメンバーは、彼の高校時代からの友人マレイ・マクリオードと妹のメリンダで、当初は”ロジャー・ニコルズ・トリオ”と名乗っていました。

 そして、彼らはプロデューサーのトミー・リピューマと出会いA&Mからメジャーデビューを果たします。

 <*トミー・リピューマは1970年代にジョージ・ベンソン「ブリージン」、マイケル・フランクス「アントニオの歌」など、ジャズ・フュージョンとポップスをクロスオーバーさせた、都会的で洗練された作品を数多く手がけ、日本でもファンの多いプロデューサーです>

 

   1966年にロジャー・ニコルズ・トリオ名義で「Don't Go Breaking My Heart」(バカラック&デイヴィッド作)のシングルが制作されていますが、これはプロモーション・オンリーだったようで、最初の公式リリースは1977年「Love Song,Love Song」という曲だったようです。


Love Song, Love Song - Roger Nichols Trio

 

 

 グループ名をロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズに変えて制作されたアルバムは、トミーのプロデュースで、ニック・デカロやマーティ・ペイチなどがアレンジし、フィル・スペクターを支えたラリー・レヴィンがエンジニアの一人に名前を連ねているなど、メンツだけでも素晴らしいのですが、実際の出来上がりは”その想定”をはるかに超えるものになりました。

 

 しかし、セールス的には全く振るわず、彼らはこのアルバム一枚を残して解散し、ロジャーは作曲家に専念することになりました。

 日本では国内盤すら発売されなかったので、全く誰にも知られていない存在でした。

ただ、細野晴臣加藤和彦リアルタイムで輸入盤を購入していたらしく、たぶん細野が大瀧詠一に教え、大瀧が自身のラジオ番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」で紹介したのを小西康陽が聴き、といった風に伝わっていき、このアルバムは静かに”伝説”となっていきました。

 

 そして、日本でこのアルバムが世界で初めてCD化されたのが1987年でした。僕はたまたまCDを発売していたレコード会社に知り合いがいて、本当にすごくいいからと言われたので買って聴いてみてたところ、ほんとに良くて夢中になったことを今でも覚えています。

 ”隠れた名盤”と呼ばれるものの多くは、やはりどこかポップさや親しみやすさが欠けていて”隠れてしまった理由”(?)がなにかしら思い当たるものですが、こんなにポップでわかりやすいアルバムが長い間埋もれてしまっていたことにも驚きました。

 

 でも、いまあらためて聴くと、アメリカの市場で戦うにはもっと強い何かが必要だったのだろうなと思いもしますが、そういう洗練されて儚(はかな)げなスタイルはまさに日本人好み、

 ひょっとしたら

 「未来の日本人のために作られる運命だったアルバムなのではないか」

 なんていう、極端な思いまで僕は持ってしまっています。

 

 

 さて、この「ドント・テイク・ユア・タイム」はアルバムのオープニング、この曲に魅かれるかどうかが、このアルバムにどハマりするかどうかの試金石、そんな曲です。

 

 作曲はロジャー本人ですが、アレンジはボブ・トンプソンという人。1950年代から活動していて、彼の作品のいくつかはのちに"ラウンジ・ミュージック"として再評価されています。


Bob Thompson And His Orchestra: The song is you

 この頃にはすでに彼はベテランの域に入っていましたが、このアルバムと同じ1968年には「シークレット・ライフ・オブ・ハーパース・ビザール」やサンドパイパーズの「Softly」といったソフト・ロックの優れた作品も手がけ、充実した時期だったようです。

  サンドパイパーズ「Softly」からボブ・トンプソンのアレンジによる、ロジャー・ニコルズ&ポール・ウィリアムス作の「To Put Up With You」を

www.youtube.com

 そして注目したいのが作詞をしたトニー・アッシャー。ビーチ・ボーイズの「神のみぞ知る」「素敵じゃないか」「キャロライン・ノー」を書いている人なんです。

 彼はもともと広告業界にいてCMやジングルなどを作っていて、作詞家ではなかったんですね。

 ビーチ・ボーイズの作品でも、ブライアンの思いに耳を傾けながら、それを歌詞にしていったようです。そんなことを考えると僕は、彼は自分の強固な世界観を持った詩人タイプではなく、音楽に寄り添いながらそこにあるべき言葉を見つけることに長けている人だったのではないか、と僕は捉えています。

  彼のその特性はこの曲でも発揮されていて、たとえば展開部の”Now the night is right to discover love”というフレーズは、メロディとアレンジと完璧にマッチした素晴らしいものと言えるのではないでしょうか。

 

 唐突ですが、ポップスというのはやっぱり”ファンタジー”なんだと僕には思えます。

 日常に縛りつけられて不自由だった心が、ひととき解放されふわっと宙に浮かんだように気持ちよくなるのが、まさにポップスならではの効能なんだと。

 そして、ロジャーのメロディ、ボブのアレンジ、トニーの歌詞、そのすべてが完璧に調和して見事に”ファンタジー”を作り出している、この曲を聴くたびに僕はそう感心してしまうのです。

   

 最後にこの素晴らしいアルバムから何曲かご紹介して終わりにしたいと思います。

 

ロジャー・ニコルズ&トニー・アッシャーによる「Love So Fine」

www.youtube.com

バート・バカラック&ハル・デイヴィッド作の「Don't Go Breaking My Heart」

www.youtube.com

キャロル・キング&ジェリー・ゴフィン作の「Snow Queen

www.youtube.com

 最後はロジャー・ニコルズ&ポール・ウィリアムス作の「Let's Ride」。こちらは当初シングルのみのリリースで、アルバムには収録されていませんでしたがが、今ではCDのボーナストラックとしてして聴くことが出来ます。

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「Never My Love(ネバー・マイ・ラヴ)」アソシエイション(1967)

 おはようございます。

 アソシエイションの「ネバー・マイ・ラヴ」をまだ取り上げていなかったことに気づいたので、今日やります!


Never My Love (Remastered Version)

You ask me if there'll come a time
When I grow tired of you
Never, my love
Never, my love

You wonder if this heart of mine
Will lose its desire for you
Never, my love
Never, my love

What makes you think love will end?
When you know that my whole life depends
On you (on you)

Ba-ba-ba-ba-ba-ba (ba-ba-ba-ba-ba-ba)

Never, my love
Never, my love

You say you fear I'll change my mind
I won't require you
Never, my love
Never, my love

How can you think love will end
When I've asked you to spend your whole life
With me? (with me, with me)

Never, my love (never, my love)
Never, my love
Never, my love (never, my love)
Never, my love
Never, my love 

******************************

 

 ”君は僕に言う 私に飽きてしまう時が来るのかな

   絶対ないよ、愛しい君 絶対ないよ、僕の愛しい人

 

     君は思う 僕の心がやがて君への情熱を失ってしまうのかって

  絶対ないよ、愛しい君 絶対ないよ、僕の愛しい人

 

 どうして愛が終わってしまうなんて思うの?

 僕の人生をまるごと君に託しているって知っているのに

 

 絶対ないよ、愛しい君、絶対ないよ、僕の愛しい人

 

 君は僕が心変わりするのが怖いと言う 

 君を必要としなくなるんじゃないかって

 ありえないよ、愛しい君、ありえないよ、僕の愛しい人

 

 どうして愛が終わってしまうなんて思うの?

 僕は君に一生一緒にいてほしいとお願いしたのに

 

 絶対ないよ、愛しい君、絶対ないよ、僕の愛しい人  ”(拙訳)

 

***************************** 

 

「もし、誰かが「ネバー・マイ・ラヴ」を聴いたことがないと言ったら、僕はこういうよ”それは、君が人生でエレベーターに乗ったことも、スーパーマーケットに行ったこともないという意味になる”って。誰もこの曲から逃れられないんだ。ただ、そこに流れているんだよ」

 

 これはこの曲を書いたアドレシ・ブラザースの一人リチャード(ディック)・アドレシの言葉です。

 彼がそう言うのも当然、「ネバー・マイ・ラヴ」は20世紀のアメリカで、ラジオとテレビでの放送回数の総計が史上2位、演奏された回数も2位という、飛び抜けたスタンダードなんです。ビートルズの「イエスタデイ」が放送回数3位、演奏回数1位だったといいますから、「ネバー・マイ・ラヴ」はアメリカでは「イエスタデイ」並みの超スタンダード、20世紀にアメリカで暮らしていると、最も”勝手に耳に入ってくる曲”のひとつだったわけです。

 

  ちなみに、”20世紀アメリカで最も放送された楽曲リスト”で、彼らの他の曲では「チェリッシュ」が22位、「ウィンディ」が61位と3曲もチャートインしていて、これはサイモン&ガーファンクルの4曲についで2位の記録で、それだけ彼らはアメリカの大衆に愛されていたのです。

 

 

 昨日のブログでも書きましたが、曲を書いたアドレシ・ブラザースは長くアーティストと活動していて、この「ネバー・マイ・ラヴ」も自分たちのレパートリーとして書いたものです。

  今は亡き兄のドンが当時の彼女に結婚を申し込んだことがきかっけになったのだとディクは語っています。

 

 「彼(ドン)は 朝の3時に部屋に入ってきて僕を起こしたんだ。彼は『いまジャッキーに結婚を申し込んだところなんだ。彼女はいつか私に飽きてしまうと思うかと聞かれて、 "ネバー、マイ・ラヴ "と答えたんだよ。これって歌にするのに最高のアイデアじゃないかな?" 僕はベッドから飛び起きて、二人で曲を作り始めたよ」

 

 しかし、二人でこの曲を歌ってみるとハワイの”フラ”みたいになってしっくりこなかったそうです。そこで、レコード会社の人間から、自分たちでやりたい気持ちはわかるけど、儲けたかったらアソシエーションに提供したほうがいい、と言われ、彼らの前で歌ったらみんな気に入ってくれて、彼らが取り上げることになったそうです。

 

 

 さて、実はアソシエーションよりも先にこの曲をレコーディングしたアーティストがいます。それがジャニーズです。ジャニーズ事務所の第一号グループですね。

 彼らが武者修行をかねてアメリカ西海岸に渡ったときにレコーディングの話が持ち上がり、その指揮をとったのが、アソシエーションとアドレシ・ブラザースが所属していたヴァリアント・レコードのオーナーで、作曲家、プロデューサーのバリー・デ・ヴォーゾンだったのです。

 ちなみに、バリーは1970年代には映画の世界で活躍、リズム・ヘリテッジの「反逆のテーマ」("Theme from S.W.A.T.")、カーペンターズの「動物と子供たちの詩」などを作曲、映画「ザナドゥ」のオリヴィア・ニュートン・ジョンやE.L.Oの歌モノ以外の劇中音楽もこの人が作っています。

 

 さて、話を戻して、ジャニーズの「ネバー・マイ・ラヴ」はメンバーのあおい輝彦をメイン・ボーカルに録音されましたが、ジャニーズが解散することになりお蔵入りになったようです。

 あおい輝彦がライヴのMCでそのあたりの経緯を、けっこうな未練(?)を交えて語っている1977年の音源がアップされています。


あおい輝彦/ネバー・マイ・ラヴ Never My Love (1977年)

 

 ジャニー喜多川さんにとっても、本来自分たちのものだった歌が世界的なスタンダードになったことに対しては、誇りと苦い思いが混じり合って残っていたのでしょう、「ネバー・マイ・ラブ」はその後ジャニーズのアーティストに代々歌わせる”伝承歌”のような曲になっているようです。

 (最近でも、キスマイ、キンプリ、HiHiJETSなど若いグループもこの曲をステージで歌っています)

 

 数多あるこの曲のカバー・ヴァージョンで最もヒットしたのがスウェーデンのバンド、ブルー・スウェード1974年に全米最高7位になりました。このカバーの半年前に「ウガ・チャカ(Hooked on a Feeling)」を全米1位にに送り込んでいます。このノリノリなカバーを初めて聴いたとき、リチャード・アドリシは兄に向かって、今までで最悪のカバーだと言ったそうですが、大ヒットすると一番好きなカバーになったそうです、、。


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 せっかくなので彼らの代表曲「ウガ・チャカ」も聴いてみましょう。


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 アソシエーションの話から脱線してしまいますが、この曲はB.J.トーマスのヒット曲のカバーです。そこになぜ”ウガ・チャカ”なる掛け声を加えたのかは謎です。ただ、この掛け声は、この曲のプロデューサーであるジョナサン・キングなる人物が先に自身で1971年にリリースし、イギリスでスマッシュヒットになっていました。

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 このジョナサン・キング、アーティストの他にレーベルのプロデューサーとしても活躍した人でジェネシスを発掘し、10ccの名付け親で、ベイ・シティ・ローラーズのプロデュースも手がけています。音楽ビジネスというのはいわゆる”山師”たちの才能のせめぎ合いの場でもありますが、彼はこの時代のイギリスにおいて有数の”山師”であったのは間違いないでしょう。

 

 

 さて、「ネバー・マイ・ラブ」に話を戻して、この曲のソングライターであるアドリシ・ブラザーズが、アソシエーションのリリースから10年たってセルフ・カバーしています(1977)ので最後はこのヴァージョンで締めたいと思います。


Addrisi Brothers -Never My Love

 

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「タイム・フォー・リヴィン(Time For Livin')」アソシエイション(1968)

 おはようございます。

 10月です。気持ちのいい季節になったので、なんとか日々の暮らしも気持ちよくしたいなあ、ということで今日は、アソシエイションの「Time For Livin'」を選びました。

曲調も歌詞の内容も、聴いていてちょっと前向きになれそうな曲です。


Time for Livin'

 

I kicked off my shoes, and felt the good earth under my feet
I loosened my tie, and felt what it feels like to breathe
I found the secret to llife
I took some time for living

 

I took off my watch, and found I had all the time in the world
I opened up my arms, so I could hold life like a beautiful girl
I laid down all of my hang-ups forever
I looked around and saw what sweet things can be found
Simply by taking some

 

time for living
Grooving on little things life is giving
From now on I'm taking time out for life

 

Too busy to stop and notice the things that are real
Embarrassed to talk about all things that I feel
It's so strange, never noticed the world all around me
Hey, look I've changed, my attitude's been rearranged
From now on I'm taking some

 

time for living
Grooving on everything life is giving
I'm gonna be taking time for life

 

Lifetime for living
Grooving on everything life is giving
Lifetime for living
Grooving on everything life is giving
Lifetime for living

*****************************

 ”靴を脱ぎ捨てたら 足下に気持ちよく大地を感じた

  ネクタイを緩めたら 息をするってどんな感じか気づいた

  生きてゆく秘訣を僕は見つけたんだ

     生きているって感じられる時間を作ることさ

 

  時計をはずしたら  時間はいくらでもあることに気づいた

  両手を広げてみた キレイな女の子を抱きしめるみたいに

  人生を抱きしめられるように

     悩みなんて全部捨て去ったよ

  まわりを見渡せば  素敵なものが見つかるってわかった

     ただ生きているって感じられる時間を作るだけで

  人生が与えてくれるささやかなことを楽しみながら

   これからは自分の人生のために時間を使うよ

 

   忙しすぎて 立ち止まって本当のことに気づくことができなかった

   僕が感じたことを全部話すことを恥ずかしいと思っていた

   本当に不思議だけど 僕の周りにある世界にまったく気づいてなかったんだ

   ねえ、僕は変わっただろ 僕の心構えはリアレンジされたんだ

   これからは自分の人生のために時間を使うよ

      人生が与えてくれるささやかなことを楽しんで

    これからは自分の人生のために時間を使うよ

 

       生きているって感じるために人生を生きる

    人生が与えてくれるささやかなことを楽しみながら

  生きているって感じるために人生を生きる

    人生が与えてくれるささやかなことを楽しみながら” (拙訳)

 

*****************************

 

 タイトルは”Time For Livin'”ですから、直訳すると生活の時間、暮らしの時間みたいな感じになりそうですが、歌詞の内容から、仕事や日常の煩雑な物事からちょっと距離を置いて、自分の周りにあるものの良さを見直したりして、自分らしくて、何より自分自身が喜ぶような時間をちゃんと確保しようよ、そんなニュアンスを僕は感じました。

 

 この曲はアソシエイションの1968年に発売されたアルバム「バースデー」に収録されていて、シングルとしても全米39位まであがり、彼らにとっての最後のトップ40作品になっています。

 

 曲を書いたのは、ドン・アドリシとディック・アドリシのアドリシ・ブラザース。

 彼らはアソシエイション最大のヒット曲「ネバー・マイ・ラヴ」を書いた人たちです。


Never My Love (Remastered Version)

 

 アドリシ・ブラザースはマサチューセッツ州ウィンスロップ出身の、ドナルド・"ドン"・アドリシとリチャード・"ディック"・アドリシによる兄弟デュオ。二人の家族は”フライング・アドリシ”というクロバット・グループをやっていて、彼らはそのメンバーとしてキャリアをスタートさせます。

 

 彼らは当時大人気だったコメディアン、レニー・ブルースに連絡を取り、シンガーとしてのキャリアをスタートさせるためにカリフォルニアに移住し、レコードデビューを果たします。同時代には大スター、エヴァリー・ブラザースがいましたので、それに対抗していたのかもしれません。しかし、残念ながらアーティストとしては成功せず、シングルとしては「Cherrystone」という曲が1959年にチャートに入っただけでした(全米62位)。


Addrisi Brothers Cherrystone - 1959

 その後は一旦ソングライターにシフトしますが、「ネバー・マイ・ラヴ」など実績ができると、1970年代にはアーティストとしての活動を再開し、三枚のアルバムをリリースしています。

 しかし、ドン・アドレシが1984年に45歳の若さで亡くなってしまい、活動が途絶えてしまいました。ディックだけでのソロ活動はやらなかったようです。

 

 ポップ・ミュージック史的には「ネバー・マイ・ラヴ」を書いた人たちとして記憶されているわけですが、他にも「Time For Livin'」のような軽快で素敵な曲も作っていたのです。

 

  さて、この「Time For Livin'」が収録されたアソシエイションの4枚目のアルバム「バースデイ」、彼らのアルバムの中ではセールス的にはいい方ではありませんでしたが、時代を経て今では彼らの最高傑作との評価を受けるようになっています。特に、日本では1990年代前半の渋谷系のムーブメントと連動した”ソフト・ロック”の再評価の動きの中で”マスト・バイ”なアルバムとして紹介されていたことを覚えています。

 

 最後にその「バースデー」から、1968年に全米10位のヒットになった「恋にタッチは御用心(Everything That Touches You)」を。


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