まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「恋はフェニックス(By the Time I Get to Phoenix)」グレン・キャンベル(1967)

 おはようございます。

 今日はグレン・キャンベルの「恋はフェニックス」。20世紀で最もオンエアされた楽曲リストで第20位にランクされている、大スタンダード曲です。


By The Time I Get To Phoenix (Remastered 2001)

 

 ”僕がフェニックスに着く頃には 彼女は起きているだろう

 彼女の部屋のドアに貼り付けた 書き置きを見つけ

 ”僕は出てゆく”と書かれているのを読んだら 彼女は笑うだろう

 前も何度も出ていったことがあったから

 

 僕がアルバカーキに着く頃には 彼女は仕事をしているだろう

 多分ランチの途中で 電話をかけてくる

 でも、呼び出し音が鳴り続けるだけ それだけ

 

 僕がオクラホマに着く頃には 彼女は眠っている

 そっと寝返りをうって 僕の名前を呼ぶだろう

 そして僕が本当に出て言ったと気づいて泣くだろう

 何度も何度も彼女に伝えようとしたけれど

 彼女は思いもしなかった 僕が本当に行ってしまうって ” (拙訳)

 

 この曲の主人公の起点はLAと言われていますが、LAからオクラホマの直線距離を単純に日本に置き換えると、青森から鹿児島くらいのようです。アメリカの道路の方がスピードは出せるでしょうけど、とは言っても1日ではちょっと難しい距離ですよね。少なくとも彼女のことを思い出しながら悠長に運転していたら絶対に不可能です。

 この曲の作者、ジミー・ウェッブが語ったことによると、かつて彼のコンサート終了後に男が近づいてきて、地図とストップウォッチを見せながら、この歌通りにLAからフェニックスまで行くことがいかに不可能なのか、アルバカーキがどれだけ遠いかを説明してくれたそうです。

 しかし、同時にその男は、この歌はたとえありえないとしても、自分がやりたかったことを歌ったある種のファンタジーで、現実と空想の中間ゾーン(トワイライト・ゾーン)で起こったものなんだと思う、と語っていたそうで、実に洞察力のあるリスナーですね。

 ジミー本人もこう語っています。

 ”これは自分が実際にやった何かよりも、やることができたらと願っていた何か、についての歌なんだ”

 

 この曲をカバーしたフランク・シナトラは、今まで書かれた中で最高の”トーチソング(失恋の歌)”だと評したそうです。

 自分を愛してくれる女性を置いて勝手に出て行って、なにが失恋だ、と憤慨される方もいるかもしれません。

 しかし、男目線のラヴ・ソングと、女性目線のラヴ・ソングの本質的な違いなんだと思います。ただし、これは今の世界では当てはまらない気がしますが。

 女性目線では、恋愛の世界の中であくまでも愛しているか、愛していないかで”失恋”は生まれますが、男の場合は、恋愛と対立するものとして”自由とか夢みたいなもの”というのが大きく現れます

 具体的な夢というより、将来を考えながら、何かもっとやれるんじゃないか、とか自分にはまだやり忘れたことがあるんじゃないか、時には、ただ自由になりたい、みたいな”けっこうぼんやりしたもの”で、でも定期的に自分の中を”駆り立ててくる”ものだと言えます。

 ですから、”自由や夢見たいなぼんやりしたもの”が恋愛と対立して、結果、女性のことは愛しているけど、具体的に外に何かあるわけじゃないけど、出て行ってしまう、という行動に結びついてしまうわけです。

 実際にこの主人公は、行く先々で女性ことを具体的にイメージしているわけで、今も彼女のことをかなり愛しているんです。未練がすごくある。でも、行ってしまう。

 ですから、この曲は、”愛してる、愛してない”以外の男性特有の気質、性向に基づいた”失恋のかたち”を、見事に描くことに成功した画期的な曲なのだと僕は思います。

 だから、多くの男性が共感したわけですし、この歌の主人公と似た男に思い当たる女性がかなりいたからこそ、この曲はスタンダードになったのでしょう。

 

 

 そしてこの曲のもう一つの大きな特徴は、フェニックス、アルバカーキオクラホマ、と具体的な土地を名指ししていることです。

 その土地に馴染みのある人だけが共感しただけでは、これほどの大ヒットにはなりません。

 固有の土地の名前を入れ、出てくる女性の描写を具体的に掘り下げたことで、かえって”普遍性”にたどりついているわけです。

 君のこと好きだけど、ごめん夢を探して僕は遠くに行くよ〜♪みたいなざっくりした歌詞じゃズシっと響かないのでしょう。

 日本でも、一昔前の演歌で、函館や長崎など特定の土地を舞台にした”ご当地ソング”が定番でしたが、その土地に行ったこともない人がカラオケで熱唱していましたね。

 これは、都市名じゃないですけど「あずさ2号」なんて、実際に乗ったことがあるかどうかなんてまったく関係ないわけです。

 もちろんただ、特定の名詞を使えばいいってわけじゃなく、そこにリアルで普遍的な心情、描写を絡めるとすごい効果が出るということなのでしょう。

 そして、歌に出てくる東京やニューヨークは現実のものとは違ってはいても、全くの空想でもありません。

 それはジミー・ウェッブのファンが言ったように、歌の世界とは、現実と空想の中間地帯(トワイライト・ゾーンで起きていることだからだと思います。

 だから、とりたてて想像力が豊かじゃない人でも、たやすく歌の世界に入って行けるのでしょう。

 

 ただし、ネットにより世界が小さくなって距離感の感覚がなくなってきている今の世界では、かつてのような固有の土地名からわきあがってくるイマジネーションはずいぶんと薄れてきている気はします。

 

 では最後にこの曲の成り立ちを少し説明します。

 

  この曲はジミー・ウェッブが20歳の頃に書いています。彼はオクラホマで生まれ育ってLAで音楽活動していたので、「恋はフェニックス」のルートは彼が故郷に帰るルートなんですね。

(彼はあるインタビューで、この「恋はフェニックス」の主人公は、飛行機のチケットを買うお金がないので車で帰郷しているのだ、と語っています)

 17,18歳の頃からモータウン音楽出版社”ジョベット・ミュージック”で作家活動を始めた彼は、TVのコメディ・ショウで人気のあったポール・ピーターセンのために曲が欲しいと言われて書いたのがこの曲だったといいます。

 ちなみにポール・ピーターセンはこんなヒットを持っていました。


My Dad

 ちなみに、この曲を書いたのはバリー・マンとシンシア・ワイルです。全米最高6位、日本では大瀧詠一がラジオ番組「ゴー!ゴー!ナイアガラ」(1975)でオンエアしています。

 しかし、「恋のフェニックス」は気に入られずに不採用(この曲にサビはないの?とたずねた人もいたそうです)になり、他にも歌い手は見つからなかったそうです。そして、彼は”ジョベット・ミュージック”を辞める時にこの曲も返してもらい、リバーズ・ミュージックという会社の第一号作家になります。

 彼をジョベットと契約してくれた人が当時手がけていたのがフィフス・ディメンションで彼らのレコードをリリースしていたのがジョニー・リバースが設立した”ソウル・シティ・レコード”、で、その出版部門がリバーズ・ミュージックということでした。

 そして、「恋はフェニックス」は社長のジョニー・リバース自身が歌うことになったのです。 


Johnny Rivers - By The Time I Get To Phoenix

 マニアックな話で恐縮ですが、このヴァージョン、プロデュースがルー・アドラーキャロル・キング「つづれおり」など)、エンジニアがボーンズ・ハウ(アソシエーションなど)、演奏がハル・ブレインをはじめとする”レッキング・クルー”と、ポップス好きには興味深いラインナップで作られています。

 

 そしてジョニーの曲をカー・ラジオで耳にして、これは俺が歌えば絶対にヒットすると思って行動に移したのが、グレン・キャンベルだったというわけです。

  ジミーいわく、彼は常にヒットしそうな曲を探していて、見つけるとすぐにレコーディングしてリリースしていたそうです。長い間数々のヒット曲でギターを弾いてきた人なので、ラジオでかかりやすい売れそうなアレンジ、はお手の物だったのかもしれないですね。

 ただ「恋はフェニックス」とグレン・キャンベルの関係は、まるで曲が彼を待ち望んでいて、彼もその曲を待ち望んでいたかのような、完璧な結びつきだと、ジミーは語っています。

 

   最後はジミー・ウェッブの2010年のアルバム「Just Across The River」から、グレンとジミーの共演ヴァージョンを。


By The Time I Get To Phoenix (feat. Glen Campbell)

 

恋はフェニックス

恋はフェニックス