おはようございます。
一般大衆にディスコのイメージを広めた最大の起爆剤は何と言っても、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」でした。
そして映画のメインの音楽を担当したのがビー・ジーズ。今では彼らはディスコと結び付けて語られることが多いですが、1960年代から70年代初頭にかけて、抒情的なポップ・コーラス・グループとしてヒットをたくさん生み出していました。彼らが主題歌を担当した映画「小さな恋のメロディ」は特に日本で大人気で、十代の恋愛映画の定番として繰り返し繰り返し上映されていたものです。
「メロディ・フェア Melody Fair」ビージーズ Bee Gees new
しかし、この映画が作られた1971年に出した「傷心の日々(How Can You Mend A Broken Heart) 」という曲を最後に彼らはヒットから遠ざかってしまいます。
Bee Gees _ How Can You Mend a Broken Heart ('71) HQ (with lyrics)
彼らが復活するのは1975年、「Jive Talkin'」という曲で見事に全米1位になります。
Bee Gees - Jive Talkin' (Official Video)
メンバーが車に乗っているときに感じたリズムからできた曲で、当初は「Drive Talking」というタイトルだったそうです。当時流行してきたディスコでもウケが良かったようで、そして、これをきっかけに彼らはリズムとファルセットを中心としたスタイルに変わっていきます。
その翌年にはよりディスコに寄せた「You Shoud Be Dancing」が大ヒット、これも全米1位になります。「Jive Talking」との1番の違いはメイン・ボーカルがファルセットに完全に切り替わっていることでしょう。「サタデー・ナイト・フィーバー」につながるスタイルがこの段階で整っていたわけです。
Bee Gees - You Should Be Dancing 1976 (HQ Audio)
さて、彼らのマネージャーはロバート・スティグウッドといって、エリック・クラプトンも手掛けた大物です(”ロバート・スティグウッド・オーガニゼーション”を略したRSOレコードからビー・ジーズもクラプトンもレコードを出していました)。彼は「ジーザス・クライスト・スーパースター」やザ・フーの「トミー」といった音楽映画のプロデューサーでもありました。
あるとき彼は雑誌「ニューヨーク」でディスコのダンス・コンテストに出場する十代の若者についての記事(”Tribal Rites of The New Saturday Night") を読み、映画にすることを思い立ちます。当初映画のタイトルは「サタデー・ナイト」でした。
当初、映画の準備期間ジョン・トラボルタは「You Shoud Be Dancing」に合わせてリハーサルをしていたそうです。
そして、ロバートはビージーズのメンバーに映画用に曲を書くように依頼し、できたのが「愛はきらめきの中に」や「ステイン・アライヴ」でした。またメンバーは「サタデー・ナイト」という曲を書いてほしいとロバートから言われたそうですが、ありきたりなタイトルだったので気が進まず、彼らはすでに「NIght Fever(恋のナイト・フィーバー)」というのがあったのでそれを使ってほしいと答えます。そして、いっそのこと映画のタイトルもタイトルを足して「サタデー・ナイト・フィーバー」にしちゃえば?と提案したそうなんです。
僕はずっと「恋のナイト・フィーバー」は「サタデー・ナイト・フィーバー」というタイトルありきで書かれた曲だと思っていたのですが、逆に「サタデー・ナイト・フィーバー」というタイトルの元になった曲だったんですね。
映画が「サタデー・ナイト」というタイトルのままだったら、あれほどの世界的大ヒットにはならなかった気もします。少なくとも日本では”フィーバー”という言葉が当時大変な流行語になりましたから。
大成功するものというのは、いろんな”偶然の”歯車がうまく噛み合ってゆくものなんですね。
おまけに、ビージーズの歩みをまとめたダイジェスト・ビデオを。結成が1958年ということで「恋のナイト・フィーバー」のときは、もう20年目だったわけです、、、。
Bee Gees - Musical Evolution (1960-2016)