おはようございます。
今日はアンディ・ギブの「恋のときめき」です。
I Just Want To Be Your Everything
"もう長い間
君も僕もおたがいに気づき始めてから ずいぶん長くたつね
君への思いはますます強くなっているんだ、ガール
信じていいんだよ 君が求めているより少しだけ愛をくれたら
君の愛が鍵を開けるだろう
僕のダーリン そのワインのような唇を僕はいつまでも待ち焦がれるんだ
僕の作った世界で君を取り囲んで この愛は輝くんだ、ガール
よく見て確かめるんだ
君が求めているより少しだけ愛をくれたら
君の愛が鍵を開けるから
僕はただ君の全てが欲しいんだ
君の心の中の幸せな場所を開いて
僕のことを 僕にとっての君と同じような存在にしてほしい
糸につながれた操り人形なんかじゃなくて
もしここに君がいなかったら 僕は死んでしまうよ
僕がもたらす愛の中で横たわってほしいんだ
君のすべてになるためなら 僕はなんだってやる ” (和訳)
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For so long
You and me been finding each other for so long
And the feeling that I feel for you is more than strong, girl
Take it from me
If you give a little more than you're asking for
Your love will turn the key
Darling, mine
I would wait forever for those lips of wine
Build my world around you, Darling
This love will shine, girl
Watch it and see
If you give a little more then you're asking for
Your love will turn the key
I, I just want to be your everything
Open up the Heaven in your heart and let me be
The things you are to me and not some puppet on a string
Oh, if I stay here without you, Darling, I will die
I want you laying in the love I have to bring
I'd do anything to be your everything
Darling, for so long
You and me been finding each other for so long
And the feeling that I feel for you is more then strong, girl
Take it from me
If you give a little more then you're asking for
Your love will turn the key
I, I just want to be your everything
Open up the heaven in your heart and let me be
The things you are to me and not some puppet on a string
Oh, if I stay here without you, Darling, I will die
I want you laying in the love I have to bring
I'd do anything to be your everything
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アンディ・ギブは、”ビー・ジーズ”のバリー、ロビン、モーリスの三兄弟の末弟で、この「恋のときめき」を書いた長兄バリーのひとまわり下で、この時まだ19歳でした。
彼は1988年にわずか30歳の若さで病気で亡くなってしまいましたが、1970年代後半の彼の人気ぶりはすさまじいものでした。
ビー・ジーズの「サタデー・ナイト・フィーバー」の大ブームと並行するようにNO.1ヒットを連発し、この頃のギブ兄弟は間違いなく”音楽界最強”だったと思います。
ギブ一家はイギリス出身ですが、父親の仕事の関係でオーストラリアに移住したので、ビー・ジーズはオーストラリアでデビューし、アンディはオーストラリアで生まれています。
しかし、ビー・ジーズがメジャー契約を得たタイミングで、彼らだけでなく、まだ8歳だったアンディも家族と一緒にイギリスに戻っています。
お兄さん達の影響が強かったのでしょう、アンディも音楽活動を始めたのですが、最初のバンド名がビー・ジーズの曲名をもじった”メロディ・フェア(Melody Fayre。FayerはFairの古い表記)”というものだったそうです。
また、お兄さん達は、自分たちが成功したことにオーストラリアでの活動が大きく役立ったという経験から、アンディにオーストラリアに行くことを進めたそうで、実際彼はオーストラリアでまずデビューしています。
アンディ自ら書いた「Words and Music」という曲で、のちに彼のデビュー・アルバムにも収録されますが、1960年代のビー・ジーズを彷彿させるような曲調ですね。
”ディスコ期”のビー・ジーズと歩調を合わせて成功した彼ですが、本来”ソフト・ロック期”のビー・ジーズの影響が大きかったのかもしれませんね。
アンディのデモ音源を聞いた、ビー・ジーズのマネージャーでレーベルの社長のロバート・スティグウッドが彼を契約することに決め、彼は兄のバリーと一緒にバミューダで曲の制作に入りました。
実は、スティグウッドは当時バミューダに広大な邸宅を持っていて、ビー・ジーズのメンバーが滞在しよくそこで曲を作っていたそうで、「ステイン・アライヴ」など「サタデー・ナイト・フィーバー」の曲もほとんどそこで作られていたのです。
それに加えて、アンディはこの頃ちょうど結婚したばかりで、バミューダは新婚旅行をかねていたようで、曲制作以外は奥さんとずっと出かけていたそうです。
バリーとアンディはベッドルームに閉じこもって一緒に曲を書くはずだったそうですが、バリーは書き始めると一気に書いてしまうそうで、この「恋のときめき」はアンディが口出しする間もなく20分ほどでバリー一人で作ってしまったそうです。
ちなみにこの時にアンディのセカンド・シングル「愛の面影(Love Is Thicker Than Water)」も書いていて、こちらはバリーとアンディの共作になっていますが、実はやはりバリーが一気に書いたものらしく、”Love Is Thicker Than Water”というタイトルになるフレーズだけアンディが考えたのだそうです。
ともかく、「恋のときめき」は全米NO.1になっただけではなく16週連続トップ10入りという当時の記録を作るほどのロング・ヒットになりました。そして、同じ年にその記録を抜いて17週連続を達成したのがビー・ジーズの「愛はきらめきの中に」でした。
そして「愛はきらめきの中に」が3週トップを続けた3週間後に「ステイン・アライヴ」が4週トップを続け、それを蹴落として2週トップになったのがアンディの「愛の面影」、そこから首位を奪い8週トップを続けたのが「恋のナイト・フィーバー」でした。そして「恋のナイト・フィーバー」からトップを奪ったのがイヴォンヌ・エリマンの「If I Can't Have You」。映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の曲でこれもバリー・ギブの作品だったのです。
この年は他にアンディの「シャドウ・ダンシング」、フランキー・ヴァリの「グリース」もNO.1になっていますから、この時期のバリー・ギブはまさに神がかっていたように思います。
最後にアンディがビー・ジーズの「Words」を歌っている動画を。これを見ると、彼は本当にバリーに憧れていたんだろうなあと思います。