まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ゲット・イット・オン (Get It On)」T・レックス(1971)

 おはようございます。

今日はT・レックスの「ゲット・イット・オン」です。


T. Rex - Get It On (1971) HD 0815007

 

 ”おまえは ダーティでスウィート、黒い服を着てる

   振り返るなよ 愛しているんだ

   おまえはダーティでスウィートなのさ

   おまえはスリムで、おまえは脆い

   ヒドラの歯を持っている

   おまえはダーティでスウィート、そしてオレの恋人

 

      やろうぜ 銅鑼を鳴して 楽しもうぜ

   やろうぜ 銅鑼を鳴して 楽しもうぜ

 

   おまえは車のような仕様さ

   おまえを照らすダイアモンドの星の光輪が

   ホイールキャップみたいだ

   おまえは車のような仕様さ

      おまえはまだ飼いならされていない若者

   嘘じゃない、その長いマントにはたくさんの鷲がいる

       おまえはダーティでスウィート、そしてオレの恋人

  

      やろうぜ 銅鑼を鳴して 楽しもうぜ

   やろうぜ 銅鑼を鳴して 楽しもうぜ

 

    おまえは空虚でワイルド

       靴とストッキングに憂鬱(ブルース)を隠している

  おまえは空虚でワイルドなんだ

       おまえは車のような仕様さ

     おまえを照らすダイアモンドの星の光輪が

     ホイールキャップみたいだ

     おまえは車みたいな造りなのさ

 

       やろうぜ 銅鑼を鳴して 楽しもうぜ

    やろうぜ 銅鑼を鳴して 楽しもうぜ

      

       おまえは ダーティでスウィート、黒い服をまとってる

     振り返るなよ 愛しているんだ

     おまえはダーティでスウィートなのさ

   おまえが踊るとき、歩くとき さあ踊ろう

   チャンスを掴むんだ オレのことをわかってくれ

 

         やろうぜ 銅鑼を鳴して 楽しもうぜ

      やろうぜ 銅鑼を鳴して 楽しもうぜ

       

         オレを連れて行ってくれ

    しばらくオレはずっと考えている、、、    " (拙訳)

***********************************************************

Well you're dirty and sweet, clad in black
Don't look back and I love you
You're dirty and sweet, oh yeah
Well you're slim and you're weak
You've got the teeth of a hydra upon you
You're dirty sweet and you're my girl

Get it on, bang the gong, get it on
Get it on, bang the gong, get it on

You're built like a car,
You've got a hub cap diamond star halo
You're built like a car, oh yeah
You're an untamed youth that's the truth
With your cloak full of eagles
You're dirty sweet and you're my girl

Get it on, bang the gong, get it on
Get it on, bang the gong, get it on

You're windy and wild,
You've got the blues in your shoes and your stockings
You're windy and wild, oh yeah
You're built like a car,
You've got a hub cap diamond star halo
You're dirty sweet and you're my girl

Get it on, bang the gong, get it on
Get it on, bang the gong, get it on

You're dirty and sweet,
Clad in black, don't look back and I love you
You're dirty and sweet, oh yeah
When you dance when you walk so let's dance,
Take a chance, understand me
You're dirty sweet and you're my girl

Get it on, bang the gong, get it on
Get it on, bang the gong, get it on

Get it on, bang the gong, get it on
Get it on

(Take me)
(For a meanwhile I'm still thinking)

*******************************************************************

 

 T・レックスは”ティラノザウルス・レックス”という当初のバンド名をわかりやすくするために略したものです。有名な恐竜の名前ですね 。凶暴な印象の。今はティラノウルスと濁らない表記が普通のようです(僕が子供の頃読んだ恐竜図鑑では”チラノザウルス”でしたが)。

 

 ティラノザウルス・レックスは正式な学名で”ティラノザウルス”が「属名」、大きな分類を示し、”レックス”が「種小名」その”属”の中の個別の特性を示すものなのだそうです。

 ちなみに、ティラノザウルスは古代ギリシア語で”暴君トカゲ”、レックスはラテン語で”王”という意味だということです。

 

 バンドの中心メンバー、マーク・ボランはファンタジー系の読み物を愛好していて、レイ・ブラッドベリの短編小説に「ティラノザウルス・レックス」というものがあって、そこからとったと言われています。

 

 T.レックスは1970年代前半の数年間に大ブームになった”グラム・ロック”を代表するバンドでした。

 ”グラム”は魅惑的、グラマラスの意味で、メイクをし、ラメやスパンコールの入ったギラギラした衣装を着ていたことから、当初は”グリッター・ロック”とも呼ばれていたそうです。

 

 その”グラム・ロック”ブームを牽引したのが、T・レックスのマーク・ボランデヴィッド・ボウイでした。

 二人は同じ1947年生まれ、レコード・デビューはボウイが1964年、マーク・ボランが1965年と、アーティストとしても並走するような歩みを見せています。

 

 1960年代後半にマーク・ボランが結成した”ティラノザウルス・レックス”はサイケデリックなフォーク・ロック・サウンドの二人組ユニットでした。同時期のボウイもやはりフォーク・ロックをやっていました。両者ともにボブ・ディランの影響をうけ、フォーク・ロックは当時の流行のサウンドでもあったわけですが、キラキラしたグラム・ロックの大スターが二人とも、ブレイクする直前はアコースティックなスタイルだったというのは興味深いことだと思います。

 

 また、二人ともプロデューサーがトニー・ヴィスコンティだったことで、マークがボウイのレコーディングにギターを弾くなど交流もありました。そして、先に売れ始めたマークを見ながら、ボウイが自分のスタイルに取り入れたものも少なくなかったようです。

 

 ティラノザウルス・レックスが憶えにくいということで、T・レックスに名前を変えたタイミングで、曲のサウンドもエレクトリックでポップなものに変更します。そしてその途端、彼らは大ブレイクを果たします。

    1970年。曲は「Ride a White Swan」。全英2位のビッグヒットになりました。


Ride A White Swan

 そして、あらたにベースとドラムスが加わり4人組になったT・レックスは、次のシングル「ホット・ラヴ」で全英1位を獲得します。


T REX HOT LOVE.wmv (original song)

 イギリスで大ブレイクしたもののアメリカでは売れていなかった彼らですが、1971年4月にアメリカでライヴを行なっていて、そのときにこの「ゲット・イット・オン」は作られたようです。

 NYのフィルモア・イーストでのライヴで滞在していたたホテルでマークとドラマーでリズム・パターンのアイディアを出し合い、その後ハリウッドのウィスキー・ア・ゴーゴーのライヴのためにLAに移動したあとレコーディングを行なっています。

 ちなみに「ゲット・イット・オン」の次のシングルとなった「ジープスター」はニューヨークにいたときにレコーディングしたそうです。

 

 ロンドンとは対照的に陽射し溢れるロサンゼルスで、プール付き豪邸でリハーサルをやるなど、今までと全く違う環境で作られたようです。

 

 「ゲット・イット・オン」がどうしようもなく開放的な気分にさせてくれるのは、あの史上最強に気持ちのいいギター・リフの魔力によるところが圧倒的に大きいとは思いますが、アメリカ西海岸の空気感というのも実は何%かはあるのじゃないかと僕は思い込んでいます。

 そのせいとまではいいませんが、彼らの曲でアメリカでヒットしたのはこの曲のみ(全米10位)でした。

 

 ちなみに、曲終わりに彼がアドリヴっぽく「For a meanwhile I'm still thinking」と歌うのですが、これはチャック・ベリーの「リトル・クイニー」という曲に出てくる歌詞で、マークはまずこの曲をレコーディングしたいと思っていて、この曲を弾きながら思いついたのがこの「ゲット・イット・オン」だったそうです。

 


Chuck Berry - Little Queenie (1959)

 

 

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「ABC」少年隊(1987)

 おはようございます。

 今日も筒美京平作品です。。これはポップスのブログなので、彼の作品の中で最も”完全無欠な”ポップスだと僕が感じたものを。


ABC(少年隊) - ABC(Shonentai)

  1970年代に、日本の職業作家として誰よりも積極的にディスコに取り組んだ筒美京平は、ディスコの”直系子孫”であるユーロビートでも中山美穂の「WAKU WAKU させて」などヒット曲を作っていて、その中でも最高傑作と言われているのがこの「ABC」です。

  ディスコ、ユーロビート、そして数年前に大ブームになったEDM、日本でも大ブームになるダンス・ミュージックの共通点は「四つ打ち」、バスドラムが均等な感覚でなることでリズムがとりやすいものだということが言えます。

 たとえば、リズムが横に微妙にずれる、いわゆるファンキーなグルーヴにうまくノれる日本人はそんなに多くないですしね。

 それに加えて、流行歌の世界を見てみると、たての均等なリズムは日本語のリズム感と似ていて、日本語の曲がノリやすいという利点があります。

 

 日本の”踊るポップス”の象徴、ジャニーズもディスコ、ユーロビート、EDMを積極的に取り入れていたのも自然なことなのでしょう。

 

 洋楽を聴くときは日本ではどうやったら売れるかを常に模索している、と語っていた筒美京平も、ユーロビートはいける、と思ったのかもしれません。

 

 ちなみに「ABC」には、あきらかに参考にしたであると思われる曲があります。日本では特に人気の高かったマイケル・フォーチュナティの2大ヒット曲の一つ「INTO THE NIGHT」です。


Michael Fortunati - Into The Night (1987)

 確かにユーロビートの大定番曲ですからキャッチーなわけですが、「ABC」はそのパクリなどというレベルじゃなく、完全に日本のポップスに置き換えられていると僕には思えます。

 少年隊というクリーンでキラキラしたアイドルを演出するという大前提があったでしょうし、それと筒美の生み出すメロディの本質的な品の良さが加わって、なんとも言えない”多幸感”が生み出されています。”多幸感”のあふれたアイドル・ポップスの元祖とも言えるジャクソン・ファイヴの大ヒット曲と同じタイトルに松本隆がしたのは、2曲に同じような質感、そして、古き良きポップスとのつながりを感じたからだったのでしょうか?

 そして、それは、あくまでも”夜のクラブで盛り上がり感”に徹底し、刹那的でもある「INTO THE NIGHT」とはまったく異質な感じさえします。

 

 そして、この曲に大きく貢献しているのが編曲を手がけた船山元紀です。筒美は1970年代は自身で編曲することが多かったのですが、70年代終わりくらいから自分よりも若い編曲家を積極的に起用していましたが、船山はその中でも中心となる存在でした。

 

 彼は当時の価格で1200万円くらいしたという、シンセサイザーの代表機”フェアライト”を日本の職業編曲家の中で最も早く購入し、小泉今日子の「迷宮のアンドローラ」など歌謡曲にそのサウンドを積極的に取り入れていました。

 

 そして、フェアライトのサウンドと最も相性の良いジャンルでもあった”ユーロビート”を歌謡曲に取り込んでゆく動きも、彼が中心となっていきました。

 前述した中山美穂の「WAKU WAKUさせてよ」も彼のアレンジでした。

 

 そして「ABC」は彼の仕事の中でも特に力が入ったものだったそうです。実は全部の楽器が打ち込みと生の二重になっていて、彼曰く”フィル・スペクターバリの分厚いサウンド”で制作されたのだそうです。

「スタジオ中が楽器でいっぱいになり、キーボードも10台近くあったと思う。とにかく音を重ねて、ものすごいトラック数を使って録音した」

           (「ヒット曲の料理人 編曲家船山元紀の時代」)

 それをエンジニアの内沼映二が見事にオケを整理整頓してくれて、スッキリさせたのだといいます。

 「ABC」が他のユーロビートの楽曲と違って聴こえるのは、”サウンド”にも大きな要因があったわけです。

 

 ちなみに、船山の発言で興味深かったのは、打ち込みを導入した時代になると筒美はメロディを打ち込みをイメージしたものに変えてきたということです。そして、彼はアレンジャーに参考資料となる洋楽のレコードを渡してきて、これと”同じ音”するように指示してきて、彼らはそのレコードを聴きながら、その音がどの機材なのかをひとつひとつ検証していったそうです。

 

 船山が生み出した”ユーロビート謡曲”の集大成となったのが、Winkの「淋しい熱帯魚」をはじめとする彼女たちの一連の大ヒット曲でした。

 

 最後に「ABC」の小西康陽によるミックス・ヴァージョンを。彼が監修した「京平ディスコ・ナイト」に収録。この曲の良さをあらためて発信したのも彼が最初だったように記憶しています。


少年隊 ABC

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「哀愁トゥナイト」桑名正博(1977)

 おはようございます。

 今日も筒美京平作品を。桑名正博の「哀愁トゥナイト」です。

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 これは桑名正博のソロ・デビュー・シングル。彼はそれまでは、地元大阪でファニー・カンパニーというバンドを組んでいて、矢沢永吉率いるキャロルと比肩される存在として”東のキャロル、西のファニカン”と呼ばれていました。ロックを日本語で歌うことを様々なアーティストが試行錯誤している黎明期、そんな時代にあって、桑名は日本語でロックを見事に歌いこなす大変貴重な存在として、かなりの評判になっていたようです。

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 興味深いのは、矢沢永吉が貧乏から這い上がった”成り上がり”だったのに対して、桑名は今のユニバーサルスタジオ・ジャパンのある土地をもともと持っていたというほどの、歴史ある大会社の長男だったそうで、音楽に対してもガツガツした感じはなく、両者のキャラは対照的だったのです。

 ちなみに、ファニー・カンパニーの他のメンバーも社長や医者の息子といったボンボン揃いだったそうです。

 言い方が難しいですが”ボンボンの不良”というのは、ハングリーな不良には持ちえないような独特の魅力というか色気があるもので、桑名の歌にはそういうものがあるように僕は感じていました。

 

 話を戻しますが、1976年に彼は「Who Are You?」というアルバムでソロデビューし、全曲自身で作曲しています。しかし、当時は日本のロックはまったくマイナーな存在で、歌謡界全盛の時代でしたから、そこで勝負をかけようということになり、筒美京平に曲を依頼することになります。

 作詞は、当時筒美とタッグを組み始め、桑名の「Who Are Tou?」でも1曲歌詞を書いていた松本隆が手がけることになり、生まれたのがこの「哀愁トゥナイト」でした。

 そして演奏陣には当時サディスティックスとして活動していた高中正義高橋幸宏後藤次利が参加しています。

 

 「昭和歌謡職業作曲家ガイド」(馬飼野元宏監修)という本ではこの曲を

「筒美にとっての歌謡曲とロックの初融合作品である」

 と評していますが、日本の音楽シーン全体としても、歌謡曲とロックの人材が完全にクロスオーバーし作品にもそれがはっきりと反映された最初の曲ではないかと僕は考えています。

 この「哀愁トゥナイト」の20日後にはチャーが阿久悠の作詞による「気絶するほど悩ましい」をリリースしています。そして、その年の後半には、松本隆が作詞を手がけた原田真二、歌謡性の強いロックを生み出した世良公則&ツイストがデビューし、そのあたりから一気に歌謡曲とロックの垣根が崩れ融合していったと僕は記憶しています。

 

 「哀愁トゥナイト」を発表した時に、かつてのファニカンを知る人から相当反発を買ったようです。

 当時の担当プロデューサーいわく

「夜中の2時頃に電話が鳴りまして、「お前、桑名を歌謡曲歌手にするつもりか!」って内田裕也さんからかかってきたんですよ。ああ、また酔っ払って電話がかかってくるんだと思って。歌謡曲とかなんとか関係ないじゃないですか! って言ったら、この裏切り者めって言うんですよ」

 (FM COCOLO『J-POP LEGEND FORUM』DJ田家秀樹 ゲスト寺本幸司)

 

 「哀愁トゥナイト」自体は、期待したほどのヒットにはなりませんでしたが、桑名は筒美、松本コンビの曲を歌い続け、ついに「セクシャル・バイオレットNO.1」(1979)

オリコン1位を獲得するわけです。

 「セクシャル・バイオレットNO.1」はロッド・スチュワートの「アイム・セクシー」に通じるようなディスコ・ロックですが、その雛形はすでに「哀愁トゥナイト」で出来上がったことがわかります。

 「哀愁トゥナイト」は歌謡曲とロックの融合だけじゃなく、ディスコのノリも加わっているの大きな特徴でした。

 筒美は1976年に「セクシー・バス・ストップ」を始めとしてディスコものを精力的に制作していたので、その勢いのようなものがこの曲にも反映したのかもしれません。

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 結果として、「アイム・セクシー」やドナ・サマーの「ホット・スタッフ」などの本場のディスコ・ロックよりも先に同様なスタイルを生み出すことになったわけですから、面白いものです。

 しかも、松本・筒美コンビに編曲が萩田光雄という太田裕美の「木綿のハンカチーフ」と全く同じ布陣で、こんな真逆なスタイルの曲を作り上げたわけですから、この当時のプロの腕にはただただ驚くばかりです。

 

 最後におまけとして、この「哀愁トゥナイト」のシングルのB面曲「さよならの夏」を。こちらも「哀愁トゥナイト」とまったく布陣で製作されています。

 今聴いてみると、以前にこのブログでとりあげた「夏のクラクション」を先駆けになっているような曲だったのだと気づきました。


桑名正博  さよならの夏

 

 

 

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「絵本の中で」クロディーヌ・ロンジェ(1971)

 おはようございます。

 筒美京平さんが亡くなられた(今月7日)ということで、きっとたくさんの方がSNSやブログなどで好きだった彼の曲について思いを綴っているかと思います。

 紛れもなく日本のポップス史上最大の作曲家ですから。

 洋楽ポップスの要素を日本の歌謡曲の中に鮮やかに活かすことで、日本のポップスを、そして一般大衆の”ポップスを聴く耳”を大きく成熟させた人だと僕は彼を捉えています。

 また、一斉を風靡した大ヒット曲が実にたくさんありながら、マニア心をくすぐるレア・トラックも実にたくさんあることが、彼を”無双”の存在にしているわけですが、ここではこのブログらしく(?)”レア・トラック”をピックアップしようと思います。

 

 1960年代A&Mレーベルの歌姫、元祖ウィスパー・ボイス、クロディーヌ・ロンジェが歌う筒美作品です。

 しかも、いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」など、彼と名コンビだった作詞家橋本淳が書いた日本語詞を歌っています。

 「絵本の中で」という曲です。


Claudine Longet - Ehon No Nakade 絵本の中で

 

 いきなり”夜明けのまてぃで〜”と歌っていて、彼女が歌う歌詞カードの「街」を”MACHI"じゃなく”MATI”って書いちゃったんじゃないかなんて、余計な心配をしてしまいますが、これは1970年に彼女が来日した時に録音したものだそうです。もう1曲なぜか「五木の子守唄」も録音しています。


Claudine Longet - Itsuki no komoriuta 五木の子守歌

   この2曲が1971年リリースの彼女の日本編集のベスト盤に収録されました。

そして、2009年にロシアでリリースされた彼女のビートルズ・カバーを集めた「Sings The Beatles」というコンピレーションがあって、ビートルズのカバーが7曲に対して、レア音源を集めたボーナストラックが15曲もあるという不思議な構成になっていますが、そのボーナストラックにもこの2曲が収録されています。

 

 この時期の彼は1969年に「ブルーライト・ヨコハマ」が大ヒットしていたので、非常に忙しかったと思いますが、本来洗練されたポップスを好んだ彼にとっては是非やってみたい仕事だったのだろうと推測します。

 プロデュースはニック・デカロで、アレンジは筒美本人のようですが、ミュージシャンは誰だったのかぜひ知りたいところです。

  サウンドに合わせてメロディも基本洋楽っぽいのですが、時おり歌謡曲になるところが、ちょっとくせになりそうな感じ(?)が僕にはすごくするのですが、、。

 

 そしてこの「絵本の中で」をいしだあゆみが1972年にカバーしています。このヴァージョンも素晴らしいです。クロディーヌよりもいいところがあるとさえ思います。

バカラックディオンヌ・ワーウィックの関係ように、本質的な相性の良さが筒美といしだあゆみにはあったような気がします。

www.youtube.com

 筒美作品の魅力のひとつは、本質的にものすごく品がいいことじゃないでしょうか。けっこうベタな感じのするヒット曲でも、それは感じることができます。ヒット曲に”品”なんているか?と思われる人もいるかもしれませんが、”品”があるものはどんなジャンルにせよ、なかなか劣化しないと僕は感じています。

 

絵本の中で

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「スターマン(Starman)」デヴィッド・ボウイ(1972)

  おはようございます。

  今日もデヴィッド・ボウイでいってみます。「スターマン」。


Starman (2012 Remaster)

  

 ”それが何時だったのかわからないが 街灯は暗く

   僕はラジオにもたれかかって聴いていた

     誰かがロックンロールをかけて ”ソウルたっぷりだぜ”って彼は言った

  そしてでかいサウンドは消えていって

  電波に乗ってゆったりした声のようなものが聞こえてきた

     それはDJじゃなく  ぼんやり聞こえる宇宙のダンスミュージックだったんだ

 

   スターマンが空で待っている

      僕らに会いたがっているけど 

   僕らをひどく驚かせるかもしれないって思ってる

   スターマンが空で待っている 

   台無しにするなと言っている

   それがみんな価値あるものだと彼はわかっているから

    彼は僕にこう言ったんだ 

    子供たちの気持ちを解放しろ    子供たちに任せるんだ

       子供たちみんなロックで踊らせるんだ

 

  誰かに電話しなきゃと思って君にかけたんだ

  ”ヘイ、すごいんだぜ”って言ったら 君も彼の声を聞いていた

  TVをつけて チャンネル2で彼が映るかも

        窓の外を見たら彼が放つ光が見えるよ

        もし僕らが光で合図できたら 今夜彼は地上に降りるかもしれない

  パパに言っちゃダメだよ 怖がって僕らを監禁してしまうから

 

     スターマンが空で待っている

        僕らに会いたがっているけど 

     僕らをひどく驚かせるかもしれないって思ってる

     スターマンが空で待っている 

     チャンスを逃すなと言っている

     それがみんな価値あるものだと彼はわかっているから

      彼は僕にこう言ったんだ 

     子供たちの気持ちを解放しろ    子供たちに任せるんだ

        子供たちみんなロックで踊らせるんだ   ”     (拙訳)

 

***********************************************************************

Didn't know what time it was and the lights were low
I leaned back on my radio
Some cat was layin' down some rock 'n' roll 'lotta soul, he said
Then the loud sound did seem to fade
Came back like a slow voice on a wave of phase
That weren't no D.J. that was hazy cosmic jive

There's a starman waiting in the sky
He'd like to come and meet us
But he thinks he'd blow our minds
There's a starman waiting in the sky
He's told us not to blow it
'Cause he knows it's all worthwhile
He told me
Let the children lose it
Let the children use it
Let all the children boogie

I had to phone someone so I picked on you
Hey, that's far out so you heard him too!
Switch on the TV we may pick him up on channel two
Look out your window I can see his light
If we can sparkle he may land tonight
Don't tell your poppa or he'll get us locked up in fright

There's a starman waiting in the sky
He'd like to come and meet us
But he thinks he'd blow our minds
There's a starman waiting in the sky
He's told us not to blow it
'Cause he knows it's all worthwhile
He told me
Let the children lose it
Let the children use it
Let all the children boogie

There's a starman waiting in the sky
He'd like to come and meet us
But he thinks he'd blow our minds
There's a starman waiting in the sky
He's told us not to blow it
'Cause he knows it's all worthwhile
He told me
Let the children lose it
Let the children use it
Let all the children boogie

*********************************************************

 

 デビューから5年もかかってようやく初めてのヒット曲(「スペイス・オディティ」)を出したボウイでしたが、その後の3年間、世間からは引退していたかのように思われていたと言います。

   作品はリリースしていました。「スペイス・オディティ」を収録したファースト・アルバム「デヴィッド・ボウイ」、セカンド「世界を売った男」、ボウイの代表曲である「チェンジズ」や「火星の生活」のが入っているサード「ハンキー・ドリー」。しかし、すべて全く売れなかったのです。

 「スペイス・オディティ」がアポロの月面到着に合わせた”企画もの”扱いされて、アルバムまで大衆の興味が及ぶアーティストとしては認知されていなかったのかもしれません。

 そして、ライヴもやらなくなっていました。

 バンド・メンバーでそれぞれがスーパー・ヒーローに扮したコスチュームでライヴをしたことがあったそうで、そこで観客の反応がひどかったのです。

 

「まさしく爆死ってやつだったよ。で、当たり前の話だけど、メンバーたちから言われたんだ、ほらな、言った通りだろ、さあ、元の普通のバンドに戻ろうぜって、って。僕はそこですっかり心を折られたんだよ。そのパフォーマンスの後、僕はパタッと一切の活動から手を引いたんだ、何故って、そうすることが正しいってわかっていたからさ。

僕にとってはあれこそが自分のやりたいことだと確信を持っていたし、いずれ必ず人々から求められることになるものだと思ってた。ただ、それがいつのことなのかはわからなかったから、とりあえず待つことにしたんだ」

             (「デヴィッド・ボウイ インタヴューズ」)

 客観的に見えば「スペイス・オディティ」の一発屋で終わってしまう可能性のあったタイミングで、彼は”タイミングを待つ”ことを選んだわけですね。普通は「スペイス・オディティ」のヒットの勢いが残っているうちに、とかジタバタしてしまいそうですが。

 それまでも、バンドを組んで売れない、それで次のバンドで組んでまた売れない、ということを繰り返していた彼ですから挫折に対する耐性があったのかもしれませんし、あらゆる成功者に共通する”根拠のない自信”をしっかり持っていたように思います。

 

 そして、彼は他の星から来た架空のロック・スター”ジギー・スターダスト”を演じることを思いつきます。

 「スペイス・オディティ」が売れた後、少しスターになったような立ち振る舞いをしていたという彼に対して、世間の人たちは”デヴィッド・ボウイ”ではなく、曲の主人公「トム少佐」と声をかけたといいますが、今度はそれを逆手にとるように彼自ら、曲のキャラクターに完全になりきる戦略をとったわけです。

 実際にこのアルバムが大ヒットした時に、世間は彼をデヴィッド・ボウイじゃなく”ジギー・スターダスト”として受け止めまたのです。

 

 さて、「ジギー・スターダスト」からの最初のシングルで、「スペイス・オディティ」以来実に3年ぶりのシングルヒットになったこの「スターマン」は、アルバムが一旦完成したあとに、追加で作られたものだったと言います。

 アルバムを聴いたレコード会社が、シングルヒットしそうな曲がないと注文をつけたのです。

 

 「ここだけの話 皆がシングルを出せというんだ。そこで僕は考えた。いかにも僕らしい曲を書いてやろう。『スペイス・オディティ』を基にして皆が待っている続編だとすぐわかるような曲をね。『スターマン』は15分ほどで書き上げた。異星人とか宇宙に関する言葉を思いつく限り並べて言った。それを3分に詰め込んだら出来上がりだ」

             (「デヴィッド・ボウイ 最初の5年間」)

 

    開放弦の不協和音をあえて残したギターのストロークで、宇宙の空間を表現しているようなイントロにしたのは、あえて「スペイス・オディティ」の続編的な印象を持たせるためなのでしょう。

 ともかく3年間作れなかったヒット曲が、ちょっとした発想の転換であっという間に書けたわけですから不思議なものです。

 

 そして”ジギー・スターダスト”として、世界中を熱狂させたツアーの最終公演で、彼は突然“ジギー・スターダスト”自体を終わらせる宣言をし、また次の展開に向かっていくことになります。

 

 

 

 

 

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「チェンジズ(Changes)」デヴィッド・ボウイ(1971)

 おはようございます。

 今日もデヴィッド・ボウイ。「チェンジズ」です。


Changes (2015 Remaster)

 

 ”今もわからない 僕は何を待っていたのか

     数えきれないほどの袋小路で やりたい放題にやってきた

  いつも成功したと思っても その味はそんなに甘くはなかった

  だから僕は振り返って 自分を見つめ直した

  だけど僕は どんな風に人がニセモノを確かめているのかなんて

  ちらっとも見てこなかった

  僕はあまりに生き急いでいて、そんなテストをする余裕はなかったんだ

  

     変化だ 振り返って未知のものに向き合うんだ 

  変わり続けるんだ  もっと金持ちになろうなんて思うな

     変化だ 振り返って未知のものに向き合うんだ

  変わり続けるんだ  そこには違った自分がいるはずだ

  時間は僕を変えるかもしれない  

  だけど僕は時間の跡を追うことはできない

 

  大きさを変えながらも 穏やかで儚い水の流れから

  決して離れることのないさざ波を 僕は見つめている

  日々は僕の目の前を漂ってゆくけれど

     何も変わっていないようにも見える

 

  君が唾を吐きかけた子供たちが

  自分たちの世界を変えようとする時には

  君の相談なんかには耳を貸さないさ

     彼らは自分たちが経験してきたことをちゃんと把握してるんだ

 

     変化だ 振り返って未知のものに向き合うんだ

  変わり続けるんだ 子供たちに成長して脱皮しろなんて言っちゃダメだ

  変化だ 振り返って未知のものに向き合うんだ

     変わり続けるんだ  どこが恥ずかしいんだい

  君は僕らと深く関わってしまっているんだ

  時間は僕を変えるかもしれない  

  だけど僕は時間の跡を追うことはできない

 

      未知の魅力が僕を魅了する

      経験するのと同じ速度で変化は起きている

 

      変化だ 振り返って未知のものに向き合うんだ

      変わり続けるんだ  自分をロックンローラーだと思って

    変化だ 振り返って未知のものに向き合うんだ

      変わり続けるんだ あっという間に年寄りになってしまうんだ

      時間は僕を変えるかもしれない  

   だけど僕は時間の跡を追うことはできない”       (拙訳)

        

***************************

Still don't know what I was waitin' for
And my time was runnin' wild
A million dead end streets and
Every time I thought I'd got it made
It seemed the taste was not so sweet
So I turned myself to face me
But I've never caught a glimpse
How the others must see the faker
I'm much too fast to take that test

Ch-ch-ch-ch-changes
Turn and face the strange
Ch-ch-changes
Don't want to be a richer man
Ch-ch-ch-ch-changes
Turn and face the strange
Ch-ch-changes
There's gonna have to be a different man
Time may change me     But I can't trace time

I watch the ripples change their size
But never leave the stream
Of warm impermanence
And so the days float through my eyes
But still the days seem the same
And these children that you spit on
As they try to change their worlds
Are immune to your consultations
They're quite aware of what they're goin' through

Ch-ch-ch-ch-changes
Turn and face the strange
Ch-ch-changes
Don't tell them to grow up and out of it
Ch-ch-ch-ch-changes
Turn and face the strange
Ch-ch-changes
Where's your shame?
You've left us up to our necks in it
Time may change me   But you can't trace time

Strange fascinations fascinate me
Ah, changes are takin'
The pace I'm goin' through

Ch-ch-ch-ch-changes
Turn and face the strange
Ch-ch-changes
Ooh, look out you rock 'n' rollers
Ch-ch-ch-ch-changes
Turn and face the strange
Ch-ch-changes
Pretty soon now you're gonna get older
Time may change me      But I can't trace time
I said that time may change me      But I can't trace time

*****************************

 

   アメリカの雑誌「ローリングストーン」 が2004年に発表した”史上最高の500曲”で128位に入り、デヴィッド・ボウイの曲としては「ヒーローズ」(46位)に次ぐ評価を受けているこの曲ですが、発売当時は全く売れませんでした。

 アメリカで最高66位、本国イギリスではチャートインすらしなかったのです。しかし時間とともに評価が上がってゆき、彼が2016年に亡くなった時には、イギリスやオーストラリアなどでヒット・チャートに入っています。昨日このブログで取り上げた「スペース・オディティ」でソングライターとしての才能が一気に爆発した後の作品であり、やはりこの曲も彼の創作能力が遺憾無く発揮されていると思います。

 

 また、この「チェンジズ」は、そのキャリアを通して絶え間なく変貌を続けていった彼自身を象徴するものだとも受け取られています。

 

 彼のデビューは1964年で、ビートルズストーンズ、フーなど数々のバンドが売れるのを横目に見ながら、彼は「スペース・オディティ」で売れるまでに5年もかかっているのです。そして、その期間彼は地道に同じことをコツコツやるのではなく、慌ただしく変化をしていました。

   1962年に15歳でバンド活動を始めて1973年「ジギー・スター・ダスト」で正真正銘のブレイクを果たすまでの11年間に、実に9つも違うバンドを渡り歩いたといいます。

 (最初はR&Bバンドでサックスを吹いていたそうで、この「チェンジズ」のアウトロのサックスも彼が吹いています)

 この歌詞に出てくるフレーズ

 ”How the others must see the faker I'm much too fast to take that test”

 は、人のことなど気にせずに、猛烈な早さで活動してきた彼の実感なのかもしれません。

 ちなみに彼のデビュー曲「Liza Jane」はキング・ビーズというバンドと組んだ演奏したもので彼はデイヴィー・ジョーンズ(本名がデイヴィッド・ロバート・ジョーンズ)と名乗っていました。


David Bowie - Liza Jane

  

 デヴィッド・ボウイの”売れなかった5年間”は、僕のような”ポップスおたく”には興味深いエピソードがいくつかあります。

   まずは、ペトゥラ・クラークの「恋のダウンタウン」などで有名な”イギリスのバート・バカラック”トニー・ハッチが彼のプロデュースをしていた時期があります。

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   1966年、ロウアー・サードというバンドと組んで、名前をデイヴィー・ジョーンズからデヴィッド・ボウイという芸名に変えたころでした。当時人気が爆発していたモンキーズにデイヴィー・ジョーンズがいたため名前を変えることにしたらしく、”ボウイ”は大型ナイフの”ボウイ・ナイフ”(西部開拓時代にジェームズ・ボウイという人物が使ったもの)からとったそうです。

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   トニー・ハッチ・プロデュースの「Can't Help Thinking About Me」。ヒットはしませんでしたが、トニーはボウイのことを、ストーリー・テーラーで、自分の経験からネタを探して曲にすることは当時では目新しいものだった、と評しています。


David Bowie & The Lower Third - Can't Help Thinking About Me

 

 そして、僕が一番興味を持ったのは、彼のファーストアルバムに収録されていた「Love You till Tuesday」。それを新たにシングルにするときに新たにリメイクしたのがアイヴァー・レイモンドだったんです。

 レイモンドはダスティ・スプリングフィールドの「二人だけのデート」の作編曲家で、ウォーカー・ブラザースの「太陽はもう輝かない」で、”イギリスのジャック・ニッチェ”と呼んでも差し支えないような”フィル・スペクターサウンド”を生み出した人です。 

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 「Love You till Tuesday」のアルバム・ヴァージョンです。


Love You Till Tuesday

 こちらがアイヴァー・レイモンドによるシングル・ヴァージョン。”イギリスの小西康陽”(?)と呼んでいいような仕上がり。


David Bowie - Love You Till Tuesday (single version)

 

 話が逸れてしまいましたが、デヴィッド・ボウイは大抵の人間はあきらめてしまうはずの不遇な時代にあっても、言い方が悪いですが”性懲りも無く”常に新しいアクションを起こしていたようです。 

 そして、売れなかった長い期間の試行錯誤の中で、自身のビジュアル・スタイルを作り出し、演劇的なライヴ・パフォーマンスを生み出し、ストーリーテラー手法のソングライティングを磨いていきました。そしてそれが一つに集約されたのが、彼の大出世作「ジギー・スター・ダスト」だった、というわけです。

 

 

 

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「スペイス・オディティ(Space Oddity)」デヴィッド・ボウイ(1969)

 おはようございます。

 今日はデヴィッド・ボウイの「スペイス・オディティ」です。


David Bowie – Space Oddity (Official Video)

 

 ”地上管制室から トム少佐へ 地上管制室から トム少佐へ

  プロテインを服用し ヘルメットを着用せよ

     地上管制室から トム少佐へ  (10,9,8,7,6)

  カウントダウン開始  エンジン始動(5,4,3,2)

   点火を確認せよ 神のご加護を (1,発進)

 

  地上管制室から トム少佐へ

  見事に成功したよ 

  それから記者たちが君がどんなシャツを着ているのか知りたいそうだ

  いま、やれそうなら カプセルから出るんだ

 

  こちらトム少佐  地上管制室へ

  ドアから外に踏み出したところだ

  すごく奇妙な感じに体が浮かんでいる

   星も今日は全然違って見える

 

      ここで 世界から遠く離れて

   僕はこのブリキ缶(みたいなカプセル)に座っている

   地球は青く 僕にできることは何もない

 

   10万マイルも超えてやってきたけど

      僕はすごく落ち着いた気分だ

   僕の宇宙船はどこへ行くかわかっている

   僕の妻に伝えて欲しい とても愛していると

 

    地上管制室から トム少佐へ

  回線がつながらない 何か故障しているようだ

  聞こえるか トム少佐 聞こえるか トム少佐 聞こえるか

 

  ここで僕はこのブリキ缶の周りを浮かんでいる 

  月から遠く離れた場所で 地球は青く

  僕にできることは何もない        ”(拙訳)

 

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Ground Control to Major Tom      Ground Control to Major Tom
Take your protein pills and put your helmet on

Ground Control to Major Tom (ten, nine, eight, seven, six)
Commencing countdown, engines on (five, four, three, two)
Check ignition and may God's love be with you (one, liftoff)

This is Ground Control to Major Tom
You've really made the grade
And the papers want to know whose shirts you wear
Now it's time to leave the capsule if you dare

"This is Major Tom to Ground Control
I'm stepping through the door
And I'm floating in a most peculiar way
And the stars look very different today

For here    Am I sitting in a tin can
Far above the world
Planet Earth is blue
And there's nothing I can do

Though I'm past one hundred thousand miles
I'm feeling very still
And I think my spaceship knows which way to go
Tell my wife I love her very much, she knows"

Ground Control to Major Tom
Your circuit's dead, there's something wrong
Can you hear me, Major Tom?
Can you hear me, Major Tom?
Can you hear me, Major Tom?
Can you hear

Here am I floating 'round a tin can
Far above the Moon
Planet Earth is blue
And there's nothing I can do" 

 

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 宇宙飛行士と管制室とのやりとりが歌詞になっている非常にユニークな楽曲で、これがデヴィッド・ボウイのはじめてのヒット曲になりました。

 

 彼は前年(1968)に公開された映画「2001年宇宙の旅」にインスパイアされてこの曲を作ったと言われています。「2001年宇宙の旅」の原題は「2001: A Space Odyssey」ですから、<Odyssey=長い冒険の旅、遍歴>をもじって<Oddity=変人、奇人>とつけたのでしょう。

 

 また、アポロ11号が月面着陸に成功する9日前という、世界中の視線が宇宙へと注がれているピーク時にこの曲は発売され、実際に英BBCのTVの特番でこの曲が使われたそうです。

 いわば”宇宙ブーム”にのっかって売れた曲”だったわけです。

 実際この曲がヒットしたあとから、彼は有名になるわけですが、人々から”トム少佐”とよく声をかけられたそうですから、デヴィッド・ボウイという新しいスター”ではなく”宇宙飛行士のトム少佐の歌を歌っている人”という認識の方が強かったのでしょう。

 企画色の強いヒット曲は得てしてこういう偏見を生んでしまうものかもしれません。

 

 偏見を持ったのは大衆だけではなく、彼のプロデューサーのトニー・ヴィスコンティもそうでした。ボウイの才能を高く買いながらも「スペイス・オディティ」という曲だけは全くいいと思えなかったようで、アルバムの他の曲はプロデュースを引き受けたのにこの曲だけは拒否しました。

 本物の才能の持ち主であるボウイがやるには企画ものっぽすぎると思ったようです。そして代わりに彼がこの曲を任せたのが、ボウイのファースト・アルバムのエンジニアだったガス・ダッジョンです。

 

 ダッジョンはこの次の年からエルトン・ジョンと組んで大ヒットを飛ばす、プロデューサー/エンジニア。このブログでは「ベニーとジェッツ」の擬似ライヴ・サウンドを編み出した人として紹介しました。

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 最終的に、トニーはこの「スペース・オディティ」の仕上がりを絶賛しています。

 歌のドラマの中に聴き手をひきこんでゆく演出が見事だと。ボウイとダッジョンは当時発売された小型電子楽器「スタイロフォン」やビートルズで有名な「メロトロン」のサウンドをこの曲で効果的に使っています。

 

 

 根本的に、この「スペイス・オディティ」はアポロ計画による世の中の宇宙開発ブーム に乗っかって一発当てようなどという曲ではありませんでした。月面着陸のタイミングでリリースしたのは単にレコード会社の戦略でした。

 

 ボウイ本人はこんな風に語っています。

「以前書いたどの曲よりも共感できた。社会的にも感情的にも安定しない自分の不安な心に訴えるものがあった。子供の頃から感じていた孤独感がはっきりと姿を表し始めた」

「映画「2001年宇宙の旅」の孤独感が「スペイス・オディティ」の曲作りに影響した。孤立主義として曲を書いていると初めて実感したんだ。そしてこう思った。”ぼくはトム少佐だ。独りで宇宙空間に浮かんでいる。命綱だけで宇宙船と繋がる感覚は誰にもわからないだろう”とね」

        (ドキュメンタリー「デヴィッド・ボウイ 最初の5年間」)

 

 ノベルティ・ソング、企画ものっぽいスタイルのなかで、実は彼は自分自身の根源的で深い孤独感を、歌の主役のトム少佐と重ね合わせていたのです。

 

 彼の意図を知ると、地球との交信が故障で途絶えてしまったことを知らないトム少佐がただ宇宙空間を漂っているというこの曲のエンディングが一層深く胸に響くような気がします。

 

 この楽曲の持つ本当の力は時間とともに浸透していき、リバイバル・ヒットを繰り返し、ロック史のなかでも重要な曲としてリスペクトされています。そしてそれとともに”トム少佐”も神格化されてゆき、その後のボウイの楽曲に何度か登場することになります。

 

  最後に、2013年にカナダ人宇宙飛行士クリス・ハドフィールドが、宇宙ステーションでこの曲を歌った映像をMV化したものを。この動画は現在再生回数が4765万回という驚くほど大きな反響を得ています。


Space Oddity

 

 

 スペイス・オディティ」をタイトル曲とするデヴィッド・ボウイのセカンド・アルバム。個人的にアルバム全体を通してアコギの感じが好きです。

 

スペイス・オディティ」から始まる40曲入り 正真正銘オールタイム・ベスト

 

初期のボウイを知るには最適な映像作品

 

 

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