おはようございます。
今日もT・レックス。「メタル・グルー」です。
”金属の導師様(メタル・グルー) あなたですか
金属の導師様 あなたですか
鉄で覆われた椅子に腰掛けて
金属の導師様 本当ですか 金属の導師様 本当ですか
電話も持たず ひとりっきりだって
金属の導師様 ひょっとして 僕の彼女を連れてきてくれるのですか?
彼女は手に負えないかも ロックンロールの子供だから
金属の導師様 これまでは
銀粉をちりばめた、剣歯を持つ夢みたいなものだったのでしょうか
僕は汚れていない、いわば、汚染機械になりますよ
金属の導師様 あなたですか 金属の導師様 あなたですか” (拙訳)
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Metal Guru is it you, Metal Guru is it you
Sitting there in your armor plated chair, oh yeah
Metal Guru is it true, Metal Guru is it true
All alone without a telephone, oh yeah
Metal Guru could it be you're gonna bring my baby to me
She'll be wild you know a rock and roll child, oh yeah
Metal Guru has it been, just like a silver-studded sabre-tooth dream
I'II be clean you know pollution machine, oh yeah
Metal Guru is it you, Metal Guru is it you
Oh yeah, oh yeah, yeah, yeah, rock!
Metal Guru could it be you're gonna bring my baby to me
She'll be wild you know a rock and roll child, oh yeah
Metal Guru is it you, Metal Guru is it true
All alone without a telephone, oh
Metal Guru could it be you're gonna bring my baby to me
She'll be wild you know a rock and roll child, oh yeah
Metal Guru is it you, Metal Guru is it you, yeah, yeah, yeah
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この歌についてマーク・ボランはこう語っています。
「人生の祝祭の歌だ。“メタル・グルー”は周りにいるすべての神につながっている。僕は神は信じているけど、特定の宗教を信仰してはいない。“Metal Guru”は特別な誰かのようなもので、神であるのは間違いない。神はどんなものかって考えてみたとき、きっと電話もなくひとりぼっちだろうと思った。俺ももう電話には出ないことにしているんだ。ある決まった時間にだけ電話してもいいという規則はあるけど」
メタル・グルーは彼が創造した”神様”なんですね。鋼鉄製のいかめしい椅子に座った孤独な神様。彼が愛読するファンタジー小説に出てきそうなキャラクターのようにも思えます。
昨日このブログに登場した「ゲット・イット・オン」がリリースされた1971年頃のイギリスで音楽関係者たちは”むかしビートルズ、いまT・レックス”というようなことを口々に語っていたそうです。
確かに、彼らのディスコグラフィを見ると、1971年から72年にリリースしたシングル7枚のうち全英1位が4つあと3つは2位というぶっちぎりの売れ方を見せています。
少なくとも、これは1972年に「ジギー・スターダスト」で大ブレイクした盟友デヴィッド・ボウイの遥か上をいくものだったのは間違いありません。
「ゲット・イット・オン」の次のシングルが「ジープスター」、その次が「ゲット・イット・オン」似たグルーヴを持った「テレグラム・サム」で、この曲もイギリスで1位になっています。
この曲は”テレグラム(電報)サム”とか”パープル・パイ・ピート”とか”ジャングル・フェイス・ジェイク” といった登場人物が出てきますが、彼の歌詞は、どういう意味なのかというよりもとにかく、斬新でキャッチーな言い回しを生み出していくことが"肝”としているように思います。”メタル・グルー”も、金属と導師様という普通は結びつかない言葉をくっつけてノリを楽しんでいるのでしょう。
さて、イギリスでは超スーパースターになり「ゲット・イット・オン」でアメリカでもヒットを飛ばした彼らでしたが、その後アメリカでは急激に失速してしまいました。
はっきりした原因はわかりませんが、1972年にニューヨークのカーネギー・ホールをはじめとしてアメリカ公演を行なったのですが、その評判があまり良くなかったようです。
1960年代後半に大ブームになったティーンエイジャー向けポップス”バブルガム・ポップ”(1910フルーツガム・カンパニーなど)のアーティストだととらえられた、という説もあるそうです。
本国イギリスでは、もともとサイケデリックなフォーク・ロックをやっていた彼らの歩みもわかっていますし、メイクをしキラキラな衣装を着て演奏する”グラム・ロック”の文化的な背景などを理解しているという前提があったわけですが、その前提がなかったアメリカでは、キラキラ衣装でキャッチーなロックをやるという”表層”だけで、とらえられてしまったということがあっただろうということは、十分推測できます。
デヴィッド・ボウイもジョン・レノンと組んだ「フェイム」(1975)まではアメリカでは売れませんでしたから、あまりに都会っぽすぎる、ファッショナブルすぎるロックはアメリカのように”巨大な田舎”を抱えた国では、根本的に難しかったのかもしれません。
そして、イギリス以外の国で、アメリカ以上に盛り上がった国の一つが日本でした。