まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「恋のダウンタウン(Downtown)」ペトゥラ・クラーク(1964)

 おはようございます。

 今日は、イギリスの女性シンガーで初めての全米NO.1シングルとなった、ペトゥラ・クラークの「恋のダウンタウン」です。


Petula Clark ~ Downtown (1964)

 

 ”あなたがひとりぼっちで 人生が孤独に感じさせるときは

  いつでも行けるの ダウンタウン

  悩みを抱えてるとき 街の騒めきや忙しなさが救ってくるかも

  それがダウンタウン

 

     街を往く乗り物が奏でる音楽にただ耳を傾け 

  ネオンがきれいなサイドウォークにいればいい

     何も失うものはないでしょ?

 

  灯りはそこだけずっと明るく輝き

  悩みも心配事も全部忘れられるわ

     だからダウンタウンに行こう そこにいれば物事は素晴らしくなる

  ダウンタウン  これ以上素敵な場所はないはず

  ダウンタウン 全てがあなたを待っているわ

 

 あちこちふらついて 問題に取り囲まれないで

 映画をやっているんだから ダウンタウン

 ひょっとしたら

 ずっと開いているちょっとした場所を知ってるんじゃない?
 ダウンタウン

 

 品のいいボサノヴァのリスムにただ耳を傾けるだけ

 夜が終わるずっと前に 彼と踊っているかもね

 また幸せに戻って

 

     灯りはそこだけずっと明るく輝き

  悩みも心配事も全部忘れられるわ

     だから行こうダウンタウン 灯りは全て輝いて

   ダウンタウン 今夜あなたを待っている

     ダウンタウン あなたはもう大丈夫

 

  ダウンタウン ダウンタウン

  あなたは 見つけるかもしれない

  優しくて 手を差し伸べてくれて 理解してくれる誰かを

  ちょうどあなたのように

  優しく手を差し伸べて導いてほしいと思っている誰かを

  
 だからたぶんそこであなたに会うでしょう
 私たち トラブルも 心配事も全部忘れられる
 だからダウンタウンに行こう そこにいれば物事は素晴らしくなる

 ダウンタウン 1分もためらわないで

 ダウンタウン すべてがあなたを待っている  ” (拙訳)

 

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When you're alone, and life is making you lonely
You can always go
Downtown
When you've got worries, all the noise and the hurry
Seems to help, I know
Downtown
Just listen to the music of the traffic in the city
Linger on the sidewalk where the neon signs are pretty
How can you lose?

The lights are much brighter there
You can forget all your troubles, forget all your cares
So go downtown, things'll be great when you're
Downtown, no finer place for sure
Downtown everything's waiting for you

Downtown

Don't hang around and let your problems surround you
There are movie shows
Downtown
Maybe you know some little places to go to
Where they never close
Downtown
Just listen to the rhythm of a gentle bossa nova
You'll be dancing with him too before the night is over
Happy again

The lights are much brighter there
You can forget all your troubles, forget all your cares
So go downtown, where all the lights are bright
Downtown, waiting for you tonight
Downtown, you're gonna be alright now

Downtown, downtown Downtown Downtown
And you may find somebody kind to help and understand you
Someone who is just like you and needs a gentle hand to
Guide them along

So maybe I'll see you there
We can forget all our troubles, forget all our cares
So go downtown, things'll be great when you're
Downtown, don't wait a minute for
Downtown, everything's waiting for you

Downtown, downtown, downtown, downtown

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 シュガー・ベイブの「ダウンタウン」を作るときに、伊藤銀次はまずこの曲をイメージしたと言いますが、ダウンタウンに行けば、嫌なことも忘れてハッピーになれるというテーマは共通していますね。

 

popups.hatenablog.com

 

 

 ペトゥラ・クラークはイギリスの歌手、女優。幼い頃から芸能の仕事を始め、映画やTVにも数多く出演していて、この「恋のダウンタウン」の頃にはすでにスターで年齢も32歳になっていました。この頃はイギリスよりフランスでのほうが人気が高く、フランスをメインで活動していました。

 彼女がフランス後で歌い、ドイツ、イタリアで大ヒットさせたものに「愛のシャリオ」(1962年。作曲はポール・モーリア)という曲があって、日本とアメリカではペギー・マーチが英語版で大ヒットさせています。ちなみに、この英語版の作詞は、このブログの「やさしく歌って」の記事に登場したノーマン・ギンブルが、プロデュースはスタイリスティックスの「愛がすべて」の記事に登場したヒューゴ&ルイージが手がけています。


Little Peggy March - I will follow him (best version)

  この曲を作ったのはトニー・ハッチ。

   彼はイギリスの”パイ・レコード”のアシスタント・プロデューサーとして、ペトゥラの作品に関わっていました。

  ソングライターでもあった彼は、当時、キャロル・キングバート・バカラック、バリー・マンニール・セダカなど、才能あるソングライターが大ヒット曲を生み出していたニューヨークの”ブリル・ビルディング”をぜひ見学したいと思い、行ってみることにします。パイ・レコードのアーティスト用に曲を見つける名目でもありました。

 

「僕はセントラルパークの近くに泊まり、ある夜遅く、ブロードウェイからタイムズスクエアまで歩きました。私はすべての店がまだ開いていることに驚きました。一人で行ったにもかかわらず、一人ではないという気持ちになれたんです。

   クリスタルズ がすでに「 アップタウン 」という 曲を録音していたのですが、 ネオンの光と人々を見て 「ダウンタウン」の方がずっといいタイトルだ 、と思ったんです。地理的には僕は間違っていて、本当のダウンタウンはマンハッタンのもっと下の方だったんですが。でも、この言葉はナイトライフのある場所を意味していて、それが頭に残っていたんです」


 最初はベン.E.キングが歌うようなイメージだったそうです。当時彼はペトゥラのプロデューサーに昇格していて、イギリスでずっとレコードをリリースしていない彼女から、また英語の曲でまたヒットを狙いたいと言われていました。

 そして、帰国した彼は、彼女のために集めた曲を持ってフランスにいるペトゥラに会いに行きます。しかし、彼女はどれも気に入らず、何か新しい曲は作らなかったの?と訊かれ、困った彼は、まだタイトルとメロディしか決まっていなかった「ダウンタウン」をピアノで弾いたそうです。

 彼女は凄く気に入り「その曲のメロディと同じくらい良い歌詞をつけてくれたら、ぜひ歌ってみたいわ」と言ったそうです。

 トニーは、イギリスに戻って2週間後にレコーディングをセッティングしました。トップ・ミュージシャンをかき集め、コーラス含め約40人という大所帯でのレコーディングで、メンバーにはのちにレッド・ツェッペリンを結成するジミー・ペイジもいたそうです。

 そのときスタジオのトイレでは、トニーがまだ歌詞と格闘していたそうですが、、。

 

 当初、この曲にレコード会社はそれほど乗り気じゃなかったそうです。しかし、アメリカから来たワーナー・ブラザースの人間が興味を持ちアメリカでリリースすることになります。

 ”イギリス人の目を通して見たアメリカ”という点をとても気に入ったからだったといいます。

 そして、この曲は全米1位という大ヒットになります。

 

 この当時、アメリカとイギリスでは”ダウンタウン”という言葉の示すものが違ったようで、イギリスでは都市の中心部のそれほど裕福じゃない地区のことで、派手じゃない場所ですし、”ダウンタウン”という言葉自体もそう頻繁に使われていなかったそうです(今ではイギリスもアメリカで使うのと同じように”街の中心部”を指すようになったそうが)。

 

 イギリスとアメリカの「ダウンタウン」の解釈の違い、トニー・ハッチがブロードウェイからタイムズスクエアあたりを「ダウンタウン」と勘違いしてしまったこと、男性が歌うイメージだった曲を止むに止まれず女性が歌うことになってしまったこと、こういういくつもの「ズレ」が、この曲の誕生までの過程には含まれていて、それが見えない面白みにつながっていたのかもしれませんね。