まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「さよならハリウッド(Say Goodbye Hollywood)」ビリー・ジョエル(1976)

 おはようございます。

 今日も追悼フィル・スペクター。彼のサウンド・スタイルを意図的に取り入れた”オマージュもの”のなかから、有名なビリー・ジョエルの「さよならハリウッド」を。


Billy Joel - Say Goodbye to Hollywood (Official Video)

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Bobby's driving through the city tonight
Through the lights
In a hot new rent-a-car
He joins the lover in his heavy machine
It's a scene down on Sunset Boulevard

Say goodbye to Hollywood
Say goodbye my baby
Say goodbye to Hollywood
Say goodbye my baby

Johnny's taking care of things for awhile
And his style is so right for Troubador's
They got him sitting with his back to the door
Now he won't be my fast gun anymore

Moving on is a chance that you take anytime you try to stay together
Say a word out of line and you find that the friends you had are gone
Forever...forever


So many faces in and out of my life
Some will last, some will just be now and then
Life is a series of hellos and goodbyes
I'm afraid it's time for goodbye again

 

Say goodbye to Hollywood
Say goodbye my baby
Say goodbye to Hollywood
Say goodbye my baby              

 

Moving on is a chance that you take anytime you try to stay together
Say a word out of line and you find that the friends you had are gone
Forever...forever

 

So many faces in and out of my life
Some will last, some will just be now and then
Life is a series of hellos and goodbyes
I'm afraid it's time for goodbye again

 

Say goodbye to Hollywood
Say goodbye my baby
Say goodbye to Hollywood
Say goodbye my baby              

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ボビーは今夜街の灯のなかを駆け抜けてゆく

いかした新しいレンタカーで

ヤツは最高のマシーンで恋人と合流するのさ

サンセット・ブールヴァードじゃおなじみの光景さ

 

さよならハリウッド さよならオレのベイビー

さよならハリウッド さよならオレのベイビー

 

当面はジョニーがなんとかやってくれるだろう

ヤツのスタイルはオレみたいな吟遊詩人にはぴったりだ

彼らはヤツをドアに背中を向けて座らせたんだ

ヤツはもうはオレを守ってくれることはないだろう

 

おまえが一緒にいようとするときだっていつも

ここを出てゆくことはチャンスなんだよ

言いすぎたことを言えば、友達だったヤツもいなくなるんだ

永遠に、、

 

オレの人生にはいろんな顔が現れて消えてゆく

ずっと続くヤツもいれば その時だけのヤツもいる

人生は”ハロー”と”グッバイ”のくりかえし

また”グッバイ”を言う時が来てしまったようだ

 

さよならハリウッド さよならオレのベイビー

さよならハリウッド さよならオレのベイビー    ” (拙訳)

 

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 代表的な”ご当地アーティスト”としてニューヨーク市民からこよなく愛されているビリー・ジョエルですが、キャリアの初期に悪徳(?)マネージメントから離れるために

西海岸に拠点を移していた時代があります。そこで作られたアルバムが「ピアノ・マン」と「ストリートライフ・セレナーデ」でした。そして、またニューヨークに戻って作ったのが「ニューヨーク物語(Turnstyle)」で、そこからのファースト・シングルがこの「さよならハリウッド」でした。

 アルバムの多くの曲がニューヨークに戻ってからのものですが、この曲は西海岸を離れる時のことを歌ったものです。

 

 この曲の歌詞は、特定の人物のことに触れています。

 それは歌詞の2番に出てくる”ジョニー”で、西海岸時代の暫定的なマネージャーだったジョン・トロイのことなのだそうです。

 ジョンはバーテンダーあがりで音楽業界の仕事もしていた人物で、ビリーが悪徳マネージメントから逃れている間マネージャー役を買って出てくれたそうです。

 人間的にも、まわりの評判も悪くなかったのですが、メジャー・アーティストとして売れるためには、もっと力のあるマネージメントが必要だという結論に達したビリーは彼とたもとを分かつことにします(そのあと彼のマネージャーになったのは奥さんのエリザベスでしたが、、)。

 ジョニーを”ドアに背中を向けて座らせた”彼らというのは、ビリーの弁護士や会計士、そしてビリー自身のことなのだそうです。

 

「ジョンのマネジメントではこれ以上の発展は見込めないという結論に達したんです。このくだりは西部劇になぞらえて、(保安官の)ワイルド・ビル・ヒコックは店のドアに背を向けて立たないように常に気をつけていたそうですが、ある日、うっかり背を向けたとたん、射殺されるんです。同じようにジョンもうっかり背を向けたために、解雇という弾に気づけなかったという意味なんですよ」

 (「イノセントマン ビリー・ジョエル100時間インタヴューズ」)

 

 こんなこと、一般の人は歌詞を聴いてもわからないですよね(苦笑)。でも、それで成立しちゃうわけですから、ポップ・ミュージックって不思議なもんです。

 

 このシングルはチャートにすら入りませんでしたが、ビリーが大ブレイクした後、ブレイク前の楽曲にスポットライトをあてる目的で作られたライヴ・アルバム「ソングス・イン・ジ・アティック」(1981)からのシングルとして全米17位のヒットになりました。


Billy Joel - Say Goodbye to Hollywood (Audio)

 

 この曲はフィル・スペクターがプロデュースしたロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」をイメージしたことは広く知られています。

 フィル・スペクターのアレンジを踏襲しながらも、ビリーは歌い手としてもロネッツのボーカル、ロニー・スペクターをイメージしているようです。

 ロニーは「ビー・マイ・ベイビー」の他にも「ユー・ベイビー」「ベイビー、アイ・ラヴ・ユー」などのヒットがある、ポップス界最高の”ベイビー”の使い手(!)なんですね。彼女の発する”ベイビー”の虜になった男は多かったようで、ジョン・レノンはロニー・スペクターに会った時に「僕のためだけに耳元で”ビー・マイ・ベイビー”を歌ってほしい」と懇願してたたので彼女は歌ってあげた、なんてエピソードがあるくらいです。

 ビリーもこの曲で”ベイビー”をわざと、ロニーを彷彿させるような節回しで歌っています。

 

  そして、当のロニー・スペクターがこの曲をカバーすることになります。

フィル・スペクターの妻だった彼女は、彼に長年苦しめられていましたが、ようやく1974年に離婚することができました。彼の支配下にあったためアーティストとして長いブランクがありました。

 1975年に「You'd Be Good For Me」というフィル以外のプロデューサーによるシングル(ディスコ)をリリースしますが、全く不発に終わります。

 そこに現れたのが、スティーヴ・ヴァン・ザント。ブルース・スプリングスティーンのバンド”E. STREET BAND”のギタリストでプロデューサー。彼女のファンだった彼は、1976年にまず自分がプロデュースするサウスサイド・ジョニーのデュエット相手として彼女を呼び、"E.STREET BAND”の演奏で1977年に彼女のシングルをプロデュース出すことにし、選ばれた曲が「さよならハリウッド」だったのです。


Ronnie Spector & The E Street Band - Say Goodbye To Hollywood

 演奏していたかはわかりませんが、スプリングスティーン本人もこのシングルのジャケットに載っています。

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  スプリングスティーンは「明日なき暴走」(1975)という代表作で、自己流フィル・スペクターサウンドを作るために膨大な時間を費やしていて、実際フィルの現場に見学に来たこともあったそうです。フィル・スペクターの楽曲に魅了された一人なんですね。

 ロニー・スペクターは語っています。

ニュージャージーのアズベリー・パークのストーン・ポニー(ブルース・スプリングスティーンのホームグラウンド)に歌いにいった時、ブルースがステージに上がって来てくれて、ビリー・ジョエルが隣に座ってくれたの。みんな私を崇拝してくれたのよ、私は言ったわ”それ私のこと?”って」

                             (Rolling Stone)

 長く苦しいブランクがあった彼女にとっては本当に嬉しい瞬間だったことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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