まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。(現在は不定期で更新中)古今東西のポップ・ソングのエピソード、和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ(NIche)”なものになってしまったのかもしれませんが、みなさんの毎日の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればうれしいです。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出なども絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「夏、ハイランドフォールズにて( Summer, Highland Falls)」ビリー・ジョエル(Billy Joel)(1976)

 おはようございます。

今日はビリー・ジョエルの「夏、ハイランドフォールズにて」です。


Billy Joel - Summer, Highland Falls

They say that these are not the best of times
But they're the only times I've ever known
And I believe there is a time for meditation
In cathedrals of our own

Now I have seen that sad surrender in my lover's eyes
And I can only stand apart and sympathize
For we are always what our situations hand us
It's either sadness or euphoria

So we'll argue and we'll compromise
And realize that nothing's ever changed
For all our mutual experience
Our separate conclusions are the same

Now we are forced to recognize our inhumanity
A reason coexists with our insanity
Though we choose between reality and madness
It's either sadness or euphoria

How thoughtlessly we dissipate our energies
Perhaps we'll help fulfill each other's fantasies
And as we stand upon the ledges of our lives with our respective similarities
It's either sadness or euphoria

*********************

”今はいい時代じゃないと人は言う
だけど僕はこの時代しか知らないんだ
そして、自分の心の聖堂の中で
瞑想しなくてはいけない時もあるのだと
僕は信じている

いま僕の恋人の瞳に
悲しいあきらめが浮かんでいても
僕にできるのは、
離れた場所に立って同情することだけ

いつだって僕たちは状況に左右されてしまう
それは悲しみか幸福感のどちらかなんだ

だから僕たちは言い争い、妥協をする
そして何ひとつ変わっちゃいないことに気づく
みんな同じような経験をするから
それぞれが出した結論も同じものになってしまう

今や僕たちは自分たちの残酷さに気づかされてしまう
僕たちの理性は狂気と共存している
現実と狂気のどちらかを選んでみても
得られるのは悲しみか高揚感のどちらかなんだ

なんて軽率に僕たちはエネルギーを浪費するのか
たぶん僕たちはお互いが夢見ていることを
満たすことはできない
僕たちはそれぞれ似たものとともに、
人生の崖っぷちに立っている
それは悲しみなのか、陶酔感なのか  ”

             (拙訳)

 *********************

  ビリー・ジョエルといえば”ニューヨーク”というイメージですが、彼はキャリアの初めの頃にまったく売れずマネージメントともトラブルが多かったため、西海岸に”逃避”していた時期がありました。

 そこでレコード会社と契約もし、メジャー第一弾の「ピアノマン」、セカンド「ストリート・ライフ・セレナーデ」の二枚のアルバムはロサンゼルスでレコーディングされています。

 しかし、期待されたほどのセールスを上げられず、ロサンゼルスでもマネージメントの問題があったりしたため、彼はニューヨークに帰る決意をします。

 そして、ビリーの”もう、都会には戻りたくない。郊外に住んで仕事の時にだけ都会に行けばいいんだから”という意向を受けて彼の当時の奥さんが家を見つけた場所が”ハイランドフォールズ”でした。

 ニューヨーク州ハドソン川沿いの南側にある小さな村です。

(そして、この家は”ビリー・ジョエルが暮らした家”として今では朝食付きホテル(B&B...Bed&Breakfast)になっているそうです)

 マンハッタンから離れた小さな村の隠れ家で、まだ売れる前のビリーが、随想的に自分の思いを描いたのがこの「夏、ハイランドフォールズにて」だったのです。

 ハイランドフォールズの夏の景色を歌った歌ではなく、”夏のハイランドフォールズで考えたこと”についての歌なんですね。

 人間の世界の本質をついた歌詞だと思いますが、そこには達観したような視点と、そして幾らか無力感も感じられます。

 それは、都会から離れた静かなところにいたからこそ書けた歌詞だったのかもしれません。

 この歌詞で僕が注目したいのは、結局のところ人は状況に左右され「Sadness」か「Euphoria」のどちらかに揺れる存在なんだと言うところで、

 「Sadness」は”悲しみ”でいいんでしょうがその反対語として選ばれたのが「Happiness」とか「Joy」ではなく、「Euphoria」=ユーフォリアという言葉なんですね。

 生粋の日本人の僕には「ユーフォリア」という言葉が意味する感覚が正直はっきりしないのですが、調べてみるともともとイタリア語源で「多幸感」「幸福感」もしくは「陶酔」などと訳されています。「根拠のない過度の幸福感」なんて記述もあります。

 スポーツ・イベントやライヴで盛り上がって得られる「幸福感」はユーフォリアらしいですし、薬の効果としても使われるようです。

 幸福感の中でも、何らかの刺激で得られるもの、ある種の興奮状態を伴うものを主に指すようで、”家族団欒”とか平穏であたりまえの幸せ”なんていうのはユーフォリアとは違うみたいですね。

 ですから、この歌では普遍的な意味での「悲しみ」と「幸せ」ではなく、もう少し気分的なものを指しているのでしょう。そして、それは正反対のものではなく、どちらも周りの状況によって左右される”表裏一体”のものとして、「悲しみ(Sadness)」と「幸福感(Euphoria)」という言葉を使っている気がします。

 

「個人的には、躁鬱症に捧げる歌だと思っています」

 (「イノセントマン ビリー・ジョエル100時間インタヴューズ」)

 なんて、本人は身もふたもないことを言っていますが、、。

 昔からよく知っている曲だったのですが、今の時代のほうが歌詞がリアリティを持って伝わってくるような気がします。

 状況、情報に振り回され、日々一喜一憂(憂のほうが圧倒的に多いですが)している自分の姿に歌詞が重なってくるのです。

 自分の心の聖堂で、静かにじっくり考えるべき時なのかもなあ、と思います。それは、なかなか難しいことですけど。

 

  この曲のライヴ映像を、最後に。 1985年”ファーム・エイド”での演奏です。

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