まいにちポップス

1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、勝手な推理、などで紹介していきます

「ガールズ・イン・ゼア・サマー・クローズ(Girls in Their Summer Clothes)」ブルース・スプリングスティーン(2008)

 おはようございます。

今日はブルース・スプリングスティーン。平穏で少しときめくような夏の夜の歌です。


Bruce Springsteen-Girls in their summer clothes

 

       ”街灯がブレッシング・アヴェニューを照らしている

   恋人たちはそれぞれ手をつないで歩いてゆく

   そよ風が家のポーチを通り抜け

   自転車のスポークが回っている

   ジャケットを着て 外に出る

         今夜 オレはこの街で目一杯楽しんでやるんだ

 

   夏服を着た少女たち

   夕暮れの涼しげな光を浴びて

         夏服を着た少女たちが

   オレの横を通り過ぎてゆく

 

         子供のゴムボールが

   ランプの下の側溝で音を立てて跳ね返る

   銀行の大きな時計が時を告げると

         フロントポーチの淡い照明が消えてゆく

   

   日が暮れてゆくにつれて

   ダウンタウンの店は活気づいてゆく

        キツイ日々だったけど

   オレにもきっと運がむいてくるはずさ

 

    夏服を着た少女たち

   夕暮れの涼しげな光を浴びて

         夏服を着た少女たちが

   僕の横を通り過ぎてゆく

 

         フランキーズ・ダイナー 街外れにある昔馴染みの店さ

         ネオン・サインが回転している

         遺失物取扱所に掲げられた十字架のように

    ポップス・グリルを蛍光灯がちらちらと照らしている

    シャニカがコーヒーを持ってきて”おかわりは?”とたずねる

    そして言う”何を考えてるの?かわいそうなビル”

 

    彼女は立ち去った オレの胸にナイフのような痛みを残して

    やあ、美しい人よ 君は一瞥するだけで オレを救うことができるんだ

    この魔法のストリートでは 愛は愚か者のダンスだ

    オレにはたいしたセンスもないが 踊れる足だけはまだある

  

   夏服を着た少女たち

     夕暮れの涼しげな光を浴びて

           夏服を着た少女たちが

     僕の横を通り過ぎてゆく                                            ”(拙訳)

 

 

  夏の夕暮れの情景を具体的に描いて、その映像の中に聴き手を引き込んでゆくという手法はシールズ&クロフツの「サマー・ブリーズ」と共通しています。

 

popups.hatenablog.com

 ただし、「サマー・ブリーズ」は平日の夕暮れの帰宅時ですが、この曲はたぶん週末で街に繰り出すタイミングです。

 

 歌詞にある”ブレッシング・ストリート”はテキサス州オースティンにある通りですが、実際にそこが舞台になっているかは不明です。

 

 そして、この曲名を聞いてどうしても思い出してしまうのが、アーウィン・ショーの短編小説「夏服を着た女たち」です。

 こちらの原題は”The Girls in Their Summer Dresses”。こちらはサマー・ドレスなんですね。”夏服”と訳すなら、スプリングスティーンのほうの”サマー・クローズ(Summer Clothes)のほうが近いわけです。

 常盤新平氏がつけた「夏服を着た女たち」という邦題は見事なほど”すわりがいい”のですが、厳密には不正確なため、小笠原豊樹氏が訳した時には「サマー・ドレスの女たち」というタイトルにしていました。

 

 もうひとつ僕が思ったのは”Girls”はこの場合やっぱり”女たち”なんですね、日本の教科書通りの”少女”じゃない。Girl=少女ではないわけです。その辺の感覚は、正確ではないですが、洋楽にたくさん触れてくるとその辺は何となくわかる気がします。Girlのほうが守備範囲が広い。少女は”幼さ”とは切り離せない感じがしますが、Girlはもう少し大きくなった女性にも使えるように思います。

 

 アーウィン・ショーの小説の”Girls”は”女たち”がニュアンスが近いのだろうと思います。

 スプリングスティーンのこの曲の場合は、どっちでもいける気が僕にはします。ただ、全体的に郷愁感があるのと、夏というイメージとの兼ね合いで、少女、のほうがややしっくりくるかな、と個人的には思います。

 

  脱線ついでに、「夏服を着た女たち」の舞台はニューヨーク、実は舞台は11月なんですね。街を歩きながら、旦那が通り過ぎる女性をいやらしい視線でいちいち振り返るのにたまりかけた奥さんが、やんわりと問い詰め、それに開き直って言い訳をする旦那の話です。こう書いてしまうと、なんか野卑た話みたいになってしまいますが、それを実に洗練された都会的な話術で展開してゆくのが、この作家と翻訳家の技量というわけです。

 そして、その旦那が、自分が眺めるのが好きなのはこんな女性だ、と言って例をあげる中に”サマードレスを着た女たち”というフレーズが出てくるのです。

 ニューヨークのイメージと”サマー・ドレス”はマッチしているんですね。

 

 スプリングスティーンはこう語っています。

「夏の終わりのアメリカの小さな街の昔からあるイメージを持つ歌を書くことに興味があったんだ。 

 そしてそれはポップソングの中に完璧にハマるんだ。空気がちょうどよくて、何らかの形でそこに太陽が存在するときには」

 

 舞台はテキサス州オースティンかどうかはわかりませんが、小さな地方都市なんですね。

 少なくともサマー・ドレスはちょっと似合わない、日常的なサマー・クローズのほうがしっくりするのだと思います。

 小説の「夏服を着た女たち」は、ひょっとしたらタイトルだけかもしれませんが、スプリングスティーンの念頭にはあったのだと思います。その舞台を地方都市に移して、小説のようなリッチな若夫婦じゃなく、彼の曲ではお馴染みの”孤独な労働者階級の男”を配置して、そこから浮かびあがる映像をスケッチしていったんじゃないかと思います。

 

 決して恵まれてはいない境遇の男も、夏の華やいだ空気の中に身を置くことで、少しだけ前向きな気分になれる、そういう歌になったわけです。

 ただ、その景色の中で最も魅力的な存在である”夏服の女たち”は彼の横を通り過ぎてゆくだけなんですが、、。

 

 ポップス、ポップ・ソングというのはその時代時代の大衆の新しい好みを反映させながら変化し生き続けてきたわけですが、これだけ長い年月を積み重ねてくると、ある程度年をとった人間にとって”郷愁感”をもたらすものとしての役割も大きくなってきているのかもしれません。

 

 最後はスプリングスティーンの弾き語りのライヴ映像を


"Girls in Their Summer Clothes" - Bruce Springsteen, Perth Arena (7 Feb 2014)

 

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