まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「イズ・ジス・ホワット・アイ・ゲット・フォー・ラヴィング・ユー(Is This What I Get For Loving You?)」ロネッツ(1965)

 おはようございます。

 12日にロニー・スペクターが亡くなったというニュースが昨日の朝入ってきました。フィル・スペクターが亡くなったのが去年の1月16日でしたから、ほぼ1年後ですね。

 今日は、ロネッツの代表曲ではありませんが、僕がすごく好きな「イズ・ジス・ホワット・アイ・ゲット・フォー・ラヴィング・ユー(Is This What I Get For Loving You?)」を。

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There's been a lot of talk around
That you've been seen with a certain party
And now I'm so afraid I'm losing you oh baby
Don't tell me you don't want my love
I couldn't give it to just anybody
Baby won't you tell me it's not true

Don't leave me baby
Don't tell me it's over
After I trusted you
And did my best to make you happy

Is this what I get for loving you baby
Is this what I get for loving you, baby
There was a night when
You held me tight and
You said you'd always love me
You said you'd never hurt me

What would there be left for me
It's such a cruel world to be alone in
I always needed you to look out for me oh baby
I'm gonna miss your loving arms
They're the only arms I feel at home in
Don't you know how lonely I'm gonna be


Don't leave me baby
Don't tell me it's over
After I trusted you
And did my best to make you happy

Is this what I get for loving you baby
Is this what I get for loving you, baby
There was a night when
You held me tight and
You said you'd always love me
You said you'd never hurt me

Don't leave me baby

Is this what I get for loving you baby
Is this what I get for loving you, baby
There was a night when
You held me tight and
You said you'd always love me
You said you'd never hurt me

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遠回しな話ばかり
あなたが誰かと一緒だったとか
あなたを失うんじゃないか心配なの
私の愛がほしくないなんて言わないでね
他の人にはあげられないわ
ベイビー、本当じゃないと言ってくれないの?

 

私を捨てないで ベイビー
もう終わりだなんて言わないで
あなたを信じて
幸せにするためにできるだけのことをやったのに

 

これがあなたを愛した結果なのベイビー
これがあなたを愛したことで私が得たものなの?ベイビー
あんな夜もあったのに
私を強く抱きしめて
あなたはいつも私を愛していると言った
けっして私を傷つけないって言った

 

私に何が残されているの
ひとりぼっちでこんな冷酷な世界にいるのに
私はいつだってあなたに見守られていないとダメなの ああベイビー
あなたのやさしい腕が恋しくなるわ
私が安らげる唯一の腕
私がどれだけさみしくなるのかわからないの?


私を残していかないで ベイビー
もう終わりだなんて言わないで
あなたを信じて
幸せにするためにできるだけのことをやったのに


これがあなたを愛した結果なのベイビー
これがあなたを愛したことで私が得たものなの?ベイビー
あんな夜もあったのに
私を強く抱きしめて
あなたはいつも私を愛していると言った
けっして私を傷つけないって言った

私を残していかないで、ベイビー

これがあなたを愛した結果なのベイビー
これがあなたを愛したことで私が得たものなの?ベイビー
あんな夜もあったのに
私を強く抱きしめて
あなたはいつも私を愛していると言った
けっして私を傷つけないって言った

           (拙訳)

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 ロニー・スペクターは本名をヴェロニカ・イヴェット・ベネットといって1943年8月10日、ニューヨークのスパニッシュ・ハーレムで生まれています。母親はアフリカ系アメリカ人ネイティブ・アメリカンの血を引き、父親は白人でした。彼女がまだ幼い頃にアルコール依存症の夫と離婚した母親は、子供たちが音楽でプロとになるために積極的にバックアップしたそうです。

 

 彼女は姉のエステルと従姉妹のネドラ・タリーとグループを組み、彼女が好きだったフランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズの曲などを歌っていました。最初は”ロニー・アンド・ザ・リラティヴス(Ronnie and the Relatives)”と名乗っていました。(Relativeを”親戚”と解釈すると、本当はロニー、エステル&ザ・リラティヴ、なんでしょうけど、ロニーと親族、みたいな感じだったんでしょうね。ずいぶん安易な気もしますが、、)

 そして1962年にレコード・デビューを果たしています。

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 そしてグループ名を”ロネッツ”にあらため、「I'm Gonna Quit While I'm Ahead」という曲をリリースします。 

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  レコードは全く売れませんでしたが、思わぬ形でチャンスが訪れます。当時ニューヨークの流行発信地であったクラブ”ペパーミント・ラウンジ”で、出演者と間違われステージでバックダンサーをしたところ評判になり、レギュラー出演することになったのです。

 そして、こんな偶然が起こります。彼女はこう語っています。

 

「『デル・シャノンのバックを務めることになって姉が電話したんだけど、番号をかけ間違えたのよ』と振り返るロニー。電話に出たのはフィル・スペクターだった。『相手は「誰?」って聞くし、姉も「誰?」って。でもフィルは私たちのことを聞いて知っていたの。自分が手がけているグループのセッションでバックを務めてみる気はないかって言われて、翌日の晩に49番街のスタジオで会ったわ、そこで試しに歌ってみたの。そしたら、バックコーラスの話はどこかに行ってしまった、、、」

 (「ビー・マイ・ベイビー〜ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ザ・ロネッツ」ライナーノーツより)

 一本の間違い電話が引き合わせた、というのはすごいですね。

 オーディションで彼女は十八番だったフランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズの「恋は曲者」を歌い、それを聴いたフィル・スペクターはピアノの椅子から飛び上がって”これぞ、僕が探していた声だ”と言ったと、彼女の自伝に書かれているそうです。

 

 そして、フィル・スペクター・プロデュースの第一弾シングル「ビー・マイ・ベイビー」(ジェフ・バリー&エリー・グリニッチ作)がいきなり全米2位の大ヒットになり、センセイションを起こすことになったのです。

 

 フィル・スペクターの革新的なサウンドが革新的なものだったわけですが、ロニーのヴォーカル、そして彼女たちのルックスもとてもインパクトの強いものでした。

 

「シュレルズが幅の広いパーティー・ドレスを着てステージを歩くのを見て、私たちは逆を行ったの、できるだけタイトなスカートに体を絞りこんで。そして、ステージに上がると、脚を見せるためにスカートをたくし上げたの」

 

 その”バッド・ガール”っぽい魅惑的なルックスにはビートルズストーンズのメンバーも夢中になったと言われています。

 

 その後、彼女たちはバリー&グリニッチ作の「ベイビ、アイ・ラヴ・ユー」(全米24位)、アンダース&ポンシア作の「ブレイキン・アップ」(全米39位)、「ドゥ・アイ・ラヴ・ユー」(全米34位)、バリー・マン&シンシア・ワイル作の「恋の雨音」(同23位)「ボーン・トゥ・ビー・トゥゲザー」(同52位)をリリースし、その後に発売されたシングルが、キャロル・キングとジェリー・ゴフィンが書いたこの「イズ・ジス・ホワット・アイ・ゲット・フォー・ラヴィング・ユー」でした。全米チャート最高75位ですから、ヒットしたとは言えませんが、惹きつける魅力がある曲でした。

 

 イギリスの女性シンガーで、ミック・ジャガーの恋人であり1960年代後半のロンドンのポップ・カルチャーを象徴する存在でもあったマリアンヌ・フェイスフルが、1967年にカバーしています(全英43位)。

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 まだ、無名だったセリーヌ・ディオンが1990年代にフィル・スペクターのもとでレコーディングをし蔵入りしていたものの中にこの曲もあり、アップされていました。サビのメロがすでにセリーヌっぽくなっていますが。

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 ロニー・スペクターはロネッツ時代からフィル・スペクターと恋愛関係にあったようで、1968年に正式に結婚しています。しかし、フィルから肉体的にも精神的にも虐待を受けていた彼女の結婚生活は辛いものとして終わってしまいます。

 1982年には彼女のマネージャーと再婚し子供も生まれ、彼女が癌で亡くなるまで円満な生活が続いていたようです。

 

  彼女の訃報を聞いたブライアン・ウィルソンTwitterでこう語っています。

 

 ロニー・スペクターのニュースを聞いたばかりで何て行っていいかわからない。彼女の声が大好きだった。そして、彼女はとても特別な人で大切な友達だった。ただ胸が潰れそうだ。ロニーの音楽とスピリットは永遠に生きるよ。

        ラヴ&マーシー  ブライアン・ウィルソン

 

 最後はロネッツの1966年のシングル「アイ・キャン・ヒア・ミュージック」を。1969年にビーチ・ボーイズがカバーしています。 


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