まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「そよ風のバラード (Seasons In The Sun)」テリー・ジャックス (1974)

 おはようございます。

 今日はテリー・ジャックスの 「そよ風のバラード (Seasons In The Sun)」です。

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Goodbye to you, my trusted friend
We've known each other since we were nine or ten
Together we've climbed hills and trees
Learned of love and ABC's
Skinned our hearts and skinned our knees


Goodbye my friend, it's hard to die
When all the birds are singing in the sky
Now that the spring is in the air
Pretty girls are everywhere
Think of me and I'll be there

 

We had joy, we had fun
We had seasons in the sun
But the hills that we climbed
Were just seasons out of time

 

Goodbye Papa, please pray for me
I was the black sheep of the family
You tried to teach me right from wrong
Too much wine and too much song
Wonder how I got along


Goodbye Papa, it's hard to die
When all the birds are singing in the sky
Now that the spring is in the air
Little children everywhere
When you see them, I'll be there

We had joy, we had fun
We had seasons in the sun
But the wine and the song
Like the seasons, have all gone


We had joy, we had fun
We had seasons in the sun
But the wine and the song
Like the seasons, have all gone

 

Goodbye Michelle, my little one
You gave me love and helped me find the sun
And every time that I was down
You would always come around
And get my feet back on the ground


Goodbye Michelle, it's hard to die
When all the birds are singing in the sky
Now that the spring is in the air
With the flowers everywhere
I wish that we could both be there


We had joy, we had fun
We had seasons in the sun
But the stars we could reach
Were just starfish on the beach


We had joy, we had fun
We had seasons in the sun
But the stars we could reach
Were just starfish on the beach


We had joy, we had fun
We had seasons in the sun
But the wine and the song
Like the seasons, have all gone


All our lives, we had fun
We had seasons in the sun
But the hills that we climbed
Were just seasons out of time、、、

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君にさよなら、僕の信頼できる友達
9歳か10歳の頃から知っていて
一緒に丘や木に登って
愛とABCを学んだものさ
心がちょっと傷ついたり、膝を擦りむいたりしながら

 

さよなら僕の友達  死ぬのはつらいよ
鳥たちは空で歌っているというのに
今やあたりに春は満ちて
まわりはきれいな女の子でいっぱいだ
僕のことを思ってくれれば、僕はそこにいるよ

 

僕たちは喜び、楽しみながら
太陽の季節を過ごした
だけど、僕たちが登った丘は
そこだけ違う季節だったんだ

 

さよならパパ、僕のために祈ってよ
僕は家族の中じゃ黒い羊だったね
あなたは僕に善悪を教えようとした
あんなにたくさんワインを飲んで歌って
僕が大丈夫か不思議だったよね

 

さよならパパ、死ぬのはつらいよ
鳥たちは空で歌っているというのに
今やあたりに春は満ちて
まわりは小さな子供たちでいっぱいだ
あなたが彼らに目をやれば、僕はその中にいるよ

 

僕たちは喜び、楽しみながら
太陽の季節を過ごした
でも、ワインもあの歌も
季節が去るように、みんな消えてしまった


僕たちは喜びや楽しみを満喫して
太陽の季節を過ごした
だけど、ワインも歌も
季節のように、すべて消えてしまった

 

さよならミッシェル、僕のかわいい人
君は僕を愛してくれて、太陽を見つけさせてくれた
僕が落ちこむたびに
君はいつも来てくれて
僕を立ち直らせてくれた

 

さよならミッシェル、死ぬのはつらいよ
鳥たちは空で歌っているというのに
今やあたりに春は満ちて
いたるところで花が咲いている
二人でそこにいられたらいいのにと願うよ


僕たちは喜び、楽しみながら
太陽の季節を過ごした
手が届くはずの星たちは
ただの浜辺のヒトデだったのさ

僕たちは喜び、楽しみながら
太陽の季節を過ごした
手が届くはずの星たちは
ただの浜辺のヒトデだったのさ

 

僕たちは喜び、楽しみながら
太陽の季節を過ごした
だけど、ワインも歌も
季節が行くように、みんな消えてしまった

 

僕たちの人生はずっと、楽しかった
太陽の季節を過ごしたんだ
だけど、僕たちが登った丘は
そこだけ時のない季節だったんだ、、

 (拙訳)

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 タイトルが「SEASON IN THE SUN」、邦題も「そよ風のバラード」と爽やかなタイトルがついていますが、歌詞を読んでみると、まだ若くして死のうとしている主人公が友達や父親や恋人に語りかける内容になっていることがわかります。

 考えてみれば、太陽の季節は短く儚く去ってしまうもので、作者はそこに若者の死を重ねたのでしょうし、邦題も、バラードじゃない曲調に、あえて「バラード」とつけたのは、そよ風の爽やかさに対比させるように”悲しみ”を思わせる”バラード”という言葉を置くことで、この曲の特徴を表そうとしたのかもしれません。

 

  オリジナルはベルギー出身でフランスで大成功したシャンソン歌手ジャック・ブレルが1961年に発表した「ル・モリボン(Le moribond)」。邦題は「瀕死の人」、英語のタイトルは「The Dying Man」で、和訳を読んでみると、主人公の死のうとしている気持ちをより直接的に歌われています。

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 この曲に英語詞をつけたのが、昨日このブログに登場した「ジーン」を作ったロッド・マッケン(マッキューン)でした。

    ロッドは1960年代初めにフランスに渡り、そこでブレルに出会い一緒に行動していたようです。そして、彼はブレルの曲に英語詞をつけ、彼の音楽を世界に広めることに大きく貢献することになります。

 ロッドは「ル・モリボン(Le moribond)」に歌詞をつけ、真っ先に自らがレコーディングしています。

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 歌の冒頭の歌詞は”Adieu  Émile(さよなら エミール)”と、ブレルのオリジナルと同じでフランス語のままだったんですね。

 キングストン・トリオやフォーチュンズもカバーしていますが、やはり”Adieu  Émile”と歌っています。

  しかし最大の違いはミッシェルさんが出てくるところ、もともとはこうだったんですね。

 

Adieu, Francoise, my trusted wife,
Without you I'd have had a lonely life.
You cheated lots of times but then,
I forgave you in the end
Though your lover was my friend.

”さよなら、フランソワーズ、信頼する妻よ

君がいなかったら、孤独な人生になっていたはずさ

君は何度も浮気したけれど、最後に許すことにするよ

たとえ、君の恋人は僕の友達だったとしてもね”

 

 元々、ブレルは親友に妻を奪われ失意した老人の歌として、この曲を書いたそうで、それをロッド・マッケンは忠実に英語詞にしていたようです。

 

 また、この曲はビーチ・ボーイズがアルバム「サーフズ・アップ」の時にレコーディングしてお蔵入りしていたことがファンには知られていて、その音源が今年発売された未発表音源集「FEEL FLOWS」で初めて世に出ました。

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 このレコーディングでビーチ・ボーイズからプロデューサーとして依頼されたのがテリー・ジャックスです。

 テリーはカナダ出身のシンガー・ソングライター

1960年代にポッピー・ファミリーというグループを結成し「ボビーの別れ道(Which Way You Goin' Billy?)」(1970)は全米2位の大ヒットになりましたが、曲を書いてプロデュースしていたのがテリーでした。

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 ビーチ・ボーイズと交流のあった彼は、プロデュースを依頼されるとこの「Seasons in The Sun」はどうかと、自分のアレンジしたデモを聴かせたところ、やってみようということになりました。

 しかし、テリーの話によると、ブライアン・ウィルソンは自分以外の人間がビーチ・ボーイズのプロデュースをすることに脅威を感じてテープを盗もうとしたようで、毎晩エンジニアがテープを持って帰るようになったり、マイク・ラヴやデニス・ウィルソンもかなりエキセントリックな行動をとっていて、まともなのはアル・ジャーディンとカール・ウィルソンだけという状況で、テリーは神経衰弱状態になり、曲を仕上げることができないままギヴアップしてしまったようです。

 

 しかし、テリー自身はあきらめきれず、他のアーティストにもこの曲をプレゼンしましたがうまくいかず、自分の声がこの曲に合っていると思えなかったため、しばらくこの曲は放置されることになってしまいます。

 ところがある日、家に来た新聞配達の少年に今どんな曲を作ってるかたずねられ、彼はこの曲のデモを聴かせると、少年は大絶賛したそうで、自信を持った彼は自分で歌ってレコーディングすることにしました。

 そして、その際、友人と妻が浮気をしたという歌詞を彼が書き換えるわけです。

君が僕に太陽を見つけさせて、立ち直らせてくれた、という風に。

 ここが大きいポイントですよね。生々しさがなくなり、この歌の無垢で純粋なイメージが強くなったのです。

 

 ちなみに、この曲のレコーディングにはまだ無名だったデヴィッド・フォスターが参加していたそうです。

 

 この「そよ風のバラード」がアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどで軒並みNO.1の大ヒットになると、彼は縁起を担いだのでしょうか次回作として、再び、原曲:ジャック・ブレル 英語詞:ロッド・マッケン コンビの作品を選びました。

それを最後に。

 曲は「行かないで(If You Go Away)」。シャーリー・バッシー、ダスティ・スプリングフィールドスコット・ウォーカーなどたくさんのアーティストがカバーしています、テリーのヴァージョンは全米68位でした。

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「ジーン(Jean)」オリバー(Oliver)(1969)

 おはようございます。

 今日はオリバーの「ジーン」です。

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Jean, Jean, roses are red
All the leaves have gone green
And the clouds are so low
You can touch them, and so
Come out to the meadow, Jean


Jean, Jean, you're young and alive
Come out of your half-dreamed dream
And run, if you will, to the top of the hill
Open your arms, Bonnie Jean


Till the sheep in the valley come home my way
Till the stars fall around me and find me alone
When the sun comes a-singin' I'll still be waitin'


For Jean, Jean, roses are red
And all of the leaves have gone green
While the hills are ablaze with the moon's yellow haze
Come into my arms, Bonnie Jean

Jean, you're young and alive!!
Come out of your half-dreamed dream
And run, if you will to the top of the hill
Come into my arms, Bonnie Jean
Jean

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ジーン、ジーン、バラは赤く
葉はみんな緑に繁った
そして、雲はとても低く
手が届きそう、だから
草原に出てみようよ、ジー

 

ジーン 、ジーン 君は若く、生き生きしてる
夢半分の世界から出ておいで
走るんだ、そうしたいなら、丘のてっぺんまで
両手を広げて、 ボニー・ジー

 

谷の羊が家路に着くまで
星が僕のまわりに落ちてきて、一人ぼっちの僕を見つけるまで
太陽が歌いながら昇ってきても 僕はずっと待っているよ

 

ジーン、ジーン、君のために、バラは赤く
葉はみんな緑になった
丘は月光の黄色い靄で燃えているみたいさ
僕の腕の中においで ボニー・ジー

 

ジーン、ジーン、君は若く生き生きしてる
夢半分の世界から出ておいで
走るんだ、そうしたいなら、 丘のてっぺんまで
僕の腕の中においで ボニー・ジー
ジー

 (拙訳)

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 トラディショナルな曲のような雰囲気がありますが、”ウッドストック”があり、ビートルズは「アビイ・ロード」をリリースしたりした”激動の”1969年の大ヒット曲です。  全米最高2位、その上にはその年の年間1位の大ヒット、アーチーズの「シュガー・シュガー」が鎮座していました。

 

 歌っているオリバーは、本名をウィリアム・オリバー・スウォフォードといい、ノースカロライナ州に生まれています。

 人気ミュージカルミュージカル『ヘアー』で使われていた曲「グッドモーニング・スターシャイン」でデビューすると、いきなり全米3位、100万枚以上の売り上げを記録しました。

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 この曲の次のシングルが「ジーン」だったわけですが、実はその次の3枚目のシングルが、昨日このブログでピックアップしたマーゴ・ガーヤンの「サンデイ・モーニン」のカバーで、全米35位まであがっています。

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 デビューで”ロケット・スタート”した多くのアーティストと同様、彼もまた失速してしまったようで、この「ジーン」が彼の最大のヒットになりました。

 

 さて、この曲は「ミス・ブロディの青春」(1969)というイギリスの映画の主題歌でした。主演したマギー・スミスは近年では”ハリー・ポッター・シリーズ”や「ダウントン・アビー」などでも大変魅力のある”おばあさん”役を見せてくれていますが、この映画では見事アカデミー主演女優賞を獲得しています。

 

 彼女の演じた役が”ジーン・ブロディ”なので「ジーン」という曲なんですね。

 その主題歌を作ったのがロッド・マッケン(最近は本来の発音により近いマッキューンと表記することが増えています)で、映画では彼自身が歌い、彼のヴァージョンのほうはどうやらヒットチャートには入らなかったようです。

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  渋い歌声で、口笛の間奏も気が利いていてこちらのヴァージョンも雰囲気がありますね。

 でも、ヒットしたのはオリバーの方というのも頷けます。歌声がポップですし、プロデュースしたのがフォー・シーズンズを大ヒットさせたボブ・クルーですから、聴きやすいですよね。

 

 この曲を書いたロッド・マッケン(マッキューン)という人は、詩人、ソングライター、俳優。こんな肩書きを持つ人間は天才か詐欺師かどちらかしかいないと個人的に思いますが、彼の実績からして天才のほうだったのでしょう。

 

 書いた曲は世界で1億枚以上、詩集は6000万部売れたそうで、アメリカで最も売れた詩人のひとりだそうで、「ジーン」の頃はまさに時代の寵児だったようです。大衆から猛烈に人気が高かったことが裏目に出たのか、批評家からは凡庸だと酷評されることのほうが多かったらしく、現在、彼の名前や作品が話題にのぼらないのはそのあたりが原因なのかもしれません。

 

 不遇な幼年期を過ごし若くして家出したあと、職業を転々としながら、正規の教育を受けていないことを補うために日記のようなものを書くようになり、それが詩になっていったと言われています。サンフランシスコに行き、アレン・ギンズバーグジャック・ケルアックといったビートニクスたちと行動を共にしたこともあったそうです。また、サンフランシスコの有名なクラブ”パープル・オニオン”でシンガーとしての活動もスタートさせています。

 レコード・デビューは1956年、「Lazy Afternoon」というアルバムでした。

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 ポップ・シンガーのスタイルで、当時流行のロックンロールなどもやっていました。

 非常に多岐にわたる才能の持ち主でリリースの量も膨大ですので、今回は彼の映画との関わりに焦点を当てたいと思います。

 彼の重要な映画の仕事はこの頃に集中しています。

 とっかかりは1968年のイギリス映画「ジョアンナ」。1960年代半ばのスウィンギング・ロンドンの雰囲気にあふれた映画で、渋谷系が人気の頃に日本でも注目されたサントラ盤でした。

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 「ミス・ブロディの青春」と同じ1969年の映画「ナタリーの朝(Me, Natalie )」ではヘンリー・マンシーニの曲に歌詞をつけて歌っていました。

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 また同年のアニメ映画「スヌーピーとチャーリー(A Boy Named Charlie Brown)」でも主題歌を作り歌っています。これもまた、「ジーン」のようなスタンダードな楽曲です。

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 こういう作品を聴いても、いわゆるエキセントリックな尖った才能でもアカデミックな人でもなかったことはわかります。そのため、きちんと評価されづらいのでしょう。しかし、歌、詩の朗読からクラシックまで膨大な作品を残し、アメリカ大衆だけじではなくオランダなどヨーロッパでも人気が高かったようですので、日本でも再度見直してみると面白い人物のように思えます。

 

 最後はパーシー・フェイスの「ジーン」のインストに映画の場面を合わせた動画がありましたのでそちらを。

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ロッド・マッケンの作品集。オリバーの「ジーン」や「A Boy Named Charlie Brown」も収録されています

 

 

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「Sunday Mornin'」マーゴ・ガーヤン(1968)

 おはようございます。

 今日はマーゴ・ガーヤンの「Sunday Mornin'」です。

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Sunday mornin' 
Sun shinin' on your eyes, sleepy face
Smilin' into mine, Sunday mornin' 
Lots of time with nothin' to do
Lots of time to spend with you 
On Sunday mornin'

 

It's so quiet in the street
You can hear the sound of feet walkin' by
I'll put the coffee on to brew
We can have a cup or two
And do what other people do
On Sunday mornin'

 

Sunday mornin', Sunday mornin'
Sunday, Sunday, I love Sunday
Sunday mornin'

 

Come hold me in your arms  I love you
Everything's all right Sunday mornin'
Lots of time, lots of time, 
On Sunday mornin' 

It's so quiet in the street
We can hear the sound of feet walkin' by
I'll put coffee on to brew
We can have a cup or two
And do what other people do
On Sunday mornin'

 

Sunday mornin', Sunday mornin'
Sunday, Sunday, I love Sunday
Sunday mornin'

 

C'mon and hold me in your arms  I love you
Everything's all right  Sunday mornin'
Everything's all right  Sunday mornin'
Everything's all right  Sunday mornin'
Everything's all right

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日曜の朝 
あなたの瞳に太陽が輝く、眠そうな顔に
私に微笑みかける  日曜の朝
何もすることがなくれ時間がたくさんある
あなたと過ごす時間がたくさんある 
日曜の朝は


通りはとても静か
通り過ぎる人の足音が聞こえる
コーヒーを淹れよう
一杯か二杯飲もうよ
そして他の人たちと同じことをする
日曜の朝は


日曜の朝、日曜の朝
日曜日、日曜日、日曜は大好き
日曜の朝


ここへ来て私を抱きしめて 愛してる
日曜日の朝は すべてがOK
たくさんの時間が、たくさんの時間がある
日曜の朝は


通りはとても静か
通り過ぎる人の足音が聞こえる
コーヒーを淹れよう
一杯か二杯飲もうよ
そして他の人たちと同じことをする
日曜の朝は


日曜の朝、日曜の朝
日曜日、日曜日、日曜が大好き
日曜の朝


ここへ来て私を抱きしめて 愛してる
すべてがOK 日曜日の朝は
すべてがOK 日曜の朝は、、、

 (拙訳)

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 窓ガラス越しに雨を見つめる印象的なアルバム・ジャケット。昔、通っていた中古レコード店の壁に面出しされていて目をひかれましたが、値段が高くて手を出せず、どんな内容だろうと想像するばかり。何年か経ってCD化されて初めて聴いた時に、クロディーヌ・ロンジェなどウィスパー・ボイス好きには最高の作品だとわかりました。しかも、彼女の場合は自ら曲を書いています。

 (2001年のインタビューで彼女自身もこう語っています

「60年代後半に39セントのコーナーで私のアルバムを見たけど、最近EBayで見たら192ドル50セントで売られていたのよ!今だにどういうことか理解できないわ」)

 

 マーゴ・ガーヤンは当初はジャズの世界で活動していました。

 1937年にニューヨーク近郊に生まれ、幼い頃からピアノを学び、ボストン大学ではクラシック・ピアノを学んでいましたが、ジャズに興味を持った彼女は大学とは別にジャズ・ピアノを学んでいたそうです。

 (高校時代にはアトランティック・レコードのオーディションをうけたことがあったそうですが、上手く歌えず苦い思い出になったそうです)

 しかし、大学2年のときにピアノ科から作曲科に専攻を変えると、彼女のソングライティングの才能はいきなり開花し始めます。

  1957年、彼女が20歳の時にジャズシンガーのクリス・コナーが彼女の書いた「MOON RIDE」という曲を取り上げたのです。

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 1959年にLenox School of Jazzに入学した彼女は、そこで学生だったオーネット・コールマンと出会い、ビル・エヴァンスなどから指導を受けましたそうです。その後、彼女は主にジャズ・ミュージシャンとして活動し、ジャズの曲に歌詞を書いていました。

また、

 

 しかし、彼女の音楽性を大きく変える1曲に出会います。

 それが、友人から聴かせてもらったビーチ・ボーイズの「神のみぞ知る(God Only Know)」でした。

 「私はびっくりしたわ。ただ、ゴージャスだと思った。レコードを買って数え切れないほどたくさんかけた後、座って 『Think of Rain』を書いた。 それがまさに、そういう風に書き始めたきかっけなの。ジャズの世界で起こっていることよりもそっちのほうがいいと心に決めたの」

   (Mean Street magazine, September 2001)

 その「Think of Rain」はこんな曲です。いい曲ですね、、

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  クロディーヌ・ロンジェもカバーしています。

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 当時彼女はのちにCTIレーベルを興すクリード・テイラーの秘書をやっていて、彼を通して自分のデモを音楽出版社に聴いてもらうことができて、チャンスをつかんだようです。

 そして、続いて彼女が書いた曲の一つがこの「Sunday Mornin'」でした。

 最初に取り上げたのはスパンキー&アワ・ギャングで、1967年にリリースされ全米30位になりました。

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  同じ年にリリースされたグレン・キャンベルとボビー・ジェントリーのデュオ・アルバムでもカバーされるなど人気曲になります。

 そして、彼女自身も自分のアルバムをリリースするチャンスをつかみました。

彼女はデビューシングルは「Think of Rain」を望んだようですが、プロデューサーの意向で、彼女が自分の歌をヒットさせてくれたバンドへ敬意を込めて作った、タイトルそのままの「Spanky &Our Gang」という曲になります。

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 アルバム「Take a Picture」の評判は悪くなかったようですが、彼女はプロモーションのためにツアーをすることを拒否したそうです。結婚していたことと、ツアーをするにはエージェント、マネージャー、弁護士、ブッキング担当者などが必要で、そういった人たちから支持されることが嫌だったようです。幼い頃から、ステージ・パパだった父から支配されたトラウマがあったようです。彼女はすでに31歳でしたから、自分の考えがしっかりあって、人のいいなりにはなりたくなかったのでしょう。

 しかし、レーベルの方は、当然やる気をなくしてしまうわけですから、彼女の唯一のアルバムも宣伝されないまま終わってしまいました。

 その後彼女は、作家活動をしながらも芸能活動からはフェイドアウトし、クラシック系の音楽に戻っていったようで、主に教師をやっていたと伝えられています。

 

 彼女が再評価され始めたのは、1990年代、ウィキペディアでは日本からその動きがあったとされています。イギリスでは1998年にセイント・エティエンヌがかつて彼女が、トミー・リピューパからの依頼でクロディーヌ・ロンジェのために書いた「I Don't Intend to Spend Christmas Without You」をファンクラブ向けにカバーし、アメリカでは1999年にライナス・オブ・ハリウッドがこの「Sunday Mornin'」と「Shine」をマーゴ本人をゲストに迎えカバーしました。

 

  彼女自身は2007年に、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領が一般教書演説で、イラク核兵器を開発していると強く主張した際に発した「 "The British government has learned that Saddam Hussein recently sought significant quantities of uranium from Africa"(英国政府は、サダム・フセインが最近、相当量のウランをアフリカから入手しようとしたことを知った)」という言葉に、曲をつけた「16 words」という曲を突如発表しています。

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  2018年のインタビューで彼女はクラシックのピアノは弾くが作曲はしていない、多くの時間をパソコンと読書に費やしていると語っています。

  また、政治への関心はいつもあって、最近ジョージ・オーウェルの「1984」を読み直して、今はまさにそういう時代になっていると語っていました。

 

 最後は、ライナス・オブ・ハリウッドの「Sunday Mornin'」を。

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「哀しみの序章(Bluer Than Blue)」マイケル・ジョンソン(1978)

 おはようござます。

 今日はマイケル・ジョンソンの「哀しみの序章」、"Bluer Than Blue"です。

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After you go, I can catch up on my reading
After you go, I'll have a lot more time for sleeping
And when you're gone, looks like things are gonna be a lot easier
Life will be a breeze, you know
I really should be glad

But I'm bluer than blue, sadder than sad
You're the only light this empty room has ever had
Life without you is gonna be
Bluer than blue

After you go, I'll have a lot more room in my closet
After you go, I'll stay out all night long if I feel like it
And when you're gone I can run through the house screaming
And no one will ever hear me
I really should be glad

But I'm bluer than blue, sadder than sad
You're the only light this empty room has ever had
Life without you is gonna be
Bluer than blue

I don't have to miss no TV shows
I can start my whole life over
Change the numbers on my telephone
But the nights will sure be colder

And I'm bluer than blue, sadder than sad
You're the only light this empty room has ever had
Life without you is gonna be
Bluer than blue
Bluer than blue
Bluer than blue

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君が出て行った後は、読みかけの本をまた読めるさ
君が出て行った後は、寝る時間もたくさんとれるさ
そして君が出て行ってしまえば
物事がずっと簡単になるように思える
人生も軽やかになるだろう、そうだろ
僕は本当は喜ぶべきなのさ

 

だけど、僕はブルーよりもブルーさ、悲しみよりも悲しい
この空っぽの部屋のたったひとつの灯は君なんだ
君のいない人生は
ブルーよりもブルーさ

 

君が出て行った後は クローゼットをもっと使える
君が出て行った後は その気になれば一晩中遊びまわるよ
そして君が出て行ってしまえば
家中を叫びながら走り回るさ
それでも誰にも聞こえない
本当は喜ぶべきなのさ

 

だけど、僕はブルーよりもブルーさ、悲しみよりも悲しい
この空っぽの部屋のたったひとつの灯は君なんだ
君のいない人生は
ブルーよりもブルーさ

 

テレビ番組を見逃すこともない
人生をそっくりやり直せるんだ
電話の番号も変えて
だけど、夜はずっと寒くなるだろう

 

そして、僕はブルーよりもブルーさ、悲しみよりも悲しい
この空っぽの部屋のたったひとつの灯は君なんだ
君のいない人生は
ブルーよりもブルーさ
ブルーよりもブルーさ

  (拙訳)

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「ある日、テネシー州ナッシュヴィルの道をドライヴしていて、曲のアイディアが浮かんだ。ウェンディーズのドライヴ・スルーに入り、サンドウィッチが出来上がるまでの間に僕は歌詞を作り上げた。オーダーを受け取り、向かい側のBIG Kデパートの駐車場に車をとめ、サビとブリッジをほぼ完成させた。その後、マイケル・ジョンソンという名のギタリスト兼ヴォーカリストに彼がレコード契約を結べるようにこの曲をレコーディングさせた。彼は契約することに成功し、この”Bluer Than Blue"は彼のファーストシングルで、ポップ/アダルト・コンテンポラリー・ヒットとなった」

(ランディ・グッドラム「つらい別れ〜セルフ・リメイク・コレクション」ライナー・ノーツから)

 

 Bluer Than  Blue。キャッチコピーとしてもすぐれたフレーズですね。日本の中高年層は「藍より青し」なんて言葉を思い出す人もいそうですが、そちらは弟子が師匠をより優れている、という意味でした。

 彼女が出て行ったことのいい部分を精一杯いろいろ並べたあとに、でも、ブルーよりもっとブルーな気分なんだ、と持ってゆくわけで、すごく上手いソングライティングだな、と唸ってしまいます。

 曲は大ヒットし(全米12位)、それまでまったく無名だったマイケル・ジョンソンは一躍有名になり、最後まで彼の代表曲であり続けました。

 

 曲を作ったランディ・グッドラムは、この曲の翌月にリリースされたアン・マレーの「辛い別れ」で全米1位になっています。「辛い別れ」も原題が”You Needed Me”と、簡潔でつかみの強いタイトルになっています。

 

 

  マイケル・ジョンソンは1944年にコロラド州アラモサで生まれデンバーで育ちました。彼が音楽を愛するようになったのは、13歳のときにかかった肺炎の療養をしている時期、同じころに交通事故で負傷していた兄のポールと、時間を埋めるために二人はギターを習い始めたそうです。

 大学時代に国際的なタレント・コンテストで優勝したのを機に中退し、21歳で彼はバルセロナに渡ってクラシック・ギターを学びます。その後アメリカに戻り、ジョン・デンバーもメンバーだった”チャド・ミッチェル・トリオ”に参加してします。

 そして1973年にはソロ・シンガーとしてアルバム『There Is a Breeze』でデビューを果たします。

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    しかし、彼はこの1枚で契約を切られてしまい、その後は自身のレーベルで 1975年に「For All You Mad Musicians」、1977 年に「Ain't Dis Da Life」と2枚のアルバムをリリースしています。商業的には成功しませんでしたが、ジェイムス&リヴィングストン・テイラーなど、良質でハートウォーミングなフォーク・ソングがお好きな方には気に入ってもらえそうなクオリティで、日本でもCD化されたこともあり、彼は初期3作がいいというファンもいらっしゃいます。

 

 そして、3枚目のアルバムを出した彼が出会ったのが、ランディ・グッドラムでした。当時、ふたりともナッシュビルで活動していて、当時マイケルのプロデューサー兼エンジニアのブレント・メイハーとデモを作るセッションに参加したランディからこの曲を提案されたそうです。

 そしてこの曲を含む2曲のデモを作って、レコード会社にプレゼンすると気に入られ、マイケルはこの「哀しみの序章(Bluer Than Blue))」で再デビューし、見事大ヒットになったわけです。

 

 そして、この曲の入った『THE MICHAEL JOHNSON ALBUM(恋人たちのアルバム)』、79年作『DIAROGUE(対話)』、80年作『YOU CAN CALL ME BLUE(哀しみのブルー)』、そして81年作『HOME FREE(ホーム・フリー)』の4作は、ランディ・グッドラムの他に、ビル・ラバウンティ、ロバート・バーン、マイケル・マクドナルドなどが曲に参加してることもあってAORファンから人気の作品になっています。

 

 79年リリース、全米19位と彼の2番目のヒットとなった「This Night Won't Last Forever(邦題:この夜の果てに)」。作者のビル・ラバウンティが先にリリースしましたが、ヒットしたのはマイケルの方でした。

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 1986年にレーベルを移籍してから、彼はカントリーミュージックにシフトし2曲がカントリー・チャートのトップに立っています。

 

「The Moon is Still Over Her Shoulder 」。カントリーといっても、やはり彼はクラシック・ギターを弾くんですね。

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 1990年代以降彼はマイペースで活動し、2017年に心臓疾患で亡くなっています。

 僕が注目したいのは1997年の「Then and Now」自身のヒット曲を再演したものですが、その中に昨日このブログに登場したメリサ・マンチェスターケニー・ロギンスが共作した「二人の誓い(Whenever I Call You 'Friend')」のカバーが入っていて、とてもいいのそれを最後に。デュエットの相手はロバート・プラントとの共演でグラミーを取ったことのあるアリソン・クラウス。作者のメリサはこの曲の決定的なヴァージョンがまだないと語っていたようですが、名曲は名曲だと思います。

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「ミッドナイト・ブルー」メリサ・マンチェスター(1975)

 おはようございます。

 今日はメリサ・マンチェスターの「ミッドナイト・ブルー」です。

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Whatever it is, it'll keep till the morning
Haven't we both got better things to do?
Midnight blue
Even the simple things become rough
Haven't we had enough?

And I think we can make it
One more time
If we try
One more time for all the old times

For all of the times you told me you need me
Needing me now is something I could use
Midnight blue
Wouldn't you give your hand to a friend?
Maybe it's not the end

And I think we can make it
One more time
If we try
One more time for all the old times
Midnight blue

I think we can make it
I think we can make it
Oh, wouldn't you give your heart to a friend?
Think of me as your friend

And I think we can make it
One more time
If we try
One more time for all of the old, old times

One more time
I think we can make it
If we try
I think we can make it
If we try
Looks like we're gonna make it
Looks like we're gonna make it
If we try
I think we can make it

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それが何であっても、朝まで続くのね
二人とももっとマシなことができたんじゃない?
ミッドナイト・ブルー
簡単なことでさえつらくなってしまう
もう十分じゃない?

 

それで、私たちならやれると思う
もう一度
もし、やってみたなら
もう一度、昔のように

 

あの頃はずっと、あなたは私を必要としていると言ってくれた
今私を必要としているものは、私が使うことができるもの
ミッドナイト・ブルー
友達に手を差し伸べてくれない?
たぶん、それは終わりじゃない

 

そして、私たちならできると思う
もう一度
もし、やってみたなら
もう一度、昔のように

 

私たちならできると思う
私たちならできると思う
友達に心を預けてみませんか?
私をあなたの友達だと思って

 

そして、私たちならできると思う
もう一度
もし、やってみたなら
もう一度、昔のように

 

もう一回だけ
私たちならできると思う
やってみたなら
私たちならできると思う
やってみたなら
私たちならできるように思うの
私たちならできるように思うの
もしやってみたなら
私たちならできると思う

    (拙訳)

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 ミッドナイト・ブルーはとても濃く深い青色のことですが、真夜中に物思いに耽る気持ちと重ね合わせることができるので、歌のタイトルに使われた例はいくつか思い浮かびます。ただ、この曲は深いブルーな気持ちでいながら、そこにとどまらずに、でも、なんとかやれるはず、と自らを何度も励ますところに説得力を感じます。

 

 メリサ・マンチェスターブロンクス生まれのシンガーソングライター。お父さんがニューヨーク・メトロポリタン・オペラのファゴット奏者で、彼女も音楽教育をしっかり学んだようで、15歳でコマーシャルのジングルを歌い始め、高校時代には音楽出版社のスタッフ・ライターをやっていました。それから、16歳のときにシングルを一枚だしています。珍しいのでそちらを聴いてみましょう。
 

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ニューヨーク大学ではポール・サイモンが教えるソングライティングのクラスを受講していたそうで、1971年にジングルの仕事を通してバリー・マニロウと知り合い(バリーは売れる前はCMやジングル制作の仕事をしていました)、彼からベッド・ミドラーを紹介されて、彼女のバック・シンガーの一員として採用されました。

 

 そして、1972年ベッド・ミドラーのコンサートの楽屋で、彼女はキャロル・ベイヤー・セイガーと出会い、彼女から一緒に曲を作ろうと提案されます。そして、それが彼女たち両方にとって大きなターニング・ポイントになりました。

 

 1973年に彼女はベル・レコードからデビューし、1974年にファースト・アルバム「Home to Myself 」をリリースしますが、10曲中6曲が二人の共作になっています。翌年にはセカンドアルバムを発売しますが、セールス的にはうまくいかず、ベル・レコードはクライヴ・デイヴィスが新たに発足させたアリスタ・レコードに吸収され、多くのアーティストが契約解除されることになりました。

 

 メリサとキャロルがこの「ミッドナイト・ブルー」を書いたのは1973年のことだったそうです。メリサは自分で歌うつもりはなく、ディオンヌ・ワーウィックに歌ってほしいと思い、彼女とつながりのあるヴィニ・ポンシアに聴かせたそうです。ポンシアは、フィル・スペクター作品や「ニューヨークは淋しい町」のトレイド・ウィンズで知られる人です。

 ポンシアはメリサ本人が歌うべきだと考えたようで、彼女のベル・レコードのプロデューサーとの契約が切れるまで待とうと判断します。その間、彼女はダスティ・スプリングフィールドに直接持ち込んで断られていたそうです。

 

 そして、ベル・レコードが終わった段階で、ポンシアはこの曲をクライヴ・デイヴィスに聞かせると彼からゴーサインが出て、アリスタからリリース、見事に大ヒット(1975年全米6位)になりました。この曲はメリサを一躍有名にし、キャロルの作詞家としての大きな実績にもなったのです。

 

 メリサはこう回想しています。

「キャロルと一緒に作った曲は...すべて会話から生まれたものです。だから、曲のトーンはとても会話っぽくなっているの。リスナーはいつも、まるで最初の一行が発せられた瞬間に居合わせたような感じになるの」

                (Wikipedia

「キャロルと私はお互いの若い夫について、そして、若い女性としてあらゆる人間関係が持つ困難な時期をどうやって乗り越えるかについて話していたの。
この歌はその会話から生まれたから、会話するようなトーンがそのまま残っているの」

                (Chicken soup for the soul )

 

 若い夫婦が困難を乗り越えたいと願う歌なんですね。ミッドナイト・ブルーとは”困難な時期”のことを指すのでしょう。

 

 特にキャロルはレコード・プロデューサーだった夫アンドリュー・セイガーと離婚したばかりで

「アンドリューがこの曲を聴いて、彼がどんな方法であれ私たちを元に戻せるように努力してくれることを願っていました」とのちに自叙伝で語っていたそうです。

 

  共にニューヨークで生まれ育った才女二人が、プライベートな本音をいろいろ語り合いながら、そこからたくさん曲を書いていったんですね。

 

 キャロルとの繋がりが功を奏した他の例としては、キャロルがピーターと一緒に書いた「あなたしか見えない(Don't Cry Out Loud)」も、メリサはピーターが歌うのをいち早く聴くことができ、ピーターより先にレコーディングしてヒットさせています。

(1978年 全米10位)

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 また、この曲の入った同名のアルバム「あなたしか見えない(Don't Cry Out Loud)」は日本のAORファンから大変人気のあるアルバムでもあります。

 

 いかにもニューヨークのシンガー・ソングライターという雰囲気の濃かった彼女の最大のヒットは、意外にも80’sポップスに思いっきり乗っかった(?)この曲でした。

 

 1982年全米5位「気になるふたり(You Should Hear How She Talks About You)」

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  作曲したのはトム・スノウ。当時もっともヒットのツボを押さえた作家の一人で”トム・スノウみたいな作家求む”という広告が多く出ていたという話を聞いたことがあります。作詞は、のちに映画「フットルース」の原作を書き、サントラの曲の作詞を全部手がけて爆儲けしたディーン・ピッチフォードですから、完全に売れ線狙いだったんでしょう。

 その後、彼女は大ヒットこそはありませんが、現在までコンスタントに活動しています。

 

 最後はメロウなグルーヴで人気の曲を。「いつも一緒に(I Wanna Be Where You Are)」(1977年チャートインせず)。レオン・ウェア作、オリジナルは若いマイケル・ジャクソンです。

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「いつも一緒に」収録

 

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1stバースデー

「ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル (プレイング・ウィズ・マイ・ハート)(There Must Be an Angel (Playing with My Heart))」ユーリズミックス(1985)

 おはようございます。

 今日はユーリズミックスの「ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル (プレイング・ウィズ・マイ・ハート)」です

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No-one on earth could feel like this
I'm thrown and overblown with bliss
There must be an angel
Playing with my heart
I walk into an empty room
And suddenly my heart goes "boom"!
It's an orchestra of angels
And they're playing with my heart

 

Must be talking to an angel
Must be talking to an angel
Must be talking to an angel,,,

No-one on earth could feel like this
I'm thrown and overblown with bliss
There must be an angel
Playing with my heart
And when I think that I'm alone
It seems there's more of us at home
It's a multitude of angels
And they're playing with my heart

 

Must be talking to an angel
Must be talking to an angel
Must be talking to an angel,,,

I must be hallucinating
Watching angels celebrating
Could this be reactivating
All my senses dislocating?
This must be a strange deception
By celestial intervention
Leavin' me the recollection
Of your heavenly connection

 

I walk into an empty room
And suddenly my heart goes "boom"!
It's an orchestra of angels
And they're playing with my heart

*************************************************************

誰もこんな気持ちにはなれないでしょう
私はうろたえ、吹き飛ばされそうなほどの至福を感じる

きっと天使がいて
私の心と戯れているの

 

誰もいない部屋に入ると
突然、心が "ブーン "と鳴ったのです
それは天使のオーケストラ
そして彼らは私の心とともに奏でている

天使と話をしているに違いないわ
天使と話をしているに違いないわ
天使と話をしているに違いないわ、、、

誰もこんな気持ちにはなれないでしょう
私は放たれて、至福で満ち溢れている
きっと天使がいて
私の心と戯れている
ひとりぼっちだと思っていたのに
家にはもっとたくさんいるような気がするの
たくさんの天使たち
私の心と遊んでいる

天使と話をしているに違いないわ
天使と話をしているに違いないわ
天使と話をしているに違いないわ、、、


私はきっと幻覚を見ているよ
天使が祝福しているのを見つめている
これは復活なの
感覚が全部麻痺しているの?
これはきっと天からの介入による不思議なまやかし
あなたとの天国のようなつながりの記憶を
私に残して

誰もいない部屋に入ると
突然、心が "ブーン "と鳴ったのです
それは天使のオーケストラ
そして彼らは私の心とともに奏でている

   (拙訳)

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 ユーリズミックスアニー・レノックスデイヴ・スチュワートの二人組で、1975年に出会っています。二人は”キャッチ”というパンク・バンドに参加し、”キャッチ”は”ツーリスト”といいバンドに変わりました。

 ツーリストは1979年にダスティ・スプリングフィールドベイ・シティ・ローラーズでよく知られる「二人だけのデート(I Only Want to Be with You)」をカバーし、全英4位のヒットになっています。

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 ツーリストにはピート・クームズという、音楽的なリーダーシップを取る人物がいたため、当時恋仲でもあったデイヴとアニーと方向性がずれてしまい、1980年にバンドが解散すると二人はユーリズミックスを始めます。

 二人でユニットを組もうと決めたのは、ツーリストのツアー中にバンドが分裂してしまって、仕方なく滞在するこちょになったオーストラリアのワガワガという都市のホテルだったとデイヴ・スチュワートは語っています。

「僕たちは夜遅くホテルにいて、小さなポータブル・ミニ・シンセサイザーで遊んで痛んだ。僕らは何かやることに興味が湧いたんだ、二人きりで」

 (Smh.com.au. 5 November 2013

 

 「アニーが一緒に歌い始めたとき、僕たちは考えました。”二人で、奇妙で実験的な電子音楽を作ることができるのではないかと”」

 (The Guardian)

「アンのルーツはソウルだ。僕はどちらかと言うと機械的、メカニカルな方向に傾向している。この二つの組み合わせは最高さ」

 (「ビー・ユアセルフ・トゥナイト」ライナーノーツより)

 

 1980年といえば、シンセサイザーやドラム・マシーンがどんどん開発され始めた時期でデイヴは、そういう時代の最先端の”機械的な音楽”とアンの”ソウルフルなヴォーカル”を合わせることで、新しい音楽を作れると思ったということでしょう。

 

  彼らの最初のシングルは「Never Gonna Cry Again」。全英63位という小さなヒットで終わっています。

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  最初はまだバンドっぽさが残っていましたが、セカンド・アルバムでは、より電子音楽寄りのアプローチをとり、アルバム・タイトル曲の「スウィート・ドリームス (アー・メイド・オブ・ディス)」がイギリスで2位とアメリカではNO.1の大ヒットになります。

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 世界的にはユーリズミックスといえばこの曲、というくらいの大ヒットです。

 

 ツーリスト解散後、一文無しになり、ライヴをやっても客が4人しかいないという不遇の中で、借金して新しいシンセを買い曲を作り始めたそうです。

「だけど、新しい機材をどうしてもうまく使えなかった。その時、アニーは完全に失望していた。僕がこのビートとリフを作ることができたとき、彼女は床に丸まって胎児のようになっていたんだ。すると彼女は突然、こう言った「それはいったい何なの?」。そして、飛び起きてもう1台のシンセサイザーを弾き始めた。この2つのシンセサイザーの間から、「Sweet Dreams (Are Made of This)」が始まったんだ」

 (The Guadian)

 この曲の「Some of them want to use you」(誰かがあなたを利用したがっている)と言う歌詞は、ツーリスト時代のアニーの苦い経験から来た言葉だと言われています。

 

 その後彼らはヒットを連発し、デイヴは才能溢れるクリエイターとして評判になり、アニーはビジュアル的にもインパクトのある”アイコン”として有名になっていきます。

 

「Here Comes the Rain Again」 1984年全米4位。

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 そして、彼らは4枚目のアルバム「ビー・ユアセルフ・トゥナイト」で、それまでの、無機質なトーンのエレクトロ・ミュージックから、R&Bの要素を大きく取り入れました。

 それはアニー・レノックス本来のスタイルであり、当時のイギリスは、ジョージ・マイケル、ポール・ヤング、フィル・コリンズなど多くの白人アーティストがR&Bのスタイルのヒットを出していたので、”ソウル・ディーヴァ”としてのアニーの本領を発揮させようという意図があったに違いありません。

 彼らのエレクトロ・ミュージック自体も大衆化して行き詰まり、新たな展開が必要だったというのもあるでしょう。

 

  ファースト・シングルは「ビリーヴ・ミー(Would I Lie to You)」(全米5位、全英17位)。僕はこの歌好きなんです、、

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 このアルバムにはアレサ・フランクリンとのデュエットという”ハイライト”もありますが、最も異色だったのがこの「ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル (プレイング・ウィズ・マイ・ハート)」でしょう。

 ダークなトーンを基調としていた彼らが、最上級の至福感を歌ったわけですから。

そして、その至福感にいっそうふくよかさを与えているのが、スティーヴィー・ワンダーのハーモニカですね。この方、ハーモニカで客演することも多いですが、その中でもその効果が最も現れた曲のひとつがこれであることは間違いないでしょう。

 

 デイヴはこう語っています。

 

「アニー(レノックス)が、『これをピアノで作ってみたんだけど、スティービー・ワンダーにぴったりだと思うわ』と言ったんだ。彼女が弾いてみたら、二人で『すごい、そうだね!』と言ったんだ。

 僕は『自分たちのバージョンを作ってみないか』と言った。その時点では、ピアノのパートとアニーの声だけだったのですが、すぐに心に残るものになったよ」

        (MUSIC WEEK  24th 2018)

 曲自体、スティーヴィーが歌うことをイメージしていたんですね!

 

 

   この曲のスキャットの部分は、今もテレビで何度も聴きますよね。食べ歩き番組で店を紹介するくだりで流れて来たり、、。何気ない場面でもよく使われています。TV番組のBGMをつける音効さんのパソコンの音源リストの上位に常にこの曲はあるんじゃないでしょうか。定番のひとつとして。

 この曲がこんな定着の仕方をしているのは当然日本だけでしょう。

 ちなみにイギリスでは1位になりましたが、アメリカでは22位と、それほどヒットしていません。

 

 最後は、アニーがピアノで作ったこの歌を、彼女がピアノで弾き語っている動画がありましたので、そちらを。

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「フライ・アウェイ(FLY AWAY)」ピーター・アレン(1980)

 おはようございます。

 今日はピーター・アレンの「フライ・アウェイ」です。

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You're an anchor, I'm a kite
You're what gets me through the night
You keep me steady and on course
'Til I found you I was lost

But you're the earth and I'm a sky
And sometimes if I go to high
Well, then you pull a string that pulls me back
If not for you I might lose track

And I might fly away, oh, I might fly away
And go my own way to places that we've never been together
I might fly away take to the sky some day but not for now, not today
Nobody here is flyin' away, away

You have reasons, I have dreams
So we're perfect, so it seems
You talk fortunes, I tell the truth
Kept me from my crazy youth

When you're near me I feel whole
I don't have to rock and roll
I don't worry, I don't think
But baby hold me close and I won't break

And I might fly away, oh, I might fly away
And go my own way to places that we've never been together
I might fly away take to the sky some day but not for now, not today
Nobody here is flyin', flyin' away, oh, I might fly away

I might fly away but not for now, not today
Nobody here is flyin' away, oh, I might fly away
I might fly away, take to the sky some day but not for now, not today
Nobody here is flyin' away

 

*************************************************************

君は錨、僕は凧
君がいるから僕をこの夜を乗り越えられる
君は僕を落ち着かせ、導いてくれる
君を見つけるまで僕は道に迷っていた

 

だけど、君は地球で僕は空なんだ
時にもし僕が高いところまで行けば
その時は君が糸を引いて僕を引き戻してくれる
君がいなければ、僕は道を見失うかもしれない

 

そして、僕は飛び去るかもしれない、ああ、飛び去るかもしれない
二人行ったことのない場所へと自分の道を進んでいく
いつか空へと飛び立つかもしれない
だけどそれは今じゃない、今日じゃない
ここにいる誰も飛び立っていない

 

君には理由があり、僕には夢がある
だから僕らは完璧なんだ、そう思えるんだ
君は運勢を語り、僕は真実を語る
無謀な若さから遠ざけてくれた

 

君がそばにいると 満たされた気持ちになる
ロックンロールする必要はないのさ
悩んだり考えたりしない
だけど、ベイビーきつく抱きしめてほしい
壊れたりしないから

 

そして僕は飛び去るかもしれない、ああ、飛び去るかもしれない
一緒に行ったことのない場所へと自分の道を進んでいく
いつか空へへと飛び立つかもしれない
だけどそれは今じゃない、今日じゃない
ここにいる誰も飛び立っていない

 

いつか空へと飛び立つかもしれない
だけどそれは今じゃない、今日じゃない
ここにいる誰も飛び立っていない
飛び立つかもしれない いつか空にたどりつくかもしれない
だけどそれは今じゃない 今日じゃない
ここにいる誰も飛び立っていない

*************************************************************

 海外ではヒュー・ジャックマン、日本ではV6の坂本昌行がその生涯を演じたミュージカル「ザ・ボーイ・フロム・オズThe Boy from Oz)」で、広く知られることとなったピーター・アレン

 彼はショー・ビジネス界で名を轟かせたエンターテイナーだったわけですが、日本では長い間この「フライ・アウェイ」が入った「バイ・コースタル」というアルバムで、ほぼAORファンからのみ知られる存在でした。

 彼のエンターテイナーぶりは当時日本にはよく知られなかったわけですが、今はYouTubeで見ることができます。

 

 "マツケンサンバ"ばりのノリで、なんと彼はラクダに乗って登場します。

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 この端正な「フライ・アウェイ」も彼のショーではこんな風にパフォーマスンスしていたんですね。ピアノの上で腹筋しながら歌う人なんて初めて見ました、、、。

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 1944年にオーストラリアに生まれた彼は本名をピーター・リチャード・ウールノウといいました。幼い頃からピアノとダンスを習い、11歳のときにはホテルのラウンジでピアノを弾いたことをきかっけに、その後も小さなパブなどで演奏していたそうです。

 1959年にはシドニーで、ギタリスト兼歌手のクリス・ベルと出会い、2人でテレビ番組「オーストラリアン・バンドスタンド」に出演し”アレン・ブラザーズ”として人気者になります。 

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  彼らは3年間台湾、韓国、香港のクラブをまわり、1964年には香港のホテルに出演していた彼らを「オズの魔法使い」や「スター誕生」で知られる女優、シンガーのジュディ・ガーランドの夫が見つけ、紹介されたジュディも彼らに感銘を受け、ロンドンに連れて行き、彼女のオープニング・アクトを務めさせたそうです。

 また、ジュディは娘のライザ・ミネリにピーターを紹介し、1967年に二人は結婚します。しかし1970年には別居するようになり、アメリカ進出後は”クリス&ピーター・アレン”という名義で活動していたアレン・ブラザーズも解散し、彼はソロ活動をスタートさせました。

 ゲイであった彼は、マンハッタンにあるゲイが集まる小さなクラブを拠点とし、自分のスタイルを作っていったようで、1978年の週刊朝日の記事によると”70年代最初のゲイ・スタイルで売り出した歌手”というレッテルがあったのだそうです。

 

 1971年にアルバム「Peter Allen」でデビュー「Honest Queen」というのがシングルでしたが全くヒットしない時期が続きます。

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 彼の最初のブレイクは作家としてでした、1974年にオリヴィア・ニュートン・ジョンに書いた「愛の告白(I Honestly Love You)」

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  これはもともと、ピーターが自分の3枚目のアルバム用にジェフ・バリーと書いたもので、そのデモがオリヴィアのプロデューサーであるジョン・ファーラーの手に渡り、オリヴィアも気に入ったためレコーディングすることになったようで、ピーターは自分で歌いたいと主張したのをバリーが説得したと言われています。全米1位でグラミーの最優秀レコード賞に選ばれたわけですから、結果良かったわけです。

  また、1970年代後半にピーターは作詞家のキャロル・ベイヤー・セイガーと組んで、素晴らしいバラードを2曲大ヒットさせています。

 

 日本ではリタ・クーリッジのヴァージョンが有名な「あなたしか見えない(Don't Cry Out Loud)」アメリカではメリッサ・マンチェスターが歌い1978年に最高10位

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 1979年全米38位、リタ・クーリッジ「愛しているからさよならを(I'd Rather Leave While in Love)」。日本では、吉田美奈子もカバーしています。個人的には山下達郎の「YOUR EYES」にも影響を与えたんじゃないかと思っています。

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 このように、ピーターは素晴らしいメロディー・メイカーでもありますが、”ちゃっかり乗っかった”名曲もあります。

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  ピーターとキャロルが共作した”失敗作”の中に”When You get caught between the moon and NEW YORK CITY”という歌詞があり、それをキャロルがバカラックのメロディに歌詞をつけているときに見事にハマったので、キャロルがピーターに使用許諾をもとめたら、彼は作者の一人に入れろと主張したとのことです。(ピーターは自分のショーでもこの曲を歌っていたようです)

 

 そんな彼が作家としての絶頂期に作られたのがこの「バイ・コースタル」でした。プロデューサーはデヴィッド・フォスター。1980年頃の彼といえば、ジェイ・グレイドンと組んだユニット、エア・プレイの「ロマンティック」、ボズ・スキャッグスの「ミドル・マン」、昨日このブログに登場したレイ・ケネディ「ロンリー・ガイ」などTOTOのメンバーなどを引き連れて、ノリにノッテいた時期です。

 

 十代からショーの世界にどっぷりつかって生きてきために、"水商売感"がどうしても滲み出てしまうピーターが、アメリカ西海岸の若くて勢いのある才能たちのサウンドに乗って、今までにないような爽快感を打ち出すことに、このアルバムでは成功しています。

 

 そして、このアルバムからのシングルで、彼が歌った曲の中で唯一全米TOP100に入った(55位)のが、この「フライ・アウェイ」でした。

 彼はショー・ビジネス界ではかなりの有名人でしたが、ヒット・チャートにはあまり縁のない人だったんですね。

 しかも、ピーターとキャロルが書いたこの「フライ・アウェイ」を最初にレコーディングしたのは竹内まりやだったんです。

 どういう経緯かはわかりませんが、1980年の彼女のアルバム「Love Songs」に収録されていて僕も彼女の歌で最初に知りました。

  ピーターのヴァージョンは、デヴィッド・フォスターが、ポップス感の強かったAメロを、歌詞はそのままに陰りのあるアーバンなメロディにがらっと変えているところが聴きどころです。

 竹内まりやの音源の動画はありませんでしたので、興味のある方はぜひ聴き比べてみてください。

 

 その後、1980年代後半に自作のミュージカルを5年がかりで実現させるという大きなチャレンジを試みますが、相当な酷評を受けたようです。そして、1992年に彼はエイズで亡くなってしまいます。まだ、48歳だったそうです。

 

 パフォーマンスをしていない時の自分のことを「退屈な人間」だと自称していた彼の日常は、近所の人が”庭師”だと勘違いするほど静かなものだったようです。ステージの上に立ったときにだけスイッチを思い切り入れる人だったんですね。そして、何より、繊細な感性を持つ優れたソングライターだったのは間違いありません。

 

 最後は「Fly Away」のカバーを。1982年、これまた日本のAORファンから人気のあったスティーヴィー・ウッズのアルバム「テイク・ミー・トゥ・ユア・ヘヴン」からのシングルとして全米84位まであがっています。

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