おはようございます。
今日はピーター・アレンの「フライ・アウェイ」です。
You're an anchor, I'm a kite
You're what gets me through the night
You keep me steady and on course
'Til I found you I was lost
But you're the earth and I'm a sky
And sometimes if I go to high
Well, then you pull a string that pulls me back
If not for you I might lose track
And I might fly away, oh, I might fly away
And go my own way to places that we've never been together
I might fly away take to the sky some day but not for now, not today
Nobody here is flyin' away, away
You have reasons, I have dreams
So we're perfect, so it seems
You talk fortunes, I tell the truth
Kept me from my crazy youth
When you're near me I feel whole
I don't have to rock and roll
I don't worry, I don't think
But baby hold me close and I won't break
And I might fly away, oh, I might fly away
And go my own way to places that we've never been together
I might fly away take to the sky some day but not for now, not today
Nobody here is flyin', flyin' away, oh, I might fly away
I might fly away but not for now, not today
Nobody here is flyin' away, oh, I might fly away
I might fly away, take to the sky some day but not for now, not today
Nobody here is flyin' away
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君は錨、僕は凧
君がいるから僕をこの夜を乗り越えられる
君は僕を落ち着かせ、導いてくれる
君を見つけるまで僕は道に迷っていた
だけど、君は地球で僕は空なんだ
時にもし僕が高いところまで行けば
その時は君が糸を引いて僕を引き戻してくれる
君がいなければ、僕は道を見失うかもしれない
そして、僕は飛び去るかもしれない、ああ、飛び去るかもしれない
二人行ったことのない場所へと自分の道を進んでいく
いつか空へと飛び立つかもしれない
だけどそれは今じゃない、今日じゃない
ここにいる誰も飛び立っていない
君には理由があり、僕には夢がある
だから僕らは完璧なんだ、そう思えるんだ
君は運勢を語り、僕は真実を語る
無謀な若さから遠ざけてくれた
君がそばにいると 満たされた気持ちになる
ロックンロールする必要はないのさ
悩んだり考えたりしない
だけど、ベイビーきつく抱きしめてほしい
壊れたりしないから
そして僕は飛び去るかもしれない、ああ、飛び去るかもしれない
一緒に行ったことのない場所へと自分の道を進んでいく
いつか空へへと飛び立つかもしれない
だけどそれは今じゃない、今日じゃない
ここにいる誰も飛び立っていない
いつか空へと飛び立つかもしれない
だけどそれは今じゃない、今日じゃない
ここにいる誰も飛び立っていない
飛び立つかもしれない いつか空にたどりつくかもしれない
だけどそれは今じゃない 今日じゃない
ここにいる誰も飛び立っていない
(拙訳)
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海外ではヒュー・ジャックマン、日本ではV6の坂本昌行がその生涯を演じたミュージカル「ザ・ボーイ・フロム・オズ(The Boy from Oz)」で、広く知られることとなったピーター・アレン。
彼はショー・ビジネス界で名を轟かせたエンターテイナーだったわけですが、日本では長い間この「フライ・アウェイ」が入った「バイ・コースタル」というアルバムで、ほぼAORファンからのみ知られる存在でした。
彼のエンターテイナーぶりは当時日本にはよく知られなかったわけですが、今はYouTubeで見ることができます。
"マツケンサンバ"ばりのノリで、なんと彼はラクダに乗って登場します。
この端正な「フライ・アウェイ」も彼のショーではこんな風にパフォーマスンスしていたんですね。ピアノの上で腹筋しながら歌う人なんて初めて見ました、、、。
1944年にオーストラリアに生まれた彼は本名をピーター・リチャード・ウールノウといいました。幼い頃からピアノとダンスを習い、11歳のときにはホテルのラウンジでピアノを弾いたことをきかっけに、その後も小さなパブなどで演奏していたそうです。
1959年にはシドニーで、ギタリスト兼歌手のクリス・ベルと出会い、2人でテレビ番組「オーストラリアン・バンドスタンド」に出演し”アレン・ブラザーズ”として人気者になります。
彼らは3年間台湾、韓国、香港のクラブをまわり、1964年には香港のホテルに出演していた彼らを「オズの魔法使い」や「スター誕生」で知られる女優、シンガーのジュディ・ガーランドの夫が見つけ、紹介されたジュディも彼らに感銘を受け、ロンドンに連れて行き、彼女のオープニング・アクトを務めさせたそうです。
また、ジュディは娘のライザ・ミネリにピーターを紹介し、1967年に二人は結婚します。しかし1970年には別居するようになり、アメリカ進出後は”クリス&ピーター・アレン”という名義で活動していたアレン・ブラザーズも解散し、彼はソロ活動をスタートさせました。
ゲイであった彼は、マンハッタンにあるゲイが集まる小さなクラブを拠点とし、自分のスタイルを作っていったようで、1978年の週刊朝日の記事によると”70年代最初のゲイ・スタイルで売り出した歌手”というレッテルがあったのだそうです。
1971年にアルバム「Peter Allen」でデビュー「Honest Queen」というのがシングルでしたが全くヒットしない時期が続きます。
彼の最初のブレイクは作家としてでした、1974年にオリヴィア・ニュートン・ジョンに書いた「愛の告白(I Honestly Love You)」
これはもともと、ピーターが自分の3枚目のアルバム用にジェフ・バリーと書いたもので、そのデモがオリヴィアのプロデューサーであるジョン・ファーラーの手に渡り、オリヴィアも気に入ったためレコーディングすることになったようで、ピーターは自分で歌いたいと主張したのをバリーが説得したと言われています。全米1位でグラミーの最優秀レコード賞に選ばれたわけですから、結果良かったわけです。
また、1970年代後半にピーターは作詞家のキャロル・ベイヤー・セイガーと組んで、素晴らしいバラードを2曲大ヒットさせています。
日本ではリタ・クーリッジのヴァージョンが有名な「あなたしか見えない(Don't Cry Out Loud)」、アメリカではメリッサ・マンチェスターが歌い1978年に最高10位のヒットになっています。
1979年全米38位、リタ・クーリッジ「愛しているからさよならを(I'd Rather Leave While in Love)」。日本では、吉田美奈子もカバーしています。個人的には山下達郎の「YOUR EYES」にも影響を与えたんじゃないかと思っています。
このように、ピーターは素晴らしいメロディー・メイカーでもありますが、”ちゃっかり乗っかった”名曲もあります。
「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」クリストファー・クロス
ピーターとキャロルが共作した”失敗作”の中に”When You get caught between the moon and NEW YORK CITY”という歌詞があり、それをキャロルがバカラックのメロディに歌詞をつけているときに見事にハマったので、キャロルがピーターに使用許諾をもとめたら、彼は作者の一人に入れろと主張したとのことです。(ピーターは自分のショーでもこの曲を歌っていたようです)
そんな彼が作家としての絶頂期に作られたのがこの「バイ・コースタル」でした。プロデューサーはデヴィッド・フォスター。1980年頃の彼といえば、ジェイ・グレイドンと組んだユニット、エア・プレイの「ロマンティック」、ボズ・スキャッグスの「ミドル・マン」、昨日このブログに登場したレイ・ケネディ「ロンリー・ガイ」などTOTOのメンバーなどを引き連れて、ノリにノッテいた時期です。
十代からショーの世界にどっぷりつかって生きてきために、"水商売感"(?)がどうしても滲み出てしまうピーターが、アメリカ西海岸の若くて勢いのある才能たちのサウンドに乗って、今までにないような爽快感を打ち出すことに、このアルバムでは成功しています。
そして、このアルバムからのシングルで、彼が歌った曲の中で唯一全米TOP100に入った(55位)のが、この「フライ・アウェイ」でした。
彼はショー・ビジネス界ではかなりの有名人でしたが、ヒット・チャートにはあまり縁のない人だったんですね。
しかも、ピーターとキャロルが書いたこの「フライ・アウェイ」を最初にレコーディングしたのは竹内まりやだったんです。
どういう経緯かはわかりませんが、1980年の彼女のアルバム「Love Songs」に収録されていて僕も彼女の歌で最初に知りました。
ピーターのヴァージョンは、デヴィッド・フォスターが、ポップス感の強かったAメロを、歌詞はそのままに陰りのあるアーバンなメロディにがらっと変えているところが聴きどころです。
竹内まりやの音源の動画はありませんでしたので、興味のある方はぜひ聴き比べてみてください。
その後、1980年代後半に自作のミュージカルを5年がかりで実現させるという大きなチャレンジを試みますが、相当な酷評を受けたようです。そして、1992年に彼はエイズで亡くなってしまいます。まだ、48歳だったそうです。
パフォーマンスをしていない時の自分のことを「退屈な人間」だと自称していた彼の日常は、近所の人が”庭師”だと勘違いするほど静かなものだったようです。ステージの上に立ったときにだけスイッチを思い切り入れる人だったんですね。そして、何より、繊細な感性を持つ優れたソングライターだったのは間違いありません。
最後は「Fly Away」のカバーを。1982年、これまた日本のAORファンから人気のあったスティーヴィー・ウッズのアルバム「テイク・ミー・トゥ・ユア・ヘヴン」からのシングルとして全米84位まであがっています。